2023/08/15 - 2023/08/24
1395位(同エリア17084件中)
ばねおさん
モンマルトルの丘には久しく登っていない。
中腹にあるアベスまでは行っているのだけれど、メインストリートであるルピック通りから先にはすっかり足が遠のいてしまった。
理由は簡単で、何もかもがすっかり観光仕様になっているモンマルトルがあまり好きではないからである。
丘の上の家賃は高騰し、古くからの住民は逃げ出し、残っているのは観光客相手の商売ばかり、とも聞く。
とはいえ、観光客の絶えた朝夕のモンマルトルの情景には風情があって、昔日の姿を彷彿とさせるだろうことも頭の中では分かっている。
その、すっかりご無沙汰していたモンマルトルの丘へ、いくつか訪ねたい場所もあって20余年ぶりに出かけてみた。しかも夏の観光シーズンの真っ最中にだ。自分でも何もこんな時期にとは思うのだが、考えてみればモンマルトルはいつも観光シーズンだ。
記憶の断片を頼りに、手探りで昔と今を比べながら歩いてみたモンマルトルの丘は意外にもそれほど大きな変化はなかった。もちろん、いくつかの場所では月日の流れというものを感ぜざるを得なかったがそれはどこでも同じことだ。
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ピガール広場から入ったアンドレアントワーヌ通り(Rue André Antoine)。
観光コースから外れていることもあってこの付近の人の往来は少ない。 -
通りの名前の由来は、リアリズム演劇の先駆者であるアンドレ・アントワーヌ(André Antoine 1858 - 1943年)に因んでいる。
アントワーヌの「自由劇場」が活動していた場所には記念の銘板が2枚掲げられている。
上のプレートには、かって「自由劇場」のあったこと、下には参加した俳優と作家たちが列記されている。
トルストイ、エミール・ゾラ、ストリンドベリ(Johan August Strindberg)などの名前も見える。 -
Andre Antoine通りから階段の先に見えるのはアベス通り( Rue des Abbesses)。
観光客らしき姿が行き交う様子が窺える。 -
ジェルマン・ピロン通り (Rue Germain Pilon)を曲がる。
行ったことはないのだが、モンマルトルには確かダリ美術館もあったはずだ。 -
ほぼ昔の面影の残るベロン通り (Rue Veron)。
-
建物の外壁にアーテイストたちのさまざまなパフォーマンスが見られる。
-
31番地には、設置されてまだ日が浅い、ヴァシリー・ポレノフ(1844-1927)とイリヤ・レーピン(1844-1930)の記念プレートがあった。
1873-1874年までここで創作活動をしたことが記されている。
日本での知名度は今ひとつだが、レーピンはロシアを代表する画家。
ロシアとフィンランドの国境地帯で生まれたレーピンは、晩年をフィンランド領となった家で過ごし、ロシアからの再三の帰国要請を断り続けた。
レーピンの死後、同地はロシア領となり地名にレーピンの名が冠せられた。
レーピンからすれば、さぞかし迷惑な話に違いない。 -
以前の旅行記にも書いたが、2021年にプチパレで開かれた「イリヤ・レーピン展」は実に素晴らしいものだった。
近年開催された美術展の中でも際立った内容だったと思うが、現下の状況では世界各地で催すことは難しいだろう。 -
レーピンの自画像。
1887年の制作なので43歳の時の姿。 -
自分の好きな作品のひとつ。
『Fille de pêcheur』(1874年 )
純朴な漁師の娘を描いた作品。
繊細な表現が伝えてくるものは、貧しくとも決して悲惨ではない生活だ。 -
坂道を辿り、メイン通りのルピック通り( Rue Lepic) に入ると俄然往来する人の姿が多くなってくる。
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54番地のゴッホ兄弟が暮らしたアパートには、ほぼ確実に日本人観光客の姿があるだろう、と見込んでいたら、やはりそれらしき人影があった。ここは「洗濯船」と並んで日本人の観光巡礼地のようになっているらしい。
ただ、昔は外壁に説明プレートがあったはずだが、それがどうも見当たらない。 -
石畳の坂道がいかにもモンマルトルだ。
