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《2022.December》あみんちゅぶらり中国街歩きの旅広島そのⅢ~乗り鉄変貌!旧三江線を辿る編~<br /><br />イルミネーションイベント散策を目的にやって来た広島。初日は電車に乗り遅れることもなくふたつの訪問地も訪れることが出来た。そして三次市のアルファワンに宿泊し2日目を迎えることとなる。バイキングの朝食を頂き戦闘体制を整えてから車へとやって来た。いつもならばナビ設定は前日に済ませておくのだが、今回は少し思うことがあり一晩考えようと思った次第だ。<br /><br />言うまでもなくイルミネーションイベント巡りは日没後のことであり、昼間はフリーとなるのは当然だ。多分広島市街付近に居れば色々過去に訪れた場所の再訪を考えるのだが、備北エリアにいればそんな場所もない・・・筈なのだが昨日からいくつかの〝ある場所〟の存在に思うところがあったまま翌朝を迎えたのである。<br /><br />5年程前になる平成30(2018)年3月に私自身がこの三次を訪れている。勿論イルミネーションを追い求める以前の話である。では目的は?となるのだが、当時三次から島根県江津を結ぶ三江線というローカル線があった。利用客も少ない上に江の川沿いの自然災害を受けやすい場所に敷設されていたことから度々運転見合わせとなり、遂に3月末を以て廃止されることが決まる。今なお〝俄か乗り鉄〟である私ではあるが、国鉄時代からの路線廃止となる区間を廃止が決まってから行くことはほとんど無かった。乗車するために移動するための費用や時間が上手く取れず、気が付いたら廃止されていたトホホということの繰り返しだった。そんな中でなぜ三江線に乗ろうと思ったのか?ちなみに過去に乗ったこともない路線である。<br /><br />実は三江線廃止と並行して山陽新幹線でこだま号の運用に入っていた500系〝500 TYPE EVA〟仕様が5月を以って運行を終了するということを知った。ならばと考えたのがこの2つをまとめて制覇しようと考えたのがきっかけだ。諸事情から2回行くことになったのだが、その際の三江線乗車はただ乗ることだけで精一杯で、駅名標は撮影していても駅舎は撮っていないのが当たり前だった。<br /><br />過去の話が長くなったが、今回の旅路に於いてなぜ三江線の話題が出て来たのか?それは単純にレンタカーに付いていたナビのバージョンが古く、普通に三江線各駅の情報が表示されていたためである。廃止時にはあれだけの人を集めた三江線だが、廃止されて5年の月日が経ちどの様に変わっているのかをこの目で確かめようという思いが2日目の行程を決めたのである。そんな理由から始まった三江線の〝今〟を尋ねるノープランの旅。どんなものになったのであろうか?<br /><br />【令和4(2022)年12月16日】<br />三江線の今を見ることを目的にナビを設定する。いつもならば実際の到着時刻を知るためにスマホナビも併用するが、今回は〝目的地〟が表示されないために利用できない。ホテルを出発して先ずは一服するためにファミリーマート三次尾関山店に立ち寄った。そして訪れたのは旧尾関山駅、小さいながらも駅前広場を持つ駅舎が残っている。一面一線のホームには線路が残っており、キハ120系ワンマンカーが運行時に使用していた後方確認用のミラーが残っていた。<br /><br />尾関山駅を後にしてしばらく走ると公園がある。尾関山公園、桜や紅葉の名所としてシーズンには多くの観光客が訪れる場所として有名である。尾関山駅から江津方面の景色を眺めるとトンネルがあることに気付くが、これこそ尾関山公園を潜る尾関山トンネルである。三江線が走っていた頃は広島等からも花見客が三江線を利用して訪れていたそうだが、今では車を利用して訪れるしか方法が内容である。鉄旅でしか訪れていない場所であるにも関わらず、私自身尾関山公園のことでひとつ知っていたことがあった。亜久利姫、落飾して瑤泉院と名乗った備後三次藩主浅野長治の三女として生まれ、後に播磨赤穂藩主浅野長矩の正室となった姫君である。浅野(内匠頭)長矩と言えば江戸城松の廊下で殿中で吉良(上野介)義央に刃傷に及び、殿中抜刀の罪により即日切腹を命じられ、赤穂藩も改易となり、後に忠臣蔵で知られる元禄赤穂事件の引き金となった事件である。長矩切腹後三次浅野家下屋敷に引き取られる。