2023/11/05 - 2023/11/09
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ソウルの旅人さん
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「その5」は63ビル60階からみたソウル市街景観と、翌る日に行った北朝鮮との軍事境界線であるDMZ訪問記である。
タイトル写真は63ビルから見える『カトリック大学汝矣島聖母病院』の壁一杯に描かれた聖母像
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
漢江遊覧船の船着場から『63ビル』に向う。
その途中に不思議な光景に出会った。
極度に劣化した外壁のアパートである。修繕跡が痛々しい。現在も人が住んでいるのだろうか?
隣に広がる最新高層ビル群とは対称的な姿である。 -
『63ビル』
1985年竣工。24金でコーティングした硝子なのでビル全体が金色に光って見える。建設当時は韓国の発展を象徴し、ソウル紹介記事のトップに登場した。30年以上経過して最早話題にならないが、今見ても古びた感じはなく、センスの良い姿はモダンである。
初めてソウルを訪問した時に印象に残り、一度は訪問したいビルになった。
右に写っているのは上述の劣化アパートである。
気が付かなかったが、十字架が写り込んでいた。 -
ビルの受付にて料金を払い(W15,000/1人)専用の高速エレベーター(分速540㍍)に乗って60階まで瞬時に上がる。速かった。
60階展望台から正面に見える景色である。麻浦、新村、仁王山辺りが写っている。 -
ソウル市内中心部
奥は南山と南山タワー、手前は龍山地区、左端のオレンジ色のビル(ソウルスクエア)がソウル駅前である。景福宮・鐘路等の旧市街は南山の北側なので南山に阻まれて見えなかった。チョット残念。 -
東よりのアングル
南山の麓から漢江にかけての地域
龍山・梨泰院、漢南洞、三角地(青瓦台に変わって大統領執務建屋がある)などである。 -
東方向
建設中の赤いビルが龍山駅前、龍山ビル群東側に広がる緑地帯は旧アメリカ軍基地であり、遠くに見える川は漢江支流の中浪川。清渓川に繋がる。それにしてもアパートの集住が目立つ。
ソウル風景で印象的なのはこのアパート群である。韓国ではアパートが高級住宅の代名詞である。一戸100㎡以上、5,000万~1億円が標準とのことである。 -
漢江上流を望む
丁度、漢江を遊覧船にてクルージングした場所である。
手前は漢江鉄橋、その上は漢江大橋。 -
上流方向
手前が漢江大橋、真ん中は銅雀大橋、その奥は盤浦大橋である。漢江の向こうに広がるビル群が江南の市街地になる。旧市街に比べて纏まっているようにみえる。 -
足下に見える漢江鉄橋と漢江大橋。
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漢江下流方向(西方向)
麻浦大橋、西江大橋、楊花大橋と続く。
左岸は汝矣島、右岸は新村・弘大辺りになる。 -
すぐ目の前に広がる汝矣島の風景
『ザ現代ソウル』と補修跡が目立つアパートが併存している。 -
直下に見える補修跡が目立つアパート群
帰国後調べてみた。1971年竣工で、名称は示範アパート。1970年頃のソウルは全国から人々が集まり、恐ろし程の住宅不足だった。その解消を目指して作られたアパートであり、名前の通り当時は模範的集合住宅として建設された。改修の痕が痛々しいが現在も多くの人が居住し、価格も安くなく、住宅地として一等地の評価だそうである。確かに利便性は抜群の立地である。 -
『63ビル』はオフィスビルであるが、面白いことに地下に水族館、最上階に展望台付き美術館を設けた。60階には展望台だけではなく美術館がある。
本日はマックス・ダルトン『映画の瞬間』特別展示会が開催されていた。 -
幻想的な通路が用意された本格的美術展会場である。
ダルトンは有名な世界的イラストレーターらしいが、残念ながら知らない。
映画の名場面をイラストにして切り取り、それを『映画の瞬間』と名付けているようだ。 -
広い空間がとってあった「グランド・ブダペスト・ホテル」の部屋。
代表作のようだが知識がない私には感想さえ浮ばない。
「パラサイト」のイラストもあったし、他にも沢山の名場面のイラストがあった。
