2024/01/06 - 2024/01/06
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hijunoさん
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いつも新幹線から観ていた関ケ原、、、いつか周ってみたい、、と思っていました。
特に夫が戦国時代のファンでもあり、楽しみにしていました。
古戦場記念館でまず、25分上映のシアターを観て、おおまかの関ヶ原の戦いについて説明を受け、関ヶ原に残っている陣跡などの位置を確認して、周りました。
戦いが6時間で終わったことや、戦いに臨んだ人々の思惑、死を覚悟して義に生きた人もいれば、裏切りや敵中突破で逃げ切った人、この戦いに参加した人々の生きざまを知る事ができました。
個人的には石田三成と大谷吉継が大好きです。(かなりのミーハーです
それぞれの陣跡や大谷吉継のお墓にも行くことができて、心に残りました。
重い病気の身体で、死を覚悟して、それでも義に生きた大谷吉継、
また豊臣への忠臣を誓った石田三成、、
また彼らをとりまく友情の人々、、、
戦国時代、勉強不足で知らないことも多かったのですが、人物像が興味深く
奥深い歴史の一部だと感じました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
念願叶っての関ケ原めぐり、、、
まずは、徳川家康最初陣地の跡からです。
1600年の9月15日、関ヶ原を中心に行われた野戦を一般に関ケ原の戦いと呼んでいますが、豊臣秀吉が亡くなったあとに起こった戦いですが、
東軍は家康を総大将として、福島正則、黒田長政らを中心としています。
西軍は毛利輝元を総大将として、石田三成、宇喜多秀家らを中心としています。
約6時間の戦い。短い時間で決着がついたのが、ちょっと驚きでした。
兵力のあった小早川秀秋の寝返りが大きな原因となり、西軍は総崩れとなり、
東軍が勝利します。 -
さて、桃配山です。(ももくばりやま)
小高い山といったかんじです。
本当はもっと高い山だったのでしょうか。
でも、ここからは見晴らしが思った以上に良かった。。。 -
下のほうには、説明書きの看板がありました。
関ケ原開戦前日に岡山(大垣市)に、翌日午前6時くらいには桃配山に布陣しています。 -
イチオシ
上りやすくなっています。
なぜ、ここに布陣したのか、、
壬申の乱で勝利した大海皇子がここで、兵士たちに桃を配ったといわれる話から縁起の良い場所として選んだともいわれています。 -
空き地には休憩スペースもあります。
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決戦地や開戦地、布陣の様子などがわかります。
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当時はもっと見晴らしもよかったはず。
でも一望できます。 -
こちらからも一望。
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徳川家康、、どんな思いで、この場で初陣を敷いたのでしょう。。
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石碑もあります。
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当時は建物もなく、遠くまで見渡せたはずです。
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ここから古戦場記念館まで来るまで10分足らず。
近いです。
予約が必要とあったので、予約したのですが、時間が早まり、当日券を買うことができました。
25分のシアターがあると聞きました。 -
駐車場のそばに会った、自動販売機も関ケ原の戦い風の絵。
そして、その上に書いてあるお食事処の名前も兵糧、、なんて。
近くに甲冑の博物館もあるようですが、今回は時間がないのでパスです。 -
記念館のお隣の建物。
学習のための施設なんでしょうか、、、ちょっとのぞいてみればよかったな。。 -
関ケ原古戦場記念館、、とても大きいです。
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立派な設備の記念館でした。
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イチオシ
シアターの時間まで1階をウロウロします。
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イチオシ
色んな展示があり、興味深いです。
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大河ドラマの出演者たち。
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出演者たちの大きなパネルがありました。
私はドラマをみていませんので、よくわかりませんが、、 -
イチオシ
石田三成は中村七之助さんが演じたのですね。。
なるほどです、、なんだかイメージありますよね。 -
こんなアニメチックなパネルもあり、
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パンフレットも豊富。
