2023/05/26 - 2023/05/26
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mistralさん
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この旅行記は主に崎津集落を歩いての旅行記となります。 (以下本文中では実際に使われているサキの漢字が使えないようですので、便宜上「崎」という文字を使用しています。)
過去に長崎県、更に五島列島にわたり、潜伏キリシタンにまつわる地を巡った折を旅行記に残しています。
「2019.5潜伏キリシタンの里を訪ねて その1.:「沈黙」の舞台の地、長崎・そとめを巡ってきた。
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11490097/
2019.5 潜伏キリシタンの里を訪ねて その3.:久我島・奈留島を巡るツアーに参加して
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11499605/」
その後、なかなか関連した地を訪問する機会は訪れてきませんでしたが、今回思いがけずオレンジ鉄道に乗り損ねたことから、天草までやってくることが出来たのはラッキーなことでした。
(表紙写真は崎津諏訪神社から見下ろした崎津集落。崎津教会の白い塔が見えている。)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前の旅行記に続いています。
5月26日、島の中央あたり、宮地岳カカシの里訪問の後、
更に南下しています。 -
途中に通り過ぎた神社。
このあたりの集落を歩いていると
お正月ではないのに、一年を通して軒先にはしめ縄が
かけられている。これは天草下島の地域で見られる光景とのこと。
キリシタンだと疑われないための禁教下の工夫とされているそう
だが、見慣れない光景のため、驚かされる。 -
2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録されているが、そのうちの12の構成資産のうちの一つがここ崎津集落にあたる。
長崎市 外海の出津集落、大野集落
五島市 久賀島集落、奈留島集落
の4箇所へはすでに訪問していた。(関連旅行記URLは表紙コメント中に記載)
その関連もあって、天草への思いがけない訪問は嬉しかった。 -
崎津集落へ到着。
(かかしの里からの距離は20kmほど。時間にして30分ぐらい。)
道幅は狭いため、どこにでも駐車することは難しい。
駐車場は崎津教会の案内標識をみてから更に進んだ所
「きんつ市場」の駐車場を利用した。 -
道路の反対側にあった小ぶりな神社「西宮宮」
上記写真の説明板によれば
村中安全、大漁満願、商売繁盛を祈願して祀られているようだ。
18世紀には造営が確認されている。 -
祭神は蛭子神(ひるこのかみ)だそう。
-
崎津教会拝観の申し込みを16時にしてあったが、まだ余裕が
あった。
案内所の女性の方から、まず「みなと屋」で説明を聞いてから
教会などの見学をすると良いですよ、と勧められて
天草市崎津資料館みなと屋へやってきた。
入口のパネルを撮影。 -
崎津資料館みなと屋 外観写真
(くまもと再発見の旅 もっともーっと!くまもっと
ホームページより引用)
唱和11年に建てられた旅館「みなと屋」を資料館として改修。
崎津の歴史や独自に発達したキリスト教信仰についての紹介がある。
(入館料100円) -
世界文化遺産として登録された登録証
天草と長崎には、江戸幕府によってキリシタン弾圧のあった場所や、
その地域独自の祈りのかたちを育みながら、密かに信仰を継承して
いった集落が多く残っている。
特に信心具は日本独自の進化をとげ、特に禁教時代には密かな
信仰対象として地元でも入手しやすいアワビやタイラギなどから
信心具を作り出し、また日本の鏡や土人形も信仰の対象として
いたようだ。 -
「信心具」となったアワビについての説明
水方(信仰の指導的役割を担った人)が継承した信心具。
崎津の潜伏キリシタンは、アワビやタイラギの貝殻内側
の模様を、聖母マリアに見立てて崇敬していました。
旧暦の霜月祭(現在のクリスマス)に貝殻に水を注ぎ、
模様を浮き出してお祈りする風習が残っています。
右側隅にマリアさまがイエスを抱いている姿が見られる、