残念ながらよく覚えていない。 -
「千と千尋の神隠し」のイラストがあった。
イラストと言うより芸術絵画のレベルに達している。 -
「となりのトトロ」もあった。素晴らしい。
ダルトンはベルリンにて活動しているそうだが、敬意を籠めて宮崎駿が描かれている。嬉しかった。
ドイツの画家が描いた日本の漫画をソウルで見る。感激!! -
ダルトン会場を抜けると南側の展望台に出る。
南部に広がるソウルの街。北側とはおおいに異なる景観を示す。 -
手前の長方形の建屋は「鷺梁津(ノリャンジン)水産市場」である。
朝鮮王朝時代は漢江に橋がなく、渡し船にて漢江を渡った。鷺梁津は南岸側の渡し場だった。北側は麻浦である。 -
足下に見える高速道路と水道。
汝矣島と漢江南岸の間は狭い水道であり、大部分は埋め立てられて高速道路になり、水道部分は狭い細流になっている。
凄い車列である。のろのろと動く。ソウルの交通渋滞は何度も経験しているが、長距離バスが2時間も遅延する。
この膨大な車の流れにソウルの繁栄を感じる。 -
右直下に見える『カトリック大学汝矣島聖母病院』
病院の壁面全体に聖母像が描かれ、強烈な印象を与える。何事にも感動しない同行者もこのマリア像には驚嘆していた。
最もソウルらしい風景はこの壁画だと思う。
今まで見てきたオブジェや十字架と一連の現象だろう。 -
夕暮れが迫ってきた。
夕焼の中を飛行機が仁川空港に向って飛んでいく。 -
黄海に沈む太陽
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ソウルの入り日を見た。
-
南側からダルトン展の会場を通って引き返し、再び北面展望台に還ってきた。
足下に見えるのは日が落ちて点灯が始った漢江遊覧船の船着場。 -
夕闇が迫り点灯が始った『ザ現代ソウル』
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夕闇に沈む漢江下流を望む
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ビル、アパートに電気が灯りだした。
麻浦大橋を埋める車列の照明がくっきりする。 -
漢江上流
南岸道路上の光の帯が眩しい。テールランプの赤、ヘッドランプの白がくっきりした対照を示す。北岸の道路も車で埋っている。
何処までも続く渋滞が果てしない。市街夜景より車のライトが印象的だった。 -
夜陰が降りて照明が灯った江北一帯。
南山タワーの照明姿を見たかった。灯っているのだが明瞭ではない。ここからは遠すぎたか。 -
『ザ現代ソウル』の赤い縁取りの正体はネオンだった。
夜はあの赤色が昼間より鮮明に際立って見える。悪趣味の極みと思うのだが、目立つことが重要な世界では一等賞のビルである。 -
夜景
カメラの性能が悪いので鮮明画像にならない。実際はもっと鮮やかだった。
ソウルの夜景を堪能した。
しかし、帰り道で大変なことになった。 -
『63ビル』には地下鉄汝矣島駅に行く無料シャトルバスがある。それに乗った。
汝矣島駅に直行と思っており、最初に停車した場所で降りたが、そこは薄暗い辺鄙な場所で汝矣島駅ではなかった。夜の暗闇の中、右も左も判らない土地ににいきなり放り出され、参った。右に行くべきか左に行くべきか。バスは汝矣島駅に行くはずと思い、バスが去って行った方向に歩き出すが、そこは橋であり、その下は川ではなく車が走っている。異様な光景に立ち竦む。人通りもなく尋ねることもできない。何処を歩いているのか不明であり、完全に迷子だった。本当に心細く不安だった。
【帰国してから状況を思い出しその場所を詳しく調べた。偶然であるがそこが写真に写っていた。青→の場所でバスを降り(地名では地下鉄大方駅になる。)、その右の橋(地図には汝矣橋と記載されている。)を渡っていた。】 -
勿論ネーバーは機能しない。夜間の迷子に困り果てる。
とにかく光がある方向に歩いた。幸運だった。暫くして地下鉄セッカン駅の表示が見つかったのである。ああ、救われた。これで現在地を認識できる。西方向に歩くと幻想のような姿で韓国国会議事堂(青→)が見えて来た。これで汝矣島駅に行着ける。
しかし、一日に2回も迷子になるとは・・・。 -
昨夜は汝矣島で迷子になり、このまま一晩中ソウルを彷徨うかと思った。