関ケ原を熱く紹介しています。 -
こんなマップと説明のあるものもフリーで。
手をかけているなぁ~とつくづく思いました。 -
石田三成の甲冑一式や
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徳川家康の甲冑一式。
1階のロビーまわり、いろんな展示や関ケ原の戦いや岐阜の情報、資料がてんこもりでした。
シアターの時間になりました。
とても意匠を凝らしたシアターで、まず、立って見下ろすタイプのものと座って観るタイプのもの。
関ヶ原の戦いのおおよその説明があります。
続いて、椅子に腰かけてのシアター鑑賞は椅子には音がでて、臨場感ある、戦いの場を目の当たりにする大型スクリーンに、戦いの様子がよくわかりました。
撮影は禁止です。 -
シアターの鑑賞が終わり、二階にあがり、博物館の見学をします。
こちらは撮影が禁止ですが、二階には体験型の学習コーナーがあり、
とても面白かったです。
刀剣の重さを体験したり、写真の撮影もできます。
子供も楽しめる工夫がされていました。 -
刀、持ってみましたが、とても重い、、、
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大鉄砲や、
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火縄銃も。
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旗印もいろいろ。
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イチオシ
馬印も独特。
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徳川家康の馬印、、深い意味です。
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戦いかたもいろいろ。
とてもわかりやすい展示と体験コーナー、楽しめました。
博物館のほうは、貴重な古文書などの展示も多かったです。 -
5階には展望室。
関ヶ原の布陣跡などを確認しました。 -
イチオシ
西軍や東軍の布陣がずらりあったことを想像。
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パネルにも説明がありました。
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当時は現在のような建物もなく、両軍の兵士がずらり、、という景色だったはず。
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レストランとお土産コーナーも充実していました。
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家紋のクッキーなんて、面白い。
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人で混みあってましたので、利用しませんでしたが、レストラン。こんな面白いドリンクもありましたよ。
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見学も終わり、外にでます。
ちいさいお社が目に入ります。 -
東軍西軍両者15万の兵の戦いで亡くなった人々を弔うための神社です。
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そのお隣に貴船神社。
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説明にもありますが、この地は水不足に苦しんでいたそうです。
大正15年には水をくみ上げる工事を行い、住民は喜んだそう。
京都の貴船神社の祭神の分身をもらい、水神として祀っています。 -
そして、徳川家康後陣の跡に来ました。
合戦の当日の午前11時ごろには桃配山から石田三成の陣の正面にある子の場所に陣を移しています。
パンフレットによると、一説には、ここから松尾山の小早川秀秋を鉄砲で威嚇したともいわれています。 -
ここは床几場。
合戦後に首実検を行った場所です。 -
説明板。
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家康の馬印の旗もあります。
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ここでは、こんな仮装の人々もいましたよ。
記念撮影をしました。
ありがとう~。
雰囲気ありますよね。
人気でした。 -
大きな石碑があります。
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東首塚とあります。
西首塚もあります。
合戦の翌日、徳川家康が破壊された神社の修復や、戦いで亡くなった人々を弔うように竹中重門に命じています。
竹中重門は遺体を埋葬し、東と西に首塚を造営したとのことです。 -
開戦地を目指します。
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細い道を走ります。
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開戦の地の石碑があります。
