熊本旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 この写真は、熊本市役所14階の展望室から撮ったものです。<br /> 此処は、熊本城が最も美しく俯瞰できる上、市役所なのに平日8:30~22:00 、土日祝9:00~22:00の間は自由に出入りできます。無料で無休、更には夜景も見られるのに、知られていないためか、観光客は殆どいません。もったいない話です。<br /> なお、熊本へ行った最大の理由は、江戸時代から存在する熊本城で最大規模の重文の「宇土櫓」が、2015年の熊本地震でどれほどの被害を受けたかを確認するためです。このことについては本文で記述します。<br /><br /> 今回の旅行は、1日目にも書いたように、19,800円でJR九州の特急と新幹線の全線が3日間乗り放題の「ハロー!自由時間ネットパス」を活用し、以下の日程で是非にも再訪したい場所と一度は訪れたい場所を巡りました。<br /> 2022年11月8日から14日<br /> 8日 成田からジェットスター(広い座席指定)で大分へ、別府観光<br /> 9日 是非にも再訪したかった国東の磨崖仏を巡る<br />     関アジ・関サバの「りゅうきゅう」を大分市のこつこつ庵で食す<br />10日 宮崎の青島で鬼の洗濯板を訪れた後、鹿児島へ<br />    錦江湾の「首折れサバ」を食す<br />11日 鹿児島市内観光後、新幹線で博多へ 「玄界灘のサバ」を食す<br />12日 有田散策、佐賀県立九州陶磁美術館へ<br />    西九州新幹線で長崎へ、眼鏡橋、四海楼で残念なチャンポン<br />13日 島原鉄道とフェリーで熊本へ、熊本城の宇土櫓を確認する<br />    太平燕、活け剣先イカを食す<br />14日 柳川で船下りとせいろ蒸し、西鉄で福岡へ ジェットスターで帰宅

九州一筆書きの旅 6日目午後 熊本城・宇土櫓(重文)の損傷は大きかった、太平燕と活剣先烏賊は旨い

5いいね!

2022/11/12 - 2022/11/12

5266位(同エリア7860件中)

0

47

魚屋No1さん

 この写真は、熊本市役所14階の展望室から撮ったものです。
 此処は、熊本城が最も美しく俯瞰できる上、市役所なのに平日8:30~22:00 、土日祝9:00~22:00の間は自由に出入りできます。無料で無休、更には夜景も見られるのに、知られていないためか、観光客は殆どいません。もったいない話です。
 なお、熊本へ行った最大の理由は、江戸時代から存在する熊本城で最大規模の重文の「宇土櫓」が、2015年の熊本地震でどれほどの被害を受けたかを確認するためです。このことについては本文で記述します。

 今回の旅行は、1日目にも書いたように、19,800円でJR九州の特急と新幹線の全線が3日間乗り放題の「ハロー!自由時間ネットパス」を活用し、以下の日程で是非にも再訪したい場所と一度は訪れたい場所を巡りました。
 2022年11月8日から14日
8日 成田からジェットスター(広い座席指定)で大分へ、別府観光
9日 是非にも再訪したかった国東の磨崖仏を巡る
    関アジ・関サバの「りゅうきゅう」を大分市のこつこつ庵で食す
10日 宮崎の青島で鬼の洗濯板を訪れた後、鹿児島へ
    錦江湾の「首折れサバ」を食す
11日 鹿児島市内観光後、新幹線で博多へ 「玄界灘のサバ」を食す
12日 有田散策、佐賀県立九州陶磁美術館へ
    西九州新幹線で長崎へ、眼鏡橋、四海楼で残念なチャンポン
13日 島原鉄道とフェリーで熊本へ、熊本城の宇土櫓を確認する
    太平燕、活け剣先イカを食す
14日 柳川で船下りとせいろ蒸し、西鉄で福岡へ ジェットスターで帰宅

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
3.5
グルメ
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
JRローカル 私鉄
旅行の手配内容
個別手配

PR

  •  熊本港で乗ったバスが熊本市の桜木町バスターミナルに到着後、荷物を預けるために今晩泊まる「三井ガーデンホテル熊本」へ行きました。ホテルの場所は、正面に見えるサンロード新市街のアーケード前を、右に200mほど歩いたところです。<br /> 三井ガーデンホテル熊本は、ツイン21㎡ 朝食付き 10260円でした。<br /> 

