2022/11/11 - 2022/11/12
84位(同エリア322件中)
薔薇の咲く庭さん
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日本にイギリスから移築された城が群馬県にあることはトラベラーの旅行記を読んで知っていました。行きたいと思っていましたが、山中にあるので車でないと行くことはできないと、諦めていました。
長男からロックハート城へ行かないかというメールが来て「これで行くことができる」と大喜びしました。
長男は仕事の関係で日帰りしますが、高崎に一泊して渋沢栄一記念館も訪ねる計画を立てました。渋沢栄一の生家を訪ねてみたいとも思っていたからです。
ロックハート城ですが、行ってみると確かにスコットランドのお城で少し外国へ行ったような気持になりました。
名胡桃城と沼田城跡、沼田市内にも行くことができで充実した旅になりました。長男に感謝です。
11月11日(金) 名胡桃城跡 ロックハート城 沼田城跡 沼田市内
11月12日(土) 渋沢栄一記念館 渋沢栄一生家
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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大宮駅で「とき309号」新潟行を待っています。その前の電車は「はくたか」で金沢行です。同じホームに上越新幹線と北陸新幹線が入線するということがとても不思議に思われます。日本の鉄道技術がすばらしいんですね。
大宮駅 駅
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時間通りに「とき309号」はきました。乗ってきた長男と出会うことができました。
先日ふじさん温泉で、エレサレムからいらした女性に会いました。「時間通りに日本の鉄道が動いてること」を「素晴らしい」と褒めていました。私もそう思います。外国では始発駅から遅延があるので、信じられません。そう話すと彼女もうなずいていました。 -
上毛高原駅に到着して、レンタカーをします。目的地は名胡桃城です。しばらく走ると新幹線が高架になっているのを見ることができました。高低差がかなりあります。くぐりぬけます。
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車に乗って12、3分で名胡桃城に着きました。
残念ながら城の建物は全く残っていません。群馬県の指定史跡になっています。
名胡桃城は1492年に沼田城の支城として沼田氏によって築かれました。名胡桃城址 名所・史跡
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般若郭と呼ばれる表示がありました。いくつかの独立する小さな台地を堀切区分けしていたそうです。館のあった一番大きい郭だそうです。
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なるほど城といってもこのような感じで小屋が建っている状態だったようです。台地になっていますね。真田氏の六文銭の旗が立っています。
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全景です。手前のところに入り口がありました。下は堀になっています。
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水はありません。空堀です。この堀をよじ登らないと城を攻める事は出来ませんでした。5、6メートルはあるでしょうか。
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城跡をどんどん進んでいくと、一番奥に城跡の石碑がありました。
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立派な石碑が建てられています。この城は戦略上とても重要な城であったそうです。
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確かにきました。記念撮影。近くにお住まいの方で、犬の散歩をしていた女性にシャッターを押してもらいました。観光地化されていないので、観光客とは出会いませんでした。
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城は台地の上にあって、眼下を広く見渡せます。この城からは敵が攻めてくるのがよく見えたことでしょう。立地条件がとても良いところにあることがわかります。
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名胡桃城と周りにある城との相関図です。利根川と赤谷川が流れています。先ほど上毛高原駅から来るときに上越新幹線の高架を潜ってきました。名胡桃城は台地の上にあることがよくわかりました。
新潟に出ることができる三国街道と清水峠道が名胡桃城のすぐ近くを通っているのです。ここは交通の要所です。江戸へ出るためには名胡桃城近くを通らなければ出られません。
沼田城ががすぐ近くにあります。時間があったら沼田城跡にも行ってみたいです。
真田昌幸の時代の1589年に名胡桃城事件が起きています。戦略的に要所にあった名胡桃城は真田氏領でした。しかし、北条家臣の猪俣邦憲が勝手に攻撃したことを理由に秀吉は北条氏に宣戦布告しました。翌年1590年に小田原北条氏を滅ぼし、天下統一を達成しています。
中世を終わりに向かわせた日本史上とても重要な舞台として名を残しています。 -
