2023/07/08 - 2023/07/08
1位(同エリア19件中)
愛猫シロネコさん
- 愛猫シロネコさんTOP
- 旅行記872冊
- クチコミ0件
- Q&A回答6件
- 417,238アクセス
- フォロワー84人
中央アジアのカザフスタン・キルギスを9日間のツアーに参加しました。
ウズベキスタンよりカザフスタンに入国し、シムケントの町で昼食を戴きます。
Yuzhuoモスクを通り、オトラル遺跡を見学します。近くのアルスタン・バブ廟も見学。
トルキスタンのラビア・スルタン・ベギム廟 クルウェト地下モスク コジャ・アフメド・ヤサウィ廟を見学し、トルキスタンで夕食を戴き、22:35シムケントのHに着きます。
(写真)コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(後側の方が青いタイル等の装飾が奇麗です。)
(オトラル遺跡)1218年,チンギス・ハーンがホラズム王国の町オトラルに450人の使節団を送る.(ハーンの使節を見下したようである。)団長のイブン・カフラジン・ボクラを含め,オトラル城主イナルチクは皆殺しにした。翌年、ハーンは復讐の為、町を攻め落とした「オトラル事件」という。これを機にハーンの西方遠征が始まり、ヨーロッパに行く。オトラル城主イナルチクは両目・両耳に溶かした銀を流し込まれ処刑された。町も破壊されたが、モンゴルの支配下のオトラルは交通の要所で貨幣鋳造所もおかれ、復興した。ウズベクやカザフが統治するが、19C初頭に渇水すると廃墟になった。井戸跡もある。又、1405年、中国遠征の途中でチムールが没した場所でもある。
「オトラル事件」はモンゴル軍は15万人、地元は52万人で戦いの為に城壁を造った。モンゴル軍は1/3はヒヴァ 1/3はブハラここには1/3の人を置き、戦いは数年続き、水・食料が無くなり終わった。戦いは城壁の外で行い、城内で1回戦いの皆殺しにしたという。
(コジャ・アフメド・ヤサウィ廟)高さ44m ドームの直径22m。12Cに活躍したスーフィー(イスラム神秘主義伝道者)でヤサウィ教を創設した人で63歳(預言者ムハンマドが亡くなった年に、地下に隠居し修行を積んだという。この廟はヤサウィ没後,ティムールが創建した。ティムール朝(1370ー1507年)の創始者ティムール(14Cの中央アジアの覇者)は1402年,アンカラの戦いで、オスマントルコを破り、スルタンを捕虜にする。さらに、明を討とうと出発し、ここで1405年病死する。ティムールがダマスカスを攻撃したときに丸屋根を見て、取り入れ,ロシア建築やタージ・マハルの屋根の元にもなった。
②7月8日(土) 部屋1106に宿泊。
1)タシケント散策6:00-7:00(タシケント州立法科大学 ティムール広場(ティムール像) ティムール博物館 ナヴォイオペラ・バレエ劇場 カッシュガー・パーク)を見て、 朝食7:00-7:30。8:00出発。
タシケント(大型バスでM39ーTV塔を通り、国境8:30着。国境9:28発(バスを乗換える。)ーA2-(10:40ウリ購入。モスク 記念碑 墓地を見ながら、シムケント市内に入る。)
2)(昼食)R「Kafsi」(シムケント)12:00-13:05(サラダ・プロフ・ハミウリ・ビール等)を戴き、
(バスー市内のYuzhuoモスクを見て、ーE38-広大なベニ花・小麦畑・ブドウン湖を見て-トルトコリーチムル駅-シャウリデルを通り、オトラル遺跡に着きます。
3)オトラル遺跡(15:10-16:15)古くよりの中央アジアの主要都市(10-13C繁栄)1218年使節団殺し、1219年チンギス・ハーンが破壊・総督処刑(当時の硬貨・瀬戸物)城門 居住区域19C渇水で廃虚
城門外の遺跡 城門 ハナカ 多くの塔跡 井戸 14-15Cの部屋等見学し、)(バスー博物館を通り)
4)アルスタン・バブ廟(16:25-16:30)ホッジャ・アフメド・ヤサウィの指導者の廟を見学。
(バスー鉄道線路を通り、)ラサウィ廟近くで下車し、歩いて廟に行きます。途中、
5)ラビア・スルタン・ベギム廟 クルウェト地下モスク(台所 当時の木 竈 模型 服 隠遁所 コーラン) 井戸跡を見学します。
