2022/11/12 - 2022/11/12
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魚屋No1さん
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佐賀県立九州陶磁文化館のブッ飛び具合は、このトイレが典型です。
他のものも、玄関を含めて扉の取っ手は全て有田焼、館内の「カフェテラス 彩」で食べた800円のカレーライスの皿が素敵なので聞いてみると「近所で売っている2万円くらいの品物、サラダの小皿なら5千円程度だからお土産にどうぞ」、「200年前の器でコーヒーを飲んでみませんか」は柴田コレクションの寄贈者の「何万点もあるから積極的に使って」という言葉で始めた等々、負けず劣らずです。
ただ残念だったのは、今回の目的が、以前訪れた時に見た何れも先代の作だとお思いますが、柿右衛門、今右衛門、源右衛門さんの巨大で素敵な磁器を見ることだったのに、特別展のために収蔵庫へ収められてしまって出会えなかったことです。
今回の旅行は、1日目にも書いたように、19800円でJR九州の特急と新幹線の全線が3日間乗り放題の「ハロー!自由時間ネットパス」を活用し、以下の日程で是非にも再訪したい場所と一度は訪れたい場所を巡りました。
2022年11月8日から14日
8日 成田からジェットスター(広い座席指定)で大分へ、別府観光
9日 是非にも再訪したかった国東の磨崖仏を巡る
関アジ・関サバの「りゅうきゅう」を大分市のこつこつ庵で食す
10日 宮崎の青島で鬼の洗濯板を訪れた後、鹿児島へ
錦江湾の「首折れサバ」を食す
11日 鹿児島市内観光後、新幹線で博多へ 「玄界灘のサバ」を食す
12日 有田散策、佐賀県立九州陶磁美術館へ
西九州新幹線で長崎へ、眼鏡橋、四海楼で残念なチャンポン
13日 島原鉄道とフェリーで熊本へ、熊本城の宇土櫓を確認する
太平燕、活け剣先イカを食す
14日 柳川で船下りとせいろ蒸し、西鉄で福岡へ ジェットスターで帰宅
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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本日の最初の目的地は有田です。そのため、博多8時37分発の「ハウステンボス・みどり11号」に乗車します。
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ホームに出ると883系電車のソニックがいました。
883系は、熊本でも出会っている1994年に運用を開始した水戸岡デザインの振り子式車両です。これは青色ですが、ダースベーダー風の顔つきです。 -
さすがに博多駅です。流線型の885系が直ぐに来ました。
885系は、2000年に運用を開始した、やはり水戸岡デザインの振り子式車両です。883系と同じ人がデザインしたとは思えないほどですが、特急なのに博多と武雄温泉の82kmを56分もかけて走るようでは、この流線型も意味はあまり無さそうです。 -
乗車した「ハウステンボス・みどり11号」は、先頭の4両が「ハウステンボス11号」で、後方の4両が佐世保行きの「みどり11号」です。
使用している783系は、1988年(昭和63年)に営業運転を開始したJR九州の交流特急形電車です。「ハイパーサルーン」という愛称がついているそうですが、由来は判りません。なお、水戸岡デザインではありません。 -
奥の緑色の車両が特急「みどり」です。
「ハウステンボス」と「みどり」の接続部の車両は、流線型ではない車両に貫通通路を設けたクロ782形およびクロハ782形でクロハ782形です。「ク」は運転台、「モ」はモーター、「ロ」はグリーン車の略です。それにしても、車両の型式番号まで変えたのはどんな理由なのでしょうか。 -
この座席にも、切符を刺すビニールの小ポケットがついています。
「ハウステンボス・みどり」の運行経路は、博多駅⇒鹿児島本線⇒鳥栖駅⇒長崎本線⇒佐賀駅⇒肥前山口駅⇒佐世保線⇒武雄温泉駅⇒有田駅⇒早岐駅で分割⇒みどりは進行方向を変えて終点の佐世保駅へ、ハウステンボスは大村線で終点に向います。
有田は分離する前の駅なので、目の前の扉から入りました。 -
有田での最初の目的地は 写真のトンバイ塀のある裏通りです。
前日までは、上有田駅から歩いて有田駅へ出ようと思ってのですが、このコースでは荷物を持って歩かねばなりません。身軽に歩きたいので、有田からタクシーで向いました。有田駅からトンバイ塀までは約2.9kmです。 -
トンバイ塀は、観光案内の説明にあるように、登り窯を築くために用いた耐火レンガ(トンバイ)の廃材を赤土で塗り固め作った塀です。
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観光案内図には「トンバイ塀のある裏通り」とありますが、私の見た最大の塀は、写真の辻精磁社を囲んでいるものでした。他は、小規模な塀がポツンポツンと現われるだけなので、私の中ではガッカリ観光地の一つになりました。
なお、辻精磁社は、1668年創業のかつての宮内庁御用達(現在、この制度は存在しない)の会社です。会社のホームページには素敵な製品が載っていましたよ。 -
近くにあった「大樽区三空庵公園地蔵尊公園地蔵尊」です。
地域住民の密度を感じさせてくれる、チョイと気を引く風景でした。 -
トンバイ塀のある裏通の一部。もう少し連続していれば素敵な観光地になるのですがね。
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深川製磁の工場です。私でも名前を知っている大手です。
