2023/08/11 - 2023/08/11
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かつのすけさん
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明野のひまわりを見に行った
https://4travel.jp/travelogue/11846457
後、増富温泉へ行こうと思ったものの、急遽予定を変更し、韮崎へ
念のためと思って持ってきた続100名城スタンプ帳も無駄にはならず新府城スタンプをゲットして、武田氏ゆかりの場所を巡ってみました
【表紙の写真】新府城本丸跡
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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山の日のこの日は午前中に明野のひまわりを見に行き
北杜市明野サンフラワーフェス 祭り・イベント
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温泉に入って
ハイジの村 クララ館 スパ&レストランホテル 宿・ホテル
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12時頃韮崎駅に戻ってきました
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駅前にはサッカーの像
韮崎にはサッカーで有名な韮崎高校があり、ヴァンフォーレ甲府の設立当初からの主要ホームタウンでもある
韮崎中(現在の韮崎高校)初代校長堀内文吉氏が「八ヶ岳おろしの吹きすさぶ中では、テニスや水泳は無理だ。蹴球が一番適している」と蹴球を校技にしたのが始まりだそうです -
韮崎から中央本線に乗って移動します
韮崎駅 駅
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12時10分発松本行
待ち時間はほぼなし -
お隣の新府駅で降ります
新府駅 駅
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上下線が分離されている駅舎もない無人駅です
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新府城まではこのような駅方面と城方面の距離が書いてある道標が設置されています
このまま5分ほど歩けば新府城 -
の筈だったのに、途中で道路工事のため迂回を余儀なくされる
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さっきの工事がなければここに繋がっていたんだろうけど
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その工事中からの道に続いているのがこちら
そのまま新府城址に繋がっています -
真っ赤な鳥居を潜り、藤武稲荷神社へと上る
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酷暑の中でこの階段、まじキツイ
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けど、頑張って登り切った
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神社の裏側には新府城の本丸跡が広がっています
新府城は天正10年武田勝頼により七里岩台地上に築かれた平山城で、武田家の本拠地は躑躅ヶ崎館から新府城に移転、同年織田軍に進軍され武田勝頼は岩殿城に移るため新府城に火をかけて廃城にしたそうで、68日しか存在しなかった城だそうです -
神社の裏に広がる新府城本丸跡
新府城跡 名所・史跡
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その片隅にあるのが「武田勝頼公霊社」
武田勝頼公420年祭に造られた -
現在も発掘作業が続いているようですね
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けっこう広い本丸跡が広がっています
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駅へと戻ります
途中振り返って改めて新府城を見る
あの辺が先ほどの新府城 -
再び駅まで戻ってきました
この新府駅は改札もなく、上り・下り別々の入口
こちらは上りの韮崎・甲府方面のホームへの入口になっています新府駅 駅
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電車はほぼ1時間に1本
到着したのは13時頃ですが、次の電車は13時29分甲府行
そこに見えるベンチもぎり日陰にかかっていないので、暑い中30分ほど待つ
「まもなく電車が来ます」と放送が入り、おっ、臨時電車?って思ったら特急が通過して行った -
で、やっぱり13時間29分発の電車です
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1駅乗って再び韮崎へ戻ってきました
韮崎駅 駅
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駅の待合室からも入れる駅そば
先日八ヶ岳へ行った際に小淵沢駅でいただいた丸政さんのお店 -
先日食べ終わってから名物だと気づいた山賊そばをいただきました
「山賊」とは長野県の名物山賊焼きが乗っているから
(ここも本社がある小淵沢も山梨県ですけどねぇ・・・)
我孫子駅にも同じような名物そばがありますが・・・ -
地元の人に言わせれば「からあげ」と「山賊焼き」は違うものと言いますけど・・・
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駅前からは富士山が良く見える
「美しい富士山を望むまち」がキャッチコピーにもなっている韮崎市です -
駅前の観光案内所にちょっと寄ってからスタート
韮崎市観光案内所 名所・史跡
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駅から歩き始めて5分ほどのところにある若宮八幡宮
若宮八幡宮例大祭 祭り・イベント
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旧拝殿の鬼瓦