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説明板。
霧が晴れた午前8時に戦いは始まります。 -
きれいに整備されています。
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周囲は本当に何にもない、寂しいような、静かな場所です。
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ここにも地図と説明。
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この奥には小西行長の布陣跡があります。
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説明板。
加藤清正と政治的に対立。
石田三成の西軍で戦いますが、小早川秀秋の裏切りで、そう崩れとなります。
行長は熱心なクリスチャンで、自害が禁止されているため、自首し、最期は三成らと処刑されてしまいます。 -
小さな石碑が建っていました。
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島津義弘の陣跡にきました。
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神社がありました。
神明神社。 -
由来がありました。
関ヶ原の戦いのころは、違う場所、丘陵にあったようで、島津氏はその境内を本陣としたそうです。清水も湧き出ていて、軍用水にしたとか。
その後、その清水がわきでるところを薩摩井戸と呼んだそうです。
神社の西には池があり、領主の養魚場となっており、視察の際には陣屋境内で休息をとったといわれています。 -
このあたりも、静かで、とても激戦が繰り広げられた場所とは想像もつかず。
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石田三成の陣の有った笹尾山を指す石碑。
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説明板がたっています。
主な陣の跡にはこのような説明板があります。 -
大きな石の表示がありました。
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ここにも説明駒札。
島津義弘氏の敵中突破は有名です。
敵に背を向けない、、という薩摩の精神を知るようなできごと。。
無謀とも思える、この敗退、、
誰もが予想できなかったことではないでしょうか~。 -
古い石灯篭にも〇に十の家紋が見えます。
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石碑。
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島津義弘について調べてみると、
愛妻家でもあり、敵中突破した関ヶ原の戦いのあとも、大阪城に人質になっていた妻子を救いに向かったそうで、愛情の深い武将だったのでしょう。
また武勇もあり、実直で、家臣も大切にする人だったようで、福島正則らの武将らからも尊敬されていたようです。
家臣に子供が生まれると、抱き上げて誕生を祝福していたことなど、家臣を大切にしてきた武将ということもわかります。
関ヶ原の戦いでは小早川秀秋の裏切りにより300人にまで兵が減り、また敵中突破をして最後には80人ほどになったとか。
豊臣秀吉や徳川家康にも恐れられた人物、、
戦いのあとも西軍に加わったにもかかわらず、領土を安堵されたことからも
家康も一目置いた人物だったのですね。。 -
ここから、石田三成の陣地跡へ向かいます。
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石田三成の陣地のあと、
笹尾山に来ました。 -
説明板があります。
こちらの笹尾山からは関ヶ原が一望できます。
山頂に布陣したそうですが、北国街道も抑えられるという利が沢山ある場所です。 -
石田三成を支えた、大谷吉継に扮した人もいました。
大谷吉継が大好きとおっしゃっていました。
一緒に記念撮影してもらいました。。 -
ここから山の上を目指して登っていきます。
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けっこう、急な勾配です。
息が荒い、、 -
手すりもついているところもありますが、歩きやすく、滑りにくい靴をお勧めです。
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イチオシ
石碑があります。
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ちょっと休憩できる場所も。
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地図とそれぞれの陣地の説明があります。
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ここからは関ヶ原を一望、徳川家康の初陣の桃配山のあたりも。
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当時はもっと、明らかに遠くまで見渡せたはず。
