2023/12/03 - 2023/12/03
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pedaruさん
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竹原の町並みは、中世の末頃から港を控えた市場集落として形づくられた。江戸中期、新開に入浜式塩田を築調するや、それまでの廻船業や酒造業とともに、塩の産地として爆発的に発展し、その経済力で現在の町並みがつくられていった。
竹原の町並みの主な特徴は、下記に代表される。
1 近世の日本の町づくりの変遷過程を、町の中にとどめている。
2 本町通りに沿った建物は、二階建て・切妻造・本瓦葺・大壁造の町家で、 江戸時代の中ごろから明治にかけての建物が多く残っている。妻入りと平入りの建物が混在し、角地には入母屋造りの建物があって、景観に変化がある。
3 町家の正面の意匠は、出格子や平格子・たて格子や横格子などの多様な格子で形成されている。
4 町並みの中に江戸時代の町人文化の伝統がよく残っている。
以上 竹原市ホームページより
日本の家屋というものは、大体は白木をむき出しにして、ペンキも塗らず、自然に古びが付くのに任せています。
ペンキを塗るより、木は生きているのだから、そのままにした方がいい、と言う意見もあります。はたしてどちらが長持ちするでしょうか?ペンキを塗った木の方が長持ちするような気がしますが、法隆寺や東大寺がペンキに塗られているのは見たくはありませんね。
この表紙のペンキ塗りの西洋館、茶色に古びているより美しいとは思いますが、古民家の味わいはありません。
まあ、結論から言って日本家屋と西洋の家とは根本からして異なるのですから、その鑑賞するのもそれぞれだという事ですね。
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- 家族旅行
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- レンタカー JALグループ
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- 個別手配
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と言うわけで、木の独特の古びの美しさに溢れる日本家屋です。ここはカフェを営んでいるようです。
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黒い壁がほどよく汚れていて、わざとらしい古民家とは格が違います。「ゆかり」と言うカフェのようです。
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右前方にひときわ目立つ木造西洋建築の家が見えてきました。
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その家屋の手前の門をくぐると
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この竹原で一番有名な竹鶴政孝氏とリタ夫人の銅像がありました。
国際結婚で最も幸せな暮らし方は、奥様の国に住み、旦那様はその国で仕事をするというのです。その点では奥様リタは大変な思いをされたことでしょう。 -
竹原市歴史民俗資料館です。
昭和の初期、図書館として建てられたレトロモダンな洋風建築。
もともとは江戸時代中期の儒学者、塩谷道碩の旧宅跡で、頼山陽の叔父、春風が志を受け継いで学問所にしていたところです。
館内には、当時赤穂の塩とともに名を馳せ、町に繁栄をもたらした製塩業の歴史や資料などが展示されています。 -
のんびり亭
アナゴのどんぶり ¥2200だそうです。 -
いぬやらいのある家
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虫籠窓(むしこまど)のある家
町屋の中二階にある窓で、虫の侵入を防げません。
開けたてはできず、ささやかな明り取り、デザインの為でもあります。 -
この家も漆喰で塗装した虫窓があります。
板戸は鍋頭の釘がきれいに打たれています。
最近知ったのですが、頭の丸い釘や目ねじをなべと言うらしいです。 -
地割跡と言う表示がありました。
地割りとは、江戸時代の区画整理(区割り)と水抜きを兼ねた水路のことだそうです。 -
このお宅は千本格子の美しい家ですが、古い造りの面影を残し
板ガラスを使用していません。しっくい壁は黒く塗られています。
戦争中の敵から目立たなくする当時のなごりではないかとおもいました。 -
ここは「まちなみ竹工房」と言う竹細工のお店です。
看板を掲げず、地味な佇まいです。
竹を削って、浮彫の文字が見事でした。
エアコンの室外機は材木で囲ってあります。 -
ここも立派な長い屋根が続く家です。
斜めに張られた腰板は犬やらいの一種でしょうか?