宿に帰ってまず第一にスマホを見る。総てのアプリが正常に作動した。やっと判った。繋がっているのはホテルのWi-Fiであり、契約した韓国キャリアには繋がってない。理由は不明も私の操作ミスであろう。仕方が無いと諦めて就寝する。
11月8日(4日目)早朝の鐘路3街
本日も快晴 -
今日はDMZ(非武装中立地帯)へ行く。
事前予約したベルトラから午前7時10分頃にホテルに出迎えるの連絡があった。ホテル前の狭い露地にバスがどのようにして出迎えるのか不思議だったが、ガイドさん一人が徒歩にて迎へに来た。バスはタブコル公園横の駐車スペースに駐まっていた。 -
私達が最初の出迎えだった。その後、明洞・市庁前・広大とソウル市内主要部を回って参加者を乗せ、満員になったバスは漢江に沿って進む。バス座席の前方が白人グループ、後方が日本人グループだった。若干、その扱いに不愉快感あり。
バスの窓から『ザ現代ソウル』が見える。 -
国会議事堂も見えた。
悪夢のような昨夜を思い出す。幻のように見えた議事堂は朝日に輝いている。
市内方向に向う車はいつものように大渋滞である。 -
バス車内とガイドさん
ガイドさんはバス車内にて韓半島の大きな地図を広げ、訛りのない流暢な日本語で朝鮮戦争の経過を地図にそって詳しく解説する。北朝鮮に対する敵対的表現はなく、韓国の正義を振りかざすこともなく、ただ淡々と事実関係だけを述べる。淡々とではあるが、その発言は熱意の籠もった真摯な態度であった。 -
最初に到着したのは「臨津閣(イムジンガク)公園」
ここは非武装中立地帯(DMZ)ではなく、その直前である。 -
臨津閣(イムジンガク)
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我々が乗ってきたハートマークに彩られた観光バス。
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駐車場に並んでいるDMZツアーバス列である。
平日の水曜日であるが、多くの観光客が訪れている。
DMZは人気観光地だった。 -
日本人グループはガイドさんに連れられて一緒に行動した。
ここは北朝鮮との国境に近く、朝鮮戦争の激戦地だったことを丁寧に詳しく説明する。バスガイド的な平俗的説明ではなく、戦争の事実を丹精込めて熱心に解説した。“日本人に朝鮮戦争の本当の姿を知って貰いたい”の思いを込めたような説明だった。 -
望拝壇
一般韓国人はDMZ内に入れない。臨津閣公園から肉親が居住している北朝鮮を遥かに望むことになる。 -
朝鮮戦争の激戦地。
臨津江への道。立入り禁止区域。 -
北へ伸びていた鉄道。
ここで切断されている。 -
南北統一を願う色紙
-
鉄道標識
開城(ケソン)まで22㎞、ソウルまで53㎞となっている。 -
朝鮮戦争時に被弾した機関車
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被弾の痕
三菱社製だった。 -
臨津閣からDMZ区域内にある都羅展望台に向う。
ここから本番である。 -
自由ICと記された高速道路上に検問所があった。
周囲は鉄条網が張り巡らされている。 -
道幅は広いが、鉄製の黄黒(虎模様)障害物が路上に置かれ、直進出来ないようになっている。
ガイドさんが「『愛の不時着』のラストシーンのロケ地です」と述べる。
そうだ、ここが最終回のあのシーンだった。韓国人の北朝鮮に対する愛憎混じる複雑な心情を込めたドラマだった。 -
国軍兵士2名が乗ってきた。事前提出の名簿とパスポートを照合して参加者を確認していく。20才代の若い兵士であり、丁寧な対応なので圧迫感はない。しかし本物の兵士の姿はそれだけで緊張を伴う。この時がツアーで最も戦争を実感したかもしれない。兵士の写真を撮ることは厳禁と申し渡されていた。
-
臨津江を渡る。
やっとここまで来たの感慨あり。
遠方に見える白い橋は『自由への橋』である。 -
都羅展望台への入口
この前で暫く待機し、運転手は何処かに連絡を入れる。暫くしてゲートが開く。
観光客相手に大袈裟な対応と思う。しかし、戦時ではないが現在も戦争は終結しておらず休戦状態であることを考えると、満員の観光客を乗せた観光バスが前線に侵入すること自体が非常識かもしれない。 -
バスが停車したのは旧展望台前だった。
迷彩を施した戦争を想起させる建物である。 -
駐車場から新しい展望台までは徒歩5分。
