2022/11/07 - 2022/11/10
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hijunoさん
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鞆の浦と福山を歩きました。
鞆の浦は瀬戸内海ののどかな風景の港町ですが、幕末には「いろは丸事件」が起こり、賠償交渉の地になり、坂本龍馬も滞在しています。滞在した家は隠れや部屋のある家で、今も残っています。
対禅閣は朝鮮通信使の迎賓館として利用されてきたところですが、目の前に広がる酔仙島などの風光明媚な光景に通信使も感嘆しています。当時は福山藩もこの土地の人々も異国の人々を大歓迎した様子が想像できました。
福山も歩きました。福山城は西国の守りとして築城され、築城400年のイベントが行われていました。
広島県立歴史博物館の草戸遺跡では川底から中世の街並みの発掘調査が行われ、その街並みを再現しています。とてもわかりやすく、当時の生活の様子が興味深いです。
福山は薔薇でも有名です。もう晩秋だというのに、あちこちに植えられた薔薇がとても可憐でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 新幹線 JRローカル 徒歩
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福山に来ました。
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福山って薔薇で有名なんですね。
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イチオシ
あちこちに、可憐なバラが咲いていました。
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もう、冬も近いというのに、、、。
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駅前から鞆の浦までバスで行きますが、時間まで少しあります。
近くをブラブラ。 -
福山城の説明板や
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このあたりにも、お城の遺構があったようです。
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このような遺構もあったようです。
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お城は駅の向こう側ですが、広い範囲での遺構が残っているようです。
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バスにのってしばらくして、海の景色。
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バスから降りて、少し歩くと、このような樹と説明板。
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大伴旅人の歌にも詠まれた、鞆の浦のむろの樹だそうですが、当時は大木があって、内海を通る船の目印にもなっていたとか。
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ちらりと見える弁天島と船、、
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いろは事件のあと、坂本龍馬が滞在した隠れ部屋があるという
枡谷清右衛門宅に到着。 -
邸宅内には雑貨屋さんもありました。
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このとき坂本龍馬はすでに命を狙われていたといいますが、この4か月後に命を落としてしまいます。
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中はリノベーションされ、とてもお洒落な雰囲気。
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とても可愛い雰囲気。
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坂本龍馬の説明。
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よく観る写真です。
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阪本家の家紋が見えます。
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いろは丸。
スコットランドで建造されています。
今の愛媛県の大洲藩が所有していました。海援隊が1航海15日、500両で借りていたそうです。
このお宅の廻船問屋の枡谷家とも取引があったようで、その縁で救助したと説明に書いています。 -
坂本龍馬の年譜がありました。
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奥に進むと、グッと、古い雰囲気になります。
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いろは丸事件と坂本龍馬、鞆の浦との関わりが説明されています。
1867年4月23日、深い霧の深夜に、紀州藩の明光丸に衝突され、いろは丸は沈没してしまいます。 -
ちょっと、写真ばブレブレで、すみません、、、
こちらが坂本龍馬が隠れ住んでいたという部屋に通じる階段ですが、
当時は階段はなかったそうです。 -
部屋の下に一枚だけ、外れる天井板が見つかり、この上に部屋がありました。
坂本龍馬はこちらから出入りしていたようです。
当時、豪商などは、密談などをするさいにこのような隠れ部屋を持っていたようです。 -
説明があります。
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イチオシ
階段をのぼっていくと、海援隊や土佐藩士の面々のパネル。
坂本龍馬も見えます。 -
当時は真っ暗だったはず。
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古い壁紙を練りこんだものがありました。
こちらもあとから見つかったものでしょうか。 -
イチオシ
こちらが坂本龍馬が隠れ住んでいたという奥の部屋。
6畳ほどの畳の部屋。
窓もありますが、外からはみえないようになっているそうです。
こちらで、寺田屋のお登勢さんに手紙を書いたようです。 -
4日という短い滞在でしたけれど、偽名を使い、身を隠していたのですね。
