2023/07/09 - 2023/07/14
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薔薇の咲く庭さん
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この旅行記のスケジュール
2023/07/10
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徒歩での移動
第一滝本館→登別温泉駅(バス)
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バスでの移動
登別温泉→登別時代村
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登別伊達時代村
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バスでの移動
登別伊達時代村→登別温泉
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徒歩での移動
登別温泉→第一滝本館
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この旅行記スケジュールを元に
フォートラベラーのMさんが投稿された旅行記で小樽運河の夜景がとてもステキだったので、連続して3回目になりますが北海道へ行くことにしました。諸事情でANA航空券を購入する必要があったことも理由の一つです。
ずいぶん前に、母と二人の息子たちと小樽、札幌、支笏湖には行っています。景色にその後変化はないと思いますが、見ている私は変化しています。連続して3回目に行く登別です。登別伊達時代村という場所が気になったので行ってみることにしました。
この旅行記は第二日目の登別伊達時代村の記録です。とてもスローペースで旅行記を書くのは、私にとっては1日1日がとても大事な日なのです。
かって耳管開放症で三か月間、全く外出ができない日が続きました。二度と飛行機に乗ることはできないかと思う日々でした。それから復活して旅行ができる幸せを噛みしめながら旅行記を書いています。
日程
7月 9日 ANA063便 登別第一滝本館
7月10日 登別伊達時代村 登別第一滝本館
7月11日 小樽運河 ホテルソニア小樽
7月12日 小樽芸術村 小樽運河 ホテルソニア小樽
7月13日 白い恋人パーク 北海道大学ポプラ並木 サッポロビール園 札幌プリンスホテル
7月14日 ANA4724便
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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登別駅から登別温泉へ向かうバスの停留所に「登別伊達時代村」の名称のバス停がありました。なぜ伊達の名前がつくのか不思議に思いましたが、明治2年に「北海道」の名前がついた年に、仙台の伊達藩の家臣が登別の開拓をしたことから、伊達の名前がついていることがわかりました。
タイムスリップしたような感じを味わえる by 薔薇の咲く庭さん登別伊達時代村 テーマパーク
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とても興味を持ったので、訪れてみることにしました。最初に見たのは野外アクションショーが行われている「忍者砦」です。貼られたロープから忍者が飛び降りてきて、かなり大掛かりなアクションショーです。
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時代村の中には、4つの劇場があり、全てのショーを見ることができました。
テレビでアクションを見ることがありますが、実際に目の前で見ると迫力があります。 -
劇の題名は、「高子沼の伝説」でした。財宝が隠されている入り口が沼の底にあり、それを知る財宝を隠した子孫たちが盗賊から、その秘密を守ると言う内容でした。
団体で劇を見に来たグループがありましたが、外国語が話されていたので日本人ではありませんでした。 -
次のショーは、忍者かすみ屋敷で行われます。立派な武家屋敷でした。
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劇の題名は、「忍び外伝 主の夢」です。
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開演まで時間があったので、記念撮影をしました。一緒に撮ってくれたのは劇のスタッフです。
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伊達政宗は、農民・町民・職人の中から優れたものを集めて扶持を与え、忍者を育成しています。30人、50人を組織にして日本各地の情報を集めたそうです。忍者は商人・山伏・行者などに変装していました。秀吉が天下を取った後も天下人を狙っていたんですね。
戦にも忍者を活用しています。「伊達秘鑑」には流言を流させて攻めてきた6者連合軍を撤退させたという記録があるそうです。 -
劇場の入り口で、白い小さな紙を渡されました。
何に使うのか後でわかると言うことでした。これは「おひねり」のための紙でした。
