2023/04/30 - 2023/06/30
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ばねおさん
モンパルナス墓地はパリで2番目の広さを持つ大墓園で、多くの著名人が眠っていることから墓所を訪ね歩く観光客もよく見かける。
自分が初めてこの墓地を訪ねたのは30年以上前のことで、以来数回来ただけだったのだが、モンパルナスに暮らし始めてからは足繁く通うようになった。
街の喧騒を離れ、散策したり読書をしたり、独りで静かに過ごすには格好の場所なのだ。平日の昼間は、そうした人たちで園内のベンチの大半は占められている。
そして同時に墓所探しも少しづつ進めていった。
墓地側がピックアップした著名人リストには110余人が載っていて、それを参考にしながら自分が関心のある人物の墓所を中心に見て歩いてきた。
わざわざ探し歩いた例もあれば、散策の途中で偶然出会った墓もある。
中には何度も立ち寄るので、「やあ、また来たのかい」と墓の中から声がかかりそうな人もいる。
そうした墓歩きの一部と、一般にはほとんど知られていない日本人の墓も記しておきたい。
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
モンパルナス駅近く、エドガー・キネ通りに面するモンパルナス墓地の正門。
門はこの他に複数箇所あって、どこからでも出入りは自由にできる。 -
どの出入り口近くにも墓園の見取り図が掲示されている。下段には著名人の一覧があって、付されている記号番号を見取り図と照らし合わせて墓所の位置を知ることができる。
同様のものがクリアファイルに入って門衛所に置かれているので、借りていくこともできる。(昔の記事を読むと地図がもらえると書かれているものが多いが、今は配布されていない。)
QRコードも用意されているので、読み込んで自分のスマホで見ながら辿ることも可能だ。 -
ただ、それでも目的の墓所を容易に探せないこともある。見取り図上の位置はざっくりとしたものだし、墓自体に目印の旗が立てられている訳でもないので実際に行ってみるとうろうろすることも少なくない。
中には刻まれた文字が薄れていたり、名前が記されていない墓もあるので、なかなか根気もいる。 -
平坦な墓園内は全体的に明るく、樹木も多いので季節ごとの変化も楽しめる。春には桜が咲いて、ちょとしたお花見気分にもさせてくれる。
モンパルナスタワーで呼ばれるトゥール・モンパルナスから数百メートルの距離にあるので、墓地からは、どこにいてもタワーが目に入ってくる。 -
モンパルナス墓地に眠る人々(墓所の数は約3万5千)の中で、やはり筆頭に挙げなければならないのはこのお方であろう。
『悪の華』、『巴里の憂鬱』のシャルル=ピエール・ボードレール Charles-Pierre Baudelaire(1821 - 1867年) -
横たわる像に一本のバラが添えられている。
花束ではなく、一本というのがなかなか心憎い。
但し、ここは墓ではなく、死後25年経って建てられたボードレールの記念碑である。
100年前に画家の正宗得三郎がスケッチした画が残されているが、比較してもその当時と変わっているところはなさそうだ。 -
ボードレールの墓は6街区の通り沿いにある。
墓碑には上段に義父ジャック・オピックの名前があり、下段にシャルル・ボードレールの名前が刻まれている。キスマークが印されているのは時代の流行だろうか。
墓石の上は行くたびに様子が変わっている。つまりはそれだけ来訪者が多いということだろう。
ある時には、詩稿のようなものが置かれていた。
ボードレールに捧げたものなのか、あるいは添削をお願いしたものかは不明であるが。 -
15年前の2008年11月に訪れた時の様子。
石のくすみも少なく、キスマークも見られない。
ボードレールの代表作は『悪の華 Les Fleurs du mal 』
その第二版の最後に『旅 Voyage 』という詩がある。
その中の一節。
「本当の旅人とは、気球のように軽い心で、ただ旅立つために、旅に出る人たちだけだ。(中略)理由は知らない、常に言うのみ 出かけよう! 」
旅に目的はいらない。
