2023/08/15 - 2023/08/24
1440位(同エリア16384件中)
ばねおさん
モンマルトル墓地は、ペール・ラシェーズ、モンパルナスと並んでパリの3大墓地のひとつ。起伏がある土地の形状ゆえか、小ペール・ラシェーズとも言われている。
自分がいつも散歩道のようにしているモンパルナス墓地とくらべると、全体にやや陰湿な印象を受けるのが、それは大樹が多く、生い茂った枝葉が空を狭めているせいなのかもしれない。
他の二つの墓地同様に、ここにも多くの著名な人物が眠っていて、個性的な墓も多い。
墓地の案内図を見ると67名の著名人がリストアップされているが、この他にも世に知られている人物の墓所がいくつもある。
日本人としては画家の荻須高徳が挙げられる。
もう一つのサン・ヴァンサン墓地はモンマルトルの丘の北側にあって、ユトリロの墓所があることで知られている。
今回、せっかく訪れたのだからと思い、できるだけ多くの墓を巡ってみた。それと管理事務所に確めたい事柄もあって2度の訪問となったのだが、墓所を見学するだけなら短時間で「一筆書き」のように回ることも可能だ。
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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クリシー広場から来ると、コーランクール通りRue Caulaincourtを進んで陸橋の手前で階段を下りるとモンマルトル墓地の入り口に出る。
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ペールラシェーズやモンパルナスに比べて小さいとはいえ、それでもここには2万基以上の墓がある。
門の横に守衛所があり。その先には区画番号と通路名の入った見取り図がある。
ペール=ラシェーズやモンパルナスと同様に見取り図と対照できる著名人の一覧リストが用意されていて、目指す墓所探しに役に立つ。
QRコードからスマホにダウンロードして辿ることも出来る。 -
入り口近くの墓地の上に陸橋 (Caulaincourtコーランクール橋)が架かっているのがいささか鬱陶しい。
この下をくぐり抜けるとロータリーに出る。 -
こちらがロータリー
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ロータリーを左に折れて、「Avenue de la Croix通り」を進むと左手の第30区画に作家スタンダールの墓がある。
『赤と黒』、『パルムの僧院』など、若い頃にずいぶん愛読したので自分にとってはフランス文学のお師匠さんのような存在だ。
スタンダールは本名マリー・アンリ・ベール Marie Henri Beyle。墓碑もそのようになっている。
グルノーブル生まれのフランス人なのだが、ミラノ(イタリア)に憧憬を持ち、自分はミラノ人であると称していた。
モンマルトルの地とは特に縁はなく、たまたまパリ滞在中に路上で倒れて亡くなってしまったためここに葬られた。ミラノに埋葬されなかったことは、さぞかし残念無念であったろう。 -
スタンダールが残した墓碑銘はとても有名だ。
一見するとラテン語のようにも見えるが、イタリア語で書かれている。
ARRIGO BEYLE
MILANESE
SCRISSE
AMÒ
VISSE
ミラノ人アッリゴ・ベイレ
書いた
愛した
生きた
ちょっと違和感があるのは、墓碑の「書いた、愛した、生きた」の順番。
「生きた、書いた、愛した」の順番でずっと覚えてきているのだが...