旧展望台は迷彩模様だったが、花々が描かれたこの道に戦争の影はない。 -
新しい展望台は立派な観光施設のようである。
旧展望台と比べると時の流れを感じる。 -
展望台に上がると眼前に大パノラマが広がっていた。
○印が韓国の国旗、×印は北朝鮮の国旗、中央に引いたブルーの線が二つの国を別ける境になる。即ち38度線である。分断線を一望に見霽かすことが出来る。
これほど広大な風景は想像だにしなかった。 -
北朝鮮側の国旗
展望台には多数の望遠鏡が供えてあり、大きく拡大してみることが出来る。
北朝鮮側の景観をじっくり見てきたが、“動く物”の姿がない。
静止画を見ているようで、時が止まっていた。 -
○は韓国国旗。×は板門店。
6年前ベルトラ予約で板門店ツアーに行くはずだったが、偶然トランプの訪韓と重なり、ツアーが中止になった。6年前には板門店に行くことも出来たが、現在ではほぼ不可能になっており、ここから遠望するのが精一杯である。
望遠鏡でも板門店の建屋群は見ることが出来ず、屋根だけが微かに望めた。 -
北朝鮮
手前に広がる森林地帯には『愛の不時着』に描かれたように無数の地雷が埋まり、鉄条網が幾重にも張り巡らされているのだろう。しかし、境界上に目視出来る壁が築かれていることはなく、ただ平地と森林が広がっているだけだった。 -
北朝鮮
望遠鏡で5分位は熟視していただろう。
人の歩く姿や車の走る様子等“動く物”一切が認められず、完璧に静止した世界だった。 -
開城(ケソン)とその工業団地
開城は高麗王朝の首都だった。初期朝鮮王朝の都でもある。ここが韓国領だったら真っ先に訪問したい都市である。
工業団地は南北融和期に共同開発されたが、今では爆破され廃墟になっている。望遠鏡にてその廃墟を凝視するも他の北朝鮮領同様に“動き”がなく、完全に静止していた。映画のセットのようだった。 -
展望台から見える韓国側の景色である。
臨津江とその背後の山々は墨絵を見ているようだった。 -
青○が韓国旗。
足下に見える韓国側の国境の町。 -
韓国側の38度線直下に展開される景観
驚いたことに軍事境界線間近であるにも拘わらず、穫り入れが終わった田畑が広がっていた。ここで生活する人々が居る。 -
帰り道
ここだけ切り取って見れば遊園地の風景である。 -
同じく帰り道
DMZ内にさえ高々と聳える十字架がある。 -
都羅展望台から第3トンネルに向う。
バスの窓から見えた訓練用防空壕? -
第3トンネルに到着
澄み切った青空と色とりどりの観光バスの群れ、ここは平和な楽しい観光地の風景である。北朝鮮が南進の為に秘密に掘ったトンネルを見学に来たとは見えない。 -
殆どのDMZツアー広告に掲げられている宣伝画像である。
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戦車の展示
「ここは平和な観光地ではなく、未だ戦争が終結していない休戦中であることを示す。」為の展示かもしれないが、実際には遊園地にある遊具にみえた。 -
この円球の左は朝鮮半島南部、右側は北部地図が刻されている。皆がこの二つを合わせようとしている。南北統一を望む人々の姿を描く。
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チャンスン
朝鮮半島の村落入口に立てかけてある魔除けの為の境界標。 -
第3トンネル
写真撮影不可なので出来るだけ正確にトンネル内部の姿を文章にて描写しよう。
北朝鮮が掘ったトンネルは地下73㍍にある。そこまでは長い観光用に掘ったトンネルになっており、幅は広いが傾斜のキツい坂を下っていく。ヘルメットを被った欧州系・東南アジア系・中国人・日本人など多様な人種が混みあって進む。北朝鮮が掘ったトンネルからは一人がやっと通れる幅になり平坦であり、天井・内部壁は剥き出しの岩石に水が滴る洞窟であった。天井は低く何度もヘルメットをぶつけた。一列になって前を行く人に遅れないように歩いて行く。突き当りはセメントで塞いであるが朝鮮軍事境界線200㍍手前であり、最も北朝鮮に近づいた場所とのことだった。のぞき窓のような望遠鏡が設えてあり、それを覗くとその奥が見えるが、洞窟が続いているのが見えた。
73㍍を登る帰りのトンネル坂は堪えた。ふらふらになって辿り着いた。 -
第三トンネルに掲げられている“国連旗”である。
