2023/12/03 - 2023/12/03
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pedaruさん
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今度も旅行記とは関係ない話で恐縮です。
私の母が嫁入りしたのは古ーい昔のことです。とはりと呼ばれた街はずれには夕闇の中に何人もの町内の人が手に手に提灯を携え、今か今かと花嫁の来るのを待って出迎えてくれたそうです。
白無垢の打掛に綿帽子をかぶり、長い道のりを人力車に揺られて、まだ見ぬ家に嫁入りしたのです。
娯楽と言うものに無縁な生活に追われて年に何度かの里帰りだけが、彼女の楽しみでした。幼い私は母に手を引かれ、なん里もある畑中の道を歩いて、母の実家に向かったのでした。
途中の渡良瀬川の上流には時代劇の映画に出てくるような木造の橋があり私たちはガタガタ橋と呼んでいました。なぜガタガタ橋かというと、歩くだけでガタガタと音がしましたから。なぜガタガタかというと人が渡る板はすべて大水が来るときは取り外されました。そのため置いただけの板はガタガタと音がしたのです。
笹竹の植え込みで囲まれた家の角を曲がり、ゆるい坂を上ると走り回る鶏の鳴き声と、のんびりとした牛の鳴き声が聞こえる家が母の実家でした。
この家の主人が一番上の兄でした。叔父はよく幼い私にも話をしてくれましたが、その中でも叔父が幼いころの話がとても面白く思えました。
まだ小学校にも上がらぬ幼いころ、父親は隣町の時計屋に預けた柱時計を取りに行かせました。歳の割にはしっかりした子供でしたから、そんなお使いを言いつけられたのでしょう。時計屋さんでは背中に赤ん坊を背負うように柱時計をくくりりつけられ、しっかりとした足取りで、帰路に就いたのです。
帰りの道は意外に遠くて、太陽は傾いてきて鎮守様の森に沈もうとしています。寂しい森の中を通った時、ボーンと背中の時計がなりました。なんだか不気味な音に聞こえました。しばらく歩くと、またボーンとなりました。
怖くなって、足を速めました、ボーン、今度は短い間隔でなりました。
ボーン、ボーン、思わず走り出しました、ボーン、ボン、ボン、ボン、ボン・・・激しく鳴り続けました。半泣きになってやっと家にたどり着きワッとお母さんの胸にすがり付いたということです。まだ明治のころのお話です。
可哀そうですが、笑える話ですね。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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立ち姿が美しい常夜灯です。
1859年に建てられた船の出入りを誘導してきた灯台で、高さ5.5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあります。現存する江戸時代の常夜灯としては最大級の大きさを誇ります。 -
数隻の漁船が係留されているだけで、静かな港です。
港というには賑わいが無い、綺麗すぎる、と言う印象です。 -
でも心惹かれる港です。汚れたガラスの浮きも見えない、船を引き上げる時の重油の跡もにおいもない。他のどこの港にもない雰囲気、「ここは港ではないよ、ただの海岸だよ」と笑われそうです。
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凪いだ海、美しい夕焼けの雲がセットで提供されます。
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常夜灯の前にあるのが築300年の蔵を利用した「いろは丸展示館」です。
1859年に建てられた船の出入りを誘導してきた灯台で、現存する江戸時代の常夜灯としては最大級の大きさを誇ります。 -
いろは丸は、江戸時代末期の1860年代にイギリスで建造され、伊予国大洲藩が所有していた蒸気船。大洲藩が船を購入した際に「伊呂波丸」に改名されたという。45馬力の蒸気機関を有しておりマスト3本を持ち帆走も可能であった坂本龍馬の海援隊による運航中に紀州藩の明光丸と衝突事故を起こしたことで知られています。
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坂本龍馬の損害賠償請求術はすさまじく、国際法をたてに紀州藩の無知と弱気に乗じ請求額を増大させ、現代の金額で164億円の莫大な額に上るとされました。
現代の検証では必ずしも明光丸の過失とはいえず主張は沈没のため証拠を失い、竜馬の強力な交渉術に翻弄されました。
これを聞くと竜馬ファンならずともいささか白けた気分にさせられる事件でしたね。 -
沈没したいろは丸の様子が海底を見るかのように再現されています。
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引き上げられた書類や物が展示されています。
石製の硯、竜馬愛用のピストルの写真(この写真が引き上げられたわけではありません(笑)。 -
回収された古伊万里の茶わんなど。
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革靴の底、踵、ドアノブ、蝶番、など
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沈没地点から回収された船のパーツ、滑車、ランプなど
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「いろは丸を引き上げよう」というキャンペーン記事
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鞆の浦町おこし いろは丸引き揚げ運動
