2023/03/29 - 2023/03/29
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Noraさん
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3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
11日目、グラナダの、いやアンダルシアの至宝、アルハンブラ宮殿をいよいよ訪れます。ここはもう初夏の気配。シカゴと違って眩しいくらいの太陽、そしてカラッと乾いた風が吹き抜けていきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
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オンラインで送られてきたアルハンブラ宮殿の入場券。3か月ほど前にオンラインでナスル朝宮殿の入場、9:00am枠をチョイス。パスポートと入場券をプリントアウトしたものを持参のこと等が各日本語サイトに書いてあったが入場券のプリントアウトは不要。スマホの入場券の画面を提示すればOK. 私の場合、パスポートもスマホの入場券の画面すらチェックされなかった。私の前に並んでいた数人も同じくノーチェック!理由は不明。
ちなみに歴史的な観光スポットを過密状態から守るためアルハンブラ宮殿の入場は1日6600枚しか販売されず、ハイシーズンになると3か月前でも売り切れることもあるらしい。特にナスル朝宮殿には30分ごとに300人しか中にいれないという入場制限がある。早く行って並ぶことも無意味。10分くらい前に係員の案内があるのでそれまでは近くをブラつくようにアドバイスされる。
一応、入場前にガイドラインを下記サイトで予習しておくといいかも。(ただし、内容の変更もありうるということも頭にいれておいて。。)
https://www.alhambradegranada.org/ja/info/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%A0%B4%E8%A6%8F%E5%89%87.asp -
朝7:30のサン.ホアン.デ.ロス.レイス通り(C. San Juan de los Reyes)。まだ人通りは少ない。
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サンタアナ教会(Iglesia de San Gil y Santa Ana)もまだライトアップされたままだ。まだ街は眠っているかのよう。この右手の路がゴメレス坂(Cta. de Gomérez)。
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地図でみるとわからなかったがゴメレス坂は結構きつい上り坂である。喘ぎながら登っていくと前方にザクロの門(Puerta de las Granadas)が見えてくる。
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少々息切れしながらもザクロの門到達。
ザクロ門 史跡・遺跡
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道が二手に分かれている。左の方に進むとワシントンアービングの像があるはずだ。
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若作りのワシントン’アービング氏の像!アルハンブラア物語を著わし、アルハンブラの存在を世に知らしめた人物に ’はじめまして’!!。
因みにアルハンブラ宮殿は異なった時代に建てられ、修復や改修を経て今日の姿になった複合施設である。9世紀に後ウマイヤ朝末期につくられたアルカサバと呼ばれる砦が原形であるといわれている。これはローマの要塞の廃墟の上につくられた小さな要塞であったという。次に北アフリカからやって来たベルベル人の王朝、ズィール朝(Zirid Dynastay、11世紀)が要塞を強化拡大。同時にこの王朝下でアルバイシンにアルヒーベ(aljibe)と呼ばれる地下水槽や水の配管が整備され、飛躍的に水のインフラが進化した。13世紀~14世紀になると、グラナダ王国を建国したナスル朝がこの丘に新しい宮殿や塔を建設し、複合施設を要塞宮殿の「アルカサル」に進展させた。
しかしながら、1492年、レコンキスタによりアルハンブラ宮殿がキリスト教徒の手に渡ったとき、複合施設内のモスクは教会に変わり、追加の修道院が建てられた。さらにまたとんでもないことにカトリック両王の孫であるカルロス5世という王様が、元の宮殿建築物のいくつかを破壊後、複合施設内に広大なミスマッチのルネッサンス様式の宮殿(カルロス5世の宮殿)を建てたのである。
