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2023/7/7・8<br />歳も重ねると誕生日のワクワク感なんてものは無きに等しくなる。<br />今月が誕生月だからか、それともかみさん一人スペインを楽しみ、その間留守番を務めたおやじへのご褒美だろうか、かみさんが灘の酒蔵を巡りながら有馬温泉の有馬六彩で一泊する計画を立ててくれた。<br /><br />今回はその時に訪れた神戸市灘区の若宮神社を掲載します。

神戸市灘区「若宮神社」

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2023/07/07 - 2023/07/07

276位(同エリア340件中)

旅行記グループ 一泊二日で灘五郷酒蔵巡り

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kimi shinさん

2023/7/7・8
歳も重ねると誕生日のワクワク感なんてものは無きに等しくなる。
今月が誕生月だからか、それともかみさん一人スペインを楽しみ、その間留守番を務めたおやじへのご褒美だろうか、かみさんが灘の酒蔵を巡りながら有馬温泉の有馬六彩で一泊する計画を立ててくれた。

今回はその時に訪れた神戸市灘区の若宮神社を掲載します。

旅行の満足度
2.5
観光
2.0
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 難波から阪神本線で魚崎駅に降り立つ。<br />ここから徒歩で灘五郷(西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷)を歩いて巡ったが、酒蔵は別の機会に纏めるとして、本題の若宮神社に話を戻します。

    難波から阪神本線で魚崎駅に降り立つ。
    ここから徒歩で灘五郷(西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷)を歩いて巡ったが、酒蔵は別の機会に纏めるとして、本題の若宮神社に話を戻します。

    魚崎駅

  • 若宮神社の所在地は神戸市灘区新在家南町3。<br />阪神高速3号線の南に位置し、福娘酒造の西隣にある交差点角に鎮座します。<br />社頭の前は、酒どころ灘五郷の西郷から今津郷に延びる散策路「西郷酒蔵の道」が伸びています。<br />写真は屋外タンクが立ち並ぶ福娘酒造と酒蔵の道。<br />1995年1月17日、多くの人命とインフラを一瞬で失った、阪神・淡路大震災。<br />そのはかり知れない被害から再生を遂げたこの街ですが、震災以前の街並みも随分と変わっている事だろう、それは昔ながらの酒蔵や地元の社寺も同様。<br />この二日間、当地の神社を訪れたが、震災の爪痕を各地で見かける事になります。

    若宮神社の所在地は神戸市灘区新在家南町3。
    阪神高速3号線の南に位置し、福娘酒造の西隣にある交差点角に鎮座します。
    社頭の前は、酒どころ灘五郷の西郷から今津郷に延びる散策路「西郷酒蔵の道」が伸びています。
    写真は屋外タンクが立ち並ぶ福娘酒造と酒蔵の道。
    1995年1月17日、多くの人命とインフラを一瞬で失った、阪神・淡路大震災。
    そのはかり知れない被害から再生を遂げたこの街ですが、震災以前の街並みも随分と変わっている事だろう、それは昔ながらの酒蔵や地元の社寺も同様。
    この二日間、当地の神社を訪れたが、震災の爪痕を各地で見かける事になります。

  • 若宮神社鎮座地全景。

    若宮神社鎮座地全景。

  • 社頭全景。<br />玉垣に囲まれた社地には白く輝く鳥居を構え、参道奥には真新しい社殿が建てられています。<br />右の白い建物は新在家の地車保管庫だろうか。<br />

