2023/03/07 - 2023/03/07
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たびたびさん
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旅の一・二日目で宮崎市街は終えて、三・四日目は宮崎市を出発、宮崎市以南と以北をレンタカーで巡ります。三日目の今日は、宮崎市以南。青島周辺から始まって、堀切峠、鵜戸神宮、飫肥城下。四日目のことを考えてその日のうちに宮崎市内に戻ってこないといけないので時間があれば油津まで行けるかなあくらいのつもりだったのですが、思い切ってとうとう最後は都井岬まで足を延ばすことに。それにしても、都井岬は野生の馬がいるのんびりしたイメージしかなかったのに、海岸沿いの急峻な崖を上っていくアクセス道路は心細くて怖いくらいの悪路。実は雄大でワイルドな地形なんですね。それまでの日南海岸を行くのんびりムードのドライブが一変して、ドキドキしながら緊張感のあるドライブとなりました。ただ、都井岬の秘境感や野性味あふれる空気感は別次元。草を食む野生馬が間近に見れるし、高原から海を見下ろす景色もなかなかダイナミックで、ネットの事前情報でも高評価が多かったのは至極納得のたびたびです。
ちなみに、この野生馬のルーツは江戸期、この辺りを飛び地領地としていた高鍋藩が牧場を営んだことから。英断だったような気もするし、逆にそれくらいしか利用価値がなかった場所なのかもしれませんけどね。
都井岬のことを先に触れてしまいましたが、今回の旅の範囲は都井岬も含めて日南海岸国定公園。宮崎観光だともうひとつ高千穂はありますけど、そもそも一般的にはこの日南海岸が宮崎観光の8~9割くらいを占める感覚かなと思います。そして、日南海岸でも、双璧は青島と鵜戸神宮。それに次ぐのが飫肥城下という順でしょう。
まずは、青島ですが、青島には天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)とその妃、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀る青島神社があります。天津日高彦火火出見命は、天孫降臨のニニギとコノハナサクヤヒメの子、海幸彦・山幸彦の山幸彦のこと。海幸彦に借りた釣り針を探しに訪れた竜宮で出会ったのが海神(わたつみ)の娘、豊玉姫命です。青島は、山幸彦が竜宮から帰還した際、ここに上陸し、宮を営んだとされる地。鬼の洗濯岩が広がる奇景と日向灘に面した20㎞以上の海岸線を望むダイナミックな眺めだけではなく、宮崎神話の要所となれば宮崎観光必須の場所となるのは当然です。
一方の鵜戸神宮は日子波瀲武鸕?草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)を主祭神とする神社。日子波瀲武鸕?草葺不合尊は山幸彦の子であり、息子は初代の天皇、神武天皇です。本殿の鎮座する岩窟は、母、豊玉姫が日子波瀲武鸕?草葺不合尊を産むために産屋を建てた場所とされていて、これも宮崎神話の要所であることは間違いないですね。これに対し、宮崎神宮は神武天皇が主祭神。神社の始まりは神武天皇の孫、健磐龍命(タケイワタツノミコト)が神武天皇の命により九州東征のため、宮崎に立ち寄り神武天皇の宮殿跡にその神霊を祀ったことから。それはそれで十分に神話の世界なのですが、少しワンクッションあるような感じがするし、私的には神武天皇の神社は奈良の橿原神宮というイメージが強いです。そういう意味では唯一無二的な青島神社、鵜戸神宮のパンチ力と比べるとやや落ちる印象は否めませんね。また、鵜戸神宮は、岩窟もそうですが、名勝、鵜戸と呼ばれる海岸の絶景は砂岩泥岩互層が波の浸食を受けて形成されたもの。鮮やかな赤い社殿とのコントラストも効いていて、スカッとした気分になるのは請け合いです。
ところで、前回の旅行記でも触れましたが、青島、鵜戸神宮、飫肥城下は当然として、その南、飫肥杉の積出港として栄えた油津までは、すべて飫肥藩領。宮崎市からかなり南に下った場所というイメージが強い飫肥ですが、こうしてみると飫肥藩は田舎の藩ではない。宮崎の心臓部をしっかりと領していたことがよく分かると思います。曾我兄弟の仇討ちの仇、工藤祐経の子孫である伊東氏が鎌倉から下向し、日向の地で力を蓄える。少し紆余曲折はありますが、ライバル島津氏から奪った地を秀吉に認められて幕末まで。領内、宮崎神話ゆかりの地を大切に守るだけでなく、幕末に安井息軒や小村寿太郎を輩出したのもまた面目躍如といったところかと思います。
ということで、ある意味でいえば、今日は宮崎の旅のハイライト。お天気にも恵まれたし、宮崎のどこか突き抜けた明るい空気感をお伝えできればと思います。
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今日からはレンタカーの旅。
事前に宮崎駅の近くでレンタカーを探して、このオリックスレンタカー 宮崎橘通店にしました。
二日間借りて、一日目の今日は宮崎以南。青島から、鵜戸神宮に飫肥。前回はバスで回ったのですが、今回はレンタカーなので効率が全然違いますからね~オリックスレンタカー 宮崎橘通店 乗り物
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まずは、宮崎市街の海側、宮崎港へ。
この辺りは元々の地形は太平洋に向かっての単調な海岸線だったと思いますが、沖合に大規模な埋め立て地を作ってそれを堤防代わりとした港。埋め立て地との間の運河のようなところに大きな船が泊まっていて、なかなか壮観な眺めでした。宮崎港 乗り物
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宮崎港から青島を目指します。
気が付くと一ツ葉有料道路。海岸線に沿って南北に走るバイパスのような役割の道路ですね。高速道路のように見通しが良くて気持ち良く走れるし、たぶんこれを使わないとかなり遠回りになったりするのではないかなと思います。 -
青島への途中、見えてきたのはひなた宮崎県総合運動公園。