そして極め付きの被害が1810年に起きた。ナポレオンの軍隊がアルハンブラ宮殿を占領し軍の兵舎として使用した時のこと。 1,500人の兵士を収容した宮殿は荒れ果て、修道院は兵舎に変わり、教会の鐘は弾丸の材料となったという。おまけに彼等は敗走するとき、宮殿の一部を爆破しようとしたのである。この期間中に最も甚大な被害を受けたアルハンブラ。度重なる老朽化や破壊, 地震をも経験し、現在も長く困難な修復というリハビリ作業を続行している人類の遺産である。。。 -
カルロス5世の噴水(Pilar de Carlos V)。噴水の裏側は上部の裁きの門に至る遊歩道の擁壁となっている。前方の階段を上って左手に曲がると裁きの門が見える。
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遊歩道の先に見える裁きの塔と馬蹄形の裁きの門。アルハンブラへの主要な入口の一つである。この塔はユースフ1世(Yusuf I, 1333-1353)によって建てられたといわれる。建設完了は1348年6月。
裁きの門 建造物
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裁きの門のトップを拡大すると要石に刻まれたファティマの手が見える。イスラムのお守りとも、あるいは5つの戒律を表すともいわれているが。。この後ろにはキリスト教時代に取り付けられた聖母子像がある。
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裁きの門は下の画像と合わせてみるとわかるようにジグザグ構造になっている。日本の城郭用語で調べると’食い違い虎口’ もしくは外枡形虎口(そとますがたこぐち)と呼ばれる構造のようだ。通り道を屈曲させて、敵が真っ直ぐに進むのを阻止した形の出入り口になっている。
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床面は起伏をつけて通りにくくしてあるのみでなく、アーチ上部には石や煮えたぎった油などを落とすための隙間があり、軍事的に計算されつくされた構造となっている。
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門を出て振り返ったところ。馬蹄形のアーチの周りは抽象的な浮彫装飾で飾られている。イスラム統治下の時代はその名が示すようにここで簡単な裁きも行われていたという。。都市の門のところで裁きを行なうことは,中東ではどこでも見られた慣習であったとか・
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この門をでるとコラレータと呼ばれる広い通路になっていて、戦時には隊列を組んだ騎兵隊達が敵を待ち受けていたそうである。画像でわかるように通路には突撃しやすいようなスロープがつけられている。またこの壁には特別な人物の銘板がとりつけてある。
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その特別な人物のメモリアル銘板拡大。彼は病弱なホセ・ガルシア伍長(Cabo de Invalidos José García)とよばれていたようだ。
(西語)A LA MEMORIA DEL CABO DE INVALIDOS JOSE GARCIA QUE COM RIESGO DE PERDER LA VIDA SLAVO DE LA RUINA LOS ALCAZARES Y TORRES DE LA ALHAMBRA EM MDCCCXII
EL CUERPO DE INVALIDOS
(和訳)命の危険に直面しながらもMDCCCXIIのアルカサレスとトレス・デ・ラ・アルハンブラを破壊から救ったインバリドス・ホセ・ガルシア伍長を記憶にとどめる。 傷病兵の軍団
1810 年から 1812 年まで、グラナダは半島戦争中にナポレオン軍によって占領されアルハンブラ宮殿は彼らの要塞基地として占領されていた。この間、多大な破壊や重大な損害を被っただけではなく、フランス軍は敗北退去の際、アルハンブラが要塞基地として再利用されるのを防ぐためにその施設全体をダイナマイトで爆破しようとした。多くは爆破されたものの勇敢なペイン人兵士ホセ・ガルシアによって残りの導火線がカットオフされ、かろうじてすべてが破壊されるのを防いだ。今日残っているものはそれらの救われたものである。https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/alhambra -
ナスル朝宮殿への矢印。
ナスル朝宮殿はメスアール宮、コマレス宮、ライオン宮の3つの宮殿からなり、イスラム美術の贅を尽くした装飾で知られる。 -
ぶどう酒の門(Puerta del Vino)。昔この場所で無税の葡萄酒がアルハンブラ住人に売られたのでこの名で呼ばれる。
ここからナスル朝宮殿やカルロス5世宮殿の入口にアクセス。
*アルコールを禁止するイスラム教徒のムーア人の宮殿内で何故、葡萄酒の門?