落飾して瑤泉院を名乗り長矩の菩提を供養した。赤穂四十七士の討ち入りの際には軍資金を手渡したどの逸話もあるが定かではない。四十七士の子供で流罪になった者達の赦免を幕府に願い出るなど夫である長矩の刃傷沙汰で人生が変わってしまった一族郎党の面倒を見つつ41歳で亡くなった〝肝っ玉姫君〟である。この尾関山公園近くが生誕の地で、所縁の尾関山公園に銅像が建立されていることを三次のガイドブックで読んだことがあったことと、まだ若き頃店の茶番劇で梶原頼照を演じた際に〝人〟を調べるにあたり目にした文献がきっかけとなっている。悲劇の姫君と称される様な出来事がありながら、しっかりとした信念を持ち弱音を吐かない。長矩の弟で養子となっていた浅野長広が、養父の刃傷沙汰で幕府からの処分を恐れて弱気になるのを叱咤、広島浅野宗家預かりの後に旗本として復帰し、吉良邸に打ち行った浪士達の子供で流罪になった者達が赦免されて戻って来たことを確認して亡くなったことからも卓越した〝人物像〟が良くわかる。時間の都合で亜久利姫の遺構巡りは次回にするが、この尾関山の地を再訪できた〝不思議な縁〟みたいなものを感じた私であった。<br /><br />公園を散策して車へと戻り、本来ならば記されていない目的地へと向かうことにする。粟屋駅はホームに待合室があるだけの駅跡であり、一面一線のホーム、待合室には粟屋駅の思い出と記された写真が貼られていた。駅前広場には倉庫の様な建物がある。トイレの様な風にも見えたのだが、管理はされておらず利用もできない様になっている。<br /><br />この辺りは江の川沿いに広島県道112号線を三江線線路沿いに走って行く道のりである。駅舎等はそれなりに年月の経過を思わせる部分はあれど〝朽ちている〟という印象は受けなかった。しかし線路を渡る〝踏切〟は廃線によって無くなり、踏切部分だけは線路が撤去されていた。そして向かった先は長谷駅。ここは普通列車ですら通過していた駅でもある。ここも一面一線のホームがあるだけで、ホーム手前に待合室がある。この中に〝訪問ノート〟の様なものが見えたのだが、だいぶ建物が劣化している様子で壊してしまうのではという不安から中には入らなかった。<br /><br />しばらく進むとT字路に突き当たる。広島県道322号線との合流だが、この場所では322号線が江の川を渡るのに対し、三江線は支流の川を渡る鉄橋が見えている。写真と説明が違う様に見えるのだが、これは私が322号線に立っており、右側から走って来て右折をして進んで行くのが事実である。ある意味目の錯覚であろう。<br /><br />県道112号線を北上し船佐駅に到着する。一面一線のホームは一緒なのだが、ホームから離れた場所の駅舎には〝訪問ノート〟と薄れた〝便所〟という標記が残っていた。多分トイレは使えないだろうが、この船佐駅ホームは今まで巡って来たホームと比較して〝荒れている〟感が半端ない。広島県側では三江線史跡を残すことに乗り気ではないことは聞いていたので、その結果なのだろうかと残念に思えてしまう。<br /><br />さらに進むと三江線廃線巡りでは難度の高い駅と思われる所木駅〝入口〟に到着する。なぜ入口を強調するかというと駅前に〝到達できない〟という理由からだ。無理やり車で進んで行ったが、車が入るスペースがないために駅前には到達できないのである。線路が埋められた踏切には到達できたが、Uターンするスペースもない。ホームの痕跡をカメラに収めると曲がりくねった細い坂道をバックで戻らなければならない。100m程の距離ではあるが、リアを擦らないかとヒヤヒヤした。ちなみに進入が難しいのは有名らしく、県道沿いに記された〝所木駅こちら〟の看板が取り付けられていた〝バス停〟の様なところにノート等が置かれていた。<br /><br />しかし強者に驚いたのも束の間、次の信木駅はさらに凄かった。というのも〝駅跡〟に〝近付けない〟場所と化している。写真を見れば一目瞭然だが、江の川の手前矢印の方向に何かの痕跡が見えている。これが三江線信木駅のホームなのである。敗戦後暫くは駅舎等も残っていた様だが廃駅後3年程で撤去され、それに伴い駅に続く道も自然に帰って行ったとのことらしい。<br /><br />続いては廃駅にはなったがバス停として残っている式敷駅である。ログハウスの形をした駅舎、駅前広場には駐輪場と駐車スペースが残存する。