2023/05/27 - 2023/05/27
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mistralさん
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天草(下島)を車で回るルートを調べ、地図を見ながら検討していた折、西海岸、下田温泉近くに「五足の靴」遊歩道という道があるのを見つけ、気になっていました。
不思議なことに、夫はその「五足の靴」五人づれ著 なる文庫本を所有していたのです。当の夫も、その五人づれが歩いた地が、天草の具体的にはどこにあたるのかははっきりとわからずにいたようでした。
その五人づれとは、与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、平野万里、吉井勇の五人。明治40年盛夏。東京新聞社の雑誌「明星」に集う若き詩人たちがいさんで旅に出た。五人づれは長崎・平戸・島原・天草と南蛮文化を探訪し、阿蘇に登り、柳川に遊ぶ。交代で匿名執筆した紀行文は新聞連載され、日本耽美派文学の出発点となった。(岩波文庫、カバー表紙。解説=宗像和重 より引用)
大江教会をさらに下田温泉に向かって北上していく際に走っていったのは、天草サンセットラインと名付けられた夕日の名所が続く絶景を左手に見ながらでした。宿での晩御飯の約束した時間もあって停まらずに走ってきましたが、「五足の靴 遊歩道」との案内を見つけ、最後にそこで車を停めてみたのでした。
-
「下田の夕陽」(夕陽ガ丘)と書かれた石碑。
ここまでも夕陽の名所らしい箇所を通り過ぎて来ていたが
ここでひとまず休憩した。 -
眼下に続く絶景。
-
洞門も。
-
碑の説明によれば、これまで走ってきた道は
天草西海岸サンセットラインというようだ。
夕陽が綺麗なポイントが次々と続くようだった。 -
あいにく当日は水平線近くなるほど雲が厚くかかり
夕陽を見ることは難しそうだった。 -
「瀬」も29箇所あるようだ。
-
すぐ近くに「五足の靴 遊歩道」との案内があったので
細い道を上っていった。 -
5人の写真
上 北原白秋
中左 与謝野寛 中右 木下杢太郎
下左 平野万里 下右 吉井勇 -
「五足の靴」について
(google レンズにて文字に起こしました。)
右下にお一人だけお顔が入っているのが与謝野寛。
この方だけが他の4人に比べて10歳ほど年長で、装いもスーツ姿。
他の4人は学生服なので、修学旅行の引率の先生のよう。
明治40年(1909)7月30日から8月17日まで、新詩社主宰の与謝野寛(35歳) 北原白秋 (早大文科1年23歳) 吉井勇(早大文科1年22歳) 木下杢太郎(東大医科1年23歳) 平野万里 (東大工科1年23歳)の5人が、 九州旅行をした時、交互に執筆し、東京の二六新聞に発表した 紀行文の題名が「五足の靴」である。
天草には8月8日長崎県茂木港から富岡に渡り一泊し、翌9日富岡から大江まで約32キロの 峻険な山径を歩いた。その夜は大江の宿 (現高砂屋)に一泊、翌10日大江教会司祭ガルニエ神父(フランス)を訪ね、異国の辺地で神の教えを説き、弱者を助けて質素な生活を送っている神父の生きかたに深い感銘を受けた。 午後汽船で牛深に着き、 今津屋に泊り、翌11日早朝4時発の三角港行きの汽船に乗り天草旅を終った。
(以下につづく) -
その後五人の文学活動は翌々月の明星十月号から噴出するように展開された。寛ー「みやびを」白秋 ー「天草雅歌」「邪宗門秘曲」。杢太郎ー「天草組」勇ー「悲しき海」。万里ー「領巾振山」など、その後の 作品群は、キリシタンの歴史、キリシタンの語彙など異国情調を漂わせ、いわゆる南蛮文学の発祥であり、 新しい時代の日本文学の展開となった。 こうした経緯を考察すれば「五足の靴」一行の九州旅行の中核となった のは天草であったということが言える。(濱名志松著)
