2016/05/19 - 2016/05/19
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frau.himmelさん
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みなさま、明けましておめでとうございます。
マイパソコンで、4トラベルのトップページをヨーロッパ旅行記の新着順に設定しています。
昨年の今頃はまだ数年前や十数年前の旅行記が多かったのですが、最近は見事に2022年の旅行記に入れ替わり、中には2023年のものも見られるようになりました。それだけみなさん、コロナ禍後のヨーロッパにいらっしているのですね。
確かにヨーロッパのほとんどの国で厳しかった入国制限が緩和され、ワクチン接種証明書さえあれば前と同様に入出国出来るようになったようですから、行こうと思えばいつでも行けるわけです。あとは、気持的にまだ残るコロナの不安や世界情勢の厳しさなどと、どこで自己内で折り合いをつけるか、その決心だけなのです。
しかし、年齢的なこともあり、なかなか決断ができないのも正直な気持ち。でもそれだからこそ、早くしなければならないのに、と気持ちは焦るばかり。
しかし今年こそは余程のことがない限り行きたいと考えています。
さて、私のヨーロッパ旅行記はまだしばらく、数年前から後回しにしていたものの続きです。
今回はウィーンの美術史美術館の名画鑑賞を取り上げたいと思います。名画には旅行時期なんて関係ありませんから(笑)。
ウィーン美術史美術館には過去に4度ほど行っていますが、まだ一度も旅行記では取り上げていないのですね。最近では2016年にシニア3人旅で訪れていますので、それを軸にして過去に撮りためた写真を織り交ぜながら、美術鑑賞旅行記を書きたいと思います。
今までの他の美術館編と同じようにダラダラと書き連ねるのではなく、ジャンル別にいくつかに分けて編集したいと思います。
最初はハプスブルク宮廷を主とした肖像画、それにその他の人物画編です。
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2016年5月、シニア3人旅でウィーンへ行きました。
美術好きな3人が楽しみにしていた美術史美術館へ参ります。
ハプスブルク帝国の女帝マリアテレジア像が鎮座しているマリアテレジア広場。テレジアの右手方向には自然史博物館、そして左手の方向には美術史美術館が建っています。 -
美術史美術館
-
緋色の絨毯が敷かれた豪華な階段を登って美術館内部へ入ります。
さあ、三人のシニア達、これからこの館内を何時間さまよい続けるのでしょうね。時間に縛られない美術鑑賞、最高です。 -
さて、ウィーン美術史美術館のコレクションと言ったらベラスケスの愛らしいマルガリータの肖像画が有名です。まずはマルガリータを先頭にハプスブルク帝国ゆかりの宮廷肖像画を集めてみたいと思います。
ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)
「バラ色の服の王女マルガリータ」1653/4頃
マルガリータ王女の2、3歳のころ -
「白い服の王女マルガリータ」1656年
ベラスケス(1599-1660)
マルガリータ5歳のころ -
「青い服の王女マルガリータ」1659年 マルガリータ7歳のころ。
ベラスケス(1599-1660)
これらの愛らしい肖像画の主はマルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(1651-1673)。父はスペイン王フェリペ4世、母はフェリペ4世の2番目の妻・オーストリアハプスブルク家のマリアナ・デ・アウストリアの長女として生まれました。
幼いころより神聖ローマ皇帝レオポルト1世と結婚することになっていました。 -
「ピンクのドレスの王女マルガリータ」1664年。10歳の頃
ベラスケス工房
これらベラスケスのマルガリータの肖像画は「お見合い写真」の代わりにウィーン宮廷に送られたものです。
マルガリータは1666年に11歳年上のレオポルト1世にお輿入れをします。レオポルト1世26歳、マルガリータ15歳でした。 -