三つの単語は同じでも、語順で受け止め方はだいぶ違ってくる。 -
同じ通り沿いを進むと、「モンモランシー通り Avenue de Montmorency」と交差する付近にガラスの箱のような珍しいお墓がある。
数年前に亡くなったフランス・ギャル(France Gall)がここに眠る。
墓地のリストでは夫である作曲家ミッシェル・ベルジュ(Michel Berger)の名前で載っている
フランス・ギャルは『夢見るシャンソン人形(原題はPoupée de cire, poupée de son)』を日本語でも歌って人気だった。 -
手前にフランス・ギャルの名前、上には先に亡くなった夫のベルジュと娘のポリーヌが記されている。
『夢見るシャンソン人形』は、先日亡くなったジェーン・バーキンの夫であったセルジュ・ゲンズブールの作品であった。 -
次に向かったのは荻須高徳画伯(1901- 1986 )の墓所。
「Avenue de Montmorency」との交差路を左に曲がり、すぐを右に入っていくと12区画の標示がある。
「Chamin Lavalee通り」の一列目なので分かりやすく、ここからでも特徴ある墓標が見てとれる。 -
特徴ある円柱の下にはオブジェのパレットが置かれていて、いかにも画家の墓である。
この辺りは大樹もなく、明るく開けた感じになっている。 -
円柱に刻まれたOguissのサイン。
下には夫人の名が記されている。
先年、亡くなられてしまったが、とても懇意にしていただいたY画伯が、モディリアーニの娘と荻須画伯と3人で撮った写真を宝物のように終生大事にしていたことを思い出す。 -
できるものなら荻須画伯に特にお聞きしたいことがある。
それは佐伯祐三の死のこと、それと米子との関係だ。
ここはぜひ事実を確かめたいところなのだが、やはり墓場まで持って行った真相を明かしてもらうことは出来まいか。 -
次に立ち寄ったのは22区画のニジンスキー(Vaslav Nijinsky, 1890 - 1950 )の個性的な墓所。
旧ロシア帝国のキエフ(現ウクライナ)出身の天才的バレエダンサー・振付師として名前だけは知っている。 -
ニジンスキーの左斜め後方に位置しているのは画家のギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826 - 1898 )。
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年月によって薄れた文字を際立たせるために誰かが手を加えたものなのか、白色の塗料のような跡がある。
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9区画。
ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach, 1819 - 1880)。 -
「天国と地獄」の有名な旋律しか知らないのだが、これを聞くと運動会の徒競走を連想するのは自分だけ?
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次に、7区画のレオン・フーコー( Léon Foucault 1819 - 1868)
地球の自転を証明した人。 -
パンテオンにはフーコーの振り子が動いている。
この動きがどういう意味を持つのか、自分にはまるで理解できないのだが、次の変化を期待する気持ちで眺めていると結構飽きない。 -
フーコーさんにもお聞きしたいことがあるのですが..
地球の内部資源の取りすぎで、自転軸がだいぶ傾いてしまっているそうなのですが、ご意見はいかに? -
フーコーさんのすぐ近く、5区画の標示の傍にあったのは、サックス(サクソフォン)の発明者、アドルフ・サックス( Adolphe Sax, 1814 - 1894)の墓。
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霊廟の壁面には、楽器サックスの絵柄が添えられ、ベルギーの出身であること、パリで亡くなっていることが記されている。
そもそもサックス(サクソフォン)という楽器名が発明者の名前に由来しているとは知らなかった。 -
22区画と21区画の中間線上にあるアレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils, 1824 - 1895)の墓は霊廟というような雰囲気だ。
父は『三銃士(ダルタニアン物語)』、『モンテ・クリスト伯』などを著したアレクサンドル・デュマ・ペール。
どちらもアレクサンドル・デュマなので二人を区別するために、名前の後ろにペール(父)、フィス(息子)を足して呼んでいる。(あるいは大デュマ、小デュマ)
こちらアレクサンドル・デュマ・フィスの代表作は『椿姫』。 -
天井には何やら書かれているが、臥像と同じように横になって見上げないと読み取れそうもない。
失礼を詫びながら、手をかざして写真を撮ってみた。 -
『椿姫』のモデルとなった実在の女性もこの墓地内に眠っている。