灰皿も置かれており、駅舎の壁には安芸高田市のコミュニティーバスの時刻表が貼られていた。廃止された三江線の運転本数から考えても代行バスの運行本数は妥当な数であろう。ただ流石にこの本数のバスをうまく使って廃線跡巡りをしろと言われてもはっきり〝無理〟と言い切るしかないのであるが・・・。<br /><br />ずっと県道4号線を走って来たが、次の香淀駅が江の川を渡り、対岸を進むために国道433号線で江の川を渡る。そのまま進むと何やら大掛かりな工事が行われているのを目にした。第二可愛川橋梁、式敷から香淀間で江の川を渡る三江線の鉄橋であった。鉄橋は整備をせずに放置すると災害の原因になるとかで撤去の対象となり、既に香淀側半分が撤去されていた。当然何回かはこの区間の乗車はしているために走った経験はある筈だが記憶にない。廃線によって〝乗れなくなる〟という気持ちが先だってしまい、あまり車窓に集中していなかったのが今更ながら残念に思う。そのまま進むと香淀駅に到着する。こちらはかなり整備の手が入っている様に思え、駅舎にかかる〝香淀駅〟の駅名の他バス停やトイレまでもが利用できる様になっていた。一面一線のホームと駅舎で構成されていた駅であったが、この立派なログハウス調の駅舎が実は独立した建物となっており、駅前とホーム側のどちらから眺めても同じだったということでなんとなく記憶している。こちらも代行バスが1日5本・・・、廃止されようとされまいと変わらないのが現実だと改めて思う。<br /><br />再び車を走らせることにする。暫く走ると第三可愛川橋梁が目に入って来る。これはまた撤去の手は付いていない様子。廃線跡を上手く利用することが簡単ではないことはわかってはいるが、なんとか後世に残せないものかと寂しく思えた。一応三江線沿いにも道はあるようだがナビが表示しないため、遭難しないためにも国道375号線を走って行く。橋を渡って集落に向かう様に走った場所で駅裏には〝菅津彦神社〟が鎮座する作木口駅に到着した。一面一線のホームは三次側から立ち入る様になっている。ホームは現存するものの数年前迄残っていたという待合室等は撤去されていた。この作木口駅は島根県邑智郡邑南町の所在となり、三次から見ると初めて越県した駅となる。ただこの辺りが三江線建設時の複雑な背景であり、陰陽連絡線として直線で結びかつ高速化を考えれば良かったかも知れないが、駅の誘致に集落を挙げて取り組んだために江の川を行ったり来たりする上に山の麓を縫って走る様になっていた。その結果直線距離より40kmも回り道をした上にスピードは出せず雪や雨による障害にも悩まされた路線になってしまったことは、全線開通時に既に将来が見えてしまっていた様にも思う。作木口駅で5年前に撮った一枚の写真に通学の高校生が写っていた。その後学校を出るとやはり街に出て行ったのかな?とふと思った私であった。<br /><br />次の駅も作木口と同じ様なアプローチとなる。江平駅も一面一線のホームとプレハブの駅舎が残っていた。多分階段でホームと繋がっていた様な形跡はあるが、その跡は不明であった。駅舎にはトイレもあった様子でその痕跡は残ってはいたが現在では閉鎖されている様だった。<br /><br />再び広島県に入り国道375号線・県道437・4号線と言った〝交通の要所〟的な場所にやって来た。道の突き当たりには見覚えのある駅舎が残っていた。口羽駅、三江南線の終着駅になった後、浜原から口羽間が繋がって三江線となった〝三江線全通の駅〟である。駅前から少し離れた場所には〝三江線全通記念碑〟が建立されSLの動輪とともにその〝全通祝い〟を後世に伝えていた。それから43年で廃止され、現在では記念碑のみが残っている。駅前広場は列車が走っていない以外は5年前と変わらないが、今では地元邑南町が街おこしの一環として駅周りを整備して〝邑南町三江線鉄道公園〟として現在に至っている。口羽は旧三江線の主要駅でもあり、時間によっては上下線の離合もあった駅である。一面二線のホームはその名残で、廃止前の大混雑時には短い停車時間を利用してグッズなんかを見ていた記憶が蘇る。また駅隣の倉庫には当時と同じく〝三江線を乗って残そう!〟というスローガンが書かれた横断幕が残っていた。5年という月日がタイムスリップした様な感じを受け、当時の遺構を探そうかと思ったが、何事も程々にと思い直し、車を走らせることにする。<br /><br />両国橋を渡り国道375号線を走ってすぐに旧道へと入る。