2023/05/23 - 2023/05/25
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montsaintmichelさん
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2日目は能登半島を観光バスで周遊しました。旅行の3週間前に珠洲市で震度6強の地震があり、一時は旅行をキャンセルすることも考えましたが、TVニュースの現地レポで地元の方が「珠洲市はこれからも観光業が生命線」と言われているのを聞いて気の持ちようを変えました。
砂浜を疾走する「千里浜なぎさドライブウェイ」を皮切りに、「のと鉄道」の能登中島駅では現存2両の「鉄道郵便車 オユ10 2565」を見学した後、能登鹿島駅までのローカル電車の車窓の旅を満喫しました。その後、白米千枚田では小さな田圃がパッチワークのような複雑な幾何学模様を描いて遥か海岸線まで連なる絶景を堪能しました。何よりも感動を覚えたのは、大きな地震に遭ったにも関わらず、無事に田植えを終え、稲の苗がすくすくと育っていたことでした。能登に「来てよかった!」と思えた瞬間でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
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ホテルクラウンヒルズ金沢から少し離れた百万石通りから観光バスに乗車します。
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千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ
通常は車で砂浜を走行するのは不可能ですが、それが可能な海岸線が世界に3ヶ所あります。そのうちのひとつが日本唯一の「千里浜なぎさドライブウェイ」です。能登半島国定公園の一部で、石川県屈指の景勝地として知られ、羽咋郡宝達志水町今浜から羽咋市千里浜町に至る砂浜の延長約8kmの観光道路です。そのうちの約6kmが「千里浜なぎさドライブウェイ」です。そのルーツは1955年頃にこの海岸線を最初に走った観光バスの運転手とされ、その快感が人気を呼び観光名所となったそうです。
尚、砂浜で見られるクロマツ林は、飛砂防止のために江戸時代に植林されたものです。また、ハマナスやハマヒルガオなどの海浜植物も見られます。 -
千里浜なぎさドライブウェイ
千里浜が他の砂浜と違うのは砂粒です。千里浜は一般的な砂粒の半分程度の大きさできめ細かく、また大きさが揃い、角ばった形をしています。このきめ細やかな砂に適度な水分が混ざると砂浜は固く絞まり、4WDでなくても走行可能になるのです。科学的にはダイラタンシー現象と呼び、「不溶の粒子がある一 定の割合で混合された液体は、握ったり叩いたりして急激な圧力を加えると硬化し、圧力を弱めると元の液状に戻る」という現象です。
このような特異な砂が海岸線に溜まっている理由は、手取川や大海川、宝達川から海へ流れ出た土砂が沖の方から海流や風で浜辺へ押し戻され、その過程でより細かくなった砂が長い年月を経て千里浜に堆積したと考えられています。
一方、1994年には砂浜幅が50mほどあった千里浜海岸ですが、2011年には35mほどに減少しました。高波による浸食や地球温暖化による海面上昇、手取川砂防ダムや港湾の整備で手取川の河口から流れ着く砂の量が減っていることが一因で、歯止めがかからなければ近い将来走れなくなる恐れもあるそうです。特に深刻なのは、宝達志水町柳瀬の「のと里山海道」志雄パーキングエリア付近だそうです。
この対策として砂浜を削る波の力を弱めるコンクリート製人工リーフの整備や金沢港の浚渫土砂を活用した海上投入による養浜などを行っています。これらが奏功し、10年間で砂浜幅は平均約2m回復したそうです。 -
能登中島駅
七尾駅から能登半島の海岸線を北上して穴水駅までを結ぶ、第三セクター「のと鉄道」七尾線の駅のひとつです。駅舎は能登半島を富山湾沿いに珠洲市まで走る国道249号線の側にあります。