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いろは丸沈没地点から回収された鉄片
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滑車止め(デッドピン)、ランプなど
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明かり採りガラス
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竜馬の書について司馬遼太郎は次のように述べています。
「竜馬は書もいい」文字は型があるためよほどの天才でもなければ、書の奴隷になってしまう。ところが竜馬の書は自我を持ち、芸術にまで引き上げている」
なるほどこれは芸術だ。私には全く分からんけど。 -
こういう字が読めないというのは情けない、日本人として。
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竜馬が引きこもっていた部屋が発見されたということです。これはレプリカですが。
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昭和63年の広島テレビの取材で、竜馬の隠れ部屋が発見されたそうです。
升屋と言う海鮮問屋の天井裏に隠れ部屋があったそうです。
なぜ隠れ部屋にいたかは説明がありません。 -
梁がむき出しの蔵の天井です。
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港の見えるカフェにはいりました。格子越しに船が見えました。
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缶に閉じ込めた和栗のモンブランパルフェ & コーヒー
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立派な建物がありました、ここも保命酒の老舗でした。
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古酒販売所の看板がかかっています。重要文化財太田家住宅との表示もあります。
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入場料400円の表示を見てそのまま立ち去りました。
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しっくい壁と古色の板、良く似合います。
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中二階には虫窓でなく普通のガラス窓になっております。
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道路の石畳具合がいいですね。
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家の建て方も竹原とは一味違います。保命酒の看板がありました。
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明るい雰囲気の保命酒のお店です。
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変わった暖簾がかかっています。「せんざい」の表示。甘味処です。
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鞆の町はどこも中二階が漆喰の虫窓になっていませんね。これが竹原との違いです。
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鞆町の市街部は古代から「鞆」と呼ばれる港町として栄え、「鞆の浦」の名称の由来ともなった街です。現在では逆に鞆が鞆の浦と呼ばれることも多くなっているそうです。。
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普通の街並み
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娘が義母にバッグを買ってやりたい、というので寄ってみました。
帆布製のバッグらしいです。 -
商店が並んでいます。
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おしゃれな自転車、ステンドグラスの店先にありました。
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好みのランプがありました。
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はんこ屋さん
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婦人服、寝具などを売る店、洋品店と言う名称はなくなりましたね。
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格子戸の家 観光用でないところがまたうれしい。
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わざとらしくないどこにでもある家並、でもどこか懐かしい雰囲気を保っています。
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潮待の港