敷地を一センチでも守ろうとする気持ちの表れか? -
虫窓があり、千本格子で囲み、郵便受けはあくまで古さを守るため
木製にしています。努力してますねー。 -
出ました、細い路地、東京の下町を思わせます。
人住むところ路地あり -
この旧宅は幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた『日本外史』の著者として知られる頼山陽の祖父、頼惟清(らいただすが)が紺屋こうや(染物屋)を営んだ場所です。
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家屋は安永4年(1775)頃の建築であり、入母屋塗込造本瓦葺の母屋と単層屋根切妻造本瓦葺の離れ座敷からななっております。
広い土間の両側に部屋があります。 -
惟清自身は家業の傍ら、近所の学者塩谷道碩に学び、町年寄吉井豊庸(よしいとよつねに)和歌の手ほどきを受けるなど、有力町人の文化活動に参加していくことによって家庭内にそのような学問的雰囲気をつくることに努めました。
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惟清は、春水しゅんすい、春風しゅんぷう、杏坪きょうへいという3人の息子を、父の言葉のとおり、学問の道に進ませます。
春水は、家族の期待と協力にこたえて勉強に励み、ついに当時の封建的な身分制度をのりこえて広島藩儒ひろしまはんじゅとなり、広島藩だけにとどまらず、幕府の昌平坂しょうへいざか学問所がくもんしょでも講義するなど、一町人の身から、大名の教育にも携わる高名な学者になりました。 -
私が池坊で華道を習っている頃、新しく考案された花型で「新風体」と呼ばれるものです。
池坊専永が発表しました。古典をベースに新しい感覚の花型です。
花器は鉄の鋳物製で古典的なデザインです。
ちなみに池坊の祖先は遣隋使でお馴染みの小野妹子です。子供のころは小野妹子って女性だと思っておりました、そして姉がいてこれが小野姉子。 -
春水、春風、杏坪の兄弟は、後に「三頼」と称せられ、学問、詩文、書とともに全国に名声を響かせ、その後も頼家からは、春水の子の山陽や、山陽の子の三樹みき三郎など、歴史上に名を残した人物や優れた学者が数多く輩出されています。
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庭にあったのは頼山陽の詩碑です。
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頼山陽が45才の時、上京していた母・頼梅颸を広島へ送る途中に
久しぶりに父の生家を訪れた時の作だそうです。 -
家の裏側にある庭から写しました。
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胡堂の手前には「たけはら銘菓 忠孝巌煎餅」の看板がありました。
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喫茶店がありました。
ホットコーヒー・・・・・500
アイスコーヒー・・・・・650
カフラテ・・・・・・・・750
観光地値段ですね。 -
大林宣彦監督の映画 『時をかける少女』でもお馴染みのスポット。塩田業が盛んだった頃、この地区は上市・下市と呼ばれていました。その中でも胡堂は上市の商業の守り神として祭られていました。商業の繁栄を願って、毎年10月に行われる祭礼は町の行事として欠かせないものとなっています。
竹原観光ナビより -
ガラスのない時代の戸です。
板を切り抜き、薄く削って加工しています。 -
普通の民家なのですが
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家の前面がこのとおり、透かし彫りになっています。この町の大工さんや、建具屋さんは競って、いい家を作ろうとしていたんですね。
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マンホール蓋、新種発見
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道がまがったところのこのお宅は
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さりげなく千両の実をつけた枝が飾ってありました。「竹原へようこそ」と言っているようでした。
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この犬やらい、子供や酔っ払いがどぶに落ちないように作られたようですね。
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漆喰も新しい家です。
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立派な山門の照蓮寺です。親鸞聖人の像があるそうですから、浄土真宗ですね。
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角の家、入り口に縁台が置かれてます。どうぞ休んでください、と言う感じでした。
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この家には白い暖簾がかかっていて、台湾てん品と書いてありました。
調べると てん、は舌という偏に甘いという旁です。
つまりデザートのことだと分かりました。店の名前は「根古屋」です。 -
この変わった通路の入り口には「くろたき」と言う骨董、古布を扱う看板がありました。
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空き地には竹を編んだオブジェがありました。
竹原にちなんで竹の造詣が盛んです。 -
蔵を改造して作品を展示するところがありました。「開館中」の札を見て入館します。
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天井の高い館内には、おびただしい数の品物が並んでいます。
茶わん、水差し、花瓶、などの陶磁器、皿、小鉢、花瓶、などのガラス器、
その他、織物、布地、装飾品、フィギア、などの作品たち。 -
このコーナーには陶磁器の皿、小皿、湯のみ、木彫りの見事な台、お箸、などがあります。
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こちらはみんな可愛くて、しかも値段が安い、えっ?こんな値段でいいの?と言うくらい良心的なお値段です。
おみやげには最適です。長男には手前の鋼で作られた手作りのスプーンを買いました、これが一番安い(笑)。男の子の孫には、お酒のぐい飲み茶わん、も一人にはウサギのフィギアを買いました。 -
ねっ かわいいでしょ?