中には何を入れても良いと言うのです。チョコレートやガムでも。
少額ですが、お金を入れて最後に投げました。お疲れ様でした。 -
忍者かすみ屋敷の劇もストーリー性よりもアクションを重視しているように思いました。テレビで見るよりも迫力がありますが、かなり役者さん達は危険な立ち回りをしてるような感じを受けました。
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普段時代劇を見る事はほとんどないので、新鮮な感じがしました。伊達政宗は、忍者を忍ばせて情報を集めていたことが劇を見てわかりました。情報収集のためには、忍者は必要だったんですね。
「くろはばきぐみ」という名前の直属の隠密組織で黒を使っていました。 -
次のショーが始まるまでの時間が30分ほどあったので、松ヶ池の写真を撮りました。後で行こうと思います。
伊達政宗は、戦闘での豪勇さなど武人として優れた活躍をしましたが、書や詩など、文人として超一流の芸術的才能を持った人でした。この池には、4つの橋があり湖面に松が映る様子が気に入り、ここで詩を読んだのではないかと言われています。 -
この池にも睡蓮がたくさんありました。先月、高知のモネの庭で素晴らしい睡蓮を見たことを思い出します。
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よく見ると、咲いている睡蓮がありました。白です。白色は北海道でも咲くのですね。
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松ヶ池の近くに、熊さん長屋がありました。江戸時代に長屋があった事は、時代劇などで見て知っていますが、実際に見た事はありません。興味がわきました。
江戸時代には7割の人が長屋に住んでいたそうです。 -
入り口の門の上にまとめて表札が出ています。
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通路の中央にはすのこが敷かれていました。雨が降ってもぬかるまないように、工夫したのでしょう。
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長屋の解説です。
入ってすぐの所が台所で、寝起きをしていたところは、4畳半の部屋でした。
すごく狭い場所ですね。 -
最初に現れたのが、大家の幸兵衛さんです。なんとなく熊に似ています。気のせいでしょうか?
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長屋の運命書きが書いてありました。家賃は月末までに支払い、未納の人は明け渡すように書かれています。
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襖に住んでいる人の部屋割りが掲示されていました。
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最初は、彫物師と言う仕事をしている人の部屋でした。
刺青は彫物と呼ばれ、粋なファッションとして江戸の庶民に流行したそうです。彫り物に耐えるに激痛に耐える心意気が、江戸っ子に好まれたのだそうです。火消しや、鳶する職業の人には、彫り物をしていないことが恥とされる風潮まであったそうです。信じられないような本当の話です。 -
次は浪人の部屋でした。主君の家がおとりつぶしになったり、人員削減のためにクビになったりした失業した武士たちのことを浪人と呼んでいます。住む場所を失った浪人たちは、町人たちに混じって、長屋に住み、内職をしたり、寺子屋で学問を教えたりして生計を立てていました。傘張りは時代劇でもよく見られます。内職の定番。浪人が竹でできた骨に和紙をのり付けしている様子を展示していました。
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社会の成熟に伴って、江戸では、一般庶民の趣味や習い事が流行したそうです。特に女の子には、良縁に恵まれるようにと様々な芸事を身に付けさせる親が多かったそうです。
中でも人気があったのが三味線で、どの町内の2~3箇所は稽古場があったと言われています。三味線の師匠は、ほとんどが女性で自宅である長屋の1室を稽古場とすることが多く、美しい女師匠を目当てに男性が通ってきたそうです。 -
漢方売りの部屋です。漢方は、中国大陸から伝えられた医療の知識が日本で独自の発展を遂げたもので、江戸時代に最盛期を迎えました。当時、医者と言えば、漢方薬を処方する薬師のことであり、患者の症状に合わせて最も適した生薬を調合するのが役目だったそうです。この薬師は薬研と呼ばれる器具で生薬をひいているところです。
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ここは絵ろうそく屋です。江戸時代のろうそくは高級品でしたが、琉球から伝わってきたハゼの木を原料とするご木蝋(もくろう)が作られるようになると、ちょうちん用としての需要が高まり、次第に生産量が増えていたそうです。
この部屋の女性は、ろうそくに仏花の絵を描く内職をしています。仙台のように寒さの厳しい地方では、冬になると仏様に備える花を手に入れることが難しかったため、代わりにこのような絵ろうそくをお供えしたそうです。 -