平成十五年三月 天草町 地域振興課 -
遊歩道へとの案内板が、草深い道を指している。
遊歩道は年3(4?)回草刈をするそうだ。
どこかでそのことを読んだが、できたら草刈のあとで
遊歩道を歩いてほしい、との記載があった。
5人旅でも、道中ヘビに出会った折の体験など面白おかしく
書かれていた。 -
五人による約1カ月にわたる九州西部をめぐる旅は、近代文学を代表する詩人たちにとって若き日の冒険旅行だった。
一行は福岡から唐津、長崎とめぐり、8月八日に長崎県茂木港から暴風の荒海を船で渡り、富岡港(現在の天草郡苓北町)へ上陸、その後は天草西海岸沿いを徒歩で南下している。)島内の道路網は未開発。富岡から大江村までは、礫石の海岸あり、峻険な山坂ありで悪路が続いた。 -
5人の旅の目的は、地元の人がパアテルさんと親しみを込めて呼ぶ、フランス人宣教師、ルドヴィコ・フレデリック・ガルニエ神父に会うことだった。
「よか水をくんで来なしゃれ。上におあがりまっせ」と上手な天草言葉で従僕の茂助に冷たい水をくんで来るように命じ、若き詩人たちをもてなした。
この時に畑の中から出土した隠れキリシタンのクルスを見せてもらい、杢太郎はスケッチを描いている。このスケッチをもとにした挿絵が、白秋が2年後に出版した「邪宗門」で使用されている。
以上は シリーズ熊本偉人伝 Vol.10 (旅ムック76号掲載)
「五足の靴」の旅 より抜粋。 -
パアテルさんの胸像。
前の旅行記より。
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11832138/
パアテルさんとの出会いの原動力となっていたのは、木下杢太郎だったようだ。
最初は格別の目的もなく、ただ何となく詩や歌の材料を得るための旅、が目的だったようだ。「しかし出発する一カ月前ごろから木下杢太郎だけはせっせと毎日のように上野の図書館に通って、しきりに切支丹の文献を読みふけり、南蛮文学の資料を集めていたので、いざ九州に渡ってみると、みんな杢太郎の熱意にひかされて、自然に切支丹の遺跡探訪を主にしたような旅行になってしまった。」と吉井勇の回想があるようだ。
また柳川にある北原白秋の実家を2度にわたって訪問していることは、5人にとってこの旅のベースキャンプ?の役割を、白秋の生家が果たしていたのかもしれない。 -
しばらく走り、当日の宿に到着。
宿の名前は
「群芳閣 ガラシャ」
ガラシャとはラテン語で「恩寵」の意味だそう。
-
古民家を改修して宿にしたようだ。
後で宿のおかみさんからお話を伺ったところによると、
「五足の靴」の一行五人は、下田にたどり着き
ここで休めるかを尋ねたようだが、あいにく地元の集まり?
があって叶わなかったようだ。
当時の古い写真を見せてくださったが、この館の当時の写真が
そこには載っていた。 -
玄関ホールの様子。
-
-
吹き抜けになっていて、木組みの様子が良くわかる。
-
各部屋には五足の靴のメンバーの名前が付けられていた。
当日の部屋は「吉井 勇」 -
二面に窓があり
一方は渓谷沿いとなっていた。 -
「白秋とともに 泊りし天草の
大江の宿は伴天連の宿」
吉井 勇
と書かれた色紙が壁に掛けられていた。
後で、ご本人の自筆か?とおかみさんに伺ったところ
そうではないことが分かった。 -
窓を開けると
眼前に横たわる川と -
緑深い渓谷。
-
下田温泉と書かれているプレート。
-
玄関ホールの吹き抜けと、二階右側にはずらりと並ぶ
宿泊用の各部屋。 -
ステンドグラスの窓、ペンダントライトが
外光を受けて彩りを添えている。 -
吹き抜けの木組みをそのまま生かしている。
-
-
-
夕食
当日の宿泊は2組だったようだが
それぞれ個室でいただいた。 -
-
