2022/03/29 - 2022/03/29
201位(同エリア1417件中)
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パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2022/03/29
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徒歩での移動
11:43→11:55
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電車での移動
12:00 →12:02
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徳川秀忠の誕生の井戸 12:04
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徒歩での移動
12:05→12:21
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椿姫観音堂
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徒歩での移動
12:26→12:41
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日限地蔵尊 12:41→12:42
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徒歩での移動
13:01→13:11
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徒歩での移動
14:09→14:17
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市役所南バス停
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バスでの移動
14:18
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電車での移動
15:28→16:40 興津行き
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電車での移動
17:00→17:53 沼津行き
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電車での移動
18:08→20:28 宇都宮行き グリーン車でゆったり
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この旅行記スケジュールを元に
青春18切符を使い、2泊3日で東海の城巡り。桜色の駿府城、掛川城、犬山
城、岐阜城、吉田城、浜松城を巡る お得な1人旅。最終編です。帰路はグリーン車利用。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
https://4travel.jp/travelogue/11769516 の続きです。
☆The Third Day☆ 3月29日 (火) ⑦
(写真) 11:57 遠州鉄道はスイカが使えません。ので新浜松駅で切符を買いました。
遠州鉄道 \140 -
(写真) 12:03遠州病院駅前
12:00 新浜松駅発 2駅目の遠州病院駅12:02着。 -
(写真) 12:03 遠州病院駅前 お洒落な作り。
グレーの石の左側にぶんきはしと書かれていたのですね。
漢字では 分器橋。不思議な名前。検索すると
「江戸時代、この橋のたもとに浜松城の御器蔵があり食器類が保存されており、この土地を分器といったこと か ら 『 分 器 橋』 と い 」うそうです。
*http://www.hamamatsu-machi.jp/wp-content/uploads/2013/09/%E9%A2%A8%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%B6%E3%82%93%E2%84%968%EF%BC%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E7%94%A8%EF%BC%89.pdf
浜松まちづくり推進センター通信 New 風しんぶん No. 8 -
(写真) 12:04 誕生井戸石灯篭?
徳川秀忠の産湯として使われた、実際の誕生井戸はここの西方約50m位のところにあったそうです。 -
(写真) 12:04 風流な誕生井戸と蒲公英
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(写真) 12:04 徳川秀忠公 誕生の井戸 説明板
出生の地のもう1説は浜松城二の丸の北だそうです。 -
(写真) 12:04 浜松 家康の散歩道説明板
私はオレンジ色の城内・城下ルートの内、浜松城・引間城跡・椿姫観音・誕生の井戸の4カ所を逆回りに巡りました。 -
(写真) 12:07 たんじょうはし 親柱?
誕生井戸を北に進むと、遠州鉄道の下が遊歩道になっていて「たんじょうはし」と刻まれたブロンズの親柱のようなものがあった。以前はこの辺りに新川が流れていて誕生橋がここにかかっていたのだろう。
石灯篭の「誕生井戸の由来」によれば
「ここの北方の誕生橋は秀忠の産まれた下屋敷が誕生屋敷と呼ばれたことに因んで」いる。 -
(写真) 12:08 常盤橋(/ときわはし)
更に少し進み常盤橋を左に曲がる。ここで曲がらず更に進むべきでした(>_<) -
(写真) 12:12
予習のメモに「常盤橋を左折して新川沿いの道を進む」と書いてあったので、常盤橋を左折するも新川は無し( ;∀;) 左折した道を進み、信号で右折すると廂屋根に兜の絵に北田町古見と書かれた建物があった。古見酒店の倉庫だろうか? -
(写真) 12:14 元濱橋前の見事な桜
更に進むと新川がありました。 -
(写真) 12:14 元濱橋から後常橋に向う新川沿いの道。遠州鉄道が走る。
新川沿いの桜も満開。元濱橋を渡って、新川沿いを戻り、後常橋の手嶋歯科を左折する。(「常盤橋を左折して新川沿いの道を進み、手嶋歯科で右折する」のメモ通りに進みたかったので) -
(写真) 12:18六間道路 横断歩道でない所で横切るのは危険です。
メモ通り六間道路を渡ろうとするが工事中の為か、写真のように中央に鉄棒がかかっていて渡れず。工事中でなくともセンターブロックがあるので危険です。 元浜町の信号のある横断歩道まで戻ることになりました。 -
(写真) 12:19香苑楼の少し先(写真の右手)の横断歩道を渡ります。
!遠州病院駅から椿観音堂へとグーグル徒歩ルート検索すると!