ダルビッシュほかあのWBC日本代表が事前の強化合宿をしたということで注目されていたスタジアムがありました。海にも近い広い平野の中に建つ巨大な建物はジャイアンツのキャンプ地でもあるようですが、かなり立派。宮崎にはこんなにいいものがあるんだなと少し驚きました。 -
もう一つ気になっていた木崎浜へも寄ってみます。
ソラシドエアサーフィンセンター木崎浜は、木崎浜の北側に建つサーフィンのサポートセンターといったところ。コンクリート造りのしっかりした建物で、何にもない砂浜にこれがあるだけでもかなりの安心感があるのではないかと思います。ソラシドエアサーフィンセンター木崎浜 ビーチ
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そして、これが木崎浜海岸。宮崎市の郊外。南側すぐといった場所ですが、けっこう海岸線が長く続くスケール感ある砂浜。平日の朝早くから大勢の人がサーフィンを楽しんでいました。
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もしかしたら通勤前にここでサーフィンをしている人もいるのかな。それくらい便利な場所ですよね。宮崎はもしかしたらハワイみたいな感覚もあるのかもしれません。
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こどものくには、青島にもほど近いエリア。17万㎡もの広大な敷地にパークゴルフ場があったりして、一日でも悠々とした気分で過ごせます。
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こういうスケール感は宮崎ならでは。いくらでも土地があって、いくらでも利用できるといった感覚でしょうか。
日本は平野が少ないとか、そういう一般論とは無縁な県ではないかと思います。 -
では、青島のエリアに到着。小さな有料駐車場に車を停めて。。
AOSHIMAYAは、表通りから青島に向かう参道に入って行く角にあって、青島に行くには必ずここを通るといった場所ですね。食事処とかも備えていてそれなりに大きなお店です。ただ、お土産ならやっぱり定番のチーズ饅頭かな。実際においしいし、私は一押しです。 -
青島に向かって、ほどなく海辺に出てきました。
AOSHIMABEACH PARKは、これから青島に渡るぞという最後のところ。
海岸沿いにあって、黄色いポストの奥にはヤシの木の下にいくつものテーブルが並んでいます。まだ人影は見えませんでしたが、リゾート感いっぱいのスペースが確保されています。AOSHIMABEACH PARK 温泉
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その前に広がるのが青島海水浴場。青島を望んで穏やかな砂浜です。
場所が場所だけに目の前の青島がどうしても目に入るのですが、圧巻は北側の眺め。遠くシーガイヤリゾートまでも見通せる遥かな眺めは、青島ならではの壮大なスケール感。一目で20㎞以上はあるのですが、初めてこれを見た時はあまりのスケール感に驚きました。ただ、写真ではなかなかそこのところがしっかり伝わらないのが残念なところ。かつては、ここが新婚旅行のメッカだったというのもそれなりに分かる気がします。 -
青島にはこの橋を渡ります。
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砂地の中に参道が通っていて
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周辺には、例の鬼の洗濯板。
鬼の洗濯板 自然・景勝地
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イチオシ
中新世後期に海中で形成された水成岩が隆起。その後、波に洗われて固い砂岩層だけが残って、洗濯板のように重なって見えるようになったというものです。奇景といえば奇景ですが、きれいに筋が並んでいて心地よい眺め。表面は割と滑らかなので、歩いて沖の方まで行くこともできます。
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青島の中心は、この青島神社。
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その由緒等は冒頭に触れましたが、
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鵜戸神宮なんかに比べると意外にこじんまりという感じもしなくはないんですよね。
ただ、神域はこの青島全体ですから、その自然を必要以上に侵さないという意味ではこれくらいがほどほどのところかもしれません。 -
では、神社の前に建つ日向神話館へ。
宮崎神話のストーリーを分かりやすく説明する蝋人形展示がメインの施設です。日向神話館 美術館・博物館
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まずは、宮崎神話に登場する人物の紹介です。
ちなみに、宮崎神話のスタートはニニギノミコトの天孫降臨。
対する出雲神話は、スサノオノミコトのヤマタノオロチの退治やその子のオオクニヌシノミコトの物語で、ハイライトは国譲りのためのくにびき。葦原の中つ国の支配権を高天原のアマテラスオオミカミの裁量に任せる条件が整っての天孫降臨ですから、出雲神話は宮崎神話の前の話という関係です。 -
アマテラスオオミカミに命じられ、アマテラスオオミカミの孫、ニニギノミコトが高天原から地上に降りる天孫降臨の場面。
アマテラスオオミカミから、稲の穂と神の三つの宝である鏡・曲玉・剣を与えられています。 -
ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメとの出会い、結婚。しかし、父親から美人ではない姉の方ももらってくれと頼まれます。それを拒んだことで、ひと悶着。
コノハナサクヤヒメは産屋に火をつけ、燃える火の中で生まれてきたのが、海幸彦、山幸彦です。 -
ウミサチヒコとヤマサチヒコの物語は有名ですよね。
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釣りの道具と狩りの道具を交換してお互い試してみますが、さっぱり。