六文銭は真田家の家紋です。
六文銭の意味は「三途の川の渡し賃は六文である」と当時信じられていました。
いつ死んでも大丈夫なように衣類の裾に六文銭を縫い付けたと言われ、戦国時代に戦った足軽などもそのようにしていたと言われます。今だと大体300円位だそうです。
明日はどうなるかわからない乱世を生き抜いた真田幸村は、日々、死と向き合いながら強烈なまでに生を生きた人ではないかと言われています。 -
名胡桃城を後にして今日の目的地のメインであるロックハート城へ向かいました。山道をカーブしながら車は進んでいきます。
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20分ほどでロックハート城へ到着しました。入り口です。ロックハートと書いてあります。
ロックハート城 テーマパーク
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入り口の両脇には、狛犬ならぬライオンが城を守っていました。凛々しい感じのするライオン像です。
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入場すると、雰囲気が日本とは思えない雰囲気に変わりました。山道を上っていく途中にイギリスの国旗が掲げられたお土産屋さんが並んでいます。どことなく外国の雰囲気があります。
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この城は恋人の聖地だそうです。桂由美の名前が2006年に刻まれています。周りにはハートの飾りがたくさん付いていました。
ロックハートと言う名前から2人のハートにロックをして、永遠の愛を誓うそうです。ハートがこのお城の紋章になっているからだそうです。 -
階段を登りきると、目の前にお城が現れました。山の中腹に建っています。高いところにあるのでそびえ立っているように見えます。
高さ20m、幅31.3m、奥行22.3mの建物です。 -
近づいていくとこのような景色のお城になりました。イギリスに行って、いくつかのお城を見ましたが、このようなお城は初めてです。壁は城壁といった感じですね。
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正面の壁のところに家紋がありました。ハートが入れ物の中に閉じ込められているまさにロックハートの家紋です。
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城に向かって左側の建物です。外側から観光することにしました。左へと進みます。
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行ってみると故ダイアナ妃御料車がありました。1988年モデルのシルバースーパーだそうです。英国大使館の公用車で、故ダイアナ妃の御料車としても使用されていたそうです。1994年から大理石村が二代目のオーナーとなり、現在はロックハート城の賓客やウェディングカップルの送迎に活躍しています。
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入り口に戻ってきました。イギリス国旗とロックハート家の紋章の旗が両側に掲げられています。
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ここが玄関です。白い階段が素敵です。お城にしてはちょっと小さい玄関かなと思いました。写真を撮る人がいっぱいました。
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ここにも両サイドを守っている騎士がいました。
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ロックハートの名前の由来が書かれていました。スコットランドのロバート・ブルース王は1314年の有名なバロックバーン戦いで、時のイングランド王エドワード一世からスコットランドの独立を勝ち取った英雄です。
私は2016年にスコットランドのバノックバーンの戦いの場所を訪ねています。(スコットランド、スターリングの旅)戦場は一面草原になっていました。そこには馬に乗ったロバート・ブルースの像があったことを記憶しています。近くのバノックバーン・ヘリテージ・センターを訪ね3D映像でイングランド軍とのバノックバーンの戦いの様子を再現した映像を見ています。矢が飛び出してきてさながら、戦場にいるような感じを味わいました。
また、近くにあったスターリング城も訪れました。
信心深かったロバートブルース王は死に際し、心臓を聖地エルサレムに埋葬するように遺言を残しました。
心臓を生地に埋葬することが不可能と判断されて、故国スコットランドに持ち帰ることになりました。その大任を受けたのが、このロックハート城の祖先で騎士シモン・ロッカーです。
彼は王の心臓を堅牢な箱に入れて鍵をかけ苦難の末、無事に故国に持ち帰り、メルローズ僧院に埋葬しました。この功績によりロッカー家には鍵と心臓の紋章が与えられ、名のロッカードをロックハートと改め、その名前をスコットランド史に留める名門となったそうです。現在も英国紳士録に記載され名家を保持しているそうです。 -
これがロックハート城の紋章です。銀色の地に、黒い錠前に囲まれた赤色の心臓、青色の上横帯に、舌が青色で金色の三つの猪の頭。
兜飾は返しがアーミン模様の赤い位階帽の上に、舌が青い金色の猪の頭。
舌が青い猪が何を意味しているのか? 面白いです。 -