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大谷吉継のお墓や陣の跡はどのあたりだろう、、、と探していました。
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山を下りて、
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下には島左近の陣地跡がありました。
島左近といえば、説明板にもありますが、
石田三成に過ぎたるものが二つ、
一つは佐和山城と島左近、、、よく聞きます。
島左近への信頼も厚く、俸禄の半分を与えていたとか。
関ヶ原ではこのあたりに陣があり、奮戦します。 -
その場所に、関ヶ原の戦いの説明があります。
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石田三成の陣地跡、笹尾山がみえます。
美しい風景でもありました。 -
笹尾山の近くに、決戦の地の石碑が建っています。
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説明板。
小早川秀秋の裏切りにより、戦況は悪化した西軍の石田三成の軍も壊滅的となっていきます。
ここで、敗戦となり、三成は敗走します。 -
そして、最後に訪れたのは大谷吉継の墓と陣地跡です。
その前に、大谷吉継の親友でもあり、身体の不自由な大谷吉継のかわりに
軍の指揮を執っていたといわれる平塚為広の碑がありました。 -
石碑。
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平塚為広の子孫に、平塚らいちょうがいることを何かで読んだことがありました。
大谷吉継も義の人ですが、この平塚為広もやはり大谷のために戦った義の人だったのですね。 -
近くに、大谷吉継のお墓、陣の跡に向かう道があります。
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整備された道ですが、山へと入っていく道、、、こちらでよいのか、、ちょっと不安に。
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このあたりが、小早川秀秋との激闘がくりひろげられた場所。
地形を生かした場所だったようです。 -
蝋梅が良い香り。
花は少しなのに、香りが漂っています。 -
こちらはまさに山道を登っていきます。
もう、歩きやすい靴を絶対おすすめです。 -
場所の表示があるので、わかりやすいですが、途中、かなりの山道を登っていきますので、こちらでよいのか、、、ちょっと不安になります。
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お墓の表示石があります。
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樹々の茂ったなかを、
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大谷吉継のお墓にお参りします。
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説明板を読んでいると、泣きそうになります。
小早川秀秋の寝返りによって、もはやこれまで、、のときに、
ここで自刃し、首を敵に渡さないように、湯浅五助に頼み、甥の僧祐玄が首を持ち、敦賀に逃亡する途中に米原に埋めたといわれています。
そこには大谷吉継の首塚があります。
湯浅五助は藤堂高虎の甥の高刑に、主君の首の行方を隠してほしいと頼み、自分の首を差し出します。高刑はその頼みを守り、家康の詰問にも所在を決して言わなかったとか。
病気によって醜くなった自分の首を決して敵に見せないでほしいという大谷吉継の意思を守り抜いた湯浅五助とその五助の願いを叶えた藤堂高刑。
こちらのお墓も藤堂家によって建立されたそうです。大正になり、五助が寄り添うように大谷吉継のお隣にお墓を建立しています。 -
イチオシ
二人のお墓。
-
大谷吉継は石田三成との深い友情があったといわれていますが、私がいつも思い出すのは、茶会で、病気のあった大谷吉継の茶碗にだれも次に飲むことを避けていたそうですが、石田三成はふつうに大谷吉継のあとに口をつけたそうで、このとき感激した大谷吉継は、関ヶ原の戦いに一緒に臨むことを決意したといわれています。
家康との関係も決して悪くなかった大谷吉継は、石田三成に関ヶ原の戦いに臨むことをやめるように諫めたようですが、結局、関ヶ原の戦いには病気の身体でありつつ、臨みます。
きっと勝敗も予測していたはず。
そして、小早川秀秋の寝返りも予測していたそうですから。
死を覚悟しても、石田三成とともに戦う覚悟。
もうすべてわかっていたけれど、戦ったのでは、、、と思ってしまいます。 -
顕彰碑もありました。
-
軍国主義の時代になると、豊臣秀吉に仕え、また豊臣秀吉に仕えた石田三成との義に生きたひととして、武士道として、称えられるようになります。
夫は、この「義」というものに非情に憧れがあり、(忠臣蔵の大ファンでもありますが)、この義に生きた大谷吉継について、興奮して話していました。
という、私も、「義」がなにか、突き詰めて考えることもありませんが、
「義」は人生において大切であるようにも感じています。(老人になっていくにつれ) -
大谷吉継の陣跡に向かいます。
-
こんな山道。
当時とさほど変わっていないのでは、、、とおもうほど、樹々が茂っています。