おまけに山幸彦は釣り針をなくし、海幸彦からそれを返してくれと強く迫られます。
困った山幸彦は、シオツチノオジに送られ海神の宮(わだつみのいろこの宮)を目指します。 -
海神の宮で、山幸彦がトヨタマヒメと出会う場面。
井戸に水を汲みに来たトヨタマヒメは木の上にいる山幸彦に気づきます。 -
山幸彦は、海の神から歓待を受け
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気が付くと3年の月日が流れていました。
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山幸彦が探していた釣り針は鯛の口に引っかかっていました。
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イチオシ
それを持って山幸彦は地上の世界に戻ります。
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しかし、怒りが収まらない海幸彦。
山幸彦は、海の神様からもらった魔法のたまで海幸彦を溺れさせ、改心させます。 -
タマヨリヒメは子供を宿していて、その子ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトを産みます。
しかし、産屋を除いてしまったため、タマヨリヒメは去り、代わって、トヨタマヒメの妹のタマヨリヒメが育てることに。 -
ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトはタマヨリヒメと結婚。その子、カムヤマトイワレビコが後の神武天皇。
日向を出て東征し、大和を平定。天皇の時代が始まります。
出雲神話に比べるとスケール感は少し落ちるような気もしますが、物語はリアルで具体的。大国主命から葦原の中つ国を譲られてすんなりということではなくて、それなりに苦労を重ねた時期がありましたという感じかな。分かりやすい内容だと思います。 -
青島から戻って、宮交ボタニックガーデン青島にも寄ってみます。
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入り口のヤシの並木から始まって、
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イチオシ
青々とした芝生の広場とか。
無料の施設なんですが、目に痛いくらい鮮やかで美しい光景が現れて、これはとても素晴らしいですね。 -
園内には温室の青島亜熱帯植物園もあって、これはちょっとした癒しの要素かな。
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イチオシ
それに、宮交ボタニックガーデン青島の美しさもあるし、この温室内の植物園の美しさもあるので、二重の意味で見応えがあるように思います。
青島周辺の施設としてここは必見かと思います。 -
青島を出発して、南に向かいますが、少し進んで白浜海水浴場にも立ち寄りです。
国道から少しわき道に入るのでどうかなと思いましたが、ここはここでそれなりにいい眺め。青島を側面から見る景色とその向こうにはシーガイヤリゾートもちらり。海岸には鬼の洗濯岩と砂浜が適度に混じって、これも雰囲気があると思います。 -
さて、いよいよ堀切峠を越えると日南海岸。宮崎らしい南国の風景が現れます。少し駐車場のスペースもあるので立ち寄ってみましたが、ただ、高い場所にあるのに、視界がそれほど広くなくて
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海岸の方もかなり下の方ですから、景観としてはイマイチですね。
長居するような場所ではなくて、むしろスルーでもいいかもしれません。 -
堀切峠を越えて少し下っていくと道の駅 フェニックス。
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柑橘類とか産直のコーナーを少し確認して
通りの向かい側の展望所へ。 -
イチオシ
ほ~、これはいいですね。
鬼の洗濯板に白波が打ち寄せて、とってもダイナミック。堀切峠に比べるとずっと視界が広くて、日南海岸の南国らしい雰囲気が伝わってきますよ~
日南海岸ロードパークの一番のビュースポットはここだと思います。 -
気分がまた出てきたところで、富土海水浴場は、堀切峠からサンメッセ日南に向かう途中。国道220号線からわき道に入って、集落を越えたすぐのところです。
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ほどよい湾になった砂浜のビーチは穏やかな眺めですが、これも太平洋に面しているからでしょうか、正面に見える水平線はやっぱり大海原のもの。こじんまりしているようでも、雄大さも併せ持った海水浴場だと思います。
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ほどなく、サンメッセ日南に到着。
ここのモアイ像は日南海岸を代表するビュースポットとしてとても有名ですからね。私は今回が初めての訪問です。 -
太平洋を望む斜面いっぱいに整備された公園。
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駐車場から、モアイ像の広場に向かいますが、
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振り返ると海に山が迫った海岸線。
青島あたりまでの単調な海岸線とは明らかに違いますよね。 -
ここはけっこう高い場所なので、そうした地形がよく分かります。
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さて、一番人気のモアイ像です。早い時間で少し逆光になっていましたが、まあ、それはそれ。青い空をバックに並んだ像はすっかり日南海岸のシンボルとなっていて、確かにこれを眺めていると宮崎に来たんだなという気持ちがまた新たに湧いてきます。
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いろいろ試しながら撮って見ますが、