日本でいえば「景観条例」のようなものがあって、モンマルトルの石畳の石は寸法までも細かく定められていたはずだが、今でもそれは存続しているのだろうか。 -
ルピック通りを上っていくと、やがてよく知られた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(Moulin de la galette)」に出会う。
もちろん昔のままではない。
放置され廃墟となっていたものを新たに再建したものだが、それから又、月日が流れ今ではすっかり定着している。 -
ムーラン・ド・ラ・ギャレットといえばやはりこちら。
ルノワール作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 Bal du moulin de la Galette(1876年)」(オルセー美術館) -
ムーラン・ド・ラ・ギャレットを横に入り、ジラルドン通り (Rue Girardon) の「Théâtre Lepic ラピック劇場」。
こちらは現役の劇場だ。
さまざまな実験劇も行われているらしい。 -
その斜向かいにあるのがマルセル・エメ(エイメ)広場 (Place Marcel Aymé)。
こちらも又、よく知られた「壁抜け男」のある広場だ。 -
壁抜け男の左手は、壁から引き出そうとしたのか、あるいは単純に握手攻めにあっったためか、磨き上げられたようにそこだけ光っている。
この彫刻の作者はジャン・マレ(Jean Marais)で、『美女と野獣』の俳優といえば顔を思い浮かべることができるだろう。俳優で監督で、作家で彫刻家、こうした多才な人物を一言で言い表す言葉がないのが残念だ。 -
壁抜け男の右上方の二つの物体。
赤い乳房の記憶はないが、金色のお尻は何となく憶えているような...
手の届くはずのない高さのお尻は、どういう訳か表面が剥げたようになっていた。
月日の流れはこんなところに変化をもたらしていたか、と剥げた尻を見て思う。 -
ジラルドン通りを進むと、「シャトー・デ・ブルイヤール Château des Brouillards」がある。
シャトーなのだから城をイメージしてしまうが、そこにあるのは城館でもなければ宏壮な館でもない、まるで平凡な建物だ。
一般的には「霧屋敷」と訳されている。
恐らくここは観光名所とはなっていないのだろう。わざわざ立ち寄って見上げる人もいない。 -
「霧屋敷」の前にある歴史解説碑。
「シャトー ・デ ・ブルイヤールの名前は、ジラルドン通りとアブルーヴォワール通りの角にあるブットの噴水から立ち上る水蒸気によって形成される霧に由来しています、云々」
昔々、モンマルトルがまだ牧歌的な村だった頃、モンマルトルの丘にはいくつもの風車があり、頂上近くにはシャトー・デ・ブルイヤールがあってランドマーク的な建物であったことが当時の資料から分かる。
それにしても、いくら他に建物がなかったとは云え、シャトーと称したのには恐れ入る。 -
この「霧屋敷」がその名を知られるのは、19世紀に活躍した作家のネルヴァル(Gérard de Nerval, 1808 - 1855年)が1840年代にここに居を構えたことに始まっている。
そのずっと後に、廃墟のようになっていた霧屋敷には、デュシャン=ヴィヨン(Duchamp-Villon)、ヴァン・ドンゲン(Kees Van Dongen) 、フェリックス ジエム(Félix Ziem)、モディリアーニなど貧しい芸術家たちが勝手に住み着いた。
今で言えば不法占拠していたといってもよいだろう。 -
霧屋敷に隣接する「スザンヌ・ビュイソン公園 Square Suzanne Buisson 」
中央の白い像は、切られた自分の首を持っているサンドニの像だ。
サン・ドニが首を洗ったという泉の伝説もここにはある。 -
公園の高台から霧屋敷を眺めていたら背後から「こんにちは」と声をかけられた。
振り返ると先ほどから近くにいた毛むくじゃらの初老の男だ。
こちらも挨拶を返したら、「日本の方ですか?」と随分と上手に日本語を話す。
8年間、「西日本」に住んでいたという。
そして、「何か武術をおやりですか」と尋ねてきた。
コロナ以来髪を長く伸ばし、これを総髪か丸髷にしているので、その風体がなんとなく曰くありげに見えたらしい。「武士みたいですね」ともいう。
「忍術でーす」と答えたら本気にして伊賀か甲賀かと聞いてきたのには参った。おぬしは冗談という言葉を習わなかったのか?
