2023/07/11 - 2023/07/11
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愛猫シロネコさん
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中央アジアのカザフスタン・キルギスを9日間のツアーに参加しました。
チョルポン・アタよりカラコルでバスよりバンに乗換、ジェティ・オグスで鷹狩見学し、ブロウクン・ハートと「7頭の牛」の奇岩を見て、ドリーナ・スベトフ(花の盆地)に行きます。カラコルでロシア正教会 ドウンガン・モスク プルジェワルスキーの墓と博物館を見学し、チョルポン・アタに戻ります。
(写真)ジェティ・オグスの巨大な赤土の断崖絶壁「7頭の牛」とユルタ
(ロシア正教会()(三位一体教会)19C初めカラコルに移住したロシア人が造る。140年余りの歴史がある。釘を使っていない。当時は4万人中3万人がロシア人。その後、中国人が多くなる。5本の緑の尖塔や中はイコン画(1300年前のイコンもある。1回/Y公開される。)が多くあり、青の色が美しい。内部は撮影禁止で、お祈りをする人が多かった。ソ連時代は市役所別館、ミニ・サッカー場になる。1960年、どんぐりの木で再建された。エリチィン大統領の時、お金を振り込むといったが、プーチンになり頼んだら、「チェチェン」が忙しいと「大統領にお金を振り込まれなかった教会」で有名です。カラコルは最初のロシアが作った町で、抵抗できないように道を広く作った。
(ドウンガン・モスク)1910年、中国の建築様式で釘を一本も使っていません。(チョー・セイという地元の専門家が設計した。)ドゥンガン一族は中国より逃げてきたイスラム教徒でスンニ派です。中国人とアラブ系の混血も多い。青色が奇麗なモスクです。基礎のみが地元の人が造り、上の部分はドゥンガン人が建てた。今も5回/日のお祈りをしています。キルギス人は農業が得意でなく、ドゥンガン人が農業を広めた。
(プルジェワルスキーの墓と博物館)ロシアの探検家で地理学者で内陸アジアの地図を作った。5回目の探検の出発の時にカラコルの川の水を飲んでチフスで死亡した。(1839ー1888年で身長は198cm、体重は140kgで大きかった。サンクト・ペテルブルクにアレクサンドル庭園にも記念碑がある。ここには彼の希望で墓があります。地理学会は防衛庁の次に権威があった。(将来、侵略する為の下調べであった。)
⑤7月11日(火)
部屋K1-5(2F) 朝食8:00-8:35を戴き、
チョルポン・アタH9:00発(バスー独立広場を通り-A363-青空トイレ(10:30-10:35)-アク・ブラックートゥブを通りA363-ジルガラン渓谷を見て-カラコル(11:20バスよりバンに乗換ます。)ージェティオグズの町を通り、
1)キルギス族伝統の鷹狩見学(11:50-12:20)鷹匠による生きた黒兎の捕獲と鷹と記念撮影をします。
2)ブロウクン・ハート(12:30-12:38)高台より心臓の割れた形の岩と巨大な赤土の断崖絶壁を見学し、悲しい伝説を聞きます。
3)ジェティオグズの奇岩と渓谷(12:43-12:49)温泉地で赤砂岩の断崖絶壁(川沿いの岩)7つの山(7頭の雄牛)やモスクを見学します。渓谷と川を見ながら
4)ドリーナ・スベトフ(花の盆地)(13:09-13:25)(KokJayikValley)ジュティ・オグス川沿いに5km南の草地と花を見ます。 ユルタのHもあります。
(カラコル観光)湖から9km海抜1690-1990mで山々の登山基地 バザールが中心地
5)(昼食)民家のRでドゥンガン料理(14:25-15:10)を戴き、
6)ロシア正教会(15:17-15:30)聖三位一体教会 見事な青の5本の尖塔 木造建築で沢山のイコンとミサ中でした。)バザール近くにあります。
お土産屋(15:32-15:54)蜂蜜と石鹸を購入します。
6)ドゥンガンモスク(15:55-16:10)20C始め、1910年ドゥンガン人(中国とアラブの混血)の職人が1本の釘・金具を使わず、木材だけの建物で1日5回の礼拝をします。)
7)プルジェワルスキーの墓・博物館(16:22-16:50)ソ連時代の探検家でこの地で命を落とす。)博物館・墓・記念碑・イシク・クル湖の眺め)を見学します。
カラコル(バスートゥプーアク・ブラックー青空トイレ(18:05-18:15)-チョルポン・アタに戻りますが、途中、イシク・クル湖と天山山脈の眺めの良い所で下車(19:07-19:15)しました。
H19:45着。 夕食HのR(20:15-21:15)で戴きました。
(泊)チョルポン・アタ(イシク・クル湖畔)Karven4Seasons
{旅程}
①7/7(金)成田ー仁川ータシケント(ウズベキシタン)泊
②7/8(土)タシケント(バス国境)カザフスタンートルキスタン(オトラル遺跡 ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟)シムケント泊
③7/9(日)(バス国境)キルギスータラズ(アイシャ・ビビ廟 タラズの古戦場)ビシケク泊
④7/10(月)ビシケク トクマク(クラースナヤレーチカ遺跡 アク・ベシム遺跡 バラサグン遺跡・ブラナの塔 )チョルポン・アタ泊
★⑤7/11(火)ジェティオグズ渓谷 ドリーナ・スベトフ カラコル(ドゥンガンモスク 正教会 プルジェワルスキー墓)チョルポン・アタ泊
⑥7/12(水)イシク・クル湖クルーズ ビシケク(国立博物館 アラトー広場)泊
⑦7/13(木)ビシケク(バス国境)カザフスタンータムガリ岩絵 アルマトイ泊
⑧7/14(金)アルマトイ(パンフィロフ公園 国立中央・民俗楽器博物館 バザール コクトベ)
⑨7/15(土)アルマトイ(機中泊)仁川ー成田
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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宿泊したKarven4Seasons入口
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宿泊したH(室内)
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宿泊したH(室内)
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宿泊したH(ベランダよりの眺め)
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朝食会場入り口
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朝食(ビュッフェ形式)
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朝食(ビュッフェ形式)オムレツを戴きます。
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朝食(ビュッフェ形式)
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宿泊したKarven4Seasonsの広い敷地地図(地図がないと迷います。)
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宿泊したKarven4Seasonsの広い敷地地図
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(車窓風景)イメニ・ジュスパ・アブド・ラフマノヴァ公園
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(車窓風景)独立広場と役所
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(車窓風景)チョルポン・アタのモスク(地方のモスクはサウジ・アラビアがお金を出して建てていることが多い。)
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(車窓風景)チョルポン・アタのメインストリート
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(車窓風景)チョルポン・アタの博物館
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(車窓風景)湖と道が一番近い所(帰りに下車します。)
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青空トイレ休憩(10:30-10:35)
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万年雪のアラトー山脈
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このような道をひたすら走ります。
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(車窓風景)トゥプの町の銅像
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(車窓風景)トゥプの町
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(車窓風景)カラコルに向かう道
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(車窓風景)ジルガラン渓谷