間も無く見えて来たのは第四江川橋梁だ。この界隈は旧三江線を活用し観光資源化に取り組んでいるNPO法人江の川鉄道がJR西日本から無料で譲り受け、トロッコを走らせている。偶々だがスマホカメラのGPSデータに走行する三江線車両からこの第四江川橋梁を渡っている際の江の川の景色が残っていることに気付いた。平成30(2018)年3月20日という日付けは間違いなく三江線の運行当時のもの!撮影データからiPhoneXで撮影したものと分かり端末の違いをふと感じた。そのまま進むと伊賀和志駅に到着する。トンネルの位置の関係で少し高台に位置するホームだが、ホーム柵には〝伊賀和志駅〟とかすれながらも残っている駅名標が残っていた。駅舎やホームの待合室も残っており、比較的保存状態は良いように見える。三江線乗車時に撮影した駅の写真数が最も多い駅である伊賀和志駅だが、結構高さがある場所と感じていた記憶がある。実際に平地ではなくそこそこの高さはあるが、ガッツリと〝立入禁止〟と書かれた階段以外にホームに上がる方法はない様だ。以前はそういう場所ほど躍起になってバランスを崩し怪我をした経験もある。もう若くもないのだから・・・と自分自身に言い訳し、一帯をカメラに収めて出発する。<br /><br />旧道をそのまま北上し、宇都井大橋を渡る。山裾を沿うように走って行くと左手に眺望が開けて来た。トンネルとトンネルの間を繋ぐように架かるコンクリートの橋、この中央部が〝天空の駅〟と呼ばれた宇都井駅である。三江線が現役時には〝天空の駅〟、廃止後は〝宇都井駅公園〟と〝トロッコ乗り場〟として活躍中である。勿論現役時の〝天空の駅〟との例えは知っており、降りてみたい気持ちは多々あれど時間的余裕がなかったために断念したことを思い出す。そんな経緯から116段の階段を登ってみようとチャレンジする。高さは20m、それ位の階段なら・・・と思った数分後、〝やめときゃ良かった~〟と後悔の念に駆られる。それでも次に来た時には登れない~と老体に鞭を打ちなんとか登り切ることができた。階段棟の最上部には待合室があり、訪問ノートの他界隈を紹介する地図や写真が貼られていた。そして~Goal!と扉を開けてホームに出ようとした瞬間〝え~っ〟と悲鳴にも似たため息が出た。鍵がかかっておりホームには出られないようになっているのだ。確かに名の知れた〝高所〟であれば訪れるもの全てが〝見学〟目的とは限らない。そんな場所で飛び降りる様な不届な輩もいるだろう。落ち着いて考えると安全面のことを考えて、イベント時以外の立入禁止と江の川鉄道の案内にも書かれていた。ただ私のように勢いだけで訪れる者もいるだろう。邑南町が土地建物を取得して観光名所としての〝再出発〟を仕切っているのであれば、地上の案内板にでもその旨を書いておいて貰いたかったと遅ればせながら思った私であった。<br /><br />キリの良いところ迄にしておこうと始めた三江線足跡巡りだったので、天空の駅宇都井駅を区切りにすることにした。使用する予定のない鉄橋等は、劣化すると災害時に被害を増大させる可能性があるため撤去されるのも致し方ないのかも知れない。また広島県や三次市は旧三江線施設の整備保存には消極的で、問題が起こる前に撤去したいようなことが書かれていた。しかし島根県や邑南郡の町々は出来る限りの保存と活用を考えており、今回訪れた場所でも口羽駅や宇都井駅はその走りとなっている。私自身廃墟マニアの気はないが、運行されていた期間が建設期間を下回る不遇の路線〝三江線〟というものを出来る限り後世に残してもらえれば良い、、、そんな風にふと思った。<br /><br />宇都井駅を後にして宇都井大橋から第三江川橋梁をカメラに収め、三江線の遺構旅の締め括りとする。行きは各駅立ち寄りながらだったので時間もかかったが、帰りは一部バイパス化された国道375・54号線をひた走り、道の駅ゆめランド布野で一服休憩を入れた後三次市街に向かう。行きにも立ち寄った尾関山公園駐車場で休憩を入れながら、地域振興券が利用できそうな三次界隈の〝和菓子屋さん〟に電話をかけて尋ねてみるが、田舎だからか店舗の規模なのか良い返事をもらうことができなかった。とは言え次の目的地は三原なので距離や時間のこともあり余計な時間を費やしたくはない。ということで腹を括り、行程終了後に考えることにし、三次市を後にして一路三原を目指すことにした。<br /><br />  《続く》