3つの行き方が出ますが、どのルートも 六間道路で横断歩道を渡らないので注意して下さい。 私が訪れた時は道路工事中だったこともあり、危険なだけでなく不可能でした。 -
(写真) 12:20 美好寿司(元浜町の信号の所)
元浜町の信号のある横断歩道で六間道路を渡り、(メモには頼らず(^^♪)そのまま楽器中通りを進みます。 -
(写真) 12:21椿観音通り
次の信号の右折すると椿観音通りです。通りの左側に「らーめん」看板がありますが、その隣が椿姫観音です。 -
(写真) 12:22 椿姫観音
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(写真) 12:22 椿姫観音
悲劇の城主、椿姫の伝説の地 -
(写真) 12:23 椿姫観音
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(写真) 12:24 史跡椿姫観音堂由来記 等の掲示板
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上の写真、史跡椿姫観音堂由来記の最初の部分のみ切り取りました。それでも読みづらいので全文書き写しました。「引間城」「引馬城」「曳馬城」と表記が三通りになっていますが、原文のまま写しています。
史跡椿姫観音堂由来記
この御堂は、椿姫観音堂と言い御堂の中には、椿姫観音(第四代引間城主飯尾豊前之守乗竜 正室 御田鶴の方)が、祭られています。
戦国時代、この地方は、今川家の領地として、今川家 重臣、飯尾豊前守乗竜が支配して
おりましたが、今川義元が桶狭間の戦いで 織田信長に敗れ戦死すると、今川家の力は、急速に衰え衰退が始まります。今川義元から氏真に代が替わると、徳川家康は、今川家の弱体に 目を付け、徳川方に付くよう何度も要請する。城内は今川派、徳川派に分裂、今川氏真は、乗竜が、徳川側に付いたとし、今川家に対する謀反だ! として 引馬城に攻め込む。が 容易に陥落しなかった。そこで氏真は、策を講じ和睦と見せかけ乗竜を駿府城に呼び出し暗殺する。永禄八年(一五六五年)
引馬城に残されたのは、城主乗竜の嫡男 義廣 その母お田鶴の方(後に乗竜亡き後、幼い義廣に代わり第五代引馬城主となる)であった。又とない絶好の時、 家康は、大軍で引馬城に攻め込む。曳馬城は小城であるが地理的にみてどうしても手に入れたい城であるす。
軍事力に勝る家康軍を相手に、大奮闘の兵、しかし武力に勝る家康軍の前には・・
落城寸前のさなか緋縅の鎧に白柄のなぎなた、丈なす黒髪に純白の鉢巻きのお田鶴の方、
それを取り巻く、白鉢巻き、たすき掛け、刀を手にした十八人の侍女、主君お田鶴の方を守り壮絶な戦い、引馬城の最後を飾る戦いであった。
この辺り一帯がその戦場となり力尽きたお田鶴の方は侍女十八名と共に戦死した。
永禄十一年十二月二十四日、の事でした。
女の身でありながら、あっ晴れな最後であり不憫である。家康は、この地に、お田鶴の方と侍女十八人の亡骸を手厚く葬り塚を築き祠を建てました。 -
(写真) 12:24 徳川まちなかさんぽ道、合戦ルート、城内・城下ルート等と各見学箇所の説明 等の掲示
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(写真) 12:24 祈願石
椿姫観音に合掌礼拝後 祈願石に触れながら祈願します。 -
(写真) 12:25祈願石
引間城には往路の逆を行っても良いが折角なのでメモ通りのルートで向う。
椿観音通りを渡り、右手にbeauty salon beni左手質屋の道を進み、六間道路へ。 -
(写真) 12:32 ウサギマークのテンカドー
右折し本浜町信号で楽器中通りを渡り、美好寿司前の横断歩道で六間道路を渡り右折し、通りを進むと写真のウサギの付いたテンカドーの建物が見えた。 -
(写真) 12:32 画創清水とテンカドーの間の二俣街道
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(写真) 12:32 げんもくはし
左折して二俣街道を進む。新川にかかる橋の欄干の下、左側はひらがなで「げんもくはし」 -
(写真) 12:33 元目橋
右側は「元目橋」と刻まれていた。 -
(写真) 12:33 オウバイモドキ