おかみさんのこころの籠ったもりだくさんの海の幸で
こころも身体も満たされた。
宿泊料は前日の約半額なので、夫がお支払いの折に驚いていた。 -
朝食
-
おかみさんにお話しして
夫は木下杢太郎を敬愛しているので
お部屋を見せていただいても良いかどうか伺ったところ
隣の部屋です、当日は空室なのでご自由にどうぞと
おっしゃってくださった。 -
そのお部屋にかかっていた杢太郎の色紙。
あまくさ
(天草旅行の間戯れに吉井勇に与ふ)
天草高来(たかく)の民こそは
耶蘇の外法を伝へぬれ
都に入れる、やあら、いよ
勇魚(いさな)追ひこしみやびとは
さみどりの胸いとかたき
無花果樹島(いちじゅくじま)の少女(をとめ)らに
あらら、切支丹伴天連の
恋の秘法ぞ伝へぬる -
同じような設えだった。
-
「五足の靴」抄
「五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た。
五個の人間は皆ふわふわとして
落ち着かぬ仲間だ。
彼等は面の皮も厚くない。
大胆でも無い。
而も彼等をして少しく重味あり
分量あるが如くに見せしめるものは、
その厚皮な、形の大きい
五足の靴の御陰だ」
との書き出しで始まる「五足の靴」
その部分がパネルになって(トイレの)壁に掛けられていた。
予想もしていなかった「五足の靴」との出会い。
旅ではこういったことが時々、起こる。 -
牛深の港までやってきた。
下田からは海岸線沿いではなく
中央部分を突っ切るかたちで南下していった。
(カーナビの案内なので、多分最短距離だったようだ。)
途中は林道のような渓谷沿いの道だったりで
対向車が来たらどのようにしてすれ違えば良いのかと
思うようなスリル満点の道を走った。 -
港をぐるっとうねるようにモダンな橋がかかっている。
ハイヤ大橋は、天草の最南端に位置する牛深市の牛深漁港をまたぎ
水産加工基地のある後浜地区と、従来の漁港施設のある台場地区を結ぶ連絡橋として計画された。
設計はイタリア人建築家 レンゾ・ピアノ氏
海上からの方が全貌を眺められる。 -
牛深から対岸の蔵之元港まで30分ほどの乗船だが、珍しくフェリーで渡る。
久しぶりの体験。
港では係の方がおられ、到着順に車を誘導されて
乗船順になるよう整列。
車のサイズによって料金は事務所でお支払いした。
(ドライバー一人分の料金は車の乗船料に含まれる。) -
トンビが輪を描くように上空を飛び回っていた。
-
ハイヤ節の踊りで有名らしい。
-
イチオシ
牛深ハイヤ節の石碑があった。
ハイヤ節誕生は江戸時代後期と言われているそう。
全国40ヶ所のハイヤ系民謡のルーツとされており、
「元祖ハイヤ節」として有名らしい。
春の季節、牛深には海上交通の要衝として、海産物などを運搬
する帆船が多く出入りしていて、
この船乗りたちと女性たちが歌い踊っていたものが、牛深ハイヤ節
の始まりと言われているようだ。 -
すぐ傍らにあったのは「牛深の船鐘」
「船鐘には中世より、悪魔を払い、雷や嵐を去らせる
霊力があると信じられ、海に生息する怪獣や怪魚に
取り囲まれて、立ち往生する帆船の船員が鐘を
鳴らしている画も多く描かれています。」
このことからここに鐘を設置されたとのことで
牛深の思い出と幸福を祈願し、2点鐘してみてください、
とあったのでもちろん点鐘させていただきました。
思ったより澄み切った鐘の音色が周囲に響きわたって
いったのでした。 -
フェリーが入港してきた。
-
牛深港出発は11時の予定。
-
どんどん遠ざかっていくハイヤ大橋。
-
倉之元港へと入っていく。
-
自然のままの入江を、そのまま港にしているようで
特別の設備もない港。
夫はデッキで周囲の景観に見とれていたようで
運ばれてきた車は次々に上陸していく中
我が車は一番最後になってしまった。
(かなり前の方に停まっていたのに!)