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若宮八幡宮の創建は仁和年間(平安時代)と言われ、元々は七里岩上に鎮座されていたそうですが、天正11年の暴風雨により社殿が倒壊し現在地に遷座されたそうです
天正11年と言えば、さきほどの新府城が廃城になった翌年ですね
御祭神は大鷦鷯命こと仁徳天皇 -
先へ進んで福地八幡神社
富士山の貞観大噴火に際し南都留の福地八幡を勧請して祀られた神社で、ご祭神は應神天皇・神功皇后とこちらも仁徳天皇 -
中央本線の線路を潜って七里岩へ登る急坂を登る
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岩上からの風景
七里岩は韮崎から長野県富士見市まで7里(30km)続く台地
約20年前に発生した韮崎岩屑流(八ヶ岳の山体崩壊)によりできた平坦地が釜無川と塩川の浸食によりできた高さ10~40mの断崖 -
岩上の台地にある韮崎市民俗資料館に来ました
韮崎市民俗資料館 美術館・博物館
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入口を入ったところに先ほどの新府城の続100名城スタンプが認定証と共に設置されています
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今回は増富温泉にいくつもりで、続100名城は予定外でしたが、念のためスタンプ帳を持ってきてよかった~
ということで、予定外でしたが、今回も無事にスタンプゲットしましたぁ! -
こちらは先ほどの新府城のジオラマ
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土器(縄文~弥生時代)
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籠(江戸時代)
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甲冑(戦国~江戸時代)
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資料館の脇にある水車は、明治6年頃に山木家が藤井平を流れる黒沢川沿いに創設した水車
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その奥に展示されているのは韮崎市の豪商富屋(小野家)の座敷蔵
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中は和洋折衷の“和モダン”なお座敷になっています
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この座敷蔵、平成26年度上半期にNHK連続テレビ小説として放送された「花子とアン」で幼少期の花子と朝市が忍び込んだ教会として使用されました
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花子とアンは某国営放送の朝の連続ドラマ小説として平成26年度上半期に放送された『赤毛のアン』の日本語翻訳者である村岡花子の半生を原案としたフィクションで、吉高由里子が主演
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その奥には村岡花子の生家として撮影に使われたロケセット(甲府市内から移設)もあります
甲府の貧しい小作農家の建物という設定 -
暑いので持ってきたお茶を飲み切ってしまいました
山梨だけに「桃」のいろはすをいただきました -
七里岩上を駅方向へと進んで行きます
両脇は数十m下に平地が続く中、ここだけ幅数十m断崖の上に平地が広がっている不思議な地形 -
その先端には駅のホームからも見えた平和観音が立っています
平和観音は、高崎白衣観音、大船観音の観音像と合わせて関東三観音のひとつと言われているそうです(そもそも関東じゃないように思いますけど)
皇太子殿下(現在の天皇陛下)ご成婚を記念するとともに、市民の平和と登山者の安全無事を祈願して昭和36年に完成したそうです平和観音 名所・史跡
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その観音様の前には山本周五郎氏の名作「山彦乙女」の一節を刻んだ文学碑と、松尾芭蕉が「野ざらし紀行」の途中に詠んだ句碑が建っています
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7里に亘る七里岩の先端からは
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遠くに富士山が見える
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岩の下へ下ります
坂の途中から見える観音様 -
坂の途中に穴観音への入口があります
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七里岩を貫いたトンネルを抜けると
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ズラリと並ぶお地蔵様
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真っ赤なお堂の中には
韮崎穴観音 名所・史跡
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沢山のお地蔵様
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弘法大師像が祀られています
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下から見るとこんな感じで七里岩をくり抜いて穴地蔵がある
岩の左上の方には平和観音も見えます
こちらは曹洞宗の雲岸寺というお寺です -
七里岩の先端
7里にも及ぶ台地の先端は突然台地が切れて断崖絶壁となっています -
七里岩上に立つ平和観音
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釜無川上を武田橋を渡る
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橋の上からの富士山です