橋を渡ると右側の新川沿いにオウバイモドキが咲いていた。 -
(写真) 12:34 オウバイモドキ
アップしました。 -
(写真) 12:35 玄黙寺跡 此方は漢字が違います。
新川沿いの道を右に少し進むと古びた円柱に玄黙寺跡と記されていました。 -
(写真) 12:35 新川沿い。水仙は残っているものの秋の趣。
更に進み左手の浜松市役所元目分庁舎(右手、城北橋)で左折します。 -
(写真) 12:37 写真のらーめん・ぎょうざ菊伸の前の道を進みます。
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(写真) 12:37 右奥の森が元城町東照宮です。
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(写真) 12:38 先ずは東照宮の屋台置き場
三つ葉葵紋がついていますが、もう少し風情あってもいいのでは。 -
(写真) 12:39家康の散歩道 道標
偶然ですが、バックに屋台置き場の三つ葉葵紋が見えます。 -
(写真) 12:39 玄黙口駒板 玄黙でも元目でも同じなのですね。
駒板によれば 引間城北側の城門。1572年三方ヶ原の戦いで敗走した徳川家康はこの城門へ退却した。 -
(写真) 12:40 石垣の向こうが元城町東照宮
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(写真) 12:41 日限地蔵尊石碑
元城町東照宮と通りを挟んで隣りにあります。 -
(写真) 12:41 日限地蔵尊
ガラス越しでは上手く写真が撮れないので -
(写真) 12:42 日限地蔵尊
こちらのガラス窓を開けて -
(写真) 12:42 日限地蔵尊石碑
参拝させて(写真を撮らせて(^_-)-☆)戴きました。 -
(写真) 12:43 元城町東照宮
やっと着きました。 -
(写真) 12:44 曳馬城跡石碑
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(写真) 12:44 引間城本丸跡説明板
鎌倉時代の浜松は、「ひきま(ひくま)」と呼ばれる町・・・・戦国時代、この町を見下ろす丘の上に引間城が築かれます。・・・ -
(写真) 12:45 手水舎の梁に眠り猫
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(写真) 12:45 手水舎石鉢に三つ葉葵紋
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(写真) 12:46 古びた龍の口と石鉢
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(写真) 12:46 元城町東照宮由緒板
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(写真) 12:46 手水舎青天井の飛龍
青空を飛ぶ鳳凰かと思い、観光プロモーション課に問い合わせた所、飛龍だと返信戴きました。 -
(写真) 12:46 手水舎梁に潜む飛龍
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(写真) 12:46 まるで水鉢に潜む獲物を狙っているような龍
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(写真) 12:47 井上延陵君碑
「・・・明治19年、旧幕臣・井上延陵が本丸跡に家康を最新とする元城町東照宮を勧請し、境内となっています。」 *引間城本丸跡説明板 -
(写真) 12:47 元城町東照宮拝殿
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(写真) 12:48 拝殿の扉にも三つ葉葵紋
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(写真) 12:49 阿像台座にも三つ葉葵紋
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(写真) 12:48 吽像台座にも三つ葉葵紋