蔵之元港から出水駅までは40kmちょっとの距離。 -
黒之瀬戸大橋、通過中。
八代海と東シナ海を結ぶ最小幅330mの海峡にかかる橋。
うず潮が有名らしい。 -
レンタカーは出水駅近くでチェックインの予定。
ここまでレンタカーでやってきたのは
夫の実家跡地と一昨年に墓じまいをした跡地を見るため。
すでに分骨をしてあったため、その折の墓じまいでは
地元の僧侶の方にお経をあげていただき
石屋さんには更地にもどす作業をお願いしてあった。 -
まさに昔の田舎にある墓地で
お寺が管理しているわけではなくて、地域の共同墓地のような様相。
そこにブロック塀の囲いをして、中には沢山の古い墓石や
義父が建てた墓石などがあった。
気になっていたのは
昔、ご先祖が島原から逃げ延びてきたお武家一行を匿っており
その方々の墓石が、そぐそばに点々と並んでいたことから、
それらの墓石の行方だった。
恐らくは当時は村全体で匿っていたのかもしれない。 -
二つ上の写真は、そのお武家の主の方、次は奥さま、
そしてこの写真の後方にいくつか見えるのは従者の方々のもの
(と伝わっている。)
今では、長老の方々は皆さん旅立ってしまい、古くからの伝承の
話しを語る人もいなくなってしまった。。。
今回島原からここまでレンタカーだけれども、渡ってきて想ったこと。
キリスト教が禁止され、ここまで海を越えて落ち延びてきた
お武家のご一行にとっての当時の旅の大変さが一層良く分かった。 -
墓地の周囲には田畑が広がっている。
今まで何度もそこに通っていて、
今回初めて出会った(目に入った)石像。
唐辛子さん、
この石像は、「田の神さあ」でしょうかね? -
鹿児島県や宮崎県南部で、田んぼのあぜみちを歩いていると見かける石像。
「田の神さあ」(タノカンサア)と呼ばれる。
現在2000体の田の神様が確認されているそうだ。
最も多いのは農民型の田の神さまで、頭に甑(こしき)のシキ(わら製の編み物)を被り、右手にメシゲ(しゃもじ)を持って、ユーモラスに踊る姿の田舎の田の神さまだそう。 -
レンタカーを返却して出水駅までやってきたら
ジャカランダの花が咲いていた。 -
印象的な紫の花。
-
出水から鹿児島までは新幹線だとあっという間に到着。
城山ホテルが当日の宿泊。
以前来たときとはレセプションの位置が変わったのか?
桜島が正面に見えていた。 -
-
部屋の窓からも桜島。
-
-
今まで路面電車の線路に草が生えていて
あれ?雑草が?と何気なく思っていたけれど、
緑化政策によって路面電車の軌道に芝を植えたということを
今回初めて知った。 -
帰りのフライトは鹿児島から。
ANA2478便 (ソラシドエアーとの共同運航)
念願だった天草、良い旅だった。
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この旅行記へのコメント (12)
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- わんぱく大将さん 2023/10/10 02:10:52
- 知らないことだらけでした
- mistralさん
ご無沙汰しておりました。 9月からプータローやっております。久々にPCの前に。
旅行記やりだしたら腰は痛くなる、眼は見えない、夜更かし。 あきませんね。でも、こうやって他のトラベラーさんの旅行記を拝読させていただいて、へ~そうなのか、ふ~ん、と勉強になることが多いです。 今回も知らないことだらけでした。そしてここでもジャカランダを見せていただきました。(たぶん、私の旅行記に載せたのもジャカランダかと) 私のお気にいりの建築家さんの橋があんなところにあったなんて。7月に行った建築展の旅行記、できてるのですが、出そうかな、と迷って先にBCNのを出してしまいましたが、次回にでも。 大将
- mistralさん からの返信 2023/10/10 07:58:56
- RE: 知らないことだらけでした
- 大将さん
お久しぶりです。
昨日旅行記を拝見して、メッセージをお送りしようと思ってましたら
先にいただいてしまいました。
ありがとうございます。
> ご無沙汰しておりました。 9月からプータローやっております。久々にPCの前に。
帰国されてから、ずっとお忙しくお過ごしだったことでしょう。
> 旅行記やりだしたら腰は痛くなる、眼は見えない、夜更かし。 あきませんね。でも、こうやって他のトラベラーさんの旅行記を拝読させていただいて、へ?そうなのか、ふ?ん、と勉強になることが多いです。 今回も知らないことだらけでした。そしてここでもジャカランダを見せていただきました。(たぶん、私の旅行記に載せたのもジャカランダかと)
そうみたいですね。
昨日拝見した大将さんの旅行記でジャカランダ、見ましたよ。
綺麗な紫色、大好きです。
ずっと同じ姿勢でPCに向かっていると、腰あたりが固まってしまいます。
目は私こそ老眼がどんどん進んでいて、ちょっとこの先心配です。
私のお気にいりの建築家さんの橋があんなところにあったなんて。7月に行った建築展の旅行記、できてるのですが、出そうかな、と迷って先にBCNのを出してしまいましたが、次回にでも。
お気に入りの建築家さん?!