    社頭全景。
    玉垣に囲まれた社地には白く輝く鳥居を構え、参道奥には真新しい社殿が建てられています。
    右の白い建物は新在家の地車保管庫だろうか。

    沢の鶴資料館 美術館・博物館

  • 社頭全景。<br />玉垣に囲まれた社地には白く輝く鳥居を構え、参道奥には真新しい社殿が建てられています。<br />右の白い建物は新在家の地車保管庫だろうか。<br /><br />震災により倒壊し、平成16年(2004)に再建された鳥居と扁額。<br /><br />まずは若宮神社について何もわからない、兵庫県神社庁のサイトで以下の解説が記されていた。<br />「当社は、江戸時代前期の延宝6年(1678)の御創建である。<br />当社所蔵の『若宮八幡宮縁起』に「摂州兎原郡新在家村は、丹州の吏史松平前若州源朝臣の領地なり。<br />延宝6年(1678)9月この村の南に光あり。<br />里人あやしみて村の小吏花木正時に告ぐ。<br />正時これを数日うかがう。<br />9月15日、一つの小筺波に漂いて海浜に流れくるを、正時家に持ち帰りて開き見れば、八幡宮と秋葉権現の御真影なり。<br />信心深き正時、いかにして勝地をえて安置せんと思う。<br />ある夜、郡の佐北村英政来たりて正時の家に宿しぬ。<br />英政その御真影を持し丹州に帰りて、この由を領主松平前若州に告ぐ。<br />若州日く『八幡宮はわが尊敬する霊神なり。<br />今二神、領地にとどまること誠に良縁なり』とて、村の東南の海浜に浄地を選び神殿を造営して二神を安置し、神田十五畝を付して、正時を神主として天下の平安を祈らしむ」と記されている。<br /><br />当初「若宮八幡宮」であったが、戦後「若宮神社」に改称した。<br />昭和58年(1983)に、江戸時代末建立の本拝殿を大修理したが、阪神淡路大震災にて倒壊滅失。<br />平成12年(2000)10月に再建竣工。」<br /><br />とある、おやじ地元の神社庁に比べ、良く把握され知らない者から見ればとてもありがたい。<br />花木正時について少し調べて見るも、人物像は分からなかったが、彼が持ち帰えらなければ、今の若宮神社も存在しなかったかも知れない。

    社頭全景。
    玉垣に囲まれた社地には白く輝く鳥居を構え、参道奥には真新しい社殿が建てられています。
    右の白い建物は新在家の地車保管庫だろうか。

    震災により倒壊し、平成16年(2004)に再建された鳥居と扁額。

    まずは若宮神社について何もわからない、兵庫県神社庁のサイトで以下の解説が記されていた。
    「当社は、江戸時代前期の延宝6年(1678)の御創建である。
    当社所蔵の『若宮八幡宮縁起』に「摂州兎原郡新在家村は、丹州の吏史松平前若州源朝臣の領地なり。
    延宝6年(1678)9月この村の南に光あり。
    里人あやしみて村の小吏花木正時に告ぐ。
    正時これを数日うかがう。
    9月15日、一つの小筺波に漂いて海浜に流れくるを、正時家に持ち帰りて開き見れば、八幡宮と秋葉権現の御真影なり。
    信心深き正時、いかにして勝地をえて安置せんと思う。
    ある夜、郡の佐北村英政来たりて正時の家に宿しぬ。
    英政その御真影を持し丹州に帰りて、この由を領主松平前若州に告ぐ。
    若州日く『八幡宮はわが尊敬する霊神なり。
    今二神、領地にとどまること誠に良縁なり』とて、村の東南の海浜に浄地を選び神殿を造営して二神を安置し、神田十五畝を付して、正時を神主として天下の平安を祈らしむ」と記されている。

    当初「若宮八幡宮」であったが、戦後「若宮神社」に改称した。
    昭和58年(1983)に、江戸時代末建立の本拝殿を大修理したが、阪神淡路大震災にて倒壊滅失。
    平成12年(2000)10月に再建竣工。」

    とある、おやじ地元の神社庁に比べ、良く把握され知らない者から見ればとてもありがたい。
    花木正時について少し調べて見るも、人物像は分からなかったが、彼が持ち帰えらなければ、今の若宮神社も存在しなかったかも知れない。

  • 写真左の社標は昭和34年(1959)のもの。<br />右の石碑は昭和13年(1938)に発生した阪神大水害を伝える碑。<br />碑文は読み取れないが阪神大水害は昭和13年(1938)7月3日から5日にかけ降り続いた豪雨に伴い、神戸市を中心に死者・行方不明者695名、被害家屋数は約12万戸に及ぶ大きな被害をもたらした大災害で、六甲山から流れ出た500万?ともされる土砂は神戸市全域を埋め尽くし、ここ新在家に於ても、西を流れる都賀川流域を中心に一階部分が土砂で埋まる等の被害に見舞われたと云いいます。<br />ともすれば記憶は薄れ、そうした立地にある事を忘れてしまいがちですが、この碑はその事実を将来にわたり語り継ぐためのもの。