(これはレコンキスタ(再征服)後にキリスト教徒によってつけられた名前で、イスラム教徒であったムーア人がつけた門の名前ではないそうだ)ブドウ酒の門 建造物
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サンタマリア教会。ナスル朝ムハンマド3世の時代に建てられたモスクを教会に改修したもの。アラブっぽいイキな教会!
サンタ マリア教会 (グラナダ) 寺院・教会
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カルロス5世宮殿。これはグラナダ王国陥落後16世紀にカトリック両王の孫、カルロス5世が建設したものでグラナダルネッサンス様式と呼ばれるスタイル。ほかのアルハンブラの建物とは全く異質で、はっきり言って浮き上がっているように見える。現在は博物館として機能しているようだが。。
設計はイタリアのミケランジェロに師事したペドロ・マチューカで、彼はアルハンブラ全体の建築物の修復責任者でもあった。彼の死後、この修復作業は世襲されて継続されたというがいつまでか不明である。カルロス5世宮殿 城・宮殿
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約15分くらい前から係員が9時の入場者を並ばせ始める。
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列にならんでいると幾何学的に刈り込まれたこのマチューカ庭園(Patio de Machuca)がすぐ左下に見える。もちろん設計者ペドロ・マチューカに因む命名である。
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殆ど待つこともなく、メスアール宮の入り口付近に到着。右はカルロス宮殿の壁。入場に際してオンラインで購入したら送られてくるスマホのQRコードもパスポートのチェックもなくて拍子抜け!!
メスアール宮 城・宮殿
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いよいよナスル朝宮殿メスアール宮に入場。30分毎に300人のみ入場可。
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メスアール宮(Mexur)
メスアール宮 城・宮殿
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メスアール宮は残っている王宮のなかでは最も古いといわれている(1319)。しかしメスアール(政庁)の間そのものはその数十年後に改造された。画像でわかるように、キリスト教時代に聖歌隊のバルコニーが追加され、天井部分も大きく変更されている。
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聖歌隊のバルコニーの一部である木の欄干と腰壁のモザイクタイル。
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木工象嵌の天井の装飾パターンがイスラム時代とキリスト教時代ではっきり異なっている。
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右手奥がオリジナル、左手がキリスト教時代に改変された天井部分である。
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PLUS ULTRA(プルス・ウルトラ=更なる前進の意味)のタイル銘板。スペイン国の標語で、カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の個人的なモットーから採用された。
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メッカの方角に向けて作られたメスアールの祈祷室。16世紀の大爆発による被害を受け、かなり修復の手が入っている。
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このアルハンブラ宮殿内に見られる装飾タイル敷き詰めパターン。
ー>今でいうテッセレーション(英語: tessellation)のパターン? -
メスアールの中庭南側(コマレス宮ファサード)
つまりコマレス宮とメスアール宮を隔てている壁。 -
メスアールの中庭の床の真ん中に位置する噴水。水の流れる音と冷却効果をねらったものだろう。それと、もともと砂漠の民であった彼らにとって水=オアシス=安らぎという心理的効果もあったかもしれない。
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アラヤネスの中庭(El Patio de los Arrayanes)。南柱廊側。
長さ34mx幅7mの長方形の池をアラヤネスの生け垣が囲む中庭。
外国の使節や要人たちが王の謁見を待つ場所でもあり、大使たちのレセプションが開かれた場所でもあった。現在では、恒例となっている夏の音楽祭の会場の一つとしても使用されているとか。
池の両側の建物は女性たちの住居として使われた部分で、窓の部分は外からは見えないように透かし彫りが入っている。
*アラヤネス(Arrayanes=天人花と訳されているが銀梅花というのが正訳らしい)。 -
アラヤネスの中庭(El Patio de los Arrayanes)。北柱廊側
正面の塔がコマレス塔 (Torre de Comares)、柱廊のすぐ後ろが船の間 (Sala de la Barca)、その奥が大使の間 (Salón de Comares) となる。 -
コマレス宮、コマレスの間に向かう。
コマレス宮 建造物
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船の間 (Sala de la Barca)
天井の形状が船を思わせるところから命名されたとも。。 -
アルコーブ部分。
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MCエッシャーがアルハンブラで研究し、のちに彼独自の’空と水’等の作品を生み出すもとになったパターンがこれ。