愛称は「演劇ロマン駅」といい、俳優 仲代達也さんとの交流で生まれた能登演劇堂に因んだもので、演劇堂は駅から800m程の距離にあります。七尾市中島町は1985(昭和60)年から仲代さんが主宰する無名塾の合宿地であり、その縁から1995(平成7)年に開館しました。 -
能登中島駅
1928(昭和3)年に鉄道省(後の日本国有鉄道)七尾線 和倉駅(現 和倉温泉駅)~能登中島駅間延伸と同時に開業し、その後1991(平成3)年にJR西日本から移管されました。
現在の駅舎は1954(昭和29)年の築です。 -
能登中島駅
駅舎の扁額と下の画像は国鉄時代に使われていた駅名表示看板です。 -
能登中島駅
玄関右横の柱には「通商産業大臣指定 計量器使用事業場」の錆び付いた表札があります。
これは、かつて駅で手荷物輸送を取り扱っていた時代に重さを計る秤が設置されていた名残りです。現在は貨物業務を廃止し、駅業務も委託化されています。 -
能登中島駅
第三セクター経営の鉄道路線は鉄道会社が路線を所有して列車を運行する形態が大半です。しかし、のと鉄道は「第二種鉄道事業者」であり、線路を借用して自前の列車で運行を行っています。
従って、七尾駅~穴水駅間の路線を保有しているのはJR西日本になります。 -
能登中島駅
駅待合室の中には、能登演劇堂で歴代演じられてきた演目のポスターなどが展示してあります。 -
能登中島駅「中島かき子」ちゃんと「中島菜々子」ちゃん
中島町のマスコットキャラクター「中島かき子」ちゃんのパネルです。
赤く「中島」と書かれている帽子は「牡蠣」の貝殻です。駅のある七尾市中島町は全国有数の牡蠣の産地であることに因みます。
一方、スカートから顔を出しているのは「中島菜々子」ちゃんです。能登中島の特産品「中島菜」をキャラクターにしたものです。因みに中島菜には、血圧上昇を抑える成分が確認されており、様々な食品に加工されています。
また、「中島かき子」ちゃんが手にしているのは「9」と「0」のバルーンです。のと鉄道和倉温泉駅から能登中島駅間の開通90周年を記念して登場したキャラクターだそうです。 -
能登中島駅
向いのホームにある待合室内の壁には、お祭りと思しき様子が描かれています。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
駅構内に展示されているブルートレインは全国的にも珍しい現存2両の「鉄道郵便車 オユ10 2565」です。この車両には旧郵政省の乗務員が乗り、郵便物を運ぶだけではなく、車内で区分け作業をしながら沿線の駅では郵袋を積み下ろす作業もしていたことから、別名「走る郵便局」と呼ばれていました。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
郵便車は旅客列車に使われている客車や電車、ディーゼルカーと同じ形に見えますが、窓は少なく、通常の旅客車両とは異なるユニークなデザインです。
一部の窓には赤色の郵便記号(〒)が貼られており、郵便車であることを表しています。また、郵便車ならではの明かり取り窓も特徴の一つです。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
「オユ10形」は昭和40年代~60年代まで北海道~九州まで全国の路線で活躍していました。因みに現存2台のうちのもう1台は、東京 中央郵政研修センター内に保存されています。
「オ」は車両の重量(32.5t以上、37.5t未満)、「ユ」は郵便車、2500番台は冷房、電気暖房取付、耐寒改造車を表します。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
鉄道郵便車とは聞き慣れない名前です。現代では郵便物を全国へ配送する方法は車や飛行機など多様ですが、かつては郵便物は鉄道での輸送がメインでした。鉄道が開業した1872(明治5)年から鉄道による郵便輸送が始まり、1986(昭和61)年に廃止されるまでの114年間に亘り、郵便物を送り届けるという役割を担いました。
昭和時代後期、過密する鉄道ダイヤへ郵便車を組み込むのが難しくなり、また郵便量も増え、郵便物の到着に3日を要したりと顧客ニーズに対応できなくなり、徐々にトラック輸送に変更されて各地の郵便局にて仕分けされる形態に移行したそうです。