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(写真) 12:49 阿吽の龍
阿像の龍は玉を持っています。正にドラゴンボール(^^♪ -
(写真) 12:50 吽の龍の目はちょっとコミカル
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(写真) 12:50 ハート模様が可愛い献灯
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(写真) 12:51 権現道の石碑
観光プロモーション課によれば、権現は東照大権現で、家康公の神号であり、家康公が通った道という謂れから権現道と呼ばれ、碑が建立されたと言われているそうです。 -
(写真) 12:51元城町東照宮(引間城)から浜松城天守閣
丸パイプ等が邪魔ですが、浜松城天主閣がみえました。 -
(写真) 12:52 元城町東照宮(引間城)から浜松城天守閣
天主閣に人がいるのも見えました。 -
(写真) 12:54「二公像」出世の街 浜松 の像
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(写真) 12:54「二公像」出世の街 浜松 の像
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(写真) 12:56 浜松時代の若き徳川家康公像 三十一才
一五七三年(元亀三年十二月二十二日)
三方ヶ原合戦時に武田軍に立ち向かった時のご雄姿
家康公「我もし浜松を去らば刀を踏み折りて武士を止むべし」と言い放つ。 -
(写真) 12:54 浜松時代の若き徳川家康公像 三十一才説明板
「・・・・戦いには負けたが、武田軍を城まで踏み込ませることなく、撤退させた家康公、今川家や織田家の命令をはなれ初めて自分の意思で戦い、浜松城を保って領民を守り抜いたお姿である。」 -
(写真) 12:55 浜松時代の少年豊臣秀吉公像 十六才
一五五一年(天文二十年)
初めて武家奉公がかなったときの少年秀吉公のお姿 -
(写真) 12:55 秀吉公像の台座には「五七桐」がついていました。
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(写真) 12:55 浜松時代の少年豊臣秀吉公像 十六才説明板
「・・・・秀吉公は十六才~十八才の三年間、この浜松で過ごし成長していった。その後、松下家から退職金をもらい尾張へ帰った。そして織田信長公と出会い織田家中で出世をはたし、ついには天下人となった。」 -
(写真) 12:57 二公像の写真を撮るのではなく、一緒に写真を撮れば運気向上です。
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(写真) 12:57 (拝殿右奥)何の彫刻画でしょうか?
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(写真) 12:58 奉祝紀元二千六百年 山本松太郎と彫られた石碑
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(写真) 13:03 大手通り側のパーキング。石垣上の木々の間から東照宮が見えた。
13:01元城町東照宮発 鳥居を右折し、坂を下り大手通りに出る。大通りを渡り、通り向こうのパーキングを突っ切れば近道だが6車線道路で頗る危険。右側の横断歩道に向う。 -
(写真) 13:05 元城町東照宮の北西側石垣
乱積みと味のある算木積みの石垣を数枚撮る。 -
(写真) 13:06 横断歩道を渡る。
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(写真) 13:09 満開の桜と天主閣
ひろーいパーキングを左手に進んで行く。 -
(写真) 13:11
と写真の道標があった。ここで左折し駐車場に沿った道を進む。 -
(写真) 13:11 浜松城公園
右手に池が見えた。 -
イチオシ
(写真) 13:11 浜松城公園
静かな池の向こうにチビちゃんカップルが。 -
(写真) 13:13
ラブラブのカップル
結婚式前撮り撮影でしょう。 -
イチオシ
(写真) 13:13 見事な桜!