スマホから刀剣やら、武具の画像を見せてくれた。相当のマニアだ。
フランスでは日本の武術を教えているという。
よくみると足元にヌンチャクのようなものを置いていて、どうやらここで練習をしているらしい。
こちらが適当に相槌を打っていると、あまり気を許さない様子を察してか、「ヨシさんをご存知ですか、私はヨシさんと知り合いです」と言い出した。
ヨシさんとはO.ヨシさんのことで、これにはびっくりした。
マイパートナーがヨガサークルでヨシさんと一緒で、また、個人的な事柄の橋渡しをしたこともあって多少存じ上げている。
ただ、フランス人がヨシさんを知っているのは不思議でもない。
日本ではいざ知らず、O.ヨシさんは仏米ではとりわけ有名で、カフェに座ったりすると通りがかりのフランス人がわざわざ挨拶にやって来る、と知人が驚いて語ってくれたほどだ。
何しろフランスの文化勲章を三つも授与されているし、フランスに住んでいる日本人の中で最も知られ、敬わられている存在であると言って間違いない。
従って、「ヨシさんを知っています」と言われても言葉通り受け止める訳にはいかないのだが、ヨシさんが卒寿であることなど周辺事情も詳しいので、あるいは本当の知り合いなのかもしれない。
その毛むくじゃら氏の肝心の名前を忘れてしまったが、記念に撮った写真があるので機会があったら確めてもらう他ない。
意外な場所で、思いがけぬ知り合いの名前を聞くのは驚くとともに嬉しいものだが、こうした日本武道とか禅とかワビサビを口にするフランス人はどうも苦手だ。 -
霧屋敷の先にあるダリダ広場。
没後10周年で建てられた彼女の胸像がある。
胸の辺りがすっかり変色しているのは、撫でることで幸福になれるという「いわれ」があるらしい。
幸福にはあやかりたいが、手を伸ばすには少々ためらいが... -
近くににあるダリダの邸宅は今もそのままの形で残っていた。
外塀には記念プレートも設置されているが、ここまで訪れる人は少ないようだ。 -
ダリダ広場の下の階段と周辺も手付かずの状態で残っていて、昔日の風情がある。
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ダリダ広場を境にして、道は名を変えてアブルヴォワール通り Rue de l'Abreuvoirとなり、サクレクールを後方に置いた曲がった坂道の構図が昔から画家や写真家などに好まれている。
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アブルーヴォワール通りとソウレ通り rue des saulesの角にある「 ラ・メゾン・ローズ La Maison Rose 」。
多くの画家たちに描かれた建物だが、すっかり化粧直しをされたようで薔薇色も真新しい。 -
「ラ・メゾン・ローズ」から下ってくるとモンマルトルのブドウ畠。
毎年、収穫祭が行われていて観光行事にも組み入れられているモンマルトル名物の一つだ。
自分の住む近くのジョルジョ・ブラッサンス公園にもブドウ畠があってモンマルトルの6割程度の広さしかないが、毎年ワインのオークションが行われている。
調べてみたら、パリには5つのブドウ畠が現存している。
ブドウ畠といえばワインだが、実はフランスはワインの余剰在庫を抱えて四苦八苦している。おまけに諸経費の高騰で、生産費が販売価格を上回る事態となっているという。ワインを廃棄し、ブドウ畠を縮小して農家の生計維持に政府は多くの予算を組んだそうだが、何とももったいない話だ。 -
サン・ヴァンサン通り Rue Saint-Vincent を挟んで右はブドウ畠、左の角にはルノワールやゴッホ、そして何よりもユトリロが入り浸っていた「ラパン・アジル Lapin AGILE」。絵にもなっているこの風景は昔の記憶のままだ。
-
だが、「ラパン・アジル 」は別物かと思うほど変わっていた。もっとも20余年前のままであるはずもないのだが...