(参考)
プラド美術館に所蔵されている「ラス・メニーナス」
ベラスケスがマルガリータ王女を描いている絵。絵筆を持っているのはベラスケス、後ろの鏡に映り込んでいるのは父親フェリペ4世と母親マリア・デア・アウストリア王妃。
それに王女の係の女官たち。
王女3歳の頃の「白いドレスのマルガリータ」の作成現場ですね。
写真は大塚美術館のものを使いました。 -
(参考)
この方がマルガリータの夫レオポルト1世。
レオポルト1世は母親の弟、つまりレオポルト1世とマルガリータは叔父と姪の間柄。
オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家の間には婚姻という手段によって、緊密な関係が結ばれていきました。
マルガリータは15歳でレオポルト1世にお輿入れをしましたが、体が弱く、21歳で亡くなりました。
写真はフランクフルト・カイザーザールより -
そしてマルガリータの父スペイン王フェリペ4世。
スペイン・ナポリ・シチリア、ポルトガル王。
ベラスケス(1599-1660)
「スペイン王フェリペ4世(1605-1685)」 -
マルガリータの母マリアナ・デ・アウストリア、フェリペ4世の2番目の妻です。オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の娘です。
そして系図を見て驚きますが、なんとマルガリータの母とマルガリータの夫の神聖ローマ皇帝レオポルト1世は姉弟の間柄なのです。
ディエゴ・ベラスケス
「王女マリアナ・デ・アウストリア」1652/53 -
マルガリータの弟のプロスペロ王子(1657-1661)。
フェリペ4世とマリアナ・デ・アウストリアの長男として生まれる。王の後継ぎとして期待を一身に背負って生まれましたが、病弱の王子はこの絵が描かれた2年後に4歳にして亡くなりました。
ベラスケス
「フェリペ・プロスペロ王子」1659 -
マルガリータにはもう一人母を同じくする弟がいました。
カルロス2世(1661-1700)です。
父王フェリペ4世の後にスペイン王になりましたが、同族結婚の弊害が顕著に現れて病弱で後継ぎがなく早世したので、彼がハプスブルク家最後のスペイン国王(在位:1665年 - 1700年)でした。
ファン・カレーニョ・デ・ミランダ(1614-1685)。スペイン王室の宮廷画家。
「スペイン王カルロス2世」1685。 -
フェリペ4世の最初の王妃。
「スペイン王妃イザベラ(1602-1644)」
ベラスケス(1599-1660)
イザベラはフランス王アンリ4世とマリー・ド・メディシスの長女。
ルイ13世は兄。 -
フェリペ4世とイザベラ王妃の娘、マリア・テレサ。
フランス王ルイ14世王妃。マルガリータの異母姉にあたります。
ベラスケス(1599-1660)
「王女マリア・テレサの肖像」1653. -
マルガリータを中心に主にスペイン系ハプスブルク家を紹介しましたが、ちょっと判りにくいですね。系図を貼ります。
ざっとした系図なのでマルガリータの名前は出てきませんが、下の方にフェリペ4世、マリアナ王妃、カルロス2世、それにレオポルト1世の名前が見えます。(□囲み) -
もう少しスペイン系ハプスブルク家を遡ります。
最も重要な人物は何と言っても神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)です。
ヤコブ・ザイセネッガー(1505-1567頃)
「皇帝カール5世とグレートデーン」1532
神聖ローマ皇帝カール5世(在位1519-1556)はスペイン王とローマ皇帝を兼任し、ハプスブルク家隆盛の基礎を造った皇帝です。
カール5世は西ヨーロッパのほとんどを手中にしただけでなく、当時のスペインは中南米を植民地として支配し、またアメリカ新大陸まで征服していたので、「陽の沈まぬ大帝国」と言われていました。なにしろ、あのコロンブスにアメリカ新大陸発見を支援したイザベラ女王はカール5世の祖母(母方の)でしたから。
この絵は後の皇帝フェルディナント1世(カール5世の弟であり次代の神聖ローマ皇帝)によって委嘱され描かれました。 -