部屋の壁は当時のままといいます。 -
こちらが出入りしていた場所。
上からみたところ。 -
古い道具などもあります。
こちらは、当時の雰囲気を感じることができるようになっていました。 -
1階の奥の部屋は豪商らしい、優雅なつくり。
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いろは事件のあと、海援隊や坂本龍馬が滞在していた枡谷清右衛門宅です。
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海からとても近い場所です。
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レトロな建物も見えます。
今も使われているようです。 -
保命酒の老舗があちこちにあります。
保命、、、身体によさそうな名前です。 -
350年の歴史を持つ16種類の薬草を使った和製リキュール、鞆の浦の特産品です。4カ所の醸造元がありますが、少しずつ味が違うそうです。
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こちらも歴史のあるお店のようです。
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福禅寺の対潮楼へ向かいます。
地元の方が、この坂を上るのが一番近い、、と教えてくれました。
朝鮮通信使の迎賓館となったところです。 -
お寺の説明板があります。
平安時代950年ごろの創建といいます。 -
朝鮮通信使も絶賛したという対潮楼があります。
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本堂。
創建は平安時代中期といいます。 -
面白い絵文字みたいな額がかかっていました。
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朝鮮通信使の迎賓館であったことから、朝鮮通信使に関する展示があります。
こちらは第8回朝鮮通信使の書いたもの。 -
朝鮮通信使たちの行列の様子。
賑やかな様子が浮かびます。 -
この木板は福山藩主 阿部正精が造らせたものですが、もともとは朝鮮通信使の正使、副使などが「対潮楼から観た景色は日本一の景色」と絶賛し、李邦彦という通信使が墨書したもの。
朝鮮通信使が墨書したのは1711年のこと、その100年後に木板にされました。 -
資料の数々。
朝鮮通信使の史料のうち、6点はユネスコ記念遺産にも指定されています。 -
坂本龍馬も「いろは丸事件」の賠償交渉をこちらでも行い、対潮楼も訪れています。
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いろんな資料や遺物が展示されていました。
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ちょっと暗くてわかりにくいのですが、対潮楼の扁額。
こちらも対潮楼を命名した朝鮮通信使の洪啓禧の息子の洪景海がその名前を書にして、それをもとにして、福山藩により扁額にされました。 -
景観ですけれど、当日、大勢の団体の方でいっぱいで、風景を思い切り撮影できなくて、このようになりました。人が映ってしまうので、気をつけます。。
でも、弁天島と皇后島、奥のほうには仙酔島。
美しく、静かな風景は目に焼き付けました。 -
外に出て景色の良い方へ回りたかったのですが、立ち入り禁止でした。
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対潮楼を出て、歩きます。
通りにあるのは、坂本龍馬らの船「いろは丸」が紀州藩の「明光丸」に衝突され沈没してから、賠償交渉を行った場所です。
現在は「御舟宿いろは」になっています。
二階にはステンドグラスも見えて素敵な建物です。
宮崎駿監督がポニョの構想のために鞆の浦に滞在し、その際にこの家のリノベーションにもアイデアを提供したとか。 -
面白そうなカフェもあります。海の近くです。
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新しい施設ができていました。
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日本遺産の鞆の浦、伝統的建造物群保存地区となっています。
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江戸時代からの港湾施設がまとまって現存する国内唯一の港町。
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町屋をリノベーションした建物です。
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シアターもありました。
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鞆の浦の建造物についてのコーナー。
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鞆の浦の家々の特徴。
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デザインの特徴など。
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家屋の特徴のひとつ、蔀帳(ぶちょう)。
二枚の板戸を上下に開閉する仕組み。
鞆の浦では明治ころまで、町家と長屋の床上部にこの蔀帳が使われていたそうです。
さらに、こちらの町家では猫の侵入をふせぐために、下のほうに格子が設けられていたそうです。 -
外から観たところ。
もともとこちらのお宅松本家住宅はこの蔀帳が保存されていた貴重な建造物です。 -
水路もあったようです。
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綺麗にリノベーションされています。
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ちょっと見えにくいのですが、大工さんの技の数々が紹介されていました。
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イチオシ
常夜灯を目指して、歩きます。
とても時代を感じさせる建物があちこちに見えます。
色も素敵です。 -
お洒落な雑貨屋さん?カフェ?も、ところどころに。
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何気ない石畳もなんだかお洒落です。
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杉玉があるので、お酒屋さんですね。