6)ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟(17:20-18:50)スーフィー(ヤサウィ教団創設)イスラム聖人で巡礼地。トルコ石の青いドーム(入口の門 大鍋 ティムールの棒 沢山の小部屋(BigAkaaray ヤサウィの墓 図書館 食堂等を見学します。)
(他に博物館 浴場跡 城壁) 城壁より廟を見て、一周します。(世界遺産)
7)(夕食)R「Edema」(19:00-20:00)サラダ スープ スペイン風ビーフ等(トルキスタン)
(バスーE38-トルトコリートイレ休憩21:35-21:40をして)シムケントH22:35着 23:35就寝します。 (泊)シムケント・グランドH
{旅程}
①7/7(金)成田ー仁川ータシケント(ウズベキシタン)泊
★②7/8(土)タシケント(バス国境)カザフスタンートルキスタン(オトラル遺跡 ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟)シムケント泊
③7/9(日)(バス国境)キルギスータラズ(アイシャ・ビビ廟 タラズの古戦場)ビシケク泊
④7/10(月)ビシケク トクマク(クラースナヤレーチカ遺跡 アク・ベシム遺跡 バラサグン遺跡・ブラナの塔 )チョルポン・アタ泊
⑤7/11(火)ジェティオグズ渓谷 ドリーナ・スベトフ カラコル(ドゥンガンモスク 正教会 プルジェワルスキー墓)チョルポン・アタ泊
⑥7/12(水)イシク・クル湖クルーズ ビシケク(国立博物館 アラトー広場)泊
⑦7/13(木)ビシケク(バス国境)カザフスタンータムガリ岩絵 アルマトイ泊
⑧7/14(金)アルマトイ(パンフィロフ公園 国立中央・民俗楽器博物館 バザール コクトベ)
⑨7/15(土)アルマトイ(機中泊)仁川ー成田
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
PR
-
奥にカザフスタン国境(ツェルネフといい将軍の名前)明治時代はコーカンドと言われた。ロシアに負けたのは大砲が少なかった。標高は400-500m
ジベック ジョリ国境 その他の交通機関
-
カザフスタンに入国しました。
-
カザフスタンに入国しました。
-
このバスで最終日まで回ります。(ツアーは8人でゆっくりと座れました。)
ガイドはソベットさん ドライバーはナヒムさんです。2人ともキルギス人です。
カザフスタンは1500-1600万人 マックはありません。
南は保守的でのんびりしています。 -
カザフスタンの国境より高速道路が伸びます。
-
(車窓風景)「カザフスタン」
-
(車窓風景)ウズナガの町(町があるのは水がある所です。草原に国で山が少ない。キルギスは山の国です。昔から井戸が重要でした。)ソ連時代、遊牧民を定住させるために、井戸を埋め、定住民族になった。)
-
10:40ウリを買い、昼食で戴きました。
-
10:40ウリを買い、昼食で戴きました。(1個700テンゲ=230円)1テンゲ=約0.3円)都会だと3-4倍になります。チベット人は値段の交渉が好きでなし。
-
10:40ウリを買い、昼食で戴きました。
-
高速道路を走ります。
-
(車窓風景)ファルコン(ワシ)のモニュメント
タカは天山山脈のみです。 -
(車窓風景)カザフスタン
-
(車窓風景)街
-
(車窓風景)街
-
(車窓風景)川と馬
-
(車窓風景)町のモスク
-
(車窓風景)天山山脈の一番西の所(2015年、自然遺産になった。)
-
(車窓風景)Sarapxanaのモスク
-
(車窓風景)Sarapxanaの記念碑
-
(車窓風景)Jenishekeのモスク
-
(車窓風景)モスク
-
(車窓風景)広大な草原に道が続きます。
-
(車窓風景)広い草原
-
(車窓風景)べに花畑(水は使わない。)トウモロコシは月3回の水。綿花は水を沢山使う。昭和30年代、フルシチョフ時代にアメリカを見て、シベリアにトウモロコシを植えたが、育たなかった。その為、下から写真を撮って、大きく見せて育ったと報告したという。トップダウンの政策であった。