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甘利沢川沿いに幸福の小径を歩き
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七里岩の東端が見えました
平和観音の先で急に台地の岩が落ち込んでいます -
田圃の中を歩いているとトンボが乱舞
昔は東京にもトンボが飛んでいたんですけどねぇ・・・ -
歩いていると畑の中へと入って行く矢印が
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武田信義の館跡に来ました
武田信義は甲斐源治の4代目 平安時代~鎌倉時代の武将
もちろん武田信玄ら武田氏の先祖武田信義館跡 名所・史跡
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その先にある泉勝院
泉勝院 寺・神社・教会
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入口に並ぶ六地蔵菩薩
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武田廣神社に来ました
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この武田廣神社は弥生時代の末期、日本武尊の御子である武田王を祀ったことに始まると伝えられています
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神社から見える大きな木が「わに塚のさくら」
その武田王の亡骸が埋葬されているそうです -
幹周り3.6m・樹高17m、樹齢約330年のエドヒガンザクラです
わに塚のサクラ 花見
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そのまま進んで行くと武田神社の二の鳥居があります
こちらの鳥居は武田信虎公・信玄公によって再建されたものだそうで、中央に『武田八幡宮』と書かれた扁額の字は武田信玄が書いたと伝えられています -
大分疲れてきましたが、この先結構な急坂
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ようやく武田神社に到着
甲斐武田家の氏神だった神社で、822年に嵯峨天皇の勅命により武田王を祀るために創建されました
その後1140年に甲斐武田家の祖である武田信義公がこの武田八幡宮で元服をして源信義から武田太郎信義と名を変えたことにより甲斐武田家が発祥したとされています -
武田八幡宮の神宮寺に宝永6年に天下太平国家安全を祈願して造立されたもので、竜岩山玉保寺の境内に移されたが、廃寺となり明治17年に信徒達によって現在の場所に遷されたものだそうです
一石百観音石像 名所・史跡
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そろそろ階段を登る気力もなくなってきましたが・・・
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本殿は武田信義公から400年後の天文10年武田信虎公・信玄公により再建されたものだそうです
武田八幡宮 寺・神社・教会
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離れたところにある武田神社の末社・為朝神社は鎮西八郎源為朝公を祀った神社
白山城跡 名所・史跡
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お堂の中に祀られているのは源為朝公の像
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先ほどの坂を下って駅の方へと戻ります
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神社の前の茂みで”ガサガサ”音がしたと思ったら野猿を発見!!!
多分、5匹くらいいました -
神山の水田の中を通って
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田圃の中にある願成寺は武田信義公の菩提寺
願成寺 寺・神社・教会
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武田信義の菩提寺らしく入口には武田家臣招魂の碑が建っています
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仏足石
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トイレも武田菱
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こちらには菩提寺だけに先ほど館跡に行った武田信義の墓があります
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中央塔が信義公、向かって左が夫人、右が乳母姫の墓塔と伝えられています
武田信義の墓 名所・史跡
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駅へと戻る途中にあったにらさき文化村
にらさき文化村 名所・史跡
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この場所が小林一三翁の生家があった場所だそうです
小林一三
阪急・東宝グループの創始者 熱血元テニスプレーヤーさんのひいおじいさん -
ようやく駅に到着~~~
韮崎駅 駅
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17時48分発高尾行に乗って帰ります
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19時44分高尾到着
接続の特別快速東京行きは19時45分発高尾駅 (東京都) 駅
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20時42分新宿到着
なんかすごく疲れました新宿駅 駅
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