仕立て屋です。江戸時代の庶民は、夫婦共稼ぎは当たり前だそうです。女性の職業としては、女中奉公や芸事の師匠、髪結、お産婆さんなどのほかに自宅で内職仕事をする主婦も多かったそうです。
当時の女性の大半は、自分で着物を仕立てていたので、職業としてやっていくにはそれなりの技術が必要でした。腕前が認められると、呉服屋の下請け仕事や個人客からの注文で、夫以上に稼ぎのある妻も珍しくなかったそうです。
女性の職業の種類がとても少なくて驚きます。
これでは仕立て屋ができない女性は結婚しなければ生活していくことは困難です。 -
長屋の設備、井戸。
江戸時代には、上水道が整備され、といを通して街の隅々まで飲料水が供給されていました。長屋には共同の井戸がありましたが、汲み上げていたのは、地下水ではなく、そうして配られた水道水だったのです。井戸のそばで水汲みをしたり、洗濯をしたりするたびに、近所の人々は自然と顔を合わせ、世間話に花を咲かせたといいます。井戸端会議の語源になります。 -
とても気の合いそうな2人の女性です。左の女性は赤ちゃんをおんぶしています。4畳半で子供を育てるのは大変だったと思います。右の女性は洗濯をしていますが、洗剤を使っていたのでしょうか?また排水はどうなっていたのか気になります。
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後ろの方を歩いているのは観光客です。現代と江戸時代が混在していてとても面白いです。
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長屋の設備、厠。
長屋の部屋は一軒あたり4畳半と言う狭さで、個別のトイレはありませんでした。その代わりに共用の厠が別棟で建てられました。
扉は上半分がなく、使用中も外から頭部が見えます。踏み板を渡しただけの簡易な便器の下には土甕(土かめ)が埋められていました。溜まった排泄物は、近郊の百姓が肥料として買い取ったそうです。 -
長屋の設備、お稲荷様
商人が力を持った江戸時代には、商業の神とされた稲荷神が大流行したそうです。立派な鳥や社を備えた稲荷大神社だけではなく、長屋の片隅や、大店の敷地などいたるところに祠が建てられ、お稲荷様と呼ばれていたそうです。
稲荷神の使いは白い狐とされています。狐の好物である油揚げを左にお供えする習慣は江戸時代に始まったそうです。 -
長屋の入り口のすぐ右側には髪結床がありました。髪結床とは現在でいうところの理髪店です。
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ちょんまげの結い直しのほかに、月代(さかやき)・額(ひたい)から頭のてっぺんにかけて髪を半月状にそった髪型、髭剃り、耳掃除等のサービスもあったそうです。髪結床は各町内に一軒ずつと定められていたそうです。
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表障子はいつも開け放たれ、町内の人々が集まって将棋を指したり、雑談をしたりして過ごしていました。地域の集会場や社交場としての役割を担っていたそうです。
とても楽しそうですね。ここへ来るのを楽しみにしていたことでしょう。 -
次の花魁ショーの始まる12時30分前に日本伝統文化劇場へ行き、1番前の良い席を取りました。
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この劇場では、お客さんを劇の中に参加させる嗜好が施されていてとても面白いと思いました。左側の男性は忍者の格好をしていますが、鑑賞しようとしているお客さんの1人です。この劇に挙手をして参加することになりました。
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舞台裏に姿を隠して、しばらくすると見事に変装し、お大尽になって登場しました。
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花魁の禿(かむろ)の2人の女性が、先にをお大尽のいる部屋に入場してきました。
左側の女性は、おかっぱで子供の雰囲気を出しています。右の女性は見習いです。
禿にかかる費用は花魁が出すのでかなりの出費だったと聞いたことがあります。
花魁はかなりの借金を抱えているので、この劇を見る限りでは楽しい時間ですが、実際はかなり悲惨な人生を歩いていたのでしょう。 -
花魁が華やかな音楽とともに部屋に入ってきました。お大尽を演じている男性は花魁の姿に少し動揺した感じがしました。まさか舞台に上がって大尽役を演じようとは今朝は思わなかったでしょう。
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役者とは言え、見事に花魁を演じています。何とも言えずに色気があります。昔は多分こんな感じの花魁が吉原にはいたんでしょうね。
この方の本業は役者なのでしょうか?それともここのスタッフ? -
花魁とタバコはかなり縁が深いようです。お大尽にタバコを勧める姿がなんとも色っぽいです。お大尽役の男性はニヤケっ放しです。
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花魁がお酒を進めました。なんとこれが本物のお神酒だそうで、お酒に弱い人だったらどうしましょう?酔っ払ってしまって演技ができなくなりそうです。
