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鶴舞公園の酔芙蓉と、フラリエの睡蓮の紹介です。鶴舞公園の秋バラ園見学と同日でしたが、稿を分けて紹介しました。鶴舞公園では、コスモスも見ごろを迎えていました。

2022秋、鶴舞公園の酔芙蓉とフラリエの睡蓮(1/2):鶴舞公園:噴水塔、コスモス、酔芙蓉

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2022/10/19 - 2022/10/19

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旅行記グループ 2022秋、名古屋の秋バラ

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

鶴舞公園の酔芙蓉と、フラリエの睡蓮の紹介です。鶴舞公園の秋バラ園見学と同日でしたが、稿を分けて紹介しました。鶴舞公園では、コスモスも見ごろを迎えていました。

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  • 鶴舞公園の入り口光景です。24時間出入り自由の都市公園ですから、公園の周りに、戸締りはありません。『鶴舞公園』のプレートは、明治42年(1909年)の開園当時に内閣総理大臣だった陸軍大将・桂太郎の筆による扁額です。平成28年2月23日から取り外されていましたが、令和元年10月に正面花壇に設置されました。当初の額は戦時中に供出され、その複製品です。(ウィキペディア、鶴舞公園公式サイト)

    鶴舞公園の入り口光景です。24時間出入り自由の都市公園ですから、公園の周りに、戸締りはありません。『鶴舞公園』のプレートは、明治42年(1909年)の開園当時に内閣総理大臣だった陸軍大将・桂太郎の筆による扁額です。平成28年2月23日から取り外されていましたが、令和元年10月に正面花壇に設置されました。当初の額は戦時中に供出され、その複製品です。(ウィキペディア、鶴舞公園公式サイト)

  • 少し離れた場所から眺めた、鶴舞公園の入り口光景です。わが国では、明治6年の太政官布達により公園制度が設けられました。名古屋にもぜひ大公園をと市民の間に強い希望がありましたが、なかなか実現できませんでした。折しも、明治38年から精進川(現新堀川)の改修工事が始まって土砂が余ることとなり、また、明治43年に行われることとなった第10回関西府県連合共進会が契機となりました。(同上)

    少し離れた場所から眺めた、鶴舞公園の入り口光景です。わが国では、明治6年の太政官布達により公園制度が設けられました。名古屋にもぜひ大公園をと市民の間に強い希望がありましたが、なかなか実現できませんでした。折しも、明治38年から精進川(現新堀川)の改修工事が始まって土砂が余ることとなり、また、明治43年に行われることとなった第10回関西府県連合共進会が契機となりました。(同上)

  • 第10回関西府県連合共進会の会場が必要となったことから、旧愛知郡御器所村の田園地帯だったこの地が選ばれ、長年待ち望んだ大公園が生まれることとなりました。明治42年11月19日、『鶴舞(ツルマ)公園』と名称が定められました。写真は、花壇デザインのイラストです。(同上)

    第10回関西府県連合共進会の会場が必要となったことから、旧愛知郡御器所村の田園地帯だったこの地が選ばれ、長年待ち望んだ大公園が生まれることとなりました。明治42年11月19日、『鶴舞(ツルマ)公園』と名称が定められました。写真は、花壇デザインのイラストです。(同上)

  • 『スイフヨウ園』の案内看板の光景です。素面の白色から、次第によって赤くなる模様が写真で紹介されていました。今が、その見頃になります。『スイフヨウ(酔芙蓉)』は、日本や中国、台湾など、東アジアを中心に自生する落葉低木の『芙蓉』の園芸品種です。(同上)

    『スイフヨウ園』の案内看板の光景です。素面の白色から、次第によって赤くなる模様が写真で紹介されていました。今が、その見頃になります。『スイフヨウ(酔芙蓉)』は、日本や中国、台湾など、東アジアを中心に自生する落葉低木の『芙蓉』の園芸品種です。(同上)