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(車窓風景)ジルガラン渓谷
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(車窓風景)ジルガラン橋とジルガラン川
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(車窓風景)プルジェワルスキーの墓への分れ道(帰りに見学します。)
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(車窓風景)カラコルの入口
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(車窓風景)後で行くドゥンガン・モスク
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(車窓風景)「カラコル」
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カラコルの大学
この近くで大型バスよりバンに乗り換えます。(11:20) -
図書館
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(車窓風景)カラコルのメインストリート
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(車窓風景)プーシキン公園
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(車窓風景)雄大な天山山脈
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(車窓風景)A363からジェティオグズの曲がる道
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(車窓風景)ジェティオグズに通じる道
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(車窓風景)ジェティオグズの町
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鷹狩を見学します。11:50-12:20
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タムガリベックさんで鷹狩を許可された人は15人です。タカは絶滅動物です。
タカの名前はトゥヌクで5歳でメスです。(4.5kg)オスは鷹狩をあまりせず、メスの方がうまい。3000mまで飛びます。(グッピーもそうです。)2個タマゴ(こぶしの大きさ)を生む為、2Mの時に巣から盗んで、育てます。3Mで飛び始める。タカでは仕事が出来ず、農業をやり、趣味でやっています。40-50年生きる。20歳まで飼って、あとは自然に返します。その後、家族を作ります。お父さんのようで、彼がいないと鳴かないこともある。5km先まで見える。水は1回/10日あげ、獲物を離さないこともある。その時には他のえさをあげる。ハンティングは冬のみです。初めは白で、年を取ると黒くなります。獲物を食べた後は石で口をふくという。20歳で自然に返す時は勿論、泣きます。家族の一員です。鷹匠に戻ってくる事もある場合は一生飼います。
息子さんと弟の息子さんと3人で見せてくれました。 -
タムガリベックさんとトゥヌク(5歳)と息子さんと弟の息子さん
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。(目隠しをしないと飛ぶこともあります。)
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。
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鷹狩のタムガリベックさんとトゥヌク(5歳)です。
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目隠しと取ります。
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目隠しと取ります。
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まず、死んだハイエナを置きます。
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遠くの山にタカを持って登ります。
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合図でタカを離すと、一目散に獲物に襲い掛かります。(写真では中々、その様子が取れませんので、ビデオに撮りました。)
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獲物にえさは飛び掛かります。(一瞬の出来事で写真は困難です。)
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生きた黒兎を持ってきました。
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今度は生きた黒兎を捕まえます。
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山の中腹より、タカを離します。
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目隠しを取ると、周囲を見渡します。
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獲物を取った後は少し、興奮します。
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大きいです。
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体を撫ぜて興奮を抑えます。
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目隠しをして、石で口の周囲をふきます。
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大きなタカ
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地面を歩き回ります。
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近づいてきますが、早く、動かないように言われました。
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(車窓風景)ブロウクン・ハートが見えてきました。
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下車をして丘を上がります。(良く、見える所に行きます。)
ブロウクン・ハート(川沿いの岩は心臓が裂けた形をしています。ある美しい女性の求婚した2人が流血の決闘をして、2人とも死んだ。その時に、女性の心臓が裂けたという伝説があります。) -
巨大な赤土の断崖絶壁です。
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巨大な赤土の断崖絶壁です。(鉄分で赤くなります。)
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巨大な赤土の断崖絶壁です。(鉄分で赤くなります。)
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奇麗な花
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奇麗な花
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(車窓風景)巨大な赤土の断崖絶壁とユルタ
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(車窓風景)ブロウクン・ハート
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(車窓風景)巨大な赤土の断崖絶壁
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ジェティ・オグスの町のモスク
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ジェティ・オグスはキルギス語で「7頭の牛」の意味です。7つに分かれた山が見え、7頭の雄牛に似ていることから付けられた。実際には13-15個見えます。海抜2200mで温泉地です。
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実際には13-15個見えます。
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実際には13-15個見えます。
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馬に乗った子供が走ってきました。
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馬に乗った子供が走ってきました。