土曜日のためか、工場は動いていません。
深川製磁は、香蘭社を創設した深川栄左ヱ門の次男の深川忠次氏が明治27(189)年に設立した会社ですが、2019年に製陶とは無縁の神戸にある会社に身売りをしています。 -
これは、少し離れた写真。
木造のレトロな工場です。 -
深川製磁直売所 路地の奥には、前の写真の木造の古い工場が見えます。
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深川製磁工場。上の写真の左側の部分。
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これは、深川製磁の道路を挟んだ反対側にあった香蘭社の工場です。
この旅行記を書く際に地図を見たところ、この工場は電気の絶縁に使う「碍子」を作っていることが判りました。ウィキペディアには、香蘭社を創業した深川栄左衛門 (8代目) が、1870年 (明治3年)に碍子を国内で始めて製造したとあります。香蘭社の碍子部門は、現在も売上高の約3分の1を占めているとのこと。高級磁器で有名な香蘭社が工業製品を作っているなんて、ちょっと驚きです。 -
深川家は、1689年(元禄2年)に亡くなった初代 の深川栄左衛門以来、有田で作陶に従事していました。1870年 (明治3年)に碍子を作った8代目は、1875年(明治8年)に有田の有力な窯業家と共に陶磁器の輸出を目的にした合本組織香蘭社を創立しました。号本組織は1879年(明治12年)に解散しますが、8代目は資本金25,000円で香蘭合名会社を単独で設立し、その後も深川家の一族が社長を務め続けているとのことです。
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陶祖・李参平さんの住居跡です。
李参平さんは、文禄元(1592)年から慶長3(1598)年にかけて行なわれた文禄・慶長の役の撤退時に、有田を含む肥前の国を領した鍋島直茂によって日本へ連れこられました。彼は、慶長4(1599)年頃から作陶を始めたといいますが、彼が本格的に活動を始めたのは、泉山磁石場 (国指定史跡 現在は枯渇)で良質な白磁石を発見し、元和2(1616)年に天狗谷窯(白川)で白磁器を生産するようになってからです。20代半ばで連れてこられた彼は、金ヶ江 三兵衛という日本名で約63年間暮らし、明暦元(1655)年に亡くなりました。
彼の死の三年後、有田焼とその陶工を管理していた鍋島藩の皿山代官は、彼の偉業を顕彰するため、応神天皇(八幡神)を主祭神に、初代藩主の鍋島直茂と李参平を「陶祖」として配祀した「陶山神社」を有田の総鎮守として造営しました。 -
有田焼の発達は、李 参平と同様に連れてこられた女性の百婆仙(べクパソン)の功績も大きいといいます。百婆仙は、観光協会が開いているサイトの「ありたさんぽ」によると、夫の金泰道(キム・テド/日本名:深海宗伝)と共に鍋島藩に連れてこられ、武雄市内田村で作陶していました。夫の死後、良質な土を求めて一族で有田町稗古場へ移住し、李参平が発見した泉山磁石場の白磁石を使って作陶をしながら96歳で亡くなりました。1705年に有田町稗古場にある報恩寺の境内に彼女を「有田陶業の祖」として称えてた石碑が建てられているそうです。
なお、薩摩焼も、秀吉の文禄・慶長の役の際に島津義弘が連れてきた「沈壽官」が祖です。日本の陶磁器の発展は、この3名の朝鮮人陶工の貢献があったからこそだということを忘れてはいけません。 -
李荘窯は、李参平住居跡に作ったというが、彼との関係は不明。
ここまで歩けば今右衛門さんの店が見えるはずなのにと思って地図を見ると、歩くべきは県道281号線なのに、深川磁器のところで一本山側の道に来てしまったことが判り、慌ててUターンしました。 -
県道281号線は、有田のメインストリートなのに人の気配が全くありません。
もっとも、有田の大所の香蘭社、深川磁器と三右衛門さん(柿右衛門、今右衛門、源右衛門)達は、東京や京阪神での売り上げが主なはずなので、地元の賑わいとは無縁なのでしょうね。 -
県道281号線に面した鷹巣瑞光堂のショーウインドーです。明治15年創業というこの店はセレクトショップのようです。
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県道281号線に面した香蘭社の直売所です。
有田の磁器はどれも高価で、年金生活者に手が出せる品ではありません。 -
以前にも訪れた今右衛門さんの直売所。招き入れてもらって見学しました。
素敵な器が並んでいましたが、小皿でも私には手が出ない価格でした。それにしても、こんなにスンバラシイ皿に醤油を入れて冷や奴を食べるという生活はどんなもんなのでしょうかね。想像を絶します。 -
僅かですが、メイン通りの県道281号線にもトンバイ塀がありました。
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「佐賀県立九州陶磁文化館」は、この山の上にあります。
定休日:月曜日(祝祭日開館、翌日休館)と年末年始(12月29日~1月3日)
常設展:無料、 開館:9:00~17:00 TEL:0955-43-3681
〒844-0017 西松浦郡有田町戸杓乙3100-1 -
「佐賀県立九州陶磁文化館」です。
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表紙に書いた、凝っている扉の取っ手です。
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上のズーム