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どこも人が少なくて歩きやすいし、立ち止まって見物できます。
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光本邸という「郷土の至宝 今井政行 陶芸の館」だそうです。
郷土の至宝かしれないけど入場料300円を出してまで入る気にはなりません。
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どこを歩いてもテンションが上がります。
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立派な家ですねー。
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飛び出した小さな屋根はいわゆるウダツでしょうか?
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街角ウォッチング、楽しいですね。
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木造の家のこんな細工を見るのも楽しいですね。
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小さな祠がありました。伊勢神社と表示されています。ささやかな庶民の信仰ですね。・・・なんて偉そうにすみません。
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木造家屋の味がにじみ出ている家屋です。
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雨どいの雨をうける枡のようなものが、新しく作り変えてあります。
我が家のようにプラスチックの既製品ではなくて、銅版の細工の見事な手作りです。 -
木の柵がいいですねー。仁王様のまわりの柵のようです。
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竹矢来ならぬ木のやらいです。格子といいお洒落ですね。
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これまたデザインを変えて、格子が目を引きました。
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どっかのお寺さんですが、屋根の稜線の美しいこと、惚れ惚れします。
正面の舞台のようなところに「普明閣」という額が掛かっています。 -
いつしか街角に出ました。
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本川に出ました。橋のたもとには文政八年の銘のある石燈籠がありました。
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川に沿って建物がならび川面に空の雲が映っています。
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橋を渡ると竹原を代表する豪邸があります。
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塩田経営を背景に作られた大正時代の質の高い住宅建築(大正5年頃移築)です。
主屋の他に離れ座敷・茶室・土蔵など屋敷構がそのまま残っています。
茶室は小堀遠州流の茶人、不二庵(ふじあん)が設計されたものと言われています。
竹原塩田の1番浜跡地に建てられた豪邸であり、竹原市の重要文化財に指定されています。 竹原市HPより -
旧日の丸写真館
竹原在住の大工、吉名市次郎によって昭和7年頃に建てられた写真館です。
町並み保存地区に隣接する場所に立ち、個性的な外観から、保存地区周辺のランドマークの一つとなっています。
窓等の開口部の配置は建築当初の状態をよく保ち、昭和初期の建築技術の高さを伝えています。また、幕末期に日本にもたらされた写真という新しい産業を営んだ場であること、さらにはそのたたずまいが、「国土の歴史的景観に寄与している」と高く評価され、国登録有形文化財に登録されました。 -
創業文久元年の堂免薬局です。建物は新しいけど・・・
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観光ガイド兼ボディーガードの娘が前を行く。
背が高くて力も強い、肩で風を切って歩く。友人からは○○様と呼ばれている。 -
マンホール蓋発見
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道の駅 たけはら から次の目的地に向かいます。
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この旅行記へのコメント (15)
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- 旅猫さん 2024/04/20 17:59:58
- 頑張っている
- pedaruさん、続けてお邪魔します。
竹原は、観光と街並み保全が上手く噛み合っている感じがしますね。
道は石畳だったりしますが、古さを残して整備している感じがあります。
竹鶴政孝氏とリタ夫人の銅像なんて記憶が無いので調べてみると、朝ドラの放送は2014年で、私が訪れた時から3年後でした。
とすると、やはり朝ドラの影響で、街は変わったのでしょうかね?
