2022/05/25 - 2022/05/25
779位(同エリア7080件中)
zenkyou01さん
- zenkyou01さんTOP
- 旅行記360冊
- クチコミ2158件
- Q&A回答1件
- 336,073アクセス
- フォロワー34人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
鎌倉散策(11) 神奈川県鎌倉市材木座 全行程4時間35分 飯島バス停~(13分)正覚寺・住吉城(16分)~(11分)光明寺・蓮乗院・千手院・補陀洛寺・九品寺・実相寺(1時間20分)~(3分)五所神社・来迎寺(22分)~(27分)妙長寺(4分)~(9分)啓運寺(2分)~(8分)長勝寺(11分)~(10分)元鶴岡八幡宮(9分)~ (7分)延命寺 (1分) ~(15分)大功寺(3分) ~(8分)本覚寺(7分)~(小町通り)(9分)鎌倉駅
「日時」2022年5月25日
「アクセス」JR横須賀鎌倉駅下車、逗子行バスでバス停飯島下車
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
鎌倉市観光案内所 案内所に寄り、鎌倉市観光案内図と鎌倉殿13人の重臣ゆかりの地周遊マップをゲットしました
-
和賀江嶋 勧請僧の往阿弥陀仏が鎌倉の船の着岸の便をはかろうとして、三代執権北条泰時の協力を得て、1232年に伊豆石で築いた人口の島で、現存する日本最古の築港遺跡で、国指定史跡です。潮が引くと、姿を現す。石碑が建っている
-
正覚寺本堂 浄土宗の一寺、1240年法然上人の孫弟子の然阿良忠上人(紀主禅師)が光明寺開創前に、ここ正覚寺辺りで念仏布教を始めました(当初は悟真寺と称す)。中興創建は1541年、中興開山光明寺十八世真蓮社快誉上人、正覚寺と改称、本尊は阿弥陀如来像です。石段を登ると途中に地蔵群、石段を登りきると正面に本堂があります。本堂の奥に墓地、墓地の奥にやぐら(洞窟)があり、その中に歴代上人の墓があります。やぐらの後ろにある石段を登ると住吉城址があります
-
住吉城址説明版 築城主は北条早雲ですが、その後三浦氏の支城となり、三浦道寸の弟道合が城主となるが北条早雲との戦いに敗れ、延命寺で自刃。築城年は十五世~十六世紀、1512年、北条早雲との戦いに敗れ落城。正覚寺裏山の丘陵地帯一帯が住吉城址です。正覚寺裏手の石段(登城口)を登ると小さな平場がある。住吉神社の社(住吉城の鎮守)と住吉城の標識が建っている。遺構は見当たりませんでした
-
六角の井 鎌倉十井の一つ、鎮西八郎為朝が伊豆大島に流され、大島から射た矢がこの井戸に落ち、矢じりが残った所からこの名が付く。今もその矢じりは井戸の中段に祀られている
-
浄土宗大本山、創建は1243年。開基は北条経時、開山は法然上人の境内に俳優高倉健の墓碑が建っている。本堂、開山堂、記主庭園、大聖閣、内藤家墓所、鎌倉・三浦半島名木50選クロガネモチがある
-
記主庭園と大聖閣 記主禅師とは伏見天皇から与えられた開山然阿良忠和尚の諡号で、その名をいただいた庭園です。江戸時代の作庭家小堀遠州が作られたと言われている池泉式浄土庭園です。浄土庭園とはお堂(大聖閣)の前に蓮池を配し極楽浄土を表現している庭園です
-
内藤家墓所 本堂の南西の少し離れたところに磐城平藩主・日向延岡藩主内藤家墓所がある。歴代藩主の墓で、高さ三メートルを超える宝篋印塔を始め40基の宝篋印塔、灯篭115基、笠塔婆12基等多くあり、壮大です
-
蓮乗院本堂 浄土宗、創建は光明寺創建1243年より前にあった蓮乗寺という寺で、光明寺の子院になってから蓮乗院と改名しました。本尊は鎌倉時代造立の阿弥陀如来立像です。光明寺の新住職になると、蓮乗院に入ってから本山方丈に入る習わしがあります。 山門を潜ると左手に福徳地蔵尊、正面に本堂があります
-
千手院本堂 浄土宗、創建は不詳、本尊は先手観音です。光明寺が大檀林の時、集まった学僧たちの修行道場の僧房の一つです。 山門を潜ると水子地蔵、芭蕉句碑、本堂あります
-
補陀洛寺本堂 真言宗大覚寺派の一寺、創建は1181年、開基は源頼朝、開山は文覚上人、本尊は十一面観音像です。門前に源頼朝公御祈願所の碑が建つ。山門を通ると本堂、石造七重塔があります
-
九品寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1336年、開基は新田義貞、開山は風航順西上人、本尊は阿弥陀三尊像です。義貞が北条方の戦死者を弔うために建立したと言われています。山門を潜ると本堂、地蔵尊があります。九品寺の阿弥陀如来像は上品下生(親指と人差し指で印を結び、手の位置が左は下向き、右は上向き)の仏様です
-