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しかし、そんな心配を外においしそうに飲んでいました。
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お客さんを舞台に挙げるということは、鑑賞者を舞台に引き込む効果があるとしみじみ思います。お大尽をハラハラして見ていました。
とても楽しそうですが。次の展開が楽しみです。 -
お座敷遊びとして、扇子を投げて的を落とす遊びがあるそうです。花魁が扇子を構えました。1回で1m50cm位離れた的を扇子を投げて落としました。
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お大尽の男性が扇子を投げるとどうなることかと少し心配して見ていましたが、見事に的を落とすことができて、大きな拍手がわきました。賞品としてお土産をもらっていました。
お大尽の中には落とせない人もいるそうです。 -
やがて、花魁と禿は、艶やかな舞を舞って劇は終了しました。とても楽しい時間でした。テレビで花魁を見る事はあっても、実際に見るのは初めてだったので、とても愉快な経験ができたと思います。
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最後に出演者と記念撮影をする時間がありました。面白かったです。
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登別伊達時代村は、江戸時代の仙台藩に所縁のある街並みを再現しています。1989年に登別市が地域産業や振興や雇用促進を図るために120億かけて開園したということです。
日本髪を結った女性が、お店の前をほうきを持って掃除をしているのを見ると、完全にタイムスリップした感じがしました。 -
最後のショーは大江戸劇場で行われるニャンまげコメディでした。
大きな猫のぬいぐるみが出てきて、難題を解決するのに活躍するストーリーです。 -
この劇場は観客が少なく、聞こえてくる言語は日本語ではありませんでした。コメディーが好きな人には面白いかもしれません。
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役者さんが何人も出てきて、笑いを取る場面がありました。
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鑑賞を予定していたショーを全て見ることができて満足しました。帰りのバスまでの時間を時代村の中を見学することにしました。これは稲荷大明神です。
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庚申塚がありました。江戸時代からこのような庚申塚があるんですね。
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気になっていた松ヶ池に行ってみることにしました。高砂橋を渡ります。
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池の中央には、お堂があって中で休憩ができました。周りが池なので何とも不思議な感じがします。少し休憩しました。
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池の向こう側に「妖怪びっくり小屋」が見えました。行ってみました。建物がとてもよく作られています。
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分福茶釜の綱渡りです。日本古来の妖怪達がたくさんいる小屋でしたが、少しリアリティーにかけていてあまり面白くありませんでした。
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次に商家街へ行ってみました。ここには片岡資料館がありました。伊達藩の家臣の片岡小十郎が登別の開拓をしているので、その時の資料が残されていました。
明治2年に片倉小十郎は北海道に渡っています。 -
明治5年に「士族の身分を認めず、平民とする」という命令が出ています。片倉家はさぞ驚いたことでしょう。
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開拓を始めた頃の小屋の様子です。子供もいるので驚きます。見たところ藁葺きなので、これで寒さがしのげるのか不思議に思います。
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片倉小十郎の子孫の片倉重光の写真がありました。
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鎧甲が展示され、その後の壁に熊の毛皮が展示されていました。なぜ鎧甲が必要だったのか疑問に思います。武士の印として、鎧甲を開拓村に持ってきたのでしょう。
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記念撮影をしました。
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次に尋ねてみたところは寺子屋です。