瀬戸内海に突き出た沼隈半島の東南端に位置する鞆の浦。東は紀伊水道から、西は豊後水道からの満ち潮が沖合でぶつかるため、船はその潮に乗って鞆の港へ入り、引き潮に乗って再び船出します。つまり潮の満ち干を待って出入港したのでそう呼ばれたのですね。 納得。 -
石垣が立派な家。この垂直な石垣は内側にコンクリートがしっかり入っていると想像します。
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並んだ家、二階の窓が異なりますが
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興に任せて歩き回ります。どうも年寄りは足が遅い。
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坂を上っていくと
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このような入り口
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入り口には作右衛門と言う表札がかけられています。ただ者ではない。
調べて見ると、貸し切り一軒家だそうです。別荘以上の別荘と言っております。
豪華な海の幸、料理は最高ですと。いったい宿泊料はおいくら払えばいいのでしょう、ドキドキ、な、なんと税込みお一人一泊二食付きで、\22,000からだって、や、安ーい。 -
福禅寺本堂隣の「対潮楼」は1690年頃に客殿として建てられたもので、賓客の宿舎として使われました。
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座敷からは瀬戸内海の絶景が広がり、朝鮮通信使の従事官の李邦彦が「日東第一形勝」(日本で一番美しい景勝地)と賞賛しました。
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朝鮮通信使も幕府の慶賀などのために度々寄港。
福禅寺が迎賓の場所として使われました。 -
途中にはこのようなのれんの下がったホテルがありました。
「潮待ちホテル 櫻や」です。ここも泊まってみたいホテルですね。 -
「鞆の津の商家」今日は休館でした。鞆の浦の代表的な豪商の家らしい。
この家の前の駐車場から車でホテルに向かいます。
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この旅行記へのコメント (10)
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- hot chocolateさん 2024/04/19 18:31:45
- 鞆の浦
- pedaruさま
こんばんは。
前作では、コメントを書いたものの、いいね!を押すのを忘れてしまいました。
しかも、今作でも、「大人の隠れ家 作右衛門」のHPも調べて書き込みの下書きもしたのに、忙しさにまぎれて消してしまったようです。
すみませんでした。
叔父様が幼いころの柱時計のお話、ほのぼのとした昔を思い出します。
ご本人にとっては、ほのぼのどころか、恐怖だったかもしれませんが・・・
前の旅行記にも書きましたが、竹原、鞆の浦共に未踏の地です。
静かで綺麗な漁港なのですね。
船の出入りを誘導してきた常夜灯も美しく、凛々しい姿です。
いろは丸展示館での、坂本龍馬にまつわるお話、興味深いですね。
流石に見事な交渉術ですが、国際法をたてに紀州藩の無知と弱気に乗じ、
莫大な金額を請求したとは。
ちょっとあこぎではないの、なんて思ったりもしますが・・・
それにしても、龍馬の書は、力強くも個性的で見事ですね。
「大人の隠れ家 作右衛門」はかなり気になりますね。
HPで調べてみました。
1泊2食、1人20,000円~、6人から受付可能とありますので、
1人、2人では断られそうです。
龍馬並みに、6人分の宿代を払うから、是非泊まりたいぜよ。と、交渉して下され。
(6人分の宿代を払ってもダメかも。)
hot choco
- pedaruさん からの返信 2024/04/19 21:43:40
- RE: 鞆の浦
hot chocolateさん こんばんは
私の場合、あれも書こう、と思いながら忘れて、しまったと思うことしばしばです。
たくさんの書き込みになれている人はいいのですが、私など苦手ですから、コメントするのは楽しい反面、つまらないコメントと思われやしないか、などと思うと、筆が進みません。几帳面な性格のhot chocoさんらしく、再びコメントを頂戴して嬉しく思います。
坂本龍馬は人気のある幕末のヒーローですが、交渉術が巧み過ぎて、やや白けるところもありますね。現代なら、その特技をいかして、日本の総理大臣をやってもらいたいですね。
へりくだりながらも中国やアメリカを手玉に取ることが出来るかもしれません。
子供の貧困が問題になっている国日本なのに、増税をしながら、アメリカから何兆円もの武器を買わせられるような首相では困ります。
今私は晩酌をしながら猫と二人きりでパソコンに向かっております。私が娘に広島旅行に連れて行ってもらったかわりに、今度は母をつまり妻をドイツ旅行に連れて行っています。
旅の初日に列車の窓の外の景色に感動した妻から電話がありました。娘は独身時代にドイツに住んでいたので、少しはドイツ語ができるので安心です。
それにしても広島とドイツ、バランスがとれていないと思いませんか?コロナ以来どこにも行けてない母への最高のプレゼントだと思います。
pedaru
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- yamayuri2001さん 2024/03/30 17:09:36
- 旅行記ならぬ文学作品?