「花より団子」ですが、食べたいものが見つからず。 -
(写真) 13:15 徳川家康材上記の浜松城中枢部と城下町 説明板
「1570年、徳川家康は、岡崎城から引間城に拠点を移し、城の根本的な拡張工事を行い浜松城と改名しました。城の中心部を現在の天守の辺りへ移し、引間城は新城の中に組み込まれました。・・・
家康が築いた頃の浜松城は、その後に城主となった豊臣氏家臣の堀尾吉晴による改修工事でその大部分が地下に埋もれていますが、曲輪の位置や大きさには変わりがなかったようです。家康時代には、まだ石垣や天守はなく、土塁に囲まれた曲輪に、板葺きの屋根が建てられていた・・・」 -
(写真) 13:16 堀尾義春在城期の浜松城中枢部と城下町 説明板
「1590年、徳川家康は豊臣秀吉の命令で江戸城へ移り、・・・浜松城には堀尾吉晴が入りました。義春は、浜松城に高い石垣を築き、瓦葺の櫓や城門、そして天守を建築・・・・浜松城は東を正面にして整備され・・・
天守曲輪の内部の地面は現状よりも低く、それを廻る石塁は高さ3.2mほどもあって、天守曲輪南東済には瓦葺きの櫓が存在した・・・
1958年に復興された現在の天守は三重三階ですが、吉晴が築いた大きな天守台の三分の二ほどに縮小・・・吉晴が建築した天守は・・・四重五階、地下一階・・・天守正面と背後に付櫓を設けた複合式天守・・・」 -
(写真) 13:16 廃城時の浜松城中枢部と遠州浜松城絵図・城下町 説明板
「1600年、関ヶ原の戦い・・・(後)浜松城は譜代大名が治め・・・三の丸の拡張・・・整理・改修が行われました。
江戸時代の浜松城・・・には天守曲輪に天守や櫓が見えず・・・土塀・・・表門の天守門と裏門の埋門(土塀下の小門)だけがありました。・・・」
1872年から73年 建物、土地の払い下げで 浜松城の建造物は全てが失われた。
ここでSDカードが満杯。バックパックから別のを取り出すついでに、朝テークアウトしたアンパンを食べる。 -
(写真) 13:22 浜松城公園 銘石
この銘石を右折。 -
(写真) 13:22 少し進むと 浜松城二の丸跡の説明板があった。
「・・・
現在、二の丸跡跡地は浜松市役所・浜松市立元城小学校の一部となっています。」 -
(写真) 13:24 浜松公園ご案内
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(写真) 13:25 桜の向こうに見えるのは天守閣?
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(写真) 13:27 朝から桜ばかり撮ってます(^^♪
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(写真) 13:28 野面積み石垣に桜が映えました。
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イチオシ
(写真) 13:28 此方の方がもっと桜一杯。
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(写真) 13:29 浜松城本丸跡石碑
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(写真) 13:29 本丸駒板
「・・・普通の城は天守閣をとり囲むように本丸が配置されているが、浜松城の場合は天守閣の東泊十七m下につくられた。・・・」 -
(写真) 13:31 若き日の徳川家康公の銅像
手に持っているのは家康公の兜印「羊歯印」
*https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/hakken/mesho/shidajirushi.html -
(写真) 13:32 花見客で賑わう浜松城公園
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(写真) 13:33 約四百年前の築城の頃の面影を残す貴重な石垣。
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(写真) 13:33
「地震の際には、すみやかに石垣から離れてください。」とあります。美しいですが、危険です。 -
(写真) 13:34 天守門
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(写真) 13:34 門脇の鏡石説明板
巨石を用いた部分は算木積になっていない。