-
(車窓風景)シムケント市内
-
(車窓風景)シムケント中心部(人口200万人。大学よりも専門学校が多い。高い建物より1-2F建てが多い。第2次世界大戦ではカザフやウズベクの中央アジアに工場を移転(ドイツ軍より守るため)
-
(車窓風景)シムケントの町
-
(車窓風景)シムケント郊外のイスラムの墓地
-
(車窓風景)シムケント郊外のイスラムの墓地
この後、警察にバスを止められる。公務員で賄賂のないのは消防士。警察は収入が少ないために賄賂あり。昔は賄賂で収入の9割を稼いでいた。今は、4-5割は賄賂があるようです。 -
(車窓風景)貨物が走ります。
-
(車窓風景)貨物が走ります。
-
(車窓風景)シムケント郊外のバダム川
-
(車窓風景)シムケントの店
-
昼食のR「Kafsi」12:00-13:05
-
昼食のR「Kafsi」
-
R「Kafsi」(中庭のミスト)
-
R「Kafsi」(食堂)
-
ビール500ml4ドル
-
R「Kafsi」(サラダ)
-
R「Kafsi」(プロフ)牛肉(ピラフ)
-
R「Kafsi」(先程、買ったハミウリ)
-
R「Kafsi」(お茶)
-
R「Kafsi」(トイレ)
-
(車窓風景)Yuzhuo-モスク(アラブ国家が11-12年前に建てたモスク1万人収容)シムケントで一番大きい。ソ連時代はモスクはダメで、共産主義が宗教であった。ソ連時代は過去のモスクはスポーツジムや図書館になっていた。
Aq(白い)-Meshit(モスク) -
(車窓風景)Yuzhuo-モスク(アラブ国家が11-12年前に建てたモスク1万人収容)シムケントで一番大きい。ソ連時代はモスクはダメで、共産主義が宗教であった。ソ連時代は過去のモスクはスポーツジムや図書館になっていた。
Aq(白い)-Meshit(モスク) -
(車窓風景)Yuzhuo-モスク(アラブ国家が11-12年前に建てたモスク1万人収容)シムケントで一番大きい。ソ連時代はモスクはダメで、共産主義が宗教であった。ソ連時代は過去のモスクはスポーツジムや図書館になっていた。
Aq(白い)-Meshit(モスク) -
(車窓風景)奥に空港があります。
-
(車窓風景)遠くにシムケントの空港があります。
-
(車窓風景)ベニ花畑(白い種をつぶして油を取る。)
-
(車窓風景)ベニ花畑(白い種をつぶして油を取る。)
-
(車窓風景)ベニ花畑(白い種をつぶして油を取る。)
-
(車窓風景)小麦の畑(1-2W以内に収穫する。)カザフの主食はパン。畑はウズベクは国営、カザフは民営が多い。畑の大きさではなく、家畜の数で税金を払う。土地が広大の為、土地は自由に使える。)
東ヨーロッパではソ連崩壊後は、1-2年以内に民営化した。(ソ連以前に私有地の文化があった。)中央アジアは国々で民営化の過程中です。
外国人は土地を買う権利はない。(国民が中国人に買われる事に反対。)
カザフやキルギスも私有地文化は少しあったが、人口の半分以上は土地がなかった。スターリンの時代、エリートは殺され、能力のない人が残った。国民は何も考えず、上が決めたことに従った。所謂、ペットであった。アル中が多かった。2017年、カリモフ大統領が死に、経済政策をした。それまではビザが必要であった。 -
(車窓風景)アラル海に注ぐ川
-
(車窓風景)遠くにブドウン湖が見える。(天山山脈の水を集める。)
-
(車窓風景)遠くにブドウン湖が見える。(天山山脈の水を集める。)
-
(車窓風景)遠くにブドウン湖が見える。(天山山脈の水を集める。)
-
(車窓風景)時々、モニュメントが見られます。
-
(車窓風景)イスラムの墓地(土葬で頭をメッカの方向に向け、家畜が入らないように柵をする。スンニ派はソ連時代、墓地に写真を置いたが、今は、少なくなった。)
-
(車窓風景)トウモロコシの畑
ラクダについて、 -
(車窓風景)トリトコリのモスク
-
(車窓風景)トリトコリの町
-
(車窓風景)幹線道路(シムケントに向かう道路)
幹線道路より外れてオトガル遺跡に向かいます。 -
(車窓風景)馬
-
(車窓風景)塩湖?
