宗像・古賀旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「福岡・長崎はしご旅」は、あの河内藤園に行きたいというのがそもそもの始まり。ただ、それだけでは寂しいので、次に目を付けたのが福岡市の北東部。筥崎宮を過ぎて香椎宮や宗像大社、宮地嶽神社に代表されるちょっと神がかったエリアです。福岡県では太宰府天満宮がメジャーですし、博多では山笠の櫛田神社が有名ですが、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として世界遺産に登録された宗像大社は当然として、福岡では知らない人はいない神社ばかりですからね。これまで散発的に行ったというだけだし、この際まとめて回ってみるのも悪くない。そして、そうなると久しぶりの志賀島や海の中道も回ってみたくなるで、結局、合わせて二日間。一日はレンタカーも借りることにして、なんか一気に内容が膨らんでしまいました。また、その勢いで福岡市の北東部二日間、河内藤園ほか北九州エリアからはもうひと踏ん張りの後半の長崎三日間を加えて、都合六日間の旅となりました。長旅なので初めから飛ばし過ぎないようにと思いましたが、雨が降ったりして天気が悪い分、体力的にはちょっとセーブできたかもしれません。 <br /><br />さて、改めて、宗像大社や香椎宮、宮地嶽神社のこと。<br />宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の総称で、宗像三女神が祭神。厳島神社や江ノ島神社なんかもここからの流れです。<br />このうち沖津宮は、辺津宮の沖合49キロにあって、古代から大陸との海上路にあったとされるだけでなく、周辺からは古代祭祀の奉献品が多く出土して海の正倉院とも呼ばれる特別な場所。発掘された約8万点の遺物は一括して国宝となっていて、数量的には日本一です。渡ることはできないので、筑前大島に遥拝所がありまして。前回来た時は中津宮やその遥拝所も回りましたが、一方で辺津宮はちらりと拝見しただけ。しかし、今回、沖ノ島の遺物の一端を神宝館で拝見して、その豊富さと見事さにはちょっと度肝を抜かれました。宗像大社は、これを見ないとやっぱり話にならないですね。<br />ところで、宗像大社は神功皇后が三韓征伐の際は航海の安全を祈願したとも伝わりますが、福岡には神功皇后に関連する神社がとても多くて、香椎宮、宮地嶽神社もその代表。熊襲征伐のための西征で仲哀天皇が亡くなった地に神功皇后が仲哀天皇廟を建てたのが香椎宮だし、神功皇后が三韓征伐の際に祭壇を設け祈願し船出をしたという地に神功皇后を主祭神として祀ったのが宮地嶽神社。それから、今回初めて知りましたが、宇美八幡宮は神功皇后が三韓征伐からの帰りに応神天皇を産んだ地とされる神社。筥崎宮は応神天皇を祀ります。<br />ゆかりの神社が多い神功皇后は、三韓征伐という象徴的な活躍の中で様々に具体的でリアルな伝承があるのですが、そもそも仲哀天皇、神功皇后の実在ははっきりとはしておらず、残念ながら三韓征伐が史実とする説もないのが現状かと思います。ただ、中国南朝の「宋書」にある倭の五王の一人が応神天皇ではないかとする説はあって4~5世紀の頃。ヤマト政権が誕生した直後くらいの時期なのですね。で、ここからは私の想像の世界も含めるのですが、古墳時代の幕開けは大陸から渡ってきた古墳人の存在から。この説は弥生時代の幕開けが弥生人の渡来からとするのと似ていますね。さらに、縄文人と弥生人が混血して日本人のルーツとなったことは今や常識ですが、これに古墳人が混血して日本人のルーツとなる。天皇のルーツもその古墳人の一部だったのかもしれません。そうであるとすれば朝鮮半島は普通に為政者の意識の範囲にあったでしょうし、もう一つは鉄器の生産は古墳時代の中期くらいまで日本では行われておらず、朝鮮半島で入手するしかなかったということ。鉄器は弥生時代から農具や家屋を建てる大工道具など稲作文化を支える必需品であり、古墳時代は武器・武具としてのニーズも高まっていましたから、そういう意味では朝鮮半島の重要性はとても大きかった。つまり、三韓征伐はその動機や背景がはっきりしていて、史実であったとしてもまったく違和感はない。むしろ必然性すらあるように思うんですけどね。ちなみに、白村江の戦いで朝鮮半島の足掛かりを失ったものの、その頃は鉄の国内生産は出来ていて、かつてほどの損失はなかったのではないか。時代背景が刻々と変化しているのも面白いと思います。<br /><br />宗像大社や香椎宮、宮地嶽神社。神功皇后の伝説も含めて、日本と朝鮮半島の関りや日本人のルーツまで思いが馳せれるエリアだということをとりあえず指摘しておきたいと思います。

福岡・長崎はしご旅(一・二日目)~宗像大社辺津宮は高宮祭場と圧巻の神宝館、宮地嶽神社は光の道を確認して。翌日は志賀島に海の中道、香椎宮です~

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2023/04/24 - 2023/04/25

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たびたび

たびたびさん

「福岡・長崎はしご旅」は、あの河内藤園に行きたいというのがそもそもの始まり。ただ、それだけでは寂しいので、次に目を付けたのが福岡市の北東部。筥崎宮を過ぎて香椎宮や宗像大社、宮地嶽神社に代表されるちょっと神がかったエリアです。福岡県では太宰府天満宮がメジャーですし、博多では山笠の櫛田神社が有名ですが、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として世界遺産に登録された宗像大社は当然として、福岡では知らない人はいない神社ばかりですからね。これまで散発的に行ったというだけだし、この際まとめて回ってみるのも悪くない。そして、そうなると久しぶりの志賀島や海の中道も回ってみたくなるで、結局、合わせて二日間。一日はレンタカーも借りることにして、なんか一気に内容が膨らんでしまいました。また、その勢いで福岡市の北東部二日間、河内藤園ほか北九州エリアからはもうひと踏ん張りの後半の長崎三日間を加えて、都合六日間の旅となりました。長旅なので初めから飛ばし過ぎないようにと思いましたが、雨が降ったりして天気が悪い分、体力的にはちょっとセーブできたかもしれません。 

