2023/06/26 - 2023/07/13
67位(同エリア247件中)
youさん
2023年6月現在、イランには全部で24箇所の世界遺産があります。今回はそのうちの18箇所の世界遺産を、18日間ツアーにて巡ってきました。
この旅行記は、今回巡った18箇所の世界遺産を順番に紹介します。
表紙の写真は、バムの城塞都市の全容です。バムは今からおよそ2000年前、ササン朝ペルシアの時代に城塞都市として築かれました。
2003年に起きた地震で破壊されましたが、その後20年の間に復興が進んでその全体を見ることができるようになりました。ここは今回のツアーで一番感動した世界遺産の一つです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
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東西イラン周遊のルートMAPです(T旅行社のパンフレットからの抜粋)。
テヘランin/outで、半時計方向に大型バスにより18日間かけて巡ります。 -
6月27日 テヘランの市内観光。2013年に世界遺産に登録された■①ゴレスタン宮殿に行きます。テヘラン最古の建造物のひとつで、ガージャール朝時代(18世紀末から20世紀初)に築かれており、王家の住居兼ガージャール朝の政庁として使用れていました。
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中の部屋はこんな感じでキンキラキン、当時の権力と美術感覚を垣間見ることができます。
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イチオシ
6月28日 テヘランから北上してカスピ海の港町バンダル・アンザリーに向かいます。途中山の斜面に段々に造られたマスレー村に寄ります。
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山の斜面に沿って階段状に家並みが続くマスレー村の風景。
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6月29日の朝 カスピ海の港町バンダル・アンザリーのホテルから見るカスピ海からのサンライズです。
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エルブルス山脈を南から北に向かって超え、アルダビールに向かっています。
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アルダビールにある2010年に世界遺産に登録された■②シェイフ・サフィ・ウッディーン廟に来ました。
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シャイフ・サフィー・アッディーン廟が建設されたのは1334年のこと。
この廟は、図書館、モスク、学校、貯水池、病院、厨房、パン工場、オフィス等の複合施設で構成されています。 -
陶器の館と呼ばれている博物館で、ドーム天井に沿って多数の窪みには中国などから贈られた陶磁器が展示されていました。
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隣国アゼルバイジャンの国境に近い街タブリーズに来ました。人口は約140万人でイラン第4位の都市です。
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2010年に世界遺産に登録された■③タブリーズの大バザール施設に来ました。
タブリーズは、古くから交易の交差路で、この大バザール施設は、中東最古のバザールであると同時に、世界中で最も長い商業施設とのこと。
施設の一部は、2019年5月に起きた火災によりシャッター街みたいな場所も見られました。 -
6月30日 タブリーズの市内観光やいくつかのモスクを見学した後、午後に奇岩が林立するキャンドバン村を訪れます。
岩山をくり抜いて造られた洞窟住居に今も人々が生活しています。 -
7月1日 枯れ葉状態となった草原地帯を南下しています。
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パルティア時代(紀元前3世紀半ば以降)からサーサーン朝時代にかけて築かれた都市遺跡で、2003年に世界遺産に登録された■④タフテ・ソレイマンに来ました。
太古の時代の火山活動によりできた小高い山の上に城壁が見えています。 -
山の斜面を登って標高2200mの山頂に辿り着きました。
なんと山頂には、ご覧のような青々とした水をたたえた湖があります。 -
