2023/04/01 - 2023/04/01
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しろくまクンクンさん
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真田邸へ行きました。
九代藩主・幸教が義母・貞松院の住まいとして1894年に建築した松代城の場外御殿です。
当時は「新御殿」と呼ばれていました。
松代藩文武学校へ行きました。
文武を奨励した八代藩主・幸貫が計画し、九代藩主・幸教の時代に完成した松代藩の藩校です。
教室に当たる文学所、武術を学ぶ剣術所、柔術所、弓術所、槍術所などが配置されます。
第二次大戦遺跡・松代象山地下壕へ行きました。
第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに昭和20年8月15日の終戦の日までの9ヶ月間に皆神山・象山に10㎞余りの地下壕が造られました。
現在は約500mが見学コースとして開放されています。
https://youtu.be/U5KT5VKYjJw
https://youtu.be/c6H2eWf054Q
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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真田邸へ向かいます。
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枝垂桜がきれいです。
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真田邸の入り口です。
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大きなお屋敷です。
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座敷内からです。
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畳敷きの中廊下です。
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素晴らしいです。
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庭園は「水心秋月亭」と名つけられています。
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落ち着きます。
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縁側でくつろぐこともできます。
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お庭には池も配されています。
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御居間の障壁画です。
案内もあります。 -
広い廊下には欄間のような飾りもありました。
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お庭に蔵がありました。
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蔵内には展示物があります。
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お庭の一角には稲荷神社があります。
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松代藩文武学校へ行きました。
学校内からの門です。 -
敷地内です。
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剣術所です。
校内唯一の入母屋造りで破風が付いた屋根を備えた格式高い建物です。
東面中央に藩主専用の見学席である「御覧所」があります。 -
敷地内風景です。
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文学所です。
文武学校で一番大きい建物で、書物や道具類を収めていた文庫蔵も備えられています。
大広間、台所、役所、藩主控室などがあります。 -
台所です。
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素晴らしいです。
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建物の西側は「御役所」と呼ばれ、学校の管理をする藩の役人がいた場所です。
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「御目付」「調役」「掛役人」など役職によって部屋が分かれています。
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弓術所です。
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太い梁があります。
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一見2階建てのようですが天井が高いので1階建てです。
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槍術所です。
校内の稽古場では最も広いです。
元自衛官の方が居合の練習をしていました。
歴史ある施設での稽古は身が引き締まることでしょう。 -
長い槍、薙刀、長巻などの稽古が行われるので天井も高いです。
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申し込めば火縄銃で模擬射撃を行うこともできるそうです。
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旧白井家表門です。
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内側からです。
白井家は松代藩の中級武士です。
中は休憩所になっています。 -
象山公園の横を松代象山地下壕へ向かいます。
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松代象山地下壕案内図です。
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現在開放され見学できる部分です。
総延長5853.6mのうち約500mだけが見学できます。 -
ヘルメットが貸し出され無料で見学できます。
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入り口付近はあまり広いとは思えません。
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奥に行くにつれ広くなり幅は5m以上ありそうです。
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第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本宮、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日午前11時着工、翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9ケ月の間に当時の金額で2億円の巨費と延300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され突貫工事をもって構築したもので全工程の75%完成した。
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トロッコ枕木の後です。
トロッコは土木工事用の手押し4輪台車で壕内で掘った石屑の搬出に使われていました。 -
見学できる終点です。
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