さて、改めて、宗像大社や香椎宮、宮地嶽神社のこと。
宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の総称で、宗像三女神が祭神。厳島神社や江ノ島神社なんかもここからの流れです。
このうち沖津宮は、辺津宮の沖合49キロにあって、古代から大陸との海上路にあったとされるだけでなく、周辺からは古代祭祀の奉献品が多く出土して海の正倉院とも呼ばれる特別な場所。発掘された約8万点の遺物は一括して国宝となっていて、数量的には日本一です。渡ることはできないので、筑前大島に遥拝所がありまして。前回来た時は中津宮やその遥拝所も回りましたが、一方で辺津宮はちらりと拝見しただけ。しかし、今回、沖ノ島の遺物の一端を神宝館で拝見して、その豊富さと見事さにはちょっと度肝を抜かれました。宗像大社は、これを見ないとやっぱり話にならないですね。
ところで、宗像大社は神功皇后が三韓征伐の際は航海の安全を祈願したとも伝わりますが、福岡には神功皇后に関連する神社がとても多くて、香椎宮、宮地嶽神社もその代表。熊襲征伐のための西征で仲哀天皇が亡くなった地に神功皇后が仲哀天皇廟を建てたのが香椎宮だし、神功皇后が三韓征伐の際に祭壇を設け祈願し船出をしたという地に神功皇后を主祭神として祀ったのが宮地嶽神社。それから、今回初めて知りましたが、宇美八幡宮は神功皇后が三韓征伐からの帰りに応神天皇を産んだ地とされる神社。筥崎宮は応神天皇を祀ります。
ゆかりの神社が多い神功皇后は、三韓征伐という象徴的な活躍の中で様々に具体的でリアルな伝承があるのですが、そもそも仲哀天皇、神功皇后の実在ははっきりとはしておらず、残念ながら三韓征伐が史実とする説もないのが現状かと思います。ただ、中国南朝の「宋書」にある倭の五王の一人が応神天皇ではないかとする説はあって4~5世紀の頃。ヤマト政権が誕生した直後くらいの時期なのですね。で、ここからは私の想像の世界も含めるのですが、古墳時代の幕開けは大陸から渡ってきた古墳人の存在から。この説は弥生時代の幕開けが弥生人の渡来からとするのと似ていますね。さらに、縄文人と弥生人が混血して日本人のルーツとなったことは今や常識ですが、これに古墳人が混血して日本人のルーツとなる。天皇のルーツもその古墳人の一部だったのかもしれません。そうであるとすれば朝鮮半島は普通に為政者の意識の範囲にあったでしょうし、もう一つは鉄器の生産は古墳時代の中期くらいまで日本では行われておらず、朝鮮半島で入手するしかなかったということ。鉄器は弥生時代から農具や家屋を建てる大工道具など稲作文化を支える必需品であり、古墳時代は武器・武具としてのニーズも高まっていましたから、そういう意味では朝鮮半島の重要性はとても大きかった。つまり、三韓征伐はその動機や背景がはっきりしていて、史実であったとしてもまったく違和感はない。むしろ必然性すらあるように思うんですけどね。ちなみに、白村江の戦いで朝鮮半島の足掛かりを失ったものの、その頃は鉄の国内生産は出来ていて、かつてほどの損失はなかったのではないか。時代背景が刻々と変化しているのも面白いと思います。

宗像大社や香椎宮、宮地嶽神社。神功皇后の伝説も含めて、日本と朝鮮半島の関りや日本人のルーツまで思いが馳せれるエリアだということをとりあえず指摘しておきたいと思います。

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  • 一日目は駅レンタカー 博多駅を利用します。受付は駅の通路にあって、そこで手続きをしたら隣のビルの4階の方に行って車を受け取ります。ちょっと面倒くさいようですが、たくさんの客を捌くにはこの方がいいのかな。利用者が意外に多いし、ビジネスで使う人も多いような気がしました。<br /><br />午前中のメインは宗像大社ですが、そこに至るまでの古賀市、福津市、宗像市のこまごまスポットも訪ねます。レンタカーなので、普通だと訪ねられないようなスポットなんですが、どんな隠れた見どころがあるか楽しみですね~<br />まずは、船原古墳。古賀市では初の国の史跡。古墳時代の後期、6~7世紀に造営された前方後円墳で、全長は45m以上とも。

    一日目は駅レンタカー 博多駅を利用します。受付は駅の通路にあって、そこで手続きをしたら隣のビルの4階の方に行って車を受け取ります。ちょっと面倒くさいようですが、たくさんの客を捌くにはこの方がいいのかな。利用者が意外に多いし、ビジネスで使う人も多いような気がしました。

    午前中のメインは宗像大社ですが、そこに至るまでの古賀市、福津市、宗像市のこまごまスポットも訪ねます。レンタカーなので、普通だと訪ねられないようなスポットなんですが、どんな隠れた見どころがあるか楽しみですね~
    まずは、船原古墳。古賀市では初の国の史跡。古墳時代の後期、6~7世紀に造営された前方後円墳で、全長は45m以上とも。

    船原古墳 名所・史跡

    古賀市では初の国の史跡 by たびたびさん
  • 国内では初のシャンデリア状の金銅製馬具装飾や金属製武器などが出土し、豪華さでは国宝藤ノ木古墳の出土品クラスに匹敵するというのはかなり驚きです。ヤマト政権に近い有力者のものと見るのが穏当かもしれませんね。<br />ただ、現地は単なる草ぼうぼうの古墳。「史跡 船原古墳」の標柱だけがやけに立派でした。

    国内では初のシャンデリア状の金銅製馬具装飾や金属製武器などが出土し、豪華さでは国宝藤ノ木古墳の出土品クラスに匹敵するというのはかなり驚きです。ヤマト政権に近い有力者のものと見るのが穏当かもしれませんね。
    ただ、現地は単なる草ぼうぼうの古墳。「史跡 船原古墳」の標柱だけがやけに立派でした。

  • 北上を続けて<br />畦町宿というのは、唐津藩、福岡藩の藩主が参勤交代で通っていた唐津街道の宿場町。ちなみに、唐津街道は、小倉、若松、芦屋、糠塚、赤間、原町、畦町、青柳、箱崎、博多、福岡、姪浜、今宿、前原、深江、浜崎、唐津。長崎街道の脇街道であり、福岡藩や唐津藩の参勤交代の道ですね。<br />赤間宿と青柳宿の間に比較的新しく設置された宿のようです。

    北上を続けて
    畦町宿というのは、唐津藩、福岡藩の藩主が参勤交代で通っていた唐津街道の宿場町。ちなみに、唐津街道は、小倉、若松、芦屋、糠塚、赤間、原町、畦町、青柳、箱崎、博多、福岡、姪浜、今宿、前原、深江、浜崎、唐津。長崎街道の脇街道であり、福岡藩や唐津藩の参勤交代の道ですね。
    赤間宿と青柳宿の間に比較的新しく設置された宿のようです。

    畦町宿場跡 名所・史跡

    手作りの散策マップも by たびたびさん
  • 中心部に護念寺という黒田藩の家臣ゆかりの古刹があったり。ゆるくカーブした通りの感じや手作りの散策マップもありました。

    中心部に護念寺という黒田藩の家臣ゆかりの古刹があったり。ゆるくカーブした通りの感じや手作りの散策マップもありました。

  • 宗生寺は旧唐津街道からはやや山側に入ったところにありますが、

    宗生寺は旧唐津街道からはやや山側に入ったところにありますが、

    宗生寺 寺・神社・教会

    小早川隆景の墓所、行基の作と伝わる秘仏の馬頭観音など by たびたびさん
  • 参勤交代の際はここで道中の安全を祈ったとか。

    参勤交代の際はここで道中の安全を祈ったとか。

  • 境内には、筑前の領主であった小早川隆景の墓所、行基の作と伝わる秘仏の馬頭観音など、それなりのものがあります。<br />ただ、小早川隆景の墓所は、広島県三原市の米山寺の方が有名。三原は小早川隆景の地元ですからね。ちなみに、小早川隆景が筑前・筑後37万石を拝領したのは秀吉の九州平定の後。しかし、毛利家の一族であった小早川隆景は、補佐していた毛利輝元の元を離れるのを嫌がって辞退していたという話もあるくらい。その後、子がなかったため秀吉の養子だった秀秋をもらい受けて、秀吉亡き後は五大老の一人まで。豊臣家にうまく抱き込まれていく姿も想像されますが、最後は秀秋に家督を譲り三原に戻って隠居。筑前にいたのは6年くらいだし、譜代の家臣も隠居する小早川隆景に従っていますから、小早川隆景以下筑前への思い入れはけっこう薄いし、小早川秀秋と毛利家の関係もドライなものだったように感じます。