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大使の間(Salón de Embajadores)。玉座があり、公式の接見が行われた場所。
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大使の間。アルハンブラ宮殿のなかでは最も広く高い天井をもつ。
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大使の間の天井。8017個のはめ木細工で星空を表現している。
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ライオン宮、ライオンの中庭。
ライオンの中庭 建造物
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具象的表現のないイスラム芸術では異色の彫刻。12頭の大理石のライオンによって支えられた噴水は水時計でもあったが後世のある時点で修理のため分解したらメカニズムがわからなくなりそれ以来、水が出なくなったという内容の記述を読んだことがある。私が行った時も、どのライオンの口からも水がでていなかった。出さないで飲み込んでいるのかも??*-#
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124本の白大理石が中庭に優美に配置されている。向かいに見えるのは園亭で手前の園亭とシンメトリーに配置されている。
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ズームで撮影。園亭の屋根がしっくりこない印象を受けるのだが。。東南アジアかどこかの建物の屋根を持ってきたような。。
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二姉妹の部屋(sala de dos hermanas)精巧なムカルナス。八角の天井に、白と緑を基調にした部屋。
二姉妹が居住していたからそう呼ばれているわけではなく、その名前の由来は部屋の中央に敷かれた二枚の白い大理石をこう呼んだものだとか。。 -
ニ姉妹の部屋より見える庭。
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アベンセラヘスの間。二姉妹の間の向かい側にあり、この部屋でアベンセラヘス家の男性たちが打ち首にされたという伝説からそう呼ばれている。ワシントンアービングはこれはフィクションであり、当時の戦闘の一つで多数のアベンセラス家の騎士たちが殺害されたのだと述べている。
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鍾乳石飾りの丸天井の内側に壁からせり出すように八角形の鍾乳石飾りの部分を取り付けていると思われる。丸屋根が始まる部分には小窓があり、そこから淡い光が鍾乳石飾りを照らし出している。
それに続く壁や柱部分のレースを思わせるような漆喰の細工が見事である。 -
鍾乳石飾りの天井を異なったアングルで。こちらは同じ八角の天井でも、二姉妹の部屋と違って白とブルーを基調にした部屋になっている。
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部屋の中央にあるこの大理石の水盤に錆による染みがある。言い伝えによるとアベンセラヘス家の男性たちの血の跡だと言うホラーな話もあるのだが。。。
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諸王の間(Hall of the Kings)。
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諸王の間の鍾乳石飾りの天井。
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革で覆われた三つの木製の丸屋根に諸王の絵が描かれている。キリスト教徒たちによってイスラム教徒の王たちの伝説や冒険が描かれたものだという。
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リンダラハのバルコニー1。
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リンダラハのバルコニー2。
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リンダラハの中庭。5角形のスペースを囲むように柱廊が配置され噴水を中心に高低のある植栽が幾何学的にデザインされている。
アルハンブラがキリスト教徒の手に渡ったあとの改造の一部として作られた中庭なのでナスル朝の中庭というより、むしろ回廊式西洋庭園の趣がある。リンダラハの中庭 建造物
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リンダラハのバルコニーを側面からみたところ。左がリンダラハの中庭である。
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ワシントンアービングが滞在した部屋。中は立ち入り禁止。
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ワシントンアービングが滞在した部屋はこのバルコニーにつながる。
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バルコニーからはアルバイシン~サクロモンテの白い街並みの丘が見える。
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鉄格子の中庭(Patio de la Reja)。2階に鉄格子があるので単純にそう呼ばれているらしいのだが。。
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ここもリンダラハの中庭の一部である。
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パルタル宮に向かう通路の上は居住空間になっていたようだ。ハーレムの住人の空間?