よく旅行記で書かれていた方ですね。
きっと撮りためたお写真がたくさんおありでしょう。
楽しみにしています。
mistral
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- 唐辛子婆さん 2023/07/05 21:42:29
- 田の神様
- mistralさん
そうです、これは田の神様ですね。稲わらのネックレスをしてるもの^^。
覚えていて下すってありがとうございます。
筋肉隆々の神様だこと。
今年度いっぱいで辞任しようと思っているボランティアの引継ぎ資料作成を始めたので旅行記も作れず、旅行にも出られず、みなさまの旅行記もなかなか読めず・・・。
またゆっくり読ませていただきますね。
唐辛子婆
- mistralさん からの返信 2023/07/06 08:27:57
- RE: 田の神様
- 唐辛子さん
おはようございます。
お忙しい中、お返事、ありがとうございます。
> そうです、これは田の神様ですね。稲わらのネックレスをしてるもの^^。
> 覚えていて下すってありがとうございます。
> 筋肉隆々の神様だこと。
唐辛子さんの旅行記から田の神様のことを知ってから、あちこちのサイトで
神様のこと見ていました。
今回お会いした神様はちょっと様子が違う(筋骨隆々だったりして)ので、
別の神様?かしらなども思っていました。
麦わらネックレスがおしるしとなるんですね。
> 今年度いっぱいで辞任しようと思っているボランティアの引継ぎ資料作成を始めたので旅行記も作れず、旅行にも出られず、みなさまの旅行記もなかなか読めず・・・。
> またゆっくり読ませていただきますね。
私もボランティア組織に関わっています。
忙しいと同時に、得ることも沢山あって、、、
なかなか辞めるまでの決心がつきません。
いつかそんな時が訪れる日が来るのかもしれませんが。
唐辛子さんは今年いっぱいでお辞めになるんですね。
辞められたらその分の時間を、ご自分のためにたっぷり使えますね。
mistral
-
- salsaladyさん 2023/07/05 09:05:13
- 五足の靴~キリシタン伴天連~
- ☆mistralさんの御先祖供養が島原まで広がるのですね。最初「下田」でいきなり伊豆に戻ったかと思いきや~素人の浅ましさかさ~
☆歴史をよくご存じ、五足の靴の身元を割り出してみると今で言うシニアの仲良し五人組!
☆北原白秋は有名ですが、吉勇?何を描いたのだったかしら?木下杢太郎~名前だけ判る。
☆しかし記念の筆が本人のものでは無いし、「伴天連」の文字は杢太郎のも似通って。。。
☆細かいことは気にしない―わかちこわかちこーお泊りの宿が『恩寵』とは素敵です。
- mistralさん からの返信 2023/07/05 18:47:08
- RE: 五足の靴~キリシタン伴天連?
- salsaladyさん
こんにちは。
メッセージ、ありがとうございます。
> ☆mistralさんの御先祖供養が島原まで広がるのですね。最初「下田」でいきなり伊豆に戻ったかと思いきや~素人の浅ましさかさ?
そうですね〜
ご先祖さまのご供養をしていましたら、そこにつながる島原からの落人の方たちは?
との想いが沸き起こってきていましたから、墓じまいのその後を見届けなくては、と思っていました。良い機会でした。
最初に下田温泉と聞いた時には私も静岡県?と思ってしまいました。
> ☆歴史をよくご存じ、五足の靴の身元を割り出してみると今で言うシニアの仲良し五人組!
