2023/11/08 - 2023/11/10
269位(同エリア2828件中)
杏仁豆腐さん
11月の広島。
暖かな日が続く11月の上旬。コートもいりません。
そんな暖かな日に、広島・厳島に行きました。
初日は、平和記念公園を見て歩きました。
原爆ドーム、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、被爆遺構展示館、広島平和記念資料館、広島平和都市記念碑、広島市平和記念公園レストハウス、原爆の子の像、原爆供養塔、おりづるタワーと巡りました。
外国からの旅行客が多く、小中高の修学旅行生も列をなしていました。
見どころ満載の平和記念公園ですが、考えさせられることも多く、改めて歴史的な出来事に対面することができました。
☆1日目
広島駅→(広電)→原爆ドーム前→Caff’e Ponte ITALIANO(昼食)→広島平和記念公園→おりづるタワー→ホテル
夕食 おこのみ魂 悟空
☆2日目
ホテル→もとやす桟橋→(ひろしま世界遺産航路)→宮島→豊国神社(千畳閣)→五重塔→厳島神社→大願寺→瑠羽樹(昼食)→紅葉谷公園(ロープウェー紅葉谷駅、獅子岩駅往復)→ 宮島→(ひろしま世界遺産航路)→もとやす桟橋→ホテル
夕食 かき船 かなわ
☆3日目
ホテル→広島城→ひろしま美術館→ホテル→(taxi)→広島駅
ホテル リーガロイヤルホテル広島
秋の広島①(1日目)☆平和記念公園・おりづるタワー☆Caff’e Ponte ITALIANO☆2023/11/08
https://4travel.jp/travelogue/11866148
秋の広島②(2日目前半)☆千畳閣 豊国神社・厳島神社・大願寺☆瑠羽樹☆2023/11/09
https://4travel.jp/travelogue/11866898
秋の広島③(2日目後半)☆紅葉谷公園・宮島ロープウェイ☆かき船 かなわ☆2023/11/09
https://4travel.jp/travelogue/11868164
秋の広島④(3日目)☆広島城・ひろしま美術館☆2023/11/10
https://4travel.jp/travelogue/11869133
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線
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東京駅に着いたら、BURDIGALA TOKYO (ブルディガラ トーキョー)で朝食のサンドイッチを購入。おいしそうだったあんぱんも。
平日ののぞみ、ほぼ満席です。 -
広島駅から広電に乗ります。
のんびり走る路面電車はいいものですね。街の景色を眺めながら、移動できます。 -
原爆ドーム前で下車。
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広電を降りると、原爆ドームはすぐそこ。
原爆ドームは後で、じっくりと見学することにし、まずはランチ。 -
Caff’e Ponte ITALIANO (カフェポンテ イタリアーノ)
元安川沿いに建つ、オープンカフェです。 -
店の前に並ぶオレンジがきれい。
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窯焼きピッツアとドリンクのセット をいただきました。
搾りたてのオレンジジュース。道沿いのテラス席は気持ちいいです。 -
ピッツアは、3種から選べます。マルゲリータ。スモールサイズです。
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元安橋
「はだしのゲン」に、元安橋が登場します。 -
元安橋からの眺め。
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元安川沿いの木々が紅葉しています。
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元安橋で振り返ると、そこには原爆ドーム。
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平和記念公園を歩きます。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に来ました。 -
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(平成6年法律第117号)に基づき、国として、原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するとともに、原爆の惨禍に関する全世界の人々の理解を深め、被爆体験を後代に継承することを目的として、被爆地である広島に設置された施設です。
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企画展「空白の天気図 -気象台員たちのヒロシマー」を開催中
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1945年8月6日、原爆は広島市に甚大な被害をもたらしました。爆心地の南方約3.7kmに位置する広島地方気象台でも、爆心に面した窓ガラスは割れ、職員の中には重傷を負うものが少なくありませんでした。
その状況下でも、「気象観測を担う者は、現象についての時間的な変化を絶えず記録しなければならない」と、最新の気象データを中央気象台へ電報で伝えるため、3名の若手台員が市の中心部へ向かいました。しかし、そこで彼らが目にしたのは、まさに地獄絵図と呼べるものでした。
さらに、被爆後わずか1か月後に広島を襲った枕崎台風は原爆被害を一層深刻なものにしました。気象台員たちはこの二重災害の被害を後世に教訓として伝えようと、現地へ出向いて一人ひとり詳細な聞き取り調査を行い、貴重な調査報告書にまとめました。
今回の企画展では、観測者の視点から記録された被爆体験記をもとに被爆の実相を明らかにします。 -
被爆遺構展示館に来ました。
被爆の実相を直接見て肌で感じられるよう、原子爆弾による被害の痕跡が残る住居跡やアスファルト舗装された道路跡などを露出展示しています。 -
