2023/08/24 - 2023/08/24
54位(同エリア62件中)
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記181冊
- クチコミ320件
- Q&A回答0件
- 702,281アクセス
- フォロワー11人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
岩見沢に隣接する三笠市は、道内最古の炭田開発が行われ、石炭輸送のために鉄道も建設されました。インフラ整備/採炭に労働力を供給するために、全国の重罪人を集めた収監施設も存在しました。豊かな自然と、奥深い歴史が共存する街です。
前編はこちら↓
https://4travel.jp/travelogue/11852510
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
北海道の鉄道の歴史を学ぶために訪れたのは、三笠市の山奥にある記念館。
なぜかというと、北海道に最初に鉄道が敷設された理由が、この地にあるからです。 -
北海道に鉄道が開通したのは、首都圏(東京~横浜)/関西(大津~神戸)に続いて、全国3番目でした。
京浜/京阪神に次ぐのは名古屋等ではなく、小樽~札幌なのは意外です。 -
石炭発見
1873年に行われた地質調査で、幌内(現三笠市)で良好な石炭層が確認されます。
ただ、輸送手段がないのが問題でした。
1878年に札幌~幌向(岩見沢市)まで道路が部分開通するまで、交通は未整備でした。 -
北海道を統治/管理していた開拓使は、有名なクラークを始め、大勢の外国人専門家を招聘しました。
1879年に土木/鉄道顧問として赴任したクロフォードは、鉄道→水運(石狩川/日本海)のリレーで小樽へ積み出す開拓使の計画に意見します。幌内炭田~手宮港(小樽)まで鉄道を通すことを提案し、採択されます。
1880年1月に札幌~手宮港(小樽)間を着工します。 -
札幌~小樽間は崖が海岸まで迫り、陸路は磯伝いに徒歩で越えるのが現状で、馬車道でさえ存在しませんでした。クロフォードは赴任して直ぐにトンネルを開削して馬車道を開通させ、開拓使の信頼を勝ち得ました。
-
同年11月には手宮港~札幌35.9kmを先行開業させ、札幌と外港を繋ぎます。
本州の鉄道はドイツ/イギリスの製品と技術でしたが、北海道はアメリカです。西部劇のような光景なのは、そんな理由です。機関車には、地元の伝説に因み義経/弁慶/静etc.と命名されました。 -
1882年には、幌内まで全通します。
それまで最長区間だった大津~神戸間を超える路線長です。
※1882年に時限機関の開拓使は廃止され、鉄道は工部省の管轄(官営幌内鉄道)になりました。
写真は1891年の路線図ですが、1888年に幾春別炭鉱への支線が開通した以外は、何の変化もありません。 -
いざ、幌内炭鉱へ。北海道で最初の近代炭鉱です。
鉄道記念館から未舗装の道を1kmほど上流へ遡ります。
幌内炭鉱景観公園として整備されています。 -
まずはフライング。
遊歩道の中間にあるのが、音羽坑。
一番最初(1880年 明治13年)に開坑。
ここが全てのはじまりです。 -
遊歩道入口に戻り、目に付く空き地。
ここに炭鉱事務所が建っていました。 -
幌内神社本殿
音羽坑の横の山に位置します。
炭鉱では、江戸時代から山の神を祀って安全を祈願しました。
炭鉱夫は、現場の分霊に向かって毎日入坑前に安全祈願/出坑後に安全の感謝を祈りました。 -
祭神
山の神である大山祇命(つみ)大神は、炭坑必須の神様です。
ほかに国土経営(国造りの神)を司る大国主神、原野の神として鹿野屋姫大神を祀っています。 -