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イチオシ
これくらいがギリギリかなあ。
男の子たちのグループが入ってしまいますが、その方がサイズ感がよく分かっていいと思います。 -
モアイ像から見上げるとこんな感じ。
まだまだ探索したいような気持ちにもなりますが、先は長い。モアイ像を確認したことで良しとしたいと思います。 -
続いては、鶉戸神宮。
冒頭に触れましたが、こちらは初代天皇のお父さんを祭った神社です。 -
それにしても、雲一つない青空に
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こちらの鮮やかな赤の建物はよく映えます。
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楼門を過ぎて本殿に向かう参道にも海側には赤い塀が続いて
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その向こうには、名勝、鵜戸と呼ばれる奇岩の景色。
もうここからしてテンションは爆上がりですね~ -
橋を渡って、
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イチオシ
ここから本殿が建つ岩窟の方に下りていくんですが
この美しさはザ・宮崎といってもいいくらい。 -
こんなに風光明媚で、奇抜なサプライズもある神社は、少なくとも宮崎ではほかにないですよね。
こうした大自然のインパクトを活かしているという意味では、全国的には熊野三山や出羽三山がありますけど、それらは山岳信仰の要素が入っていてちょっとおどろおどろしい雰囲気がありますから、ちょっと違いますね。このどこまでも明るくて爽やかな清々しさは伊勢神宮の方が似ているかな。それは、もしかしたら例えば自然や見えないものへの畏怖ではなくて、日本人のルーツに対するリスペクトが基本となっているからかもしれません。 -
さて、これが岩窟の入り口で
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これがその奥に建つ本殿。
岩の隙間にすっぽりハマるように建っていて、本当にお見事です。 -
再び外の展望所で
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改めて奇岩を間近に拝見。
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隆起した砂岩泥岩に打ち寄せる波が荒々しくて、
太平洋のエネルギーをここで常に補給してもらっているような感覚にもなりますね。 -
その手前には、名物の運玉投げ。
豊玉姫が乗ってきたと伝えられる亀石のくぼみをめがけて運玉を投げ入れます。
まあ、これはお遊びなんでしょうけどね。
これで予定通り気分はすっきり。妹も満足したところで、続いて飫肥に向かいたいと思います。 -
飫肥城に一番近い無料駐車場に車を停めて、ここからは歩いての散策です。
その脇に建つ大手門観光センターは観光案内所。しっかりした建物なので、すぐにそれと分かります。周辺を効率よく歩くにはまずここでマップをゲットするのがいいですね。歩く範囲は限られていますが、見るべきポイントはけっこう細かくあるので役に立ちます。
なお、日南市観光ガイドボランティアというのもあるようですが、それは予約が必要です。 -
無料駐車場から城とは反対側、奥の方に進んだところには、四半的射場がありまして。
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温泉地にある遊技場のようなものを想像していましたが、屋外に設置されたまあまあ本格的なもの。畳の縁台に座って、数メートル先の的に矢を射かけます。女性でも気軽に試していて、楽しそうでした。
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そして、昼食はおび天蔵へ。
これも駐車場のすぐそば。飫肥城に向かう大手門通り沿いの人気店です。 -
入り口には、さつまあげの売り場があって
その奥が食事処。 -
名物の玉子焼きが付いたおび天定食をいただきました。さつま揚げとか地元の郷土料理といった感じでちょっとほっこり。
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イチオシ
玉子焼きの方は初めてでしたが、寒天で固めた風な玉子焼き。飫肥の玉子焼きはこういうものだったんですね。まあ、そんなおいしいというものではなくて、とにかく一風変わっています。
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では、飫肥城の方に向かって行きますよ~
正面が大手門で、この通りの両側にいくつか見どころがありますからね。 -
大手門に向かって右手にあるのは小村寿太郎記念館。
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前回も訪ねているのですが、
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なんかリニューアルしたような感じ。
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まだほやほや感が残っていて、妙に立派なことになっていますよ~
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ところで、二度の外務大臣を務め、中でもポーツマス条約を調印し日露戦争を終結に導いた小村寿太郎。
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地元の生んだヒーローですから当たり前かもしれませんが、生い立ちの紹介からして、その優秀性をこれでもかというほどアピールしていてすごい気持ちの入れようですね。