《2022.December》あみんちゅぶらり中国街歩きの旅広島そのⅢ~乗り鉄変貌!旧三江線を辿る編~

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《2022.December》あみんちゅぶらり中国街歩きの旅広島そのⅢ~乗り鉄変貌!旧三江線を辿る編~

イルミネーションイベント散策を目的にやって来た広島。初日は電車に乗り遅れることもなくふたつの訪問地も訪れることが出来た。そして三次市のアルファワンに宿泊し2日目を迎えることとなる。バイキングの朝食を頂き戦闘体制を整えてから車へとやって来た。いつもならばナビ設定は前日に済ませておくのだが、今回は少し思うことがあり一晩考えようと思った次第だ。

言うまでもなくイルミネーションイベント巡りは日没後のことであり、昼間はフリーとなるのは当然だ。多分広島市街付近に居れば色々過去に訪れた場所の再訪を考えるのだが、備北エリアにいればそんな場所もない・・・筈なのだが昨日からいくつかの〝ある場所〟の存在に思うところがあったまま翌朝を迎えたのである。

5年程前になる平成30(2018)年3月に私自身がこの三次を訪れている。勿論イルミネーションを追い求める以前の話である。では目的は?となるのだが、当時三次から島根県江津を結ぶ三江線というローカル線があった。利用客も少ない上に江の川沿いの自然災害を受けやすい場所に敷設されていたことから度々運転見合わせとなり、遂に3月末を以て廃止されることが決まる。今なお〝俄か乗り鉄〟である私ではあるが、国鉄時代からの路線廃止となる区間を廃止が決まってから行くことはほとんど無かった。乗車するために移動するための費用や時間が上手く取れず、気が付いたら廃止されていたトホホということの繰り返しだった。そんな中でなぜ三江線に乗ろうと思ったのか?ちなみに過去に乗ったこともない路線である。

実は三江線廃止と並行して山陽新幹線でこだま号の運用に入っていた500系〝500 TYPE EVA〟仕様が5月を以って運行を終了するということを知った。ならばと考えたのがこの2つをまとめて制覇しようと考えたのがきっかけだ。諸事情から2回行くことになったのだが、その際の三江線乗車はただ乗ることだけで精一杯で、駅名標は撮影していても駅舎は撮っていないのが当たり前だった。

過去の話が長くなったが、今回の旅路に於いてなぜ三江線の話題が出て来たのか?それは単純にレンタカーに付いていたナビのバージョンが古く、普通に三江線各駅の情報が表示されていたためである。廃止時にはあれだけの人を集めた三江線だが、廃止されて5年の月日が経ちどの様に変わっているのかをこの目で確かめようという思いが2日目の行程を決めたのである。そんな理由から始まった三江線の〝今〟を尋ねるノープランの旅。どんなものになったのであろうか?

【令和4(2022)年12月16日】
三江線の今を見ることを目的にナビを設定する。いつもならば実際の到着時刻を知るためにスマホナビも併用するが、今回は〝目的地〟が表示されないために利用できない。ホテルを出発して先ずは一服するためにファミリーマート三次尾関山店に立ち寄った。そして訪れたのは旧尾関山駅、小さいながらも駅前広場を持つ駅舎が残っている。一面一線のホームには線路が残っており、キハ120系ワンマンカーが運行時に使用していた後方確認用のミラーが残っていた。