-
(車窓風景)モスク
-
(車窓風景)モスク
-
(車窓風景)とある街への入口
-
(車窓風景)シムケントとトルキスタンを結ぶ鉄道駅「チムル」
-
(車窓風景)シムケントとトルキスタンを結ぶ鉄道駅「チムル」
-
(車窓風景)シャウリデルの町の公園
-
(車窓風景)シャウリデルの博物館
-
(車窓風景)天然ガスを運ぶ黄色いパイプ(天然ガスはカスピ海の東より取れます)
-
(車窓風景)遠くにオトラル遺跡が見えてきました。
-
(車窓風景)オトラル遺跡の城門
-
(車窓風景)
-
(車窓風景)
-
(車窓風景)
-
オトラル遺跡(入口)
オトゥラル丘遺跡 史跡・遺跡
-
オトラル遺跡(入口)
-
オトラル遺跡(遺跡図)
1218年、チンギス・ハーンがホラズム王国の町オトラルに450人の使節団を送る。(ハーンの使節を見下したようである。)団長のイブン・カフラジン・ボクラを含め、オトラル城主イナルチクは皆殺しにした。翌年、ハーンは復讐の為、町を攻め落とした「オトラル事件」という。これを機にハーンの西方遠征が始まり、ユーロッパに行く。オトラル城主イナルチクは両目・両耳に溶かした銀を流し込まれ処刑された。町も破壊されたが、モンゴルの支配下のオトラルは交通の要所で貨幣鋳造所もおかれ、復興した。ウズベクやカザフが統治するが、19C初頭に渇水すると廃墟になった。井戸跡もある。又、1405年、中国遠征の途中でチムールが没した場所でもある。
「オトラル事件」はモンゴル軍は15万人、地元は25万人で戦いの為に城壁を造った。モンゴル軍は1/3はヒヴぁ 1/3はブハラここには1/3の人を置き、戦いは数年続き、水・食料が無くなり終わった。戦いは城壁の外で行い、城内で1回戦いの皆殺しにしたという。 -
オトラル遺跡(遺跡図)(特に回った所の図)Noの解説もありますが、キリル文字で判読は分かりません。)
-
城門外の遺跡跡
-
城門外の遺跡跡の発掘の様子
-
城門外の遺跡跡(屋根が掛けられています。)
-
体を洗う所(青はチンギス・ハーンの時代の色)
本物は遺跡の下の方で上は後で造られた。ひげをそる所はカーテンがあった。 -
前景
-
サウナ(汗を流し、低い空間があり、温度が低いと高い部屋とが分かれていた。)オンドルの影響がある。
-
サウナ(汗を流し、低い空間があり、温度が低いと高い部屋とが分かれていた。)オンドルの影響がある。
-
本物は遺跡の下の方で上は後で造られた。
-
反対側よりの前景
-
奥の体を洗う所
-
他の遺跡跡
-
城門と城壁(13C当時の形はわからない。17-18Cの状態を想像で造った。」)
-
柱の間を大工が歩いていた。
-
城門近くの図
-
城門(役割は見張り台 灯台の役目 )
-
城門
-
城門の紋章
-
城門外側の下は堀
-
城門の内側(見張り台)
-
城門の内側(見張り台)
-
見張り台への階段
-
城門近くのオリジナルの壁の一部
-
城門近くのオリジナルの壁の一部
-
居住跡
-
後のろくろの部屋
-
後のろくろの部屋
-
後のろくろの部屋
-
19Cの天井のイメージ
-
カザフ時代の客をもてなすハナカ(風呂や客間がある。)
-
カザフ時代の客をもてなすハナカ(風呂や客間がある。)
-
カザフ時代の客をもてなすハナカ(風呂や客間がある。)
-
多くの塔があった所
-
多くの塔があった所
-
多くの塔があった所(中央奥は見張り台を置いた。)
-
井戸
-
お祈りをする前に足を洗う所(体を洗う時に耳・顔も洗う。へそより下は左手 へその上は右手 鼻水は左手 握手は右手)
-
井戸より高い塔を見る。
-
14-15Cの部屋
-
14-15Cの部屋
-
14-15Cの部屋(台所)
-
何らかの遺跡
-
何らかの遺跡
-
14-16Cの住居跡(復元)
-
遺跡の後ろの部分
-
遺跡図
-
花
-
オトラル遺跡の後ろの部分
-
オトラル遺跡(後ろの部分)
-
(車窓風景)博物館
-
(車窓風景)アルスタン・バブ廟近くのモスク
-
(車窓風景)アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)
-