旧幌内炭鉱変電所
神社の麓にあります。
1880年の操業開始以来、蒸気を動力にしていましたが、1898年に滝の沢水力発電所を建設し、1896年に開坑した北海道初の立坑(養老立坑)換気用の扇風機が電化されました。
養老立坑:この沢を300m遡った所に開坑。北炭清水沢火力発電所跡 名所・史跡
-
1919年には夕張の清水沢火力発電所と幌内を結ぶ20kmの送電線が完成し、変電所とレンガ造りの機械室が建設されました。十分な電力は採炭能力を大幅に向上させます。
旧幌内炭鉱変電所 名所・史跡
-
安全灯庫
初期は鰊の油を燃料に裸火で灯火したが、坑道が深くなるにつれて残留したガスに引火するリスクが高くなり、1893年から完全密閉の安全灯を使用しました。ただの倉庫ですが、レンガで化粧されています。 -
音羽坑
幌内炭鉱発祥の地であるだけでなく、北海道近代炭礦はじまりの地です。旧幌内炭鉱 音羽坑 名所・史跡
-
往時は、こんな姿でした。
-
常磐坑(斜坑)
1941年に採炭開始。既に70年経過していた幌内炭鉱の近代化を図ります。
内部は養老坑や布引坑等と繋がり、神社左の本坑で一括して採掘した石炭を搬出しました。1950年にはベルトコンベア化されます。 -
神社の右側は副坑で、レールの上を走る機関車とトロッコに乗って炭鉱夫が出入りしました。
立坑は最短距離で目的の深さまで到達できます。一方、斜坑は坂道なので距離や所要時間は伸びますが、大量輸送に向いています。立坑は資材運搬に使用し、斜坑は2本掘って原炭/鉱員の輸送に使用するのが一般的です。 -
拡大
半分近く埋まっているとはいえ、立派な様子がわかります。 -
選炭場
原炭(採掘物)を石炭と殻に選別します。
常磐坑からベルトコンベアで原炭が運ばれました。
石炭は、下の貨車に落として輸送します。 -
不純物(通称ズリ/ボタ)は、選炭場からケーブルカーやロープウェイによって山へ廃棄しました。写真は、ケーブル巻上機の土台。奥にはズリ山(ボタ山)がそびえます。
-
選炭は当初人力で行っていました。女性の仕事でした。
※山の神は女性なので、女性が入坑すると嫉妬すると考えられ、忌諱されました。ただ最大の理由は、筋力勝負の肉体労働だからです。 -
後に、シックナー等を用いた機械選別にとって代わります。大雑把に言うと、池に投入して、比重の軽い石炭を取り出し、比重が重く沈むボタを廃棄に回す感じです。
-
当時の選炭場周辺の光景。
幌内炭鉱は、1989年に廃坑になります。 -
こんな感じで、線路跡が残ります。
-
鉄道記念館のある旧幌内駅まで戻ってきました。
-
往時の幌内駅
引き込み線がたくさん並び、賑わいがあります。小樽港から伸びた線路の終着点です。
後に小樽~岩見沢間は函館本線に編入され、岩見沢~幌内13.6kmは1987年に国鉄と運命を共にしました。 -
そのまま三笠市街まで2.5kmほど歩いて下ります。
-
ちなみに往路は、こんな市営バス(コミュニティバス)で来ました。片道200円です。現金払い、お釣りのないようにするのがスマートです。
-
幌内住吉駅跡
市営住宅が立ち並び、かなり大きな器です。
現在はほぼ空き家です。 -
旧三笠駅
旧国鉄時代の姿が残ります。
小樽港~幌内炭鉱の鉄道建設を起案し、建設の先頭に立ったクロフォード(前述)の名を冠した公園として公開されます。クロフォード公園 公園・植物園
-
構内には、1961年に北海道初の特急としてデビューした当時の車両が展示されています。
-
公園事務所は、開業当時の駅名幌内太になっています。
事務所は線路をまたぐ形で建ち、オリジナルとは違います。
