2022/09/30 - 2022/09/30
1518位(同エリア4023件中)
naoさん
東は鴨川、西は木屋町通り、南は四条通り、北は三条通りの一本南の通り(三条通一筋下ル)に囲まれた先斗町(ぽんとちょう)は、京都に五つある花街の一つです。
名前に「町」が付きますが行政上の地名ではなく、「先斗町まちづくり協議会」によって活動する、京都市中京区石屋町の一部、橋下町、若松町、梅之木町、松本町、柏屋町、材木町、下樵木町、鍋屋町で形成された区域の名称として使われています。
先斗町のほぼ北の端にある先斗町歌舞練場は昭和2年(1927年)に完成したもので、屋根には中国の舞楽面を型取った鬼瓦が据え付けられ、「鴨川をどり」や「水明会」の会場など、幅広く利用されています。
延長約500mの狭い石畳の通りの両側には、花街特有のお店の他、一般の飲食店も軒を連ね、夜のとばりが下りる頃には、「鴨川ちどり」が描かれた提灯に明かりが灯り、情緒豊かな雰囲気が醸し出されます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この日は大阪府藤井寺市出身の絵本作家、長谷川義史さんの原画展を見に来たので、ちょっと足を延ばして先斗町を訪れました。
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では、四条通りから北へ向かって歩きます。
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延長約500mの狭い通りの両側には、花街特有のお店の他、一般の飲食店も軒を連ねています。
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京都に五つある花街はそれぞれ紋章を定めていて、先斗町は千鳥を題材にした「鴨川ちどり」が紋章になっています。
この紋章は、明治5年(1872年)に「鴨川をどり」が初めて開催されたときに創案されました。 -
この通りにそぐわない光景ですが、機能上必要な物なので致し方ありません。
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丸窓の一部を腰壁に食い込ませたデザインに感心しました。
普通なら全て丸窓にしてガラスを入れるんでしょうけど・・・。 -
簾で視線を遮るのは、京町家の常套手段です。
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お酒にまつわるお店にふさわしい杉玉。
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犬矢来の一部が小さな扉状に加工されているので、中に何かが隠れているようです。
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芸妓さんや舞妓さんの名前が書かれた京丸うちわを飾っているヘアーサロン。
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こちらは、オーガニックの玄米粉を使ったグルテンフリーのシュークリーム店です。
店先に置かれた観葉植物の鉢植えは、日ハムの清宮幸太郎選手からの贈り物のようです。 -
昨年(令和3年)11月に無電柱化工事が完了したとのことで、町並みは見違えるようにすっきりしています。
通りの石畳も無電柱化工事に併せて整備されました。 -
名栗加工の腰板が表情のある外観を生んでいます。
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『笑う門には福来る』。
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ここから先はさらに道幅が狭くなります。
この、人がすれ違うのもやっとの狭さが、情緒豊かな町並みを育んでいるのかもしれません。 -
路地から見た町並みの様子。
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通りの所々に「先斗町のれん会」と書かれた提灯を下げているお店があります。
先斗町には、まちづくり全般にかかわる「先斗町まちづくり協議会」のほか、店舗を取りまとめる「先斗町のれん会」が組織されていて、多くの店舗が加盟しています。 -
こちらは先斗町の紋章である「鴨川ちどり」の提灯です。
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こんな案内書きを見ると、ついつい興味がわいてきます。
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でっ、その路地を覗いてみると、ずいぶん奥まったところに入口がありました。
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今にも軒先が触れ合いそうな先斗町の町並みです。
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蛇の目傘を使った間接照明が、しっとりとした風情を演出するのに活かされています。
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ガラス戸に映る蛇の目傘。
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すっと町並みに溶け込む下地窓。
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どこかの千本鳥居をイメージしたかのような路地。
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風に吹かれてクルクル回る風鈴の短冊。
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まさかこの町並みで緑が見られるとは!
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店名と呼応する柳の木。
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ガス灯風の行燈をあげたお店。
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店先に置かれた石造りの行燈。
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明かりが灯る竹製の吊り行燈。
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ガス灯風の行燈と虫籠窓のあるお店。
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こちらが昭和2年(1927年)に完成した先斗町歌舞練場です。
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先斗町歌舞練場は「鴨川をどり」や「水明会」の会場だけではなく、舞踊や三味線、礼儀作法や京ことば、しきたりや所作など、舞妓さんが身につけるべき事柄を教える場ともなっています。
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正面入口の上には、中国の舞楽面を型取った鬼瓦が据え付けられています。
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先斗町歌舞練場は、そろそろ完成後100年を迎えようとしています。
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先斗町を抜けて、鴨川へやって来ました。
見えているのは、東海道の西の起点となる三条大橋です。 -
ここにきてコロナ禍も落ち着いてきたので、等間隔カップルが復活してきたようです。
この光景は「鴨川あるある」です。 -
ここからは高瀬川沿いの木屋町通りを南に歩いて、阪急電車の京都河原町駅へ向かいます。
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高瀬川は江戸時代初期に京都の中心部と伏見を結ぶために人工的に開削された運河で、高瀬舟による水運に使われました。
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二条通りから四条通りにかけて、高瀬川には荷物の上げ下ろしや舟の方向転換をするための船入(入り江)が計9ケ所設けられていました。
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この辺りには、坂本龍馬などを輩出した土佐藩邸が置かれていたようです。
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こちらは、平成5年(1993年)に閉校した立誠小学校です。
現在は、ホテル、飲食店、芝生広場、多目的ホールなどで構成される複合施設、「立誠ガーデン ヒューリック京都」として、令和3年にオープンしました。
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