     熊本港で乗ったバスが熊本市の桜木町バスターミナルに到着後、荷物を預けるために今晩泊まる「三井ガーデンホテル熊本」へ行きました。ホテルの場所は、正面に見えるサンロード新市街のアーケード前を、右に200mほど歩いたところです。
     三井ガーデンホテル熊本は、ツイン21㎡ 朝食付き 10260円でした。
     

  •  熊本も、市電が発達しています。<br /> 都電が全盛の時代に育った私は、路面電車を見ると今でもなんとなくワクワクしてきます。

     熊本も、市電が発達しています。
     都電が全盛の時代に育った私は、路面電車を見ると今でもなんとなくワクワクしてきます。

  •  もう12時過ぎです。私の大好物の「太平燕」を食べるために、熊本に来たら必ず訪れる「紅蘭亭 下通本店」へ向かいました。<br /> 以前来た時も混んでいたので、ある程度は予想していたのですが、何と2時間待ちです。ただ、時間が近くなったら電話で教えてくれるシステムなので、行列はしなくても済みます。ということで、番号を伝えて熊本城見学を先に済ますことにしました。

     もう12時過ぎです。私の大好物の「太平燕」を食べるために、熊本に来たら必ず訪れる「紅蘭亭 下通本店」へ向かいました。
     以前来た時も混んでいたので、ある程度は予想していたのですが、何と2時間待ちです。ただ、時間が近くなったら電話で教えてくれるシステムなので、行列はしなくても済みます。ということで、番号を伝えて熊本城見学を先に済ますことにしました。

  •  表紙で書いたように、熊本城を俯瞰的に見るのに最適な場所は、熊本市役所の14階にある展望室です。<br /> 今日は土曜日なので、閉庁時でも開放されている、この市庁舎1階南側玄関から入りました。

     表紙で書いたように、熊本城を俯瞰的に見るのに最適な場所は、熊本市役所の14階にある展望室です。
     今日は土曜日なので、閉庁時でも開放されている、この市庁舎1階南側玄関から入りました。

  •  先ずは、市役所14階から見える熊本城の全景です。<br /> 左の黄色いクレーン車の辺りが 奇跡の一本足の石垣で有名になった飯田丸五階櫓のあった場所。右手の石垣の上にある建物は、東竹之丸ゾーンにある重文の櫓群です。なお、東竹之丸ゾーンよりも右奥にあった、やはり重文の東十八間櫓、北十八間櫓は石垣と共に倒壊、五間櫓、平櫓、不開門は倒壊や破損のため解体されています。

     先ずは、市役所14階から見える熊本城の全景です。
     左の黄色いクレーン車の辺りが 奇跡の一本足の石垣で有名になった飯田丸五階櫓のあった場所。右手の石垣の上にある建物は、東竹之丸ゾーンにある重文の櫓群です。なお、東竹之丸ゾーンよりも右奥にあった、やはり重文の東十八間櫓、北十八間櫓は石垣と共に倒壊、五間櫓、平櫓、不開門は倒壊や破損のため解体されています。

  •  2016年4月14日の熊本地震で壊れた飯田丸五階櫓は、平成17年(2005)に木造で復元されたものです。加藤清正の時代に作られた五階櫓は、明治10(1877)年の西南戦争の前に、駐屯していた陸軍が破却しました。<br /> 櫓下の石垣は地震で崩落したものの、石垣の隅の四角の石材が倒壊せずに残って櫓を支えたため、『奇跡の一本石垣』として何回も報道されました。復元櫓でしかないのに有名なのは、この報道のためです。現在は解体保管されています。

     2016年4月14日の熊本地震で壊れた飯田丸五階櫓は、平成17年(2005)に木造で復元されたものです。加藤清正の時代に作られた五階櫓は、明治10(1877)年の西南戦争の前に、駐屯していた陸軍が破却しました。
     櫓下の石垣は地震で崩落したものの、石垣の隅の四角の石材が倒壊せずに残って櫓を支えたため、『奇跡の一本石垣』として何回も報道されました。復元櫓でしかないのに有名なのは、この報道のためです。現在は解体保管されています。