尾関山駅を後にしてしばらく走ると公園がある。尾関山公園、桜や紅葉の名所としてシーズンには多くの観光客が訪れる場所として有名である。尾関山駅から江津方面の景色を眺めるとトンネルがあることに気付くが、これこそ尾関山公園を潜る尾関山トンネルである。三江線が走っていた頃は広島等からも花見客が三江線を利用して訪れていたそうだが、今では車を利用して訪れるしか方法が内容である。鉄旅でしか訪れていない場所であるにも関わらず、私自身尾関山公園のことでひとつ知っていたことがあった。亜久利姫、落飾して瑤泉院と名乗った備後三次藩主浅野長治の三女として生まれ、後に播磨赤穂藩主浅野長矩の正室となった姫君である。浅野(内匠頭)長矩と言えば江戸城松の廊下で殿中で吉良(上野介)義央に刃傷に及び、殿中抜刀の罪により即日切腹を命じられ、赤穂藩も改易となり、後に忠臣蔵で知られる元禄赤穂事件の引き金となった事件である。長矩切腹後三次浅野家下屋敷に引き取られる。落飾して瑤泉院を名乗り長矩の菩提を供養した。赤穂四十七士の討ち入りの際には軍資金を手渡したどの逸話もあるが定かではない。四十七士の子供で流罪になった者達の赦免を幕府に願い出るなど夫である長矩の刃傷沙汰で人生が変わってしまった一族郎党の面倒を見つつ41歳で亡くなった〝肝っ玉姫君〟である。この尾関山公園近くが生誕の地で、所縁の尾関山公園に銅像が建立されていることを三次のガイドブックで読んだことがあったことと、まだ若き頃店の茶番劇で梶原頼照を演じた際に〝人〟を調べるにあたり目にした文献がきっかけとなっている。悲劇の姫君と称される様な出来事がありながら、しっかりとした信念を持ち弱音を吐かない。長矩の弟で養子となっていた浅野長広が、養父の刃傷沙汰で幕府からの処分を恐れて弱気になるのを叱咤、広島浅野宗家預かりの後に旗本として復帰し、吉良邸に打ち行った浪士達の子供で流罪になった者達が赦免されて戻って来たことを確認して亡くなったことからも卓越した〝人物像〟が良くわかる。時間の都合で亜久利姫の遺構巡りは次回にするが、この尾関山の地を再訪できた〝不思議な縁〟みたいなものを感じた私であった。

公園を散策して車へと戻り、本来ならば記されていない目的地へと向かうことにする。粟屋駅はホームに待合室があるだけの駅跡であり、一面一線のホーム、待合室には粟屋駅の思い出と記された写真が貼られていた。駅前広場には倉庫の様な建物がある。トイレの様な風にも見えたのだが、管理はされておらず利用もできない様になっている。

この辺りは江の川沿いに広島県道112号線を三江線線路沿いに走って行く道のりである。駅舎等はそれなりに年月の経過を思わせる部分はあれど〝朽ちている〟という印象は受けなかった。しかし線路を渡る〝踏切〟は廃線によって無くなり、踏切部分だけは線路が撤去されていた。そして向かった先は長谷駅。ここは普通列車ですら通過していた駅でもある。ここも一面一線のホームがあるだけで、ホーム手前に待合室がある。この中に〝訪問ノート〟の様なものが見えたのだが、だいぶ建物が劣化している様子で壊してしまうのではという不安から中には入らなかった。

しばらく進むとT字路に突き当たる。広島県道322号線との合流だが、この場所では322号線が江の川を渡るのに対し、三江線は支流の川を渡る鉄橋が見えている。写真と説明が違う様に見えるのだが、これは私が322号線に立っており、右側から走って来て右折をして進んで行くのが事実である。ある意味目の錯覚であろう。

県道112号線を北上し船佐駅に到着する。一面一線のホームは一緒なのだが、ホームから離れた場所の駅舎には〝訪問ノート〟と薄れた〝便所〟という標記が残っていた。多分トイレは使えないだろうが、この船佐駅ホームは今まで巡って来たホームと比較して〝荒れている〟感が半端ない。広島県側では三江線史跡を残すことに乗り気ではないことは聞いていたので、その結果なのだろうかと残念に思えてしまう。

さらに進むと三江線廃線巡りでは難度の高い駅と思われる所木駅〝入口〟に到着する。なぜ入口を強調するかというと駅前に〝到達できない〟という理由からだ。無理やり車で進んで行ったが、車が入るスペースがないために駅前には到達できないのである。線路が埋められた踏切には到達できたが、Uターンするスペースもない。ホームの痕跡をカメラに収めると曲がりくねった細い坂道をバックで戻らなければならない。100m程の距離ではあるが、リアを擦らないかとヒヤヒヤした。ちなみに進入が難しいのは有名らしく、県道沿いに記された〝所木駅こちら〟の看板が取り付けられていた〝バス停〟の様なところにノート等が置かれていた。

しかし強者に驚いたのも束の間、次の信木駅はさらに凄かった。というのも〝駅跡〟に〝近付けない〟場所と化している。写真を見れば一目瞭然だが、江の川の手前矢印の方向に何かの痕跡が見えている。これが三江線信木駅のホームなのである。敗戦後暫くは駅舎等も残っていた様だが廃駅後3年程で撤去され、それに伴い駅に続く道も自然に帰って行ったとのことらしい。