旅立つために旅に出る。なかなかいいですね。 -
シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908 - 1986年4月14日) とジャン=ポール・サルトル(1905 - 1980年4月15日)の墓は正門から入ってすぐの右手にある。
「自由恋愛」と「契約結婚」の二人は生前には同居することなく、亡くなってから同じ墓におさまっている。
亡くなった日は6年と1日違いであった。 -
2022年2月に立ち寄った時は、墓石の上は小石と切符だらけだった。
この小石(これは宗派によって墓参の意味があるけれど)や切符、キスマークが最近やたらと流行っているように思えてならない。
例えばペール・ラシェーズ墓地のオスカー・ワイルドの墓の夥しいキスマークはそれなりに理解できるのだが、どこかに誤解があって次々とそれを真似しているようにしか思えない。 -
ベタベタとついている墓碑のキスマーク。(本当のキスマークではなくスタンプではないかと思うのだが)
ボーヴォワールさん怒っていいですよ。 -
それが2022年5月になると墓石の上はこのように変わっていた。
定点観測をしている訳ではないが、お墓も見たときによって印象が随分と違う。 -
遡って2008年11月の時はこんな様子だった。
数本の花が手向けられていただけで、静かな佇まいを見せていた。
お墓自体は変わっていないのに、ずいぶんと印象が変わってくる。 -
モンパルナス墓地の周辺にはサルトルとボーヴォワールに縁のある場所が数多くある。
墓地を見下ろすVictor Schoelcher通りにはボーヴォワールが住んでいたアパルトマンがあり、 近くのCels通りには第2次世界大戦前と戦時中にボーヴォワールとサルトルが何度か住んでいたミストラルホテル MISTRAL HOTELがある。
エドガー・キネ通のサルトルがよく利用していたカフェ「La liberté (自由)」も健在だ。 -
ミストラルホテルの入り口に掲げられている銘板。
「(二人は)1937年から1937年の間及びその後の戦時中にここに住んでいた。」
そして、それぞれの作品の抜粋が数行引用されている下には、「お互いの自由を守るため、二人は別々の部屋で暮らし、死によって同じ場所に住むようになった」 -
この墓地の一番人気と言われているのがセルジュ・ゲンスブール Serge Gainsbourg (1928-1991年) だ。
ウクライナのハルキウ出身のユダヤ人である。フランスでは絶大な人気を誇る歌手であり、作詞作曲家であり、俳優でもあった。
彼のデビュー曲は「Le poinconneur des lilas(リラの門の切符切り)」というタイトルで、メトロのPorte des Lilas駅の改札係を主人公にしている。
ゲンスブールの墓石の上にメトロの切符がある所以である。
アルバム「L’Homme à tête de chou くたばれキャベツ野郎」にちなんでキャベツが置かれていることもあったが、食品を大切にする意識が高まったせいか最近では見かけない。
私生活では女優ジェーン・バーキンJane Birkinとの間に娘をもうけている。 -
少々余談だが、ちょうどこれを書いている最中にジェーン・バーキンが亡くなった報が入ってきた。76歳。
近々、セルジュ・ゲンスブールの生涯を追ったドキュメンタリーが日本でも公開されるらしい。 -
モンパルナス墓地には個性豊かなお墓が多いが、目立つお墓No.1は、ニキ・ド・サンファル Niki de Saint Phalle(1930-2002年)の作品があるこちらだろう。
ニキの助手であったリカルド・ムノンがエイズで亡くなり、ニキは彼のためにこの猫の像を制作した。
墓石の前には「あまりにも早く亡くなった、美しく若い、我々の愛する友リカルドへ」と書かれた銘板が添えられている。 -
2015年に六本木の国立新美術館で開催された「ニキ・ド・サンファル展」はとても見応えのある内容だった。
それにしてもこれは日本の墓の概念を一発で吹き飛ばしてくれる強烈な存在だ。 -
奇怪な、と言っては失礼だが、19世紀の文芸評論家、作家のサント-ヴーヴ Charles Augustin Sainte-Beuve(1804-1869) の墓は何だか妖怪を連想してしまう。17街区。