  •  震災前の2015年10月に市役所14階の展望台から撮した飯田丸五郎櫓です。<br /> その奥に見えるのは、無事だった2層3階の未申櫓(ひつじさるやぐら)です。ただ、未申櫓の右側に続く続櫓と塀は地震で崩れ落ちています。

     震災前の2015年10月に市役所14階の展望台から撮した飯田丸五郎櫓です。
     その奥に見えるのは、無事だった2層3階の未申櫓(ひつじさるやぐら)です。ただ、未申櫓の右側に続く続櫓と塀は地震で崩れ落ちています。

  •  右手側の東竹之丸ゾーンにある、倒壊を逃れた重文の櫓群です。<br /> 左から、田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓です。

     右手側の東竹之丸ゾーンにある、倒壊を逃れた重文の櫓群です。
     左から、田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓です。

  •  写っている建物は熊本大神宮の本殿と拝殿です。社務所は、東竹之丸ゾーンの石垣もろとも倒壊した東十八間櫓と北十八間櫓の直下にあったため、屋根を突き破られて破壊されましたが、隣接の本殿と拝殿は無事でした。なお、地震発生時、社務所には2人の女性が寝ていたのですが、神様のご加護のお陰か無事だったそうです。<br /> また、写真には映っていませんが、手前には熊本城稲荷神社があります。地震ではそれなりの被害を受けたようですが、再建は順調な様子です。

     写っている建物は熊本大神宮の本殿と拝殿です。社務所は、東竹之丸ゾーンの石垣もろとも倒壊した東十八間櫓と北十八間櫓の直下にあったため、屋根を突き破られて破壊されましたが、隣接の本殿と拝殿は無事でした。なお、地震発生時、社務所には2人の女性が寝ていたのですが、神様のご加護のお陰か無事だったそうです。
     また、写真には映っていませんが、手前には熊本城稲荷神社があります。地震ではそれなりの被害を受けたようですが、再建は順調な様子です。

  •  城とは反対側の風景です。

     城とは反対側の風景です。

  •  市役所14階のダイニングカフェ「彩」です。<br /> 日祝休、オープンは平日11時~17時 夜の営業は予約のみだそうです。<br /> ランチメニューは、カレーやハンバーグといった社食でよく見る種類ですが、観光客向けなのか1000円から1500円程度とやや高めです。

     市役所14階のダイニングカフェ「彩」です。
     日祝休、オープンは平日11時~17時 夜の営業は予約のみだそうです。
     ランチメニューは、カレーやハンバーグといった社食でよく見る種類ですが、観光客向けなのか1000円から1500円程度とやや高めです。

  •  道路を渡って城に向います。

     道路を渡って城に向います。

  •  市電の停留所を通過します。

     市電の停留所を通過します。

  •  重文の「長塀」です。ほぼ直線で、長さが242mもあります。<br /> 地震では一部倒壊したそうですが、2021(令和3)年には復旧が完了しました。

     重文の「長塀」です。ほぼ直線で、長さが242mもあります。
     地震では一部倒壊したそうですが、2021(令和3)年には復旧が完了しました。

  •  加藤清正公の像です。<br /> 東京都中央区日本橋浜町2丁目にある浜町公園には、地元民が「清正公様」と呼ぶお寺があります。正式名称は清正公寺で、文久元年(1861)に熊本藩を引き継いだ細川斎護が、熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請して浜町にあった下屋敷に創建しました。明治の神仏分離令では加藤神社になりましたが、明治18年仏式に戻して清正公堂に改称したといいます。こんなことを書いたのは、小学校まで浜町1丁目に住んでいた私の遊び場が、明治座近くの浜町公園で、加藤清正公は何故か懐かしく感じるためです。<br /> なお、浜町公園は、1923年の関東大震災後、後藤新平の主導による帝都復興事業(帝都復興公園)の一環として、隅田公園(台東区、墨田区)・錦糸公園(墨田区)と併せて計画・整備され、1929年に開園した中央区最大の公園です。