    境内には、筑前の領主であった小早川隆景の墓所、行基の作と伝わる秘仏の馬頭観音など、それなりのものがあります。
    ただ、小早川隆景の墓所は、広島県三原市の米山寺の方が有名。三原は小早川隆景の地元ですからね。ちなみに、小早川隆景が筑前・筑後37万石を拝領したのは秀吉の九州平定の後。しかし、毛利家の一族であった小早川隆景は、補佐していた毛利輝元の元を離れるのを嫌がって辞退していたという話もあるくらい。その後、子がなかったため秀吉の養子だった秀秋をもらい受けて、秀吉亡き後は五大老の一人まで。豊臣家にうまく抱き込まれていく姿も想像されますが、最後は秀秋に家督を譲り三原に戻って隠居。筑前にいたのは6年くらいだし、譜代の家臣も隠居する小早川隆景に従っていますから、小早川隆景以下筑前への思い入れはけっこう薄いし、小早川秀秋と毛利家の関係もドライなものだったように感じます。

  • ほか、つつじの群生もなかなか見事です。

    ほか、つつじの群生もなかなか見事です。

  • 宗像市に入って<br />光岡八幡宮は地元の小さな神社ですが、境内に県の天然記念物となっている大きなクスノキがあって、これがパワースポットとして人気なのだとか。

    宗像市に入って
    光岡八幡宮は地元の小さな神社ですが、境内に県の天然記念物となっている大きなクスノキがあって、これがパワースポットとして人気なのだとか。

    光岡八幡宮 寺・神社・教会

    県の天然記念物となっている大きなクスノキ by たびたびさん
  • あ、あれですね。

    あ、あれですね。

  • 根元の部分が表に出ていて、巨大な蛸の足のようにも見えます。<br />これは期待以上。確かに生命力のすごさを感じます。

    イチオシ

    根元の部分が表に出ていて、巨大な蛸の足のようにも見えます。
    これは期待以上。確かに生命力のすごさを感じます。

  • 法然寺は、旧赤間宿の中ほどに構える立派な寺。塀や本堂が明るい黄土色で統一されていて、かなり目立っています。石油元売会社出光興産の創業者である出光佐三の菩提寺であり、山門は佐三兄弟で寄進したもの。それを示した石碑が門前に建っています。<br />ちなみに、出光佐三は百田尚樹の小説「海賊とよばれた男」のモデル。宗像大社を厚く信仰し、その再建に貢献したことも知られています。

    法然寺は、旧赤間宿の中ほどに構える立派な寺。塀や本堂が明るい黄土色で統一されていて、かなり目立っています。石油元売会社出光興産の創業者である出光佐三の菩提寺であり、山門は佐三兄弟で寄進したもの。それを示した石碑が門前に建っています。
    ちなみに、出光佐三は百田尚樹の小説「海賊とよばれた男」のモデル。宗像大社を厚く信仰し、その再建に貢献したことも知られています。

    法然寺 寺・神社・教会

    出光興産の創業者である出光佐三の菩提寺 by たびたびさん
  • 目の前は、唐津街道、筑前21宿のひとつとして栄えた赤間宿。最寄りの駅は、教育大前駅です。<br />赤間上町の交差点から、街並みはけっこうな長さ続いていて古い建物も交えつつ、今でもそれなりに活気があるように感じました。

    目の前は、唐津街道、筑前21宿のひとつとして栄えた赤間宿。最寄りの駅は、教育大前駅です。
    赤間上町の交差点から、街並みはけっこうな長さ続いていて古い建物も交えつつ、今でもそれなりに活気があるように感じました。

    唐津街道 赤間宿 名所・史跡

    筑前21宿のひとつ by たびたびさん
  • 熊越池公園は、旧赤間宿から歩いてもすぐの池を中心とする公園です。通りから入るとけっこうちゃんとした駐車場なんかも整備されているので安心。そのまま池の周辺を歩いてみました。池を巡る遊歩道にはつつじの植え込みがあって、それがほぼ見ごろ。とても潤いのある公園です。

    熊越池公園は、旧赤間宿から歩いてもすぐの池を中心とする公園です。通りから入るとけっこうちゃんとした駐車場なんかも整備されているので安心。そのまま池の周辺を歩いてみました。池を巡る遊歩道にはつつじの植え込みがあって、それがほぼ見ごろ。とても潤いのある公園です。

    熊越池公園 公園・植物園

    潤いのある公園 by たびたびさん
  • もう少し移動して<br />これは正助ふるさと村。農園や花壇を使って子どもたちが体験学習をするというコンセプトの施設ではないかと思います。

    もう少し移動して
    これは正助ふるさと村。農園や花壇を使って子どもたちが体験学習をするというコンセプトの施設ではないかと思います。

  • ただ、そういう意味だとあんまり個人で楽しんだりどうこうするような感じではないですね。奥に子供の自立支援サポートセンターというのがありましたが、これも社会福祉の施設のような感じでした。

    ただ、そういう意味だとあんまり個人で楽しんだりどうこうするような感じではないですね。奥に子供の自立支援サポートセンターというのがありましたが、これも社会福祉の施設のような感じでした。

  • 近くにあるもう一つ気になったスポット、八所宮。<br />

    近くにあるもう一つ気になったスポット、八所宮。

  • いざなぎのみことほか夫婦神四代八柱をお祀りしているので八所宮。創建は674年。

    いざなぎのみことほか夫婦神四代八柱をお祀りしているので八所宮。創建は674年。

  • 神武天皇の東征する際、祭神が赤馬に乗って現れたという逸話が「赤馬」→「赤間」へ。歴史のある由緒正しい神社ですね。

    神武天皇の東征する際、祭神が赤馬に乗って現れたという逸話が「赤馬」→「赤間」へ。歴史のある由緒正しい神社ですね。

  • 最初の鳥居のところから雰囲気のある石段が長く続いていて、一見したより規模はけっこう大きいです。

    最初の鳥居のところから雰囲気のある石段が長く続いていて、一見したより規模はけっこう大きいです。

  • これも近場の山田地蔵尊増福院へ。ちょうど春季大祭というお祭りの日だったよう。<br />

    これも近場の山田地蔵尊増福院へ。ちょうど春季大祭というお祭りの日だったよう。

  • 境内では氏子さんたちが参拝者にお茶をふるまっていました。<br />

    境内では氏子さんたちが参拝者にお茶をふるまっていました。

  • なお、戦国時代、宗像大宮司氏雄の正室菊姫と母、侍女四人が家督争いに巻き込まれ亡くなった事件から、その霊を慰めるために六地蔵を造ったというのが山田地蔵尊の謂れです。

    なお、戦国時代、宗像大宮司氏雄の正室菊姫と母、侍女四人が家督争いに巻き込まれ亡くなった事件から、その霊を慰めるために六地蔵を造ったというのが山田地蔵尊の謂れです。

  • ふれあいの森は、宗像市街から少し離れた丘陵地帯を開発した広大な総合公園。有料のようですが、めちゃめちゃ広くて立派なグラウンドもあるし、丘陵の斜面を利用して遊具を配した児童公園もなかなか本格的です。平日だったので人影はありませんでしたが、これなら休日はけっこう賑わうのではないかと想像しました。

    ふれあいの森は、宗像市街から少し離れた丘陵地帯を開発した広大な総合公園。有料のようですが、めちゃめちゃ広くて立派なグラウンドもあるし、丘陵の斜面を利用して遊具を配した児童公園もなかなか本格的です。平日だったので人影はありませんでしたが、これなら休日はけっこう賑わうのではないかと想像しました。

