2023/10/28 - 2023/10/28
984位(同エリア1066件中)
おやじさん
岐阜市県町鎮座「縣(あがた)神社」
金(こがね)公園で催されていた岐阜・秋酒祭を訪れた際、近隣の縣(あがた)神社、八幡神社、屋根神様に立ち寄ってみました。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- グルメ
- 2.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
岐阜市県町鎮座「縣(あがた)神社」
岐阜の玄関口名鉄岐阜駅から国道157線沿いに北へ進み、飲食店や住居が立ち並ぶ一画に鎮座する神社。
5分もあれば社頭に辿り着ける距離にあります。
社頭全景。
社地の東向きに縣神社の社頭、右手には県町稲荷神社の社頭を構えています。
社頭には石の靖国鳥居(大正4寄進)が立ち、右手の樹陰に「縣神社」の社標が建てられています。 -
右手の県町稲荷神社の社頭。
地元から崇敬篤いようで、社頭から先の参道には複数の奉納鳥居が立てられています。 -
縣神社正面から社殿の眺め。
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鳥居をくぐった境内右手の眺め。
参道右に手水舎があり、奥が県町稲荷神社。 -
参道正面の境内。
左の建屋が社務所で正面の入母屋瓦葺の建物が縣神社覆堂。
そちら続く参道には一対の常夜灯と狛犬が守護する。 -
狛犬は子連れ毬持ちのもの。
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妻入りの覆堂の鬼瓦には「縣」の文字が入り、軒下の紋幕の神紋は、菊の葉に包まれた菊紋が施されています。
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覆堂の前に掲げられている解説と年中行事。
内容は以下。
祭神は擁烈根之命(だきつらねのみこと)
由緒
擁烈根之命は第十一代垂仁天皇の御子である五十瓊敷入彦命(伊奈波神社の御祭神)の御子で、御母は五十瓊敷入彦命の功臣乳父であった毛里(日置部)倫満の娘で、第十二代景行天皇の十四年竹内宿禰をして、伊奈波神社が創建された時、毛里倫満の長男李倫が初代神職を命ぜられ、同十八年には縣宿禰の姓名を賜ったので毛里(日置部)姓を縣姓に改めました。
又第十三代成務天皇が全国に県を置き、その長として県主を定められ、御祭神擁烈根之命は美濃国厚見県の県主に命じられ、この地域開発に力を尽くされました。
その功績を称えてこの地に神社を建て、命をお祀りしたのが縣神社の起こりと伝えられます。
今から千九百年も昔の事です。
この地域の開発振興に多大な貢献を為された事から、家内安全、事業繁栄、子供の護り神として厚く信仰されています。」
岐阜県神社庁の同社の解説は以下のようなものだった。
「擁烈根之命は五十瓊敷入彦命の御嫡男市隼雄命の御弟にして人皇十三代成務天皇の御宇(131~190)に一祠をこの地に創立し、その后度々暴風の為に社頭傾頽すと雖も氏子等心を合わせて其の時々改め建立す。」とある。
金金キラキラの金神社の始まりが成務天皇5年(135)とあるので、縣神社も同じような古墳時代に原形が出来ていたという。
見た目から想像できない程の長い歴史を持つ神社といえます。
現在に至る迄の修復履歴、特に空襲による被災があったのか定かではないけれど、覆堂はじめとする社殿は傷みもなく、氏子はじめ崇敬者から手厚く護られてきている神社なのだろう。 -
覆堂の蟇股には龍の姿があります、建物の外観は個人的に好きなシックな佇まいのもの。
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御神徳は家内安全、事業繁栄、子供の護り神という事、僅かな賽銭に大きな願いを託しパン〃。
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覆屋と右の境内社。
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覆屋の中に祀られた一社とその左に小さな社が一社祀られています。
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覆屋の中の社は秋葉神社、左の絶妙なバランスで祀られた社は恵比須神社。
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社地の東に鎮座する県町稲荷神社。
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岐阜は随分久し振りに訪れましたが、以前はシャッターを閉じた店が目立った印象がありました。
現在は若い層をターゲットにした活気のある店舗も現れ、少し賑わいが戻って来た、そんな印象を受けました。
そうした賑わいもこのお稲荷さんのお陰なのかもしれない。
通りを隔てた飲食店や金神社には多くの人が列をなすが、地域の開発振興に貢献したたとされる擁烈根之命のもとへ訪れる参拝客の姿が少ないのは以外だった。
縣(あがた)神社