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あまり鑑賞対象としては好感が持てないのだが、台座を見るとパリ市から歴史的モニュメントに認定されている。
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彫刻家の中には、自分の墓を自分の作品で飾りたい人もいる。
彫刻家、画家アレックス・ベルダル Alex Bernal (1945-2910) -
金属や廃車をプレスした作品で知られている彫刻家セザール César Baldaccini (1921-1998)の墓。3街区
今、流行語のようになっている「サステナビリテイ」の先駆けとみても良いのかもしれない。
フランスのアカデミー賞である「セザール賞」の名前の由来者でもある。
ボンマルシェの近くで作品を見かけた人も多いはずだ。 -
一般にセバーグの名で呼ばれる、女優ジーン・セバーグJean Seberg (1938-1979年)。13街区。
墓石の上には出演作品のスチールが置かれている。
こちらも献花の絶えることがない。
出演映画『悲しみよこんにちは』の主人公セシルのヘアスタイルが時代の流行になり、『勝手にしやがれ』でヌーベルバーグの寵児となった。
アメリカの公民権運動や反戦活動を行い、政治的活動をした最初の女優としても名を残している。
1979年8月、パリ16区の路上に停められていた車内から亡くなっているのが発見された。遺書があり自殺とみられている。 -
ルーマニア出身でフランスで活躍した劇作家 ウジェーヌ・イヨネスコ Eugène Ionesco (1909 - 1994年)の簡素な墓。 6街区
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作家マルグリット・デュラス Marguerite Duras (1914-1996 )。
正門から入って左手に進むと通り沿いにある。21街区。
昔々、デュラス脚本アランレネ監督の『ヒロシマ モンナムール(ヒロシマ わが愛) Hiroshima Mon Amour』という映画があって、これが自分とデュラスとの初めての出会い。
この映画は副題(邦題?)に『二十四時間の情事』とあって、どうも副題につられた可能性もあるが、原作にも取り組んだものの、まるで禅問答のような会話には閉口した。
主役のひとり岡田英次の渋さはよかったなあ。
彼女の墓石には筆記具が数多くあるので、近くで書く物に困ったときにはお借りするかも知れません、と断りを入れているが、幸い今のところそのような場面には至っていない。 -
まだ真新しいシラク元大統領 Jacques René Chirac (1932-2019 )
墓地の中央ロータリーに面していることもあって多くの人が足を停める -
墓所に松竹梅があるとすれば
中央ロータリーは最上の松ということになるのだろう。
ロータリーに立つ像は題して「永遠の眠りの精」。 -
ベラルーシ出身の彫刻家オシップ・ザッキン Ossip Zadkine(1888-1967)の墓も簡素だ。8街区。
彫刻家は作品を墓所に置きたがるということでは決してないのだ。
ザッキンのアトリエであったザッキン美術館もほど近い。 -
シャイム・スーティン Chaïm Soutine (1893 - 1943年)。15街区。
ベラルーシ出身のユダヤ人。
木立に隠れたようなこの墓には、いつ訪れても侘しさが感じられてならない。
墓石の上には一本の小さな絵筆と作品の切り抜き写真が小石の下に置かれているだけだ。 -
上野の国立西洋美術館にあるスーチンの『心を病む女』は、もともと林芙美子が購入し、芙美子の死後、遺族が美術館の設立の際に寄贈したものである。
作品の質はもちろんであるが、この作品を購入した林芙美子の見識眼の高さ、それを寄贈した遺族の心根、いずれも敬服に値する。 -
モンパルナス墓地のすぐ近く、エドガーキネ通りにある画材屋「ADAM」はスーチンやピカソが通った店で125年前から変わらず営業が続いている。その隣の「La liberté(自由)」はサルトルがよく利用していたカフェだ。