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懐かしい風景があちこちに。
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七卿落ちで三条実美らが滞在した家が残っているのですが、この日はお休みです。団体さんのために、予約で特別に開けたそうです。
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もとはお酒屋さんだったところ。
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説明がありますが、三条実朝が特産品の保命酒を飲んで、称賛し、歌を残したそうです。
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すぐ近くは海です。
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いろは丸展示館があります。
いろは丸は海援隊が愛媛県の大洲藩から1航海15日500両で借りていた蒸気帆船。イギリス製でオランダから購入したものでした。
1867年の深夜に紀州藩の明光丸に衝突され沈没してしまいます。
このため、坂本龍馬らは鞆の浦に4日滞在し、その賠償交渉に臨みました。
龍馬らは万国公法にのとり、非が紀州藩にあるとして、船に乗せていたエミ―銃400丁をはじめ、鉄火器や金塊などを乗せていたと主張して、結局、紀州藩は賠償金を8万両以上、今の金額にしておよそ164億という金額を払うことになります。
しかし、その後1980年ころの潜水調査では銃や武器、金塊などはほとんど見つからず、主に石炭などが見つかったそうです。
真実はよくわかりませんが、龍馬の弁に紀州藩は翻弄されたといいます。
館内には、潜水調査の様子を再現したものや、調査で引き揚げられた船の部品の一部やブーツらしい靴底などが展示されていました。
また、龍馬が鞆の浦で名前を変えて枡谷清兵衛宅に隠れて滞在していた部屋が再現されていました。 -
内部は自分が観るだけの写真なら撮影しても良いといわれましたので、
ここには載せることができません。。(-_-;)
江戸時代にできた建物を利用しています。大きな蔵です。 -
イチオシ
常夜灯。
1859年に造られたもの。 -
のどかな風景です。
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小さく→のほうに見えていますが、雁木とよばれるもの。
1811年に造られたそうです。
船着き場としての設備が残されています。
現存する古い港湾施設です。
鞆の浦は船出に適した潮を待つ「潮待ち」の港として栄えた港町。 -
説明板にもありますが、古くからの港湾施設が残り、
江戸時代にも栄えた問屋や蔵が立ち並び、港町鞆の浦の繁栄が偲ばれます。 -
近くにはこのような説明板も。
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日本遺産でもあり、街の伝統的な家屋の保存に力を入れていれているようです。
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とても古そうな建物がありました。
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説明がありますが、福山城が廃城となり払い下げられた長屋門をこちらへ移築したものといいます。
このお蔵のような建物がそうでしょうか。。。 -
鞆の浦特産の保命酒の老舗のようです。
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洋館風の建物もレトロです。
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格子がとても美しい家もありました。
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街並み全体の時間が止まったよう。
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二階の窓枠が洋風で面白いデザインです。
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お城の雰囲気がある場所を通って、歴史民俗資料庵へ向かいます。
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説明にもありますが、毛利氏によって築城された鞆城跡がありました。
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ここは高台。
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美しい眺めでした。
お城の場所としては最高ですね、海も一望できて。 -
鞆浦歴史民俗資料館。
潮待ちとして栄えた港湾の街、鞆の浦の歴史に関しての展示があります。
朝鮮通信使の様子や特産品の保命酒、お祭りや民俗に関しての展示、父親が鞆の浦出身であった宮城道雄氏の説明も。
特別展で「布名前神社」に関しての展示、福山藩の宝物展をしていました。
布名前神社は海上の安全で信仰を集めた由緒ある神社。
豊臣秀吉ゆかりの説明も興味深かったです。
中は撮影禁止です。 -
外には宮城道雄氏の像がありました。
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イチオシ
外は高台ですので、海の景色が一望。
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イチオシ
古い歴史のある港町の様子。
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前述しましたが、ここはもともとお城のあったところ。
説明板がありました。 -
刻印石も残っています。
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こちらにも。
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歴史民俗資料館から坂道を下り、バス停のほうへ向かいますが、その途中にあった建物。
鞆の津の商家。
江戸時代末期の建築、呉服屋を営んでいましたが、後に船具店へ。
土蔵は明治期のものだそうです。
鞆の浦の典型的な町屋の建築。
中も見学できるようですが、この日は閉まっていました。 -
説明板もありました。
船具店もアジアまで販売を広げるお大きな商家だったようです。 -
保命酒のお店。