続いては廃駅にはなったがバス停として残っている式敷駅である。ログハウスの形をした駅舎、駅前広場には駐輪場と駐車スペースが残存する。灰皿も置かれており、駅舎の壁には安芸高田市のコミュニティーバスの時刻表が貼られていた。廃止された三江線の運転本数から考えても代行バスの運行本数は妥当な数であろう。ただ流石にこの本数のバスをうまく使って廃線跡巡りをしろと言われてもはっきり〝無理〟と言い切るしかないのであるが・・・。

ずっと県道4号線を走って来たが、次の香淀駅が江の川を渡り、対岸を進むために国道433号線で江の川を渡る。そのまま進むと何やら大掛かりな工事が行われているのを目にした。第二可愛川橋梁、式敷から香淀間で江の川を渡る三江線の鉄橋であった。鉄橋は整備をせずに放置すると災害の原因になるとかで撤去の対象となり、既に香淀側半分が撤去されていた。当然何回かはこの区間の乗車はしているために走った経験はある筈だが記憶にない。廃線によって〝乗れなくなる〟という気持ちが先だってしまい、あまり車窓に集中していなかったのが今更ながら残念に思う。そのまま進むと香淀駅に到着する。こちらはかなり整備の手が入っている様に思え、駅舎にかかる〝香淀駅〟の駅名の他バス停やトイレまでもが利用できる様になっていた。一面一線のホームと駅舎で構成されていた駅であったが、この立派なログハウス調の駅舎が実は独立した建物となっており、駅前とホーム側のどちらから眺めても同じだったということでなんとなく記憶している。こちらも代行バスが1日5本・・・、廃止されようとされまいと変わらないのが現実だと改めて思う。

再び車を走らせることにする。暫く走ると第三可愛川橋梁が目に入って来る。これはまた撤去の手は付いていない様子。廃線跡を上手く利用することが簡単ではないことはわかってはいるが、なんとか後世に残せないものかと寂しく思えた。一応三江線沿いにも道はあるようだがナビが表示しないため、遭難しないためにも国道375号線を走って行く。橋を渡って集落に向かう様に走った場所で駅裏には〝菅津彦神社〟が鎮座する作木口駅に到着した。一面一線のホームは三次側から立ち入る様になっている。ホームは現存するものの数年前迄残っていたという待合室等は撤去されていた。この作木口駅は島根県邑智郡邑南町の所在となり、三次から見ると初めて越県した駅となる。ただこの辺りが三江線建設時の複雑な背景であり、陰陽連絡線として直線で結びかつ高速化を考えれば良かったかも知れないが、駅の誘致に集落を挙げて取り組んだために江の川を行ったり来たりする上に山の麓を縫って走る様になっていた。その結果直線距離より40kmも回り道をした上にスピードは出せず雪や雨による障害にも悩まされた路線になってしまったことは、全線開通時に既に将来が見えてしまっていた様にも思う。作木口駅で5年前に撮った一枚の写真に通学の高校生が写っていた。その後学校を出るとやはり街に出て行ったのかな?とふと思った私であった。

次の駅も作木口と同じ様なアプローチとなる。江平駅も一面一線のホームとプレハブの駅舎が残っていた。多分階段でホームと繋がっていた様な形跡はあるが、その跡は不明であった。駅舎にはトイレもあった様子でその痕跡は残ってはいたが現在では閉鎖されている様だった。

再び広島県に入り国道375号線・県道437・4号線と言った〝交通の要所〟的な場所にやって来た。道の突き当たりには見覚えのある駅舎が残っていた。口羽駅、三江南線の終着駅になった後、浜原から口羽間が繋がって三江線となった〝三江線全通の駅〟である。駅前から少し離れた場所には〝三江線全通記念碑〟が建立されSLの動輪とともにその〝全通祝い〟を後世に伝えていた。それから43年で廃止され、現在では記念碑のみが残っている。駅前広場は列車が走っていない以外は5年前と変わらないが、今では地元邑南町が街おこしの一環として駅周りを整備して〝邑南町三江線鉄道公園〟として現在に至っている。口羽は旧三江線の主要駅でもあり、時間によっては上下線の離合もあった駅である。一面二線のホームはその名残で、廃止前の大混雑時には短い停車時間を利用してグッズなんかを見ていた記憶が蘇る。また駅隣の倉庫には当時と同じく〝三江線を乗って残そう!〟というスローガンが書かれた横断幕が残っていた。5年という月日がタイムスリップした様な感じを受け、当時の遺構を探そうかと思ったが、何事も程々にと思い直し、車を走らせることにする。