!説明板の左上のマークは家康公の兜印「羊歯印」! -
(写真) 13:35 天守門に向って右の鏡石
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(写真) 13:35 天守門に向って左の鏡石
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(写真) 13:35 天守門の礎石説明板
「・・・
礎石に乗る門柱6本は、不整形な両脇の石額の開きに沿うように配置される。このような柱の配置は、桃山時代から江戸時代初期の櫓門にみられることから、天守門は、幕末まで古式な城門の特徴を継承していたことがわかる。
・・・」 -
(写真) 13:36 稲荷神社はこの写真を撮っただけ。
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(写真) 13:36 浜松城の石垣(野面積み) 説明板
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(写真) 13:36 浜松城の石垣(野面積み) 説明板の図解部
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(写真) 13:36 浜松城跡 説明板
「・・・東西六〇〇㍍、南北六五〇㍍の規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。ここは、その天守曲輪の跡である。・・・」
上中央のマークは白い兜とブルーとピンクの羊歯印でしょうか? お洒落ですね。 -
(写真) 13:37 天守台 説明板
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(写真) 13:37 天守台と天守門
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(写真) 13:38 天守曲輪の石塁と土塀 説明板
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(写真) 13:38 井戸説明板
銀名水と呼ばれる井戸。浜松城には計十本の井戸があったそうだ。 -
写真) 13:39 井戸
天守台の井戸が天守閣の地下室にあるそうですが、見るのを忘れました(>_<) -
(写真) 13:39八幡台 駒板
「ここは天守台の北西にあたり、五段の石垣により天守台より高い。・・・浜松城のなかで最も高い所(四十一・九m)である。
・・・」 -
(写真) 13:40 沢山のお花見客
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(写真) 13:40 天守曲輪 説明板
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(写真) 13:41 新たに発見された櫓跡 説明板
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(写真) 13:41 天守閣 8:30-16:30 入場料200円 (天守門、天守閣共通)
!!現在浜松城天守閣については外装改修工事中。2022年12月20日頃まで!!
*https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/
このサイトから3Dバーチャル映像で天守閣内を覗けます(^^♪ -
(写真) 13:48 1F
入口で貰った2021年1月1日 リニューアルオープン!のリーフレットによれば
1Fは人がテーマで「情熱の層 家康の暑き思いを描く」となっています。 -
(写真) 13:49 1F
「 我もし浜松を去らば刀を踏み折りて武士を止むべし」と言い放ったものの -
(写真) 13:51 1F 子供達も楽しんでいました。
-
(写真) 13:53 1F こんな感じの展示になってます。
上記の3Dバーチャル映像の方が鮮明ですので、興味のある方はそちらでどうぞ。 -
(写真) 13:54浜松城築城期の遠江 パネル 右 1F
軍事的な重要拠点の浜松城 静岡県西部地域には戦国時代の城郭が数多く分布する。
①高根城 ②犬居城 ③二俣城 ④鳥羽山城 -
(写真) 13:54 浜松城築城期の遠江 パネル 左 1F
軍事的な重要拠点の浜松城 静岡県西部地域には戦国時代の城郭が数多く分布する。
⑤三岳城 ⑥井伊谷城 ⑦佐久城 ⑧宿蘆寺・大沢家墓所 -
(写真) 13:54 浜松時代の若き徳川家康公像 1F