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パルタル宮領域に入る。
パルタル庭園 広場・公園
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アーチに藤の花がこぼれるように咲いていて目を楽しませる。
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パルタル宮。水鏡にうつる貴婦人の塔(Palacio del Partal またはTorre de las Damasとも) 。パルタル宮は、ムハンマド3世によって建設されたアルハンブラ宮殿でもっとも古い部分。貴婦人の塔は、14世紀初めにユースフ1世によって増築された。昔はここが大ハレム [Harem] で400人位の女たちが水浴したり、池にうつる水鏡で化粧をしていたところであったという。
アラビア語のパルタルpartalとは、柱廊(=portico)を意味し、その名の通り5つのアーチを持つ柱廊がある。 -
北側の建物の1階は吹き抜けになっていて,アルバイシンの丘が見通せるバルコニーにつながっている。中庭は1958年の火災の後,遺構が見つかり復元されたものである
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階段横のスペースは水の通路になっている。ただスロープを流れるだけでなくステップがつけてあるので、水の落ちる音が耳に快い音を奏でるようにデザインされている。
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階段中央の水路を流れてきた水は池を通り再び中央の水路から出て次の池に流れていくように設計されている。微妙に高低差をつけていることがわかる。
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改装されたかつてのモスク、サンタマリア教会とイスラム風園亭のコンビネーショが面白い。
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上の段からパルタル宮庭園、池をみたところ。
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朝アルカサバを見る時間がなかったので、まずぶどう酒の門までもどり、そして要塞部分に出向くとしよう。
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アルハンブラで最も古い(9世紀)建築物、アルカサバ。かつてのアルヒーベ(Aljibe)を埋め立てた広場なのでアルヒーベ広場(貯水池広場)とも呼ばれる。
*ここには岩盤を深く掘り抜いた巨大な貯水池があり要塞全体の水を確保していたという。
そのそばに立つ2つの塔は:左がケブラーダの塔 [Torre Quebrada] (折れた、壊れた塔) 、右はオメナーヘの塔 [Torre del homenaje] (臣従の塔) 。アルカサバ 建造物
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チケットチェックを受けてから入場。この峻厳、堅固な防壁の間を通っていく。現在のアルカサバはムハンマド1世によって建設されたもので、彼は城の周りを城壁で囲んで防御を高め、さらに三つの塔(ケブラーダの塔、オメナッヘの塔、ベラの塔)を建設しアルカサバを真の要塞に変貌させた。ムハンマド1世とムハンマド2世はナスル朝宮殿の建設が終了するまで(息子のムハンマド2世が統治をしている間)アルカサバに住んでいたが、宮殿の建設終了後はそちらに移ったので、その後はアルカサバは軍の要塞としてのみ使用された。
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まず到着するのはカステレンセ地区=ミリタリー地区(アルマス広場と同義と考えてよいと思う)。兵士や僕従の人々の居住空間であり一つの町のようになっていた。
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井戸。このほか共同浴場や武器の保管庫なども整備されていた。
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アルマス広場でくつろぐ旅人達。かつて兵舎や住居、浴場などがあった居住区は土台部分が残っているだけの遺跡広場になっている。
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ベラの塔。4つの旗(EU旗、アンダルシア州旗、スペイン国旗、グラナダ旗)が翻る(はず)。風がないので項垂れている。
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ベラの塔よりアルカサバをみる。右に見えるのは通って来たアルマス広場。