壁に6つの教訓が貼られていました。最後の「非為をなすなかれ」はとても大事な教訓ですね。 -
江戸時代の寺子屋は、このような雰囲気の中で行われていたんですね。
日本人がいかに教育を大事にしたかは、義務教育が始まる前に寺子屋があったことからよくわかります。 -
建物の全景です。この登別伊達時代村の建物は全て立派な建物なので驚きます。実際にこのような建物が寺子屋として使われていたかどうかは分かりませんが。
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「学問所」書かれています。本当に学ぶためにここに来ていたんですね。遊びではありません。
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袖振り合うも多生の縁。
道徳的な内容も教えられていたことがわかります。江戸しぐさのアラカルトが書かれていました。しぐさには7種類があります。一つ一つの解説があるといいですね。
現在にも通じるしぐさだと思います。 -
最後に訪れたのは忍者資料館でした。もっとゆっくりみたかったのですが、時間がなくてあまり詳しく見られませんでした。
忍者のグッズの多様なものが展示されていました。特に興味を持ったのは手裏剣です。手裏剣にはいろいろな種類があることがわかりました。これは小堀流卍手裏剣です。 -
伊賀流六方手裏剣。6つの方向に尖っています。
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これはいが流三方手裏剣。伊賀の中でも、2種類の手裏剣があったのですね。こんなの、投げられたら、とても怖いですね。
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4つ目は甲賀流十字手裏剣でした。手裏剣にもいろいろなデザインがあることがわかりました。
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今日も良い旅ができました。
登別温泉 第一滝本館 宿・ホテル
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生ビールのSORACHIで乾杯!
第一滝本館は、連泊をすると、ホタテ貝のバター焼きをサービスとして出してくれました。 -
ビュッフェなのでズワイガニの食べ放題です。1年分食べた感じがします。
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アスパラの天ぷらもとてもおいしかったです。メニューが豊富でおいしいので、この旅館はお勧めです。明日はいよいよ小樽へ行きます。お天気がちょっと心配ですが・・・。
今日は登別伊達時代村でとても良い勉強ができました。
~旅は続く~
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この旅行記へのコメント (2)
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- yamayuri2001さん 2023/10/23 11:12:58
- 登別伊達時代村
- 薔薇の咲く庭さん、こんにちは。
登別伊達時代村の事は、初めて知りました。とても面白くて色々学べる場所なんですね。
登別は、豪雨で クマ牧場しか行けなかったので、リベンジしたいと思います。時代劇そのものが激減しましたが、このような施設で知ることが出来れば、また時代劇を見ようと思う人も増えるのかもしれないですね。
蟹のバイキング、羨ましいです。
今まで 普通に食べていた海産物が、食べるのが難しくなっている昨今、食べれる時に堪能するのが賢いですね!
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2023/10/23 21:36:19
- Re: 登別伊達時代村
- yamayuri2001さま
旅行記をご覧いただき、コメントをありがとうございました。
登別伊達村は登別市が34年前に120億をかけて開園しただけあって、なかなか見応えのあるテーマパークでした。建物が立派です。
私は4回目にして初めて訪れる機会に恵まれました。
リベンジの価値はあるかと存じます。
昨夜、シンガポールから帰ってまいりました。
シンガポールは本当に近代的な都市でマリーナベイ付近のスケールの大きさに驚きました。
VISAカードのタッチで地下鉄に乗ることが出来たのは驚きです。現金はほとんど使わずVISAタッチで済ませることができ、PIN番号を入力することはありませんでした。
高度の文明をもった国でした。76%は中国人だそうですが、多民族国家で様々な文化が交流している感じでした。
日本円が弱いことを実感する旅でもありました。日本がどんどん貧乏国になっていくようで悲しいです。
yamayuri2001さんがいらした頃とは変わっているかどうかは分かりませんが、長男が訪れた20年前とは別の国になっているそうです。
そのうち旅行記をUPしますのでご覧いただけると幸いに存じます。
急に寒くなりました。シンガポールから帰国して寒さがこたえます。
くれぐれもお体ご自愛くださいね。
薔薇の咲く庭
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