  • さてさて、宗像大社の方に近づいてきました。<br />鎮国寺は、真言宗御室派で別格本山とのことですが、

    さてさて、宗像大社の方に近づいてきました。
    鎮国寺は、真言宗御室派で別格本山とのことですが、

  • 確かに大寺の雰囲気がムンムン。一つの山をまるまる開発したような広々とした境内に、本堂その他の建物が悠々と建ち並んでいました。唐から帰国した空海が”この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地”とのお告げを受けて開いたと伝えられることから鎮国寺。

    確かに大寺の雰囲気がムンムン。一つの山をまるまる開発したような広々とした境内に、本堂その他の建物が悠々と建ち並んでいました。唐から帰国した空海が”この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地”とのお告げを受けて開いたと伝えられることから鎮国寺。

  • ただ、その歴史の古さに対して、まだ新しい寺の感じがして、ちょっとギャップはあるかなと思います。

    ただ、その歴史の古さに対して、まだ新しい寺の感じがして、ちょっとギャップはあるかなと思います。

  • いよいよ宗像大社に到着です。<br />まずは、神宝館ですね。大きな建物ですよ~<br />

    いよいよ宗像大社に到着です。
    まずは、神宝館ですね。大きな建物ですよ~

  • 改めてですが、こちらは、海の正倉院と言われる沖ノ島で発見された銅鏡、勾玉・管玉、ガラス製小玉・丸玉、金銅製の装飾類等を展示している施設。

    改めてですが、こちらは、海の正倉院と言われる沖ノ島で発見された銅鏡、勾玉・管玉、ガラス製小玉・丸玉、金銅製の装飾類等を展示している施設。

  • まずは、銅鏡。

    まずは、銅鏡。

  • 銅鏡は、漢鏡だと思いますが

    銅鏡は、漢鏡だと思いますが

  • 中国では王が持つことを許されたのが銅鏡。

    中国では王が持つことを許されたのが銅鏡。

  • 周辺国にそれを下賜することで

    周辺国にそれを下賜することで

  • 宗主国としての立場を示してきたものです。<br />倭の五王に関連するものであれば、倭国の5代の王、讃・珍・済・興・武が百済や新羅、高句麗に対抗して、南朝に使者を送り、自らの立場を認めさせるという外交が活発に行われていた時代。新羅、高句麗とは交戦もして、朝鮮半島との関係は今の時代から想像する以上に重要でしたからね。

    宗主国としての立場を示してきたものです。
    倭の五王に関連するものであれば、倭国の5代の王、讃・珍・済・興・武が百済や新羅、高句麗に対抗して、南朝に使者を送り、自らの立場を認めさせるという外交が活発に行われていた時代。新羅、高句麗とは交戦もして、朝鮮半島との関係は今の時代から想像する以上に重要でしたからね。

  • 金銅製香炉状品

    金銅製香炉状品

  • 硬玉 水晶 瑪瑙 碧玉製勾玉

    硬玉 水晶 瑪瑙 碧玉製勾玉

  • ガラス製小玉

    ガラス製小玉

  • 鉄剣・鉄槍

    鉄剣・鉄槍

  • 鉄鏃(やじり)<br />

    鉄鏃(やじり)

  • 鉄剣残欠、鉄刀子残欠、鉄鋌

    鉄剣残欠、鉄刀子残欠、鉄鋌

  • 金銅製歩揺付雲珠

    金銅製歩揺付雲珠

  • 金銅製龍頭一対

    イチオシ

    金銅製龍頭一対

  • 金銅製高機

    金銅製高機

  • 奈良三彩小壺

    奈良三彩小壺

  • 奈良三彩小壺

    奈良三彩小壺

  • 滑石製子持勾玉

    イチオシ

    滑石製子持勾玉

  • 先史時代から飛鳥、奈良、平安の初めまでの4世紀後半から9世紀に、大和朝廷による国家祭祀が行われ、数多くの宝物が沖ノ島に奉納されたその遺物。年代を追ってかなりの程度整理されていて、その壮大な時代背景を思うと頭がくらくらしそうですけどね。言ってみれば、古墳の出土品と比べるとこれは貝塚みたいなものかな。一つ一つの遺物の貴重さもありますけど、特定の年代ではなく長い時代の変化を捉えることができるという大きな強みもあるような気がします。<br />いずれにしても、これほどおびただしい数の国宝は他で類を見ないもの。宗像大社はこの神宝館を見ないとその凄さは分かりませんね。前回は大島にも渡りましたが、優先順位はそれよりもこちら。とにかくここを見ないと話にはならないと思います。

    先史時代から飛鳥、奈良、平安の初めまでの4世紀後半から9世紀に、大和朝廷による国家祭祀が行われ、数多くの宝物が沖ノ島に奉納されたその遺物。年代を追ってかなりの程度整理されていて、その壮大な時代背景を思うと頭がくらくらしそうですけどね。言ってみれば、古墳の出土品と比べるとこれは貝塚みたいなものかな。一つ一つの遺物の貴重さもありますけど、特定の年代ではなく長い時代の変化を捉えることができるという大きな強みもあるような気がします。
    いずれにしても、これほどおびただしい数の国宝は他で類を見ないもの。宗像大社はこの神宝館を見ないとその凄さは分かりませんね。前回は大島にも渡りましたが、優先順位はそれよりもこちら。とにかくここを見ないと話にはならないと思います。

  • そして、宗像一族の娘が天武天皇の妃となり、高市の皇子を産んで持統天皇の即位後は太政大臣となったとか。ヤマト政権との親密度も破格です。

    そして、宗像一族の娘が天武天皇の妃となり、高市の皇子を産んで持統天皇の即位後は太政大臣となったとか。ヤマト政権との親密度も破格です。

  • そこから本殿に向かうはずだったんですが、何か迷ってしまいました。

    そこから本殿に向かうはずだったんですが、何か迷ってしまいました。

  • 辿りついたのは、高宮祭場。

    辿りついたのは、高宮祭場。

  • 社殿が建立される以前の祭祀が行われていた場所で、三女神が降臨した場所であるといわれているところですから、神社のルーツというべき場所かな。宗像大社では沖ノ島と並んで最も神聖な場所なのだそうです。

    イチオシ

    社殿が建立される以前の祭祀が行われていた場所で、三女神が降臨した場所であるといわれているところですから、神社のルーツというべき場所かな。宗像大社では沖ノ島と並んで最も神聖な場所なのだそうです。

  • 改めて、本殿の方に出てきました。本殿は、戦国時代の。宗像大社第79代大宮司、宗像氏貞の建立。

    改めて、本殿の方に出てきました。本殿は、戦国時代の。宗像大社第79代大宮司、宗像氏貞の建立。

  • 手前の宗像宮の額がかかる拝殿は、小早川隆景の建立です。<br />側面にも額がずらりと並びますが、これは奉納された三十六歌仙。

    イチオシ

    手前の宗像宮の額がかかる拝殿は、小早川隆景の建立です。
    側面にも額がずらりと並びますが、これは奉納された三十六歌仙。

  • 手前にもさらに長い屋根が続いて印象的ですね。

    手前にもさらに長い屋根が続いて印象的ですね。

  • 順番が逆になりましたが、これが入口の神門です。

    順番が逆になりましたが、これが入口の神門です。

  • これはその門前のエリアに建つ海の道むなかた館。<br />世界遺産ガイダンス施設とあって、宗像三社や沖ノ島の関連遺産群を紹介する施設。ただ、沖ノ島そのものが信仰の対象であったことは理解できるにしても、なぜそこにこれだけの貴重な遺物が眠っていたのかはやはりなぞはなぞのままのような気がします。