また「ブルゴーニュ公シャルル豪胆王」はカール5世の曾祖父です。シャルルの娘マリー・ド・ブルゴーニュはマクスミリアン1世の妻ですから、カール5世の祖母になります。
ピーター・パウル・ルーベンス(1577-1640)
「ブルゴーニュ公シャルル豪胆王」 -
カール5世の息子フェリペ2世の4人目の妻アナ・デ・アウストリア(スペイン語読み:アンナ・フォン・エスターライヒ(1549-1580))。
彼女の父は神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世、母はフェリペ2世の妹マリア。つまりフェリペ2世とアナは実の伯父・姪の間柄です(@_@。。
フェリペ2世の4人目の王妃アナ・デ・アウストリアの肖像」。
アロンソ・サンチェス・コエリョ(1531-1588)。スペイン・ルネサンス期の肖像画家。 -
同上
アナ・デ・アウストリア(スペイン語読み:アンナ・フォン・エスターライヒ)
「スペイン王妃アナ・デ・アウストリア)」1570。
アントニス・モル(1516/19-1579)、 -
フェリペ2世の息子ドン・カルロス。
ドン・カルロス・デ・アウストリア(1545-1568)
父はスペイン王フェリペ2世、母はポルトガル王女マリア・マヌエラの長男。
この絵もドン・カルロスと皇帝マクシミリアン二世の娘アンナとの結婚話のためのお見合い肖像画としてウィーンの宮廷へ贈られたもの。
ヴェルデイのオペラやシラーの戯曲の「ドン・カルロ(ドン・カルロス)」は彼が主役です。
「皇太子ドン・カルロスの肖像」
アロンソ・サンチェス・コエリョ(1531-1588) -
「ネーデルラント総督アルブレヒト大公(1559-16217)」。
ピーター・パウル・ルーベンス(1577-1640)
スペイン領ネーデルラント君主。
父は後の皇帝マクシミリアン2世、ルドルフ2世は兄。 -
イサベル・クララ・エウヘニア(1566-1633)。
スペイン王フェリペ2世と3度目の王妃エリザベート・ド・ヴァロワの娘。オーストリア大公アルブレヒト(ルドルフ2世の弟)の妃で、スペイン領ネーデルラント総督の共同統治者。
「ネーデルラント総督イザベル大公妃」。
ピーター・パウル・ルーベンス(1577-1640)。 -
系図で解るように、スペイン・ハプスブルク家はカール5世から、オーストリア・ハプスブルク家はカール5世の弟フェルディナント1世により形作られていきます。そして同族結婚もこの頃より更に拍車がかかります。
カール5世からもう少し遡って、マクシミリアン1世の時代へ。
ハプスブルク家の異常とも思える同族結婚は、一族を政治的・軍事的に結び付けるための手段でした。また肖像画は家系を辿り同盟を強固にするための道具でした。 -
マクシミリアン1世は、「戦争は他のものにまかせておけ、汝は結婚せよ」という結婚外交の礎を造った皇帝です。
宮廷肖像画は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の治世になって発達しました。
この有名な肖像画は、皇帝に選出されたマキシミリアン1世が、ニュルンベルクのカイザーブルクに滞在した際、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)と知りあいます。そして自分の肖像画を描いてくれるように依頼し、1518年、アウクスブルク議会に赴いた時に描かれた肖像画。
「皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)」1519、
手には皇帝の象徴の宝珠ではなく、権力・富・統一の象徴であるザクロを持っている。 -
マクシミリアンと家族
後列左からマクシミリアン1世、長男フィリップ美公、妻マリー(ブルゴーニュ公女)、前列左から孫:フェルディナント1世(フィリップ美公の次男、神聖ローマ皇帝)、孫:カール5世(フィリップ美公長子・神聖ローマ皇帝・スペイン王)。すごい一族顔ぶれ。
直系の男性たちは同族結婚による「前に突き出た顎と下唇」の弊害が見られますね。
「皇帝マクシミリアン1世とその家族」1516.
ベルンハルト・シュトゥリーゲル(1460-1528)。 -
(参考)
フランクフルトのカイザーザールより肖像画を。
左よりマキシミリアン1世、カール5世(カルロス1世)、フェルディナント1世 -
ペーター・パウル・ルーベンス(1577-1640)。
「皇帝マクシミリアン1世」1618ごろ。
鎧・兜をつけたマクシミリアン1世。
マクシミリアン1世は勇敢な騎士でもありました。 -
この絵もマクシミリアン1世。ハプスブルク家特徴の突き出た顎と言うより鷲鼻がすごく強調されています。
アンブロージオ・デ・プレディス(1455-1508)。イタリアルネサンス期の画家。「皇帝マクシミリアン1世」 -
スペイン・ハプスブルク家がカルロス2世を最後に断絶してしまったので、以降はオーストリア・ハプスブルク家の時代が続きます。
マクシミリアン1世の結婚政策で王家を発展させ、そして、私たちがよく知っているマリアテレジアの時代でもう一花咲かせることになるのです。 -
「レオポルト・ヴィルヘルム大公(1614-1662)の肖像」。
彼こそが美術史美術館の「コレクションの父」とも言うべき人物。
政治的に関係したスペインやオランダ・イギリス・ベルギーなどで大掛かりな絵画収集をしました。そしてそれらは遺言で甥のレオポルト1世(神聖ローマ皇帝、マルガリータの夫)に託されました。 -
レオポルト・ヴィルヘルム大公の絵画収集の様子が描かれています。
ダーフィット・デ・ニールス(1610-90)
「レオポルト・ヴィルヘルム大公と彼のブリュッセルの絵画ギャラリー」1650。
中央で説明を受けている帽子の男性が大公でしょうか。
よく見ると、コレクションの中に美術史美術館で有名な絵がいくつも見えます。 -
ハンス・ヨルダーンスⅢ世(1595-1643)。
「アートギャラリーの内部とコレクション」1630年ごろ。 -
ソリメーナ・フランチェスコ(1657-1747)
「カール6世とグンダケール・アルタン伯」
アルタン伯がカール6世(レオポルト1世の息子でマリアテレジアの父)に完成したばかりのウィーンの絵画ギャラリーの目録を手渡している場面。 -
アントン・フォン・マロン(1733-1808)
「未亡人のマリアテレジア]1773。
夫フランツ1世の死により喪に服するマリアテレジア。 -
ヨハン・ツォファニー(1733-1810。
「皇帝フランツ1世シュテファン・ロートリンゲン(1708-1765)」1776/77。
マリア・テレジアの夫。 -
ポンペオ・バトーニ(1708-1787)
「皇帝ヨーゼフ2世とトスカーナ大公ペーター・レオポルト」1769.
この二人の兄弟は神聖ローマ皇帝フランツ1世と女帝マリアテレジアの息子。
兄:皇帝ヨーゼフ2世(在位1765-1790)、弟:皇帝レオポルト2世(在位1790-1792) -
アントン・ラファエル・メングス(1728-1779)
「マリア・ルドヴィカ(1745-1792)」
皇帝レオポルト2世の皇后。
スペイン王カルロス3世とザクセンのマリア・アマリアの娘。
最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世の母親。 -
マルチェロ・バッチャレッリ(1731-1818)
「マリー・クリスティーネ公爵夫人の肖像」。
フランツ1世とマリアテレジアの5番目の子マリークリスティーネ(1742-1798)。夫はテッシェン公爵、帝国陸軍元帥。 -
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)
「フランス王妃マリーアントワネット(1755-1793)の肖像」1778。
フランツ1世とマリアテレジアの娘。
フランス国王ルイ16世の王妃。オーストリアとフランスの政治的同盟のためにルイ16世と結婚するが、フランス革命で処刑された。 -
アントワーヌ・フランソワ・カレ(1741-1823)
「祝典用衣装を着けたフランス王ルイ16世の肖像」1781。
マリーアントワネットの夫。 -
ヒアキント・リゴー(1659-1742)
「シンツェンドルフのフィリップ・ルートヴィッヒ・ヴェンツェル伯」1728.
彼はレオポルト1世、ヨーゼフ1世そしてカール4世と3人の皇帝に仕えた外交官。 -
アントニス・モル(1520-1578)オランダルネッサンスの画家。
「アントワーヌ・ド・グランヴェル枢機卿像」1649.
この人物はスペイン・ハプスブルク家に仕えた当時のヨーロッパ諸国の有力な政治家。聖職者でもあり、カール5世の片腕とも目された。 -
ここからはハプスブルク家ではないその他の宮廷人物画。
ペーター・パウル・ルーベンス(1577-1640)
「ゴンザ―ガ家のヴィンチェンツォ2世」
ゴンザーガ家はイタリア・マントバの貴族で、芸術・科学者の偉大なパトロンだったようです。ルーベンスもゴンザーガ家の庇護を受けていました。
ヴィンツェンツォ2世の母はメディチ家から、また妹のエレオノーアは、皇帝フェルディナント2世の2度目の皇后。 -
ティツィアーノ(1488/90-1576)
「ザクセン選帝侯ヨーハン・フリードリヒ」1550/51.
ヨーハン・フリードリヒ(1503-1554)はマルティン・ルターの庇護者。ミュールベルクの戦いで神聖ローマ皇帝カール5世に敗れ、選帝侯を剥奪された。
ヨーハン・フリードリヒ選帝侯のことはワイマールの城博物館で勉強しておりました。 -
(参考)
ザクセン選帝侯、ヨハン・フリードリヒのもとに嫁いだ可憐な花嫁シビレー・フォン・クレーベ姫。
ワイマールの城博物館で観たクレーペ姫のことは忘れられません。クレーベ姫はこのとき14歳だったそうです。
ルーカス・クラナッハ作 -
ルーカス・クラナッハ(父)
「ブランデンブルク・クラムバッハ辺境伯カジミール」 -
アンソニー・ファン・ダイク(1599-1641)
「犬と一緒のファルツ公ルプレヒト王子」1631/2頃。
ルプレヒト(1619-82)は、父はファルツ選帝侯で後のボヘミア王フリードリヒ5世と、母はチャールズ1世の姉の間に生まれた。 -
ルーカス・クラナッハ(1517/20-1576/7)
「フロマン公の3人のプリンセス、シヴィラ・エミリア・シドニア」
クラナッハが仕えていたザクセン公ハインリッヒ4世の3人の娘たち。 -
ハンス・ホルバイン(1497-1543)
「イギリス女王ジェーン・シーモアの肖像」1536.
ジェーン・シーモアはアラゴン王国のカタリーナとアン・プーリン王妃に仕えた侍女だったが、後にヘンリー8世と結婚し、エドワード6世王を生んだ。
この絵はハンス・ホルバインがヘンリー8世の宮廷画家の時代に描かれた。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1606-1669)
「イザベラ・デ・ステの肖像」1605。
イザベラ・デ・ステ(1474-1539)は、エステ家出身で、マントヴァの貴族ゴンザーガ侯爵夫人。
イタリアルネサンス期のかなり活動的な女性だったようで「最高の女性」や「世界のファーストレディー」とも称賛された。
この絵はイザベラの死後にルーベンスが描いた肖像画。 -
ここからは宮廷から離れた「普通の人々」の肖像画。
ちょっと昔、「普通の人々」って映画がありましたね(笑)。
ハンス・ホルバイン(1497-1543)
「ある若い商人の肖像」1541 -
アルブレヒト・デューラー(1417-1528)
「若いヴェネツィーアの貴婦人」
やっぱりデューラーの肖像画はいいですねぇ。 -
ジョヴァンニ・パティスタ・モローニ(1520/24-1578)
「彫刻家アレッサンドロ・ヴィットリア」1552.
アレッサンドロ・ヴィットリアは16世紀の有名な彫刻家。 -
ティツィアーノ・ヴェチェリオ(1488/90頃‐1576)
「ヤーコポ・ストラーダの肖像」1567/68.
上の絵と同じく彫像を手にしていますが、彼は彫刻家ではなく美術収集家だったらしいです。服装が豪華ですね。 -
ティントレット(1518-1594)。
「ロレンツォ・ソランツォ」1553
ヴェネツィア市の有力者 -
ティントレット(1518-1594)
「毛皮をまとった女性」1534/36 -
ティツィアーノの作品が続きます。
ティツィアーノ(1488-1576)
「ティツィアーノの娘ラヴィニア」 -
ティツィアーノ(1488-1576)
「毛皮の女性」1535 -
ティツィアーノ(1488-1576)
「ヴィオランテの肖像」1515頃。
この絵はハプスブルク家のレオポルト・ヴィルヘルム大公によって直接買い取られた。大公のギャラリー(前出)の中にもこの絵が見られるように大公のお気に入りだったようです。 -
ティツィアーノ(1488-1576)
「黒いドレスを着た少女」 -
クリストフ・アムベルガー(1505-1562)
「男性の肖像」「女性の肖像」1525.
当時の服装がよくわかる面白い絵です。
アムベルガーは16世紀アウクスブルク生まれの画家、ハンス・ホルバインの弟子でした。 -
ロレンツォ・ロット(1480-1556、イタリアの画家。
「ランプのある青年の肖像」1508 -
ロレンツォ・ロット(1480-1556)
「三方から見た金細工師の肖像」1525/35 -
ペーテル・パウル・ルーベンス(1557-1640)
「自画像」1638 -
ルーベンス(1577-1640)
「毛皮をまとったエレーヌ・フールマン」1636/38。
モデルはルーベンスの2番目の妻エレーヌ。 -
ルーベンス(1577-1640)
「旗を持つ娘」1628/29 -
光が入り込んで見にくい写真ですが、最後にレンブラントの自画像シリーズを。
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)
「ネックレスとイヤリングをつけて毛皮をまとった自画像」 -
レンブラント(1606-1669)
「大きな自画像」1652 -
レンブラント(1606-1669)
「小さな自画像」
最後の方はずいぶんいい加減なコメントになってしまいましたね(笑)。
新春から唸りながら仕上げました。初めのころは調べるのが楽しかったのですが・・・。持続力がなくなったのを実感しました。
でも、今年も老化防止・ボケ防止のために旅行記作成を頑張ります。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
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この旅行記へのコメント (9)
-
- salsaladyさん 2023/04/03 11:01:35
- Sissie とRudovichIIの関係を知りたくて。。。
- ☆徒然なるままに乱読する癖で、史実と小説の狭間の事実関係が混乱していますの~
☆himmelさんなら教えて下さるかな?とシェーンブルン宮殿で感じた圧迫感とそれをはねのける勢いのハプスブルグ家のGod mother ”マリアテレジア”に連なる家計の複雑さ~
☆オーストラリアの前に訪れたノイシュバンシュタイン城の城主”ルードヴィッヒII”と美の追求で有名なエリザベート王妃(別名Sissiの方が知られてるけれど)とが従妹同士だった❓のは史実?それとも小説ネタかしら?
☆マリーアントワネットより、Sissiの生き方の方に興味があるので、当時の政治的婚姻事情をネタにした本を読んでいたら、上記の事実が気になりました。城よりも、何よりも宇宙的感覚を持て余すRudvich IIが最後を迎える湖とそれを知らずにいたSissiの悲しみが気になる!
- frau.himmelさん からの返信 2023/04/04 22:15:31
- Re: Sissie とRudovichIIの関係を知りたくて。。。
- salsaさん、こんばんは。
うわぁ~、salsaさんからこんな難しい宿題が出るとは思わなかった。
久しぶりにルートヴィヒ2世とエリーザベトの年表を引っ張りだして勉強しましたよ。
そして知っているつもりでもいい加減な知識だったんだな~と深く反省反省。
ルートヴィヒ2世とエリーザベト(シシイ)は同じくらいの年代かと思っていましたが、シシイの方が8歳も年上だったのですね。
お見合い相手の姉の代わりにフランツ・ヨーゼフ1世と結婚したのはまだシシイ15歳の時。その頃はルートヴィヒはまだ8歳。それ以前よりシシイに憧れの気持ちを持っていたのでしょうか。
といっても彼は女性には興味がなかったようですが、シシイにだけは別だったようで。
シシイもルートヴィヒ2世のことは気にはかけていたみたいですね。
なかなか結婚しない彼のことを思いやって妹ゾフィーとの結婚を薦めるのです。そして二人は婚約はしたけれど、やはり結婚に踏み切れないルートヴィヒの方から一方的な婚約破棄。さすがのシシイも怒って、それから二人は断絶したとか。
それが1866年のことで、ルートヴィヒが湖で謎の死を遂げるのは1886年でしたから、その間の20年間は交流はなかったのでしょうか。
またルートヴィヒ2世とシシイがいとこ同士の件。
厳密にはルートヴィヒの父親とシシイとが従兄妹関係らしいですね。
むしろシシイと、夫のフランツ・ヨーゼフ1世の方が従兄妹だったようです。母親同士が姉妹ですから。
ここで不思議なのは、フランツヨーゼフ1世の母親はシシイの正真正銘の叔母さんなのに、シシイに辛く当たるのですね。嫁姑関係は最悪だったようです。
なんて、適当なことばかりです。
salsaさんの宿題のお蔭でいろいろ調べるのは面白かったですよ。謎もまた増えましたけどね。
でも調べていると、またウィーンに行きたくなってしまいました。