    写真左の社標は昭和34年(1959)のもの。
    右の石碑は昭和13年(1938)に発生した阪神大水害を伝える碑。
    碑文は読み取れないが阪神大水害は昭和13年(1938)7月3日から5日にかけ降り続いた豪雨に伴い、神戸市を中心に死者・行方不明者695名、被害家屋数は約12万戸に及ぶ大きな被害をもたらした大災害で、六甲山から流れ出た500万?ともされる土砂は神戸市全域を埋め尽くし、ここ新在家に於ても、西を流れる都賀川流域を中心に一階部分が土砂で埋まる等の被害に見舞われたと云いいます。
    ともすれば記憶は薄れ、そうした立地にある事を忘れてしまいがちですが、この碑はその事実を将来にわたり語り継ぐためのもの。

  • 境内の常夜灯。<br />左は寛政3年(1791)、右は明治41年(1908)に寄進されたもので、阪神・淡路大震災により被災し、新たに火袋が作られ復旧された痕跡が残る。

    境内の常夜灯。
    左は寛政3年(1791)、右は明治41年(1908)に寄進されたもので、阪神・淡路大震災により被災し、新たに火袋が作られ復旧された痕跡が残る。

  • 鳥居から二段になった境内を見渡す。<br />左が社務所で、右に手水舎、中央が拝殿、拝殿両脇には境内社が祀られている。<br />これらは阪神・淡路大震災で倒壊、その後の2000年に復興されました。

    鳥居から二段になった境内を見渡す。
    左が社務所で、右に手水舎、中央が拝殿、拝殿両脇には境内社が祀られている。
    これらは阪神・淡路大震災で倒壊、その後の2000年に復興されました。

  • 拝殿は銅葺屋根の入母屋造で、右の朱の鳥居は玉水稲荷社に続く。

    拝殿は銅葺屋根の入母屋造で、右の朱の鳥居は玉水稲荷社に続く。

  • 社殿が建つ境内右に手水舎と、数えきれないほどの奉納者の名が刻まれた二枚の岩が奉納されています。<br />若宮神社は実に多くの企業や個人により支えられ、その中には名の知れた酒造メーカーの名も見られる。<br />灘地方の酒造の歴史は古く、室町時代には既に酒造りが行われていたようで、勃興期とされる1655年~1736年にはこの地方で多くの酒造家が創業され、それらは今も身近で目にするブランドとして受け継がれてきています。

    社殿が建つ境内右に手水舎と、数えきれないほどの奉納者の名が刻まれた二枚の岩が奉納されています。
    若宮神社は実に多くの企業や個人により支えられ、その中には名の知れた酒造メーカーの名も見られる。
    灘地方の酒造の歴史は古く、室町時代には既に酒造りが行われていたようで、勃興期とされる1655年~1736年にはこの地方で多くの酒造家が創業され、それらは今も身近で目にするブランドとして受け継がれてきています。