-
カフェ「La liberté(自由)」の角を曲がると小公園 square Gaston-Batyがあり、スーチンの立像がある。
なんともひしゃげた姿だが、スーチンをよく体現しているように思える。 -
詩人、評論家ロベール・デスノスRobert Desnos (1900 - 1945年 )。15街区。
6月に見たときには小石が DESNOS の文字を形作っていたのだが... -
それから約一か月後の7月12日には小石が崩されていた。
どこかの記事にも「小石でDESNOSと書かれています」と紹介されてあったが、これは不変ではないようだ。
いずれまた、誰かが小石を並べるのかも知れない。
「積んでは崩し、また積んで」と、どこかで聞いたような歌詞があったことを思い出す。 -
デスノスはフジタ(藤田嗣治)の妻で、「薔薇色の雪」のような肌からフジタがユキと名付けたリュシー・バドゥに出会い、1931年から生活を共にすることになった。1934年に、二人はパリ6区マザラン通り19番地に越し、1944年にデスノスがレジスタンス活動でゲシュタポに逮捕されるまで共に暮らした。
金子光晴の『ねむれ巴里』には、まだフジタの妻であったユキとデスノスの様子が描写されている。 -
パリ15区ブロメ通りにある小公園 Square L'Oiseau Lunaire (旧名Terrain de Pétanque Blomet)。
公園名は広場にミロの「L'Oiseau Lunaire」が置かれていることに由来しているのだが、同時にレジスタンス運動でゲシュタポに逮捕され、後に強制収容所から解放されたものの、その一か月後に亡くなったロベール・デスノスに敬意を表して在ると入り口に記されている。 -
園内に掲げられているロバート・デスノスに敬意を表して、の銘板。
「この地は、19世紀末に多くの芸術家が次々と活躍したかってのアトリエ跡にある。彫刻家アルフレッド・ブーシェがオーギュスト・ロダンと出会い、1921年からスペインの彫刻家パブロ・エミリオ・ガルガーロがジョアン・ミロとスタジオを共有し、(中略)詩人のロバート・デスノスは1926年から1930年までここに住んでいた。シュールリアリズムの誕生にも影響を与えた。」 -
モンパルナス墓地はエミール・リシャール通りEmile Richard によって大小二つに分かれている。写真左手が大墓地、右が小墓地。
382mの直線のこの通り沿いには生者の眠る家はなく、ラスパイユ大通りと交わるエドガーキネ通りの角に葬儀店の営む花屋があるのみなので、死者の眠る通りなどと表現されてきた。 -
小墓地で個性豊かな墓といったらまずこちら。
大きなベッドに横たわるお二人。
紹介しよう、ピジョンご夫妻だ。
奥様は寝衣装のように見えるが、鉛筆とノートを手にしているピジョン氏はなぜかフロックコート姿のようで、これがちょっと可笑しい。
ピジョン氏と言われても、はてどなたかなと思ってしまうが、自分も同様で一体何者だろう?と初めは戸惑った。調べてみたら次の通り。
シャルル・ピジョンCharles Pigeon(1838 - 1915年)、発明家でピジョン式オイルランプを生み出した人。
ランプといえばピジョンランプと言われるほどの定番であったという。
このお墓も当初はピジョンランプで照らされていたそうな。 -
小墓地を代表する人物といえばやはりこの人だろう。
16区の精神病院で若くして亡くなった作家のモーパッサン Guy de Maupassant (1850-1893年)。
日本でも多くの作品が紹介されて、日本人が多く詣でる墓のひとつである。
島崎藤村もパリに来てこの墓に詣でたことを滞在記に残している。 -
昔の写真を見ても文章を読んでも、ここには本が置かれることが多かったようである。もちろんいつまでも同じ本がある訳ではなく、風雨にさらされて朽ちるか、誰かの手に渡ったかであろう。
この日置かれていたのは日本の文庫本『女の一生』。
雨よけの透明ジッパーに入れられているのは、誰かに読んで欲しいからだろうか? といっても日本語訳なので対象は限られてしまうが。 -
