2023/12/20 - 2023/12/20
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兵庫区歩きで見落とした場所、兵庫生け簀の跡とダイエー発祥の地、湊口惣門跡などを見学してから、湊川神社を参拝しました。
湊川神社は楠木正成を祀る神社です。
境内には多くの遺蹟があり、みごたえのある大きな神社でした。
入ってすぐ右にあるのが楠木正成のお墓です。
楠木正成を敬慕する多くの人々、藩主などの石灯篭の寄進がありました。
水戸光圀も楠木正成を敬慕するひとりです。
朱舜水の散文も吉田松陰、新島譲らにも大きな影響を与え、拓本もとられています。
神社奥には楠木正成の殉節の地があり、最期となった場所は大切に今も
お祀りされ、守られた場所となっています。
緑も多く、広い境内には多くの参拝者が訪れていました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 自家用車 徒歩
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今回は神戸駅から始まります。
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とてもレトロなビル?マンション?がありました。窓の具合も可愛いです。
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みなと八幡宮に再度お参り。
応仁天皇を主祭神とする神社です。 -
境内には、古い灯籠や
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迷い子のしるべ石があります。
もともと塀の外にあったそうです。
今のように警察が迷い子を保護するということもない時代、
この右にある石のくぼみ「たづねる方」に、探す子供の特徴や連絡先を紙に書いて入れ、
また、保護している人は、しらする方のほうにこんな子を保護していると連絡先を書きいれる、、、すると両者がマッチングするとすぐに解決され、また「たづねる方」をみて、発見した人が子供を連れてくる、、、というように利用されていたそうです。
戦災で破損もしているそうですが、その後、左のほうに同じものを作ったそうです。
当時の迷子を捜す民間の方法として、貴重な遺構です。 -
説明板があります。
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300年の記念の馬の像。
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立派な狛犬がいました。
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何だかユーモラスでもあります。
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美しい石灯籠です。
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境内から外にでると、惣門跡という石碑がありました。
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ここは西国街道でも人の往来が多かったところ。
兵庫の出入り口であった惣門、池田伸輝が兵庫城を築城した時代、
惣門内には番所もありました。 -
こんなにぎやかな場所だったので、迷い子のしらべもあったのですね。
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付近の地図の一部ですが、
ダイエーの発祥の地を探します。
とても小さな碑があると聞きました。
これが、なかなか見つからず、松尾神社の方にも尋ねたり、、 -
松尾神社の民家の一角にそっと、立ってました。
サカエ薬局という薬局からダイエーがスタートしたそうです。
それにしても、金網でよくみえません、、 -
さらに地図に、大松邸レンガ倉庫と会ったので、探してみることに。
ウロウロしていて、これまた近隣の方に尋ねたり、、目の前にありました。
現在は動物病院?
とても素敵な建物でした。 -
レンガの大きな倉庫です。
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もう一つ、今日こそ見たかったのが、兵庫生け簀跡です。
ここまでくるのに、歩くと距離があるので、バスに乗りました。 -
南浜公園です。
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江戸時代には、ここに大きな生け簀がありました。
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当時の様子の絵があります。
大きな生け簀で、にぎわったそうです。 -
説明板。
24m×7mで、屋根もあったそう。
鯛などのいろんな種類の魚がいたようで、漁ができないときは、ここから出荷していたそうです。 -
石碑もあります。
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公園の片隅に、その碑と説明板があります。
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湊川神社にやってきました。
JR神戸駅から歩いて近いです。
立派な神門です。昭和17年の建設だそうです。
南北朝時代の楠木正成は湊川の戦いで殉節します。
1643年には尼崎藩主の青山幸利が領内に供養塔を建てます。
水戸光圀も石碑の建立を行い、その後吉田松陰なども楠木正成を敬慕しています。
1872年には正式に湊川神社が創建されます。
面積はおよそ7680坪の大きな神社です。 -
門を入ってすぐ右に、楠木正成墓所があります。
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イチオシ
まず、入って圧倒されるのが、立派な石灯籠が立ち並んでいること。
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古い石灯籠は、楠木正成を敬慕する人々によって寄進されたものだそうです。
歴代藩主など。1700年から寄進されています。 -
この石灯籠をみて、楠木正成がいかに多くの人々から慕われてきたか、わかります。
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入口に朱舜水の散文の拓本をとったものがありました。