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巨大な赤土の断崖絶壁
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(車窓風景)ブロウクン・ハート
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(車窓風景)巨大な赤土の断崖絶壁
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(車窓風景)ジェティ・オグスの町のモスク
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(車窓風景)ジェティ・オグスの町の中心部
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(車窓風景)ジェティ・オグス川を渡ります。
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(車窓風景)ジェティ・オグス川
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(車窓風景)山に連れて行く牛
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(車窓風景)ジェティ・オグス川を渡ります。
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(車窓風景)ユルタが見えます。(おそらく、Hです。)
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(車窓風景)ジェティ・オグス川を渡ります。
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乗ってきたバン
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ドリーナ・スベトフ(花の盆地に着きます。)花が咲くと、牛・馬等が食べてしまう事が多いという。割合、お花が残っていました。
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ドリーナ・スベトフの奥の方はガガーリンなどの宇宙飛行士が宿泊した保養地があります。
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ドリーナ・スベトフの奥の方はガガーリンなどの宇宙飛行士が宿泊した保養地があります。
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馬に乗らないかと誘われます。
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ユルタのH
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シラカバ
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高山植物(花)
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高山植物(花)
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白い茎の「フーロ」
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トリカブト(花)
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トリカブト(花)
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花
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花
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花
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(車窓風景)シラカバ
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(車窓風景)国旗と小屋
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(車窓風景)何回もジェティ・オグス川を渡ります。
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(車窓風景)ジェティ・オグス「7頭の牛」
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カラコルの町に戻ってきました。
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カラコルの民家のRで昼食を戴きます。
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カラコルの民家のR(庭園)
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カラコルの民家のRの庭
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素敵な食事場所
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カラコルの民家のR(ドゥンガン風料理です。明治初期に中国より逃げてきたドゥンガン人(中国のイスラム教の人々))文化はイスラム教のスンニ派です。
サラダは3種類(左よりチキン ツェ(熱いサラダ)野生のジャガイモとタマゴを片栗粉で炒めた。 フンチョーザ(ニラを炒めたもの) -
ラグマン
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サラダは3種類(チキン ツェ(熱いサラダ)野生のジャガイモとタマゴを片栗粉で炒めた。 フンチョーザ(ニラ料理)
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チキン
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フンチョーザ
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ツェ(熱いサラダ)野生のジャガイモとタマゴを片栗粉で炒めた。
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でんぷんの麺
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マントー
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お茶
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4人の娘さんが伝統の踊りを見せて頂きました。
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4人の娘さんが伝統の踊りを見せて頂きました。
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4人の娘さんが伝統の踊りを見せて頂きました。
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4人の娘さんが伝統の踊りを見せて頂きました。
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民家のRの台所
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民家のRの居間の一部
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子供達が見送りに来てくれました。
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カラコルの民家のRの周囲
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グミ(赤い実)食べられます。
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カラコルの民家
ここよりバスに乗り、ロシア正教会に行きます。 -
昼食後、バンより大型バスに乗り換えます。
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(車窓風景)ロシア正教会が見えてきました。
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ロシア正教会(三位一体教会)入口の門
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ロシア正教会(三位一体教会)と庭園