しずか。 -
イチオシ
大谷吉継の陣のあと。
-
家紋は赤穂の浅野家の家紋と同じなのでしょうか、、、、
-
説明板にもありますが、
この場所は小早川秀秋の陣の様子もよくわかる場所。
最後は、小早川の寝返りがあって、一時は押し返すような勢いもあったようですが、脇坂の寝返りも重なり、三方から攻められ、最期を迎えます。 -
大谷吉継陣の跡。
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ここからは小早川の松尾山にある陣が良く見えます。
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説明板。
1万3千という大群の小早川の軍が押し寄せてきますが、三度も押し返したそうです。 -
イチオシ
見晴らしの良い場所でした。
-
山の中を歩きます。
帰り道、どこか近道はないか、、と思いましたが、もと歩いてきた道を引き返します。 -
当時は樹々も、もっと茂っていたのでしょうか、、
よくこんな場所で、重い甲冑や武具を持ち戦ったものだ、、、と。 -
お昼をすっかり食べそこねて、
帰りのパーキングで食べました。
伊吹山のパーキング。
お蕎麦が美味しいところだそうで、コシのある美味しいお蕎麦と大きなおあげ。 -
夫は天ぷらそばと親子丼のセットを。
親子丼の鳥は地鶏のような美味しい鳥だったようです。 -
お土産は、大好きな味噌煮込みうどん。
こちらもとても美味しかったです。
駆け足の関ヶ原巡り、、また続きをしてみたいです。
長い旅行記、、、、
最後までおよみいただき、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (4)
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- Decoさん 2024/01/13 06:44:35
- 関ヶ原
- Reiseさん、おはようございます。
関ヶ原の詳細な旅行記、とても興味深く拝見しました。
Reiseさんが大谷吉継が好きというのも、なんとなくわかるような気がします。歴史好きの方ならではの、ツウでシブい好みかと感じました。
で、私は島左近ファンなのです。それは昔TBS(多分)の正月長編ドラマ(確か三日間くらいに渡って放映された)の「関ヶ原」を見て感銘を受けたからなのです。三船敏郎の島左近、加藤剛の三成、森繁家康、本多正勝には三国連太郎と、超豪華な布陣でした。勢いあまって司馬遼太郎の原作も読んでさらにハマり…ドラマもですが原作は島左近の比重が大きかったのです(ちなみに、「関ヶ原」が私が初めて読んだ司馬小説でした)。
関ヶ原の戦い、歴史の大きな流れに大小の人間ドラマが重なり…本当に興味が尽きません。結局は小早川の裏切りで勝負が決した感がありますが、これだけでなく、様々なドラマが展開していたのでしょうね。
後から思えば、西軍は秀頼が出陣していればと。小早川の裏切りも防げただろうし、毛利も戦いに参加したかも知れません。東軍の加藤、福島なども動けなかったと思いますし。
また、戦い以前に前田利家、豊臣秀長、蒲生氏郷、小早川隆景などがもうちょっと長生きしていたらとか、宇喜田秀家を二百万石くらいにしておけば…とか(それを言えば、吉継が病にならず、百万石くらいになっていればとうのもあります)。西軍には不運でしたね。
ただ、歴史の大きな流れの中ではやはり家康の元に天下が収まることになったのかなとも思います。安定して長期に続く統治を作り上げるという点では、家康は抜かりがなかったと思います。関ヶ原の裏工作も凄かったですしね。この点では信長も秀吉も遠く及ばなかったと思います。家康は寿命レースに勝ち抜いたとも言えますが、奢侈な生活に流れず自らの健康にとても気を使っていたとされますし、あの長命も自らの努力の結果なのかも知れません。
新年から長々とマニアックなお話をして失礼致しました。
Deco
- hijunoさん からの返信 2024/01/13 07:53:29
- 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
- Decoさん
おはようございます。
そして、今年もどうぞ宜しくお願い致します。
またお便りをありがとうございます。
関ヶ原の旅行記を読んでいただいて、また詳しく教えていただいて、ありがとうございます。
私は歴史は大好きですが、戦国時代は特に知らないことが多くて、旅行記もありきたりなことを書いて、恥ずかしい限りです。
Decoさんは、島左近のファンなのですね。
島左近といえば、石田三成に過ぎたるものがふたつ、佐和山城と島左近、、というフレーズしか知らないのですが、石田三成の優秀な家臣で、俸禄も石田三成は自分のもらう俸禄の半分を差し出したといいますから、よほど優れた人材だと思っています。
私もいつか、関ヶ原の小説も読んでみたいです。
そして、その関ヶ原のドラマを観てみたくなりました。すごいキャスティングですね。(今の時期、夜のテレビは、夫の忠臣蔵の様々バージョン鑑賞がひどくて、
私はチャンネル競争をあきらめます。笑 出演者が違うと、ドラマも全く違うみたいで、古い森繁久彌などのバージョンもみていました。)
そして、今回周りきれなった、他の遺跡なども訪ねてみたいです。
関ヶ原の戦い、、
Decoさんのおっしゃるとおり、前後して様々な戦いや要因があって、関ヶ原の戦いの終了をもって、徳川の時代がやってきますが、この6時間の戦いの中にも様々なドラマがあっったのですよね。