娘さんと二人旅なんて、羨ましいです。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2024/04/21 05:41:18
- RE: 頑張っている
旅猫さん 引き続きありがとうございます。
仰るように竹原はきれいな町に仕上がっているという印象でした。大勢の観光客が押し寄せて、はでな看板や呼び込みのうるさい街もありますが、竹原はさりげなく古い街並みを保全しています。エアコンの室外機まで木の板で囲っているのを見ると、努力をしているなぁ、と思います。
耐震など難しい課題がありますが、こちらから見れば、ぜひ昔ながらの街並みをいつまでも
見せた頂きたいと願っております。
竹鶴政孝とリタ夫人の銅像は、朝ドラの放送の結果なのですね。でも街並みをみたところ露骨にマッサンの影響はなさそうでした。
pedaru
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- しにあの旅人さん 2024/03/12 21:47:43
- きれいな町並
- 美しい町並です。2mほどの高さまで壁板が茶色ですが、これは板を焼いているのですか。木材を腐食から防ぐためのワザですかね。
白い漆喰と見事なコントラスト。
あいかわらず電線がありません。
電線をとぱらった町並は、長野県の信濃追分を通り抜ける旧中山道全部1km、大分の宇佐神宮西参道1kmを歩いたことがあります。空がすっきりして、それだけで優雅でした。
「時をかける少女」の舞台はここだったのですか。尾道三部作の一つですから、尾道だと思っていました。
フランスでこの映画を見ました。主演の原田知世の、たしかデビュー作でした。かわゆくて、演技が猛烈に下手で、ういういしくてよかった。
監督の大林宣彦によれば、原田がほぼカメラをみて演技しているのは、カメラの横に自分がいて、いちいち演技指導をしているからだと言っていました。真剣なまなざしは監督を見ていたのです。
観光ガイド兼ボディガートの娘さん、○○様って、内緒で教えて下さい。
- pedaruさん からの返信 2024/03/13 06:42:37
- RE: きれいな町並
しにあの旅人さん おはようございます。
前回に引き続きコメントをありがとうございます。街のようすを観察する目は、私より上を行っていますね。はて?電線があったか、なかったか、壁の板が茶色で何を塗っているのか、などと微塵も気が付かなかったです。
ただ今回瀬戸内海のある島を訪れましたが、ここでは初めての経験をしました。ほとんどの家の外壁が焼けて表面が炭になっているのです。そっと触ってみると手に黒々と炭がついてしまいました。焼け跡ではなくて人為的に板を焼いたのです。
防腐,防虫、防汚れ、防泥棒にもなるかもしれません。実に優れた生活の知恵です。しかし、子供らが鬼ごっこしたり、路地を駆け抜けたりしながら、壁を触ろうものなら、手や上着は真っ黒、こすれて落ちてしまった炭は、無残にも汚いこすり跡を残すことになります。
この痕跡が無いという事は、小児のいない滅びゆく島としか思えません、私は痛恨のおもいでこの壁群を眺めたのでありました。
このまま喋らせるとどこまで行くか分かりませんので、この辺で打ち切りとさせて頂きます。たいへん失礼をばいたしました。
pedaru
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- yamayuri2001さん 2024/03/05 14:02:26
- 鑑賞すべき街並み・・・
- pedaruさん、こんにちは。
竹原の町並みを拝見していたら、
金沢のひがし茶屋街とよく似ているなと思いました。
その建築様式は、西日本の各地で広まっていったんでしょうね。
東日本の昔の街並みと、少し違っているところが、
とても興味深いなと思いながら拝見しました。
ここはマッサンで、有名になった土地だったんですね。
日本人の性格を顕著に表すのは、
ブームになると、みんなワァッとそこに押しかけますけれど、
ブームが去ってしまうと、
誰も見向きもしなくなってしまう傾向があるような気がします。
私はその、誰も見向きをしなくなってから、
その土地に行くのが好きです。
混雑を避けたいのです。
こんな風に人がいない街並みを
ゆっくり散策出来るんだったら、行ってみたいです。
竹原焼と広島焼きの違いは、
どんな感じだったのでしょうか?
粉物の軍配は、私的には大阪よりも広島のお好み焼きに上がっております。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2024/03/05 16:54:51
- RE: 鑑賞すべき街並み・・・
yamayuriさん こんにちは
言われてみれば西と東では家の構えも異なるところがあると私も気づきました。
間違っているかもしれませんが、関東では虫窓というデザインはありませんね。私の見た中国地方の町では、だいたいは中二階の窓の代わりに、漆喰で加工した空気抜きみたいな窓がありますね。
おっしゃるように朝ドラなどでブームになると早速出かけて、並んで見学などが定番ですが、私もブームに乗せられるのは悔しいので、静かになってから行くほうです。
古い町並みなどは人通りの少ないところを、ゆっくり歩くのが風情があっていいですね。
それに何かというと入場料をとるのが気に入りません。京都などはお寺を見るだけで、700円なんて普通みたいですね。管理料にしてもちょっと高くはないですか?