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ロシア正教会(三位一体教会)19C初め、カラコルに移住したロシア人が造る。140年余りの歴史がある。釘を使っていない。当時は4万人中3万人がロシア人。その後、中国人が多くなる。5本の緑の尖塔や中はイコン画(1300年前のイコンもある。1回/Y公開される。)が多くあり、青の色が美しい。内部は撮影禁止で、お祈りをする人が多かった。ソ連時代は市役所別館、ミニ・サッカー場になる。1960年、どんぐりの木で再建された。エリツィン大統領の時、お金を振り込むといったが、プーチンになり頼んだら、「チェチェン」が忙しいと「大統領にお金を振り込まれなかった教会」で有名です。カラコルは最初のロシアが作った町で、抵抗できないように道を広く作った。
ホーリートリニティ大聖堂 寺院・教会
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ロシア正教会(三位一体教会)入口の壁画
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ロシア正教会(三位一体教会)入口
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ロシア正教会(三位一体教会)入口(女性はスカーフをし、男性は帽子を取ります。)入口近くにベルがあり、1回/W鳴らします。右後ろに売店。中には多くのイコンがあり、一番奥に内陣があります。(内陣には聖職者しか入れません。)丁度、ミサ中でした。
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内部に入ります。
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周囲を一周します。
周囲の建物 -
緑の奇麗な尖塔
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緑の奇麗な尖塔
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入口の2F部分と尖塔
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2Fの部分
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ロシア正教会(三位一体教会)2F部分
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ロシア正教会(三位一体教会)入口
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ロシア正教会(三位一体教会)右横(5本の緑の尖塔が分かります。)
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ロシア正教会(三位一体教会)右横
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尖塔の先端(ロシア正教会は十字架ではなく、十字架に2本の横棒が追加されています。)
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木造の感じが分かります。
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後ろに回り込みます。
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後ろ側(おそらく、内陣)の入口
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左横
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3本の緑の尖塔
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別の建物(讃美歌の練習をしていました。)
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広いカラコルのメインストリート
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お店で買い物(JICAも協力をしています。)
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蜂蜜や石鹸を買いました。
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蜂蜜などを売っています。
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布製品
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JICAのマーク
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ドゥンガン・モスク(入口)
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ドゥンガン・モスク(入口のキリル文字)
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ドゥンガン・モスク(1910年、中国の建築様式で釘を一本も使っていません。(チョー・セイという地元の専門家が設計した。)ドゥンガン一族は中国より逃げてきたイスラム教徒でスンニ派です。中国人とアラブ系の混血も多い。青色が奇麗なモスクです。基礎のみが地元の人が造り、上の部分はドゥンガン人が建てた。今も5回/日のお祈りをしています。
ドゥンガンモスク 寺院・教会
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カラフルな屋根部分
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ドゥンガン・モスク(前面)
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宇宙の真理を説いた図
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5回/日のお祈りの時間
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ドゥンガン・モスク(内部)写真は可能ですが、内部には入れません。
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ミフラーブ
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ミフラーブ
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説教壇
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コーランを流すミナレット
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昔、この場所にイマームが住んでいた。
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モスク周囲を一周します。
釘を使っていない天井部分 -
釘を使っていない天井部分
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釘を使っていない天井部分
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釘を使っていない天井部分
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入口の建物
バスでプルジェワルスキーの墓と博物館に向かいます。 -
プルジェワルスキーの墓と博物館近くで結婚式の車列に会いました。(車にデコレートをしていました。うまく、撮れませんでした。)
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プルジェワルスキーの墓と博物館(入口)ロシアの探検家で地理学者で内陸アジアの地図を作った。5回目の探検の出発の時にカラコルの川の水を飲んでチフスで死亡した。(1839-1888年で身長は198cm、体重は140kgで大きかった。サンクト・ペテルブルクにアレクサンドル庭園にも記念碑がある。ここには彼の希望で墓があります。イシク・クル湖の湖畔に埋葬したが、今は湖が小さくなった。地理学会は防衛庁の次に権威があった。(将来、侵略する為の下調べであった。)130年前はここには何もなかった。
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プルジェワルスキーの墓と博物館への道
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博物館
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博物館入口の角が曲がった野生のヤギ「マルコポーロ」角で年齢が分かる。
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身長は198cm、体重は140kgで大きかった。
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歴代の地理学会長