現地説明版によれば、この湖は、大きさが80m×120m、深さ約112m、大量の石灰と硫黄を含む温度21度の温泉湖とのこと。また、この遺跡名 タフテ・ソレイマーンは、「ソロモン王の玉座」という意味で、古代イスラエル王ソロモンが、この湖に怪物を閉じ込めたという伝説に基づいているそうです。
なるほど、古い歴史があり、神秘的で不思議な遺跡のようでワクワクしてきます。 -
遺跡のレイアウト説明版。
遺跡は、ブルーで描かれている湖を中心にした城壁で囲まれており、主にササン朝時代に建造されたゾロアスター教の神殿や寺院などがあり、温泉湖の温水を取り込んだハマムなどの跡も残っています。
この場所は、3~7世紀に栄えたササン朝ペルシャの国教であるゾロアスター教の聖地でした。 -
イチオシ
ゾロアスター教の聖地から見た下界の絶景です。
見えている形の良い山もかっての火山で出来上がったのでしょう。 -
遺跡跡を歩きます。
神殿の柱群などが見えています。 -
宮殿だった建物、日干し煉瓦を積み上げて造られており、現在は倒壊しないように補強されているようです。
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7月2日 この日は、世界で最も古い都市の一つとされているハマダンに滞在します。 カンガバールの水の女神アナーヒター神殿のある遺跡に行きます。こちらは神殿への登り階段。
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イラン西部ケルマーンシャー近郊に位置し、碑文を含む磨崖が2006年に世界遺産に登録された■⑤ベヒストゥーン碑文(ペルセポリス碑文)のある「王の道」に来ました。
地上からかなり高い位置に碑文やレリーフがあります。がそれらは足場の陰になっていてよく分かりません。足場は見学用ではなく工事用とのことでそこにも上れないのです。 -
こちらはレリーフなどを刻んだ現地の説明版。
アケメネス朝の王ダレイオス1世(在位:紀元前522年-紀元前486年)が、自らの即位の経緯とその正統性を主張する文章とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑です。
レリーフは、ダレイオス1世が反乱軍の王ガウマタを踏みつけています。さらにその右に命乞いをする9名の首が縛られた反乱軍指導者が並んでいます。 -
「王の道」をさらに奥に進むと断崖にターク・イ・ブスタン (Taqi-Bustan) と呼ばれているサーサーン朝ペルシャ時代に彫られたレリーフが見られます。
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こちらも。
岩山にくり抜いた洞窟内にレリーフが彫られています。 -
イラン高原~を移動します。
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ハマダーン市内に戻り、イラン最古の都市とされるエクバタナに来ました。
屋根で覆われた丘上の城塞都市の遺構です。紀元前1千年ころには繁栄していたようです。 -
こちらも。
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こちらも。
ご覧の丘陵地に、古代城塞都市の遺構が広がっており、現在も発掘が続けられているようです。 -
ハマダーン近郊のアルヴァンド山の岩肌に刻まれた磨崖碑ギャンジ・ナーメに来ました。この碑文は、アケメネス朝時代に刻まれたもので、ゾロアスター教の最高神であるアフラマズダやダレイオス1世らを称える文言が刻まれています。
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碑文のある岩山の脇をさらに登ると滝がありました。市民の皆さんが涼みに来られていました。
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今宵のハマダーンでの夕食は市内のレストランにて、民族音楽を聴きながらバジルケバブなどを頂きました。このレストランに来られているイラン女性は、全員スカーフをしています。現在のイランは、欧米からの経済制裁を受けていますが、市民の暮らしは、一見大きく変わっていないように見受けられます。ただ政府の役人は、欧米化を防ぐために服装などを厳しく取り締まりしているようです。
因みに、2023年7月現在、イラン国内ではラインなどSNSは、すべてブロックされて使えません。メールは使えました。 -
7月3日 ハマダーン州からロレスタン州→フーゼスタン州へと、ザグロス山脈を越えて移動します。
途中、ヌシジャンでエラム時代の城塞に立ち寄ります。 -
小高い丘上に、見張りの塔や食料倉庫などが残っています。
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こちらも。
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イチオシ