     加藤清正公の像です。
     東京都中央区日本橋浜町2丁目にある浜町公園には、地元民が「清正公様」と呼ぶお寺があります。正式名称は清正公寺で、文久元年(1861)に熊本藩を引き継いだ細川斎護が、熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請して浜町にあった下屋敷に創建しました。明治の神仏分離令では加藤神社になりましたが、明治18年仏式に戻して清正公堂に改称したといいます。こんなことを書いたのは、小学校まで浜町1丁目に住んでいた私の遊び場が、明治座近くの浜町公園で、加藤清正公は何故か懐かしく感じるためです。
     なお、浜町公園は、1923年の関東大震災後、後藤新平の主導による帝都復興事業(帝都復興公園)の一環として、隅田公園(台東区、墨田区)・錦糸公園(墨田区)と併せて計画・整備され、1929年に開園した中央区最大の公園です。

  •  堀に架かる行幸橋の上から見た長塀です。

     堀に架かる行幸橋の上から見た長塀です。

  •  長塀の端に存在していた馬具櫓の倒壊した石垣です。<br /> 馬具櫓は、1877年の西南戦争の際に反乱軍の攻撃に備えて解体され、石造りの台座部分は砲台に改造されました。そのため、地震の前にあった櫓は2014(平成26)年に復元された建物です。

     長塀の端に存在していた馬具櫓の倒壊した石垣です。
     馬具櫓は、1877年の西南戦争の際に反乱軍の攻撃に備えて解体され、石造りの台座部分は砲台に改造されました。そのため、地震の前にあった櫓は2014(平成26)年に復元された建物です。

  •  修復中の飯田丸五階櫓です。

     修復中の飯田丸五階櫓です。

  •  飯田五郎丸の修復工事を見ながら、南口券売所に向います。

     飯田五郎丸の修復工事を見ながら、南口券売所に向います。

  •  南口券売所からは、空中回廊を歩いて見学します。

     南口券売所からは、空中回廊を歩いて見学します。

  •  いきなり、石垣が崩れた場所に出会いました。<br /> もっとも、この崩れは、表の石組みと裏込め石の構造が判り、大変勉強になる場所ではありました。

     いきなり、石垣が崩れた場所に出会いました。
     もっとも、この崩れは、表の石組みと裏込め石の構造が判り、大変勉強になる場所ではありました。

  •  数寄屋丸二階御広間の石垣が崩れた場所。<br /> 現在の建物は、平成元年(1989年)に市制100周年記念として建設したものなので、また復元してもらいましょう。

     数寄屋丸二階御広間の石垣が崩れた場所。
     現在の建物は、平成元年(1989年)に市制100周年記念として建設したものなので、また復元してもらいましょう。

  •  大天守が見えてきました。

     大天守が見えてきました。

  •  空中回廊はこんな感じ。<br /> 地面を歩かせれば、復旧が相当進まないと観光客を入れられませんが、回廊から観光させるならそれも可能です。よく考えたシステムですね。<br /> 

     空中回廊はこんな感じ。
     地面を歩かせれば、復旧が相当進まないと観光客を入れられませんが、回廊から観光させるならそれも可能です。よく考えたシステムですね。
     

  •  石垣は僅かしか映っていませんが、パンフレットの『二様の石垣』という場所です。

     石垣は僅かしか映っていませんが、パンフレットの『二様の石垣』という場所です。

  •  天守閣広場から見た大小天守です。<br /> 明治になると、熊本城には熊本鎮台が置かれました。司令だった桐野利秋は、老朽化した建物の多くを破却したため、1877年(明治10年)の西南戦争前に残っていた建築物は、天守・本丸御殿などの本丸主要部だけだったといいます。<br /> その残った大小天守なども、西郷軍の総攻撃2日前に起きた原因不明の出火で、兵糧として備蓄していた30日間分の米、民家約千軒と共に焼失しました。焼失を免れた建造物も、陸軍が大正期までに多くを破却したため、江戸時代以前の建物は、宇土櫓、東竹之丸の櫓群、長塀、監物櫓(監物台樹木園)という重文に指定された13棟だけになっています。<br /> その重文群も、2016年の熊本地震では、北十八間櫓、東十八間櫓が倒壊。宇土櫓、不開門、長塀の一部倒壊。他の建物も全て大小の被害を受けています。