  • 『名古屋市緑化センター』の文字が記された出入口光景です。スイフヨウは、出入り自由な子の敷地内に植栽されています。名古屋市緑化センターは、『みどり豊かなまちづくり”を目ざし、市民の緑化意識の高揚、植栽知識の普及を図るための拠点施設として、鶴舞公園内に昭和54年(1979年)10月中旬より建設に着手し、翌昭和55年5月15日に開館しました』(同上)

    『名古屋市緑化センター』の文字が記された出入口光景です。スイフヨウは、出入り自由な子の敷地内に植栽されています。名古屋市緑化センターは、『みどり豊かなまちづくり”を目ざし、市民の緑化意識の高揚、植栽知識の普及を図るための拠点施設として、鶴舞公園内に昭和54年(1979年)10月中旬より建設に着手し、翌昭和55年5月15日に開館しました』(同上)

  • 白いスイフヨウ(酔芙蓉)の花の光景です。まだ酔っていない時の酔芙蓉の顔です。酔芙蓉(スイフヨウ)は、から秋に咲くアオイ科フヨウ属の植物で、花色の変化とその姿からの呼び名です。原産は中国や日本で、花色は白・ピンク・濃いピンクへと変わるのが特徴です。(同上)

    白いスイフヨウ(酔芙蓉)の花の光景です。まだ酔っていない時の酔芙蓉の顔です。酔芙蓉(スイフヨウ)は、から秋に咲くアオイ科フヨウ属の植物で、花色の変化とその姿からの呼び名です。原産は中国や日本で、花色は白・ピンク・濃いピンクへと変わるのが特徴です。(同上)

  • 白い酔芙蓉と、ピンクに染まった酔芙蓉の光景です。花言葉は、『心変わり』、『しとやかな恋人』や『繊細な美』のほか、『幸せの再来』と、多様です。酔芙蓉は、朝花が咲いて夕方には散ってしまう1日花です。その1日のなかで花色が白から濃いピンクへと変化していきます。その姿を表わした花言葉のようです。(同上)

    白い酔芙蓉と、ピンクに染まった酔芙蓉の光景です。花言葉は、『心変わり』、『しとやかな恋人』や『繊細な美』のほか、『幸せの再来』と、多様です。酔芙蓉は、朝花が咲いて夕方には散ってしまう1日花です。その1日のなかで花色が白から濃いピンクへと変化していきます。その姿を表わした花言葉のようです。(同上)

  • 白い酔芙蓉やピンクに染まった酔芙蓉のほか、店仕舞いした酔芙蓉の姿もありました。花の色が変わるのは、アントシアニンの合成が理由です。アントシアニンは25℃以上の気温で合成され、合成されと植物内の酸素量が増えます。すると白色だったものがピンクへと変化する仕組みです。そのため、最高気温が25℃を下回る日は色がほとんど変わりません。(同上)

    白い酔芙蓉やピンクに染まった酔芙蓉のほか、店仕舞いした酔芙蓉の姿もありました。花の色が変わるのは、アントシアニンの合成が理由です。アントシアニンは25℃以上の気温で合成され、合成されと植物内の酸素量が増えます。すると白色だったものがピンクへと変化する仕組みです。そのため、最高気温が25℃を下回る日は色がほとんど変わりません。(同上)

  • 『スイフヨウ(酔芙蓉)園』の看板があった付近の光景です。スイフヨウの一般的な説明のほか、咲き始めは白色ですが、昼頃に薄桃色になり、夕方にかけて色が濃くなっていくことが説明されていました。(同上)

    『スイフヨウ(酔芙蓉)園』の看板があった付近の光景です。スイフヨウの一般的な説明のほか、咲き始めは白色ですが、昼頃に薄桃色になり、夕方にかけて色が濃くなっていくことが説明されていました。(同上)

  • 酔芙蓉が栽培されている園内の一角の光景が続きます。バラ園と同じように、こちらも、おひとり様貸し切りでの見学でした。さきほどの説明の中のアントシアニンは、植物界において広く存在する色素です。果実や花に見られる、赤や青や紫などを呈する水溶性の色素群として知られます。(同上)

    酔芙蓉が栽培されている園内の一角の光景が続きます。バラ園と同じように、こちらも、おひとり様貸し切りでの見学でした。さきほどの説明の中のアントシアニンは、植物界において広く存在する色素です。果実や花に見られる、赤や青や紫などを呈する水溶性の色素群として知られます。(同上)