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ちなみに、小村寿太郎は日露戦争後の講和条約締結の日本代表。ハーバード大学で法律を収めた秀才中の秀才です。ポーツマス条約によって朝鮮、満州からロシアの権益を排除し、南樺太の割譲まで勝ち取ったのですが、賠償金を得ることができなかったことで国民には大不評。しかし、現実には日本には戦争継続の余力は残っておらず、そのあたりの厳しい葛藤をもう少し解説してもらうと氏の功績もさらに光るかなとも感じました。もう少し加えると
「ローマ人の物語」の作者、塩野七生は国が亡びるのはエリートの崩壊といったことを言っていますが、もっと言えばエリートの矜持の崩壊。民主主義は基本にしても、多くの国民の非難を受けても正しい道を指し示そうとするエリートの矜持こそが小村寿太郎の賞賛に値する点ではないかと思います。
反面、敵に弱みを見せないという意味ではその現実を国民に広く知らしめることはできず、そうしたことがさらには太平洋戦争に続く実態を世間に知らせない先例になったきらいもあるかもしれませんけどね。
ただ、そうしたプラスとマイナスは交じり合いながら時代は進んでしまいました。私は、戊辰戦争から太平洋戦争まではつながっているというのが持論。まだまだその視点での検証は不十分なような気がするのですが、いかがでしょうか。 -
旧伊東祐正家住宅は、飫肥藩主伊東家の分家筆頭である左門家の家柄であったという伊東祐正の家屋。
小村寿太郎記念館の敷地の中に、何も説明もなくただ建っていました。現在の建物は明治初期の火災後建てられたもののよう。武家屋敷の様式も残しているとの情報もありますが、あんまりよくわかりません。 -
小村寿太郎記念館の向かい側。飫肥城に一番近い武家屋敷跡、豫章館です。
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かつては藩主の別邸。もともとは家臣(御三家)の屋敷だったらしいのですが、藩主は飫肥藩知事に任命されてから城内から移り住んだとのことです。
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大きいといえば大きいのですが平屋で開けっぴろげな感じ。
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正直、あまり豪華な印象はありませんね。
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庭の方は一応芝生は植えてあるようですが、屋敷の平庭としてはかなりの広さ。その平庭の中央部にソテツなどを寄せ植えした一角とつつじの塊が少し。凝った意匠もなくかなりシンプルですが、城のすぐそばにこれだけの規模の屋敷を構えていることにまずは大きな価値があるんだろうなと感じます。
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で、たまたまやっていたのが飫肥のひな飾り。
縁側からそれぞれの部屋に飾られた雛飾りを眺められて、 -
つるし飾りもほどよい感じ。
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穏やかな初春の雰囲気がして、けっこう楽しめました。
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今度は大手門から
飫肥城の中に入ります。 -
桝形から
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幅の広い石段を上がって
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大きな広場に出まして。
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そこからさらに幅広の階段をもう少し上がります。
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飫肥城には当時の建物は残っていませんが、昭和54年に藩主の御殿を復元した松尾の丸という建物がこの先、一番奥の方に建っています。
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玄関を入って、奥へ。
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江戸時代初期の書院造りの御殿ということで、御座の間から、茶室、御寝所、湯殿、台所など20以上の部屋があるけっこう壮大な規模なんですね。
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そのスペースを使って、ここでも飫肥のひな飾り。
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各部屋には
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ひな祭りに関連した展示や
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これは常設展示ですけど
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段飾りが
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あれこれとあって
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なかなかいいじゃないですか。
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特に、この湯殿が自慢のようで、秀吉が聚楽第で使用した湯殿を復元したものだとか。そういう意味ではちょっと場違いな感じもしなくはないですが、いろんなことを含めて飫肥城の歴史の重みをそれなりに感じられる建物にはなっていると思います。
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飫肥城を出て、今度は武家屋敷の方へ。
