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いつもかわらぬならまちの散歩。時間がゆっくり流れています。

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2023/06/14 - 2023/06/14

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nomonomo

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いつもかわらぬならまちの散歩。時間がゆっくり流れています。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • ならまちの散歩は樫舎からはじまります。

    ならまちの散歩は樫舎からはじまります。

  • 萬御菓子誂處 樫舎 グルメ・レストラン

  • 春日庵 グルメ・レストラン

  • はり新 グルメ・レストラン

  • 奈良町にぎわいの家 美術館・博物館

  • 登録有形文化財<br />吉田家住宅母屋 明治前期<br />吉田蚊帳店舗 江戸末期<br />平成ニ十六年十月七日登録<br /><br />主屋<br />細い格子や長い虫龍窓を整然と <br />配した、洗練された意匠の町家です。 <br />入口奥の坪庭は一九三二(昭和七) <br />年に屋根を撤去して設けたものと<br />みられ、数奇屋風の意匠を用いた <br />明るく豊かな空間となっています。<br /><br />店舗<br />住宅、蚊帳工場、倉庫など、様々に<br />使われてきた歴史ある建物です。 <br />外観は、エ場であった昭和ニ十年代 <br />に土蔵風に整えたものとみられます。<br />通りの正面にあり、歴史的景観の <br />形成に大きく寄与しています。<br /><br />奈良市教育委員会

    登録有形文化財
    吉田家住宅母屋 明治前期
    吉田蚊帳店舗 江戸末期
    平成ニ十六年十月七日登録

    主屋
    細い格子や長い虫龍窓を整然と
    配した、洗練された意匠の町家です。
    入口奥の坪庭は一九三二(昭和七)
    年に屋根を撤去して設けたものと
    みられ、数奇屋風の意匠を用いた
    明るく豊かな空間となっています。

    店舗
    住宅、蚊帳工場、倉庫など、様々に
    使われてきた歴史ある建物です。
    外観は、エ場であった昭和ニ十年代
    に土蔵風に整えたものとみられます。
    通りの正面にあり、歴史的景観の
    形成に大きく寄与しています。

    奈良市教育委員会

    吉田蚊帳 専門店

  • 元興寺塔跡 名所・史跡

  • 元興寺と奈良町<br /><br />この付近は、奈良時代(八世紀)の<br />元興寺の金堂や塔、南大門など主要な <br />伽藍があった地域と推定されています。<br />中世以降、奈良の町の発展にともない<br />寺地の大半は宅地化しました。<br />芝新屋町の元興寺は,現在は華厳宗<br />の寺院で、境内には奈良時代の元興寺 <br />の塔跡があり、多くの文化財が伝えら<br />れています。<br /><br />元興寺塔跡 史跡<br />昭和七年四月ニ十五日指定<br /><br />元興寺塔址土壇出土品<br />玉類銅銭其他一切 重要文化財<br />奈良時代 昭和八年一月二十三日指定<br /><br />木造薬師如来立像 国宝<br />平安時代 昭和二十七年十一月二十二日指定 <br /><br />木造十一面観音立像 重要文化財<br />鎌倉時代 明治三十三年四月七日指定<br /><br />木造不動明王坐像 奈良市指定文化財<br />江戸時代 平成元年三月七日指定<br /><br />奈良市教育委員会

    元興寺と奈良町

    この付近は、奈良時代(八世紀)の
    元興寺の金堂や塔、南大門など主要な
    伽藍があった地域と推定されています。
    中世以降、奈良の町の発展にともない
    寺地の大半は宅地化しました。
    芝新屋町の元興寺は,現在は華厳宗
    の寺院で、境内には奈良時代の元興寺
    の塔跡があり、多くの文化財が伝えら
    れています。