元亀3年12月22日、三方ケ原の合戦へ出陣する31歳の若き徳川家康公の等身大の像のバックには、三方ケ原の合戦の映像が流れます。 -
(写真) 13:55井桁紋軒丸瓦 2F
井上氏が城主の期間
(1758年~1817年、1845年~1868年) -
(写真) 13:56 徳川秀忠の甲冑 2F
前述のリーフレットによれば
2Fは城がテーマで「情勢の層 家康がつくった浜松城の歴史を掘り起こす」となっています。 -
(写真) 13:56 堀尾吉晴が築いた城 パネル2F
関ヶ原の戦いののち、出雲へ移転した堀江氏が築城した
松江城には浜松城と同じく、天守に付け櫓が付属し、地下に井戸があるそうです。 -
(写真) 13:56 重箱(三葉葵紋入) 江戸時代 2F
-
(写真) 13:57 城主と浜松城 パネル 2F
「江戸時代の浜松城主は・・・10家22代を数え、いずれも譜代大名・・・多くの城主が浜松城在城中やその前後に老中など幕府の要職に就いたことから、浜松城は『出世城』とも呼ばれている。」 -
(写真) 13:57 浜松城の動画の一部 2F
-
(写真) 13:57 浜松城の動画の一部 2F
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(写真) 13:59 3F 天守閣展望台より 東側
展望説明(写真)には
「東側には、中世の引間宿や浜松城の前身である引間城がある。天守が造られた安土桃山時代の浜松城は、東からの眺めが意識されている。」と記されています。
!!2022年12月20日頃まで天守閣3階展望台の見学ができません。!! -
(写真) 13:59 3F 天守閣展望台より天守門
3Fは街がテーマで「情景の層 家康が過ごした 浜松をめぐる・浜松を望む」です。 -
(写真) 13:59 3F天守閣展望台より北東 正面奥の森が引間城
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(写真) 14:00 3F天守閣展望台より
白い標識のようなものは何でしょうか? 八幡台の上にあります。 -
(写真) 14:01 3F天守閣展望台よりズームすると、三角点とありました。 経度緯度が定められる点だそうです(>_<)
3F金の天井には歴代城主の家紋が描かれていたようです( ;∀;) -
(写真) 14:02 2F 浜松城再建記の口語訳
廃墟となって長い浜松城の再建計画を有志により進め、市民の協賛を得て、昭和33年4月26日再建された。 -
(写真) 14:02 2F 浜松城再建記
完全な漢文ではないので私でも読めます(^^♪ -
(写真) 13:40 天守門説明板
「・・・天守門は幕末まで維持されたが、明治6年(1873)に解体され、払い下げられた。・・・」 -
(写真) 13:41 天守門 鬼瓦には井桁紋がついている。
「・・・天守門は、門の上部に櫓が載る櫓門と呼ばれる形式がとられている。・・・」
*説明板 -
(写真) 14:06 石落とし説明板 天守門内
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(写真) 14:06 石落とし 天守門内
これなら私でも侵入者を狙えそう(^^♪ -
(写真) 14:06 天守門の骨組みと名称 上半分
ピンボケで字が読みずらいので二分割しました。
それでも読めませんが( ;∀;)
日本家屋の名称を知らないので、参考になります。 -
(写真) 14:06 天守門の骨組みと名称 下半分
こちらは英語部分カットなので読めますね(^^♪
江戸時代の城郭建築はシンプルで堅固。装飾は殆どなし。 -
(写真) 14:06 平成21年度から24年度にわたり天守門跡の発掘調査の際出土した鯱瓦
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(写真) 14:07 平成21年度から24年度にわたり天守門跡の発掘調査の際出土した軒平瓦
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(写真) 14:07 平成21年度から24年度にわたり天守門跡の発掘調査の際出土した家紋瓦 左は「本庄松平家の繋ぎ九つ目紋」。右は「太田家の丸に桔梗紋」でしょうか?
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(写真) 14:07 豊臣家の家紋である桐紋をあしらった瓦が出土したそうです。
桐紋の下の部分でしょうか? どのように確定するのでしょうか?