- pedaruさん、こんにちは。
こちらの旅行記は、短編小説を読んでいるような気持ちで拝見しました。
お嫁入りしたお母様のエピソード。
ガタガタ橋のエピソード。
そして柱時計を背負って、帰って来るエピソード。
どれも、情景が眼に浮かぶようでした。
そんな時代があったんですね。
今時計は、電波時計になりましたので、
時刻が狂うことなどなくなりましたけれど、
昔の柱時計はネジを巻かないと、
だんだん時計が遅れ出し、
しまいには動かなくなる物だったような気がします。
我が家では、いつも祖父が柱時計のゼンマイを
ネジで巻いていたのを思い出しました。
大きな古時計の歌は、現代の子供達には理解できない歌ですね。
坂本龍馬の書は、私も書家ではないので解りませんけれど、
勢いのある芸術のように見えます。
一つの才能に長ける人は、
いくつもの才能を持って
生まれて来るような気がするのですけれど、
なんとも不公平だなと思います。
pedaruさんには、文才がありますよ。
ユーモアのセンスもありますし。
常夜燈という響きが、遠い昔を思い出させてくれるような気がしました。
なんだか本当に、もう一度幼い頃に帰りたいような
そんな気持ちにさせてくれるpedaruさんの旅行記でした。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2024/03/31 07:08:17
- RE: 旅行記ならぬ文学作品?
yamayuri2001さん おはようございます。いつもありがとうございます。
青年は未来に生き、老人は過去に生きる。と言いますが、yamayuriさんも私も、現代に生きていますよね。
しかし、私が昔のことを懐かしく思い、ときどき書いているのは、いつのまにか老年になっている証拠に思えてこないでもないですね(笑)。
ネタが無くて、昔のことを書いているに過ぎないという事も言えますが。
私の母はどちらかと言うとボロを着た文学少女と言う感じの人で、父は無学の職人と言える人でしたから、夫婦の趣味が合うということもなく、あまり幸せな一生ではなかったとおもっております。しかし、私が年を取り、老年の気持ちが少し分かり始めると、意外と父母は幸せだった面もあることに気づきました。
現代はインターネットの普及で、自分の考えを表現できる時代になりました。以前は自分の考えは日記帳に密かに記すことくらいでしたが、例えば4トラベルでも発表することができますね。そして共感していただける人を知るだけでも幸せです。
今後ともよろしくお願いいたします。
pedaru
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- ふわっくまさん 2024/03/21 07:33:26
- 柱時計の音・・
- pedaruさん、おはようございます。
私もnorisaさんのように、プロローグも興味深く拝見させていただきました。
背中から柱時計のボーンという音、お父様は どれだけ不気味だったか・・
音声がなくても、何だか伝わってきたような気がします。
さて常夜灯の前の いろは丸展示館で、坂本龍馬に纏わる話が紹介されていたのですね。
強力な交渉術があったそうで、紀州藩への多大な請求額には少し興ざめなものの・・
書道は芸術的だったなんて、初めて知りました(^_^)
・・太田家住宅=入場料400円を見て入らなかったのは、私も同じです・・笑
観光地化されていない辺りの町並みまで、ただ歩くだけで楽しかったことを思い出しました。
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2024/03/21 11:55:40
- RE: 柱時計の音・・
ふわっくまさん こんにちは
昔は何処の家にも柱時計がありましたね。私の家にも現在百年以上経った黒い柱時計があります。妻の実家からもらってきたものです(笑)。ところが今は箪笥の上に布をかぶせて寝かせてあります。これには訳があって、孫がボーンと鳴るのが怖いというのです。
そういえば玄関にある弥勒菩薩の頭部も、庭に置いてある埴輪のレプリカも怖いといって隠しています。ようやく今年は中学生、怖がっていた時が可愛いですね。
観光地では大したものでもないのに、すぐに入場料をとられるので、入らないことがおおいのですが、見る価値のあるものまで、入場料を惜しんで入らなかったのは、後々まで後悔が残りますね。イギリスのドーバー城の入場料が高かったので入らなかったのは失敗でした。わざわざ日本から来たのに・・・・これ以来、肝心なところは多少高くても入ることにしています。