蔦が巻きついて、崩れかけたような建物の面影はどこにもなく、綺麗に立派になっていた。これはこれで良いのだろうが、もうすっかり観光客相手の仕様だ。 -
ユトリロが描いた『ラパン・アジル』作品の一つ。
ユトリロが通い詰め、愛する酒場であった頃の情景だ。 -
歩き続けて腹が減った。さて、昼食をどうするか
モンマルトルの丘には飲食店が数えきれないほどあるけれど、何もかもが観光用の設えになっていると思うと食指が動かない。
丘を北側に下りて適当な店を探そうかとも思ったが、ひとつだけ気になる古い店がある。
テルトル広場に近い、まさに観光地ド真ん中といってもよい場所にありながら、固く伝統を守っている(はずの)店だ。 -
「La Bonne Franquette」
周囲の様子はだいぶ違うが、昔と変わらぬままに店はあった。 -
店の正面には「モンマルトル共和国」の文字が誇らしげに掲げられている。
記述は少し古いが、「共和国」はまだ存続しているのか? -
まだ開店準備中だったので、この通り沿いの席が気持ちよさそうと勝手に決めておいて扉が開くのを待つことにした。
驚くことに観光客がゾロゾロ歩くこの狭い道を路線バスが通る。 -
店の横の路地はサンピエール教会とその向こうのサクレ・クールへと続いている。
これも記憶にある変わらぬ風景だ。 -
向かいの店をみると、芸術家たちの肖像入りの看板が掛かっていた。
モネ、ユトリロ、ピカソ、ロートレック、皆さん集客に一役買っていますなあ。 -
さて、開店一番乗りとなって、希望の席も確保でき、いよいよ注文。
カレークリーム添えのチキンが乗ったボンヌフランケットサラダ。
シャルキュトリーの盛り合わせプレート。
ソースで味付けしたカマルグライスの上にピスタチオソーセージ
その他名前を聞いてもよく分からない物等々
それぞれ旨いが、例によって量が多すぎて食べきれない。
ここまで攻められると、もっと生野菜が欲しくなる
締めのデザートは、ホイップクリームチーズに栗のペースト添え。
手の込んだ装飾性は皆無だが、その味は格別だった。
店の給仕も気持ちよくきちんとしたものであった。
「また、次回に」、という最後の挨拶もおざなりではなくて気に入った。
そうそう、料理に添えられたパンがあまりに美味いので、後でどこのパン屋なのか確かめようとして聞いてくるのを忘れてしまった。 -
「ボンヌ フランケット」の店内はとても広く、集会もできるほどだ。
さすが「モンマルトル共和国」の本部(?)
ブドウの収穫祭なども、確かここで行われるのではなかったかなあ -
トイレへの通路上には数々の額が飾られていて、結構興味深い。
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できれば一つひとつ丹念に目を通していきたいところなのだが、あいにくとトイレの往復路にあるので、通行の妨げになり残念ながらいつまでも立ち止まっていられない。
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食事を済ませて、次はコルト通りRue cortot へ出た。
現在は「モンマルトル美術館」となっている、画家たちの旧アトリエに寄ってみた。 -
入館はせず、中庭だけをちょっとのぞかせてもらった。
右手の建物がルノワールのアトリエとして使われていた建物だ。 -
モンマルトル美術館に隣り合う6番地は、音楽家エリック・サティ(1866-1925年)の旧住居。
番地数字の上に小さなプレートが掲げられている。
「Eric SATIE 作曲家 1890年 -1898年ここに住む」と記されている。 -
次に「ベルリオーズの家」跡に寄ってサクレクールの横に出た。
階段で黒猫がアコーディオンの上に乗って曲を弾いている。
もちろん弾くのは猫ではなく人間だが、後ろにはロートレックの黒猫のポスターが用意されていて、なかなか舞台装置に凝っている。
それなら曲は『黒猫のタンゴ』が良いのでは、と余計なアドバイスをしたくなった。
ここまで歩いて来る途中に、何人もの似顔絵描きに声を掛けらた。
5分で〇〇です、といいながらついてくる。
何だか日本の場末のキャバレーの客引きを連想する。
テルトル広場で場所を確保できない似顔絵描きたちはこうして歩いてセールスをしているのか。
さすがモンマルトルだ。 -
そしてやってきた、モンマルトルの象徴サクレ・クール。
こんなに間近で見るのは20年ぶり。 -
見物客の多さは予想していたが、思っていたほどでもない気がする。
この景色は昔も今も変わらない。
ここで強引な「寄付署名」に出会った。
ペンと台帳を差し出してサインを求める、どこにでもある詐欺まがいの金集めだ。