お土産物も売っていました。 -
保命酒の説明もありました。
漢方が豊富に入ったお酒なんですね。
ペリー一行にも提供されたとか。
歴史のあるお酒です。 -
のどから海と小さな島々の風景を眺めつつ、バスで福山へ戻ります。
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福山城を見学します。
築城400年とのことでイベントがあるらしいです。 -
お城の中は博物館になっています。
西国の守りのお城として、徳川家康の従兄弟の水野勝成が1622年に築城。
その後阿部氏が藩主になり、7代藩主は、日米和親条約を結んだときの老中阿部正弘。25歳で老中に。 -
阿部正弘の像もありました。25歳で老中になるくらいですから、優秀な人だったのですね。
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五重の天守。
西を守るお城として破格の造り。 -
全国唯一といわれる天守北側の鉄板張り。
北側は城外がすぐ近くなので、敵から守るために1階から4階までを鉄板張りにしたそうです。
堅固な守りです。 -
説明もありました。
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天守閣より。
新幹線も見えます。 -
すぐ近くには広島県立歴史博物館・ふくやま草戸千軒ミュージアムへ。
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菅茶山に関しての展示もあるようです。
常設展は瀬戸内の歴史についての展示ですが、撮影は禁止でした。 -
イチオシ
草戸千軒遺跡。
こちらからは撮影が可能でした。
中世の遺跡、草戸千軒を再現した家並み。
およそ650年前の様子。
とてもリアルです。 -
イチオシ
福山市街地の芦田川の皮底に埋もれた中世の集落の様子が数回に及ぶ発掘の調査により明らかになっています。
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集落の様子が模型で。
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再現された家々の様子がリアルです。
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職人さんも多く住んでいたようで、
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下駄屋さんでしょうか。左に見えます。
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市場もあったようです。
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家の中の様子も再現。
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こちらは鍛冶屋さんでしょうか。
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漆の美しい漆器や
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下駄も出土しています。
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道具類や木製のものまで。
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美しい壺や陶器など。
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お堂や他なども、共同で使われた建物なども復元されています。
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川底から遺跡の発掘で、これだけのものが出土し、室町時代戦国時代ころの
人々の生活の様子を知ることは貴重です。 -
福山出身の儒学者・漢学者の菅茶山についての展示もありました。
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資料が展示されています。
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このような催しです。
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お城の大きな絵図も展示されていました。
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コレクションの一部のようです。
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近くには美術館。
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公園もあって、休めるベンチも。
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ちょっと歩いても、まだまだお城の遺構が。
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大きなお城だったことがわかります。
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可愛いマンホールの蓋も発見。
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駅前の商店街をぐるりとまわり、ちょっと一息入れます。
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レトロ風な雰囲気で、本が沢山置いてありました。
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疲れていたので、アイスの乗ったソーダを。
可愛いソーダでした。酸っぱくておいしかった。
居心地の良いカフェで、人も少なく、ゆっくり休憩できました。 -
今回の旅のおみやげ。
いつもながら、チープなものばかりです。
くわいが福山の特産だと初めて知りました。
もみじ饅頭も今はバラバラで売られ、しかも、種類が豊富なのは驚き。 -
レモネードはとても美味しかったです。
疲れもとれて、暖かくなります。 -
そしてこれを。
尾道ラーメンも家で。美味しかったです。
今回も長い旅行記になってしまいました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。^^
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