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こんなのもあります
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左が龍、右が鳳凰です
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この鳥はウズラだと思えます。
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以下は、特別企画展の日本工芸会陶芸部会50周年記念 「未来へつなぐ陶芸―伝統工芸のチカラ」に展示されていた作品です。デカくて見応えのある力作揃いでした。
これは、井上萬二作の白磁花形花器、1996年 東京国立近代美術館蔵
1929年3月24日 生まれの彼は、有田で白磁にこだわった作陶を続けているという人間国宝。
それにしても、この無垢な白さは、明治期までの有田には無いものです。釉薬の違いもあるのでしょうが、登り窯だと薪の灰の飛散で生じる黒の斑点が避けられないのに対し、現在の電気窯なら、灰かぶりの心配が無い上、窯の窯の温度も安定させられるなどで、焼成の自由度が格段に向上した効果だと、私は考えています。 -
染め付け金魚鉢 小枝真人作(1973~) 日本伝統工芸展出品作
1999 愛知県立芸術大学 陶磁専攻卒業(桑原賞受賞)
2001 同 大学大学院陶磁専攻修了(修了制作 作品買い上げ)
2003 瀬戸染付研修所(現瀬戸染付工芸館)修了
現 在 静岡県伊東市にて制作
(公社)日本工芸会正会員
東海伝統工芸展 審査委員
愛知県立芸術大学 美術学部 デザイン工芸科 陶磁専攻 准教授 -
こんな具合で展示されていました。
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横っちょから見るとこんな感じ。圧巻でした。
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途中で見える中庭です。
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以下は、常設展の品です。古い有田焼には、先にも書いたように、濁手(にごしで)という白地の部分にほぼ全部と言ってよいほど、登り窯の灰が落ちた跡だと思える小さな黒い点があるのが特徴です。
色絵唐獅子牡丹文十角皿 肥前有田 1670~1690年代
佐賀県重要文化財 佐賀県立九州陶磁文化館蔵 -
染め付け花唐草文小皿 肥前有田 1610~1630年代
佐賀県立九州陶磁文化館蔵 芝澤コレクション -
色絵梅牡丹唐草文輪花皿 肥前有田 1650~1660年代
佐賀県立九州陶磁文化館蔵 柴田夫妻コレクション -
色絵紅葉扇文婦人像 肥前有田 1670~1690年代
佐賀県立九州陶磁文化館蔵 -
染付鷺文三足大皿 肥前 大川内 鍋島藩窯 1690~1710年代
国指定重要文化財 佐賀県立九州陶磁文化館蔵 -
染付花鳥文VOC文字入大皿 肥前有田 1700~1740年代
有田町蔵 蒲原コレクション
VOCは、オランダ東インド会社(Vereenigde Oostindishe Compagnie)の頭文字 -
染付醤油瓶(コンプラビン) 肥前波佐見 1830~1860年
有田町蔵 蒲原コレクション
50年以上前、船下りや御花で有名な福岡県柳川には、古美術商の店先にさして珍しくもない様子で幾つも置いてありました。醤油や酒を詰めて帆船に積み、数ヶ月もかけてヨーロッパへ輸出したというコンプラビンにロマンを感じた私は是非欲しかったのですが、当時の大学生にとって3万円は高価すぎました。 -
コンプラビンの説明書き
ポルトガル語のコンプラドールの略で、買付・仲買人の意味。江戸後期の19世紀、長崎出島のオランダ商館と日本商人の仲立ちをした商人の金富良商社(コンプラショウシャ)によって注文され、多くは波佐見(長崎県)で作られました。「JAPAN ZOYA」のZOYAは醤油のことで口部分には覆いを掛け紐で縛って密封する溝があります。 -
釉下彩鶏花文大花瓶 佐賀有田香蘭社 1875~1880年代
佐賀県立九州陶磁文化館蔵
以下は説明書き
明治初期、当時最新の洋絵具である釉下彩の青色(コバルト)、緑色(クロム)、ピンク色(正円子)で桜、菊、鶏が描かれています。有田の豪商、田代家に残された類似する大花瓶のデザイン画には、釉下彩の「薄正エンジ」(薄正円子)や文様を高く盛り上げる陽刻の「置挙」(置上)などの指示書が見られます。 -
色鍋島薄墨珠樹文花瓶 13代今泉今右衛門 1984年 同人寄贈
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濁手色絵草花文花瓶 13代酒井田柿右衛門 1978年 同人寄贈
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此処の取っ手も有田焼です。
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近寄ればこんな感じ。
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有田焼からくりオルゴール時計です。
この時計は、直径70cmの文字盤が30分毎に開き、からくり仕掛けのボールサーカスのショーが3分間続きます -
これが、表紙で書いた、館内の「カフェテラス 彩」で出している800円のぶっ飛びカレーライスです。