途中ザグロス山中に位置するホラマバードの町中でランチをとります。
こちらは、レストランのあるビルの屋上からホラマバードの街並みを眺めます。
幻のような風光明媚な場所です。。。。 -
こちらも。
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町の中心部に、ファラコルアフラークと呼ばれるセルジューク時代の城塞が建っています。
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7月4日 イラクとの国境から100Kmほどのデズフールに宿泊。
2009年に世界遺産に登録された■⑥シューシュタルの水利施設に来ました。
サーサーン朝ペルシア時代の3世紀に完成され、現在もなお利用されている巨大な水利施設です。 -
貯水池から水路を経て供給される水の力を利用して水車を回して粉を挽く施設が並んでいます。
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シューシュタルの町の周辺にも、ザグロス山脈から流れ出た水が流れる水路や運河が築かれています。
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1979年イランで初めて世界遺産に登録された■⑦メソポタミアの聖なる都市 チョガ・ザンビールに来ました。
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現地にあったチョガ・ザンビールのレイアウト説明版。
チョガ・ザンビールは、3重の城壁に囲まれた城塞都市でした。
紀元前13世紀の中頃、エラム王国の国王ウンタシュ・ガルの命令により都市の建設が開始され、エラム語で「ウンタシュ王の城塞」と呼ばれていました。
エラム王国は、現在のイラン南西部を中心として、紀元前2700年頃には成立したと言われ、メソポタミアのバビロニアやアッシリアなどと長年争いながらも2000年以上も存続した王国です。 -
イチオシ
チョガ・ザンビールの中心に建つジグラット(階段状のピラミッド)です。
日干し煉瓦を綺麗に積み上げて造られており、4隅が東西南北を指しています。一辺105m、高さ約25m、建設当初の高さは、現在の2倍を超えており、最上部には神殿がありました。3000年以上前に建築されたとは到底信じられません。これは凄~い。。。 -
こちらも。
7月の炎天下、汗をかきながらジグラットの周囲を一周します。 -
ジグラットは、宗教的中心地として建造されたもののようで、上層部に登るための階段が造られています。またその手前には、日時計として機能するらしい円筒状の台座も備えられています。
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こちらは階段とその先にジグラットの中に入るアーチ状入口が造られています。階段手前には、四角形状の石組が見られますが、何だったのでしょうか。
ピーテル・ブリューゲルらが、「バベルの塔」と題する絵画を描いていますが、このジグラットを見上げていると、この地域にはあのような塔も本当にあったのではないか・・・と思ってしまいます。 -
こちらはジグラット周辺に見られる都市遺跡跡で、寺院や貯蔵庫、住居、貯水池など多くの施設が残っています。
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スーサの町中でランチの後、旧約聖書の預言者、ダニエルを祀るダニエル廟を訪れます。
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こつらがダニエルの棺です。
ここではイラクから訪れていたご家族に出会いました。 -
2015年に世界遺産に登録された■⑧スーサの遺跡に来ました。
坂を上った丘上の広い平坦地に遺跡が広がっています。
アケメネス朝ペルシャ王国の冬の都が置かれたところで、紀元前45世紀ごろからの都市遺構が何層にもわたって残されています。 -
こちらも。
7月のイランは連日晴天続きで、炎天下での遺跡巡りは熱中症にならないように注意です。 -
7月5日 宿泊したアフワズからシラーズに向かっています。
車窓から油田地帯が眺められます。この地域はサルベスタン鉱区、山崎豊子の小説「不毛地帯」の舞台となったところ、テレビ・ドラマを思い出します。。。 -
川沿いに歩いた崖に見られるガゼルーンの浮彫です。サーサーン朝ペルシア帝国の皇帝シャプール1世や兵隊ら100人以上が彫られています。
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2018年に世界遺産に登録された■⑨サーサーン朝ペルシア時代(3世紀~)の都市遺跡、ビシャプールに来ました。
往時には推定 5万~8万の人口を擁していた大規模都市であったようですが、崩れかけた石垣や城壁などが広がっています。 -