15区画、マリー・デュプレシスとして知られるアルフォンシーヌ・プレシス( PLESSIS Alphonsine 1842-1847 ) 。
なかなか立派な造りの墓で、一輪の赤いバラが置かれていた。
本当は椿の花が似つかわしいとは思うがあいにく今は季節ではない。 -
墓石に貼られている肖像画。
カメラの腕も良くないが、もともとぼんやりした画像なのだ。 -
この墓地では何度か数種の猫を見かけた。
フランスの人懐こい猫たちばかりを見慣れているので、声をかけるのだがすぐに逃げてしまう。野良なのだろう。
この猫だけは、ちょっと変わっていた。
通路の真ん中で頑張っていて逃げ出す気配がない。
被写体になってはくれたが、フレンドリーな雰囲気ではない。 -
21区画、フランソワ・トリュフォー(François Roland Truffaut 1932 - 1984年)。
ゴダールと並んでヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督だ。
先ほどデュマの墓所から通りに出たところで、墓探訪らしきイタリア人の父娘に声を掛けられた。ダリダの墓を知らないかという。
イタリア語しかできないというので困ったが、ダリダの墓を教えるのにちょうど良い位置(まっすぐ行って上へ行け)にいたので何とか伝えることが出来た。
その後、しばらくしたら又、出会った。
まだ見つけられないのかと思ったら、「グラッチェ」の連発ですぐに分かったようだ。
今度はトリュフォーを教えてくれという。
そもそも東洋人の自分になぜ聞くの? オレは墓案内人ではないのだよ、と言いたかったがあいにく言葉がほとんど通じない。 -
トリュフォーの墓石の後方にこんな文字が刻まれていた。
何を意味しているのだろうか。
ちょっと謎の言葉だ。 -
27区画にあるドイツの詩人ハイネ。
ここにハイネの墓があるとは知らなかった。
少し調べてみたら、上部にあるハイネの胸像はオーストリア=ハンガリー帝国のエリーザベト皇妃が制作させたものであるという。
ハイネを深く尊敬していた皇妃は、ハイネの像を彼の出身地に贈ろうとしたが受け取りを拒まれたため長く手元に置いていた。その後、皇妃が暗殺されたため、像はこのお墓に納められたものであるという。ひとつの胸像にもいろいろ歴史があるものだ。 -
ユダヤ人の家庭に生まれ、パリに移住したハイネはどうやら出身地のドイツ人にはあまり好まれていなかったようであるが、実際はどうなのだろうか。詳しい方に聞いてみたい。
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ハイネの近くにあるのは18世紀のフランスの画家ジャン=バティスト・グルーズ (Jean=Baptiste Greuze, 1725 - 1805)の墓所。
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こちらも画家のシンボルのようにパレットのオブジェが足元に置かれていた。
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クルーズの作品をひとつ
1778年作『Tete de jeune fille』(コンデ美術館)
少女や若い女性を描いたやや甘ったるい作品が多い中で、これは心情の動きを巧みに表現をしているように思う。 -
クルーズと同じ通りの先にあるのは、モンマルトルに住んでいた『幻想交響曲』のベルリオーズ(Louis Hector Berlioz、1803 - 1869 )。
旧紙幣の肖像にもなっていたことがある。 -
ユトリロの描いた『ベルリオーズの家』(1914年)パリ市立近代美術館。
ユトリロは同じ題で何点か制作している。 -
ユトリロが描いた2階建ての「ベルリオーズの家」は、今ではこのような姿になっている。
モンマルトルのサン・ヴァンサン通り11番地。 -
建物の壁面には「ベルリオーズ協会」の名で、かってここにベルリオーズの住んでいた家があったと記されている。
要するに姿かたちは何も残っていないということだ。 -
はじめに通過したロータリーに面してジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard、1732 - 1806 )の名が記されたプレートがある。
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経緯は不明だが、フラゴナールの墓は消滅していて、かってはここにありましたという印なのだ。
フラゴナールは、ロココ期のフランスの画家で「ブランコ」が良く知られている。
余談だが、フラゴナールの作品『読書する娘 La Liseuse』を見て、たちどころに日本の有名な絵画が思い浮かばないだろうか。 -
フラゴナールの後方の階段を昇るとエミール・ゾラ(Émile Zola、1840 - 1902)の墓所だ。
ただ、ゾラは偉人としてパンテオンに祀られているので、ここは墓石しかないということになる。 -
モンマルトル墓地で一番の人気であろうダリダの墓は陸橋の反対側の小高い場所にある。