「この地」にはかつて多くの人が暮らす町があったこと、そして「この地」に暮らしていた人々の日常がたった一発の原子爆弾により一瞬にして失われてしまったこと、そして被爆後の先人たちのたゆまぬ努力により「この地」が平和の象徴としての公園として整備され、平和で美しい町として復興を遂げたことがわかります。
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旧天神町北組慰霊碑
1973年2月、旧天神町(現広島市中区中島町)北組の町民が建立しました。
天神町は、広島市内有数の繁華街として栄えた中島地区の一角にあって南北に細長く、北組・南組に分かれていました。南組の碑は、平和大通り南側の元安川河畔にあります。 -
峠三吉の詩碑
峠三吉は、碑が面している南東約三キロの自宅で被爆しました。直接にはガラス破片による負傷でしたが、親戚や知人を探して市内を歩き回ったため原爆症にかかり九月まで入院しました。1917年生まれ。
峠三吉は、原爆の実態を明らかにするにはもっと壮大な「叙事詩広島」を書くことが必要であると思い、その創作に耐えうる健康回復を願って手術を受けましたが、途中力尽きて三十六年の生涯を閉じました。
この碑は、そうした峠三吉の遺志を継いで核兵器廃絶に力を尽くそうと、「平和のための広島文化会議」が呼びかけて1963年に建設されたものです。
峠三吉の詩碑に行くと、修学旅行の小学生たちが記念撮影をしていたので、撮影の間に入れてもらって詩碑の写真を撮りました。 -
広島平和記念資料館の前は修学旅行生でいっぱいです。
本館は2006年(平成18年)7月5日、わが国の戦後建築物としては初めて、国の重要文化財に指定されました。丹下健三が設計しました。
東館は、1955年(昭和30年)に開館した「広島平和記念館」を改築し、1994年(平成6年)6月に、「広島平和記念資料館(東館)」として開館しました。
館内は修学旅行生、外国からの観光客などでごった返していました。 -
本館では、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や絵などの資料を展示し、1945年(昭和20年)8月6日に広島で何が起こったのかを伝えます。
東館では、核兵器の危険性や被爆前後の広島の歴史について展示しています。
とても貴重な資料を見ることができます。 -
広島平和記念資料館から見た平和記念公園
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広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)
昭和27年(1952年)8月6日設立
この碑は 昭和20(1945)年8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
碑文はすべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている -
平和な世の中を願います。
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平和の灯
丹下健三氏が設計したもので、台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめています。
この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。 -
広島市平和記念公園レストハウスに来ました。
当初は、モダンな3階建ての「大正屋呉服店」でした。戦時中は「燃料会館」となり、原子爆弾によって破壊されました。 被爆から75年。平和記念公園にある被爆建物として、建設当初の装いに近い形で2020年7月にリニューアルしました。
「大正屋呉服店」の 設計者は、大阪を中心に活躍した建築家、増田清(阿川佐和子の祖父)です。 -
1F まち 結ぶ まちをつなぐ【観光案内・特産品販売】
2F 人 憩う ひとをつなぐ【休憩・喫茶ホール】
3F 旧中島地区の営み 現代へ 歴史・文化をつなぐ【展示室・多目的室】
B1F 爆心地から170メートル地下で 歴史・文化をつなぐ【展示室】
3階には、旧中島地区のジオラマを展示してあります。平和記念公園やその周辺が被爆前にどのような町であったかがわかります。 -
2階にあるピアノカフェ。
被爆遺品でもある「明子さんのピアノ(被爆ピアノ)」を展示してあります。広島で被爆死した女学生の遺品で、米国製のアップライトピアノです。修復を終え、被爆60年のコンサートで美しい音色が蘇りました。 -
落ち着いた雰囲気でゆっくりとくつろげるスペースです。窓からは元安川や原爆ドームが見え、緑豊かな平和公園を感じることができます。
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瀬戸内レモンフロートをいただきました。
歩き疲れたので、ほっと一息です。
妻は、広島はっさくスカッシュ。 -
燃料会館は、1945年8月6日の原爆投下によって、屋根が吹き飛ばされ、地下室を除き全焼するなど大きな被害を受けました。 しかし、たった一人、奇跡的に生き残った人がいました。故・野村英三さんです。野村さんの証言やイラスト・資料が展示されています。
被爆時に近い状態で残る地下室です。 -
とても貴重な遺産です。
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原爆の子の像
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「原爆の子の像」は、年間を通じて、たくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別称「千羽鶴の塔」とも呼ばれています。
像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面左右の二体は少年と少女と明るい希望を象徴しています。 -
像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。
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「原爆の子の像」の周辺には、折り鶴を捧げていただけるよう折り鶴ブースが設置されています。