> ☆北原白秋は有名ですが、吉勇?何を描いたのだったかしら?木下杢太郎?名前だけ判る。
仲良し5人組が旅に出たわけですから、修学旅行気分になりますよね。
> ☆しかし記念の筆が本人のものでは無いし、「伴天連」の文字は杢太郎のも似通って。。。
> ☆細かいことは気にしない―わかちこわかちこーお泊りの宿が『恩寵』とは素敵です。
最初はご本人の直筆?!と思い、聞いてみましたら、そうではなかった。
わかちこわかちこ、とは? わかっているけど、、、そんな意味合いでしょうか。
旅に出ると、思いがけない出会い(人でも、ものでも)があって、そのことにまたまた感激します。
mistral
-
- willyさん 2023/07/03 13:08:41
- 十字架
- mistralさん
心に染み入る素敵な旅行記を読ませていただきありがとうございます。
続きを楽しみにしていましたが、実に品格のある内容でさすがとうなりました。
白秋は郷土の輩出でもあり、思春期から心の糧でしたが、邪宗門の十字架はそんなわけがあったのですね。
ハイヤ節という単語も懐かしく久しぶりに目にしました。
良い旅をされて何よりでした。
willy
- mistralさん からの返信 2023/07/03 21:58:20
- RE: 十字架
- willy さん
こんばんは。
いつもメッセージをありがとうございます。
> 心に染み入る素敵な旅行記を読ませていただきありがとうございます。
こちらこそ。
お読みいただき嬉しいです。
willy さんのふるさとの思い出にもつながる部分もあり、懐かしく思っていただけたのかもしれませんね。
> 続きを楽しみにしていましたが、実に品格のある内容でさすがとうなりました。
> 白秋は郷土の輩出でもあり、思春期から心の糧でしたが、邪宗門の十字架はそんなわけがあったのですね。
私自身は「五足の靴」のメンバーの方々との触れ合いもないまま育ってしまいましたが、偉大な白秋さんの地元近くということですと、何かにつけて作品に触れられる機会も多かったことでしょう。
邪宗門の中の、「十字架の挿し絵」ってどんな絵かしら、など、エピソードから妙な興味?を抱いてしまいました。
> ハイヤ節という単語も懐かしく久しぶりに目にしました。
> 良い旅をされて何よりでした。
4トラの旅行記を書きながら、さまざまな事を思い出したり、調べたりしていると
良い旅だったなあ、と思えてきます。
それから、こうしてその地にまつわることを話題にして、メッセージのやりとりができることも、
旅の後の素敵なひと時ですね。
mistral
-
- しにあの旅人さん 2023/07/02 08:03:02
- いい題名です
- 「五足の靴の足跡」いい題名です。
明治40年/1907年だと、鉄幹34才以外みんな20才ちょっとですね。
確実に修学旅行。
木下杢太郎はこの数年前、東京で青木繁と会い、たしか海の幸に大感激していました。
明治40年8月だと青木は福田タネと別れて、倒れた父の看病に久留米に帰った頃。杢太郎が柳川の白秋宅を訪ねたそうで、二人はすぐ近くにいたことになります。青木は25才くらいです。
このころの交友の記録は青木の方にはないようです。そんな余裕はなかったはず。
このあと青木は破滅の一途を辿るのですが、杢太郎は医学者、詩人として大活躍です。
たぶんお互いに動静は知っていたでしょうね。明治の青春の浮き沈みです。
ガラシャとはラテン語で「恩寵」ですか。フランス語のgraceだ。フランス語はラテン語の俗語だそうで、なるほど。
お宿には杢太郎の部屋もあるのですね。
「五足の靴」抄を書いたのはだれですか。鉄幹かな。
明日の日本の文学を背負うのは俺だと、多分みんな思っていたはず。そのとおりになったわけで、態度は大きかったでしょうね。
- mistralさん からの返信 2023/07/02 21:30:28
- RE: いい題名です
- しにあの旅人さん
こんばんは。
メッセージをありがとうございます。
> 「五足の靴の足跡」いい題名です。
ありがとうございます。
「足跡」それもくっきりとした、まさにそんな印象を受けました。
どんな旅の様子だったのかを交代で執筆していったので、その様子ははっきりと残ったんですね。
> 明治40年/1907年だと、鉄幹34才以外みんな20才ちょっとですね。
> 確実に修学旅行。
そうですよね。
それも東京からやってきた若き5人連れ。
彼らにとって旅の途上で見聞きしたこと全てが、新鮮な感動とともに彼らのこころに
しみ込んで行ったことでしょう。
> 木下杢太郎はこの数年前、東京で青木繁と会い、たしか海の幸に大感激していました。
杢太郎は多彩な方らしく自ら絵も描くとのことで、青木繁の才能あふれる絵には
きっとたいそう感激したことでしょうね。
ちなみに我が家には杢太郎の画集がありますが、それは素晴らしい絵ばかりです。