    これはその門前のエリアに建つ海の道むなかた館。
    世界遺産ガイダンス施設とあって、宗像三社や沖ノ島の関連遺産群を紹介する施設。ただ、沖ノ島そのものが信仰の対象であったことは理解できるにしても、なぜそこにこれだけの貴重な遺物が眠っていたのかはやはりなぞはなぞのままのような気がします。

  • 桜京古墳は、道の駅 むなかたに向かう見通しの良い道路から少し脇に入ったところ。小さな看板が出ているのですが、かなり注意していないと見過ごします。古墳は畑の向こう側の高台。小山のような姿をよく見ると古墳らしき形をしているなくらいですね。限られたスペースですが車を停めるところもありました。<br />なお、形状は前方後円墳。宗像地域では唯一の装飾古墳で、国の史跡でもあるのですが、ひっそりとしています。

    桜京古墳は、道の駅 むなかたに向かう見通しの良い道路から少し脇に入ったところ。小さな看板が出ているのですが、かなり注意していないと見過ごします。古墳は畑の向こう側の高台。小山のような姿をよく見ると古墳らしき形をしているなくらいですね。限られたスペースですが車を停めるところもありました。
    なお、形状は前方後円墳。宗像地域では唯一の装飾古墳で、国の史跡でもあるのですが、ひっそりとしています。

  • 昼飯は、活魚村 海彦。道の駅 むなかたと同じ並びの国道沿いです。道の駅 むなかたが休みだったので、こちらでランチ。

    昼飯は、活魚村 海彦。道の駅 むなかたと同じ並びの国道沿いです。道の駅 むなかたが休みだったので、こちらでランチ。

  • 海鮮どんぶりをいただきました。建物は、番屋みたいなバカでかさ。店内も飾らない市場にある食堂といった雰囲気ですね。<br />純粋の海鮮どんぶりではなくて、つくだ煮みたいなものが入っていたりしてちょっと変化もあって、いいアクセントになっています。割とお勧めです。

    海鮮どんぶりをいただきました。建物は、番屋みたいなバカでかさ。店内も飾らない市場にある食堂といった雰囲気ですね。
    純粋の海鮮どんぶりではなくて、つくだ煮みたいなものが入っていたりしてちょっと変化もあって、いいアクセントになっています。割とお勧めです。

  • 神湊港渡船ターミナルにもちらりと寄ってみました。前回は、ここから宗像大島に渡りました。<br />フェリーおおしまが25分、旅客船しおかぜが15分。料金は大人560円。沖ノ島は行けませんが、宗像大島で宗像大社中津宮を拝見したり、遥拝所もあるので、まあ十分かな。けっこう観光客は多いので、このターミナルもしっかりしています。

    神湊港渡船ターミナルにもちらりと寄ってみました。前回は、ここから宗像大島に渡りました。
    フェリーおおしまが25分、旅客船しおかぜが15分。料金は大人560円。沖ノ島は行けませんが、宗像大島で宗像大社中津宮を拝見したり、遥拝所もあるので、まあ十分かな。けっこう観光客は多いので、このターミナルもしっかりしています。

  • そこから少し離れますが、今度は織幡神社まで足を延ばしました。<br />こちらは、鐘崎にある宗像大社の境外摂社で、宗像五社の1つでもある神社。<br />

    そこから少し離れますが、今度は織幡神社まで足を延ばしました。
    こちらは、鐘崎にある宗像大社の境外摂社で、宗像五社の1つでもある神社。

  • 神功皇后の三韓征伐の際、宗大臣という宗像大社の神が旗竿に武内宿禰の織った紅白2本の旗をつけて戦ったという謂れとかが伝わります。<br />

    神功皇后の三韓征伐の際、宗大臣という宗像大社の神が旗竿に武内宿禰の織った紅白2本の旗をつけて戦ったという謂れとかが伝わります。

  • ただ、神社へは岬に向かって長い石段を上る必要があって、それを見た時はちょっと頭がくらくらっとしそうでした。ご覚悟を!

    ただ、神社へは岬に向かって長い石段を上る必要があって、それを見た時はちょっと頭がくらくらっとしそうでした。ご覚悟を!

  • 振り返ると下の方に市街が見えています。

    振り返ると下の方に市街が見えています。

  • ここからは南進。宮地嶽神社に向かいつつ、途中のスポットに立ち寄ります。<br />鐘崎貝塚は、自動車道の少し先にあって、白い説明板も見えています。<br />九州で初めて磨消縄文土器が発見されて、鐘ガ崎式土器と名前が付けられ北部九州における標式土器となったという遺跡。九州では、稲作以降の遺跡が有名ですが、当然こうして縄文時代の遺跡もあっておかしくない。しかし、メジャー感はないかもしれません。

    ここからは南進。宮地嶽神社に向かいつつ、途中のスポットに立ち寄ります。
    鐘崎貝塚は、自動車道の少し先にあって、白い説明板も見えています。
    九州で初めて磨消縄文土器が発見されて、鐘ガ崎式土器と名前が付けられ北部九州における標式土器となったという遺跡。九州では、稲作以降の遺跡が有名ですが、当然こうして縄文時代の遺跡もあっておかしくない。しかし、メジャー感はないかもしれません。

  • 承福寺は、駐車場からひょいと上がったところが境内。周囲には塀もないので、なんかのんびりした雰囲気もありますね。<br />室町後期、応安6年(1373年)の創建。江戸時代に入って、黒田家が如水以降5代にわたり寺領の安堵したりして寺を擁護。その古文書が承福寺文書として残っているようですが、マイナーであることは否めませんね。

    承福寺は、駐車場からひょいと上がったところが境内。周囲には塀もないので、なんかのんびりした雰囲気もありますね。
    室町後期、応安6年(1373年)の創建。江戸時代に入って、黒田家が如水以降5代にわたり寺領の安堵したりして寺を擁護。その古文書が承福寺文書として残っているようですが、マイナーであることは否めませんね。

  • 承福寺からの帰りに、宗像氏貞公墓所の看板を見つけて寄ってみました。<br />緩い坂を山の方に少し上った先。瓦屋根の建物に守られて墓がありました。<br />宗像氏貞は、先ほど触れましたが、現在の宗像神社の本殿を建立した人物。

    承福寺からの帰りに、宗像氏貞公墓所の看板を見つけて寄ってみました。
    緩い坂を山の方に少し上った先。瓦屋根の建物に守られて墓がありました。
    宗像氏貞は、先ほど触れましたが、現在の宗像神社の本殿を建立した人物。

  • 宗像大社第79代大宮司であり、戦国大名でもあった人物ですが、秀吉の九州平定で宗像氏は実質的に滅亡。宗像氏本流の最後の当主となってしました。

    宗像大社第79代大宮司であり、戦国大名でもあった人物ですが、秀吉の九州平定で宗像氏は実質的に滅亡。宗像氏本流の最後の当主となってしました。

  • さらに戻って<br />あんずの里運動公園は、福津市のかなりメジャーな施設。国道から入る進入路も立派だし、そこから上の方に上がっていくと広大なグラウンドも見えてきます。あんずの方は、その山側一帯。斜面いっぱいにあんずが植えられていて、緑豊かな丘になっています。

    さらに戻って
    あんずの里運動公園は、福津市のかなりメジャーな施設。国道から入る進入路も立派だし、そこから上の方に上がっていくと広大なグラウンドも見えてきます。あんずの方は、その山側一帯。斜面いっぱいにあんずが植えられていて、緑豊かな丘になっています。

  • そのまま半島越えの道に入って<br />東郷神社は、日露戦争でバルチック艦隊に勝利した日本海海戦の総指揮官、東郷平八郎元帥を祀る神社。峠道の道の脇にあって、こんなところにという場所なんですが、ここは海戦が行われた玄界灘を見下ろす位置なんですね。