7月6日 シラーズに2泊します。
シラーズの市内観光で、ステンドグラスから漏れるピンク色が美しいナシル・アルモルク・モスクに来ました。 -
こちらも。
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ペルセポリスの近郊にあるアケメネス朝4代の王墓ナクシュ・ロスタムに立ち寄ります。
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2004年に世界遺産に登録された■⑩パサルガダエのキュロス大王の墓に来ました。
パサルガダエは、ペルシャ帝国の最初の首都であり、紀元前546年にキュロス2世の手によって建設が開始されました。 -
パサルガダエは広大な敷地に広がっていますので、シャトルバスに乗っての見学となります。
こちらは小高い丘上に建つ要塞です。 -
サーサーン朝ペルシア時代の浮彫が残るナクシュ・ラジャブに立ち寄ります。
こちらはシャープール1世の王権叙任の場面です。 -
1979年に世界遺産に登録された■⑪ペルセポリスに来ました。
参道から見るペルセポリスの全景です。背後に山が迫っており、その裾野に自然の岩盤を利用して建設されています。 -
謁見の間である「アパダーナ」基壇のレリーフ。各地から王に謁見するために訪れた朝貢団が描かれています。
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柱が林立する広大な宮殿遺跡が広がっています。
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裏山の斜面に築かれた「アルタクセルクセス2世の墓」まで登ります。
彼はアケメネス朝ペルシア帝国で一番長い在位を誇る王で、統治は46年に及びました。 -
こちらは、墓のテラスから見るペルセポリス遺跡全体の風景です。
紀元前331年、アレキサンダー大王の攻撃によって破壊され,廃墟となってしまいましたが、権力者は昔も今も巨大な建造物を造りたがるのですねぇ~。 -
7月7日 シラーズ市内にあり、2011年に世界遺産に登録された■⑫エラム庭園に来ました。
このペルシャ式の庭園は、乾燥地帯であるイランの厳しい自然環境に適合し発展させてきたペルシャ人のセンスを垣間見ることができます。
この後、次の宿泊地ケルマンまで、565Km移動します。 -
イチオシ
7月8日 ケルマンに連泊します。
午前中 ラーインの城塞都市に立ち寄ります。ここは午後に訪れるバムほど広大ではありませんが、保存状態の良い城塞都市遺跡です。 -
こちらも。
サーサーン朝時代に日干し煉瓦などにより造られ、城壁内に一般市民の居住区と貴族階級の居住区、他に市場や家畜小屋、礼拝所などがあります。 -
2004年に世界遺産に登録された■⑬バムの城塞都市に来ました。
なお、2003年に起きた地震により、2004年~2013年は危機遺産として登録されていました。 -
城壁に囲まれた中に、モスク、バザール、宗教的広場、キャラバン宿、学校、浴場などがあります。
一番高い位置に、日干し煉瓦を積み上げて造られた監視タワーや王宮などがあり、その裾に各種の施設が広がる土の文化都市です。 -
イチオシ
一番高い監視塔のテラスから見るバム遺跡の全容です。
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こちらも。
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イチオシ
こちらも。
息を飲むような凄~い光景に言葉がありません。。。。。来た甲斐がある絶景に感動。。。 -
こちらは修復中の現場です。
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7月9日 2015年に世界遺産に登録された■⑭穴居住居で暮らしているメイマンド村に来ました。
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メイマンド村は、伝統的な移牧を含む農牧業が営まれており、村人は四季により渓谷内の3ヶ所または4ヶ所の間を移動しますが、定住地は谷の下流にある柔らかい岩(Kamar)をくり抜いて造った洞窟住居となります。
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こちらはその洞窟住居の中。昔と変わらない生活をしています。
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7月10日 2017年に世界遺産に登録された■⑮ヤズドの歴史都市に来ました。
こちらは、それに関連するサーサーン朝時代に国教であったゾロアスター教の沈黙の塔です。かってあの山の山頂では鳥葬が行われていました。 -