飫肥城の大手門前から東に向かう通りが飫肥城下町武家屋敷通りです。大手門の正面の通りとともにここも飫肥重要伝統的建造物群保存地区の中心をなしていて。
両側には武家屋敷の堅牢な石垣と生け垣が直線に続いていて、いかにも重伝建の雰囲気がムンムンといったところです。 -
飫肥城下町武家屋敷通に入ってすぐの左手に小村寿太郎生家。小村寿太郎は、飫肥城下の町役人の長男として生まれたということですが、これだけ飫肥城に近いところですから、それなりの地位だったのかなと思ったらそうでもない。
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誕生地はここではなくて、大手門の前の通りを商人町に近い辺りまで下ったところ。小村家はいったん破産し、別のところに建てられていた建物が大正10年にここに移築されたもののよう。場所の割にちょっと粗末な感じであると感じましたが、そういう事情のようです。
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旧伊東伝左衛門家は、さらに進んで飫肥城下町武家屋敷通の東端。
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飫肥藩主の係累で代々家老職を務めた伊東家の分家筋。典型的な上級藩士の住居です。
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建物はサッシが入っていたりしてあまり気分は出ないですが、庭の方はそれらしい石組に石灯籠が配された土塁状の築山が見られたりして、それなりの格式も感じます。
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飫肥城下町武家屋敷通の東端から少し北に上がったところが振徳堂。
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飫肥藩の藩校として、天保2年(1831)、藩主祐相が創建。幕末、清武町から安井息軒を教授に招き、小村寿太郎も輩出したというのは輝かしい歴史です。
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ちなみに、安井息軒が江戸で三計塾を開いて多くの人材育成を図り、将軍直参の職、大儒官となるのは、この後のことです。
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大手門の正面の通りに戻ってきて、
その通りをしばらく下っていきますと -
これが旧山本猪平家。
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飫肥杉を取り扱う材木商であった豪商山本猪平が
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明治40年代に、隣接する小村寿太郎生家の土地を買い取り新築した家屋です。
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タイル装飾の玄関口とか座敷の方もなにか小洒落た感じがあって、
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粋なセンスも感じます。
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保存状態も良好なので、このまま住めそうな感じです。
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で、これはお隣りの小村寿太郎生誕地碑。
小さな公園のようなスペースには見上げるような高さの立派で堂々たる石碑が建っていました。碑面は元帥東郷平八郎の書だということです。
小村寿太郎記念館に、生家とこの誕生地碑。けっこう念が入っています。 -
さらに下って。
旧高橋源次郎家は、明治時代の飫肥の実業家で貴族院議員も務めた高橋源次郎の旧宅。市街の大通り沿いに白い漆喰の塀に囲まれたお屋敷です。 -
中は旧山本猪平家と同じく、家屋内も含めて、自由に見学可。
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風情のある路地庭や客間のしっかりした意匠など。
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こちらも保存状態は良好です。
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続いては、同じ通り沿いにある商家資料館へ。ここまで来ると飫肥城の周辺エリアからは少し離れた場所。ただ、ここにも駐車場があるので、車の方は直接ここに来ることをお勧めします。
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飫肥市街の大通り沿いですが、この大通りは飫肥城下町の商人通りだった通り。この建物も江戸時代の山林王、山本五兵衛が建てた建物です。
蔵造りのような建物ですが、内部は悠々としたスペース。 -
土間の方には、
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当時、商家で使われた秤や桝、そろばんなどの道具類がきれいに展示されていました。
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また、奥の展示の打掛なんかも見事でしたが、
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これはひな祭りに関連した展示だったかもしれません。
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飫肥は飫肥杉が名産ですから、
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山林王というのも、藩の後押しがあっての御用商人だったかもしれません。