墓碑です。
表には水戸光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」と自らが筆を執って書いたものが、裏にはこの朱舜水の散文が刻まれているそうです。
1692年に墓碑は建設されています。
その建設費も水戸光圀が負担しています。
墓碑の下にあるのは、亀趺で、墓石にもこだわりが。
碑石は楠木正成の故郷大阪の青和泉石、亀趺は仕えた御醍醐天皇の京都の白川石、台座は最期の地の神戸の御影石。
後世の人々にも影響を与えた散文、後に、吉田松陰や新島譲もこの拓本をとり、教育にも使ったといわれています。 -
墓所。
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奥に墓碑があります。
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水戸光圀ノ像もあります。
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多くの石灯籠がお墓を囲むように守っているように感じました。
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内側から観た、門。
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お墓近くにはこんな大きな石表示もありました。
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あちこちに表示があって、わかりやすいです。
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近くに日本最古のオリーブの樹があります。
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古木です。
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葉っぱが元気です。
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説明板があります。樹齢は150年、日本最古のオリーブの樹です。
パリ万博が行われた際に前田正名によって持ち帰られたとのことです。
明治11年のものです。 -
英語の説明板もありました。
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そのそばには宝物館がありますが、閉館中でした。
楠木正成ゆかりの資料 刀剣や書画、そのほか重要文化財の書や鎧なども収納されているようです。
HPをみましたら、無期限の休館中でした。残念です。 -
境内の地図があります。
7600坪といわれる神社の領域。
とても広いです。 -
楠木正成の絵による年表がありました。
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とてもわかりやすいです。
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波乱万丈の一生。
後に多くの人々からその智・仁・勇を供えた人物として後世の人々からも軽敬慕された楠木正成。 -
大鳥居。
阪神淡路大震災によって倒壊した大鳥居は復元されています。 -
古い大きな鳥居があちこちに。
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参道を歩きます。
木々が気持ちよい。。 -
広い敷地に多くの建物、史蹟があります。
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本殿。
神戸空襲で焼失したあと、昭和27年に再建築されたもの。
中央には主神の楠木正成、右には夫人、左には息子の楠木正行と正成、弟の正季一族16柱、菊池武吉卿がお祀りされています。
(HP参考)
神祭は楠木正成ほか一族16柱。 -
こちらは本殿の天井。全国の画家から奉納された美しい画の数々。
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力強く、美しい画にみとれます。
扉近くには金色の獅子の狛犬がいるそうです。
平櫛田中作のもの。 -
近くにはさざれ石もあります。
親子さざれ石。
楠木正成とその子正行の姿に見立てたものだそうです。 -
天満神社。
菅原道真を祀っています。 -
殉節の地に向かいます。
湊川の合戦で楠木正成とその一族が殉節を遂げた場所。
このあたりに民家があり、そこで最期を迎えたといわれており、そこを殉節の地として祀っています。 -
神聖な雰囲気でした。
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説明板。
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奥には、大隈重信、江藤新平、伊藤博文などの奉納した燈籠があるそうです。
中にははいれませんでした。 -
静かに、祀られていました。
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近くにあった建物、尚志館。
楠木正成の文武兼備、文化人であったことから、茶華道、芸道の修練の場として昭和28年にできたそうです。
徳富蘇峰により、尚志館と命名されています。 -
周囲にも大きな石灯篭がありました。
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末社
楠本稲荷神社があります。
水戸光圀の墓碑が造られた前からも、すでにあったようです。 -
御祭神は
倉稲魂命、猿田彦命、大宮女命。
商売繁盛と五穀豊穣にご利益があるといわれています。 -
堂々とした神門。
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JR神戸駅。
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駅前には面白いモニュメントがあります。
海からの便りという作品で、彫刻家の新宮晋氏によります。
約50年も前に設置されたそうです。
風でゆっくり動くようです。高さは20m。
とても面白いオブジェでもありました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(^^)
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