2023/06/26 - 2023/07/13
7位(同エリア22件中)
youさん
2024年時点でイランは、人権侵害や核開発問題が原因で多くの国から経済制裁を受けています。また、ロシアやハマスに無人機等の軍事的支援をしていると言われており、国際的には孤立化が進みそうな気配です。一方、前回行き損ねていた世界遺産の要塞都市バムが観光可能となりました。様々な事情下にありますが、イランに行くなら今でしょう・・・との思いで、イランを訪れることにしました。
現時点でイランには全部で24箇所の世界遺産があります。今回はそのうちの18箇所の世界遺産を、18日間ツアーで巡ってきました。
日程は下記。
6月26日 成田夜→ドーハ経由→
6月27日 午前テヘラン着→テヘラン市内観光→テヘラン(泊)
6月28日 テヘラン→マスレー村→バンダル・アンザリー(泊)
6月27日 午前テヘラン着→テヘラン市内観光→テヘラン(泊)
6月28日 テヘラン→マスレー村→バンダル・アンザリー(泊)
6月29日 バンダル・アンザリー→アルダビール→タブリーズ(泊)
6月30日 タブリーズ市内観光→キャンドバン村→マラゲー(泊)
7月1日 マラゲー→タフテ・ソレイマン→ハマダン(連泊)
7月2日 ハマダン市内観光→ケルマンシャー→ハマダン(泊)
7月3日 ハマダン→ヌシジャン→ホラマバード→デズフル(泊)
■7月4日 デズフル→チョガザンビル→シューシュタル→アフワズ(泊)
7月5日 アフワズ→ビジャプール→シラーズ(連泊)
7月6日 シラーズ滞在→ペルセポリス→シラーズ(泊)
7月7日 シラーズ市内観光→ケルマン(連泊)
7月8日 ケルマン→ラーイン→バム→ケルマン(泊)
7月9日 ケルマン→メイマンド→ヤズド(泊)
7月10日 ヤズド観光→ナーイン→イスファハン(連泊)
7月11日 イスファハン市内観光→イスファハン(泊)
7月12日 イスファハン→アブヤーネ村→カシャーン→テヘラン
7月13日 ドーハ経由→夕方成田
■この旅行記は、シューシュタル・チョガザンビル・スーサを掲載します。
表紙の写真は、エラム王国時代のジッグラト(チョガザンビル)。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
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7月4日 8時 デズフルのホテルを出発。
デズブルは、人口約42万人の古代文明に遡る歴史のある都市です。町を出てしばらくすると、デズ川を渡ります。川沿いの尖塔は、ルドバンド寺院だと思われます。
この日は、シューシュタルの水利施設・チョガ・ザンビール(チョガザンビル)そして古都スーサに行きます。いずれも世界遺産で、楽しみな日です。 -
シューシュタルの町に近づいてきました。川沿いにサーサーン朝時代に造られた古い橋が見えています。
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8時30分 シューシュタル水利施設に来ました。こちらは現地解説版。
これによれば、この複合水利施設は、シューシュタルの東、カルガル川沿いに位置しており、南側カルガル・ダム橋、水を取り込むため3つのトンネル(長さ40m)などで構成されています。人工的に造られた崖から水が落ちる水力を産業用に利用するサーサーン朝ペルシャ時代3世紀に造られた歴史的施設です。
この写真正面上に凹凸形状の垂直壁が見えていますが、あれがダムの堰堤で、その上が橋として利用されています。 -
入口から階段を下って行くと見えてくるダム橋の下流側風景です。
前記解説版写真は、正面右の崖上から撮った感じとなり、右側手前は上流側からトンネル水路を通って導かれた水が溜まっている貯水池です。また、左の対岸には、上流側からトンネル水路を通り、水車を廻したあとの水が放流されています。 -
こちらも。
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こちらは貯水池の水が水門を潜って下流側に放流されています。
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こちらも。
手前下は上流側から導かれた水が溜まっいる貯水池の一部で、ここから水車を廻すための水が下に流れ落ちて行きます。 -
ダム堰堤下にある粉ひき小屋に来ました。
水力によって回される石臼や、粉にする小麦や米などが入る容器等が見えています。 -
こちらも。
石臼の回転軸が下に伸び、水車の回転軸と連結しています。シンプルな構成です。 -
ほら~上から落ちてくる水力で、この水車が廻るだろう~するとこの回転軸に繋がっている石臼が廻り、製粉できるんじゃ~。。。上の写真に写っているいい男~これ、ワシじゃぁ~今も時々、ここで粉を引いているよぅ~ 写真掲載了承済。
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ワシらが、世界遺産の水利施設を管理しているのよぅ~自慢じゃけん~写真撮ってSNSで紹介してくれやぁ~・・・・中央のリーダーの依頼により掲載。ご苦労様・・そして有難うございます。