部屋の中に入って、まず最初に見えたのはスクエアピアノでした。1800年からイギリスのトムキソン社がピアノを作成しているそうです。このピアノは180年位前に作られたピアノだそうです。ピアノには見えないので驚きました。
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イギリスに建てられた時のロックハート城の説明です。産業革命の後に作られています。ロックハート城は川に囲まれた小高い丘に凛とした気品よいたたずまいで建てられた歴史的な建築物だそうです。
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これは1829年建築当時のロックハート城の設計図です。ウィリアム・バーンによって設計されました。伝統的なスコットランドの建築様式だそうです。建築当時の設計図と現在高山村にあるロックハート城では内部がかなり違っています。
移築した後、かなり改修していると思います。 -
私が訪ねたお城には必ずと言ってよいほど王座が用意されていて、観光客が座ることができるようになっています。ここにもありました。
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息子が座っています。
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私も座りました。いい気分です。まあ、余興ですね。
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津川雅彦がロックハート城を購入した経緯が説明されていました。
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このお部屋にはロックハート城のイギリスでの様子が分かるビデオが上映されていました。結婚式に使われています。もともとはロックハート家の別荘でロックハートハウスとイギリスでは呼ばれていたようです。
映像ではこのほかに馬が放牧されている様子や城の周りの緑の美しい自然が紹介されていました。 -
部屋の中の様子です。内装はすべて日本へもってきてからしているので当時の様子は分かりません。
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このソファーには座ることができました。座ってビデオを見ることができました。
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床は大理石でこのような模様でした。
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ハプスブルグ家の王冠だそうです。もちろんレプリカです。
なぜここにハプスブルク家の王冠があるのかを不思議に思いました。どうもマリアテレジア女帝からジェームス・ヴォン・ロックハートが男爵の位を授けられていることが理由のようです。ロックハート家がとても名門であることがわかりました。 -
ロックハート城がある場所が地図で示されていました。グラスゴーとエディンバラの中間点のようです。私はグラスゴーにもエディンバラにも行っています。近くを通っているのですね。
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1987年にこの城を購入したのは俳優の津川雅彦です。7ヶ月かけて解体し、シベリア鉄道と船で日本へ運びました。最初は苫小牧に大歓迎で迎えられて、町営牧場に運ばれたのですが、資金計画で町と対立。津川雅彦が計画していたレジャーランドは宙に浮いてしまいました。
1992年に高山市の会社サンポーが15億円で購入し、高山村に建設しました。
地上3階、地下1階の城です。移築するまでに6年を要しました。 -
白い階段が素敵です。大理石でできているのでしょう。
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次の部屋に行ってみると、なぜかオードリーヘップパーンの写真がありました。
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なぜかマリリンモンローの写真も・・・?
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次の部屋は大きな部屋でした。窓から日が差しています。城の正面から見える部屋です。インテリアも素敵です。
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この先の部屋には入ることができませんでした。
この床を見て、湖に浮かぶデンマークの「フレデリック城」を思い出しました。
床の模様が似ています。 -
ここの部屋にはウェディングカップルがいました。結婚式の前撮りの写真を撮りに来ていました。ここで結婚式を挙げるカップルはかなりいるようです。
ご両親と一緒に来て打ち合わせをしていました。 -
披露宴で使う食器がサンプルがテーブルに展示されていました。
披露宴はお城ではスペースが無くてできないようで、この後、見に行った庭(ウイリアムガーデン)に披露宴用のホールがありました。 -
階段を上がって2階へ行くと、イギリスのお土産を売っているお店でした。
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香水瓶がたくさんありました。お城にはふさわしいお土産です。
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イギリス製? トルコで見たことがあるような?