    そのまま半島越えの道に入って
    東郷神社は、日露戦争でバルチック艦隊に勝利した日本海海戦の総指揮官、東郷平八郎元帥を祀る神社。峠道の道の脇にあって、こんなところにという場所なんですが、ここは海戦が行われた玄界灘を見下ろす位置なんですね。

  • 本殿とかは赤い屋根の一風変わった感じです。

    本殿とかは赤い屋根の一風変わった感じです。

  • 半島を越えて、福津市街に降りてきました。<br />福津市魚センターは、津屋崎漁港の一角にある水産物の販売所。さほど大きな規模ではありませんが、

    半島を越えて、福津市街に降りてきました。
    福津市魚センターは、津屋崎漁港の一角にある水産物の販売所。さほど大きな規模ではありませんが、

  • いけすの中には港で水揚げしたばかりのような魚介類があれこれ入っていました。玄界灘の魚は荒波に揉まれているのでおいしいというのが昔からの評価。そういう意味では価値ありの施設かなと思います。

    いけすの中には港で水揚げしたばかりのような魚介類があれこれ入っていました。玄界灘の魚は荒波に揉まれているのでおいしいというのが昔からの評価。そういう意味では価値ありの施設かなと思います。

  • 福津市街は西側に砂浜が長く続いています。<br />北から津屋崎海水浴場、宮地浜海水浴場、福間海水浴場とありますが、実態としては連続してつながっているので、地形的なことを言えば、それらは全部一体と考えていいのではないかと思います。<br />ここは宮地浜海水浴場ですが、

    福津市街は西側に砂浜が長く続いています。
    北から津屋崎海水浴場、宮地浜海水浴場、福間海水浴場とありますが、実態としては連続してつながっているので、地形的なことを言えば、それらは全部一体と考えていいのではないかと思います。
    ここは宮地浜海水浴場ですが、

  • 正面に

    正面に

  • 右手は津屋崎海水浴場

    右手は津屋崎海水浴場

  • 左手は福間海水浴場です。<br />これから向かう宮地嶽神社の光の道はこの宮地嶽海水浴場に向かう一本の道となります。

    左手は福間海水浴場です。
    これから向かう宮地嶽神社の光の道はこの宮地嶽海水浴場に向かう一本の道となります。

  • 海岸から宮地嶽神社の方に向かいましたが、また道がよく分からず、裏手の方に入ってしまいました。まあ、それならそれで、裏の方から回りましょう。<br />これは宮地嶽神社民家村。境内の続きといった感じの場所です。<br />芝生の広場を過ぎると見えてきて、アヤメかショウブの池に木の遊歩道がつけてあったり、その先には藁ぶきの古民家。神社には神苑があったりしますが、それの代わりということかもしれません。

    海岸から宮地嶽神社の方に向かいましたが、また道がよく分からず、裏手の方に入ってしまいました。まあ、それならそれで、裏の方から回りましょう。
    これは宮地嶽神社民家村。境内の続きといった感じの場所です。
    芝生の広場を過ぎると見えてきて、アヤメかショウブの池に木の遊歩道がつけてあったり、その先には藁ぶきの古民家。神社には神苑があったりしますが、それの代わりということかもしれません。

  • 宮地嶽神社奥之院の方に進みますと

    宮地嶽神社奥之院の方に進みますと

  • それが宮地嶽古墳。一見するとなんでこれが古墳なのかなあと思ってしまいますが、裏の方に回ってみると確かに小山のような形状の古墳。古墳をバックに建物が建っているんですね。金銅製の馬具類とか一連の出土品は国宝となっているよう。近くに詳しい説明板が立っています。<br />なお、宮地嶽古墳は国の史跡、津屋崎古墳群の一つでもあります

    それが宮地嶽古墳。一見するとなんでこれが古墳なのかなあと思ってしまいますが、裏の方に回ってみると確かに小山のような形状の古墳。古墳をバックに建物が建っているんですね。金銅製の馬具類とか一連の出土品は国宝となっているよう。近くに詳しい説明板が立っています。
    なお、宮地嶽古墳は国の史跡、津屋崎古墳群の一つでもあります

  • では、改めて、宮地嶽神社の本殿の方へ。

    イチオシ

    では、改めて、宮地嶽神社の本殿の方へ。

  • 冒頭に述べましたが、こちらは神功皇后が三韓征伐の際に開運祈願したとされる宮地岳の山腹に建つ神社。主祭神はその功績をたたえ神功皇后です。<br />日本一大きいと称される大注連縄が有名ですが、出雲大社と比べるとどうでしょうねえ。出雲大社の方が大きいような気もするし、こちらが大きいような気もするし、ちょっと微妙なところです。<br /><br />

    冒頭に述べましたが、こちらは神功皇后が三韓征伐の際に開運祈願したとされる宮地岳の山腹に建つ神社。主祭神はその功績をたたえ神功皇后です。
    日本一大きいと称される大注連縄が有名ですが、出雲大社と比べるとどうでしょうねえ。出雲大社の方が大きいような気もするし、こちらが大きいような気もするし、ちょっと微妙なところです。

  • 正面の楼門を出て

    正面の楼門を出て

  • 石の鳥居も過ぎて

    石の鳥居も過ぎて

  • 参道が少し続きます。<br />この参道から見えるこんもりした山が宮地嶽でしょうか。

    参道が少し続きます。
    この参道から見えるこんもりした山が宮地嶽でしょうか。

  • 最後にこの角を回ると

    最後にこの角を回ると

  • 最近、嵐の日本航空CMで使われてブレイクした光の道です。

    イチオシ

    最近、嵐の日本航空CMで使われてブレイクした光の道です。

  • 条件が合うとこのようになるんですね。傍らにパネルがあって、親切です。<br />市街からまっすぐな長い石段を上がってからでも、参道が遊歩道のように続いていたり、本殿の裏は奥の宮八社まで奥が深い。ちょっとしたドラマチックな展開があって、なかなか楽しる神社だと思います。

    条件が合うとこのようになるんですね。傍らにパネルがあって、親切です。
    市街からまっすぐな長い石段を上がってからでも、参道が遊歩道のように続いていたり、本殿の裏は奥の宮八社まで奥が深い。ちょっとしたドラマチックな展開があって、なかなか楽しる神社だと思います。

  • 博多駅でレンタカーを返して、今日の晩飯は<br />博多駅から近くて、もつ鍋の評判のいい店ということで前田屋にしてみました。さすが人気店だけあって、それなりの行列は仕方ないですね。<br />

    博多駅でレンタカーを返して、今日の晩飯は
    博多駅から近くて、もつ鍋の評判のいい店ということで前田屋にしてみました。さすが人気店だけあって、それなりの行列は仕方ないですね。

  • いただいたのは、みそのもつ鍋。もつ鍋屋さんにはたいてい醤油と味噌の二種類があって、醤油がウリというのがほとんどなんですが、ここは味噌ということでしたからね。ちょっと珍しいかもしれません。<br />最初のひと口は抜群のインパクト。もつも大きめだし、もつのうまみとスープの相性がばっちりですね。ただ、食べ進めると最後は普通かな。もつ鍋の人気店はサイドメニューでそれをカバーしている例が多いのですが、ここはそれはないので別にマイナスではないかな。まあ、もつ鍋は改めてそういうことなんだと思います。