himmel
-
- kaoluさん 2023/01/24 09:03:36
- さすがhimmelさま、勉強になります
- いまさらですが、おめでとうございます。
今年こそは落ち着いた世の中が戻ってくると良いですね。
ウイーン、良いですよね。
先日ちょっと立ち寄ってみましたが、落ち着いたたたずまいは相変わらずでした。
時間がなかったので、、、ほんと「立ち寄った」だけでしたが、himmelさまの記事を見ていると、ああ、、美術館も行きたかった、。。(涙)
現在大陸の国のお客さんがいないので割と落ち着いていますが、ウイーンはやはり人気観光地。団体さんも復活してましたね。
直行便がなくなってしまったので、行きにくいけどhimmelさまの丁寧な観察の解説をみていると、再び行きたくなりました。
自由に行き来したいですね。
- frau.himmelさん からの返信 2023/01/24 21:34:56
- RE: さすがhimmelさま、勉強になります
- kaoluさん、お久しぶりです。
今年もよろしくお願いいたします。
ところで、
止めてくださいよ〜、himmelさま、だなんて。
「さま」なんて呼ばれるとなんだか私ではないみたい。だったら私だって、K○○ちゃんではなく、K○○さま、って呼ばなきゃいけなくなります。
>ウイーン、良いですよね。先日ちょっと立ち寄ってみましたが・・・。
いらっしゃったのですね!! 年末年始に大陸へ!。
そんなことをさらっとおっしゃるのも旅の達人K○○ちゃんらしい。
さきほどダイジェスト編見せていただきました。続きが凄く楽しみです。今年は絶対行きたいと思っているので。
美術史美術館、いいですよね〜。
新旅行記の予定がないので、暇に任せていろいろ調べ乍ら旅行記作成しています。
作っていると、もの凄く行きたくなります。
のちほど、あちらにお邪魔させていただきます。
himmel
-
- blumentalさん 2023/01/22 20:09:50
- 労作、大作、美術史美術館
- frau.himmelさん、
久しぶりにお邪魔します。
ここ数年全く新しい旅もなく、懐かしい美術史美術館を偲ぶつもりでお邪魔したのですが、中を拝見してびっくり。偲ぶどころか(いい加減に鑑賞していた)美術史美術館をしっかり勉強させていただく好機となりました。すごい大作ですね。これだけのお写真、撮って並べるだけでもすごいのに、これだけのコメントを添えられ、相当な時間をかけられた労作だと拝察します。
1回の訪問では読みこなせず、2回目の訪問でしっかり読ませていただき、スペインハプスブルクの近親婚の家系もかなり整理できました。
ところで、こちらの旅行記を拝見して気が付いた点があります。マルガリータの肖像画で4枚目に紹介された「ピンクのドレスの王女マルガリータ」の制作は1664年。でもベラスケスの没年は1660年。これは不思議ですよね。本当にベラスケスの作品なのだろうかという謎が残ってしまいました。変な疑問を投げかけてしまい、すいません。
①というタイトルから、まだ続編も用意されているということですね。楽しみにしております。
blumental
- frau.himmelさん からの返信 2023/01/22 23:16:14
- Re: 労作、大作、美術史美術館
- blumentalさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
blumentalさんは未発表旅行記の隠し玉を持っていらっしゃったのですね。2019年のオランダ・ベルギー旅行、しかも珍しい一人旅編。
楽しく拝見させていただいてます。
私の方はまだ新しい旅ができなくて、新旅行記のネタ切れ。かと言って隠し玉もなく・・・。古い美術史美術館を引っ張りだして、ヒマに任せてじっくり勉強しながら投稿しております。嫌いなことではないので楽しみながらやっております。
さて、ピンクの服のマルガリータ、blumentalさん、気が付かれましたか。さすがですね。
実は私も不思議だと思いつつ、でも、あれはベラスケスのマルガリータに違いないわよねぇと無理に納得させながら載せました。
今回旅行記作成のためにいろいろ調べておりましたら、あのピンクのマルガリータは何となく上の3枚と違い影が薄い扱いだなと思っていました。
あの写真は2014年のもので、2016年にはあの絵はあの部屋にはなかったように思います。私も撮っておりませんでしたし、同行した友人たちの写真の中にも、他の3枚はありましたが、あのピンクはありませんでした。
今回blumentalさんにコメントをいただいて、もう一度調べてみました。(こういうこと好きなんです・笑)。