北朝鮮と対峙するのは韓国軍・アメリカ軍ではなく国連軍である。詳しく述べる余地はないが、ここに国連旗が掲げられていることが20世紀後半から21世紀の現在までの東アジアを象徴する。日本人が国連に持つ常識と実際の国連は正反対かもしれない。 -
帰り道でも兵士が乗り込んで検問を行なった。
入人数と出人数を確認している。
検問は観光客を喜ばすサービスではないかと疑っていたが、間違いなく本物の検問だった。 -
臨津江
学生の頃「イムジン河」の歌を友人達と合唱していた。その河が「臨津江」であり、38度線国境を流れており、二つに裂かれた国の絶望を歌っていることは全く知らず、ただ哀愁を帯びたフォークソングとして歌っていた。
後年、この歌の意味を知ってから、この「河」を必ず見たいと思った。 -
若い頃の無知を羞じ、自省を込めて臨津江の歌詞(1番)を載せておく。
イムジン河 水清く
とうとうと流る
水鳥自由にむらがり飛びかうよ
我が祖国 南の地
おもいははるか
イムジン河 水清く
とうとうと流る
今日も臨津江は水清くとうとうと流れていた。 -
境界居住者(農民)が運営する売店に寄った。
もし戦争が勃発すれば最初に戦闘に巻き込まれる地域に居住する人々の店舗だった。
お土産を沢山購入した。その時に買ったバナナ牛乳である。韓国で飲んだ一番美味しい飲物だった。 -
ソウル中心部に帰ってきた。
バスの窓から見る光化門。
ここからDMZまでは54㎞であり、観光バスで1時間の道程である。
38度線とソウルはこれほど近い。 -
光化門前
2日前は無人だったが、本日は観光客で一杯だった。 -
コリアナホテル前で下車する。
ガイドさんに「貴重な話を有難うございました。」と挨拶すると、吃驚したように手をふり、そんな誉めて貰えるような話ではないといった素振りだった。
ホテル前から撮った写真。
李瞬神像、世宗大王像、光化門、青瓦台(青→の屋根)が一直線に並ぶ。
平和だった。
「その6」は梨泰院と三星(サムスン)美術館
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この旅行記へのコメント (2)
-
- fmi(ふみ)さん 2025/11/27 20:14:05
- はじめまして
- 「ソウルの旅人」様、はじめまして、fmiと申します。
私も韓国が好きで以前は毎年訪韓していました。ある国際交流団体の理事を勤めている関係で友好都市への表敬訪問も2度ほど行っています。
最近は国際関係やコロナが重なったことで10年ほど訪問が途絶えております。
まず、都羅山展望台のあまりもの変貌ぶりに驚きました。あの迷彩コンクリートの施設はもう使われていないのですか。
確か昔は展望台の床に線が引いてあり、そこから先は写真撮影が不可能だったと記憶しています。私が訪問した時はちょうど南北連結鉄道が復活したころで、貨物だけながら週に数本ほど南北を結ぶ列車が運行されていた時でした。
あのころに比べると南北関係は冷え切ってしまっていると感じます。
青瓦台の旅行記も拝見させていただきましたが、そこも含めて10年間で全く変貌していることにただ驚きの一言です。
もう一度、韓国へ行きたくなりました。有難うございました。
今後ともよろしくお願いします。
- ソウルの旅人さん からの返信 2025/11/28 21:25:00
- Re: 韓国の変貌は激しいです
- fmi 様
はじめまして、ソウルの旅人と申します。
〈訪問〉と〈コメント〉と〈いいね〉をありがとうございます。
私などより韓国についてお詳しいようですから大層な事は申せませんが、ソウルの変貌は目を瞠ります。青瓦台の開放などあり得ないことでした。私には都羅山にて南北連結鉄道が運行していたなんて信じられません。現在の大統領府が何処にあるかご存知ですか?龍山の旧陸軍参謀本部の跡です。昨年の戒厳令も吃驚ですが、テレビに写っていた大統領公邸は漢南洞です。
今回の旅行は主にソウル市街の移りゆく変化を記録するのが目的です。マニアックな内容ですからあまり面白い内容は含まれませんが、10~20年前のソウルをご存知なら興味深い箇所も有るかと思います。もし、そういう箇所がありましたら又コメントをお願いします。
ソウルの旅人
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