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少し離れますが、これは勝目氏庭園。飫肥城下、中級藩士の武家屋敷跡で、今は古民家宿として活用されているようです。
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石垣で囲われた邸内は外から窺うだけしかできないのかなと思いましたが、木戸が開いていて、お庭の方は直接眺められました。
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平庭の周囲には適度な石組。植栽の緑とちょうど桜も満開でした。
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飫肥市街から少し離れた郊外に整備された竹香園。
小高い丘のような場所に桜がたくさん植えられていて、地元では桜の名所になっています。ここでも、一角に小村寿太郎の銅像があって。本当に飫肥はどこでもここでも小村寿太郎みたいな感じです。 -
ここまで、意外にスムーズに来ていて、これなら油津も回れるねということで、油津にやってきました。
吾平津神社は、油津地区から堀川橋を渡った先の山の上。 -
主祭神の吾平津毘売命は、乙姫大明神と呼ばれ、神武天皇が大和朝廷を起こすため東遷された際、この地に残りその成功を祈ったという神武天皇の妃。諸祈願成就の神様なんだそうです。
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社殿は鉄筋コンクリートのずんぐりした形です。
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で、これが堀川橋。油津の堀川運河に架かっています。
明治36年、飫肥の石工、石井文吉が手掛けたアーチ状の石橋で、欄干の意匠とかとても精緻な印象で、対岸の吾平津神社の参道としての役割も兼ねていたよう。
また、寅さんの映画「男はつらいよ 寅次郎の青春」のロケ地にもなった橋だそうです。 -
堀川運河の方は、江戸時代前期の1683年に着工、3年後の1686年に難工事の末に竣工した延長1450mの運河。飫肥藩主伊東祐実の命により、広渡川河口から油津港を結んで飫肥杉の運搬をするためにつくられました。ゆったりとした運河に市街地が迫っている姿は油津を代表する風景。水の青さもちゃんとそれなりの深さがあることを示しています。
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堀川資料館は、堀川橋のたもとからすぐの堀川沿い。地元の飫肥杉を使って建てられている建物で風情があるので、すぐにそれと分かりました。ただ、今は民間の会社の事務所が入っているようで、公共的な施設ではないような。ちょっと戸惑いました。
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油津赤レンガ館は、油津の市街地、中町通りに面して建つ煉瓦造2階建ての旧倉庫。
さほど大きな建物でもないし、ちょっと地味な感じの外観でしたが、 -
中に入るとちょっとしたショップや奥にはかつての堀川運河周辺の写真があったりして、きれいにリノベーションされていました。
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少し気分が明るくなりました。
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少し進んで、これは杉村金物本店。昭和7年、油津港に通じる道路に面した角地に建てられた木造3階建の店舗兼用住宅。2・3階は洋風のデザインで、銅板張りの外壁。とても堂々としていて特徴的ですが、これは昭和初期、東京でも看板建築の店舗が建てられていて、それにも通ずる意匠のように感じます。
なお、この日は雨戸が閉まっていましたが、今でも現役のお店のようです。 -
飫肥藩による堀川運河の開削により、飫肥杉の積出港として、江戸時代から栄えてきたのが油津港。市街地の方から堀川運河沿いに下流の油津港まで歩いてみました。運河の方には、小型のプレジャーボートがいくつも係留されていて長閑な眺め。
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港の方は後背地が広々していて、ヤードの役目があるのかなと思います。
結局、油津は限られた範囲だったのであっという間。これなら、予定外ですけど思い切って都井岬まで行ってみますか。 -
油津から都井岬を目指して、ほどなく現れるのが国道448号沿いの道の駅 なんごう。
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さほど大きな道の駅ではないですが、
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柑橘類のコーナーを確認して
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さらに進むとこんな景色。えー、何ですかあ。
ひょろっとしたヤシの木越しに眺めるオーシャンビューの景色はとても雰囲気があって、素晴らしいですね。 -
イチオシ
ちなみに、この辺りは、日南海岸国定公園の中央部。目の前は日向灘で、正面沖合約2.5kmに見えるのが別名、日向大島ともよばれる大島です。一日4便の渡船もあって、釣りとかのレジャーで訪れる人も少なくないのだとか。これだけ近いと気軽なんでしょうね。
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いずれにしても、これは絶景。かなりのインパクトだと思います。
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さらに進んで、恋ヶ浦という気になる名前ですが、国道448号沿いにひょっこり現れる美しい砂浜の海岸です。かつて鳥羽上皇がここに上陸し、丘の上から都を恋しがったので恋ヶ浦と呼ばれるようになったという伝説もあるよう。砂浜は広いし、目の前は真っ青な太平洋。とにかく美しくてこれも印象に残る景色です。