※北海道の地名に多い太は、アイヌ語で河口を意味する単語の当て字で、幌内川河口という意味です。実際、幌内川が本流の幾春別川に合流します。 -
幾春別川を挟んで幌内駅の向かいは市来知(いちきしり)地区、三笠市街です。
写真のように、市役所が立地します。市民会館、高校、警察分署等、中心的建物が並びます。
人口は8,000人を割りますが、市制を施行しています。 -
市来知を見下ろすのが三笠山。万葉集でお馴染みの山に似ていることから命名。
1906年に市来知/幌内/幾春別(後述)の3村が合併して、三笠山村が誕生します。 -
三笠山の山腹。灯台下暗しで、植生に覆われてスカイラインがわかりません。
-
三笠山の麓に、謎のレンガ煙突。
年季を感じさせます。空知集治監典獄官舎レンガ煙突 名所・史跡
-
旧空知周治監(1882-1901)
三笠市は、黒いダイヤこと石炭だけでなく、炭鉱に伴う黒歴史も埋まっています。
いわゆる重罪人を寄せ集めた刑務所で、囚人を開墾/炭鉱/道路建設といった事実上の強制労働に従事させました。劣悪な労働環境で死んでも、世の中から悪人が一人減って浄化されたに過ぎず消耗品として補充すれば良い。当時の価値観からすれば、そんな一石二鳥のアイデアでした。ピーク時は3000人が収監されました。
重罪人には自由民権運動等の政治犯が含まれたこともあり、非人道的との世論を受けて1901年には廃止されます。三笠市のインフラは、彼らの労働の賜物です。 -
さっきの煙突は典獄(所長)官舎の煙突で、囚人の労働で製作されました。
-
現在、敷地の大半は三笠小学校および中学校になっています。
-
1kmほど離れた場所に柏町(共同)墓地があります。
1883~94年まで音羽坑で、1日約800人~1200人が石炭採掘に従事していました。 -
その一角に通称千人塚、合葬の墓があります。当初囚人は一人ずつ埋葬されましたが、965名に達した時点で塚に変更。最終的に1158名が埋葬されています。横には、自由民権運動者の碑が。安上がりな労働力としての位置付けを今に伝えます。
合葬の碑 名所・史跡
-
市民会館前のバス停。
こちらは幌内方面へ行く市営コミュニティバス乗り場。 -
こちらは、北海道中央バスのバス停。
岩見沢発幾春別行のバスに乗ります。 -
幾春別川を渡ると、弥生地区。炭鉱住宅が4棟並びます。現在も居住している私有地です。奥には弥生坑跡が残ります。
通称ハーモニカ長屋、炭住。 -
路線バスの終点、幾春別町バス停。
国鉄幾春別駅の跡地です。
幾春別炭鉱は1886年に開坑し、2年後の88年には幌内太~幾春別間の鉄道が開通しました。 -
アカダモの木
炭鉱に仕事を求めて移住した人たちは、アカダモ(ハルニレ)の大木を目印にやってきました。 -
その先には、幾春別橋が。
1926年架設のコンクリート橋で、現在は車両通行禁止です。 -
遠くから見るとこんな感じ。
-
奔別炭鉱
幾春別最大の炭鉱で、1900年開坑。幾春別川支流奔別川沿いに広がります。1930年に住友炭鉱に経営が移り、1971年の閉山まで2650万トンを産出しました。写真は、1959年に完成した立坑櫓で51mの高さ。直径6m深度735mの一大立坑です。旧奔別炭鉱立坑櫓 名所・史跡
-
往時の様子。
-
奔別川沿いに、無数の炭坑があります。
-
手前より市営住宅、ボイラー室の煙突、ズリ山。
こちらにも国鉄の引き込み線が伸びていました。 -
幾春別炭鉱の市街図。
炭鉱を中心に町が並んでいます。
幾春別と奔別だけで、1960年の時点で15000人が生活していました。
今の三笠市の人口の2倍です。 -
選炭場
幾春別炭鉱で採掘された原炭を選別しました。向かいにはズリ山が。
幌内炭鉱と同じ配置です。 -
