2022/09/20 - 2022/09/20
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しろくまクンクンさん
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会津三十三観音 第21番札所の左下がり観音へ行きました。
鶴ヶ城は文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。
茶室鱗閣は鶴ヶ城公園内にある、千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室です。
会津松平氏庭園 御薬園へ行きました。
現在の庭園は三代正容(まさかた)の時代、1696年(元禄9年)小堀遠州(こぼりえんしゅう)の流れを汲む園匠目黒浄定(めぐろじょうてい)と普請奉行辰野源左衛門(たつのげんざえもん)の手に成るもので、規模を拡大し借景を取り入れた池泉回遊式の大名庭に大補修を加えたものです。
庭園には重陽閣・御茶屋御殿・楽寿亭など歴史的な建造物があります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「左下がり観音」へ行きました。
駐車場までの道はバイクでは滑りやすく狭いです。 -
駐車場からはすぐの所にあります。
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会津三十三観音 第21番札所です。
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830年に徳一大師が建立いたしました。
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3階建て???です。
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観音堂横の山道から登ることができます。
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最上階です。
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岩に穴があけられてています。
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階下へ降りる階段ですが通行止めになっています。
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御堂前からの風景です。
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2階部分です。
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こちらには入ることができます。
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若干の不安があるものの造りはしっかりとしています。
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2階から1階を見下ろします。
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1階部分は2階から降りることができます。
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鶴ヶ城へ行きました。
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太鼓門です。
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お堀にあります椿阪をあがります。
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石垣の先に天守閣が見えます。
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立派な天守閣です。
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美しい野面積みの石垣です。
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観光案内所から無料のガイドツアーが開催されていますので参加しました。
表門です。 -
美しい天守閣です。
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天守閣への入り口です。
一般ではこちらからは入れません。 -
本丸跡付近からの天守閣です。
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茶室 麟閣へ向かいます。
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茶室 麟閣の入り口です。
千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室です。 -
寄付です。
外露地に構えられる建物です。 -
土壁の色合いも美しいです。
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腰掛待合です。
客が露地入りして亭主の迎えを待ったり、中立ちの際にの際に一旦路地に出て、後の席入りの合図を待つ施設です。 -
雰囲気の良い門をくぐります。
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蹲踞(つくばい)から進みます。
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茶室 麟閣です。
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躙り口です。
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茶室内部です。
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戊辰戦争後城下に移築され保存されていましたが、少庵ゆかりの茶室を後世へ伝えるため、平成2年9月12日に元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元されました。
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深い緑の中の黄土色の茶室が浮き立ちます。
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茶室内越しのお庭です。
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茶室 麟閣からの天守閣です。
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鮮やかな野点笠越の天守閣です。
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会津松平氏庭園 御薬園へ行きました。
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冠門をくぐります。
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重陽閣です。
秩父宮勢津子妃殿下が婚儀の前に家族と宿泊した、東山温泉の新滝別館を移築しています。
『重陽閣』という名は、重陽の節句に生まれた妃殿下が命名したものです。 -
御茶屋御殿です。
御茶屋御殿は江戸時代に建てられ、歴代藩主の別荘として使われました。明治時代には、 松平容保公の住まいとして2階建て部分が増築されました。 -
心字の池の先に「楽寿亭」があります。
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御茶屋御殿ではお茶をいただくことができます。
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亀島にあります楽寿亭です。
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「楽寿亭」と「御茶屋式殿」です。
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大きな雪見灯篭の傘です。
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心字の池の中島(亀島ともいう)に建てられた御亭で数寄屋風茅葺の平屋です。
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藩主や藩の重役たちが、納涼・茶席・密議などのために用いた。「楽寿亭」の名は、三代藩主正容によって命名された。北側の濡縁には戊辰戦争の際の刀傷が今も残ります。
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楽寿亭から御茶屋御殿です。
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楽寿亭越しの御茶屋御殿です。
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