(車窓風景)アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)
-
アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)
トルキスタンへの道でしたので、特別にバスを降り、近くで見られました。アルスタン バブ廟 史跡・遺跡
-
アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)
-
アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)入口
-
(車窓風景)アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)
-
(車窓風景)アルスタン・バブ廟近くのモスク
-
(車窓風景)アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)
-
(車窓風景)アルスタン・バブ廟(コジャ・ヤサウィの指導者の廟)
-
(車窓風景)再び草原の中を走ります。
①カザフ ②ウズベク ③キルギス
GPDは①世界で52位 ③世界で142位 ①天然ガスで金持ちになった。
①100-120万円/年 ③①の1/4です。
①は2000-2010年は何もしないで裕福であった。生ビールは8-12ドルでバブルであった。2014ー2017年は石油が安くなり、大変であった。
トルキスタンは人口7万人、昔はカザフの首都であった。 -
(車窓風景)踏切
-
(車窓風景)踏切
-
(車窓風景)シムケントとトルキスタンを結ぶ鉄道
-
(車窓風景)シムケントとトルキスタンを結ぶ鉄道
-
(車窓風景)トルキスタンの大学の建物(モスク)
-
(車窓風景)トルキスタンのRAの恐竜
-
(車窓風景)トルキスタンのRAの恐竜
-
(車窓風景)ここ数年の間に新しいHが造られた。(ガイドのソベットさんもコロナ後、初めての訪問で変わりように驚いていました。)
-
(車窓風景)ここ数年の間に新しいHが造られた。(ガイドのソベットさんもコロナ後、初めての訪問で変わりように驚いていました。)
-
バスより降りて、少し、歩きます。
トルキスタンの記念碑 -
新しくなったトルキスタンの様子(観光客を招くため)
-
新しくなったトルキスタンの様子(観光客を招くため)
-
トイレ内の足洗い場
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(境内図)
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(境内図)
-
15C末のRabia Sultan Begum廟(ラビア・スルタン・ベギム廟)
-
15C末のRabia Sultan Begum廟(ラビア・スルタン・ベギム廟)
-
15C末のRabia Sultan Begum廟(ラビア・スルタン・ベギム廟)
-
15C末のRabia Sultan Begum廟(ラビア・スルタン・ベギム廟)
-
ラクダ乗り場
-
クルウェット地下モスク(モハメッドが亡くなった年の63歳以降、コジャ・アフメド・ヤサウィが地下で隠遁生活を送った所(キリル文字))学者で預言者でした。
-
クルウェット地下モスク(入口)
-
クルウェット地下モスク(内部)台所(20-30人が居た。)
-
台所(20-30人が居た。)
-
台所(20-30人が居た。)
-
13Cの本物の木
-
13Cの本物の木
-
竈
-
当時の模型(6割がない。)
-
ドームの天井
-
模型
-
大釜
-
コジャ・アフメド・ヤサウィが着ていた服
-
絨毯
-
コーラン
-
全体
-
このように住んでいた。(自然に祈っていた。63歳で地下に入り、太陽を見ないで過ごした。1年間生きた。イスラム教は自殺は罪です。100歳まで生きたという話もある。蝋燭で過ごした。
-
別室の展示物
-
体を洗う所
-
展示物
-
体を洗う所
-
別室に入り、コジャ・アフメド・ヤサウィが隠遁していた地下室の入口(右側)
-
隠遁した地下の様子(模型)
-