     天守閣広場から見た大小天守です。
     明治になると、熊本城には熊本鎮台が置かれました。司令だった桐野利秋は、老朽化した建物の多くを破却したため、1877年(明治10年)の西南戦争前に残っていた建築物は、天守・本丸御殿などの本丸主要部だけだったといいます。
     その残った大小天守なども、西郷軍の総攻撃2日前に起きた原因不明の出火で、兵糧として備蓄していた30日間分の米、民家約千軒と共に焼失しました。焼失を免れた建造物も、陸軍が大正期までに多くを破却したため、江戸時代以前の建物は、宇土櫓、東竹之丸の櫓群、長塀、監物櫓(監物台樹木園)という重文に指定された13棟だけになっています。
     その重文群も、2016年の熊本地震では、北十八間櫓、東十八間櫓が倒壊。宇土櫓、不開門、長塀の一部倒壊。他の建物も全て大小の被害を受けています。

  •  天守閣から見た本丸御殿です。<br /> 奥には、見学通路の空中回廊が見えます。

     天守閣から見た本丸御殿です。
     奥には、見学通路の空中回廊が見えます。

  •  天守閣から見た宇土櫓方面です。

     天守閣から見た宇土櫓方面です。

  •  これが、上から見た宇土櫓です。<br /> 此処から見ると、破損していないように見えますが。

     これが、上から見た宇土櫓です。
     此処から見ると、破損していないように見えますが。

  •  天守閣とはお別れです。<br /> 天守内の展示は、どこの復元天守閣にもある鉄砲や鎧と古文書です。<br /> 復元天守閣は1960年(昭和35年)に落成式が行われました。

     天守閣とはお別れです。
     天守内の展示は、どこの復元天守閣にもある鉄砲や鎧と古文書です。
     復元天守閣は1960年(昭和35年)に落成式が行われました。

  •  かつて6基あったという五階櫓の中で唯一残る「宇土櫓」です。<br /> 今回、熊本城を訪れた最大の理由は、表紙に書いたように、この宇土櫓の損傷状態を確認するためです。というのは、櫓といっても、3重5階地下1階、19mの高さは、現存12天守閣の中でも国宝の姫路城、松本城、松江城の天守に次ぐ規模であり、それが高さ20mの石垣の角に載っている様子は実に壮観で、2015年10月に出張便乗旅で訪れた際に惚れ込んだためです。そのため地震後は、ウオッチし続けていたのですが、情報が全く出てきません。<br /> 飯田丸五階櫓の奇跡の一本足が衝撃的な絵になったためか、マスコミはこちらばかりを報道していますが、真に重要なのは、加藤清正が建築したと伝わる、この宇土櫓だと私は思うのですがね。

     かつて6基あったという五階櫓の中で唯一残る「宇土櫓」です。
     今回、熊本城を訪れた最大の理由は、表紙に書いたように、この宇土櫓の損傷状態を確認するためです。というのは、櫓といっても、3重5階地下1階、19mの高さは、現存12天守閣の中でも国宝の姫路城、松本城、松江城の天守に次ぐ規模であり、それが高さ20mの石垣の角に載っている様子は実に壮観で、2015年10月に出張便乗旅で訪れた際に惚れ込んだためです。そのため地震後は、ウオッチし続けていたのですが、情報が全く出てきません。
     飯田丸五階櫓の奇跡の一本足が衝撃的な絵になったためか、マスコミはこちらばかりを報道していますが、真に重要なのは、加藤清正が建築したと伝わる、この宇土櫓だと私は思うのですがね。

  •  2015年10月に訪れた際に、西の丸広場から撮った大小天守閣(奥)と宇土櫓(手前)。一番手前は西出丸長塀です。<br /> 写真にある宇土櫓の続き櫓と西出丸長塀は倒壊しました。熊本城の再建完了は、30年後の2052年度だということなので、100歳以上になってしまう私は、この美しさを再び見ることはかなわないでしょう。

     2015年10月に訪れた際に、西の丸広場から撮った大小天守閣(奥)と宇土櫓(手前)。一番手前は西出丸長塀です。
     写真にある宇土櫓の続き櫓と西出丸長塀は倒壊しました。熊本城の再建完了は、30年後の2052年度だということなので、100歳以上になってしまう私は、この美しさを再び見ることはかなわないでしょう。