エッフェル塔を嫌っていたモーパッサンがエッフェル塔内のレストランに通って食事をしていた逸話は有名だ。なぜ嫌いなエッフェル塔で食事をするのか、と問われた答えは「なぜならここならエッフェル塔が見えないからだ」。
幸いここからエッフェル塔は見えないが、その代わりモンパルナスタワーが嫌でも目に入る。
夏の間は樹木の葉が繁っているのだが、落葉するとタワーに向き合う形になる。エッフェル塔に比べてはるかに醜悪な存在だと思うのだが、どう思うかモーパッサンに感想を是非聞きたいものだ。 -
さて、小墓地の北東の薄暗い片隅に奇妙なお墓がある。
墓石の上部が木板で囲まれている。 -
しかも墓石の手前には、近づいたり、触ってはならないと書かれている。
-
近くの壁には、この墓はカメラで監視されているとの警告表示もあってかなり物々しい。
目で追ってみると実際に3台ほどのカメラが作動しているようだ。
写真を撮っている自分も監視カメラに捉えられ、すでに注意が向けられているのだろう。 -
このお墓の主は、墓石に置かれた写真の若い女性。名前はタチアナ。
できるだけ手短に説明しよう。
現在のウクライナの首都キエフからパリに医学の勉強に出てきたタチアナは、ある医者と恋仲になった。しかし、やがて二人の関係は破局を迎え、思い余ったタチアナは23歳の若さで自殺してしまう。1910年の出来事だ。
故郷から駆けつけた母親は深く悲しみ、亡くなった娘のために何かをせずにはいられなくなり、せめて墓石を彫刻で飾りたいと考えた。
そして、ロダンのアトリエから出てきて間もない無名の彫刻家ブランクーシに制作を依頼した。 -
今は見ることができないが、木板の囲いの中はこのようになっている。彫刻家ブランクーシ (Constantin Brâncuşi ) 作『接吻』。
それではなぜ木枠で覆われ、監視カメラまで設置されているのか。
当時は全く無名のブランクーシだったが、やがて次第に有名になり、作品の価格は鰻上りとなって、2005年には2700万ドルを記録するまでになった。( ブロンズ彫刻は2018年にオークションで7100万ドルで落札されている。)
2006年、パリの某ディーラーがウクライナのタチアナの親類を探し出し、彫刻部分を墓石から切り離して国外へ搬出する許可を申請したことから問題が生じた。
この『接吻』シリーズは40点以上あるとのことだが、この像は2番目に制作された作品で、大きさはシリーズ最大であるという。したがってこの像の評価額は円に換算すれば数十億円ではないかと見込まれている。
こうなるとフランス当局も作品が国外に出ていくことを黙って見ている訳にはいかず、墓碑全体を歴史的文化財に指定し、分離移動禁止とした。
ここからディーラーを窓口とするタチアナ遺族側とフランス政府との法廷闘争が始まった。 -
裁判では、像と墓石は切り離してはならないとする判決が一旦出たが、その後2020年になって墓石と像は別々に作られていて一体ではないので、今度は切り離しても良いとの二審判決となった。
こうなると、いつ作品が切り離され持ち出されるのかが注目されてきたのだが、
国側が上告し、2021年に行政最高裁は、「作品を墓碑の一部とすることを唯一の目的として購入されたものである以上、墓碑の不可分の一体をなすもの」であり、その限りで、国は所有者の許可なく歴史的建造物の指定を決める権限がある、との判断を下した。
つまりはフランス政府が一方的に歴史的文化財だと指定して良いし、だからといって所有者側に金銭補償などはありませんよ、ということだ。
これで終結かと思いきや、遺族側が欧州人権裁判所に訴え出て争いは続いている。それがいつ結着するのかは不明だ。
この像が自由に見られた頃の写真を持っている方は、お宝ですよ! -
渦中の像の制作者ブランクーシだが、実はモンパルナス墓地に眠っている。大墓地18街区。
作者本人の墓はどんな様子かというと、写真のように至ってシンプル。
墓の中から、いい加減にしてほしい、という呟きが聞こえてきそうな気がする。 -
さて、大墓地に戻り、忘れてはならないのはここに眠る日本人の存在だ。
自分がこれまで調べた限りでは明治時代から今日まで、少なくとも7人の日本人がモンパルナス墓地に埋葬されている。