おそらく墓所の配置は計算したのだろう。墓地の塀の向こう側にはルピック通りがあってダリダの住んでいた邸宅につながっていく。 -
光背のようなデザインのある像は、まるで新興宗教の教祖様のような印象を受ける。
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ひとつの逸話がある。
ミス・エジプトになったダリダが女優を目指してパリにやって来た頃、住んでいた同じ安アパートで好感の持てる青年と挨拶を交わすようになった。
青年も俳優を志望していたが、繰り返しオーデションに落ちながら生活のためのアルバイトに必死の毎日で、ダリダもまた同様であった。
二人は好意を持ちながらも交際に発展せず月日はそのまま流れていった。
女優になれなかったダリダは歌手としてスタートし、青年は念願の俳優になれた。
10年後、二人は世界的に大ヒットするデュエットを放った。
「パローレ、パローレ...」の歌詞が印象的な『甘い囁き(原題『Paroles, Paroles』)だ。 その青年とは言わずもがなアラン・ドロン。
こうした話は後でうまく作られることが多いので、多少割り引かなければなるまいが半分以上は本当のようである。 -
随分と前のことだが、ダリダの日本公演を見に行ったことがある。
万雷の拍手で登場したが、足を痛めたので座って歌いますと言って最初から最後まで椅子に腰掛けて歌って終わった。
その時の正直な感想は、日本の観衆を見くびっているな、という思いだった。
その思いが正しかったかどうか、今でも分からないのだがダリダについての直接の記憶だ。 -
モンパルナス墓地と同じくこうしたベンチが所々にあるのだが、この墓地ではベンチを利用して読書したり寛いでいる人を見かけない。
やはり、雰囲気はモンパルナス墓地とはだいぶ異なっている、というのが率直な感想だ。 -
そんな中で、二人の若い女性がベンチの両端に座り、間に弁当を広げて食事をしている光景に出会った。
ひっそりと食べていた、と言いたいが、おしゃべりしながらパクついている。しかも聞こえてくるのは日本語のようだ。
そもそも墓地内で飲食は許されていないのだが、それを知らないのだろうか。
その前に、ここは日常的に葬儀が執り行われたり、悲しみの癒えぬ近親者が墓参に来たりする場所なのだ。
興味を持って来るのは良いとしても、死者に対する礼というものがまるでない振る舞いには呆れてしまった。
よほど注意をしようかと迷ったが、やめにした。
そもそもそうした感性を欠いた人間には言うだけ無駄のような気がしてしまった。 -
ダリダの墓を後にして、モンマルトルのもう一つの墓地サン・ヴァンサン(Le cimetière Saint-Vincent )へと向かう。
墓地の上に架かっている陸橋を通り、まっすぐに行けば5、6分の距離だ。
サン・ヴァンサンには、「壁抜け男」のマルセル・エメ、「北ホテル」「天井桟敷の人々」のマルセル・カルネ、雲と空の画家ウジェーヌ・ブーダン、そしてモーリス・ユトリロが眠っている。 -
モンマルトル墓地に比べたらはるかに小ぶりなサン・ヴァンサン墓地では、ねむの木が花をつけていた。
モンマルトル墓地の入り口に「 Michou ミショーの墓はここにはありません。サン・ヴァンサン墓地です」と書かれた掲示があった。
はて、Michou って誰だろう? わざわざ断り書きがあるくらいだから有名な人物であるには違いない。最近亡くなった芸能人だろうか? まるで見当がつかず、行ったら確認しようと思いながら歩いてきたのだが、着いたらすっかり忘れていた。
いったい誰だろう...?
ちょっと気になる。 -
12区画の南東。
「雲の画家」あるいは「空の画家」とも称されるブーダン(Eugène-Louis Boudin, 1824 - 1898)がここに眠っている。
数年前オンフルールへ行って、ブーダン美術館で数多くの作品を目にすることが出来た。
パリではオルセーの一階に作品がいくつか展示されている。 -
空と雲を大きく取ったブーダンの作品。
印象派にも少なからぬ影響を与え、とりわけモネとの関係が知られている。
ただ、ブーダンがなぜここに埋葬されているのかは不明だ。
墓所もいたって地味な佇まいである。 -
モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883 - 1955)の墓は墓地の奥まった塀壁際にある。
壁の向こうはソール通り Rue des Saules でユトリロの愛した酒場「ラパン アジル」が面している。
塀で遮られているとはいえ、自分が入り浸っていたお気に入りの酒場が、数メートル先にあることで満足しているだろうか。 -
見違えるように綺麗になったラパンアジル。
もしかしたらユトリロも戸惑っているのかも知れない。
「これは俺の知っている飲み屋じゃないよ」、と呟く声が聞こえてきそうな気もする。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ちゅう。さん 2023/09/17 23:17:33
- アドルフ・サックスのお墓
- ばねおさん、お久しぶりです!