との説明を受けたが、その折はうっすらと姿が見えたようだったのに
後になったら、分からなくなってしまった。 -
「白蝶貝のメダイ」
白蝶貝という、真珠養殖などに使用する貝殻の螺鈿を
使用して作成されたメダイです。西洋で作られた
聖イグナティウス・デ・ロヨラのメダイをモティーフ
にして1600年前後に作られました。
天草では真珠の養殖が盛んだとのことは帰宅後知ったことですが、
メダイの作製に特産品の白蝶貝を利用することを
思いついたのかもしれない。 -
「柱に隠したメダイ」
潜伏時代には、罪を犯しても告解(懺悔)することが
出来ないため罪を許されることはありませんでした。
崎津の潜伏キリシタンは、自らの信仰が発覚しないように、
自らの信心具を隠して生活していました。家の柱を切り取り
その中にメダイやロザリオなどを納め、朝夕「おらしょ」を
唱えてお祈りしていました。
(現地にて撮影した画像を載せていましたが、撮影禁止だったことに後で気付きましたので、慌てて「みなと屋」さんのパンフから展示室IIのページを撮影して載せました。画像左が柱をくり抜いて隠されていたメダイの様子です。) -
「石造物 ウマンテラさま」
江戸時代 砂岩製
もとは、旧今富村の志茂地区にあった石造物で、潜伏
キリシタンの信仰対象であったものと考えられています。
本来存在した場所(墓地)の名をとり、ウマンテラさまと
呼ばれています。 -
背から左右に生えた大きな羽が最大の特徴ですが、
他に長い錫杖(剣?)を持ち、生物の上に立っているなど
の点で、通常の近世石造物とは異なる容姿を備えています。
キリシタン時代の聖画「大天使ミカエル」に影響を受けて
制作された可能性が指摘されています。 -
一目ウマンテラさまを見たときから、大天使ミカエルでは?
と思っていたが、その解説も見つけた。
西洋絵画、彫刻でもヨーロッパの美術館では良く見かける
大天使、ミカエル。悪魔と戦う戦士としての姿は15~16世紀
のルネサンスでは非常に流行っていた題材だそう。
解説によれば
第一に特徴的な部分は翼を有していること。第二に鞘から
抜いた剣のようなものを持っていること。最後に悪魔を足元
に配している箇所が共通しています。
またウマンテラさまの顔立ちは目鼻立ちが非常にはっきりして
いることも特徴的です。 -
撮ってきた写真が鮮明ではなかった為ネットで探してみたら、
西日本新聞、2023.6.10.の記事を見つけました。
40年前崎津集落に隣り合う今富集落西側の尾根で
金毘羅大明神などと一緒に祀られていたそうです。
みなと屋で展示されるようになったのは昨年から。 -
隠れキリシタンの風習 正月飾り「幸木」(さわぎ)
大きな臼、3本の杵、しめ縄と大根や人参で作る飾り。
この「幸木」という正月飾りは昔は各家庭で作られ、土間に
飾られていたようだ。
キリストにお供えするご飯とお煮しめを臼の中に隠し、
その上に3本の杵で十字架を作る。縄がある上部は神道、
下部は隠れキリシタンの飾りとなっている。
飾りつけが終わると、二礼二拍手一礼するのが習わし。
隠れキリシタンを先祖に持つ家にだけ伝承しているそうだ。 -
崎津教会へ
後述する老朽化した旧教会から移転し、1934年に完成。
1927年からこの地に赴任していたフランス人宣教師、ハルブ神父の
依頼により、五島出身の鉄川与助が設計施工したもの。
この方は五島の教会堂も多く設計されていた。
堂内部には当初から日本の生活様式を取り入れられ
畳が敷きこまれ、信徒たちは床に座ってミサに参加したそう。 -
この教会の拝観には予約が必要とのことでネットから当日の
16時に予約してあった。
案内所で聞いたところでは、現在の時期は予約なしでも入場が
可能とのことだったが丁度予約の時間となっていた。
内部は撮影禁止。 -
観光客の姿は見かけたが
内部に入る方はほとんどおられなかったようだ。 -
ハルブ神父の碑が一角に。
(お墓は別のところ、旧教会堂下に。) -
吉田庄屋役跡地との説明板。
ここは禁教期には聖画像を踏ませてキリシタンかどうかを
調べる「踏絵」が行われていた場所。
ハルブ神父の希望により、教会堂を新たに建築される際
この地が選ばれた。
かつての踏絵の場所に祭壇を置いたそうだ。 -
教会堂に曲がる角にあった看板など。
-
-
マンホールの蓋は
魚が二匹、躍りはねる様子が描かれている。 -
崎津諏訪神社へ向かった。
キリシタン信者が、(自らの信仰をカモフラージュするために)
信仰の枠を超えて参詣していた「共生」を示す場所である