  • 開花して間もない、真っ白な酔芙蓉の花の光景です。人に例えれば、まだお酒を飲みことができない未成年といったところでしょうか、しかし、宗教によって飲酒を禁止している国もありますから、この例えは不適切だったかも知れません。(同上)

    開花して間もない、真っ白な酔芙蓉の花の光景です。人に例えれば、まだお酒を飲みことができない未成年といったところでしょうか、しかし、宗教によって飲酒を禁止している国もありますから、この例えは不適切だったかも知れません。(同上)

  • 仲良く揃った、飲み仲間の酔芙蓉のようです。二次会の場所などを相談しているようにも見えましたが、これは勝手な誤解だったようです。この花の色は、泥酔というよりは、ほろ酔い加減の酔い方かも知れません。(同上)

    仲良く揃った、飲み仲間の酔芙蓉のようです。二次会の場所などを相談しているようにも見えましたが、これは勝手な誤解だったようです。この花の色は、泥酔というよりは、ほろ酔い加減の酔い方かも知れません。(同上)

  • これで酔芙蓉の紹介はお終いです。水夫用の果実は、不要と同じく『蒴果』と呼ばれます。毛に覆われた種子を多数付けます。芙蓉という名前は、芙蓉の花が蓮に似ていることに由来しています。中国では蓮の花の別名が芙蓉であることから、芙蓉と呼ばれるようになりました。蓮の花と区別するために、別名は『木芙蓉(モクフヨウ)とも言われています。(同上)

    これで酔芙蓉の紹介はお終いです。水夫用の果実は、不要と同じく『蒴果』と呼ばれます。毛に覆われた種子を多数付けます。芙蓉という名前は、芙蓉の花が蓮に似ていることに由来しています。中国では蓮の花の別名が芙蓉であることから、芙蓉と呼ばれるようになりました。蓮の花と区別するために、別名は『木芙蓉(モクフヨウ)とも言われています。(同上)

  • 鶴舞公園散策の折には、いつも撮影したくなるのが、この『噴水塔』です。鶴舞公園建設のきっかけとなった、明治43年開催の第10回関西府県連合共進会の会場正面広場を飾った建造物です。本格的な古典主義のデザインに基く八本のトスカナ式オーダーによる円柱をめぐらした円堂形式で、これに接する東大池と前池は大正3年(1914)に付加されました。(同上)

    鶴舞公園散策の折には、いつも撮影したくなるのが、この『噴水塔』です。鶴舞公園建設のきっかけとなった、明治43年開催の第10回関西府県連合共進会の会場正面広場を飾った建造物です。本格的な古典主義のデザインに基く八本のトスカナ式オーダーによる円柱をめぐらした円堂形式で、これに接する東大池と前池は大正3年(1914)に付加されました。(同上)

  • 噴水塔の最上部のズームアップ光景です。昭和48年(1973)に地下鉄工事のため一時解体されましたが、昭和58年(1983年)、基礎や下地の煉瓦積みを鉄筋コンクリートに変え、当初の姿に復元されました。設計は、全体計画が本多静六林学博士、鈴木禎次工学士が行い、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗見の両宗匠が行いました。共進会終了後、噴水塔や奏楽堂等を取込み本格的な造園工事が始まりました。(同上)

    噴水塔の最上部のズームアップ光景です。昭和48年(1973)に地下鉄工事のため一時解体されましたが、昭和58年(1983年)、基礎や下地の煉瓦積みを鉄筋コンクリートに変え、当初の姿に復元されました。設計は、全体計画が本多静六林学博士、鈴木禎次工学士が行い、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗見の両宗匠が行いました。共進会終了後、噴水塔や奏楽堂等を取込み本格的な造園工事が始まりました。(同上)

  • 見頃を迎えた『コスモス(秋桜9』の紹介です。前方に噴水塔が見える場所です。赤、桃、白の三色を基調に、白以外の中間所のような花もあるようでした。黄色のコスモスを単独で見ることには、何の抵抗もありませんが、長い間見慣れた『白・桃・赤』の三色以外は、意外と気になります。(同上)