それをケチって後々後悔するのが私の定番です。
広島焼きと竹原焼きの違い、これは全く分かりません、昔広島で食べた記憶はありますがどこがどうなのか私のいい加減な感想は危険です。
pedaru
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- rinnmamaさん 2024/02/29 10:55:57
- お嬢様と二人旅・・
- pedaruさん、おはようございます
1作目の竹原の旅行記でコメントをと思っておりましたら、もう2作目・・
丁寧なコメントと小気味よく流れるような写真アップですね。
お嬢様と二人旅と知って、以前の旅行記の何処かで、お嬢様が旅行に連れて行くから良いよと、おっしゃってくれた事を記されていらっしゃったので、実現して下さったんだと、わが事の様に嬉しく思いました。
竹原の町並み保存地区は海外でいう、旧市街地の様な感じでしょうか?
保存といっても住みながらの維持管理は大変な事です。
以前、明治村にボランティアに行っていましたが、重要文化財など復元・修復の厳しい基準があります。
この様な保存地区にも基準が設けられていると思いますので、住民の皆様の意識の高さには頭が下がります。
ガラスの無い時代の戸・・素敵な意匠で見入ってしまいました。
次の透かし彫りの建具もお見事です。
今の時代にこの様な建具を注文など出来ませんよね。。
それと、竹筒のさり気ない千両も‥町の景観にマッチしています。
私は自分で種をまいてパンジーを育て、ハンキングして楽しんだ時期に、門扉に飾り付けていた物を盗まれてから、道路際に飾らないのです。
夫は見事だったから欲しくなったんじゃないと言い、慰めてくれましたが///^^;
ですから、この様なさり気ない風景が羨ましいんです。
今後の課題もあるでしょうが、この様な穏やかな街並みが続く事を祈っています。
rinnmama
- pedaruさん からの返信 2024/03/01 06:18:13
- RE: お嬢様と二人旅・・
rinnmamaさん おはようございます。
おっしゃるように保存地区と言う地区がありまして、古い家屋が並んでいます。関東でも昔の写真を見ると、瓦屋根の立派な家が並んだ街並みなどを知ることができますが、ああ、これらを見たかったという感情が湧いてきます。しかし、それは叶わぬ夢なのですが、それがここには現存するのです。
これらの街を歩くと、言い知れぬ安らぎと、懐かしさを覚えます。なぜ古いものが安らぎをもたらすのだろう?と思ったりしますが、それは母の背中のぬくもりのような懐かしさを感じさせるからでしょうね。
ある家ではエアコンの室外機を木の板で囲ってありました。古い家を保存し守っていくのはある程度、生活を制限されることでもあるのですね。住民が誇りをもって、生活をしていると思うと感謝の気持ちも湧いてきます。
雨風を防げればそれでいい、というのが住宅の基本ですが、おちゃわんひとつ、お箸ひとつでも、美しくいとおしいと思えるものを手にしたいというのも、また事実です。
こんな気持ちで、美しい細工の施された家に住むのも、人間の床しさですね。
機能本位の新しい住宅も便利でいいのですが、手放しがたい馴染んだ家もいいものです。
pedaru
- rinnmamaさん からの返信 2024/03/03 20:44:43
- RE: RE: お嬢様と二人旅・・
- pedaruさん、こんばんは
先に千葉県の地震が気になって、書き込みさせて頂きます。
市川市は震源地とは違いますが、能登地方の例で行きますと、半島側は倒壊のリスクが大きいとの事。。備えはお願い致します。
我が家も娘との同居プランを白紙にして、古い日本家屋なので、常に備えはしております。ただ、自宅で罹災するかも不明なのが、災害の難しさですね^^;
私も近代的な住宅に憧れは有りますが、心穏やかに過ごせるのは今の住宅です。
pedaruさんと同じで馴染んだ家が一番です^^
それでは、地震対策も・・・
rinnmama
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- 多良さん 2024/02/28 10:01:59
- ひっそり閑・・・いいですね^^
- pedaruさん、お久しぶりです^^。
お互い、日本人ですねぇ~、富士山はどこから見ても美しいとワタシも思います。
富士山を見ると『あ!富士山だぁ!!』っとついつい声を出してしまいます(笑)。
二見町と言い、竹原町と言い、当時の建物、街並みが保存されている所を歩くと、何だかホ~~~ッとしますね。
インバウンドも少なそうだし。。。
『マッサン』の実家近辺は塩でも栄えたのですね。
そう言えば、昔行ったニッカウヰスキーの余市のマッサン家も風流でした。