選炭場跡は、市立博物館になっています。幾春別駅から選炭場まで国鉄の引き込み線が続いていました。その先は、森林鉄道が伸びます。
三笠市立博物館 美術館・博物館
-
森林鉄道跡
1938-56年にかけて営業。上流の桂沢(現在はダムで水没)は良質のエゾ松やとど松が自生し、18世紀から伐採されていました。国有林を伐採し、運び出す鉄道です。沿線住民も利用できましたが、1957年に供用開始された桂沢ダムおよび代替道路の完成で使命を終えます。 -
博物館裏庭の橋を渡って、いざ潜入。
-
沿道には、石炭の露頭が。
-
線路跡を外れて階段を60段上ると、
-
立坑の櫓が。
幾春別炭鉱錦坑です。1886年に開坑し、幌内炭鉱に次ぐ歴史を誇ります。
地表に近い部分は掘り尽くし、鉄骨櫓の下に立坑と呼ばれる垂直の穴を掘ります。1920年に開通し、直径4.85m全長(深さ)215mのスペックです。立坑には、エレベータが運行されました。旧幾春別炭鉱錦立坑櫓 名所・史跡
-
櫓横の捲揚室内部。
エレベータを昇降させるワイヤーを巻き上げました。幌内の変電所から7.8kmの送電線を経て、電力で巻き上げました。建物は鉄筋コンクリート造のレンガ化粧。立坑の開削で、石炭の産出は年間10万トンを超えます。 -
幾春別炭鉱は、1886年に開拓使を引き継いだ(鉄道/幌内炭鉱)工部省が開坑します。1888年に北有社に譲渡し、幾春別への鉄道を開通させます。1889年に北有社は北海道炭礦鉄道に経営を譲渡し、大いに発展します。
-
階段を下りて水辺へ下ると、錦坑の出入口が。
水平に伸びる坑で、立坑に接続します。
坑内から坑外の選炭場まで、トロッコ列車が運行されました。 -
左:立坑と錦坑の関係。
立坑出入口は丘の上に有り、原炭を上まで運ぶとロスが生じます。
選炭場へ続くトロッコの線路沿いに水平なトンネルを掘って、原炭を効率的に輸送しました。 -
錦坑周辺の光景
開坑3年後の1889年の光景。 -
同上
1897年の光景。石炭の露頭の下にトロッコの線路が走っているのがわかります。 -
位置関係
手前の建物が、現在博物館のある選炭場。
赤丸で囲んだ部分が錦立坑。 -
幾春別層
石炭が含まれる地層で、地表に露出しています。 -
拡大すると、地層が垂直に伸びています。
地層は水平方向に堆積しますが、90度変化しています。 -
垂直な地層
地層の両側から力が掛かると、真ん中の部分は歪んで(褶曲)垂直に位置する部分ができます -
三笠層
幾春別層の2倍の歴史を持ちます。
貝殻などが含まれ、海底だったころの名残です。 -
逆断層
左右から押される力が働いたときに発生。
褶曲を経て、90度回転しています。 -
三笠層は、恐竜が活躍した時代の地層。
というわけで、彼らの壮絶なバトルを描いたレリーフが。
かなり史実を無視したシーンです。 -
神泉トンネル
奥の方を見ると素掘り(人力)の断面が残っています。 -
神泉閣跡
1910年に開業した絶景旅館。対岸から吊り橋を渡ってアプローチ。森林鉄道の建設に伴い、廃業しました。 -
遊歩道の終点
森林鉄道は桂沢湖まで線路が続きました。桂沢湖 自然・景勝地
-
橋を渡って、
-
道道116号線に合流。
-
今日はここで一泊。
鴨鍋が有名です。
翌日は、幌内に次いで開設された歌志内炭鉱を訪れます↓
https://4travel.jp/travelogue/11851941
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
三笠・南幌(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
81