そして国鉄からJRに移行する1986年に郵便車は全廃され、郵便車の歴史は幕を降ろしました。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
この車両は1987(昭和62)年に「のと鉄道」が発足するに当たり、目玉商品として郵政省から受け継いだそうです。その後、穴水の甲駅に保存されていましたが、傷みが激しい状態となっていました。そこへ鉄道郵便車保存会の前身である「ふるさと鉄道保存協会」の会長が能登旅行に来た際に「もったいない!」ということで貰い受け、補修し保存活動が開始されたという経緯があります。その後、2004年11月から能登中島駅で保存されるようになりました。
因みに郵便車は、郵政省管轄のため、郵政省職員しか入れない特殊車両でした。国鉄の車掌でさえ立ち入れない車両であり、内情を知る人は少ないそうです。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
車内にも入れます。平日は9時~15時まで、駅員に申し出れば見学が可能です。土休日は、のと鉄道の観光列車「のと里山里海号」を利用すれば見学できます。
入口は車両の前後に1箇所づつあります。
こちらは区分作業室です。郵便物を仕分けする棚は列車が揺れても郵便物が落ちないように外斜めとなっています。
また、走る区間によって地名区分が異なるため、仕分け棚には地名区分の記載がありません。郵便職員の頭の中だけで仕分けていたそうです。
更には、仕分け作業用の椅子は棚に固定されていますが、仕分け作業をしない時は邪魔にならないように奥に寄せることができる優れものです。しかし、実際にはほとんど立って作業をしていたとのことです。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
区分作業室には分散式ユニットクーラーが3基設置されていました。郵便車は重労働で劣悪な環境であったため、少しでも労働環境改善に寄与するために冷房が設置されていたそうです。その理由は、実は郵政省の労働組合の力が強かったためとも言われています。昭和40年代の列車内は扇風機の時代でしたので、車両内冷房は最先端の設備だったことでしょう。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
「走る郵便局」とも呼ばれるだけあり、区分作業室の奥には「思い出ゆうびん」のレトロな赤ポストが設置されています。このポストにハガキを投函すると、特別消印で届けてくれます。鉄道車両の中にこのポストが配置されているのは、全国でここだけです!
このポストに投函すると「オユ10形」特別日付印が押印されて配達されます。尚、駅舎でははがきは販売されていませんので、近くのコンビニで調達してください。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
車両は郵袋室と区分作業室に分かれており、走行中に区分けし、駅では郵袋の積み下ろしを行いました。この郵袋室には郵便物を収めた郵袋を600個積むことができたそうです。
掲げられている駅名看板は、かつて能登線「甲(かぶと)駅」にこの車両が保存されていたことの名残です。2005年の同線の廃止に伴って当駅に移動されたそうです。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
郵袋室の蛍光灯カバーや窓枠は金網で頑丈にガードされています。郵便物が入っている郵袋が大変な重量と勢いで投げ込まれるため、それらが割れないように配慮されていたそうです。
また、天井には沢山のフックが見られます。仕分けされた郵袋を区切るためのものだそうです。今では信じられない話ですが、郵袋から荷物の荒巻鮭の顔が出ていたこともあったそうです。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
製造50周年(2019年)のシールです。
「オユ10形」は1957(昭和32)年~1971(昭和46)年に72両が製造されました。この車両は1969(昭和44)年に新潟鐵工所で製造され、東京~北海道間で活躍しましたが、鉄道郵便が廃止された1986(昭和61)年に引退しました。 -