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平和記念公園内ではいたる所で、色鮮やかな折り鶴が見受けられます。折り鶴は日本の伝統的な文化である折り紙の一つですが、今日では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られています。このように折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっています。
佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼるそうです。 -
ところどころ木々が紅葉しています。
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原爆供養塔
原爆供養塔は、1955年に建立された供養塔です。桃山時代の御陵を模した、芝生が植えられた丘の上に石造りの塔が据えられていて、中には納骨堂があります。ここには一家全滅などで身内の見つからない遺骨や、氏名の分からない遺骨約7万人分が納められています。 -
爆心地に近いこの場所では、散乱していた遺体や川から引き揚げられた遺体など、無数の遺体が荼毘に付されました。1946年には市民からの寄付で仮の供養塔、納骨堂、礼拝堂が建設されましたが、その後広島市が主体となって改築し、各所に散在していた引き取り手のない遺体も集められて現在に至ります。
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平和の鐘
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核兵器と戦争のない世界の達成をめざし、その精神文化運動のシンボルとして「原爆被災者広島悲願結晶の会」が建立しました。
鐘(故香取正彦(人間国宝)さんの作品)の表面には「世界は一つ」を象徴する、国境のない世界地図が浮き彫りにされています。
撞座は、原水爆禁止の思いをこめて原子力マークにし、その反対側には、つく人の己の心を写し出す鏡が入れられています。 -
元安川を挟んで見た原爆ドーム
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こちらから見る原爆ドームは存在感がすごいです。
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元安川
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平和の時計塔
3本の鉄柱がそれぞれ60度ずつひとひねりした塔上に、球体の三方を向いた時計が乗っています。(高さ約20m) -
相生橋から見た原爆ドーム
相生橋は、原爆投下の目標にされたといわれています。すさまじい衝撃波で橋桁は変形し、北側の欄干は川に落ち、歩道の一部が持ち上がりました。 -
おりづるタワーに上りました。
最上階は、ひろしまの丘。 -
沈みゆく夕日がきれいです。
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平和記念公園・原爆ドーム、眼下に世界遺産を望むことができます。
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高い建物は、私たちが宿泊するリーガロイヤルホテル広島です。
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整くんもいました。
映画「ミステリと言う勿れ」は広島がロケ地です。 -
いい時間帯になりました。
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12階で折ったおりづるを「おりづるの壁」に投入しました。
その後、スパイラルスロープ “散歩坂”を下りました。スパイラルスロープの中央部にはくるくると回りながら滑り下れるすべり台「くるくるくーる」、壁面には戦後100年への願いを描いた巨大なウォールアートの展示があります。 -
おりづるタワーから歩いてリーガロイヤルホテル広島に来ました。
30階の展望のよい部屋です。眼下には広島城が見えます。 -
部屋で休憩し、夕食に出かけました。
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「おこのみ魂 悟空」で鉄板焼き、お好み焼きをいただきました。
生ビールで喉を潤し、まずはオクラの豚巻き。 -
親鳥の柚子胡椒焼き
カウンター席で、目の前で焼いてくれます。 -
チーズオムレツ
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牡蠣の鉄板焼き
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牛タンステーキ
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お好み焼きを2種類いただきました。
肉玉極細生そば
極細生麺を使用しています。
悟空焼き(ピリ辛)
唐辛子を練り込んだ特製麺を使用しています。
どちらも美味しかったです。
ホテルの戻り、広島での一日目は終わりです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ひでじいさんさん 2023/11/30 16:06:39
- 伊豆の旅に訪問ありがとうございます。
- 私も11月上旬に呉・広島・岩国と旅する予定でしたが家庭の事情で行けませんでした。
広島市では原爆ドームや平和記念公園などを含めた行程表を作成済でした。夜は広島焼きを食べる予定でしたがおじゃん。
原爆関連をゆっくり散策すると丸1日かかりそうですね、行程を見直して来年行こうと思います。
参考になりました。
- 杏仁豆腐さん からの返信 2023/12/02 11:23:20
- RE: 伊豆の旅に訪問ありがとうございます。
- コメント、有り難うございます。
平和記念公園をじっくりと見て回るだけでも、時間はたっぷり必要かと思います。
広島市内の他の場所も見たいものです。
厳島神社とその周辺でも1日では厳しいです。
外国人観光客がかなりいて、皆さん熱心に見て回っていました。
これからもよろしくお願いいたします。
杏仁豆腐
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