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遥か遠くには雪のキャップをかぶったシエラネバダ山脈。中ほどの高い山はムラセン山だろうか?手前の塔はアルモハド時代(12世紀)につくられたサルタナの塔(Torre de la Sultana)。
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アダルベの庭園
名前の由来はアルカサバにある城壁上部の通路(adarve)に位置していることから。アルカサバの入口にあり、庭園からは町の景色が一望できる。 -
アダルベの庭園の噴水。飲料には適していないようだ。
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アルカサバを出て→に従ってヘネラリーフェ離宮に向かう遊歩道を歩くとこの分断されたアセキアリアル(王立灌漑用水路)と水の塔(Torre del Agua)のサインが見える。。
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Acequia Real(王立灌漑用水路)を示す銘板。
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初代のムハンマド・アラマール王によってつくられたアセキアリアル(王立灌漑用水路)の一部である水路橋と水の塔(右側)。上記画像部分の分断された部分は水路の左部分である。
夏でも雪が残るシェラネヴァダ山脈を水源とするダーロ川上流を6km遡ったところで取水し,いったんヘネラリーフェの丘の上部に貯水したあと、緩勾配で丘沿いに水を運ぶ複雑な水路を建設した。ヘネラリーフェから送られた水は小さな谷を渡る水路橋を経由してアルハンブラ城塞に入ってくる。この水路橋を見張るための監視塔が水の塔であった。と同時に常時兵士が詰める防御施設でもあった。
この水の塔も1812年にナポレオン軍によってグラナダ撤退時に爆破されたので壁の一部しか残っていなかったが、1870年、アルハンブラが 国の記念物に指定された後、修復されたものである。この下の空堀はチノス坂である。 -
袋小路の塔(Torre del Cabo de la Carrer=Tower of the End of the Street)
メインの通り(Calle Mayor) の突き当りにあるのでこの名で呼ばれる。1812年の半島戦争時に敗北したナポレオン軍がグラナダ撤退時に爆破したので基礎部分しか残っていない。
プリンセスの塔と水の塔の間に位置しており、もともと1502年にカトリック王家によって軍事目的のため建設されたものであった。
参考:https://www.alhambradegranada.org/en/info/towersandhigheralhambra/toweroftheendofthestreet.asp -
アルカサルやナスル朝宮殿のあるサビカの丘(Colina de la Sabika)から遊歩道をとおって谷を渡り太陽の丘(Cerro del Sol)にあるヘネラリーフェ離宮へやってきた。王族の夏の離宮、農園、果樹園として造営されたので季節の花やオレンジの実、ザクロの花、藤などが目を楽しませてくれる。ここはその「下の庭園」と呼ばれる広大な庭園。
ヘネラリーフェ庭園 自然・景勝地
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アーチの奥のオレンジ。
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自然のままにのびのび育った感のある藤。
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庭屋外劇場を抜け、花と噴水の庭を通り抜け、ようやく離宮の建物に入る。農園をもった王の夏の離宮としてつくられたので、他のアルハンブラ宮殿の建物はよりいくらかトーンダウンした印象である。レンガと漆喰の重厚で温かなテクスチャがここちよい。
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ヘネラリーフェ離宮入口。
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谷を挟んで先ほどまでいたナスル朝宮殿がみえる。右手にアルバイシンの街並みも。右の凹凸のある胸壁を持つ塔はピコの塔(Torre de los Picos)。胸壁の先端はレンガ製の角錐になっている。日本語ではその形状からくちばしの塔ともよばれているようだ。ヘネラリフェへの通路の監視が主目的であった。
左の塔は囚われ人の塔(Torre del Cadi)。 -