多良
- pedaruさん からの返信 2024/02/28 15:34:33
- RE: ひっそり閑・・・いいですね^^
多良さん こんにちは
コメントをありがとうございます。飛行機に乗って、富士山が見えたりすると、得した気がしますね。不思議なのは羽田から出発だから飛行機の右側に富士山が見えると思っていましたが、今回は左側から見えました。まさか、サービスで機体を旋回させて、お客に喜んでもらうなんてことをしたとは思えません。
現地にいくまで竹原が製塩で栄えた町とは知りませんでした。塩が専売になって、安いけどただしょっぱいだけの塩になってしまって、何十年。自由化されてから、おいしい塩が手に入るようになりました。あまりおいしいので、私はご飯にたっぷりかけて食べております。すみません、つい、調子にのっていい加減なことを言いました。血圧が高いので、塩分は控えめにしております。
pedaru
-
- mom Kさん 2024/02/24 10:39:01
- 感謝です
- 噂では耳にし、地名と場所だけは記憶していました。これほどとは。pedaruさんが、「どこを歩いても」と仰るぐらいだから、実際その場に佇む気持ちまで想像してしまいました。
穴子が決定打です。
- pedaruさん からの返信 2024/02/25 06:23:25
- RE: 感謝です
mom Kさん おはようございます。
竹原は朝ドラで知りました。 広島は江戸から遠いので(笑)、なかなか行く機会がありませんでしたが、希望がかないました。
でも気に入ってまた行きたいとは思いません(笑)。というのは竹原がつまらないと言うのではなくて、他にも訪れたい街が中国地方にはたくさんありますから、そちらを優先させたいのです。
気に入った街を暮らすように旅する、mom Kさんのような旅は憧れですが、もうそれができる歳ではなくなりました。
> 穴子が決定打です。
私はうなぎが好きなんですが、昔のように安くはないので、滅多に食べません。
pedaru
-
- norisaさん 2024/02/24 08:11:31
- 本当に江戸から大正がーー
- pedaruさん
おはようございます。
この街、侮れませんね。
和風の古い建築から洋風の建物が混在してそのまま映画やテレビに使えますね。
うだつとか犬やらいとか今では関東の普通の都会にはありえないアクセントが効いています。
そして、前回も書いたかもしれませんがエアコンの室外機が見当たらないのも立派です。
しかし、普通は再開発の波が押し寄せて一部または全部がビルや洒落たカフェに置き換わったしまうものですが、この竹原という街はどうやってその波を避けたのでしょう。
広島市は再開発するまでもなく原爆で新規に造るしかなかったのでしょうが、この竹原は再開発するほど地理的、産業的に重要でなかったのか、それとも強い意志で再開発の波を避けたのかーーー。
興味深いですーーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2024/02/25 06:00:00
- RE: 本当に江戸から大正がーー
norisaさん おはようございます。
いつもありがとうございます。
竹原の町が再開発を拒んで現在の街並みを維持している、それは私には分かりませんが、
再開発をするほど都会ではなかったのが理由かもしれませんね。昔の街並みの価値をどれほど認識していたかは分かりませんが、自然に任せれば、住宅は便利で快適なものが好まれますし、観光客を意識せずに自分たちの生活が優先されるのを、選ぶことになるでしょうね。
関東の町はほとんどが、昔の面影を失い、味気ない佇まいです。経済発展に見捨てられた街だけが古い家に住んでいます。・・・なんて極論をいいましたが、関東でも多少は訪れてほっとする街並みが残ってはいますが。この竹原のような町は佐原、川越くらいしか知りません。
古い家が残らないのは住宅の質にもよるでしょうね、豪商の家、豪農の家などは百年以上たっても健在ですが、私の家のような安普請では50年が限度です。建て替えなくてもいい頑丈な家を建てるべきだと思いますね。私のような経済力では、一生のうちに何度も建て替えは困難です。ロンドン郊外に住んでいる友人の家など、百年以上たっていますが、室内をじぶんでペンキ塗りして、自慢をしていました。屋根には今は使われない煙突がついています。地震という問題があるかどうかでも違ってきますけどね。
今回は珍しく理屈っぽくなりました。面白くない話題で失礼しました。期待を裏切り申し訳ありません。それゆえ木戸銭はお返しします(笑)。
pedaru
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