維持するために入場料は必要なんでしょうが、軒並みに高い入場料をとるお寺さんにはうんざりします。建物は華美でなくてもいいから安くしてもらいたいですね。
シルバー割引、低所得者割引対象者の pedaruより
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- ちーちゃんさん 2024/03/20 17:06:23
- 夕暮れの景色(*´∀`*)
- こんにちは(*^_^*)
お母様の素敵なエピソード。
同じ群馬の人と言う事で、勝手に親近感を抱いてまるでお隣でその様子を眺めているかの様な気持ちになりました。
きっと心細い気持ちのお母様は、その提灯の灯りにほっとした事でしょう(^_^*)
時計のお話もクスッと笑える温かなエピソード。
どちらもこの景色の夕暮れと繋がっていますね。
常夜灯と夕暮れの景色がお話に重なりました。
前から思っていましたが、
坂本龍馬の人柄はどうなのかと.…
名前が龍馬と言ってカッコイイのですが、
これが坂本田吾作とかだったらこんなに人気になったかと。
歴史上大人気の方なので、きっと私敵を作りましたね(笑)
それにしても法外な賠償金ですよね。
弁が立つとはこう言う事でしょうね。
落ち着いた街並みが郷愁を誘います。
私も夕暮れ時に歩いてみたくなりました。
- pedaruさん からの返信 2024/03/21 06:55:56
- RE: 夕暮れの景色(*´∀`*)
ちーちゃん おはようございます。
いつも旅行記の概要欄に何を書くか迷います。思い浮かばないときは勝手なことを書いてしまいます。初期の頃は 「行ってきました 見どころのある町でした」程度にしていましたが、だんだん調子に乗ってきて、旅行記とは関係のない昔話などを書くようになってしまいました。これを書いていて気づきましたが、これは歳をとった証拠だと、思います。いやですねぇ。
空港に坂本龍馬の名前がついてしまうほどの人気の偉人ですが、群馬にもたくさん優れた人はいますね。子供のころから上毛カルタで覚えました。いまでも学校でやるのでしょうか?なかでも記憶しているのは「和算の大家 関孝和」関の発見した数学の公式はヨーロッパで発見される2〜3百年も前になされているそうです。
上毛カルタは群馬県人のマイナンバーカードです。もちろん、ちーちゃんもごぞんじですよねー。って無理やり決めつけてしまいました。
pedaru
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- norisaさん 2024/03/20 12:58:59
- ガタガタ橋
- pedaruさん
こんにちは。
このガタガタ橋のエピソード、面白いですね。
同時にその頃の光景が浮かぶ秀逸のプロローグです。
昔は楽しみが少なかったですが、だからといって不幸かというとそうでもないですね。
さて、夕刻の常夜灯は風情、いや旅情豊かですね。
そして鞆の浦のご紹介、私が知らないお話ばかり。
参考になりすぎます(苦笑)
坂本龍馬の船のお話、まさしく実話だそうですね。
この方、今は維新の英傑としてもてはやされていますが、人格的には如何でしょう。
結局地政学的な意味合いも含めて数枚上手のグラバーなどのガイジンさんに踊らされていたというニュアンスもありそうです。
ハッタリが特異な軽めの方だったかもしれませんーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2024/03/21 06:21:08
- RE: ガタガタ橋
norisaさん おはようございます。
就学前の子供の手を引いて、畑中の道を何里も歩いて実家に向かう若い母親、私の記憶の中では道中は空が高かったですね。この道の中間地点にこのガタガタ橋はありました。
この橋を渡るのは、村を巡る生糸を集める商人か、川向こうの畑に行く竹籠を背負った農民くらいなもの、ときには牛の曳く二輪荷車などもありました。
こんな時代もあったのですね、いったい自分は映画の中にいたのではないかと思われるほどの時代風俗が変わってしまいました。
坂本龍馬ファンががっかりする話でしたが、友人知人の援助金や借金をすべて遊郭で消費してしまったと言う野口英雄なども知られざる面ですね。
鞆の浦は直前にnorisaさんも訪問されていますね。知的な旅行記を書かれる方の後から投稿するのは身が縮む思いです。別の切り口で臨むしかありません。
よろしくお願いいたします。
pedaru
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