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1.タイムライン<br />日光金谷ホテル 10;42<br />日光いろは坂<br />華厳の滝駐車場<br />華厳の滝<br />中禅寺湖<br />中禅寺金谷ホテル 11;11-11;25<br />竜頭ノ滝<br />金精峠 残雪あり<br />日光白根山ロープウェイセンターステーション<br />道の駅 尾瀬かたしな 12;54-13;58 昼食<br /><br />華厳滝<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E6%BB%9D#%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E6%B8%93%E8%B0%B7<br />華厳滝エレベーター<br />https://www.kegon.jp/<br />道の駅 尾瀬かたしな<br />https://oze-katashina.info/michinoeki/m<br />日光白根山ロープウェイセンターステーション<br />https://www.marunuma.jp/winter/<br />りゅうずのたき<br />竜頭ノ滝<br />https://www.nikko-kankou.org/spot/6<br />2.日本三名瀑<br />日本三名瀑とは【華厳の滝・那智の滝・袋田の滝】を言うそうである。<br />私はすべての三名瀑を見たことがあるが袋田の滝よりは、富士宮市の白糸の滝の方が好きである。<br />幅が十メートルぐらいで高いところから数十メートル流れ落ちる滝が好きである。<br />ナイアガラの滝も見たことがあるが、ナイアガラの滝よりも、ノルウェーなどで見られる華厳の滝・那智の滝・白糸の滝のように、幅が十メートルぐらいで高いところから数十メートル流れ落ちる滝が好きである。<br />白糸の滝<br />http://www.city.fujinomiya.lg.jp/kankou/llti2b00000018ez.html<br />3.リンドバーグ<br />日光金谷ホテルと中禅寺金谷ホテルにリンドバーグの写真が飾ってあった。<br />リンドバーグについては、<br />『翼よ、あれがパリの灯だ』というノンフィクションを中学時代に読んだ。<br />映画 『翼よ、あれがパリの灯だ』も見ている。<br />印象深いのは、アガサ・クリスティの小説『オリエント急行の殺人』での誘拐事件は、リンドバーグ愛児誘拐事件はにヒントを得たと言われており、この事件を契機に誘拐事件は複数の州にまたがるため、FBIが担当することとなった、<br />映画 『翼よ、あれがパリの灯だ』も『オリエント急行の殺人』の両者の映画を見た。<br />リンドバーグ愛児誘拐事件について知らないとの背景を理解できない。<br />『オリエント急行の殺人』<br />https://eiga.com/movie/86304/<br /><br />以下のwikipediaにあるとおり、<br />リンドバーグ夫妻は1931年に来日し、9月5日は日光を周遊し、6日金谷ホテルに宿泊した記録がある。<br />リンドバーグ夫妻の北太平洋航路調査と来日<br />リンドバーグ夫妻は1931年に、パンアメリカン航空から依頼された北太平洋航路調査のためニューヨークからカナダ、アラスカ州を経て、日本と中華民国までロッキード・シリウス(英語版)水上機「チンミサトーク(英語版)(イヌイットの言葉で『大鳥』の意)」で飛行した。<br />アラスカから千島列島沿いに南下する際、8月19日には計吐夷島の南東洋上に不時着[4]。救援に向かった農林省の新知丸が機体を新知島の武魯頓湾に曳航してキャブレターを修理[5]、8月22日に離水するも、同日択捉島の紗那沼に再び不時着した[6]。<br /><br />8月24日になり、ようやく根室に到着[7][8] [9]。2日間滞在後、8月26日霞ケ浦へ飛来[9]。フォーブス(英語版)駐日米国大使、安保清種海軍大臣、杉山元陸軍次官、小泉又次郎逓信大臣ら日米の政府高官や海軍関係者など約1,000人が出迎え、国内外からの取材陣は200人を超えた[9]。同日列車で東京へ向かい、聖路加病院トイスラー院長邸に滞在、以後トイスラー邸が東京における夫妻の拠点となる[9]。27日から31日まで多数の歓迎式典や表敬訪問をこなし、9月1日から4日までフォーブス大使の軽井沢別荘で休養[9]。5日は日光を周遊し金谷ホテルで1泊、6日に東京へ戻った[9]。7日以降も各種行事の合間を縫って、チャールズは逓信省航空局で飛行計画の打ち合わせや、霞ケ浦で愛機の点検と試運転など出航準備を進め、妻のアンは博物館の見学や茶道・華道の体験などをして過ごした[9]。<br /><br />9月13日大阪へ飛来後、自動車で京都に入洛し、都ホテルに宿泊[10]。14日から16日にかけて府庁舎等へ表敬訪問や府内名所を観光[10]。17日滞在先の奈良から大阪を経て、福岡へ向かう[10]。この時、京都の少年がリンドバーグ夫妻の飛行機に潜入し、密航を企てる事件が発生している[10]。9月17日16時に福岡に飛来し名島飛行場(現・福岡市東区名島)に着水した。単なる「漫遊飛行」なので大げさな歓迎は不要という意向が示されたため、飛行場での歓迎会は簡素に行われたが、3,000人の市民が飛行場に詰めかけた。機体の点検を行った夫妻は、深夜に宿舎となる共進亭ホテルに入った。翌9月18日は福岡市役所の表敬訪問や西公園の散策を経て、早めにホテルに戻った[11]。<br /><br />9月18日、福岡を離水した後、中華民国の南京と漢口まで飛行した。<br /><br />チャールズ・リンドバーグ<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0<br />リンドバーグ来日 ~その足どりを追って<br />https://www.jacar.go.jp/seikatsu-bunka/p08.html