  •  この角度からでは、損傷は僅かしか見えないのですが。

     この角度からでは、損傷は僅かしか見えないのですが。

  •  此処からでもは、宇土櫓の被害は、左の土壁の破損だけのように見えるので一安心しました。

     此処からでもは、宇土櫓の被害は、左の土壁の破損だけのように見えるので一安心しました。

  •  倒壊したのは、この石垣の上にあった続き櫓です。

     倒壊したのは、この石垣の上にあった続き櫓です。

  •  ですが、2023年4月12日(水) に、解体修理を行なうことが決まったと報道されました。理由は、内壁が剥がれ落ちる、床が傾くなど、内部の被害が甚大で解体修理をせざるを得ないためだそうです。<br /> 年内には工事用の囲い「素屋根」で覆い、解体後に組み立て直し、復旧完了は2032年度だそうです。そのため、こっちの方は生きているうちに対面できそうです。

     ですが、2023年4月12日(水) に、解体修理を行なうことが決まったと報道されました。理由は、内壁が剥がれ落ちる、床が傾くなど、内部の被害が甚大で解体修理をせざるを得ないためだそうです。
     年内には工事用の囲い「素屋根」で覆い、解体後に組み立て直し、復旧完了は2032年度だそうです。そのため、こっちの方は生きているうちに対面できそうです。

  •  紅蘭亭から電話があったので、宇土櫓を離れます。 <br /> 

     紅蘭亭から電話があったので、宇土櫓を離れます。 
     

  •  帰り道に出会った未申櫓(ひつじさるやぐら)です。<br /> 西出丸南西隅にあった櫓で、鎮西鎮台が城に入った後、司令の桐野利秋が西出丸を石垣ごと取り崩しましたが、平成15年に戌亥櫓(北西)と一緒に木造で復元されました。

     帰り道に出会った未申櫓(ひつじさるやぐら)です。
     西出丸南西隅にあった櫓で、鎮西鎮台が城に入った後、司令の桐野利秋が西出丸を石垣ごと取り崩しましたが、平成15年に戌亥櫓(北西)と一緒に木造で復元されました。

  •  紅蘭亭がある下町のアーケードまで戻ってきました。<br /> 熊本も、大分や鹿児島と同様にアーケードのある商店街が元気です。

     紅蘭亭がある下町のアーケードまで戻ってきました。
     熊本も、大分や鹿児島と同様にアーケードのある商店街が元気です。

  •  紅蘭亭 下通本店は昭和9年創業です。<br /> 私が食べたのは、太平燕小と酢豚風がセットになった中華定食(1380円)です。以前食べたとおりの美味しさで,長崎の憂さを晴らせました。<br /> 太平燕は、熊本県中部のご当地料理なので、他の地域で供されることは希です。<br /> ウィキによると、日本の太平燕は、麺が春雨、トッピングに鶏の茹卵を使っていますが、ルーツは中国福建省福州市の扁肉燕(福州語 ビェンニュッイェン)という、豚肉を叩き潰したものにサツマイモでん粉を練り込んだワンタン様の皮と、アヒルのゆで卵を入れたスープワンタンのようなものだそうです。

     紅蘭亭 下通本店は昭和9年創業です。
     私が食べたのは、太平燕小と酢豚風がセットになった中華定食(1380円)です。以前食べたとおりの美味しさで,長崎の憂さを晴らせました。
     太平燕は、熊本県中部のご当地料理なので、他の地域で供されることは希です。
     ウィキによると、日本の太平燕は、麺が春雨、トッピングに鶏の茹卵を使っていますが、ルーツは中国福建省福州市の扁肉燕(福州語 ビェンニュッイェン)という、豚肉を叩き潰したものにサツマイモでん粉を練り込んだワンタン様の皮と、アヒルのゆで卵を入れたスープワンタンのようなものだそうです。

  •  連れが頼んだ太平燕(980円)です。<br /> 私が知っている太平燕の日本での元祖は、1933(昭和8)年創業の中華園(熊本市桜町「県民百貨店」8階、2015年閉店)ですが、ウィキによると会楽園(熊本市新町)や紅蘭亭(熊本市安政町)が発祥だとする説もあるそうです。<br />

     連れが頼んだ太平燕(980円)です。
     私が知っている太平燕の日本での元祖は、1933(昭和8)年創業の中華園(熊本市桜町「県民百貨店」8階、2015年閉店)ですが、ウィキによると会楽園(熊本市新町)や紅蘭亭(熊本市安政町)が発祥だとする説もあるそうです。