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ダム堰堤上の橋に来ました。そこから下流側の眺めです。
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こちらも。崖上は住宅が広がっているようです。
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ダム橋に通じているストリート沿いに全面タイル張りのモスクが建っていました。
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シューシュタルの町から少し移動して川を渡ります。
橋の下の方に、古い橋桁が見えています。ササン朝ペルシア帝国全盛のころ、ローマ帝国と戦って勝ち、ローマ兵の捕虜たちをこの辺りに連れてきて建設したものとのこと。 -
10時過ぎ チョガ・ザンビールのジッグラト(古代メソポタミアの諸都市に建てられていたピラミッド型神殿または塔)に来ました。
ジッグラトは、ブリューゲルらが描いた絵画、バベルの塔などで興味があって、いつかはチョガ・ザンビールを見たいものだと願っていました。その願いが叶って、本物のジッグラトが目前に見えていま~す。。。 -
訪れた7月4日のこの時期、晴天続きで気温は40度を軽く超えています~炎天下での遺跡巡りとなりますが、気分はブギウギ♪~です。
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現地にあった遺跡レイアウトです。
中央1がジッグラト、その周囲を内壁、中壁、外壁と3つの城壁が取り囲んでいます。内壁と中壁の城内には、いくつもの寺院または神殿が残っています。また、中壁と外壁との間の城内には、住居などの複合施設22や、水利施設23、宮殿25~27などがあります。ジッグラトを囲む内壁の長さは530m、一番外側にある外壁の長さは、4Kmは有りそうです。
このチョガ・ザンビールは、古代オリエントで栄えたエラム大国時代の紀元前1250年ごろに、神々への崇敬の意を込めて建設されたものです。 -
中央のジッグラトに向かう途中にも壁で囲まれた寺院跡がいくつか見えています。
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こちらは、中壁に沿って造られているアドダとシャラの寺院跡です。
手前の説明版によれば、この寺院は、天候を司る神聖な夫婦アドダとシャラに捧げられたもので、寺院からは、ジッグラトの衛兵と似た、雄牛の像が発見されています。
この建物では、入口から祭壇までの通路がレンガで舗装されていました。 -
こちらはその隣にある寺院跡。
その説明版によれば、この寺院は、新聖なカップル、シムットとニンオールに捧げたもの。シムットは証人の神、ニンオールは豊作の女神でした。この女神に関連する半裸の女性の置物がこの寺院内で発見されました。また、ニンオールを都市の女王と呼ぶ文字が刻まれたレンガが発掘されています。 -
内壁のゲートを通ってジッグラトの建つ聖域内に入ります。
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お~お~ 外壁がレンガで綺麗に仕上げられた見上げるような巨大建造物です。これが是非とも見たかったジッグラトなのだぁ~。。。
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こちらも。
このような巨大なジッグラトが紀元前1250年に造られたと思うと、人間って凄いものを造ってしまう~と感動してしまいます。
エジプトの巨大ビラミットも圧倒されますが、これも負けてはいません。。。 -
こちらはジッグラトの説明版。
ジッグラトは内部にトンネルが形成されており、2つのフェーズを経て建設されたと推測されています。第1段階は中央の中庭を囲むように複数の部屋を造り(左下の図)、第2段階では第1層の中庭の上に順次第2層~第4層の基礎をそれぞれ造りました(右下の図)。各層が完成した後に、各部屋が閉じられ、各部屋には階段と屋根を経てアクセスできるように造られました。 -
ジッグラトの底辺は四隅が東西南北を向いている正方形で、一辺の長さは105m、現在の高さは25m、建設当時の高さは50mありました。
壁面を構成しているレンガ壁は平面ではなくて、縦方向に凹凸となっており、その角が縦方向線として見えています。壁面形状を凹凸にすることで壁面全体の強度を高めていると推測します。 -
地面に近い壁面にスリットが見えていますが、あれは雨水を外に出すための排出孔の様です。また。積み重ねた各レンガ相互間は、粘土などで固めているようですが、いわゆる目地部分はむき出しで見えています。ここに何かを詰めてコーキングする施工はしてなかったようです。それとも建築当時はコーキングしてあったものが、長い間に消失したとも考えられます。あるいは当時は表面全体が装飾タイル等で覆われていて、輝いていたのかもしれません。どれも素人の憶測ですけど。