    いただいたのは、みそのもつ鍋。もつ鍋屋さんにはたいてい醤油と味噌の二種類があって、醤油がウリというのがほとんどなんですが、ここは味噌ということでしたからね。ちょっと珍しいかもしれません。
    最初のひと口は抜群のインパクト。もつも大きめだし、もつのうまみとスープの相性がばっちりですね。ただ、食べ進めると最後は普通かな。もつ鍋の人気店はサイドメニューでそれをカバーしている例が多いのですが、ここはそれはないので別にマイナスではないかな。まあ、もつ鍋は改めてそういうことなんだと思います。

  • 今日のホテルは、アコードホテル。博多駅から少し歩きますけど、まあ、この値段なら仕方ないでしょう。いわゆるリーズナブルなビジネスホテル。外観とかフロント周りとかはまあまあですが、部屋はやっぱり基本最低限といった感じかな。ただ、余計なものが置いてないので、そのすっきり感はいいと思います。

    今日のホテルは、アコードホテル。博多駅から少し歩きますけど、まあ、この値段なら仕方ないでしょう。いわゆるリーズナブルなビジネスホテル。外観とかフロント周りとかはまあまあですが、部屋はやっぱり基本最低限といった感じかな。ただ、余計なものが置いてないので、そのすっきり感はいいと思います。

  • 二日目は、まず志賀島を目指します。<br />博多ベイサイトから福岡市営渡船を利用。所要時間は30分、料金は680円です。

    二日目は、まず志賀島を目指します。
    博多ベイサイトから福岡市営渡船を利用。所要時間は30分、料金は680円です。

  • 博多湾を突っ切るように進む航路からは、振り返ると博多の市街、右手には海の中道を望んでいて、内海を走っているような感じ。

    博多湾を突っ切るように進む航路からは、振り返ると博多の市街、右手には海の中道を望んでいて、内海を走っているような感じ。

  • 船もそれなりの大きさだし安心です。

    船もそれなりの大きさだし安心です。

  • 志賀島の到着地点にある志賀島旅客待合所。人けもあまりなくて、寂しい感じもなくはないですが、市街にはすぐだし、志賀島のさらに奥に向かうバスのバス停もここにあるので、志賀島の散策のスタートはやっぱりここですね。

    志賀島の到着地点にある志賀島旅客待合所。人けもあまりなくて、寂しい感じもなくはないですが、市街にはすぐだし、志賀島のさらに奥に向かうバスのバス停もここにあるので、志賀島の散策のスタートはやっぱりここですね。

  • 市街を抜けて

    市街を抜けて

  • これは、志賀海神社。高台の方にあって、

    これは、志賀海神社。高台の方にあって、

  • 参道の石段がしっかりと続いています。

    参道の石段がしっかりと続いています。

  • 祭神のワタツミ三神は、海の神様。<br />全国の綿津見神社、海神社の総本社を称しているということもあって、

    祭神のワタツミ三神は、海の神様。
    全国の綿津見神社、海神社の総本社を称しているということもあって、

  • 境内の雰囲気や楼門から本殿の辺りの雰囲気もそれなり。

    イチオシ

    境内の雰囲気や楼門から本殿の辺りの雰囲気もそれなり。

  • 厳かな感じが漂います。

    厳かな感じが漂います。

  • 宝物展示室というもありましたが、

    宝物展示室というもありましたが、

  • まあ、なんというか<br />それなりかな。

    まあ、なんというか
    それなりかな。

  • 志賀海神社からは、火焔塚を目指します。けっこうな上り道ですけどね。<br />こちらは、弘安4年(1281年)、元寇の際に高野山の僧侶が博多湾に侵攻した蒙古軍の降伏を祈願したといわれる場所。志賀海神社から潮見公園に向かう途中ですが、少し脇道に入って寂し気なところ。安全の保証はしないみたいなことも書かれていて、あんまり気軽に行くようなところではないと思います。

    志賀海神社からは、火焔塚を目指します。けっこうな上り道ですけどね。
    こちらは、弘安4年(1281年)、元寇の際に高野山の僧侶が博多湾に侵攻した蒙古軍の降伏を祈願したといわれる場所。志賀海神社から潮見公園に向かう途中ですが、少し脇道に入って寂し気なところ。安全の保証はしないみたいなことも書かれていて、あんまり気軽に行くようなところではないと思います。

  • 火焔塚から金印公園に回りました。

    火焔塚から金印公園に回りました。

  • 2009年に来たことがあったのですが、当時の印象と全然違いますね。山の斜面を上の方まで切り開いてこんな立派でしたっけ?

    2009年に来たことがあったのですが、当時の印象と全然違いますね。山の斜面を上の方まで切り開いてこんな立派でしたっけ?

  • 志賀島は金印が発見された島として有名ですからそれに相応しいものだとこうなるのかなあ。<br />一番上の展望所には小さな金印のレプリカもありました。

    志賀島は金印が発見された島として有名ですからそれに相応しいものだとこうなるのかなあ。
    一番上の展望所には小さな金印のレプリカもありました。

  • 志賀島から海の中道海浜公園へはバスで。<br />

    志賀島から海の中道海浜公園へはバスで。

  • この公園は、全国で5番目に設置された国営公園。国営公園はどこもそうですが、260haの広大な広さ。海ノ中道駅からだと正門ですが、西戸崎駅や渡船の西戸崎旅客待合所からだと西口が最寄です。<br />

    この公園は、全国で5番目に設置された国営公園。国営公園はどこもそうですが、260haの広大な広さ。海ノ中道駅からだと正門ですが、西戸崎駅や渡船の西戸崎旅客待合所からだと西口が最寄です。

  • 正門から西に向かって歩き始めるとちょっとした中心部みたいなところ。

    正門から西に向かって歩き始めるとちょっとした中心部みたいなところ。

  • 海の中道公園の芝生のエリアの端っこに建つ巨大なガレージのような建物がフードコートになっていて、ワンダーシャトル。

    海の中道公園の芝生のエリアの端っこに建つ巨大なガレージのような建物がフードコートになっていて、ワンダーシャトル。

  • 自動販売機で食券を買って、天ぷらうどんをいただきました。公園のフードコートなのであんまり期待はしていませんできたが、けっこうちゃんとおいしいですね。水をペットボトルに詰めたりもできるし、自由度があって重宝しました。

    自動販売機で食券を買って、天ぷらうどんをいただきました。公園のフードコートなのであんまり期待はしていませんできたが、けっこうちゃんとおいしいですね。水をペットボトルに詰めたりもできるし、自由度があって重宝しました。

  • 少し元気が出たところで<br />さらに進んで

    少し元気が出たところで
    さらに進んで

  • 噴水から

    噴水から

  • 池のエリア、

    池のエリア、

  • フラワーミュージアムへ。

    フラワーミュージアムへ。

  • ただっ広い公園の中でここはちょっと繊細な感じ。

    ただっ広い公園の中でここはちょっと繊細な感じ。

  • レンガの廃墟のような構造物と

    レンガの廃墟のような構造物と

  • 段々になった花壇。

    段々になった花壇。

  • 隠れ家風の一角もあったりして、意外に楽しめました。

    隠れ家風の一角もあったりして、意外に楽しめました。

  • それを抜けるとバラ園。

    それを抜けるとバラ園。

  • 雨の中に

    雨の中に

  • 可憐な花をいくつか見つけました。

    可憐な花をいくつか見つけました。

  • 花のエリアから芝生のエリアに出るとこの時期のウリ、ネモフィラ畑です。<br />だいぶ歩いたような気もしますが、これでも公園の半分もいってないかも。雨の日だったので、スカッとした気分とはいきませんでしたが、やっぱり晴れの日だと素晴らしいんでしょうね。起伏が少なくて視界は広いし、確かにここならではの雰囲気はあると思います。