囚われ人の塔(Torre del Cadi)画像拡大。その名前の由来はアブール・ハッサン.アリ王(Abu'l ?asan ?Alī,、ボアブディルの父)の後の第二王妃となるソラジャ(もとキリスト教徒でイサベル・デ・ソリスという名)が若い時にここに囚われの身で住んでいたからである。最終的に彼女はイスラム教に改宗し改名して2児をもうけるのであるが、のちに第一王妃であるボアブディルの母、アイシャと激しく対立。王に仕えるアベンセラヘス家とベネガス家をも巻き込む大きな内部抗争に発展した。1479年のことと言われる。結果としてアブール・ハッサン.アリ王がアベンセラヘス家の騎士たちをアルハンブラ宮殿内(アベンセラヘスの間)で虐殺したのは、彼等の相当数を処刑することによって叛徒の見せしめにすべきだと当時、宰相であったアブール・カシム・ベネガスが王に奏上したからだといわれる。と同時に彼は政敵を抹消することにも成功したといえよう。この話はワシントンアービングもアルハンブラ物語で書いているのだが、彼は虐殺はフィクションであり、当時の戦闘の一つで多数のアベンセラス家の騎士たちが殺害されたのだと述べている。イサベル・デ・ソリスはアルハンブラがキリスト教徒の手に落ちると元の名にもどりセビリヤで生涯を終えたと伝えられる。
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ヘネラリーフェ離宮ーアセキアの中庭(Patio de la Acequia)
シェラネバダ山脈を水源とするダーロ側上流から取水し、複雑な水路を経由して引水して作られたアセキア(掘割)の中庭。
建物で囲まれた細長い中庭に二つの細長い池が配置されている。池の細長さがアラヤネスの池と異なる。他分あまり長い(50m)ので中央に横切る通路をつくったのでは?水と花に囲まれたオアシスというところであるが,この噴水は後世の追加とのこと。 -
アセキアの中庭。この南棟の建物は’元見張りの塔’。
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ヘネラリーフェ離宮ーアセキアの中庭 イスマエルの塔方向にむかうと’王の間’と’見晴らしの塔’と呼ばれる部分が見える。
*イスマエルの塔:1319年にグラナダ王国のイスマエル1世が王族の夏の邸宅として造営した離宮なのでこの名で呼ばれる。 -
アルバイシンの街並み。アセキアの中庭の突き当りにある小宮殿のパビリオンから。
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スルタナの糸杉の中庭1(Patio de Cipreses de la Sultana)
糸杉の下で王妃と臣下の(アベンセラヘス家?)若者が逢瀬を重ねたという伝説がある、いかにもロマンチックな雰囲気の庭園。 -
スルタナの糸杉の中庭2。これが彼らの密会を目撃したとされる糸杉。既に枯れているのだが伝説的存在に敬意を表し銘板(後ろの壁)付きの名誉職を与えられている。
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水の階段。14世紀に造られたこの階段は、当時のまま残っているヘネラリーフェ庭園の奇跡的建造物。
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ヘネラリーフェ離宮の上階展望所より。アセキアの中庭、右手にイスマエルの塔、左手にサンタマリア教会、中ほどにグラナダの街並み、遠くにベガ(沃野)が広がる。
ヘネラリーフェとはアラビア語で「天上の楽園」という意味で、天国にあるという水の庭園のイメージを形にしたものであるようだ。 -
ここにも藤が。。
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夾竹桃のトンネル、1862年、イザベラ2世の訪問に合わせて植栽されたもの。
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帰り道、ランチはパラドール.デ.グラナダ(Parador de Granada)でとることにする。
パラドール デ グラナダ ホテル
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ガスパッチョとパスタ(パスタのメニューは少なくてせいぜい2、3種くらいしかない)をオーダーすると冷たいムース状のアぺタイザーをサービスしてくれた。多分パンは自家製だと思うがとてもおいしかった。パスタはラビオリで中にシュリンプが入っていてホーランデーズソースのようなものにからめてあった。雰囲気がよくて料理の味も上品でとてもいいレストラン。☆☆☆☆☆
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午前中にアルハンブラを訪ね、午後はサクロモンテ、旧市街へというのが今日の予定。見ていない部分もあるのだがアルハンブラはここまでにしておこう。それにかなり歩いたので足が疲れている。頑張ってサンタマリア教会あたりまで歩いたら、運よく空車のタクシーが登って来た。これで大聖堂あたりまで楽に行ける。では、さようならアルハンブラ。
11日目#2(準備中)に続く。
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パラドール デ グラナダ
4.11
グラナダ(スペイン) の旅行記
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