2023/07/08 - 2023/07/08
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kimi shinさん
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有馬温泉の宿泊先「有馬六彩」で一夜を過ごし、翌朝は再び灘の酒蔵巡りに向かいます。
駅へ続くたんさん坂、有馬温泉街の炭酸源公園や温泉寺など幾つかのスポットを訪れながら下っていきます。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 2.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
有馬六彩の裏口から敷地内に入って右側に足湯があり、その脇に有馬稲荷神社の解説と杉ヶ谷行宮跡の碑があります。
-
杉ヶ谷行宮跡。
有馬稲荷神社の始まりの地は、現在は遺構もなく石碑が残るだけで、奥は有馬六彩の庭園となっています。
たんさん坂を隔てた向かいに赤い鳥居が見えますが、三ツ森 炭酸泉店の私設神社と思われる「湯山稲荷大明神」になります。 -
炭酸泉源広場入口。
有馬六彩の裏口のほゞ正面にあり、訪れた当日は二段になった敷地に紫陽花が見られました。 -
入口から公園に入ると左側に泉質の影響を受けた鉄錆色の噴泉地があります。
ここについては自噴なのか機械仕掛けなのか定かではないが、写真の様に結構な勢いで噴き出していました。 -
炭酸泉源建屋全景。
入口から一段上がったところに建てられており、自然からの恵みをもたらす源に相応しい覆屋がたてられています。 -
建屋内の泉源。
ここも酸化鉄の色に染まっています。 -
立山左の炭酸泉源と石碑。
炭酸煎餅を産んだ源泉で、昔は温泉に砂糖を溶かしサイダーとして飲まれていた。
飲適なんだろう、手前の蛇口をひねれば炭酸泉を飲むこともできます。
味わってみたが、今ほど舌が肥えていない時代にはサイダーとして珍重されただろう。
……僅かに鉄分と炭酸を感じる生温いもので、今どきの子供はこれでは喜ばないだろう。 -
公園南側にある炭酸泉源の解説。
古くは毒水と呼ばれ近づく者すらいなかった云う、梶木源次郎がその湯の成分分析を受け毒水から炭酸泉として認知される様になったのが明治6年の事だという。 -
解説の脇に梶木源次郎の功績を称えた石碑が建てられている。
炭酸泉源公園
所在地 / 神戸市北区有馬町字杉ヶ谷1325-1 -
三ツ森 炭酸泉店。
炭酸泉源公園の向かいにある元祖炭酸せんべいの老舗。
炭酸煎餅の始まりは創業者三津繁松氏が明治末期に製造、販売したのが始まりで、これを機に有馬の町に炭酸煎餅が広まっていった。
店内では製造現場の見学や試食も出来ます。
菓子に目のないかみさんは、早速店内に吸い込まれていきました。 -
湯山稲荷大明神。
店舗の入口に祀られているもので、調べて見るが情報は出てこなかった。
敷地内という事で三ツ森の私設神社だと思われます。 -
狐の姿は見られないが、炭酸泉を育む自然に対する畏敬の念と商売繁盛を祈願して祀られたものだろう。
人工甘味料や着香料、着色料にどっぷり浸かってきたものから見ると、炭酸煎餅は自然素材のみで作られた昔懐かしい素朴な味わいの有馬名物です。
三ツ森 炭酸泉店
所在地 / 神戸市北区有馬町872-1 -
炭酸泉源公園を後に有馬温泉駅方向に下る事5分程、道沿いに鎮座する温泉寺に立ち寄った。
道から温泉寺境内の薬師堂前に直接入れますが少し下って「湯泉神社、薬師寺参詣道」から向かう事にした。
参詣道。
多くの参詣者が踏みしめたであろう緩やかな石段を境内に向けて上る。
正面の屋根は薬師堂(本堂)で、左手に見えているのが鐘楼。 -
鐘楼。
現在の鐘楼は1995年1月7日に発生した阪神淡路大震災で被災、2009年に修復された、二層の入母屋瓦葺で袴腰が付くのもので、上層の廻り縁の欄干には擬宝珠も付けられているようです。