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そして、とうとう都井岬です。
途中、ドキドキ、ヒヤヒヤの急峻な崖の道を抜けてきました。こんな思いは能登半島の間垣の里くらいしかしたことないです! -
とにかく、都井岬は宮崎市内から南へ80㎞強。車で2時間近くかかるし、なかなかおいそれとは行けないことは承知していましたが、まさかこんな崖や山また山の悪路だとは思いませんでしたね。
そしてそれを越した先、目の前に現れた岬というにはあまりにもダイナミックなこの風景。かなりびっくりではありますね。 -
しかし、その先には遥かに青い海が見えるし、
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道の脇のあちらこちら
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間近な場所で
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野生の馬が
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草を食む。
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イチオシ
いやいや、このワイルドな感覚はなんでしょうか。
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そして、それなのに、なんとなんと
この女性は単なる観光客のようですが、こんなに近づいちゃって。。大丈夫なんでしょうか。それにもう帰らないと暗くなってしまいそうなんですけどね。 -
さてさて
事前の調べでも評判はよかったし、それは確かに間違ってはいないのですが、それでもこの世界観は想像していたのとはかなり違います。
人里から離れた秘境感がすごくて、まあ、それだからこそ馬の放牧地となっていたのでしょうが、この強烈なインパクトは別格。あまり安易に考えず、それなりの覚悟で訪ねる場所かなと思います。 -
最後は都井岬の一番奥の都井岬灯台もチェック。宮崎県の最南端に建つ白亜の灯台です。
初点灯は、昭和4年。今でも現役で、よくメンテナンスされているからでしょうか。古びた感じはしないですね。ただ、現在はそれこそメンテナンスの工事中。敷地内は立入禁止で、離れた場所から眺めるしかありませんでした。
これで、一路、宮崎市まで帰ります。 -
ただ、途中、もう少し寄るべきポイントがありまして。
これは、幸島。海岸沿いの国道から正面に大きく現れる無人島。野生のニホンザルが棲息することから猿島とも言われるようですが、周囲は岩がむき出して荒々しい波が打ち寄せてくるような姿。大きさもその姿もダイナミックです。 -
大堂津海水浴場は、それなりに賑やかな大堂津の市街からひょいと海側に出たところ。
コンクリートで作られた頑丈そうなスタジアム型の見晴らし台とか施設はけっこう充実しています。 -
砂浜の沖には日向大島やその他の小島。穏やかな眺めもまあまあです。
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そして、見逃すところだったのが天福球場。
長年、広島東洋カープのキャンプ地として使われている球場なのですが、カープの宮崎キャンプというのはここだったのですね。ジャイアンツのキャンプ地、ひなた宮崎県総合運動公園と比べると雲泥の差があって、ちょっと古びた感はあるし、規模もそうはないように感じましたが、 -
正面には今年のキャッチフレーズ「がががが がむしゃら」の真新しい看板。
新井監督以下、主力選手たちが躍動する姿がまぶしいですね。その後、見事、Aクラス、2位となったのは快挙だったと思います。 -
祇園神社は、日南市油津を流れる広渡川の河口。海蝕洞内に素蓋鳴命と稲田姫命を祀る神社です。
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ただ、この海蝕洞がなかなかのもの。
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一枚の岩に空いた洞ではなくて、左右に割れた岩山の間に巨石が上から落ちてきて途中で止まったような形。見ているとこの巨石がいつ落ちてくるのかと心配になるような感じ。足がすくんで、ちょっと遠めから拝むしかありませんでした。
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駒宮神社の地は、初代天皇である神武天皇の少宮趾といわれる場所。吾平津姫を妃に迎えた後、愛馬龍石号とともに住んだと伝わり、神武天皇の故郷なんだそうです。
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神社の創建は、文武天皇時代とも。相当の古社ではあるのですが、雰囲気はけっこう普通。そこまでの重々しさはあまり感じませんでした。
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宮崎市内に帰ったのは、もう日が暮れた後。
晩飯は、適当に鳥の里という宮崎市街の郷土料理のお店。 -
ちょっと居酒屋っぽいお店ですが、宮崎地鶏とか鶏肉のたたき、冷や汁とかをいただきました。
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少し酒のつまみ風の味付けですが、酒を飲まなくてもまあまあ。おいしく晩飯をいただきました。
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宿の方は、ファミリーロッジ旅籠屋 宮崎店。宮崎市の郊外といったところですが、そこはレンタカー。問題はありません。
利点は部屋の広さかな。悠々とした広さはやっぱり楽ですね。ただ、エレベーターはないので、二階の部屋までは荷物を持って上がる必要がありました。それと地球環境への配慮から、歯磨きとかアメニティはないのでくれぐれも気を付けましょう。
さて、明日はレンタカーの旅二日目。宮崎市以北です。
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