創建 / 成務天皇の御宇(131~190)
祭神 / 擁烈根之命
境内社 / 秋葉神社、恵比須神社、県町稲荷神社
所在地 / 岐阜県岐阜市県町1-4-1
公共交通機関 / 名鉄名古屋駅?名鉄岐阜駅?北へ徒歩5分程
参拝日 / 2023/10/28 -
岐阜市八幡町「八幡神社」
岐阜の玄関口岐阜駅から徒歩10分程の場所にある金公園。
そこから東に1分程の住宅に囲まれた一角の八幡町15に「八幡神社」は鎮座します。
八幡と付く町名は結構聞きますが、県外に住む者から岐阜の八幡町というと、郡上市の八幡町を思い浮かべてしまいます。
そうした八幡の町の由来の多くは地内に八幡神社が鎮座することに由来する例が多いものです。
ここの八幡町はあまり馴染みもなく、八幡神社がある事すら知りませんでした。
たまたま金公園で開かれていたイベントで訪れ、八幡神社に立ち寄ってみたらそこが八幡町だった。
八幡神社社頭。
街中に大きな樹々が聳え杜を形作り、南北に長い社地に南を向いて鎮座します。
社頭左に赤い鉄柵に囲われた小さな不明社、正面に石造の明神鳥居を構え、鳥居左側に大正4年(1915)に寄進された「八幡神社」の社標が建てられています。 -
鳥居扁額。
当日は参拝に訪れる方の姿もなく、閑散とした境内ですが、奇数月の第一土曜日に市が開かれるようで、その日ばかりは境内は人で賑わうようです。 -
社殿全景。
大きな楠木の下に切妻瓦葺の拝殿とその先の本殿と両脇に摂社が祀られています。
当神社の由来について岐阜県神社庁では以下のように解説されていました。
「当社延喜年間(901~923)に一祠を創立し、その後暴風のため古社破壊す。
其の後宝徳三年(1451)岐阜稲葉山の城主斉藤越前守利永普請奉行を以て右社を再建す。
然るにその後又風雨のため傾斜するにより改めて建立すと言えども、事実不詳。
さらに第二次世界大戦にて被爆焼失するも、再建し現在に至る。
その昔、織田信長(1534~1582)が此の社を休憩所とし、枇杷を食し「枇杷を家紋とせよ」と賜う。
その後も織田信長の庇護を受ける。
主祭神は応神天皇、摂末社に安閑天皇、祖神」とある。
地史は調べてはいませんが、これからすると見た目から想像できない長い歴史を持つ神社のようです。 -
参道脇の狛犬(寄進年未確認)
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拝殿から本殿域。
左に太い幹の楠木が聳え、社の姿を遮っていますが三社が並んでいます。 -
流造の三社が祀られていますが、本殿は中央としても左右の摂末社には社名札はなく、摂末社の安閑天皇、祖神がどちらなのか、創建時期等は定かではない。
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本殿域で見かけた二つの石。
原形がイメージできませんが、人の手で刻まれた跡が残り往古の狛犬だろうか。
目を見張る派手さのない、小さな神社かも知れませんが、武勇に秀でた信長も訪れたいう長い歴史を誇るのが八幡神社です。
八幡神社
創建 / 延喜年間(901~923)
祭神 / 応神天皇
例祭 / 4月4・5日
所在地 / 岐阜県岐阜市八幡町15
名鉄岐阜駅から徒歩 / 名鉄岐阜駅前から国道157号線を北へ10分程 -
岐阜市玉宮町「屋根神」
岐阜の玄関口JR岐阜駅北口から歩道橋を渡り、左手の路地を北に向かう。
車一台通るのがやっとの路地が北へ続いてます。
上は玉宮町2の玉宮通り商店街の光景。
空を近くに感じられる低層の店舗や飲食店が軒を連ねる光景は、昭和生まれの自分には昔懐かしいものがある。
背の高いビルに囲まれると圧迫感があって居心地が悪いが、道幅が狭くてもこうして上が開けているだけで妙に落ち着ける、ましてや敷居の低いお店が連なり、食欲をそそる香りが漂ってくるとついつい吸い込まれそうな魅力的な通り。
屋根神様はその通りにあるスポーツ用品店の角っこに佇んでいた。 -
店先の右角に櫓が作られ、その上に板宮造りの社の姿があった。
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町の景観に溶け込み存在に気付くこともなく、足を止めることはないけれど、この通りのお店・町内の鎮守のために祀られた屋根神さまだったのだろう。
名古屋の場合、多くは熱田神宮、津島神社、秋葉神社の三社をひとつの社に祀ったものが多いが、岐阜の屋根神さまはあまり知らない。
先人により身近な神様として祀られた屋根神も、時代の移り変わり、住宅の建替、崇敬者の高齢化などから数は減る一方なのが現状の様です。 -
こちらでは今も榊が供えられ、お参りに訪れる方が見える様です。
少し前は流行病に怯え、通りから人影が消えシャッターを下ろした店が目に付いた時期があったけれど、正体も分かり、通りには人が戻り活気を取り戻してきた。
ここの屋根神様は賑わいを取り戻した玉宮通り商店街の鎮守としてまだまだ現役だ。
屋根神様
創建 / 不明
祭神 / 不明
参拝日 / 2023/10/28
所在地 / 岐阜県岐阜市玉宮町2-9
公共交通機関 / JR岐阜駅から北へ徒歩5分
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