その中で3人だけ墓所の所在場所を確認しているので、紹介しておきたい。 -
そのひとり、村山密画伯 (1918-2013)。9街区。正門から中央ロータリーを通過した先の中央通り沿いに墓所がある。
茨城県潮来町出身で長くフランスに在住し、フランス国籍を取得した。
日本ではあまり知られていないと思われるが、フランスでは作品が高く評価されサロン・ドートンヌの具象絵画部門部長に日本人として初めて選任されている。
墓石には村山密ご夫妻の名前と生没年月日(夫人は没年月日未記入)
レジオン・ドヌール勲章授与者であることが記されているのみ。 -
二人目は関口俊吾画伯 (1911-2002)。
家紋が入り、漢字で刻された日本風のお墓である。18街区。
この方は画業よりも、大堀 聰著『関口俊吾ー特務艦で帰国した日本人画家』で描かれた活躍ぶりがたいへん興味深い。
どうやら遺族の方が近辺にお住いのご様子で、時々鉢植えが替わったりしている。 -
実は二人の画伯の墓は隣り合っている。
推測だが、生前いずれもサロン・ドートンヌで活動したことから協同でこの墓所を購入したものではあるまいか、と思う。 -
そして三人目がこちら。10街区。
周囲の墓とはひときわ異なり、記念碑のような存在にも見える。
関口、村山両画伯の墓所とは区画が異なるが、ほほ斜めに向かいあう場所にある。 -
初代の駐仏公使鮫島尚信(1872~1874 / 明治5年~明治7年)の墓。
フランス駐在から病気療養のため帰国し、外務大輔(現在の外務次官)となったが、不平等条約の是正交渉のため再度、駐仏公使に任ぜられ公務中に倒れて息を引き取った。
明治維新間もない頃の日本外交の先駆け的存在である。 -
正面に彫られている文字は漢字で「日本全権特命公使鮫島尚信之墓」と彫られている。
この墓は著名人リストにも載っていないのだが、初めてこの墓石の場所を尋ねた時の門衛の対応は驚嘆すべきものだった。
SAMEJIMA NAONOBUの墓を教えて欲しいといったら、言下に所在位置を示してくれたのだ。何かを見たり調べての答えではなく、即答し、見取り図で通路から何番目とまで教えてくれた。
墓所の位置をそこまで誦じているものなのか、あるいは全てに精通しているエキスパートに偶然出会ったものなのか、思わず引き返して問いただしたくなったほどだ。 -
台座には仏文の説明が刻まれている。
鮫島は不平等条約改正のため英独仏との交渉の日本代表としてパリに赴き、そのまま初代の駐仏日本公使に任じられた。
日本が初めて外国に信任状を提出した公使(現在の大使)でもある。(一時はベルギー、スペイン、ポルトガル、スイスの公使も兼任)
病気療養のためいったん帰国したが、条約改正交渉を進めるべく再び公使に任ぜられ、公使館で公務中に倒れて亡くなっている。35歳であった。
亡骸はモンパルナス墓地に埋葬され、ロンドンにいた盟友の森 有礼が駆けつけてきて最後を見送ったという。 -
墓石の下に嵌められた金属プレートに鮫島の簡単な紹介が記されている。
明治期の日仏関係の研究に取り組んできた一人のフランス人が日本大使館の了承の下に私費で設置したもので、設置には当時の日本大使も臨席している。
だいぶ前のことだが、用事で日本大使館に行った折にこの墓の所在場所を尋ねたことがある。在仏日本領事館員の書いた紹介記事を読んだ記憶もあり、具体的な位置を教えてもらおうと思ったのだ。
ところが、窓口の係員に代わって奥から出てきた若い職員の対応は、ひどいものであった。まず、そのような記事がある訳がないと否定し、さらには「退任した者の墓の所在などいちいち知る由もない」とけんもほろろの態度であった。
結局、前述したように墓地の門衛に教えてもらったのだが、それにしても無知ゆえなのだろうか、自国の外交の歴史を切り開いてきた大先達に対してあまりにも無礼すぎないだろうか。命を削って不平等条約の撤廃に取り組んだ鮫島とさほど年が違わないように見えたが、サラリーマン外交官には使命感も何もないということだろうか。お粗末すぎてとても残念でならない。
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この旅行記へのコメント (7)