> 明治40年8月だと青木は福田タネと別れて、倒れた父の看病に久留米に帰った頃。杢太郎が柳川の白秋宅を訪ねたそうで、二人はすぐ近くにいたことになります。青木は25才くらいです。
> このころの交友の記録は青木の方にはないようです。そんな余裕はなかったはず。
> このあと青木は破滅の一途を辿るのですが、杢太郎は医学者、詩人として大活躍です。
> たぶんお互いに動静は知っていたでしょうね。明治の青春の浮き沈みです。
明治の時代の交差するそれぞれの人生、、、
しにあさんのお好きな縦、横の時間軸をぬって想像をたくましく働かせて、、、
私も今、夏見廃寺跡に行く前でもあり、もう一度天智、天武天皇の関係性、壬申の乱でのこと、
大津、大来姉弟のことなど、妄想を働かせて楽しんでいます。
本当はそんな密かな楽しみを味わっている場合ではなくて、やらなくてはいけないことが待っているんですが。逃避できるものがあることの幸せ、ですね。
> ガラシャとはラテン語で「恩寵」ですか。フランス語のgraceだ。フランス語はラテン語の俗語だそうで、なるほど。
英語でもgrace ですね。
>
> お宿には杢太郎の部屋もあるのですね。
> 「五足の靴」抄を書いたのはだれですか。鉄幹かな。
どうでしょうね。冒頭の文章ですから、そこはやはりチームリーダーの鉄幹でしょうか。
> 明日の日本の文学を背負うのは俺だと、多分みんな思っていたはず。そのとおりになったわけで、態度は大きかったでしょうね。
態度が大きかったかどうかは別にして、好奇心はいっぱい、ドタバタ感満載、賑やかな旅
だったことは間違いなさそうですね。
mistral
-
- マーさん 2023/07/01 15:17:06
- こんにちは(^^♪
- お久しぶりです mistralさん 今回の「天草の旅」シリーズとても
楽しくそして懐かしく読ませて頂きました。
特に、今回のその3 タイトル画 拝見した時に、 あれ?? もしかして !?
と、思い 読ませていただくと やっばりね(笑) に変わりました
5年前 インド旅の間に行った 天草一泊ドライブで宿泊したお宿でした
変わってないのですね ! 相変わらず手入れの行き届いた館内
そして、これまた偶然にも 同じ部屋でした(笑)
イチバン興味深かったのが、「崎津集落」でした ワタシ達が訪ねた時は
世界文化遺産登録の半年前でしたので、まだ整備途中だったのですが
今回の旅行記 拝見して 随分 整備されたのだなぁと 驚きました !
そして、この地域を含めた 天草地方 圏域は熊本県なのに
文化的には完全に長崎と云う面白い場所だなと印象に残ってます。
とても、印象深い 旅行記を読ませて頂きありがとうございました(^^♪
- mistralさん からの返信 2023/07/01 18:56:06
- RE: こんにちは(^^♪
- マーさん
こちらこそご無沙汰しておりました。
マーさんもお元気でお過ごしのことと思います。
> お久しぶりです mistralさん 今回の「天草の旅」シリーズとても
> 楽しくそして懐かしく読ませて頂きました。
> 特に、今回のその3 タイトル画 拝見した時に、 あれ?? もしかして !?
> と、思い 読ませていただくと やっばりね(笑) に変わりました
> 5年前 インド旅の間に行った 天草一泊ドライブで宿泊したお宿でした
> 変わってないのですね ! 相変わらず手入れの行き届いた館内
> そして、これまた偶然にも 同じ部屋でした(笑)
ガラシャさんの吹き抜け部分は印象的ですよね。
私も、そこに決めたのは、滞在された方による吹き抜けの写真からでした。
マーさんはその折は一泊で天草を駆け抜けられたんですね。
当方よりはお近くとはいえ、かなりの走行距離だったことでしょう。
お部屋も同じところだったとは。
> イチバン興味深かったのが、「崎津集落」でした ワタシ達が訪ねた時は
> 世界文化遺産登録の半年前でしたので、まだ整備途中だったのですが
> 今回の旅行記 拝見して 随分 整備されたのだなぁと 驚きました !
そうだったんですね。
文化遺産登録前ということで、そのための準備真っ最中の折の旅とのこと。
どこがどう整備されたのかはわからないのですが、わからないようにそのままの佇まいを
保存する、ということにきっと意味があるんでしょうね。
> そして、この地域を含めた 天草地方 圏域は熊本県なのに
> 文化的には完全に長崎と云う面白い場所だなと印象に残ってます。
おっしゃる通りですね。
今まで天草地方というのは長崎県と思っていました。
それが熊本県だったということがわかり、驚きました。
キリシタンとしての信仰を守り続けてきたことで、佇まいが似通ってきたのでしょうね。
> とても、印象深い 旅行記を読ませて頂きありがとうございました(^^♪
コメントをお寄せいただきありがとうございました。
mistral
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