2023/09/28 - 2023/10/07
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一人旅のラクさん
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中秋節・国慶節の連休を利用して、瀋陽から嘉峪関・酒泉・蘭州・銀川・(包頭)の5都市を旅行してきました。
今回は銀川観光について書きます。
この時のレートは大体1元=20.3円ほどです。
※私は現在大学生で中国に留学中の身ですが、中国語があまり上手くないのでその状況や事柄について説明できないことがあります。その場合はどうかご容赦のほどお願い申し上げます。
ではここから本編です。
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10月3日、前回からの続きです。
蘭州での観光を終え、次に観光する銀川に向かうため高鉄(日本でいう新幹線)に乗ります。 -
乗る列車は20時10分発の蘭州西駅発、銀川行きです。
19時50分になると検票が始まりました。 -
銀川へは大体23時20分に着きます。
約3時間の乗車です。 -
連休なので立ち席の方もちらほらいて、かなり賑やかな車内です。
基本中国人の方は車内で電話もしますし、動画を見る時もイヤホンもしません。
寝たいなら耳栓を持っていきましょう。 -
列車が動き出しました。
ちょっと蘭州観光で疲れたので、仮眠をとります。 -
寝ていたせいで全く車窓をとっていませんでしたが、23時20分に銀川駅に到着しました。
銀川市は寧夏回族自治区の首府で、標高が1100メートルを超える高原に位置する都市です。
約800-1000年前に栄えた西夏国の首都(当時は興慶という名前)でもあります。
もうかなり遅いので、さっさと予約してるホテルに向かうことにします。 -
タクシーを捕まえて向かいます。
日は跨いでほしくありません。 -
なんとか23時50分に着くことができました。
今日泊まるホテルは、物华天閱酒店というホテルです。
部屋がスイートしか空いておらず、700元(14000円)というべらぼうな値段でしたが、明日観光する西夏王陵に近い場所に泊まりたかったので致し方ありません。 -
その分部屋もめちゃくちゃ広く、2部屋もあります。
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ファミリースイートという部屋だったので、本来は家族連れ向けの部屋なのでしょう。
今夜は昼まで寝て、起きたら観光しにいきます。
ではおやすみなさい。 -
おはようございます。10月4日の昼です。
12時にホテルをチェックアウトして外に出ました。
現在ホテルからタクシーを拾って、銀川市の西の外れにある西夏王陵へと向かっています。 -
もうすぐ着きそうです。
ホテルからは30分くらいでした。 -
「東洋のピラミッド」こと、西夏王陵に着きました。
博物館も併設されています。
正しくは西夏陵国家考吉遗址公园というらしいです。
軽く西夏についての説明をしておきます。
西夏(大夏)は、1038年にタングート族の李元昊が建国した国で、1227年にチンギス・ハン率いるモンゴル帝国に滅ぼされました。
シルクロードの中継貿易で栄え、西夏文字という独自の文字を開発したことでも有名です。
当時の中国の王朝であった宋や、遼・金などの遊牧国家と和議や抗争を繰り返し、11、12世紀の東アジア史を彩りました。
井上靖さんの「敦煌」で舞台になった国でもあります。西夏王陵 史跡・遺跡
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とりあえずチケットを買います。
入場料が68元、敷地内の移動バス代が20元です。
王陵は広大な敷地内に点在してあるので、基本乗り物に乗って移動することになります。 -
まずは、チケット売り場に隣接している西夏博物館から見ていきます。
西夏博物館は二階建ての小規模な博物館で、西夏王朝の歴史や文化についての展示物が展示されています。
大体1時間くらいで全部見て回れると思います。
それでは見ていきます。(ここから写真が続きます) -
西夏の歴代皇帝が載っています。
建国者の李元昊は3代目です。
1代目と2代目は、西夏の前身を築きました。 -
西夏の建国当初の版図です。
大体現在の甘粛省と寧夏回族自治区の場所に当たります。 -
モンゴル帝国が西夏を滅ぼした時の進路。
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西夏文字についての説明がありました。
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西夏文字の仕組み?についての説明。
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恐ろしく複雑な文字です。
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契丹文字と、