パリはすっかり秋でしょうか?
ペール・ラシェーズとモンパルナス墓地は訪れたことがありますが、モンマルトルとサンヴァンサン墓地は行ったことがありません。負けず劣らず、荻須先生をはじめ有名な方のお墓がたくさんあるのですね。
なかでも、アドルフ・サックスのお墓があるのは意外でした。
サックスの生家があるベルギーのDinantを訪れたことがあり、ばねおさんの旅行記に触発され、旅行記をアップすることにしました。
ずいぶん前の旅行でボンヤリ写真ばかりですが、こちらのばねおさんの旅行記のURLを紹介させていただいてもよろしいでしょうか。
また、別の旅行記で紹介されていた La Maison Rose
ユトリロの絵ことを知らなかった初めての海外旅行で偶然、ランチをしました。
メニューを見ても普通のコーヒーが分からなくて、唯一Cafeの文字が読めたコーヒーを頼んだら、1000円もするアイリッシュ・コーヒーだったと言う大失敗の思い出があります。その後、ユトリロにもはまったりして何もかも懐かしいです。
なかなか再訪は叶いませんが、パリの様子、引き続き楽しませていただきますね。
ちゅう。
- ばねおさん からの返信 2023/09/18 06:22:57
- RE: アドルフ・サックスのお墓
- ちゅうさん、こんにちは
9月に入ってからのパリは、暑い日が続いています。
8月は肌寒い日々が多かったので、残暑というよりは遅れてやってきた真夏日です。
とは言え、やはり秋の気配は此処かしこに感じられます。
サックスの生まれた地を訪れたことがお有りとは、随分と希少な体験ではないでしょうか。
ぜひ旅行記にアップして下さい。
私の記したものを引き合いに出していただくのは一向に差し支えませんし、むしろ有り難く思います。
La Maison Rose の思い出は、なかなか忘れ難い内容ですね。
それにしても、そんな専門店のようなメニューがあるのも驚きです。
Dinantはどんな所なのかも含めて旅行記を楽しみにしています。
ばねお
- ばねおさん からの返信 2023/09/18 06:23:36
- RE: アドルフ・サックスのお墓
- ちゅうさん、こんにちは
9月に入ってからのパリは、暑い日が続いています。
8月は肌寒い日々が多かったので、残暑というよりは遅れてやってきた真夏日です。
とは言え、やはり秋の気配は此処かしこに感じられます。
サックスの生まれた地を訪れたことがお有りとは、随分と希少な体験ではないでしょうか。
ぜひ旅行記にアップして下さい。
私の記したものを引き合いに出していただくのは一向に差し支えませんし、むしろ有り難く思います。
La Maison Rose の思い出は、なかなか忘れ難い内容ですね。
それにしても、そんな専門店のようなメニューがあるのも驚きです。
Dinantはどんな所なのかも含めて旅行記を楽しみにしています。
ばねお
- ちゅう。さん からの返信 2023/09/18 07:27:04
- Re: アドルフ・サックスのお墓
- ばねおさん、ありがとうございます!
早速、URL追記させていただきました。
本当に古くて写真もボケてますが、ご覧にいただけると嬉しいです。
アルデンヌ地方は特に秋が美しい地方ではないかと思います。
今年のパリの9月は真夏並みに暑いのですね
日本もほんの少しだけ過ごしやすくなったと思ったのは数日で、また暑さがぶり返しています。
日本以上に寒暖差があるかと思います
どうぞご自愛ください
ちゅう。
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