  •  昼食後は、宿泊する三井ガーデンホテルにチェックインして休憩です。<br /> 写真は、途中にある中華園が入っていた県民百貨店と熊本バスターミナルの跡地に建った、SAKURA MACHI Kumamoto(サクラマチ クマモト)です。現在は、熊本県熊本市中央区桜町にある熊本桜町バスターミナルに付随した複合商業施設になっています。

     昼食後は、宿泊する三井ガーデンホテルにチェックインして休憩です。
     写真は、途中にある中華園が入っていた県民百貨店と熊本バスターミナルの跡地に建った、SAKURA MACHI Kumamoto(サクラマチ クマモト)です。現在は、熊本県熊本市中央区桜町にある熊本桜町バスターミナルに付随した複合商業施設になっています。

  •  連節式の車両も見ました。<br /> 市電が90°曲がる辛島公園前の交差点で西を向いて取りました

     連節式の車両も見ました。
     市電が90°曲がる辛島公園前の交差点で西を向いて取りました

  •  車台番号9203のこの電車は、1993年年製造です。

     車台番号9203のこの電車は、1993年年製造です。

  •  晩飯は、ホテルに紹介してもらった、天草の魚が売りの酒湊(さかそう)という居酒屋です。<br /> 九州の飲み屋はどこも繁盛しているらしく、此処でも30分ほど待ちました。九州で美味しいものを食べるなら予約が必須だと身にしみて理解できました。<br /> 写真は、後の揚げ物にピントが合ってしまってピンぼけ状態ですが、無料のお通の刺身と揚げ物です。

     晩飯は、ホテルに紹介してもらった、天草の魚が売りの酒湊(さかそう)という居酒屋です。
     九州の飲み屋はどこも繁盛しているらしく、此処でも30分ほど待ちました。九州で美味しいものを食べるなら予約が必須だと身にしみて理解できました。
     写真は、後の揚げ物にピントが合ってしまってピンぼけ状態ですが、無料のお通の刺身と揚げ物です。

  •  剣先イカの活け作りです。さっきまで店先の水槽で泳いでいたものです。<br /> 店ではヤリイカと呼んでいましたが、標準和名はケンサキイカです。<br /> コウイカ(スミイカ)やモンゴウイカなどの身が厚いイカは数日おいた方が美味しいのですが、ヤリイカ、スルメイカ、ケンサキイカなどは、この様に身が透明な状態のものが圧倒的に美味しいです。函館の活スルメの刺身も絶品ですぞ。

     剣先イカの活け作りです。さっきまで店先の水槽で泳いでいたものです。
     店ではヤリイカと呼んでいましたが、標準和名はケンサキイカです。
     コウイカ(スミイカ)やモンゴウイカなどの身が厚いイカは数日おいた方が美味しいのですが、ヤリイカ、スルメイカ、ケンサキイカなどは、この様に身が透明な状態のものが圧倒的に美味しいです。函館の活スルメの刺身も絶品ですぞ。

  •  シイタケの天ぷらです。美味しすぎて写真を撮り忘れてしまい、記録としては全く不備ですが、他にも何品か頼み、お酒もしっかり飲み、〆のお握りまで含めて含めても、1万円以下だったと記憶しています。<br /> 晩飯後に、毎回楽しく過ごせた立ち飲みのショットバーの「キャサリンズBar」へ行こうと思っていたのですが、晩飯が美味しすぎた+疲れで、休憩のつもりでホテルに戻ったら爆睡してしまい,熊本のナイトライフは無しになってしまいました。

     シイタケの天ぷらです。美味しすぎて写真を撮り忘れてしまい、記録としては全く不備ですが、他にも何品か頼み、お酒もしっかり飲み、〆のお握りまで含めて含めても、1万円以下だったと記憶しています。
     晩飯後に、毎回楽しく過ごせた立ち飲みのショットバーの「キャサリンズBar」へ行こうと思っていたのですが、晩飯が美味しすぎた+疲れで、休憩のつもりでホテルに戻ったら爆睡してしまい,熊本のナイトライフは無しになってしまいました。

この旅行記のタグ

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP