2023/03/05 - 2023/03/06
10位(同エリア1222件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35326件
- Q&A回答420件
- 5,369,302アクセス
- フォロワー666人
今回の旅は、宮崎6日間と大分2日間。調べると、宮崎県は前回が2008年10月。東国原氏が宮崎県知事をしていた頃で、宮崎市から飫肥を回ったのが最後です。その前は、2005年5月で高千穂。まだ健在だった高千穂鉄道で訪ねました。それ以来ですから、ずいぶん時が経ってしまいました。フォートラの会員になったのも2012年3月ですからね。宮崎の旅行記のアップがないのは当然です。
宮崎県が縁遠くなっていたのはいくつか理由があるのですが、一番はアクセスの困難さの割に、また行きたい見どころがどうしても思い浮かばなかったこと。宮崎神宮から青島、鵜戸神宮、飫肥城下。高千穂なら高千穂峡の真名井の滝、高千穂神社に天岩戸神社、夜神楽。初めて訪れると戦後しばらくは新婚旅行のメッカだったという青島や青島海岸の雄大なスケール感に驚いたり、天孫降臨の宮崎神話のリアルさにもちょっと物珍しくて新鮮な気持ちになりましたが、こんなところを一通り回ってしまうと、もうその次はほとんど思い浮かばない。日本の歴史と文化という視点から眺めると宮崎は正直かなり限界がありますからね。
今回もそんな状況は基本的に変わっていなかったんですが、渋々腰を上げたのは妹のリクエストがあったから。で、行くことを前提にもう一度、棚卸をしてみると、宮崎県の歴史と文化という視点に落とせばまあまあ面白そうなところがなくもない。ただ、やっぱりメジャーなスポットではないので、これは、例によって、訪ねてみないと分からないという手探りの旅にしかならないですけどね。反面、結局、その手探りが宮崎県の北から南まで宮崎縦断の旅6日間になって、さらに大分2日間の臼杵と湯布院までがくっつくというもの。まあ、結果的にはいつものなんでもかんでも詰め込んだ風の長旅ですが、それなりにレポートしていきますので、よろしくお願いします。
さて、旅の始まり、一・二日目は、宮崎市とその郊外を少し。街の記憶もほとんど残っていなかったので、その分新鮮な気持ちにもなれるかなあとか少し期待をしていましたが、結果としてはそうでもないですね。宮崎駅はきれいになっていましたが、宮崎市は宮崎市。宮崎神宮はじめ、レンタサイクルを使ってあちこち回っても、この感覚は基本的に想定の範囲内というところかな。市街の賑やかさがかなり限定的なので方向転換もできないですしね。そういう意味では、宮崎市街に限らず佐土原、清武を加えておいたのは正解。佐土原藩や清武城の関係は宮崎県の視野を少し広げてくれたように思います。ただ、これは旅のイントロ。宮崎県に目線を少しづつ合わせる序盤戦という意味で理解してもらえばいいかなと思います。
PR
-
宮崎へは福岡から飛行機で入りました。飛行機は小さいのにけっこうな急上昇。やっぱり飛行機はあんまり好きじゃないですね~
宮崎空港に到着して、少し空港内をうろうろ。
展望デッキにあがると、これは宮崎空港エアプレインパーク。といってもプロペラのセスナ機が一機置いてあるくらいの一角。セスナ機には「航空大学校」「がんばろう東北」とかロゴが入っていますが、どういう関係なんでしょうね。 -
こちらは、エアポートギャラリー。時々空港で見かけることがありますが、宮崎空港にもありました。浜田茂 癒しの風景展ということで、日南海岸等の宮崎県だけではなく、上高地や富士山などの風景写真が展示されていました。通路のような限られたスペースですが、こうして気軽に見れるところがエアポートギャラリーのいいところです。
-
ほかにも
派手なお土産物屋さんが多かったり、空港は華やかな雰囲気があって、やっぱり宮崎は観光立県ですね。 -
宮崎空港からJR宮崎駅へはJR宮崎空港線を利用することになります。
この区間は特急に乗っても特急料金は要らないのですが、知らなくてちょっと戸惑いました。 -
10分ほどで宮崎駅に到着。
宮崎駅の改札を出るとすぐ右手にトロピカルハウス JR店。太陽の恵みのオレンジ色を基調とするこちらもけっこう派手派手のおみやげ物ショップ。商品もマンゴーラングドシャ、宮崎チーズ饅頭、チキン南蛮棒とか、南国宮崎を全面的に押し出したコンセプト。ここでも観光地にやってきた感じがしてきます。 -
ここから佐土原の方に行くのですが、バスの待ち合わせ時間があって、その間に駅の周辺の散策です。
アミュプラザみやざきは、うみ館とやま館の二つがあって、うみ館の方は宮崎駅に隣接した方です。 -
1・2階の方はファッション雑貨店とかであんまり用事はないですね。レストランは上階の方。映画館なんかも入っています。
-
中にいるとあまり感じませんが、外から見るとけっこう堂々とした大きなビル。その大きさには少しびっくりします。
-
やま館はその先。通りを越えた向こう側です。
一階にはスーパーが入ったりして、地元のニーズにこたえている感じ。観光客にとっては特にどうということはないかな。ただ、建物の存在感はそれなりにあると思います。 -
駅の反対側。東口の方に移って
-
今度は宮崎科学技術館へ。宮崎駅からはすぐの場所です。
-
野外にH-Iロケットの実物大模型が展示されていたり、
-
建物もけっこう立派ですね。
-
月面探査機やはやぶさなど宇宙関係の展示が充実していて、
-
JAXA!種子島宇宙センターに比較的近いということもあるようです。
-
イチオシ
この日は子供向けのイベントをやっていたり、
-
施設は充実していて、スタッフの取り組みも活発です。
-
宮崎科学技術館の敷地の続きには宮崎市中央公園。
-
日本庭園のように整備された池を中心とするエリアと
-
運動場のような芝生の広場があって、規模はまあまあ。
宮崎駅に近いのが利点だと思いますが、まあ、宮崎は車で移動するのが普通ですからね。そこまでの利点でもないかもしれません。 -
では、ここからは宮崎交通の路線バスで佐土原に向かいます。
宮崎市の郊外も含めて、宮崎なら宮崎交通の路線バスがカバーしています。宮崎駅から佐土原の交流センターまで。所要時間は45分。料金は770円。地元で生活している人からすると宮崎市に出るだけでこの値段だとやっぱり高く感じるでしょう。
なので、高いからできるだけ自家用車を使うようになる。自家用車を使うからバスの利用者が減って、それがまた値上げの原因にもなるという悪循環にならないようにしないといけないんでしょうが、なかなか難しいところ。まあ、観光客としては上手に利用するしかないですね。 -
バス停を降りるとお目当ての宮崎市佐土原歴史資料館は、すぐ目の前でした。
-
外観は周囲を巡る白い漆喰の塀なんかも含めて
-
なんだかお寺みたいな感じですが、
-
イチオシ
これは、佐土原城の二の丸跡に、大広間、書院、数寄屋を復元し資料館としたもの。佐土原城は国の史跡だし、続日本百名城でもあります。
入ってすぐの正面が大広間。 -
その奥、左手が書院です。
これらの建物は、江戸期、佐土原藩の藩庁であって、いわゆる陣屋ですね。 -
陣屋建物としては高山陣屋が全国的に有名ですが、高山陣屋は代官所、郡代所の跡ですからね。幕末には全国に60ヶ所以上の陣屋があったようですが、藩の陣屋で残っているものだと柏原藩陣屋くらいじゃないでしょうか。中に入ると一気に厳めしい雰囲気を感じて、意外に印象に残ったのを思い出しました。
ただ、陣屋というのは城が持てるほど大きな藩ではない藩が政務を行うために建てたもの。平たく言えば城の代わりの建物なので、厳めしさや豪壮さがあるのは当然なんですけどね。 -
こちらも内部の豪壮な雰囲気は迫力があって、復元建物の域は越えているような気もします。
大広間を入った正面奥の部屋は佐土原人形の展示室となっていて、 -
その左手奥が藩主の対面所。
-
一段高くなった上座には、しっかり武者隠しなんかも備えています。
-
大広間から書院の方に移動します。
廊下を進んで -
そのまま書院へ。
書院は資料館となっていて、ここが入口です。 -
その前に一応ぐるりを確認。
-
始めに入った書院前の庭も眺めました。
-
さて、改めて。展示資料の方は、伊東四十八城をもって日向国を支配した伊東氏の時代から。伊東氏は曽我の仇討ちで知られる工藤祐経の孫、伊東祐持が足利尊氏から日向国都於郡に所領を与えられたのが始まり。その都於郡城と並んで拠点となったのが佐土原城なんですね。
国衆の立場だった伊東氏を守護の地位にあった島津氏に対抗できるまでに勢力拡大した日向伊東氏6代伊東祐堯。元々の居城である都於郡城から佐土原城に拠点を移し、さらに勢力拡大。島津氏の城であった飫肥城を落として伊東氏の最盛期を築き上げたのが日向伊東氏11代伊東義祐です。
しかし、その伊東義祐も島津義弘に木崎原の戦いで敗れると衰退。日向を落ち延びて、大友宗麟を頼ることとなる。ただ、その援助を約束した大友宗麟も耳川の戦いで島津氏に大敗。風前の灯火となっていくという流れです。
しかし、流浪の身となった伊東氏ですが、秀吉の九州平定軍の先導役を務めた功績により飫肥城を奪還、江戸期は飫肥藩5万石として生き残る。伊東義祐の働きは無駄にはならなかったということかと思います。
そして、江戸期の佐土原は、島津氏の実質的な支藩だった佐土原藩3万石。幕末西南戦争の際の佐土原隊の動きなども詳しく説明がありました。 -
ここからもう少し、佐土原の市街を回ります。
商家資料館「旧阪本家」は、佐土原城下の商人町にある江戸時代から続く商家の建物。建物はたぶん明治期に建てられたシンプルな瓦屋根の二階建てですが、軒の裏側が垂木も含めて白く塗られていて、ちょっと変わった印象ですね。
展示資料は地元に人が寄贈したものかな。暮らしの道具類です。 -
佐土原神社は、佐土原市街の脇を通る国道沿い。旧佐土原藩の初代藩主、島津以久と十代藩主島津忠寛を祀る神社で、創建は明治34年。
-
島津以久は、大隅国垂水の城主から国替え。忠寛は明治維新に勲功があった名君だそう。境内には立派な顕彰碑も建っています。
-
佐土原から、再びバスで宮崎市街に戻ってきました。ここから宮崎市街の北東部を歩きます。
まずは、宮崎県総合文化公園。 -
宮崎県置県100年を記念して、宮崎大学農学部跡地に整備された公園ですが、園内に同時に造られた施設が三つありまして。
-
右手のこれは県立図書館。
周囲に白い柱が建ち並んでいて、とても見栄えのするデザインです。 -
その対面がメディキット県民文化センターの愛称のある宮崎県立芸術劇場です。
パイプオルガンが設置されているアイザックスターンホールは、客席数1818席のオーケストラ専用ホール。客席数は1112席の演劇ホールもあって、宮崎県の総力を挙げた施設かと思います。 -
そして、正面が宮崎県立美術館。こちらもいわゆる巨大箱モノなんですが、神話の国、宮崎らしい天岩戸をモチーフにしたデザインとかにはユニークな印象がありますね。
-
では、拝見していきますよ~
-
「都井岬朝色」
塩月桃甫 -
「花盛り」
益田玉城 -
「お化粧」
瑛九
宮崎出身の代表的な画家として、塩月桃甫の風景画、益田玉城の美人画、瑛九の前衛的な作品を展示。特に、瑛九のコレクションが自慢のようで確かに異彩を放っていますね。ただ、全国レベルで見た場合というか黒田清輝の鹿児島県や福田平八郎の大分県と比べても、小粒感がなくもないかなとは思います。 -
県立美術館の裏手の方に出てくると
公園は十分な広さがあって、適度に日陰を提供してくれる樹木に囲まれた芝生の広場とか家族連れが遊ぶには最適ですね。 -
アクセスもいいし、公園としてのポイントはとても高いと思います。
-
ここからは、平和台公園を目指しつつの散策です。
皇宮神社まで来るともう宮崎市街のだいぶ端っこかな。
畑のような平地の続きに境内があって、ちょっと妙な場所。 -
ここは、神武天皇が15~45歳、東征するまで暮らした皇居の跡と伝わります。
いきなり”皇軍発祥の地”と書かれた煙突みたいな石碑があって、由緒ある地であることをアピールしています。 -
そのすぐ奥に鳥居があって、
-
小ぶりな社殿が建っていました。
-
少し飛び地のような場所ですが、これが皇宮屋。
神武天皇が東征するまで暮らした皇居の跡そのもの。
石の柵で囲われた聖地らしい雰囲気の場所があって、皇宮屋は皇宮神社も含めた広い範囲を指すのでしょうが、ピンポイントで言うとここだと思います。 -
少し移動して、景清廟です。
-
沙汰寺跡の境内に建つそこそこのお堂とその前に詳しい説明板がありました。
平景清は源平合戦で戦った平家方の武将。平家一門ではないようですが、壇ノ浦の戦いで捕らえられる。頼朝は非凡な武勇を惜しみ、自分に仕えるように望みますが、それを断るとともに両目をくり抜き、源氏への敵愾心を捨てた証とします。その後、日向にたどり着き、神仏を信仰して余生を過ごしたとありました。確かにこうして丁重な扱いがしてありますが、半分は伝説が盛られた人物のようにも思います。 -
景清廟からまたしばらく歩いてというか、山に登っていったところが平和台公園。けっこう大変な場所ですね~
平和台公園では高さ36.4mの平和の塔「八紘一宇の塔」が目当てでしたが、確かに大きいことは大きくて四隅の埴輪の像なんかもそれなりなんですけど、意外に感動がないような。黒ずんでいるのもあるし、それこそ煙突みたいでデザイン的な美しさがイマイチなのかな。神話の国、宮崎を象徴するモニュメントの一つなんでしょうが、ちょっと残念に思いました。 -
では、もう一つのお目当て、はにわ園に向かいます。
-
これがはにわ園。平和台公園の奥の方にありました。
-
宮崎といえば埴輪みたいなイメージがありますからね。
-
埴輪は人型の埴輪が中心で、武人や踊ったり歌ったり、楽器を弾いているようなのもあって多彩だし、
-
森の丘陵部に数多く並んでいて、なるほどそれなりの雰囲気はありますね。
-
ただ、逆にそれ以上のものでもないかな。
-
はにわの背後にある物語とかを想像できるといいんですが、そういう感じでもないし、あんまりじっくり眺めてどうというものではないような。
-
イチオシ
宮崎以外で見ると多少宮崎に思いを馳せられるんですが、現地で見ると逆に何の思いも湧いてこない。妙な感じになりました。
後で調べると、これらのはにわのモデルは宮崎で発掘されたものでもないよう。しかし、これが宮崎のお土産物になったりしたことで宮崎のイメージとなったんだとか。ちょっと愕然とする話です。
平和台公園からはバスがあって、バスで市内中心部に帰ります。 -
晩飯は、一番街へ。一番街は、宮崎市内中心部のアーケード商店街。宮崎市自体、さほどの賑やかさはないので、この商店街もけっこう限界があるのですが、まあ、それでもここをネガティブ評価するとどうにもならなくなりますよね。
-
晩飯は、その中ほどにあるあっぱれ食堂です。地元ではそれなりに人気があるようで、外観からしてけっこう活気を感じます。
-
いただいたのは宮崎なら基本のチキン南蛮。あんまり飾り気もないですが、まあ、普通においしいですね。一人で気軽に食べれるところもいいと思います。
-
今夜の宿は、近くの宮崎ファイブシーズホテル。値段が安かったので、ここにしましたが、ただ、そこまでチープな感じはしないかな。ごく普通のビジネスホテルといった感じ。一番街にも意外に近いし、宮崎駅からはそれなりに歩きますが、ここはここで便利に使える場所だと思います。
-
翌朝、宮崎市街の散策からスタートです。
小戸神社の祭神はイザナギノミコト。黄泉の国から帰ってきたイザナギノミコトが小戸の阿波岐原にて禊ぎをしたことが名前の由来。江戸時代には、小戸大明神と言われていたようです。 -
ただ、現在地に移転してきたのは昭和9年。それでも周囲を木製の透かし塀で囲まれた境内はすっかり落ち着いていて、すがすがしい雰囲気がいい感じです。
-
県庁の方まで戻ってきて。
宮崎県庁前楠並木通りは、長さで言うと数百mだと思いますが、100年を超える大木の楠は力強く周囲に枝を伸ばして、けっこうな迫力。 -
毎月第1・3日曜には「いっちゃが宮崎・楠並木朝市」が開催されるそうですが、確かにこの雰囲気はイベントの場としてもぴったりかもしれません。
-
県庁はスルーして、
-
これも近場の宮崎八幡宮。
-
永承年中(1050年)頃、この地方の開拓にあたった海為隆が橘大神と合わせて、宇佐八幡大神を勧請し開拓にあたったと言われる神社。赤い鳥居から中門、境内の本殿等がコンパクトに配置されていて、それなりの格調も感じます。朝の参拝者もちらほら見かけました。
-
また少し歩いて、
今度は大淀川のそばに建つ宮崎市観光ホテルです。
川端康成がここに滞在して、川端康成が初めてテレビドラマ用に書き下ろしたのがNHK連続テレビ小説 たまゆら。そんなことがあったんですね~
宮崎と川端康成の組み合わせはあまりイメージになかったので、とても新鮮に感じました。 -
ホテルの温泉もそれにちなんでたまゆらの湯と名付けられています。
-
大淀川の方に出てきました。宮崎市街の南側を流れる大河で、源流は鹿児島県のようですが、たまに水害が起きたりするので、私的には恐ろしいイメージもありますね。堤防から眺めた印象もそんな感じ。滔々と流れていて、何か起きるとどうなるか分からない。ちょっと不穏なものも感じてしまいます。
-
その大淀川の堤防の一角に整備された公園が橘公園。堤防の外側は、芝生の何でもない公園ですが、堤防から大淀川のほとりに下りていく方の円形の階段の造形はなかなか工夫をしていますね。堤防の機能を損なわずに川辺に下りていけるようにしたのは面白いと思います。
-
こちらは、たまゆらの湯 足湯。さきほどの宮崎観光ホテルの温泉、たまゆらの湯の源泉から湯をここまで引っ張ってきているのだそう。ホテルからはそれなりに離れていますけど、よくこうして整備されたものだと思います。毎朝、係の人が掃除をしているようだし、本当にご苦労様です。
さて、早朝の散策はこれで切り上げて、今度はJRで清武に移動します。 -
清武駅からまず向かったのは、安井息軒旧宅。地図で見ると近そうでしたが、実際には川向こうなのでかなり迂回をする必要がある。さらにはけっこうな高台にあって、ハードな道のりになりました。
旧宅は、このとおり何でもないような藁ぶきの一軒家ですが、国の指定史跡です。 -
旧宅の対面には宮崎市安井息軒記念館の看板。きよたけ歴史館がありました。
-
こんな田舎になんで?というくらい立派なのですが、この安井息軒は飫肥藩藩士の家に生まれ、幕府に招かれて昌平坂学問所の儒官となったほどの人物。江戸期儒学の集大成をしたという評価もある一方で、門下には谷干城や陸奥宗光など。多くの逸材が出たことも特筆です。今でもその徳を慕って、県外からの来訪者もそれなりに多いということでした。
-
敷地内には安井息軒廟というお堂も建っていて、なるほどそうした誇りを感じさせる施設です。
-
続いては、清武城址に向かいますが、これが意外にも峠道。安井息軒旧宅までもハードでしたが、またまたこちらもハードです。
-
清武の市街地から途中、宮崎自動車道を越えていった北側。道は悪くないですが、くねくね道をしばらく上がっていきます。
-
イチオシ
ひとしきり上った最後、あぜ道の先に雰囲気のある石碑が建っていました。
清武城は伊東四十八城の一つであり、島津氏の飫肥城攻めの後詰。佐土原城で触れましたが、都於郡城主となって以降、島津氏に対抗するまでに勢力を拡大した6代目当主、伊東祐堯。文明17年(1485年)、飫肥の島津攻撃に出陣する子、祐国をこの清武城で見送った後、ほどなくここで病死しています。
その後も飫肥を巡っては島津氏と伊東氏の長い攻防。最後はこの城址も飫肥藩伊東氏の領地となりました。 -
そういう意味だと伊東祐堯の墓も寄ってみないといけませんね。
墓は車の通りから脇にしばらく石段を上がった高台。 -
石垣で囲われた中に宝篋印塔が数基と梵字を刻んだそれらしい墓石が建って、立派な構え。どなたか掃除に来ていましたが、地元では今でも大事にされているようです。
-
もうひとつのお目当ては、船引神社。
-
イチオシ
神社の入り口に建つ大きな像は、船引神楽のもの。
神楽は、五穀豊穣や子孫繁栄を祈願して船引神社の境内で奉納される昼神楽。春分の日や年末年始に行われるようです。
赤い鬼の面をつけて手には扇子。この像を見るだけでもインパクトは大でしょう。 -
奥の社殿を拝見して、裏手に回ると
-
イチオシ
清武の大クス。宮崎県最大のクスだそうで、樹齢900年、根回り18m。国の史跡名勝天然記念物となっています。
古木ではあるのですが樹勢は良好。下部のどっしりとした姿の一方で、高く枝を伸ばしていて見上げた姿も素晴らしいです。 -
市街地に戻ってきまして。
交流プラザきよたけ 四季の夢は、小さな道の駅風の施設。野菜や果物など地元の特産品を置いています。 -
ただ、やっぱり目立っているのは、時期もあって、日向小夏。真っ黄色の柑橘ですが爽やかな酸味がおいしいですよね。全国発送なども積極的に行っています。
これで、清武は終了。 -
清武駅から宮崎駅に帰る前に宮崎南駅で途中下車して。
南宮崎駅からすぐのバスセンターと一体になった商業施設、宮交シティにも寄ってみます。イオンがキーテナントで、 -
一階が宮交シティバスセンター。建物の道路側、通路になった軒下をいっぱいに使っていて、見通しがいいので、バスが来たのがすぐわかる。ベンチも乗り場に近くていい場所に置いてありますね。
-
二階のレストラン街のガンジスでカレーをいただきます。
-
地元の人気店なんでしょうか。トマトとか宮崎の野菜のエキスがぎゅっと詰まったような味わい。そこまで辛くもないし、ファミリー向けの万人受けする感じかな。お店はなにげない構えですが、すごくおいしいです。
-
宮崎駅に戻ってきて。
ここからは、宮崎駅に入っている宮崎市観光案内所のレンタサイクルを利用します。 -
宮崎神宮や宮崎県総合博物館を目指しつつ。。
これは、江平子安観音。安産、子育て、開運にご利益があるという江平の観音様です。本堂はあんまりお寺のような感じはしなくて、絵馬があちこちにあるのもどちらかといえば神社に近いかもしれませんね。本堂前に子供を掲げる女性の像があって、それがちょっと印象的です。 -
大きな鳥居は宮崎神宮のものですね。
-
それをくぐってすぐにあるのは、堂々とした構えが目を引く真栄寺。浄土真宗本願寺派のお寺です。
-
創建は、大正2年。江戸時代、南九州の諸藩では禁教とされた浄土真宗ですが、この寺を創建したのは隠れ念仏の出身者のよう。悠々とした境内には、鉄筋コンクリート造りですが、立派な本堂に五重塔まで建っていて、ちょっと目を見張りました。その思いのほどが伝わります。
-
宮崎県護国神社は、宮崎神宮と同じエリア。ほとんど隣りのような場所ですね。
-
位置関係からして、宮崎神宮の境内に間借りしているのかなと思ったのですが、ちゃんと独立していて、それもしっかり広い境内。白い鳥居と本殿の正面に建ち並んだ白い柱の組み合わせにも統一感があると思います。
-
イチオシ
ほどなく、宮崎神宮の参道です。
参道の脇に少し入るとそれが宮崎神宮庭園。神社によくある神苑とかよく手入れされた日本庭園風の庭を想像していましたが、むしろ手付かずの原生林っぽい場所。南国の宮崎は、かつてはこういう風景があちこちにあったのかなあという感じですね。見上げる木々の高さも素晴らしいと思います。 -
さて、宮崎神宮は神武天皇ゆかりの神社。その他、崇神天皇や景行天皇が熊襲征討に際して造営を行ったとか、神話の故郷、宮崎ならではの天皇家との深い縁を感じさせる神社です。
-
ほか、ジャイアンツが必勝祈願をする神社としても知られていますね。
-
宮崎市内だとここが一番の観光スポットだと思いますが、逆に、宮崎市がこの神社のおかげで賑わってきたのかというとそういうことでもないですね。
-
宮崎市の歴史は基本的には明治以降。大淀川も飫肥藩と佐土原藩の境というくらいかな。
つまり、廃藩置県で、宮崎には延岡藩、高鍋藩、佐土原藩をまとめた北部の美々津県と都城と大隅国の一部、飫肥藩をまとめた南西部の都城県が誕生しますが、鹿児島県との統合を経た後、再々編によって、美々津県と大隅国を除く都城県が統合され、宮崎県となる。この時、その地理的な中心地である大淀川のほとり、今の宮崎市がたまたま県庁所在地となったという経緯なんですね。
宮崎市の中心部より、佐土原や清武の方が歴史の場所が多いというのは偶然ではないということでしょう。 -
宮崎神宮から宮崎県総合博物館に向かうと
まず現れるのは民家園。宮崎県内にあった150~200年前の古民家を移築した公園で、国の重要文化財である旧藤田家住宅、旧黒木家住宅。県の有形文化財である椎葉の民家、米良の民家の四棟が移築・保存されています。
軒先にはちょうど菜の花が咲いていて、どこかの村に来たような雰囲気ですね~ -
こちらは、旧黒木家住宅。
宮崎県の東部、高原町にあった郷士の建物で、黒木家は郡奉行の御用宿を勤めた家柄。建物は天保5年(1834年)から二年かけて建てられたものということも分かっているようです。「オモテ」と「ナカエ」という二つの棟をつなげたものですが、一方が平入り、一方が妻入りとなっているので、変化のある面白いデザインです。 -
もう一つの国の重要文化財、藤田家住宅は、宮崎県の北東部、五ヶ瀬町から移築されたもの。
外観はごく普通の茅葺の平屋建物なのですが、 -
間取りに特徴があって、「オモテ」と「ヘンヤ」の二つの部分からなっています。
天明7年(1787年)に建てられたことも分かっているということです。 -
その隣りというか、宮崎県総合博物館の同じ敷地内ですが、これは宮崎県埋蔵文化財センター分館。
-
県内各地の遺跡から出土した土器などの展示を行っています。
ただ、展示は周り廊下に設けられた展示スペース。施設としては、むしろ出土品の整理や研究を主体としていて、そういう意味だとなんとなく発掘現場の感覚に近いようなところです。 -
イチオシ
さて、改めて、宮崎県総合博物館です。
-
宮崎県の歴史と文化を総合的に発信する博物館ですから、そういう視点からだと宮崎神話をどのように扱うのか等とても興味があったのですが、結論から言うとスルーに近いですね。
-
例えば、古墳時代の日向は九州内で言えば福岡や熊本辺りの方が先進地という感じですからね。その分、アピールはしにくいのかもしれません。
-
一方で、江戸期の宮崎の版図。
薩摩藩領が少しありますが、その他は延岡藩、高鍋藩、佐土原藩、飫肥藩といった小藩に分かれていて、あまり統一感もないですね。たぶん、秀吉の九州平定後の政策も影響していると思いますが、何か説明が欲しいところです。 -
幕末から明治に入っての西南戦争とか鹿児島県との関係はやはり濃厚。
-
宮崎でも深い傷跡を残したことが窺われました。
-
最後は、宮崎市の海岸部へ。
なかなか距離があって大変でしたが、みやざき臨海公園までやってきました。 -
ただ、芝生の丘に
-
ヤシの木がまばらに生えて、
-
海の青さに白い砂浜との組み合わせは、南国宮崎らしい開放感あふれる風景。
-
これは予想を上回る素晴らしさですよ~
-
イチオシ
南国らしい風景だと青島がありますけど
宮崎市内ならみやざき臨海公園みたいな感じかな。これは来た甲斐がありましたね。
少し宮崎市を舐めてましたけど、これで大逆転になったと思います。 -
少し南に進んで、これは一葉稲荷神社。宮崎では決してメジャーな神社ではないのですが、近ごろパワースポットとして注目されているようです。参道の赤い千本鳥居を抜けた平地が境内。
-
海にも近いし、潮害にあったこともあるのでしょうが、それを乗り越えてきているということかな。白兎が波を蹴って津波から神社を救ったという言い伝えなど。実際にそういうことがあったのかもしれません。
レンタサイクルは、これでおしまい。一路、宮崎駅に帰ります。 -
夕方、遅れてきた妹と宮崎駅で合流。ここからは二人旅となります。
早速の晩飯は、味のおぐら 本店で。名物のチキン南蛮をいただきました。 -
イチオシ
もう少し、こってりうまみのあるチキン南蛮なのかなと思っていましたが、意外に淡白。あまり手を掛けないでシンプルに仕上げた感じといったところです。まあ、リピーターからするとこのくらいの方が飽きが来なくていいんでしょうね。
なお、夕方はそれなりに混みますが、回転もいいので待ち時間はあってもそれほど心配はしなくていいと思います。お店も手慣れた感じで客を捌いています。 -
今夜の宿は、ニューウェルシティ宮崎。宮崎科学技術館の奥で、駅に近いといえば近いのですがちょっと微妙な距離かもしれません。
建物は大きくてがっちり。どうかすると公共の建物みたいな雰囲気があって、ロビー周りも悠々。とっても安心感があります。
ただ、一方で部屋は昭和の雰囲気もある飾り気が全くない和室。かなりギャップがあって、苦笑いでした。
明日からはレンタカーの旅。まずは日南方面を回ります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
たびたびさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
135