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なぜかリモージュ焼きもありました。
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3階はサンタミュージアムです。津川雅彦が作ったサンタミュージアムでした。
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津川雅彦が世界中から集めたサンタクロースが全部で1100体あるそうです。このサンタさんは等身大の大きさです。
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アヒルのサンタクロース。アヒルにもサンタのおじいさんがいるのですね。
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これはウサギのサンタクロース。おじいさんウサギではありません。可愛い!
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本当にたくさんのサンタクロースで驚きました。コレクションもこれだけ多くなるとミュージアムができます。
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テディベアのサンタさんです。サンタになっても可愛いいです。
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確かに来ました。記念撮影。たくさんのサンタクロースに囲まれておとぎの国に来たみたいです。
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ここでもおとぎの国へきているお嬢さんがいました。プリンセス体験というアクションでドレス衣装を貸してもらって記念撮影が館内や庭でできるのです。若い方が多くやっていました。私は若い時に訪問したらやりたいと思ったでしょうか?
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最後にお城の前で記念撮影をしました。
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ロックハート城は、イギリスが産業革命で最も繁栄した時代の1829年にスコットランドに建設されています。高台で豊かな自然に恵まれ、クライド川の深い渓谷を見事な石橋で渡り、森へと続く小高い丘を背景に、緑に囲まれた素晴らしい土地に建てられています。お城というよりは宮殿ですね。
ロックハート城があったスコットランドの土地に高山村は酷似しているのだそうです。 -
階段を下りると、ここにもプリンセス体験のお嬢さんがいました。写真をどう撮るかを打ち合わせをしているようです。素敵な写真が撮れることでしょう。
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聖ローレンス教会の中です。ここで挙式するのです。
お城を下りたすぐ下の広場横にありました。 -
庭にはオブジェが置かれています。
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外観です。教会の前の両サイドに18世紀末のアンティーク・ステンドグラスがあるそうです。外から見ると見落としてしまいそうなところにありました。
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出口に向かって歩いていくと塔がありました。お城に登ったときには気づきませんでした。お城に入る門がこの塔の下にありました。見張りの塔ですね。
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これが入場門です。ここからお城が始まっています。「プリンセス体験の人はこれから先には出ないでください」と言う表示がありました。
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次に行ったのはウィリアムガーデンと呼ばれる庭です。
ロックハート城の庭は、当時としては珍しいフランス様式を取り入れた迷路もあったそうです。迷路のような植えこみがありました。 -
庭に砂岩の紋章がありました。もともとはロックハート城の建造物上部に飾られていましたが、1993年に移築復元工事の際に、日本の建築基準法から取り付けることができずにここに設置されているそうです。
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お城の中で見たロックハート城の周りの景色に確かに似ているように思います。
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小高い丘があって上ると、上から見下ろすことが出来ました。
秋が深まってきています。 -
丘の上から反対側にあるロックハート城が見えました。
城の近くでは見ることができなかった尖塔がシャープですね。
幻想的な感じがします。 -
城の全景を見ることができました。小高い丘の上にあります。城壁が見えました。
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ウィリアムガーデンと城です。この景色は日本ではありませんね。外国へ来たようですね。
異国情緒をしばらく楽しみました。
ロックハート城を後にして、沼田城へと向かいました。 -
車で20分くらいで、沼田公園に着きました。
「沼田城跡」とカーナビに入れると沼田公園への道案内が出ます。城はなく、公園になっていました。大きな城であったことが公園の地図からわかりました。沼田城址 名所・史跡
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沼田城の二の丸から本丸の間に堀が設けられていたそうです。幕府に提出した地図によると堀幅が24mで、本丸に入る櫓付近の石垣の高さが6mと記されているそうです。この堀は城が破却された際に埋め立てられて、平成27年の発掘調査でたくさんの石垣の石と瓦が見つかりました。
軒丸瓦は三巴紋です。信州の上田城と類似性があるそうです。 -
天守閣跡あたりへ行くと石碑がありました。しかし何も残っていません。周りは小高い丘のようになっていました。
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観光案内所で聞いた時に、「天守閣のあった場所は今は動物の檻になっています」と教えてくれました。行ってみると本当に動物の檻がありました。天守閣が動物の檻に? 何か他のもののほうがよかったのではないでしょうか?