両国橋を渡り国道375号線を走ってすぐに旧道へと入る。間も無く見えて来たのは第四江川橋梁だ。この界隈は旧三江線を活用し観光資源化に取り組んでいるNPO法人江の川鉄道がJR西日本から無料で譲り受け、トロッコを走らせている。偶々だがスマホカメラのGPSデータに走行する三江線車両からこの第四江川橋梁を渡っている際の江の川の景色が残っていることに気付いた。平成30(2018)年3月20日という日付けは間違いなく三江線の運行当時のもの!撮影データからiPhoneXで撮影したものと分かり端末の違いをふと感じた。そのまま進むと伊賀和志駅に到着する。トンネルの位置の関係で少し高台に位置するホームだが、ホーム柵には〝伊賀和志駅〟とかすれながらも残っている駅名標が残っていた。駅舎やホームの待合室も残っており、比較的保存状態は良いように見える。三江線乗車時に撮影した駅の写真数が最も多い駅である伊賀和志駅だが、結構高さがある場所と感じていた記憶がある。実際に平地ではなくそこそこの高さはあるが、ガッツリと〝立入禁止〟と書かれた階段以外にホームに上がる方法はない様だ。以前はそういう場所ほど躍起になってバランスを崩し怪我をした経験もある。もう若くもないのだから・・・と自分自身に言い訳し、一帯をカメラに収めて出発する。

旧道をそのまま北上し、宇都井大橋を渡る。山裾を沿うように走って行くと左手に眺望が開けて来た。トンネルとトンネルの間を繋ぐように架かるコンクリートの橋、この中央部が〝天空の駅〟と呼ばれた宇都井駅である。三江線が現役時には〝天空の駅〟、廃止後は〝宇都井駅公園〟と〝トロッコ乗り場〟として活躍中である。勿論現役時の〝天空の駅〟との例えは知っており、降りてみたい気持ちは多々あれど時間的余裕がなかったために断念したことを思い出す。そんな経緯から116段の階段を登ってみようとチャレンジする。高さは20m、それ位の階段なら・・・と思った数分後、〝やめときゃ良かった~〟と後悔の念に駆られる。それでも次に来た時には登れない~と老体に鞭を打ちなんとか登り切ることができた。階段棟の最上部には待合室があり、訪問ノートの他界隈を紹介する地図や写真が貼られていた。そして~Goal!と扉を開けてホームに出ようとした瞬間〝え~っ〟と悲鳴にも似たため息が出た。鍵がかかっておりホームには出られないようになっているのだ。確かに名の知れた〝高所〟であれば訪れるもの全てが〝見学〟目的とは限らない。そんな場所で飛び降りる様な不届な輩もいるだろう。落ち着いて考えると安全面のことを考えて、イベント時以外の立入禁止と江の川鉄道の案内にも書かれていた。ただ私のように勢いだけで訪れる者もいるだろう。邑南町が土地建物を取得して観光名所としての〝再出発〟を仕切っているのであれば、地上の案内板にでもその旨を書いておいて貰いたかったと遅ればせながら思った私であった。

キリの良いところ迄にしておこうと始めた三江線足跡巡りだったので、天空の駅宇都井駅を区切りにすることにした。使用する予定のない鉄橋等は、劣化すると災害時に被害を増大させる可能性があるため撤去されるのも致し方ないのかも知れない。また広島県や三次市は旧三江線施設の整備保存には消極的で、問題が起こる前に撤去したいようなことが書かれていた。しかし島根県や邑南郡の町々は出来る限りの保存と活用を考えており、今回訪れた場所でも口羽駅や宇都井駅はその走りとなっている。私自身廃墟マニアの気はないが、運行されていた期間が建設期間を下回る不遇の路線〝三江線〟というものを出来る限り後世に残してもらえれば良い、、、そんな風にふと思った。

宇都井駅を後にして宇都井大橋から第三江川橋梁をカメラに収め、三江線の遺構旅の締め括りとする。行きは各駅立ち寄りながらだったので時間もかかったが、帰りは一部バイパス化された国道375・54号線をひた走り、道の駅ゆめランド布野で一服休憩を入れた後三次市街に向かう。行きにも立ち寄った尾関山公園駐車場で休憩を入れながら、地域振興券が利用できそうな三次界隈の〝和菓子屋さん〟に電話をかけて尋ねてみるが、田舎だからか店舗の規模なのか良い返事をもらうことができなかった。とは言え次の目的地は三原なので距離や時間のこともあり余計な時間を費やしたくはない。ということで腹を括り、行程終了後に考えることにし、三次市を後にして一路三原を目指すことにした。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー 新幹線 JRローカル 自家用車
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
JTB
17いいね!

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