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- mistralさん 2023/07/22 14:59:18
- モンパルナス墓地
- ばねおさん
こんにちは。
パリもきっとお暑いことでしょうね。
パリ滞在中のyunさんとのやり取りも含めて、旅行記楽しませていただきました。
モンパルナス墓地、懐かしいです。
近くのホテルに泊まったおり、墓地内の探索をしました。
確かに入口近くには、墓地で眠っておられる方々のマップが掲げられていて、
日本の墓地とはすっかり違った様相に驚きました。
サルトル、ボーヴォワール夫妻、ゲンスブールなどなど、、、
当時、どれほどのお墓の方々にご挨拶できたのかはもう忘れてしまいましたが、
今回のばねおさんの旅行記で取り上げられた方々にご挨拶されるには
かなりの時間を費やされたことと想像しています。
お二人の日本人画伯のお墓、駐仏公使だった方のお墓のご紹介には
日本人ならではの風格(お墓のですが)があるように感じ、
なにやら居住まいを正してご挨拶をしたくなるような佇まいを感じました。
不平等条約改正の為パリに渡られ、そのまま公使になられた方に対しての、
敬意も何も感じられないような日本の若い外交官の態度には
日本国の行末が心配になってくるようですね。
日仏関係の研究に取り組まれたフランス人の方によって私費で設置された
鮫島氏の業績をたたえるプレート
更に墓地の門衛の方によってその所在をお知りになることができたことなど
読んでいきますと、最後に大切となってくるのは、人に対する敬意を
持っているかどうか、その人自身の人間力が問われるんだろうな、など
想いました。
横浜、不二家のばねおさんの旅行記
確かお嬢さんとご一緒されたんでしたね?よく覚えています。
老朽化のため一時閉店ですか。
特別メニューがあるみたいですね。
yunさんが突撃されたら、その折のご報告を伺いたいですね。
mistral
- ばねおさん からの返信 2023/07/22 22:15:17
- Re: モンパルナス墓地
- mistralさん いつもコメントをお寄せいただきありがとうございます。
日本ではさぞかし酷暑と思いますが、南欧と異なり、パリはかなり涼しい日々となっています。
30度を超す日も何度かありましたが、ここのところずっと、午前中は16、7度、午後になって20度半ばを超える程度です。
すぐに薄着になりたがるパリジャンたちが、午前中は長袖、上着スタイルで歩いているほどで、もう秋風か?と思うような時もありますが、まだ7月ですので油断はなりません。
モンパルナス墓地には、近くに住んだこともあって数多く通いましたが、ご存じのように死者だけでなく生者にとっても憩いを求めるには最適な場所です。
文中で大使館員のことを記しましたが、我が家ではたまにパートナーが気紛れで4トラを読むことがあり、後日、内部指摘を受ける可能性があります。
私事で恐縮ですが、ひとの悪口を書かない、ひとを非難しない、というパートナーの基準(「かあちゃん検閲」と密かに名付けています)に抵触していそうなので、将来的には押し問答が予想される部分です。
それはともかくといたしまして、mistralさんの旅行記に登場する風雅で格調高いお店とは比べようもありませんが、横浜の不二家の一時閉店は惜しまれます。
いずれyunさんの、ペコポコの写真を添えた突撃レポートが出てくることを期待するのみです。
ばねお
-
- yunさん 2023/07/21 06:04:53
- ニキの猫はかくれんぼ
- いまパリに居ます。
タイムリーな旅行記(自分本位で恐縮ですが)拝見し、本日早速に見習い散歩をして来ました。
日本人御三方と、ブランクーシ、シラク元大統領、そして小墓地の北東角で監視カメラに挨拶し、足が棒になり降参しました。あっニャンコに会うの忘れた…。
旅行記にその所在を丁寧に記載いただいているのに、それでも行ったり来たりクルクルリンしました。
こんなに大勢にご挨拶されたのは、コツコツと根気のいるお散歩だった事でしょう。
ベンチに陣取る人々も観察。読書や歓談は普通ですが、なんとピザを頬張る女性がおひとり。
パリは多様なり!パリは自由なり!