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メニューはこんな感じ。
高菜ピラフとスパゲッティミートソースは800円、ぜんざい550円と劇安です。
例の、200年前の器で飲むコーヒーはセットにすると350円です。
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スプーンの絵に描かれているのはザトウクジラです。
ヒゲクジラ系のザトウクジラは、脂が脂肪酸系で美味しい上、動きが鈍くて捕獲しやすい鯨なので、流通量が多くて江戸時代の大坂人の大好物でした。ハリハリ鍋、おでんのコロやサエズリはこの名残です。 -
水のカップです。
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「200年前の器でコーヒーを飲んでみませんか」で供されるコーヒーの器です。
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これは、上から見た写真。
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これは飲んだ後。
なっていうことのないコーヒーですが、珍しい経験ができてハイテンションになりました。 -
器の説明書きです
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今回の器は上のものだと思います。
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次ぎが、例のトイレです。
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スイッチも有田焼
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男子トイレは全て探検しました。
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戦利品として購入したマグネットです。
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有田駅は、柱が木製の古き良きローカル線のホームです。
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とはいっても、線路には雑草が茂っており、保線のレベルの低さが明らかです。
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私達は14時11分発、博多行きの特急みどり35号に乗ります
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1番線に、14時29分発の早岐行き普通列車が止まっていました。
このYC1系気動車は、2018年(平成30年)に登場したディーゼル・エレクトリック方式のハイブリッド車両です。電池は屋根の上に積んでいるそうです。 -
YC1と書かれている窓が無い部分は、車いすの障害者も使える広いトイレだそうです。
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我々が乗る、14:11発博多行きの特急みどり34号が2番線に入線してきました。
車両は博多駅で見た885系です。今回の旅行で885系に載ったのは、有田⇒武雄温泉の短い区間の1回だけでした。 -
車内の様子。
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この座席にも、切符刺しが付いています。
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武雄温泉駅に入線してきた、長崎新幹線の「かもめ33号」長崎行きです。
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この、東海道新幹線のような横5列の座席が満席になる日は来るのでしょうかね。
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長崎駅に到着しました。
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西九州新幹線、通称が長崎新幹線は、2022年9月23日に開通したばかりなので、記念に「かもめ」の文字を撮影しました。
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中華街にあるお宿へは、長崎駅前から市電に乗って向いました。
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以下は、お土産にしたマグネットの詳細です。
色絵梅鶉〔ウズラ〕文輪花小皿 有田 1670~1690年代
柿右衛門様式 柴田夫妻コレクション -
染付鷺文三足皿 肥前・鍋島藩窯 1690~1710年代
重要文化財 -
色絵桜樹文皿 肥前・鍋島藩窯 1700~1720年代
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色絵松竹梅岩鳥文輪花皿 有田 1670~1690年代
柿右衛門様式 柴田夫妻コレクション -
此処からは、特別展で気になった作品の写真です。
ただ、作品の情報は持っていません。
写真だけなので、気が向いた人は見てください。 -
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