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女真文字についての説明も少しありました。
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仏教系の展示物も結構ありました。
西夏は仏教を保護していたことでも有名で、これまでに多くの仏教文献が見つかっています。 -
石窟を再現したものです。
部屋一面に壁画が描かれています。 -
西夏の馬について。
良馬だったらしく、重要な貿易品だったそうです。 -
この後行く西夏王陵のジオラマです。
広大な敷地に、9つの王陵と250の陪葬墓が分布しています。
時計を見ると14時です。
そろそろいい時間ですし、実際に王陵に行ってみることにしましょう。 -
王陵群は博物館の西にある道路の向こう側に位置しています。
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地下道を通って向かいます。
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王陵までは専用のバスに乗って移動します。
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チケットの裏に載っていた地図です。
私が行った時は、全9基のうち1号陵、2号陵、3号陵、4号陵のみ見学可能でした。
3、4号陵へはバスが出ていましたが、1、2号陵には少し特殊な手段で向かう必要があったので、大半の観光客は前者の2基のみの観光といった感じでした。 -
まずは4号陵へ向かいます。
4号陵は別名安陵ともいい、西夏国第2代目の皇帝毅宗の墓だと言われていますが、正確にわかっているわけではないようです。 -
バスに10分ほど揺られたあとは、馬車に乗って移動します。
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細い一本道を馬車に揺られます。
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写真だと少しわかりにくいですが、右奥の方に見えてきました。
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4号陵に着きました。王陵の周りには陪葬墓があります。
周りは柵で囲まれており、近づくことはできません。 -
奥に見える少し大きいのが4号陵です。
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奥には小さな丘があり、王陵を上から見渡せるようなので行ってみます。
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おー、よく見えます。
盛り土をしたような、かなり特徴的な形です。 -
柵いっぱいまで近づいてみました。
上から見ていると、結構大きいです。
後ろの賀蘭山を背に静かに佇んでいます。 -
そろそろ次の場所に向かいましょう。
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馬車に乗ってさっき来た道を戻り、
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次にバスに乗って移動します。
これから向かう場所は、建国者李元昊の墓だと言われている3号陵です。
別名泰陵とも言うらしいです。 -
バスを降りました。
3号陵に行く前に、西夏史话艺术馆という施設があるようなのでちょっと行ってみます。 -
これが西夏史话艺术馆です。
西夏の歴史について、中国語の文章と劇のセットで説明してくれています。
回るのにたいして時間はかかりません。 -
西夏の建国についてです。
流石に説明していると長いので、割愛させてもらいます。 -
多分、李元昊の即位の様子だと思います。
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李元昊の死についてです。
詳細は省きますが、李元昊は自分の息子である李甯令哥の嫁に手を出したために息子の怒りを買い、殺されてしまいました。
かつては名君だったようですが、晩年は荒んでいたようですね。 -
息子の李甯令哥に襲撃された様子です。
李甯令哥は李元昊の鼻を切り落とし、翌日李元昊は亡くなりました。
ちなみに息子の李甯令哥も罪に問われ処刑されました。
後味の悪い話です。 -
西夏の滅亡についてです。
晩年の西夏は衰弱しきっており、モンゴル帝国の前にもはやなす術は無く、1227年に滅亡しました。 -
モンゴル軍が西夏を攻めている様子。
他にもセットはありましたが、全部は見せていられませんのでとりあえずこれくらいで。
では李元昊の墓を見に行くことにしましょう。 -
少し歩きます。
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3号陵が見えてきました。
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先程の4号陵と同じく、周りには陪葬墓の類があるようです。
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これがかの李元昊の墓だと言われている3号陵です。
こちらの王陵はもっと間近まで近づけるようなので行ってみます。 -
間近で見てみると穴のようなものがあったり削れたりしているのがわかります。
これが1000年間の重みといった所でしょうか。
にしても、見れば見るほど不思議な形状をしています。
さて少し話が変わりますが、私が訪れたときは、実はこの3号陵の左後ろに1、2号陵へを見にいくためのカートが出ていました。
追加で20元程取られましたが、せっかくなので行ってみることにします。 -
カートに10人ほど人が乗ると出発しました。
わかりにくい場所に乗り場があるせいか、1、2号陵まで行く人は少ないみたいです。 -
荒涼とした大地をカートが走ります。
10分ほど揺られていると見えてきました。 -
1号陵に着きました。
太祖の李继迁の墓だと言われています。
別名裕陵とも言うようです。 -
まぁまぁ近くまで近づけます。
なぜか中から鳥の鳴き声が聞こえます。所々空いてる穴に住み着いているのでしょうか。 -
1号陵、2号陵のジオラマがありました。
左手前が1号陵、右手奥が2号陵です。 -
奥に見えるのは2号陵です。
太祖の李德明の墓だと言われており、別名嘉陵とも言います。
こちらはフェンスがあって近づけないので、遠くから見るだけです。 -
そろそろ戻ります。
カートは帰りのバス乗り場の近くまで連れていってくれました。 -
そこからバスに乗って、
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地下道の手前まで戻ってきました。
そろそろ帰ることにします。 -
順路を進んでいると土産屋がありました。
少し見てまわります。 -
せっかくなので、西夏文字の短歌?が書いてあるマットを買いました。
では出口へ向かいます。 -
西夏王陵を出ました。
ここに来る前から、世界史の勉強や井上靖氏の「敦煌」を通じて多少西夏についての知識は持っていましたが、実際に王陵や発掘物を見ることで、教科書や小説に載っている文字や知識としての西夏ではなく、形として存在している西夏を実感することができました。
そういう意味で、今日の観光は貴重な体験だったのかなと思います。
時刻は18時。タクシーで一旦ホテルへ戻り、預けていたスーツケースを受け取ってから夕食に向かいます。 -
もう日も暮れてしまいましたが、怀远夜市という場所につきました。
繁華街のような場所で、出店や飲食店が軒を連ねます。 -
いやーものすごい人です。
結構有名な場所のようですね。 -
19時も過ぎてそろそろお腹も空いたので、店に入ってみることにします。
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くっしゃくしゃのメニュー表。
スピードメニューのきゅうりと羊串を注文しました。 -
先にきゅうりが来ました。
なんとわさび醤油につけて食べるようで、不意に日本の味を思い出しました。 -
羊串が来ました。
回族の人が多いのもあって、羊串を提供する店は多いようです。 -
もう5本も来ました。
さすがに10本じゃすくないです、もう少し頼めばよかったかな。 -
店を出ました。
さすがにこの人混みでスーツケース持って移動するのはしんどいですね… -
ということで怀远夜市を出ました。
特にすることがなくってしまったので、もう駅に向かってしまいます。 -
タクシーに乗って銀川駅まで移動します。
現在20時45分、列車の時間まではまだかなり時間があります。 -
銀川駅に着きました。
まだお腹も空いてますし、駅に入る前にちょっと駅の近くで食事をとります。 -
駅前の交差点にちょこっと店がありました。
もう21時になっていましたが、空いているようで助かりました。 -
蘭州ラーメンの店に入ります。
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ラーメンはもう何度も食べたので、チャーハンと麻婆豆腐を注文しました。
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チャーハンが来ました。
薄味ですが香ばしくて美味しいです。 -
麻婆豆腐です。
唐辛子と山椒が効いていました。
ではそろそろ駅に向かうことにしましょう。 -
22時に銀川駅に入りました。
このまま1時22分発の列車で、最後の都市包頭へ向かいます。
包頭へは、乗り継ぎのために滞在するだけですが、せっかくなのでちょっとだけ観光もします。 -
といったところで、銀川編はここまでです。
西夏王陵ぐらいしか行きませんでしたが、観光らしい観光ができたと思います。
次の包頭編は、まぁおまけみたいなもんですが、一応瀋陽までの帰路についても書くつもりです。
ということで次は包頭編です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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