日光金谷ホテル、華厳滝、中禅寺湖、中禅寺金谷ホテル、雪が残る金精峠越え、尾瀬かたしなまで

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2023/11/16 - 2023/11/16

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kirstiNorge

kirstiNorgeさん

1.タイムライン
日光金谷ホテル 10;42
日光いろは坂
華厳の滝駐車場
華厳の滝
中禅寺湖
中禅寺金谷ホテル 11;11-11;25
竜頭ノ滝
金精峠 残雪あり
日光白根山ロープウェイセンターステーション
道の駅 尾瀬かたしな 12;54-13;58 昼食

華厳滝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E6%BB%9D#%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E6%B8%93%E8%B0%B7
華厳滝エレベーター
https://www.kegon.jp/
道の駅 尾瀬かたしな
https://oze-katashina.info/michinoeki/m
日光白根山ロープウェイセンターステーション
https://www.marunuma.jp/winter/
りゅうずのたき
竜頭ノ滝
https://www.nikko-kankou.org/spot/6
2.日本三名瀑
日本三名瀑とは【華厳の滝・那智の滝・袋田の滝】を言うそうである。
私はすべての三名瀑を見たことがあるが袋田の滝よりは、富士宮市の白糸の滝の方が好きである。
幅が十メートルぐらいで高いところから数十メートル流れ落ちる滝が好きである。
ナイアガラの滝も見たことがあるが、ナイアガラの滝よりも、ノルウェーなどで見られる華厳の滝・那智の滝・白糸の滝のように、幅が十メートルぐらいで高いところから数十メートル流れ落ちる滝が好きである。
白糸の滝
http://www.city.fujinomiya.lg.jp/kankou/llti2b00000018ez.html
3.リンドバーグ
日光金谷ホテルと中禅寺金谷ホテルにリンドバーグの写真が飾ってあった。
リンドバーグについては、
『翼よ、あれがパリの灯だ』というノンフィクションを中学時代に読んだ。
映画 『翼よ、あれがパリの灯だ』も見ている。
印象深いのは、アガサ・クリスティの小説『オリエント急行の殺人』での誘拐事件は、リンドバーグ愛児誘拐事件はにヒントを得たと言われており、この事件を契機に誘拐事件は複数の州にまたがるため、FBIが担当することとなった、
映画 『翼よ、あれがパリの灯だ』も『オリエント急行の殺人』の両者の映画を見た。
リンドバーグ愛児誘拐事件について知らないとの背景を理解できない。
『オリエント急行の殺人』
https://eiga.com/movie/86304/

以下のwikipediaにあるとおり、
リンドバーグ夫妻は1931年に来日し、9月5日は日光を周遊し、6日金谷ホテルに宿泊した記録がある。
リンドバーグ夫妻の北太平洋航路調査と来日
リンドバーグ夫妻は1931年に、パンアメリカン航空から依頼された北太平洋航路調査のためニューヨークからカナダ、アラスカ州を経て、日本と中華民国までロッキード・シリウス(英語版)水上機「チンミサトーク(英語版)(イヌイットの言葉で『大鳥』の意)」で飛行した。
アラスカから千島列島沿いに南下する際、8月19日には計吐夷島の南東洋上に不時着[4]。救援に向かった農林省の新知丸が機体を新知島の武魯頓湾に曳航してキャブレターを修理[5]、8月22日に離水するも、同日択捉島の紗那沼に再び不時着した[6]。

8月24日になり、ようやく根室に到着[7][8] [9]。2日間滞在後、8月26日霞ケ浦へ飛来[9]。フォーブス(英語版)駐日米国大使、安保清種海軍大臣、杉山元陸軍次官、小泉又次郎逓信大臣ら日米の政府高官や海軍関係者など約1,000人が出迎え、国内外からの取材陣は200人を超えた[9]。同日列車で東京へ向かい、聖路加病院トイスラー院長邸に滞在、以後トイスラー邸が東京における夫妻の拠点となる[9]。27日から31日まで多数の歓迎式典や表敬訪問をこなし、9月1日から4日までフォーブス大使の軽井沢別荘で休養[9]。5日は日光を周遊し金谷ホテルで1泊、6日に東京へ戻った[9]。7日以降も各種行事の合間を縫って、チャールズは逓信省航空局で飛行計画の打ち合わせや、霞ケ浦で愛機の点検と試運転など出航準備を進め、妻のアンは博物館の見学や茶道・華道の体験などをして過ごした[9]。

9月13日大阪へ飛来後、自動車で京都に入洛し、都ホテルに宿泊[10]。14日から16日にかけて府庁舎等へ表敬訪問や府内名所を観光[10]。17日滞在先の奈良から大阪を経て、福岡へ向かう[10]。この時、京都の少年がリンドバーグ夫妻の飛行機に潜入し、密航を企てる事件が発生している[10]。9月17日16時に福岡に飛来し名島飛行場(現・福岡市東区名島)に着水した。単なる「漫遊飛行」なので大げさな歓迎は不要という意向が示されたため、飛行場での歓迎会は簡素に行われたが、3,000人の市民が飛行場に詰めかけた。機体の点検を行った夫妻は、深夜に宿舎となる共進亭ホテルに入った。翌9月18日は福岡市役所の表敬訪問や西公園の散策を経て、早めにホテルに戻った[11]。

9月18日、福岡を離水した後、中華民国の南京と漢口まで飛行した。

チャールズ・リンドバーグ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
リンドバーグ来日 ~その足どりを追って
https://www.jacar.go.jp/seikatsu-bunka/p08.html

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