    元興寺塔跡 史跡
    昭和七年四月ニ十五日指定

    元興寺塔址土壇出土品
    玉類銅銭其他一切 重要文化財
    奈良時代 昭和八年一月二十三日指定

    木造薬師如来立像 国宝
    平安時代 昭和二十七年十一月二十二日指定

    木造十一面観音立像 重要文化財
    鎌倉時代 明治三十三年四月七日指定

    木造不動明王坐像 奈良市指定文化財
    江戸時代 平成元年三月七日指定

    奈良市教育委員会

  • 元興寺塔跡 史跡<br />昭和七年四月ニ十五日指定<br /><br />元興寺塔址土壇出土品<br />玉類銅銭其他一切<br />重要文化財 奈良時代 <br />昭和八年一月ニ十三日指定<br /> <br />奈良時代(八世紀)の元興寺<br />の東塔跡です。高さ推定約五十 <br />メートル(古記では二十四丈)の <br />五重塔でしたが、一八五九 (安政 <br />六)年に焼失しました。<br />一九二七(昭和二)年の発掘<br />調査で,金延板・金塊・勾玉・ <br />瑠璃玉・念玉・和同開弥・<br />万年通宝・神功開宝などが出土 <br />しており,建立時に納められた <br />鎮壇具と考えられます。<br /><br />奈良市教育委員会

    元興寺塔跡 史跡
    昭和七年四月ニ十五日指定

    元興寺塔址土壇出土品
    玉類銅銭其他一切
    重要文化財 奈良時代
    昭和八年一月ニ十三日指定

    奈良時代(八世紀)の元興寺
    の東塔跡です。高さ推定約五十
    メートル(古記では二十四丈)の
    五重塔でしたが、一八五九 (安政
    六)年に焼失しました。
    一九二七(昭和二)年の発掘
    調査で,金延板・金塊・勾玉・
    瑠璃玉・念玉・和同開弥・
    万年通宝・神功開宝などが出土
    しており,建立時に納められた
    鎮壇具と考えられます。

    奈良市教育委員会

    元興寺塔跡 名所・史跡

  • 啼燈籠<br /><br />延亨年間(一七四四~一七四七年)今の大丸呉服店その頃京の<br />伏見に下村家あり。代りの燈寵を奉納<br />して古燈龍を申し請いて自宅に運ぶ<br />爾来(それ以来)夜毎家鳴り震動して家人怖れを <br />為しその音を聞くに燈龍より発したれば<br />元の如く此所に安置したりと伝ふ<br /><br />啼燈龍の謂われを持つこの石燈龍は、円柱に正嘉 <br />元年(一二五七)の刻銘があり、市内で年号が刻まれた <br />ものとしては第二位の古い貴重な遺品で、戦前には重要 <br />美術品に認定されていた。<br />ところが石面が焼けてもろくなっていたため、昭和 <br />十九年の大地震で敷石に倒壊し、細かく割れたまま<br />境内に片付けられていた。<br />平成二十二年春、六十六年ぶりに元の姿に修復された。

    啼燈籠

    延亨年間(一七四四~一七四七年)今の大丸呉服店その頃京の
    伏見に下村家あり。代りの燈寵を奉納
    して古燈龍を申し請いて自宅に運ぶ
    爾来(それ以来)夜毎家鳴り震動して家人怖れを
    為しその音を聞くに燈龍より発したれば
    元の如く此所に安置したりと伝ふ

    啼燈龍の謂われを持つこの石燈龍は、円柱に正嘉
    元年(一二五七)の刻銘があり、市内で年号が刻まれた
    ものとしては第二位の古い貴重な遺品で、戦前には重要
    美術品に認定されていた。
    ところが石面が焼けてもろくなっていたため、昭和
    十九年の大地震で敷石に倒壊し、細かく割れたまま
    境内に片付けられていた。
    平成二十二年春、六十六年ぶりに元の姿に修復された。