  • 社殿右から拝殿と玉水稲荷社に続く参道の眺め。

    社殿右から拝殿と玉水稲荷社に続く参道の眺め。

  • 拝殿前で守護する狛犬は、震災により倒壊し2001年に奉納されたもの。<br />三尾で凛々しい姿をした狛犬と台座の石の色を見ると少し色合いが違って見えます。

    拝殿前で守護する狛犬は、震災により倒壊し2001年に奉納されたもの。
    三尾で凛々しい姿をした狛犬と台座の石の色を見ると少し色合いが違って見えます。

  • 軒唐破風の鬼には金色の橘紋と巴紋?が輝いています。

    軒唐破風の鬼には金色の橘紋と巴紋?が輝いています。

  • 拝殿額は改称前の「若宮八幡宮」

    拝殿額は改称前の「若宮八幡宮」

  • 拝殿から幣殿本殿の眺め。<br />両脇を守護する狛犬は木造だろうか、拡大すると眼を輝かせた見事な鬣を持つ狛犬の姿がある。

    拝殿から幣殿本殿の眺め。
    両脇を守護する狛犬は木造だろうか、拡大すると眼を輝かせた見事な鬣を持つ狛犬の姿がある。

  • 正一位玉水稲荷神社。<br />参道脇には元文、慶應元年寄進と刻まれた燈籠が並ぶ。

    正一位玉水稲荷神社。
    参道脇には元文、慶應元年寄進と刻まれた燈籠が並ぶ。

  • 日陰の少ない境内にあって、大きな樹が作る木陰と、拝所から本殿まで続く屋根の日陰が炎天下の参拝時にはありがたい。<br />雨の予想もあり、折り畳み傘を忍ばせて来たが、まさかここまで暑くなるとは。

    日陰の少ない境内にあって、大きな樹が作る木陰と、拝所から本殿まで続く屋根の日陰が炎天下の参拝時にはありがたい。
    雨の予想もあり、折り畳み傘を忍ばせて来たが、まさかここまで暑くなるとは。

  • 玉水稲荷神社全景。<br />社殿は切妻造妻入りで妻の正面に唐破風向拝が付くもので、御祭神は衣食住、商売繁盛の神、倉稲魂神をお祀りする。

    玉水稲荷神社全景。
    社殿は切妻造妻入りで妻の正面に唐破風向拝が付くもので、御祭神は衣食住、商売繁盛の神、倉稲魂神をお祀りする。

  • 本殿後方のこの場所には、玉水稲荷社の他に2社の境内社が鎮座しています。

    本殿後方のこの場所には、玉水稲荷社の他に2社の境内社が鎮座しています。

  • 中央の社殿は鰹木が4本、千木は外削ぎの流造、社名や祭神など詳細は分からなかった。

    中央の社殿は鰹木が4本、千木は外削ぎの流造、社名や祭神など詳細は分からなかった。

  • 本殿左側に鎮座するのは松尾社。<br />「醸造の神」の大山咋神をお祀りする。

    本殿左側に鎮座するのは松尾社。
    「醸造の神」の大山咋神をお祀りする。

  • 震災後復興された本殿の眺め、千木は外削ぎですが、本殿の造りや鰹木の数までは確認できなかった。

    震災後復興された本殿の眺め、千木は外削ぎですが、本殿の造りや鰹木の数までは確認できなかった。

  • 拝殿左から松尾社と社殿の眺め。<br />左に多くの寄進者の名が刻まれた「震災復興完成記念碑」があります。<br />震災により倒壊滅失した若宮神社は多くの氏子や寄進者に支えられ復興を遂げるとともに、この地で起きた災害の記憶を伝える語り部的存在でもある。<br /><br />若宮神社<br />創建 / 延宝6年(1678)<br />主祭神 / 応神天皇<br />配祀神 / 迦具突智神、天照大神<br />境内社 / 玉水稲荷神社、不明社松尾社<br />例祭日 / 5月15日<br />所在地 / 兵庫県神戸市灘区新在家南町3-2-25<br />公共交通機関アクセス / 阪神電鉄「大石駅」から?南東へ700m、徒歩10分程<br />参拝日 / 2023/07/07

    拝殿左から松尾社と社殿の眺め。
    左に多くの寄進者の名が刻まれた「震災復興完成記念碑」があります。
    震災により倒壊滅失した若宮神社は多くの氏子や寄進者に支えられ復興を遂げるとともに、この地で起きた災害の記憶を伝える語り部的存在でもある。

    若宮神社
    創建 / 延宝6年(1678)
    主祭神 / 応神天皇
    配祀神 / 迦具突智神、天照大神
    境内社 / 玉水稲荷神社、不明社松尾社
    例祭日 / 5月15日
    所在地 / 兵庫県神戸市灘区新在家南町3-2-25
    公共交通機関アクセス / 阪神電鉄「大石駅」から?南東へ700m、徒歩10分程
    参拝日 / 2023/07/07

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