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歴代の地理学会長
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5回の探検の足跡の印(チベットには行けなかった。英・中も当時、入っていなかった。)
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4回の探検の期間と5回目の探検の期間
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中央アジアを研究した学者
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有名なマルコポーロ(本来の意味は「野生の羊」の意味だそうです。)「野生の羊」は絶滅しました。
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プルジェワルスキーの歴史の写真(軍隊の大学に入り、地理も勉強した。エリートで0.1%しかなれなかった。)
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旅の写真
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旅の写真
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ロシア人が想像したチベット
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タクラマカン砂漠の野生動物
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右は天球儀で地形図を作った。左は使っていた道具で灰皿・スプーン・フォーク等
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本人が使っていた銃
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折だたみのベッド
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キルギスの野生動物
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サンクトペテルブルクの銅像(ロシアではノーベル賞に値する人です。)
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プルジェワルスキーの記念碑(顔写真は賞を取った時の写真)
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プルジェワルスキーの記念碑(後ろ側)
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鷲はオリーブの枝(平和の象徴)をくわえています。
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鷲はオリーブの枝(平和の象徴)をくわえています。(ロシア正教の十字架の斜めの棒は磔の時に体が落ちないように斜めの板を付けたと言います。)
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プルジェワルスキーの墓
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プルジェワルスキーの墓(ロシア正教の十字架の斜めの棒は磔の時に体が落ちないように斜めの板を付けたと言います。)
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イシク・クル湖(墓を作った時は近くにあったが、その後、イシク・クル湖の水位が減った。以前は西のバルイチクからここまで船が走っていた。)
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もみの木(1年に20-30cm伸びる。)
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愛のトンネルと言われています。
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カラザイフの記念碑(ロシア語の辞書を書いた人)
バスでチョルポン・アタに向かいます。 -
(車窓風景)山々とカラコルの町
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(車窓風景)山々とカラコルの町
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(車窓風景)山々とカラコルの町
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(車窓風景)ロシア正教会の墓
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(車窓風景)後方の山はカザフスタンで山を越えるとアルマトイです。
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(車窓風景)
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(車窓風景)トゥプの町の銅像
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(車窓風景)サン・タッシュ峠への道(昔、戦いのときにこの峠を越えました。)
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青空トイレ(18:05-18:15)
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対岸の天山山脈
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対岸の天山山脈
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女性軍が景色を見ています。
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湖と北側の道が狭まった所で撮影の為、下車します。(19:07-19:15)
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対岸の天山山脈
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対岸の天山山脈
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湖のモニュメント
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イシク・クル湖で泳いでいる人
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イシク・クル湖で泳いでいる人
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(車窓風景)観覧車
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(車窓風景)チョルポン・アタの博物館
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(車窓風景)Hオーロラ(ソ連時代の古いHで昔風の権威主義のサービスだそうです。)
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Hに19:45着。夕食は20:15からです。
夕食のHのR -
赤カブのビーツ
スープはミート団子 -
メインはマス料理です。
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この旅行記へのコメント (1)
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- Katsyさん 2023/08/07 12:28:07
- 鷹狩りのこと
- はじめまして、愛猫シロネコさん。
野生動物の写真を撮るのが好きで海外を旅してきた者ですが、もしや何か中央アジアの動物を撮られているかと思い旅行記を拝見しました。
中でも鷹狩りのパートは興味深く読みましたが、鷹匠・タムガリベックさんの使うトゥヌクは正確にはタカではなくイヌワシですね。脚部まで羽毛が生え後頭部が赤茶色なのが特徴です。中央アジアではタカの代わりにイヌワシを使って鷹狩り(鷲狩りか?)をするということを聞いたことがあります。
また、鷹狩りの発祥は中央アジアだとも言われていて、キルギスやチベットあたりから西は中東アラブを経てヨーロッパへ、東は中国(大陸王朝)を経て日本へ伝わったそうです。さらに20世紀になるとヨーロッパから北米アメリカへと伝わったようです。
ですから、愛猫シロネコさんがご覧になった鷹狩りはいわば、鷹狩りの源流のようなものだったのではないでしょうか…
いずれにしても、この旅行記でいいものを見させていただきました。
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