能登中島駅「鉄道郵便車 オユ10 2565」
小スペースながら休憩席も確保されています。
窓や座面、灰皿など、旧国鉄車両を偲ばせる座席仕様となっています。
日本初の鉄道が品川~横浜間に開業したのが1872(明治5)年。同時に郵便輸送も始まり、戦時中の混乱期も逞しく乗り越え、高度成長と共に増え続ける郵便物を寡黙に運び続けた働き者の車両です。今は奥能登の小さな駅で第二の人生を送っています。長い間、お疲れさまでした! -
能登中島駅 NT212
のと鉄道の普通列車用気動車NT200形がホームへ入ってきました。新潟トランシス製で、2005年に7両が製造されました。座席はセミクロスシートで、本来車体の色は能登の海をイメージした明るい青色をベースにしたものですが、これは人気アニメのラッピング車両です。
車両番号は、3月導入の車両がNT201~204までと、2次車の10月に製造されたNT211~213の2パターンあります。 -
能登中島駅 NT212
TVアニメ『君は放課後インソムニア』とその物語の舞台である能登地域を走る「のと鉄道 七尾線」のコラボによるラッピング列車です。
能登地域の七尾市を舞台に、不眠症を患う高校生の中見丸太が、同じ病に悩む曲伊咲と学校の天文台で出会い、昼寝の時間と秘密の場所を共有する姿を描いたアニメです。 -
能登中島駅 NT212
車体の山側には『君は放課後インソムニア』のメインキャラクターや作中に登場する七尾市の街並み、九曜高校のモデルとなった石川県立七尾高校などが描かれています。 -
能登中島駅 NT212
七尾駅から穴水駅間を1日に2、3往復しています。
『君ソム』効果で地域の活性化を図る狙いのようです。 -
能登中島駅
暫くして当方が乗車するNT203がホームに滑り込んできました。
七尾線は単線になっていますが、このように主要な駅で列車同士がすれ違えるようになっています。 -
NT203 車窓
能登中島駅から2区目の能登鹿島駅まで10分ほどの車窓の旅です。
能登中島駅を出発して間もなく、眼下に深浦漁港と集落が見えてきます。「のと里山里海号」に乗車すればビュースポットとして一時停止してくれるそうです。
興味深いのは、民家の屋根瓦が漆黒であることです。能登の景観を一言で説明する時には「黒瓦の下見板張り」という言葉が使われるのですが、海沿いの集落の黒光りする瓦屋根はとても印象的です。
しかし、元々は赤い紅殻色の瓦だったそうです。江戸時代後期に、瓦先進地であった越前の赤瓦を取り入れ、それが主流となったそうです。その後、明治時代に入ってマンガンの釉薬を使った黒瓦が開発され、能登の黒瓦が誕生しました。黒瓦は寒さと塩害に強いだけでなく、屋根に積もった雪を早く溶かす効果もあり、能登地域に欠かせない瓦として浸透していったようです。 -
能登鹿島駅
1932(昭和7)年の国鉄七尾線の七尾~穴水間延伸時に、鳳珠郡穴水町曽福に旅客貨物取扱駅として開業し、その後1972年に無人化されています。
愛称は「能登さくら駅」といい、桜の名所として全国的に知名度が高く、春になるとホームに並んだ数十本の桜木が桜のトンネルを作るそうです。桜木は、のと鉄道の前身である国鉄七尾線が開通した際、地元の方が開通を祝って植えたものだそうです。 -
能登鹿島駅
駅名の由来は、鹿島に鎮座する鹿島神社にあると思われますが、村石利夫著『JR・第三セクター全駅名ルーツ事典』によると、「『和名抄』の加島郷。『万葉集』に『香島より 久麻吉をさして…』という家持の歌がある。能登を冠したのは、常磐線の鹿島駅と区別するため」と記されています。
その昔、越中国司であった大伴家持が能登へ巡礼した際には、この地にも訪れて幾つかの歌を詠み残しています。
「香島より 熊来(久麻吉:くまき)をさして 漕ぐ舟の 楫取る間なく 都し思ほゆ」 -
能登鹿島駅
現在の駅舎は1988年の築です。
青い七尾湾を借景にし、屋根には風見鶏、窓枠は上部がアーチ型の洒落たデザインです。 -
能登鹿島駅
ここからは、能登島への第2のアクセス方法として設置された「ツインブリッジのと」が見られます。