と説明板に書かれていた。 -
崎津諏訪神社
禁教期の1647年に集落の守り神として創建。
潜伏キリシタンは表向きは仏教徒として寺に所属しつつ、
神社の氏子でもあった。
1805年の「天草崩れ」では、隠し持っていた信心具が
ここで役人に没収されたそうだ。 -
崎津集落の住民の70%が潜伏キリシタンと発覚した「天草崩れ」
代官所の役人は、遺物(異仏)取り調べのため信仰遺物を境内に設置した箱に捨てるように指示。
彼らは十字架やメダイ、仏像などを所持しており、また洗礼名を授かっていたことも発覚したそう。
弾圧下にあっても、信者は「あんめんりゆす=アーメンデウス」と唱えたという。
検挙された人たちの処分は、絵踏をしていたことなどを理由に、キリシタンではなく「心得違い」と認定、重罪にはならなかったそうだ。 -
神社へ向かう左手にあるのは
崎津教会として最初に建築された旧教会。
1,888年、潜伏キリシタンとして信仰を続けていた信者
から諏訪神社隣にあるこの土地の寄付を受け、木造の
教会が建てられたもの。
教会堂の建設により、この集落における「潜伏」は終わり
を告げた。現存する建物は1957年に建てられた修道院だが
現在は使用されていないそうだ。 -
神社への登りの石段の途中、振り返ると
集落が眺められる。 -
-
異国情緒ある?狛犬さん
-
-
おそらく神社拝殿上に載っていた
古い瓦などが置かれていた。 -
ハルブ神父のお墓
神父は1927年司祭として着任。
以来、宣教活動、教会堂の建築に動かれ
1945年1月、81歳でこの地で永眠された。 -
海に張り出して設置されているこの構造物は
「カケ」と呼ばれるそう。
竹やシュロを使った猟師さんの作業場。
船の係留や干物づくりなど、生活の為に利用されている。 -
入江に接してカケが作られている。
対岸から眺めるとカケの様子が良くわかるようだ。 -
「トウヤ」の説明板
-
家と家との間にある、海へ通じる小路のことを言うようだ。
こんな細い路地が幾つも通っていた。 -
崖地を利用した墓地には
クリスチャンの方も多く埋葬されているようだった。 -
当日の宿泊予約は下田温泉に。
そのため海岸線を上って走っています。
途中にある大江天主堂にちょっと立ち寄り。 -
説明板によれば
フランス人ガルニエ神父は、明治25年32歳でこの地を訪れ、
昭和16年、82歳で亡くなるまでの49年間布教に務めた。
天草言葉を巧みに使いこなし、村びとからは「パアテルさん」
と呼ばれ、慕われていた、とある。 -
現在の天主堂は、神父が信徒と協力して、信者たちからの
寄附金や労働奉仕をもとにして、1933年(昭和8年)に完成
させたもの。
やはり五島出身の鉄川与助の設計・施工による。
当日は内部への入場はできなかったが
堂内には、外海の出津教会のド・ロ神父(過去の外海の旅行記)による5枚の「ド・ロ版画」もあるそう。 -
パアテルさんの胸像のようだ。
-
生涯をこの地で布教に努められたパアテルさん、
今も崎津の海に向かって座しておられる。 -
碑文には
ルドビィコ・ガルニエ神父様は1892年天草に赴任以来50年、大江・崎津教会を兼任、後大江教会主任神父として生涯を大江の地に埋められた。その間、私財を投じ大江天主堂を建堂し住民に対しては、信者未信者の別なく慈悲をたれ、自らは弊衣を纏い己を犠牲にしてキリストの愛を実践し信仰の燈を捧げて下された。(以下略) -
穏やかなそのお顔。
-
パアテルさんの墓所。
-
階段を降りていくと祠があり、マリア像が。
-
ルルドの泉のようだ。
20代の頃、ピレネーの麓にあるルルドという村を訪問
したことがあったっけ。。。 -
-
高台に教会堂は建っているため
静かな集落が見わたせる。
パアテルさんの頃とおそらくは変わらない景観。 -
-
-
下田の宿まではまだ時間がかかりそうなので
後にします。 -
海岸線が綺麗なのでちょっと休憩。
-
この辺りの海岸線は夕日の素晴らしい絶景ポイントが多数
あるようだ。 -
でも当日は水平線近くには厚い雲がかかっていて
沈む夕日にはお目にかかれそうもなかった。 -
続きの旅行記は
思いがけず出会った「五足の靴」の足跡を。
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旅行記グループ 天草への旅
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