この下の地下に住んでいた。(入口)
-
コーラン
-
左がクルウェット地下モスクの上に立つ建物
-
クルウェット地下モスクの隣のモスク
-
クルウェット地下モスクの隣のモスク
-
当時の井戸(昔、使った井戸)
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(12Cに活躍したスーフィー(イスラム神秘主義伝道者)でヤサウィ教を創設した人で63歳(預言者ムハンマドが亡くなった年に、地下に隠居し修行を積んだという。この廟はヤサウィ没後、チムールが創建した。ティムール朝(1370ー1507年)の創始者ティムール(14Cの中央アジアの覇者)は1402年、アンカラの戦いで、オスマントルコを破り、スルタンを捕虜にする。さらに、明を討とうと出発し、ここで1405年病死する。ティムールがダマスカスを攻撃したときに丸屋根を見て、取り入れ、ロシア建築やタージ・マハルの屋根の元にもなった。
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(12Cに活躍したスーフィー(イスラム神秘主義伝道者)でヤサウィ教を創設した人で63歳(預言者ムハンマドが亡くなった年に、地下に隠居し修行を積んだという。この廟はヤサウィ没後、チムールが創建した。ティムール朝(1370ー1507年)の創始者ティムール(14Cの中央アジアの覇者)は1402年、アンカラの戦いで、オスマントルコを破り、スルタンを捕虜にする。さらに、明を討とうと出発し、ここで1405年病死する。ティムールがダマスカスを攻撃したときに丸屋根を見て、取り入れ、ロシア建築やタージ・マハルの屋根の元にもなった。
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(前面)
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(入口上部)
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(入口)(部屋が40以上あり、見られるのは20位である。15年かかった煉瓦造りで漆喰(灰色)は当時のものです。写真も以前は禁止でしたが、撮影可能でした。
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(入口)(部屋が40以上あり、見られるのは20位である。15年かかった煉瓦造りで漆喰(灰色)は当時のものです。写真も以前は禁止でしたが、撮影可能でした。
-
入口を入り、ホールの前景(中央に大釜 奥にティムールの使っていた棒 その奥にコジャ・アフメド・ヤサウィの墓があります。)
-
入口の門(左右は当時の門)
-
入口の門(2つ)600年前の本物
-
入口の門(2つ)600年前の本物
-
ドームの天井
-
入口の大釜(銀銅で4トンの大釜で細菌が死ぬため、巡礼者の飲み水でした。)
-
ティムールが使っていた棒(9-10m)本物
-
ティムールが使っていた棒(9-10m)本物
-
ティムールが使っていた棒(9-10m)本物
-
ティムールが使っていた棒(9-10m)と天井
-
当時の展示物
-
当時の展示物
-
以後、小部屋を見学します。
①Big Akaaray(預言者の建物の一部)首都だっだ頃のカザフの国会議事堂のあたる。)
番号は訪れた部屋の順番です。 -
①Big Akaaray(預言者の建物の一部)首都だっだ頃のカザフの国会議事堂のあたる。)
-
②発掘したときの発見された遺体をここにまとめた。(カザフのエリートたちの墓)
-
②発掘したときの発見された遺体をここにまとめた。(カザフのエリートたちの墓)
-
青タイルは本物
-
③の手前のある墓石
-
③祈りの間(木彫りのドア)ヤサウィの墓(ティムールによりインドより運んだ大理石)「地球の歩き方」にはフィルムが白く感光されるのみと書いてありましたが?
-
③祈りの間(木彫りのドア)ヤサウィの墓(ティムールによりインドより運んだ大理石)「地球の歩き方」にはフィルムが白く感光されるのみと書いてありましたが?