いずれにしても、建設してから3000年以上経過していますので、その間に破壊されたり、風化したりしてますので、こんな姿が見られること自体が奇跡かもしれません。 -
こちらは上の方をズームしたもので、横縞になっている側面が見えています。
横一列に見えている部分は焼成レンガの列、その間は日干しレンガを積み上げた列です。焼成レンガは3000年を超えて原型を維持していますが、日干しレンガは長い間に水分を吸って削られたために窪み状態になってしまったようです。
すべてが焼成レンガで造られていた訳ではなかったのです。焼成レンガを造るのは手間がかかるので納得。。。昔の人だって手抜きしたいですよねぇ~。 -
ジッグラトが建っているコート・ヤード(グラウンド)は、ご覧の様に平たいレンガが敷き詰められています。
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南隅からジッグラト南西面方向を見ています。
奥まで約105mのレンガ壁面が続いていますが、どれほどのレンガが使われていたのか・・・気の遠くなるような労力を投入して造られた巨大建造物です。 -
南東面中央に造られている一番高い塔に上るための階段通路です。更にその上の層にも階段が見えています。
かって一番高い所には、最も重要なエラムの神々の神殿がありました。 -
ジッグラト北東面のほぼ中央部コートヤードに来ました。こちら側には、焼成レンガ平板で造られたスロープがあります。これは、碑文や彫像などを上に設置するために設けられました(説明版)。
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こちらはジッグラトを囲んでいる内壁です。この部分も縦方向に凹凸形状の土壁となっています。奥の木々の間に中壁が見えています。
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こちらは、内壁のすぐ外側に造られている3つの寺院跡で、アーチ状のゲートから寺院側に出入りできるようになっています。
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南西面の中央階段付近に来ました。
階段手前には円筒形の祭壇が設けられています。 -
こちらは、祭壇側から中央階段方向を見ています。
円筒形状の祭壇には今は閉じられていますが入口が設けられていたようです。この円形の祭壇は、催事の時に供物等を載せる他に、日時計としても使われていたとのことでした。 -
こちらは祭壇の側面ですが、中央横一列の複数レンガに何かの碑文が書かれています。
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南西面の中央に設けられている階段前に来ました。
こちらの中央階段に向かう参道両サイドには、台形上の突起物が7個づつ並んでいます。何かの催事に使用したものでしょう。
いずれにしても、催事の内容や主催者によってどちらの階段を使うかを決めていたのでしょう。。 -
炎天下少し移動して、外壁近辺の住居跡や宮殿跡、複合施設跡に来ました。
こちらは大きな宮殿だったところでしょう。。。 -
住居跡でしょうか。
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こちらの穴凹と土壁らは、複合施設でしょうか。。それとも、王宮や葬祭を行うための施設か、または王家の墓か。。。。遺跡は何も語ってくれません。。。
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チョガ・ザンビール博物館に来ました。
こちらは現在見られるジッグラトの3Dモデルです。最盛期のチョガ・ザンビールのジッグラトは、高さが50m程ありましたが、紀元前640年には、アッシリアにより破壊されたりしています。 -
こちらは、ジッグラトの周辺や各寺院、宮殿から出土した半裸の女性像達です。いずれも紀元前15世紀に造られたもので、ナイスバディーです。いろいろの催事に際して奉納されたものなのでしょう。
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こちらは、ジッグラト壁面の要所要所に飾りとして取り付けられていた壁面装飾タイルです。
四隅に花弁の模様のあるほぼ正方形の基盤と、その中央に突出した円柱状突起部とで構成され、円柱状突起頭部には、左のものは碑文が、右のものは複数の穴凹があります。紀元前2000年ころのもので、当時から釉薬のかかったタイルが造られていました。 -
ジッグラト壁面を構成している焼成レンガの一部で、ここにはエラム語の碑文が刻まれています。チョガザンビールからはこの種のレンガが5000個以上出土しています。
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木製の扉を飾っていたガラス・モザイクです。現代にも通じるデザイン性があります。
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古代ギリシャ神話に出てくる鷲の頭と翼を持つグリフィン像です。ジッグラト北東面の中央階段付近で発見されました。