私は武将たちの名前もよく知らないのですが、ちょっと意外だったのが、寝返りをした西軍の将が多くて、小早川秀秋のほかにも、脇坂氏もその一人で、忠臣蔵ではとても良いイメージだった脇坂氏が関ヶ原では寝返ったことが、にわかに信じられない気持ちでした。(勝手に良いイメージですが)
戦いのあとは、淡路の地で安泰に過ごせたことはよかったのかもしれませんが。
生きるか死ぬかの戦い、寝返りや裏切りも必要だったのでしょうが、次々と寝返っていったことが、ちょっと悔しかったりもしました。
(どこか、西軍の味方になっています。笑)
おっしゃるとおり、徳川家康は確かに混乱の時代を終わらせ、平穏な時代の幕開けを行い、また自分自身についても身体も大切に守り、また、海外のことなども知識を積極的に探究し、、、と家光が敬愛したことからも、家康がトップに立ったことは必然的だったのでしょうね。
あと、私がこの関ヶ原の戦いで、島津義弘の敵中突破の撤退も意外だったのです。
敵に背を向けないように、いちかばちかの撤退で、寝返りや裏切りもなく、
ただ、撤退するときの方法が予想もつかない方法で。
戦いの後も、本当なら減封などにあうべきところ、おとがめもなく。
しかも、家臣の反対にあいつつも、大阪城にいた人質の母子の救出に当たるところなど、熱い人でもあったのだと、感じました。
徳川家康も恐れつつも、用心しつつも、島津氏には一目置いていたのだとおもいます。
様々な人間ドラマが繰り広げられ、また知らないことも沢山あって、この時代も
人間的なんだなぁ〜と感じています。
Decoさんのように知識は全くないのですが、日本の歴史の大きな転換期の戦い、出来事に興味は尽きません。
歴史は本当に面白いです。
でも、歴史から学べないことだらけ、、、自分も含め、日本も世界も。愚かなことを繰り返しています。
私も今年は静かで穏やかに始まったとおもっていましたら、災害も事故も続いて
心が折れそうになりました。
もうじき、阪神淡路大震災が起こった日も近くなって、記憶も想いも重なった人が沢山います、私もその一人です。
そんなことを想いながら過ごしています。
寒くなりました。
お母様も心配ですが、どうかDecoさんもお疲れが出ないように、お体を大切にお過ごしくださいね。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
Reise
-
- sukecoさん 2024/01/12 12:10:00
- 関ケ原!
- Reiseさん、こんにちは!
今年もどうぞよろしくお願いします♪
関ヶ原の戦い、どのような戦いだったかと聞かれても、いつも???になりますが、
Reiseさんの旅行記、とても分かりやすく、勉強になりました!!!。
戦いが6時間で終わっていたなんて・・・。
裏切り、忠誠、様々な人の人間像、とても興味深かったです。
特に、義に生きた大谷吉継のお話は興味深々。
関ケ原、いつか訪れて、実際の目で見て、その当時を想像してみたくなっちゃいました。
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/01/12 17:23:26
- 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
- sucekoさん
お便りをありがとうございます。
こちらこそ今年もどうぞ宜しくお願い致します。
パタヤのクチコミ、ホテルライフを読ませていただいて、よだれが出そうです。(笑)
こんな快適に時間を過ごしてみたいです。
sucekoさんのフットワーク、行動力、旅力にはひたすら憧れます。
今年はヨーロッパにも行きたいのですが、どうでしょう、、、
コロナも収まり、やっと、、という気持ちですが。
sucekoさんの旅行記を読みながら、行動してみよう〜と勇気をもらっているのです。
関ヶ原の旅行記を読んでいただいて、ありがとうございます。
私は歴史は好きですけれど、戦国時代は本当によくわからなくて、武将の名前も
知らない人が多いです。
関ヶ原は新幹線に乗ると、まず、冬では雪景色。でもいつか行ってみたいなぁ〜と
思ってました。
私も戦いが6時間で終わったのはちょっと拍子抜けしてしまいました。
もちろん、関ヶ原の戦いに至るまでに、小さな戦いはあちこちで勃発していたでしょうが、この関ヶ原では、こんなに短い時間で終わるなんて。
しかも小早川秀秋という人物の東軍への寝返りが勝敗を決める大きな要因だったのはなんとなく知ってましたけれど、こんなにもあっけないものかと。。
おっしゃるとおり、この戦いに関わった人物たちも興味深かったです。
とくに、島津義弘については、敵に背を向けずに退去しようと、敵中突破という無謀な行動に出たことも、その後も大阪城に人質になっていた母子を救出してから薩摩に戻ったのも、薩摩の精神をみたように思えました。
記念館も良い設備でした。
もし関ヶ原を周られることがありましたら、是非、こちらにも寄ってみてくださいね。
私も好きな石田三成や大谷吉継の陣跡が心にのこっていますが、そのほかにも
関ヶ原にある陣跡や周辺の遺蹟をまわってみたいです。
年末からお正月の疲れがでるころです。
寒さもこたえます。
お体を大切に過ごしてくださいね。
今年は元旦から思いもしないことが次から次へとおこりました。
早く平穏な日々を取り戻せるとよいですね。
Reise
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