曽福については「弁慶が別所岳を石動(せきどう)山より高くするために近郷から大石を集め、頂上に積み重ねたが高くならず、ついに怒り、谷に投げ下ろした」との伝説があります。 -
白米(しろよね)千枚田
輪島市白米町にある棚田です。小さな田圃がパッチワークのような複雑な幾何学模様を描いて遥か海岸線まで連なる絶景は、農水省の「日本の棚田百選」に指定され、奥能登を代表する観光スポットとなっています。どこまでも碧い日本海と緑の棚田のコントラストは、自然の美しさを堪能させてくれます。
また、石川県北部は国連食糧農業機関(FAO)が2011年に認定した日本初の世界農業遺産「能登の里山里海」エリアでもあります。白米千枚田はその構成要素のひとつであり、シンボリックな存在とも言えます。
因みに2015年のNHK連続テレビ小説『まれ』では、第105~155話まで、千枚田の景観がオープニング映像に使用されていました。 -
白米千枚田
小富士山(427m)の山裾が日本海に落ち込む急斜面に階段状に造られており、4haの斜面に2000枚以上の田圃が造られています。平均的な田圃1枚の面積は18平方m程、最小は50cm四方程しかなく、そこに植えられている稲は僅か6株とのこと。
古来「羽織っていた蓑を置いたその下に隠れてしまうような小さな田」等の古謡が唄い継がれています。 -
白米千枚田
農業機械が入れられないため、田植えや稲刈りは地元住民やボランティアによる手作業だそうです。因みに、現在、白米千枚田で耕作されている農家は3軒だそうです。それ以外はオーナー制度を導入し、地元の有志で結成した「愛耕会」が日常的な管理を担っています。
余談ですが、2006年5月に往時の小泉純一郎首相がこの地を訪れ、「絶景だよ、絶景!」と褒め称えたエピソードは地元マスコミで大きく取り上げられました。これに因み、同年秋に収穫されたコシヒカリは「絶景千枚田」の名で商品化され、千枚田の宣伝に一役買ったようです。
後日譚もあります。2013年7月には小泉進次郎衆議院議員が訪れ、「まさしく絶景!」と父子2代に亘って褒め称えたそうです。こちらはネガティブキャンペーンにならなければと気を揉んだとか…。 -
白米千枚田
能登付近一帯は地滑りを起こし易い珪藻土層の上にあり、白米千枚田もこの地層の上に載っています。そのため、地滑り地特有の小凹凸地形を成し、高低差約56m(19階建てビルの高さ相当)の急傾斜面に小区画の水田が耕作されています。
地滑りが起き易くなる高い土手をなくすため、斜面を何段にも小分けし、土地を漏らすことなく利用した結果、「千枚田」ができあがったと言います。そして、この千枚田が水を貯め、水を浸透させ、水の流れを調整して土砂流出を防止しているそうです。 -
白米千枚田
この木は「地母(じぼ)の木」と呼ばれています。歪んだ枝が厳冬の風雪に耐える姿を黙して語ります。
「千枚田」の由来は、田圃の枚数が多いため「千枚田」と呼ばれたとされている一方、「狭い田」が転訛したものとの異説もあります。尚、棚田のうち1004枚は2001年に国の名勝に指定されています。 -
白米千枚田
白米集落の起源は、伝承では16世紀以前に遡るとされますが、記録で存在が確かめられているのは17世紀以降です。1635(寛永12)年の記録には、百姓7軒のほか塩士5軒があり、塩釜5基を据えて塩1295俵を生産したことを伝えます。
1684(貞享元)年に発生した大規模な地すべりによって水田の大半は失われましたが、明治時代になって徐々に再開拓されました。1879(明治12)年の白米村の絵図によると、ほぼ現状の畦畔に近い水田の形状が完成していたことが窺えます。平地が希少な自然環境に逞しく立ち向かって生きてきた、奥能登の水田開発の歴史的遺産と言えます。
2014年には稲の種を直播して育成する日本古来の農法「稲代田」を蘇らせました。因みにここでは、コシヒカリと能登ひかりという品種が作られています。 -
白米千枚田
蓑の下にも隠れてしまうほどの小さな水田を驚きと感慨をもって詠った次のような古謡が残されています。
「田植えしたのが九百九十九枚 あとの一枚蓑の下 越中富山は田どころなれど 能登は一枚千枚田 二百十日も事なくすんで 婆さ出てみて南無阿弥陀 爺さ出てみて千枚田」
また、「蓑の下、耕し残る田二枚」の一句も伝えられています。