  • 元興寺塔跡 名所・史跡

  • 御霊神社<br />奈良市薬師堂町二十四番地 鎮座<br /><br />御祭神 <br />井上王后 他戸親王 事代主命 早良親王 藤原広嗣<br />藤原大夫人 伊予親王 橘逸勢 丈屋宮田麿<br /> <br />御由緒<br />当神社は延暦十九年(八〇〇年)人皇第五十代桓武天皇の勅命により御創祀され<br />た社であります。<br />宝亀六年(七七五年)聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后井上内親王は政権争いに巻<br />き込まれ,無実の罪により、御子他戸親王とともに宇智郡(五篠市)に幽閉されたの<br />ち薨去されました。その後、都や桓武天皇東宮に怪しき事が度々あり、疫病が流行し<br />たことから諸国の国分寺に金剛般若経の読経をさせ、墳墓を改葬して山陵とし,吉野<br />皇太后の追号を贈られて霊を篤く慰められた。<br />非運のうちに亡くなった人の霊魂に対して畏怖の念を抱き、その霊を祀り,その威力<br />によって災厄をのがれようとする御霊信仰が生まれました。当時、奈良の町に通じる<br />三つの街道があり,上つ道に早良親王、中つ道に井上皇后、下つ道に他戸親王の御霊<br />を祀り,疫病を封じ平穏を祈る御霊会が営まれ、町の守護神として五篠本宮より遷祀<br />されたのが当社のはじまりであります。<br />宝徳三年(一四五一年)土一揆により元興寺金堂以下主要堂宇が火災で焼失し,<br />このとき井上郷(奈良市井上町)の井上御霊社も焼失しました。その後,現在の地に<br />遷座されたと伝えられています。<br />御本殿に井上皇后,他戸親王の神霊二座、東側社殿に早良親王、藤原広嗣、藤原大<br />夫人の 神霊三座,西側社殿に伊予親王,橘逸勢,丈屋宮田麿の神霊三座をお祀りし,<br />あわせて八所御霊大神と申し上げます。<br />奈良町の中心に位置し、県下唯一の広範囲である氏子地域七十余町を守護する氏神<br />でもあります。<br /><br />御神徳<br />すべての禍事・災難を取り除き、国家守謹・家業繁栄,福徳円満,平和の神として<br />幅広い信柳をあつめております。

    御霊神社
    奈良市薬師堂町二十四番地 鎮座

    御祭神
    井上王后 他戸親王 事代主命 早良親王 藤原広嗣
    藤原大夫人 伊予親王 橘逸勢 丈屋宮田麿
     
    御由緒
    当神社は延暦十九年(八〇〇年)人皇第五十代桓武天皇の勅命により御創祀され
    た社であります。
    宝亀六年(七七五年)聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后井上内親王は政権争いに巻
    き込まれ,無実の罪により、御子他戸親王とともに宇智郡(五篠市)に幽閉されたの
    ち薨去されました。その後、都や桓武天皇東宮に怪しき事が度々あり、疫病が流行し
    たことから諸国の国分寺に金剛般若経の読経をさせ、墳墓を改葬して山陵とし,吉野
    皇太后の追号を贈られて霊を篤く慰められた。
    非運のうちに亡くなった人の霊魂に対して畏怖の念を抱き、その霊を祀り,その威力
    によって災厄をのがれようとする御霊信仰が生まれました。当時、奈良の町に通じる
    三つの街道があり,上つ道に早良親王、中つ道に井上皇后、下つ道に他戸親王の御霊
    を祀り,疫病を封じ平穏を祈る御霊会が営まれ、町の守護神として五篠本宮より遷祀
    されたのが当社のはじまりであります。
    宝徳三年(一四五一年)土一揆により元興寺金堂以下主要堂宇が火災で焼失し,
    このとき井上郷(奈良市井上町)の井上御霊社も焼失しました。その後,現在の地に
    遷座されたと伝えられています。
    御本殿に井上皇后,他戸親王の神霊二座、東側社殿に早良親王、藤原広嗣、藤原大
    夫人の 神霊三座,西側社殿に伊予親王,橘逸勢,丈屋宮田麿の神霊三座をお祀りし,
    あわせて八所御霊大神と申し上げます。
    奈良町の中心に位置し、県下唯一の広範囲である氏子地域七十余町を守護する氏神
    でもあります。

    御神徳
    すべての禍事・災難を取り除き、国家守謹・家業繁栄,福徳円満,平和の神として
    幅広い信柳をあつめております。

    御霊神社 寺・神社・教会

  • 御霊神社 寺・神社・教会

  • 砂糖傳 増尾商店 グルメ・レストラン

  • 奈良市ならまち格子の家 名所・史跡

  • 奈良町情報館 名所・史跡

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