-
ティムール当時の空気穴
-
⑤15-16Cのエリートたちの墓石(閉鎖中)
-
⑥カザフのエリートたちの会議所(モスク)閉鎖中
-
⑦図書館
-
⑦図書館
-
ホールの600年前の本物のタイル
-
ホールの600年前の本物のタイル
-
ホールのタイル
-
⑨食堂(全体)
-
⑨食堂
-
⑨食堂(窯)
-
⑨食堂(熱いご飯を巡礼者に出す入れ物。 本物)
-
⑨食堂(熱いご飯を巡礼者に出す入れ物。 本物)
-
⑨食堂(空気の出入り口)
ホールと通り、外に出ます。 -
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟を一周します。
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟周囲の高台より撮影しました。 -
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟周囲の庭園
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟周囲の庭園
-
高台より見るトルキスタンの町
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(一周して後部より撮りました。)
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(一周して後部より撮りました。)
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(一周して後部より撮りました。)
コジャ アフメド ヤサウィ廟 史跡・遺跡
-
家族の人々と写真を取り合いました。(日本人は珍しいようです。)
-
⑨図書館(外部より撮りました。)
-
⑨図書館(外部より撮りました。)タイル
-
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟(横)
-
城壁入口より外に出ます。
-
博物館
-
博物館
-
廟の周囲の遊歩道
-
夕食を戴いたR「Edema」(19:00-20:00)
-
R「Edema」(内部)
-
R「Edema」
-
R「Edema」
-
マッシュルームのスープ(ビールは4ドル)
-
マッシュルームのスープ(絶品でした。)
-
メインはスペイン風ビーフとデザート
-
2時間かけてバスでシムケントに行きます。
(車窓風景)シムケントで建設中の新しいモスク -
(車窓風景)夕日
-
(車窓風景)夕日
-
(車窓風景)シムケントのYuzhuo-モスク
-
(車窓風景)シムケントのデコレイトしたH
-
宿泊するシムケント・グランドHに22:35に着きます。
-
Hの部屋よりの遊園地の明かり
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
(49)2023年7月中央アジア(カザフスタン キルギス)9日間
-
前の旅行記
(49)2023年7月(1)カザフスタン・キルギス9日間(成田ー仁川ーウズベキスタン(タシケントーティムール...
2023/07/07~
タシケント
-
次の旅行記
(49)2023年7月(3)カザフスタン(シムケント タラズ(アイシャ・ビビ廟 タラズ市内 タラズの古戦場)...
2023/07/09~
その他の都市
-
(49)2023年7月(1)カザフスタン・キルギス9日間(成田ー仁川ーウズベキスタン(タシケントーティムール...
2023/07/07~
タシケント
-
(49)2023年7月(2)カザフスタン(オトラル遺跡トルキスタン(クルウェト地下モスク ホッジャ・アフメド...
2023/07/08~
シムケント
-
(49)2023年7月(3)カザフスタン(シムケント タラズ(アイシャ・ビビ廟 タラズ市内 タラズの古戦場)...
2023/07/09~
その他の都市
-
(49)2023年7月(4)キルギス(ビシケク アク・ベシム遺跡 バラサグン遺跡・ブラナの塔 クラースナヤレ...
2023/07/10~
トクマク
-
(49)2023年7月(5)キルギス(鷹狩 ジェティオグズ ドリーナ・スベトフ ドゥンガン・モスク ロシア...
2023/07/11~
イシククル湖周辺
-
(49)2023年7月(6)キルギス(イシク・クル湖クルーズ ヴォーン渓谷 ビシケク(国立歴史博物館 アラ...
2023/07/12~
ビシュケク
-
(49)2023年7月(7)カザフスタン(国境越 タムガリ(青銅器ー鉄器時代の岩絵(踊る人・馬・山羊・鹿・頭...
2023/07/13~
その他の都市
-
(49)2023年7月(8)カザフスタン(アルマトイ(パンフィロフ公園 ゼンコフ正教会 バザール 国立中央・...
2023/07/14~
アルマトイ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
シムケント(カザフスタン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
シムケント(カザフスタン) の人気ホテル
カザフスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
カザフスタン最安
740円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ (49)2023年7月中央アジア(カザフスタン キルギス)9日間
0
265