『接吻』はブランクーシのお墓にあると勝手に思い込んでおりましたので、勉強になりました。それにしても、巨大な鳥巣箱の様なあれは何とも無粋な風情、中の2人はさぞかし息苦しかろうに。
歳を重ねてさらに格好良かったジェーンバーキンさん。ショートカットで、目尻に皺いっぱいで微笑む彼女が好きでした。
ばねおさん
パリ散策のヒントにいつも感謝です。
やっぱりパリが好きなyun
- ばねおさん からの返信 2023/07/21 16:07:33
- Re: ニキの猫はかくれんぼ
- スイスとイタリア国境を股にかけて渉猟中と思っていましたが、今はパリですか。
しかもモンパルナス墓地に実地検証に臨まれたとは、まことに恐れ入ります。
たしかに墓地探しは意外と骨が折れるものですが、面白いのはある人には簡単に見つかるのに、別な人には発見困難な場合が多いということです。その逆も然りなのですが、眼が慣れてしまったり、思い込みがあってなのでしょうか。
ピザを頬張る人の話は驚きました。これまで隠れタバコは見ましたが、さすがに飲食する人を見かけたことはありませんでした。
この時期は国内外の観光客の人がとても多いのですが、それだけ墓園が開放的な場所だと解するしかないでしょうか。
食事でもご一緒できればと思いますので、滞在中のお時間がありましたらご一報ください。
- yunさん からの返信 2023/07/21 17:01:07
- RE: Re: ニキの猫はかくれんぼ
- ばねおさん
おはようございます。
ただいま9:30オルセー美術館に入り、ルドンに再会しました。
前回から展示替えになって、また新鮮な刺激あり。
今回鉄道旅にて、予定通りのパリ入りの自信が無かった。
前もってご連絡できたら再びお目にかかりたかったのですが、隠密パリ入りとなりました。
小心者の癖は治りませぬ。
明後日帰国にて、急遽はご迷惑、今旅は大人しく帰ります。
お会いする楽しみがあれば、必ずや再訪できます。
お誘い嬉しく感謝 yun
- ばねおさん からの返信 2023/07/21 20:02:35
- RE: RE: Re: ニキの猫はかくれんぼ
- ゆっくりとお話を伺いたいところですが、限られた時間内ですのでやむを得ません。次回はあらかじめスケジュールに組み込んだ予定でおいでくださいね。
話は変わりますが、以前に旅行記でコメントいただいた横浜の不二家レストランが
老朽化のために建て替えることになったようです。
横浜にいれば、「お別れセット」を味わえるのですが叶わず残念です。
それでは、残り日数を十分にお楽しみください。
ばねお
- yunさん からの返信 2023/07/21 20:46:12
- 必ずや再び
- 何とも、突撃で素直にリクエストが出来ない面倒なyunで、甚だ恐縮です。
その代わりにばねおさん代理で、帰国後に不二家に突撃いたします。
あのレトロバージョンのペコ・ポコはきっと保存してくれますよね。
yun
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