ピンクのドレスのマルガリータ、プラド美術館に全く同じ絵があるのですね。これは1660年作、ぎりぎりベラスケスが生存していたころ描かれたものではありますが、未完成のままベラスケスが亡くなったので、その後彼の弟子Mazoが完成させたものとみられているようです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Infanta_Margarita_Teresa_in_a_Pink_Dress
そして美術史美術館にあるピンクのマルガリータは間違いなく1664年作のものでした。ただし、ディエゴ・ベラスケスWerkstattとありましたから、ベラスケス工房により、プラドの絵を複写したもののようです。
>①というタイトルから、まだ続編も用意されているということですね。
はい、ただいま唸りながら続編を作成しております。
blumentalさんのように詳しく見てくださる方がいらっしゃいますから、いい加減なことは書けませんので。でもそれが励みになっております。
いつもありがとうございます。
himmel
- blumentalさん からの返信 2023/01/23 18:35:59
- Re: 労作、大作、美術史美術館
- himmelさん、
早速のご回答ありがとうございます。ピンクの服のマルガリータの謎が解けて、スッキリしました。
神聖ローマ皇后になったマルガリータの肖像画を見て(これも美術史美術館だったような...)、幼少時代はかわいくても、成長したらスペインハプスブルク独特の顔になってしまうんだなあと思ったのを覚えています。近親婚の呪われた家系ですね。
blumental
-
- mistralさん 2023/01/09 15:29:45
- ハプスブルグ家
- himmelさん
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。
今年一番の旅行記、素晴らしい大作ですね。
かなりの時間をかけてまとめられたことでしょう。
時間の縦軸、横軸を網羅しての該当する方の絵の写真探しの作業は
私でしたらとても手に負えないことと思われます。
というよりとっくに散逸してしまっていますので、himmelさんがどのようにして
過去のお写真を管理されておられるのか?
伺ったとしても、おそらく真似できないことでしょう(笑)
初めの辺りは、ハプスブルグの人々、なるほどねぇ、こういう関係で
こんなお顔、とついていけましたが
段々私の頭は混乱してきて、読者(私)が集中力がきかなくなってしまいました。
制作される側はもっと大変な集中力を要したことでしょうね。
こうして拝見すると、男系のハプスブルグ家に見られるとがった顎、顕著な
ものですね。
今年もhimmelさんの旅行記になんとかついて参ります。
ワクワクする旅を今年も計画して、ご一緒にstay young となりますように。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2023/01/09 20:44:06
- RE: ハプスブルグ家
- mistralさん
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
>今年一番の旅行記。かなりの時間をかけてまとめられたことでしょう
うわぁ〜、ありがとうございます!
それを判ってくださる方がいらっしゃっただけで疲れが飛びました。
実は昨年からとりかかっていまして、昨年のうちにアップするつもりでしたが、なんと年をこしてしまいました。
>時間の縦軸、横軸を網羅しての該当する方の絵の写真探しの作業は・・
まさにそれ!
何度も何度も写真と名前を比べたり、同じところを何度もまた前に戻って調べ直したり・・・。
mistralさんの旅行記はとても詳しくお調べになってて、やはり同じことをやっていらっしゃるから、よくお判りになるのですね。
写真の整理・・・。それも大変でした。
1回目の写真はデジカメではなかったので諦めて、3回分のデジカメで撮った写真を並べながらどれが一番きれいに撮れているか、見るに堪える写真かを比べてたり・・・。古い写真はやはり劣化するのですね。
次は聖書編や神話編などを考えています。
計画するのはワクワクするのですが、また作成の途中で、ドボーンと暗い沼の中に沈んでしまうのでしょうね(笑)。
前はもっと迅速にできたのに・・・なんて・・・。
いやいやそれを言っては行けません。stay young ですね。
今年はお互いにワクワクする旅をしたいですね。
mistralさん、いつもコメントありがとうございます。とても励みになっています。
himmel
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