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城の形跡が残っているものはないかと探してみました。公園を突き切って進むと、西櫓台石垣・石段に出ました。この石垣は1532年頃に沼田顕泰によって築かれた沼田城の当時のままの石垣です。
全長27.5m 石垣の高さ0.8~2.0m 石段の幅2.4mです。
沼田城は、上杉・武田・北条氏などの有力大名の狭間にあってその属城として幾多の変遷をたどってきたそうです。1590年に北条氏滅亡以降は正式に真田氏の所有する城となりました。 -
真田昌幸の嫡男の信幸は初代城主として城郭の大改修を手掛け、慶長年間(1591~1614年)には五重の天守を始め各種櫓や門を建造して近代城郭として整備をしています。その当時の絵地図がありました。
しかし、1681年に真田氏の5代藩主信利が改易となり、城は破却となりました。 -
これは絵地図から少し離れたところにあった鐘楼です。城鐘は2代藩主真田信吉が鋳造し、時を告げていたものそうです。実物は沼田市歴史資料館に展示されていて、これはレプリカです。
城の面影を残している唯一の建物です。 -
平沼田城後を見学の後、沼田市内に出てみました。メインストリートの交差点にあったのは、大きな天狗の面です。驚きました。
街なか天狗プラザ 名所・史跡
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旧土岐家住宅洋館に入って建物の中を見学しました。
大正13年に建てられた大正期を代表するドイツ風の住宅だそうです。江戸時代に沼田藩主を務めた土岐家の東京渋谷にあった邸宅の寄贈だそうです。
沼田貯蓄銀行、旧日本基督教団沼田教会記念会堂などを観光しました。旧土岐家住宅洋館(生方記念文庫) 名所・史跡
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最後に訪れたのは沼田市歴史資料館です。ここにきて沼田市の地形が分かりました。河岸段丘の地形だったのです。
人々は古代以前から川に沿った三国街道と清水街道を使って行き来していたそうです。特に三国街道は佐渡から江戸へつなぐ重要な流通路として、使われていました。ここの所有権をめぐって激しい争奪戦を繰り広げていたそうです。沼田市歴史資料館 美術館・博物館
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沼田市歴史資料館に気になる資料がありました。沼田氏の始まりについての記載です。沼田氏は利根沼田地域を支配した武士団でその出目には諸説があります。
「吾妻鏡」には御家人として沼田太郎と言う名前が登場します。承久の乱(1221年)などにも沼田氏の武士が登場するそうです。
一方、三浦泰村の子の景泰が沼田へ逃げて沼田氏の祖になったとも言われているそうです。 -
「沼田父子犬伏密談図」がありました。
NHKの大河ドラマ「真田丸」で草刈正雄が真田昌幸を演じていた場面を思い出します。父子で協議し真田昌幸と次男幸村は石田方西軍へ、長男信繁は徳川方東軍に加わり父子兄弟が別れて戦うことになりました。その結果、真田氏は滅びずに真田氏は生き残りました。辛い選択でしたが、とても賢い選択だったと思います。
名胡桃城跡、ロックハート城、沼田城跡、沼田市内とたくさんの場所を観光しました。とても充実した1日でした。諦めていたロックハート城が見られた事はとてもうれしい事でした。この日は高崎まで新幹線で出て、次の日に渋沢栄一記念館に行きます。
~楽しい旅は続きます~
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この旅行記へのコメント (4)
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- yamayuri2001さん 2022/12/19 15:48:47
- ロックハート城!