昔、百姓夫婦が田植えを終えて念のため水田の枚数を数えてみた。千枚あるはずなのにどうしても2枚足りない。日も暮れたので諦めて帰ろうと、傍に置かれていた2人の蓑を取り上げてみると、その下に2枚の田圃が隠れていた。 -
白米千枚田
土地自体は肥沃で肥料は通常より少なくてすみ、反当たりの収穫量は2.6石程だといいます。
また、江戸時代初期の1638年頃に造られた谷山用水が現在も利用されています。一方、かつては田圃の下の土地で製塩が行われていましたが、海岸の浸食で塩田が水没し、現在は行われていません。 -
白米千枚田
白米千枚田ができたのは約380 年前と言われていますが、荒廃した時期もあったそうです。最も耕作放棄が進んだのが昭和50年頃、約4割が草地になっていたそうです。丁度その頃、愛知県安城東高校の生徒が修学旅行で千枚田を訪れ、荒廃した姿を目の当たりにして何か手助けはできないかと思い立ったそうです。千枚田を守ろうと1982(昭和57)年から10年間、毎年約450人の生徒が修学旅行の一環として千枚田の草を鎌で刈ったそうです。それが契機となり、かつての田圃の姿に還そうとの気運が高まり、地元の市役所や農協、会社等がボランティアで復田に取り組み、今日の棚田になったそうです。 -
輪島網元「とね」
ランチは輪島市町野町にある「とね」でいただきました。
定置網船を持つ会社の直営店であり、輪島地元産や自家製・能登の味に拘った料理を提供されています。
「能登丼」は網元ならではの鮮度で提供される天然の輪島ふぐを使った天丼です。塩を振って余分な水分を抜いたふぐをぶつ切りにしてさっと揚げることで、他にはない食感と味わいが愉しめます。因みにとね自慢のふぐ天丼は、「能登丼」に認定されています。
添乗員さんの話では2019年7月のオープンだそうです。その12月には新型コロナウイルス感染症が中国で報告されていますから、オープンして間もなくコロナ禍の洗礼を受けたことになります。水産会社が経営されていることもあり、何とか耐え凌いで今日に至ったのだと思います。その後、新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行を5月8日に控えや矢先、石川県能登地方地震に襲われたのですから店長はじめスタッフの方々は心が折れそうになったことでしょう。
我々が直接支援できるのは観光に訪れて消費することに尽きます。
wajima-tone.com
この続きは松風水月 加賀紀行⑧能登半島周遊(後編)でお届けいたします。
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この旅行記へのコメント (2)
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- salsaladyさん 2023/11/30 09:39:05
- 七尾線=能登中島駅~
- ☆能登は日本列島のほぼ真ん中に位置し。。。Really? 珠洲市の丘にその証拠がありました。
☆能登半島は奥が深く(距離的に)なかなか全島走破する機会はありませんが、こちらは電車移動で結構レアな体験された様ですね。何だか太平洋側のローカル線”銚子線”に似た様な雰囲気が感じられて懐かしい気がします。どちらも時代と共に過疎化が進み、辛うじて残るJR?
☆我々が訪れた2022年6月にも、大きな地震がおきまして「総持寺」が被害を被ったとか~
☆日本列島がくびれる真ん中では褶曲も激しいのかと~七尾線の能登中島駅はアニメの舞台として人気があるのでしょうか?鹿島駅も可愛らしく、これも茨城と千葉の境の「鹿島神宮」に思い入れのあるサッカーファンには一度訪れたい場所ですね。~see you~
- montsaintmichelさん からの返信 2023/12/03 06:48:55
- RE: 七尾線=能登中島駅?
- salsaladyさん、当方の旅行ブログにアクセスいただき、またコメントを寄せていただきありがとうございます。
かつての能登旅行を振り返る素材となったことを嬉しく思っております。
montsaintmichel
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