ヤズドはゾロアスター教文化の中心都市。こちらは市内にある「ゾロアスター教拝火神殿」です。
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拝火神殿の中。ガラスで仕切られた奥に赤々とした火が燃えています。歴史ある宗教の神様に世界平和など願って合掌。。。します。
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2016年に世界遺産に登録された■⑯カナートに立ち寄ります。こちらはヤズド近郊にあるカナートですが、イラン国内の砂漠地帯やオアシス都市近郊で見ることができます。
このシステムは、カナートと呼ばれる地下水路を造り、そこに地下から汲み上げた水をオアシス都市に供給する施設です。 -
7月10日 ヤズドから連泊するイスファハンに移動します。
2012年に世界遺産に登録された■⑰イスファハンの金曜モスクに来ました。
771年に建築されたイスファハンで最も古いモスクで、絶え間無く建築活動が行われた結果、建物のどの部分がどの時代に建てられたのか特定が困難な複雑な歴史を持っています。 -
1979年に世界遺産に登録された■⑱イスファハンのイマームむ広場へ来ました。
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この広場は南北512m、東西159mという広大な長方形で、周囲を整然たる2層のアーケードで取り囲み、四辺にモスクやバザールの門、王宮の門、アリ・カプ宮殿などが位置しています。
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モスクの天井装飾。クジャクが羽を広げている情景が見えてき~ます。
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イチオシ
宮殿のテラスから眺めるイマーム広場。広すぎて全部を収めることはできません。
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7月11日 夜 ライトアップされたイスファハンの33アーチ橋など歩きます。
17年前に訪れた時に比べて川の水量が少なく、橋桁下にあったチャイハネのお店も無くなっていて、少し寂しくなっている感じでした。 -
7月12日 赤レンガの住居が並ぶアブヤーネ村を訪れます。この村では、赤やピンクのパラ模様のスカーフを身に纏った女性に出会いました。
その後、カシャーンの市内観光などをして、テヘラン空港に向かいました。
17年ぶりに訪れたイラン、忙しく世界遺産を巡りましたが、ペルシャ帝国の長い歴史は変わることなく、至る所で素晴らしい遺跡に触れることができました。
最近になって、中東でも争いが勃発し、イランはハマスを支援するなど怪しい雰囲気になってきました。長い歴史を持つこの国はこれからどこに向かうのでしょうか。
ともあれ、争いにより尊い生命が失われたり、世界遺産などを含む貴重な遺跡が消失されることないように願わずにはいられません。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 唐辛子婆さん 2024/02/06 22:44:58
- ペルシャの文化
- youさん
イランの旅に出られたのをとても羨ましく思います。
パキスタンに滞在していた時にであったペルシアの絵がとても興味深かったので中東文化の深さや複雑さを現地で実感したいものだと思いつつも、政治の複雑さと恐ろしさに訪問できないまま・・・。
お友達にイランで生まれ育ったアルメニア女性がいましたので、特に興味深く感じています。
「パーレビの時代はよかったけれどもその後の変化で黒いものを女性全員がかぶらなくちゃならなくなってアルメニア正教の私たちは祖国に帰ったりアメリカに渡ったりした。」
彼女はドイツ人と結婚したので、自由な世界に居られますが。
イラン各地をみせてくだすってありがとうございました!
唐辛子婆
- youさん からの返信 2024/02/07 23:17:32
- Re: ペルシャの文化
- 唐辛子婆さん こんばんは。
コメント有難うございます。
イラン。。。確かに政治の複雑さはありますが、旅人として訪れている限りは、恐ろしいなんて全然感じませんでした。お酒は嫌いですし、鈍感だからかもしれませんけど。
ペルシャ帝国時代に蓄積した歴史的資産が多いし、出会ったイランの人達は総じて親日家なので、旅行するのはタイミングは有りますが、行ってみる価値はあると思います。
ただ、現地ガイドによれば、豊富な石油資源があるのに、その利益を国民や国のインフラ整備等に向けていない。。。宗教規律が厳しくなる等、不満たらたら~でした。唐辛子婆さんのお友達も同じように感じているのでしょうね。
you
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