断ってもしつこく離れず、二人がかりで手にペンを握らせ腕をとってサインさせようとする強引さだ。呆れると同時に腹が立って怒鳴ったら散っていった。
パリ市庁舎前あたりでもよく出会うが、ここまで図々しいのは初めてだ。
やはりモンマルトルだ、と妙に感心してしまった。 -
せっかくここまで来たのだからと思い、サクレ・クールにも入ってみた。
ここは一巡してすぐに退出。 -
丘の上にはまだ名所名物があるが、自分の記憶に結びつくものは一通り巡ってきた。
サクレ・クールの横、ユトリロ通りを下りて丘の東を少し歩いてみた。
丘に続く階段は多くあるが、ここはお気に入りだ。 -
丘から見て北東にあたる近辺はあまり目立った変化は見られない。
いってみれば路地裏の風景があちらこちらに残っている。
ランベール通り(Rue RAMBERT) には,いろいろなセリフが添えられた肖像画が壁に描かれていた。 -
こちらはニッケ通り(Rue Nicoket)
「芸術はもっとも美しい嘘だ」
なるほど、ナルホド。 -
「時間だよ」Rue Nicoket
はい、そろそろ帰ります。 -
ユトリロの絵でお馴染みのコタン小路 (Passage COTIN) を通って帰ることにした。
-
そもそもユトリロの時代と比較することに無理があるのだが、それでも随所にそれらしき形が残存している。
決定的に違うのは歩道の幅とガス灯の存在だ。 -
コタン小路からこの長くて急な階段を登るとサクレクールの東側に出る。
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階段の左右には建物の出入り口があって、今でも利用されているようだが日々の生活を考えると実に大変だと思う。
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階段が苦手な人には、回避する方法がある。
Rue du Chevalier de la Barreの坂道。
コタン小路の階段と並行するように丘の上へと続いている。
ただ石畳は滑るので特に下りは重心に注意が必要だ。 -
この坂道に沿った下には古いホテルがあって、もうとうに無くなっているだろうと思っていたら、だいぶくたびれた姿ながらもまだ現役営業中だった。
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ただ、建物と坂道との間に突っ張り棒ような横杭が何本も出ていて、まるで建物の傾きを支えているかのようである。
パリは地震がないけれど、日本であれば簡単に倒壊してしまうのではないかと思えてくる。
なるほど、モンマルトルには古き時代が残っていた。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ユーユさん 2023/09/25 11:37:33
- モンマルトルの丘
- ばねおさん
こんにちは。
去年、モンマルトルの丘に行ったので懐かしく拝見しました。
とても詳しく書いて下さって行く前にもっと知識を持って行くべきだったと後悔しました。パンを買いに行くのが目的だったので(^^;
私も前にフィレンツェに行った時に署名詐欺にしつこくされました。
何とか無事に逃げれたんですが。
日本人は、はっきり断れない性格?ターゲットにされやすいんでしょうか。
今度は何時パリに行けるのか・・・円安を止めてほしいです。
ユーユ
- ばねおさん からの返信 2023/09/25 21:33:48
- Re: モンマルトルの丘
- ユーユさん こんにちは
かなり独りよがりのモンマルトル紀行ですので、あまり参考にはならないとは思いますが、昨年であれば掲載した写真と変わらぬ風景がご覧いただけたのかも知れません。
パン屋さんというのはきっと「シンヤパン」のことでしょうね。
いろいろな方から耳にしているのですが、私はまだ行っていません。確か営業時間が限られていたので、うまく都合が合
わせられずにいるのですが、どなたも絶賛しているのでぜひ足を運んでみたいと思っています。
「日本人は、はっきり断れない性格?」
その通りだと思いますね。周囲への気遣いとか、相手への遠慮とか、国内では評価されても海外ではまるで通用しない価値観は財布の中にでもしまっておいて滅多に使わない、という位が良いのかも知れません。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございました。
ばねお
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