実相寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1284年。開基は風間信濃守信昭、開山は工藤祐経(曽我兄弟に討たれた仇)の孫日昭上人、本尊は一塔両尊四士です。工藤祐経の屋敷跡に法華堂を建てたのが始まりです。 山門を潜ると本堂と開山日昭上人の墓があります
-
五所神社社殿 1908年創建、祭神は天照大神、スサノオノミコト、大山祇命、崇徳院命です。町内にあった八雲、三島、諏訪、金毘羅、視女八坂を一緒に祀った神社です。鳥居を潜り参道を進み石段を登ると、まず多くの石塔(庚申塔、馬頭観音、猿田彦大神等)、三光尊石上稲荷、神輿蔵、1262年の銘がある板碑、疱瘡から身を守るための疱瘡婆さんの石、本堂、隠れキリシタンお春像、奥に諏訪神社、御嶽大神石碑等がある
-
来迎寺本堂 時宗の一寺、創建は1194年、本尊は阿弥陀三尊像です。源頼朝が三浦義明を弔うために建てた寺(能蔵寺)で、頼朝没後1274年音阿上人が時宗に改宗、寺名も来迎寺とする。山門を通ると正面に本堂、右手墓群一角に三浦大介義明と多々良三郎重春の墓(五輪塔)がある。本堂裏には三浦義明の家来の墓がある。その他動物の墓もある
-
来迎寺内の三浦大介義明と多々良三郎重春の墓(五輪塔) 三浦義明は三浦家四代目当主で(鎌倉殿13人で佐藤B作演じる義澄の父)、源頼朝挙兵に参加するも、衣笠城合戦で畠山重忠に討ち取られる。多々良三郎重春は義明の四男の多々良義春の息子です。畠山重忠(当時は平家方)に小坪の戦いで討たれる
-
妙長寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1299年、開山は日蓮の弟子日実上人、本尊は三宝祖師です。日蓮が伊豆に流された時、鎌倉の船出の場所に建てられた寺です。山門手前に日蓮上人像、山門を潜ると本堂、浄行菩薩、相輪塔、法難御用船(1/6模型)等があります。高さ10M相輪は日蓮上人伊豆法難記念の相輪塔です。山門手前に泉鏡花の説明版があります。明治24年2カ月間、当寺に滞在し、小説「星あかり」を執筆する
-
啓運寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1483年、開山は啓運日澄上人、本尊は三宝祖師です。山門を通ると正面に本堂、石塔があるこじんまりしたお寺です
-
長勝寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1253年、開基は石井長勝、開山は日蓮上人、本尊は大曼荼羅です。山門をくぐると左手高台に法華堂、鐘楼、タイ国渡来金色釈迦尊像が安置されている本師堂、正面に本堂、本堂手前に左に増長天と広目天、右手前に持国天と毘沙門天の四天王、中央手前に高村光雲作の日蓮上人像があります。右手には久遠堂、石像十六重塔、他、六地蔵、観音様等があります
-
石清水の井 元八幡の直ぐ傍にある井戸です。元八幡が京都石清水八幡宮を勧請してお祀りされているところから、石清水八幡宮で湧き出る霊泉に因み、元八幡に近いこの井戸を石清水の井と名付けたと思われる。井戸の四隅が井桁状に加工されています
-
元鶴岡八幡宮社殿 1063年創建、ご祭神は応神天皇です。由比若宮と言われていて、現在鶴岡八幡宮の摂社になっています。鶴岡八幡宮の元となったことから元八幡ともいわれています。八幡太郎義家の父源頼義が前九年の役で安部氏を討伐した後、戦勝祈願した京都石清水八幡宮をこの地に勧請してお祀りしましたのが始まりです。頼朝の時代に現在の鶴岡八幡宮ある地に元八幡を移し、鶴岡八幡宮としました。鳥居を潜ると社殿、源義家が旗を立てた旗立松、元八幡の石碑、社殿があります
-
延命寺本堂 浄土宗の一寺、創建は十三世紀中、開基は北条時頼夫人、中興開山は専蓮社昌誉能公上人、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると正面に本堂があります。赤穂四十七士の一人、岡島八十衛門の遺児が住職になっています
-
大功寺本堂 日蓮宗系単立寺院、創建は不詳、開山は日蓮の弟子日澄上人、本尊は産女霊神です。山門を潜り回り込むと本堂があります。安産祈願のお寺です
-
本覚寺本堂 日蓮宗の本山、1436年創建、 開山は日出上人、本尊は釈迦三尊像です。日蓮の遺骨を分骨して移したことから東身延と言われる。伽藍は山門、本堂、夷堂、鐘楼、分骨堂等が建つ。鎌倉七福神の恵比寿天がある
-
小町通り 若宮大路と平行に走る一本西のJR鎌倉駅東口にある鳥居から鶴岡八幡宮までの道です。伝統的な土産物屋、ファッショングッズ、飲食店等が建ち並ぶ通りです
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
25