    見頃を迎えた『コスモス(秋桜9』の紹介です。前方に噴水塔が見える場所です。赤、桃、白の三色を基調に、白以外の中間所のような花もあるようでした。黄色のコスモスを単独で見ることには、何の抵抗もありませんが、長い間見慣れた『白・桃・赤』の三色以外は、意外と気になります。(同上)

  • コスモス(秋桜)の開花期は秋で、短日植物の代表としても知られます。秋に桃色・白・赤などの花を咲かせます。花は本来一重咲きですが、舌状花が丸まったものや、八重咲きなどの品種が作り出されています。本来は短日植物ですが、6月から咲く早生品種もあります。(同上)

    コスモス(秋桜)の開花期は秋で、短日植物の代表としても知られます。秋に桃色・白・赤などの花を咲かせます。花は本来一重咲きですが、舌状花が丸まったものや、八重咲きなどの品種が作り出されています。本来は短日植物ですが、6月から咲く早生品種もあります。(同上)

  • さらにズームアップしたコスモスの光景です。熱帯アメリカ原産で、1789年、メキシコからスペインのマドリード王立植物園に送られ、1791年にアントニオ・ホセ・カヴァニレスによってCosmosと名付けられました。日本には1879年(明治12年)に渡来しました。これは美術学校の教師ラグザーがイタリアから持ち込みました。コスモスの語源は、ギリシャ語の「宇宙」の「秩序」を意味します。(同上)

    さらにズームアップしたコスモスの光景です。熱帯アメリカ原産で、1789年、メキシコからスペインのマドリード王立植物園に送られ、1791年にアントニオ・ホセ・カヴァニレスによってCosmosと名付けられました。日本には1879年(明治12年)に渡来しました。これは美術学校の教師ラグザーがイタリアから持ち込みました。コスモスの語源は、ギリシャ語の「宇宙」の「秩序」を意味します。(同上)

  • 北側から眺めた『噴水塔』の光景です。噴水の水しぶきが良く見える方角でした。大正9年(1920年)頃には、近代フランス式の洋風庭園と廻遊式の日本庭園とを合わせもつ和洋折衷の大公園がほぼ完成しました。平成21年(2009年)には公園のほぼ全域が、文化財保護法に基づく登録記念物に指定されました。(同上)

    北側から眺めた『噴水塔』の光景です。噴水の水しぶきが良く見える方角でした。大正9年(1920年)頃には、近代フランス式の洋風庭園と廻遊式の日本庭園とを合わせもつ和洋折衷の大公園がほぼ完成しました。平成21年(2009年)には公園のほぼ全域が、文化財保護法に基づく登録記念物に指定されました。(同上)

  • カメラアングルを変えて紹介する、鶴舞公園の『噴水塔』の光景です。これまでに何度か紹介しましたが、設計を担当した鈴木禎次工学士(1870~1941年)は、妻同士が姉妹で、夏目漱石(1867~1917年)と相婿にあたる人です。漱石の方が3つ年上ですから、鈴木禎次が義理の弟になります。のちに、名古屋港御油大学の教授を務めた人です。鈴木禎次は、漱石の小説の中にも登場します。生涯で設計した建築物は80棟に及び、うち44棟が名古屋市内に集中していることから、『名古屋をつくった建築家』とも呼ばれます。(同上)

    カメラアングルを変えて紹介する、鶴舞公園の『噴水塔』の光景です。これまでに何度か紹介しましたが、設計を担当した鈴木禎次工学士(1870~1941年)は、妻同士が姉妹で、夏目漱石(1867~1917年)と相婿にあたる人です。漱石の方が3つ年上ですから、鈴木禎次が義理の弟になります。のちに、名古屋港御油大学の教授を務めた人です。鈴木禎次は、漱石の小説の中にも登場します。生涯で設計した建築物は80棟に及び、うち44棟が名古屋市内に集中していることから、『名古屋をつくった建築家』とも呼ばれます。(同上)

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2022秋、名古屋の秋バラ

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