年代はともかく、二層の鐘楼に袴腰が付くとなんと優雅な事。
この意匠の目的が単に見た目の優雅さだけなのか、実用的な雪囲い的な役割なのか、それとも櫓の機能を求めたものか、これまで考えた事もなかったが、何れにせよ建立年代に拘わらず視線を引く存在です。 -
境内から薬師堂(本堂)の眺め。
石段の先の薬師堂は入母屋瓦葺で裳階が付くもの。
温泉寺は神亀元年(724)、薬師如来より衰退する有馬温泉を復興するようお告げを受けた行基により、有馬温泉郷の愛宕山中腹に薬師如来を本尊として開かれたとされ、有馬温泉郷にでは最古の歴史を持つとされます。 -
石段左脇にはこの堂には大小三体の石像が安置されており、石段右側には湯泉神社の社頭があります。
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薬師堂全景。
薬師堂正面左右に二つの塔が立てられ、堂内には本尊の薬師如来座像が安置されています。
現在の薬師堂もまた阪神淡路大震災で被災し2003年に再建されたもの。 -
薬師堂の額は「温泉寺」、手振れで揮毫までは読み取れなかった。
-
境内の解説は以下。
「本尊は薬師如来。
奈良時代、温泉で人々を病から救おうと行基上人が724年に建立。
当寺には行基上人、有馬温泉中興の祖・任西上人の像が祀られている。
1月2日の入初式には温泉の初湯で沐浴される。
本堂の波夷羅大将立像は国の重要文化財に指定」
伽藍は鐘楼、薬師堂、庫裡、御祖師庵が主な伽藍で、往時には薬師堂の他に阿弥陀堂など存在したようで、天正18年(1590)、秀吉は温泉寺阿弥陀堂で茶会を催したようです。
明治の廃仏毀釈で薬師堂以外の堂宇は破却され、真言宗温泉寺は一旦は廃寺の道を歩みかけたようですが、奥の院であった黄檗宗清涼院が寺籍を継いで現代に至っている。 -
堂前の二つの石造五輪塔。
写真奥が慈心坊尊恵五輪塔、手前が平相國清盛塔。
鎌倉時代末期のものとされ、何れも神戸市有形文化財に指定されている。 -
五輪塔解説。
何れも有馬温泉に滞在した平清盛が建立したと記したものがあるとされるが、清盛没後100年に清盛供養のために建てられたと考察するのが主流のようです。 -
薬師堂入口の寺号標は「黄檗宗 温泉禅寺」
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大きな鰐口には名が刻まれていますが天下泰平までは読み取れましたが、年号はさっぱりわからなかった。
温泉寺は事前予約すれば精進料理「普茶料理」や本尊の前で座禅を組むこともできます。
堂内は本尊の薬師如来坐像の他、脇侍に日光菩薩、月光菩薩を従えるものです。 -
薬師堂右側の御祖師庵では歴史資料が展示され温泉寺の歴史を知る事が出来ます。
仁西により中興された寺は、12の僧坊が建てられるなどした。
天正4年(1576)火災で焼失するが秀吉により堂宇が改修され、その後の天正18年(1590)再び火災により焼失、北政所により薬師堂が再建されています。
江戸時代にも焼失し、天明元年(1781)に現在の薬師堂が再建されたようです。
温泉寺所蔵の寺宝は平安から室町時代の像や厨子などで、火難を免れて文化財に指定され受け継がれています。
秀吉と所縁のある温泉寺、その裏にある浄土宗極楽寺には、阪神淡路大震災で崩落した庫裏の再建工事中、秀吉が作らせたとされる湯殿の遺構が発見されるなど、秀吉は有馬温泉がお気に入りだったようです。 -
灘五郷の酒蔵を目指し有馬温泉口に向かっていたのだが…
有馬温泉最後に湯泉神社も参拝してから電車に乗ろう。
温泉禅寺
創建 / 神亀元年(724)・伝
開山 / 行基・伝
中興 / 仁西上人
山号 / 有馬山
宗派 / 黄檗宗
本尊 / 薬師如来
所在地 / 神戸市北区有馬町1643
参拝日 / 2023/07/08
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