こちらの実物は文化財課に問い合わせた所、天守閣に展示されているそうです。
見なかったような( ;∀;)
14:08 天守門内見学終了 -
(写真) 14:09 天守門高台から 右上は南広場
南広場に浜松城本丸南面石垣、家康お手植えみかん そして!家康公鎧掛松!もあったのですね。そうとは知らず(>_<) -
(写真) 14:11 浜松城天守閣
鬼瓦、丸軒瓦の三葉葵紋、ズームで写真撮るの忘れました。 -
(写真) 14:11 浜松城天守閣
浜松城見学は相当疲れていたようで飛ばし過ぎ(>_<) -
(写真) 14:16本丸南の空堀説明板
「・・・この堀は公園南側の道路の下に考えられていますが、その大きさ(範囲)については、明確になっていません。」
説明板以外にそれらしきものがあったのか記憶にありません( ;∀;) -
(写真) 14:17市役所南 バス停
市役所横の道を下って行くとそばにバス停発見! -
(写真) 14:18スイカがつかえないので 入口で整理券を取りました。
遠鉄バス ¥120 -
(写真) 14:33 JR駅内の浜松餃子石松へ
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(写真) 14:33 先ずは自分に乾杯
初日に飲みそこねた静岡限定ビール最終日に飲みました。 -
(写真) 14:39 ご当地生中\590は税込み価格
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(写真) 14:41 浜松餃子10個盛り
もやしも一緒に出されました。ビールにピッタリ(^^♪
税込みで\630 14:55 お会計 計\1,220
15:06 ヤマサちくわ 浜松メイワン店で お土産用に特製ちくわ10本包み(\1,404)+黒胡椒豆ちくわ(\324) 保冷剤(\220) 計\1,948 購入。 -
(写真) 15:18 興津行き入線
15:16 浜松 Kioskでうなぎボーン(\208) &エビスビール(\285) 計¥456
(静岡の乗り継ぎ時間で買えないと悲しいので)
うなぎボーン車内で食べず家で食べました。不味くて一口食べただけ。冷蔵庫に眠らせておき賞味期限切れに気付き本日捨てました。
15:28 浜松発 -
(写真) 15:41 ホームでスイカにグリーン券を書き込む?自信がなかったので浜松駅でグリーン券買いました。 沼津→東京 ¥1,000
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(写真) 16:09 こんなにガラガラですが、クロスシートではありません。
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(写真) 16:10 大井川を渡る。
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(写真) 16:12 島田駅
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(写真) 16:29 桜咲く長閑な山並み(焼津を少し過ぎた辺り)
16:27 焼津着 -
(写真) 16:41 興津行き電車 静岡駅1番線
16:40静岡着。16:44 静岡駅のKioskで生春巻き(\354)と揚げかま(\138)を買う。 -
(写真) 16:48 静岡駅1番線
17:00 熱海行き入線。 -
(写真) 16:51 熱海行きの別の電車が近づいて来ました。
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(写真) 16:54 車両連結が始まりました。
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(写真) 16:54 連結完了。向こうの車両から車掌さんがこちらにやって来ました。
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(写真) 16:55 向こうの車両に移動できるようになりました。孫に見せたかった( ;∀;)
17:00 静岡発
17:53 沼津着 イヨイヨ、グリーン車です。 -
(写真) 17:59 2階席に座ります。
15:52 浜松発 18:06 沼津着 18:08 沼津発が最も効率がいいのですが、乗り継げないとグリーン車に乗れないので。9/6現在、グリーン車のある東海道線検索してみましたが、分かりません。ので何故18:08沼津発にこだわったかは失念( ;∀;) -
(写真) 17:59 2階席より沼津駅
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(写真) 18:09 静岡駅Kioskで買った生春捲き
することもないし、生ものは早く食べた方がいいので電車が動きだすのを待って食べる。味はイマイチ。 -
(写真) 18:18 静岡駅でKioskで買った 揚げかま あおさのり
摘みにピッタリ -
(写真) 18:24いつもよりチョットランクアップ。缶から直接は不味い筈が車内で飲むと格別。
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(スキャン画像) 茅ヶ崎の少し手前で漸く車掌が、グリーン券に鋏を入れ、入鋏済スタンプを押しに来ました。
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(写真) 20:10 川崎着
グリーン車が余りに心地好いので少し遠回りですが、東京駅乗り換えで帰りました。
20:28 東京着
青春18切符 始めの2枚は娘と水戸へ日帰り旅行。グリーン車を使う裏技はこの時娘に教えて貰いました。娘はスマホを使い、座席に座る時上の部分をタッチしチェックイン?してました。ので水戸行きはグリーン券拝見は無し。
残りの3枚は1人で。貧乏根性で一日の移動距離を延ばしてしまい疲れた。怪我しなくて良かった(^_-)-☆
沖縄旅行を挟み半年遅れの旅行記で、うろ覚えの所も多々。様々な方にメールや電話でお手伝い戴きました。改めて感謝です。
そしてここまでお付き合い下さいました皆様有難うございます。
2022.9.7 パッピー
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