    花のエリアから芝生のエリアに出るとこの時期のウリ、ネモフィラ畑です。
    だいぶ歩いたような気もしますが、これでも公園の半分もいってないかも。雨の日だったので、スカッとした気分とはいきませんでしたが、やっぱり晴れの日だと素晴らしいんでしょうね。起伏が少なくて視界は広いし、確かにここならではの雰囲気はあると思います。

  • 海の中道海浜公園から香椎宮までやってきました。

    海の中道海浜公園から香椎宮までやってきました。

  • 入り口の楼門を入って

    入り口の楼門を入って

  • 奥へと進みます。

    奥へと進みます。

  • 最後にもう一段上がると

    最後にもう一段上がると

  • 拝殿から本殿。<br />仲哀天皇の廟所が起源という神社ですが、まあ神社は神社ですよね。<br />

    イチオシ

    拝殿から本殿。
    仲哀天皇の廟所が起源という神社ですが、まあ神社は神社ですよね。

  • ここで気になっていたのは、不老水大明神。<br />香椎宮の境内からいったん外に出て向かったところで、飛び地境内のような感じですね。

    ここで気になっていたのは、不老水大明神。
    香椎宮の境内からいったん外に出て向かったところで、飛び地境内のような感じですね。

  • この泉の水を汲み仲哀天皇、神功皇后の食事や酒を調えた家臣の武内宿禰は三百余歳の長寿を保ったという名水です。鍵が掛けられるようになった小屋の扉を開けると

    この泉の水を汲み仲哀天皇、神功皇后の食事や酒を調えた家臣の武内宿禰は三百余歳の長寿を保ったという名水です。鍵が掛けられるようになった小屋の扉を開けると

  • 蓋の付いた水の口があって、蓋をずらすとそこから水が汲めるようになっていました。こんこんと湧き出しているように見えましたが、こんなに厳重に管理されて、とても大事にされていますね。ちょっとびっくりでした。

    蓋の付いた水の口があって、蓋をずらすとそこから水が汲めるようになっていました。こんこんと湧き出しているように見えましたが、こんなに厳重に管理されて、とても大事にされていますね。ちょっとびっくりでした。

  • 香椎宮から、今度は宇美町へ。<br />宇美町は、日本遺産「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」の街として、けっこうアピールしていましたが、西の都って太宰府のことですよね。この日本遺産は当然太宰府が中心なんですが、大野城跡は大部分が宇美町にあるらしく、それで日本遺産の範囲が宇美町にも広げられてということのようです。

    香椎宮から、今度は宇美町へ。
    宇美町は、日本遺産「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」の街として、けっこうアピールしていましたが、西の都って太宰府のことですよね。この日本遺産は当然太宰府が中心なんですが、大野城跡は大部分が宇美町にあるらしく、それで日本遺産の範囲が宇美町にも広げられてということのようです。

  • 宇美町立歴史民俗資料館には、日本遺産「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」のコーナーもありましたが、やっぱりイマイチしっくりこないですね。

    宇美町立歴史民俗資料館には、日本遺産「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」のコーナーもありましたが、やっぱりイマイチしっくりこないですね。

  • 大野城跡に特化して解説というのもありかもしれませんが、大野城が逃げ城であったこととかも解説はないし、もう少し工夫が必要だと思います。

    大野城跡に特化して解説というのもありかもしれませんが、大野城が逃げ城であったこととかも解説はないし、もう少し工夫が必要だと思います。

  • それに、出土品はそれなりに展示されているのですが、

    それに、出土品はそれなりに展示されているのですが、

  • これらは大野城跡から出土したものなのかもよく分からないし

    これらは大野城跡から出土したものなのかもよく分からないし

  • 日本遺産→大野城→出土品の流れは

    日本遺産→大野城→出土品の流れは

  • もっと丁寧な解説がないと。。<br />最後まで頭の整理ができないままで終わってしまいました。

    もっと丁寧な解説がないと。。
    最後まで頭の整理ができないままで終わってしまいました。

  • ということで、早々に隣りの宇美八幡宮へ。<br />宇美八幡宮は、冒頭でも触れたとおり、神功皇后が三韓征伐からの帰りに応神天皇を産んだ地とされる場所。主祭神は、その応神天皇であり、宇美は産みに由来するとも言われます。<br />

    ということで、早々に隣りの宇美八幡宮へ。
    宇美八幡宮は、冒頭でも触れたとおり、神功皇后が三韓征伐からの帰りに応神天皇を産んだ地とされる場所。主祭神は、その応神天皇であり、宇美は産みに由来するとも言われます。

  • ただ、境内でまず目に付くのはクスノキの大木。

    ただ、境内でまず目に付くのはクスノキの大木。

  • 神社は平地にあるのですが、

    神社は平地にあるのですが、

  • そのクスノキのおかげで歴史を感じる見ごたえのある境内となっています。

    そのクスノキのおかげで歴史を感じる見ごたえのある境内となっています。

  • そして本殿の横に立つ

    そして本殿の横に立つ

  • この大クスが国の天然記念物。<br />神功皇后が三韓遠征後、この地で応神天皇を出産した際、この樹の下で産湯を使ったと伝わることから、「湯蓋(ゆぶた)の森」と呼ばれているクスノキです。どっしりとした貫禄があって素晴らしいですね。

    イチオシ

    この大クスが国の天然記念物。
    神功皇后が三韓遠征後、この地で応神天皇を出産した際、この樹の下で産湯を使ったと伝わることから、「湯蓋(ゆぶた)の森」と呼ばれているクスノキです。どっしりとした貫禄があって素晴らしいですね。

  • ここで宇美町から今夜の宿の小倉に向かいますが、その途中、香椎駅で下車してもう一つ気になるスポットへ。<br />御島グリーンベイウォークは、香椎海岸からあいたか橋、アイランドシティ外周緑地、香椎浜北公園を回っていく海沿いのウォーキングコース。一周は約3キロです。

    ここで宇美町から今夜の宿の小倉に向かいますが、その途中、香椎駅で下車してもう一つ気になるスポットへ。
    御島グリーンベイウォークは、香椎海岸からあいたか橋、アイランドシティ外周緑地、香椎浜北公園を回っていく海沿いのウォーキングコース。一周は約3キロです。

  • 砂浜からアイランドシティを遠目に眺めたり、それなりの開放感はあるのですが、残念ながら百道と比べるとスケール感は劣るような気がします。

    砂浜からアイランドシティを遠目に眺めたり、それなりの開放感はあるのですが、残念ながら百道と比べるとスケール感は劣るような気がします。

  • 小倉の宿は、リコホテル。場末の典型的な安宿といった感じですね。ただ、小倉駅からそんなに遠くはないし、フロントの対応もちゃんとしていて、部屋も粗末だけどそこまでのチープ感はないかな。元気がない時に泊まったらへこみそうですが、そうでなければ何とか大丈夫です。<br />さて、明日は今回の旅のハイライト河内藤園。天気予報は快晴。初日からの二日間は雨交じりでしたが、明日が晴れならそれが一番。一気に挽回といきたいところです。

    小倉の宿は、リコホテル。場末の典型的な安宿といった感じですね。ただ、小倉駅からそんなに遠くはないし、フロントの対応もちゃんとしていて、部屋も粗末だけどそこまでのチープ感はないかな。元気がない時に泊まったらへこみそうですが、そうでなければ何とか大丈夫です。
    さて、明日は今回の旅のハイライト河内藤園。天気予報は快晴。初日からの二日間は雨交じりでしたが、明日が晴れならそれが一番。一気に挽回といきたいところです。

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