ジッグラトの他の面の中央階段付近からは、牡牛像(テヘランのイラン考古学博物館に展示されています)なども出土しています。 -
15時 スーサの町中でランチの後、旧約聖書の預言者、ダニエルを祀るダニエル廟に来ました。
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こちらはダニエルの霊廟の中庭。
中に入る前に、入口にいた監視員から、汗だくの体を拭き、身支度を整えるようにと指示されます。何と言ってもここは、旧約聖書に登場する預言者の廟ですから。 -
靴を脱いで身支度を整えて中に入って来ました。
内部は鏡のモザイクで装飾されており眩いばかりです。外は真夏で超熱いですが中は冷房が効いており、床に座って涼んでいる人もいます。 -
ギンギラギンの眩い部屋に鎮座するダニエルの棺です。
世界平和を祈って合掌。。。 -
廟の中で出会ったイラクから来られた人達です。イラク人・・・人生初対面となります。中央のお兄さん、学校の先生で家族とともに月に1度は、国境を越えてこの霊廟に参拝に来ているとのことでした。日本はいい車を造っているし、良く知っているヨゥ~と。写真をお互いに撮りあって、平和が大事~と握手をして別れました。。写真掲載了解済。
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16時前 スーサの町に到着。こちらはスーサの博物館、その裏手にスーサ城が見えています。どちらも、開館しておらず中には入りません。
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現地にあったスーサ遺跡の上空写真説明版です。
数字の1が博物館で、2がアパダーナ宮殿、3が東ゲート、7がアクロポリスのある丘です。この場所は、紀元前3000年頃のエラム王国時代から、アラブ征服時代までの様々な遺跡重なっています。エラム王国時代の都は、紀元前7世紀頃にアッシリアによって滅ぼされましたが、アケメネス朝時代にダイオレス1世がここを行政の中心地としています。しかし、それも190年後にアレキサンダー大王に攻められ、陥落。その後は、サーサーン朝時代を経て、アラブの侵入により歴史上から姿を消しました。
丘の左側はスーサの町で、町中をシャウル川が流れています。 -
博物館脇の坂を上ってアパダーナ宮殿跡のある小高い丘に来ました。
丘の下に窪地が連なっていますが、かっての堀だったようです。この小高い丘はエラム王国時代以前からの様々な遺跡が幾重にも重なっているのでしょう。奥の方はまだ発掘されていないところも多くあるようです。 -
この小高い丘から振り向くとスーサ城が見えています。1890年頃、フランス人考古学者らによって建設されたもので、中世ヨーロッパ風のお城です。
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小高い丘上に広がるダリウス1世が建てた宮殿跡の基礎群です。
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こちらは現地の3D説明図。
3つの大きな中庭を持ち、それらを囲むように、王の居室や謁見の間などが造られています。 -
宮殿の謁見の間を構成していた柱の基礎石が並んでいます。
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謁見の間に建っていた石柱の台座部分です。
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こちらはその説明版。
右のイラストでかっての石柱の姿が分かります。8mの複合柱頭、1.75mの台座、13.5mのシャフト部分から構成され、全体で高さ23.25mあります。柱頭の一番上は、天井の梁を支える双頭の牡牛形柱頭となっています。 -
石柱の上にあった、双頭の牡牛形柱頭部分です。
ペルセポリスにある石柱と同じスタイルです。 -
円柱、柱の基礎、柱頭などの破片が展示されています。
先ほど見たアパダーナ・ホール(謁見の間)に建っていた石柱や牡牛形柱頭部分、ここの展示物はいずれも屋根付きです。雨や炎天下の日差し除けのために必要なのでしょう。
炎天下の遺跡歩きで、私たちも水分補給をし、日除け傘をさしての見学でしたが、熱中症になる寸前でした。。。。夏場の遺跡巡り・・・・楽じゃあ~りません。。 -
18時過ぎ アフワズの町のレストランにて夕食をとります。
奥のテーブルは、現地の人たちが食事中です。イランの女性、人前では髪の毛は完全に見えないようにビシャブで覆うことが規則ですが、ここは大まかの様です。
食事するのにそんなの憂鬱ですからねぇ~これでいいのです。。。 -
アフワズでの宿泊は、こちらのNADERI HOTEL。
アフワズの人口は、約85万人、1980年のイラン・イラク戦争時は、一時イラク軍の包囲下に入りました。夏の今頃の時期の平均気温は45度。。世界で最も暑い都市の一つだそうです。エアコンがあるので快適に寝られましたけど。
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