- 薔薇の咲く庭さん、こんにちは。
ロックハート城、懐かしく拝見しました。
息子たちを連れて訪問したのは、もうかなり前です。
その当時は、あまり観光客もいなくて
静まり返っていて、どちらかと言うと
暗い感じでした。
その後、たくさんの人が訪問するようになって、
今は、賑わっているんですね。
津川雅彦さんは、自分の趣味に
お金をつぎ込んで、借金が凄かったと聞きました。
しかし、後世、それが人を楽しませることに
役立っているのは、素敵ですね。
あの頃は、ダイアナ妃の車はありませんでした。
今は、ドレスのレンタルで、お姫様気分を
簡単に味わえるようですが、
私の時代は、想像するしかありませんでした。
それはそれで、幸せな時代だったと
感じています。
古城の後を見学なさって、
更にイギリスの城を見学すると、
その文化の違いが一目瞭然ですね。
yamayuri2001
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2022/12/20 21:12:39
- Re: ロックハート城!
- yamayuri2001さま
お便りありがとうございます。
yamayuri2001さんはずいぶん前に行かれていたのですね。
日本にあるスコットランドの古城は珍しいです。やはり行かれていたのですね。
ヨーロッパでいろいろなお城を見てきているので、スケールが少し小さいと思いました。しかし、スコットランドの香りがして楽しく過ごしました。
今は、母を亡くした喪失感からなかなか抜け出せなくて、亡くなることを覚悟をしていたはずなのですが、yamayuri2001さんがおっしゃるように天涯孤独になったような気持になっています。
夫も子供も孫もいるのにとても不思議です。
きっと、何事も肯定的に受け止めてくれた人がもういないという不安感なのかもしれません。出港した船が帰る港・母港が無くなったような感じです。
時間が解決してくれるかと存じます。
思っているほど人生は長くはなさそうなので一日一日を大切にしていこうと存じます。
急に寒くなりました。
yamayuri2001さんの眩暈の方はいかがですか?
私は血行が悪いと耳管開放症の症状が出てきます。
お互いにくれぐれも体を大事にして長生きをしましょうね。
薔薇の咲く庭
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- salsaladyさん 2022/12/17 10:15:56
- LOCKHEART 城❓岩ではないのですね!
- ☆群馬県~スコットランドから移築~で、てっきり”British Hills"の事かと思いましたが~
☆津川雅彦氏が登場してやっと違いが分かりました。ちょっと下世話なクリスマス男~
☆しかし、高山市も太っ腹ですね。北海道で受け付けなかった石組を引き取って!
☆長男さんから誘われるなんてラッキー!我が家では今年漸く茨城までの運転を買ってくれた次男ですが、来年は「福島県まで!」なんて頼めそうもないわ、お嫁さんが許さないでしょ~
☆それにしても「プリンセス体験」や、ヘップバーンやマリリンモンローとの再会は津川さんらしい芸能感覚で面白い。電車では不便なんですね~
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2022/12/17 15:47:57
- Re: LOCKHEART 城❓岩ではないのですね!
- salsaladyさま
旅行記をお読みいただき、コメントをくださりありがとうございました。
日本にイギリスのお城をそのまま移築するということはとても珍しいことだと思いました。行くことができて本当にラッキーでした。
公共交通機関で行くには難しい所にあるかと思います。
行ってみると小さなお城で、たぶん宮殿といった方がよいかと思います。
次男さんが運転して連れて行ってくれるといいですね。
お嫁さんとの関りがあるのでなかなか難しいのは、どこの家族でも共通することではないかと存じます。
私のつたない旅行記をご覧いただきコメントをくださり、ありがとうございました。今後もよろしくお願い申し上げます。
薔薇の咲く庭
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