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7月の初め、平日に時間が出来たので、しばらく行ってなかった大宮の「鉄道博物館」に行ってきました。<br />てっぱくは何年か前にリニューアル・増床されているので、そこを見るのも楽しみだった。コロナの関係で、今は「時間指定入場券」をあらかじめ予約するかコンビニで事前購入する方法をとっています。<br />大宮の鉄道博物館は貨物列車に関する展示もあります。それでは車両中心に鉄道博物館を紹介しましょう。

平日、大宮「鉄道博物館」紀行・その他諸々

62いいね!

2022/07/07 - 2022/07/07

72位(同エリア890件中)

fmi(ふみ)

fmi(ふみ)さん

この旅行記スケジュールを元に

7月の初め、平日に時間が出来たので、しばらく行ってなかった大宮の「鉄道博物館」に行ってきました。
てっぱくは何年か前にリニューアル・増床されているので、そこを見るのも楽しみだった。コロナの関係で、今は「時間指定入場券」をあらかじめ予約するかコンビニで事前購入する方法をとっています。
大宮の鉄道博物館は貨物列車に関する展示もあります。それでは車両中心に鉄道博物館を紹介しましょう。

旅行の満足度
3.5
観光
4.0
グルメ
3.5
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 今回は東京駅から大宮駅まで上野東京ラインを使用。<br />ダイヤ乱れで遅れが出ており、このように列車が詰まっていた。

    今回は東京駅から大宮駅まで上野東京ラインを使用。
    ダイヤ乱れで遅れが出ており、このように列車が詰まっていた。

    上野東京ライン 乗り物

  • 大宮駅ニューシャトルのホームからはJR大宮工場が一部見える。<br />中央線のE233。グリーン車の組み込みデモしてるのかな?

    大宮駅ニューシャトルのホームからはJR大宮工場が一部見える。
    中央線のE233。グリーン車の組み込みデモしてるのかな?

    大宮駅

  • てっぱくのエントランス。<br />博物館の真向いにあるコンビニで入場券を買う方式に変わっていた。時間指定。<br />

    てっぱくのエントランス。
    博物館の真向いにあるコンビニで入場券を買う方式に変わっていた。時間指定。

    鉄道博物館 美術館・博物館

    リニューアルから5年 by fmi(ふみ)さん
  • 最初に2階に上がり車両ステーション2階にある模型を見ながら、渡り廊下を通って南側の新館へ向かう。<br />食堂が2か所に移転し、昔あった一階の食堂は工事中、向かいの土産物売り場は健在。

    最初に2階に上がり車両ステーション2階にある模型を見ながら、渡り廊下を通って南側の新館へ向かう。
    食堂が2か所に移転し、昔あった一階の食堂は工事中、向かいの土産物売り場は健在。

  • 車両が多く展示されているエリアの吹き抜け2階、その新幹線側(西側)壁面には、古くからの国鉄車両の模型が展示されている。<br />その模型を、形式の解説含め紹介しよう。

    車両が多く展示されているエリアの吹き抜け2階、その新幹線側(西側)壁面には、古くからの国鉄車両の模型が展示されている。
    その模型を、形式の解説含め紹介しよう。

  • 展示模型。こっちの方が展示が濃いんだよね。<br />エポックメイキングな車両なら私鉄の模型も展示されてる。

    展示模型。こっちの方が展示が濃いんだよね。
    エポックメイキングな車両なら私鉄の模型も展示されてる。

  • 昭和初期の2等寝台車。現在の開放A寝台に相当。<br />ツーリストタイプとよばれる2段式で、戦後のプルマン式A寝台との違いは、座席にしたときはロングシートだったこと。<br />

    昭和初期の2等寝台車。現在の開放A寝台に相当。
    ツーリストタイプとよばれる2段式で、戦後のプルマン式A寝台との違いは、座席にしたときはロングシートだったこと。

  • DF50型電気式ディーゼル機関車。岡山や愛媛などに3両実物が保存されている。<br />昭和32年に登場した6動軸の箱型DLで、現在のJR貨物DF200型と同じく、ディーゼルエンジンで発電し、電気でモータを回して走る機関車。<br />世界的にはこのような電気式が主流だが、我が国の国鉄時代は長らく液体変速機式が主流だった。<br />ドイツ製エンジンを積みドイツの技術をもとにして130両以上生産されたのだが、エンジンの出力が1200馬力1台で発電機をまわし直流電動機を駆動する方式では、蒸気機関車であるC62やD51よりも低性能だったため、大量に製造はされず、蒸気を置き換える存在にはならなかった。<br />ローカル線用なので重量も大きく出来ないということが電気式DLにとっては致命的だった。<br />なお、JR世代のDF200電気式DLは、1800馬力の小松エンジンを2台積み、6動軸で軸重16トン、インバータ制御で交流誘導電動機を駆動するため、単純に出力だけ見るとED75電気と同等である。

    DF50型電気式ディーゼル機関車。岡山や愛媛などに3両実物が保存されている。
    昭和32年に登場した6動軸の箱型DLで、現在のJR貨物DF200型と同じく、ディーゼルエンジンで発電し、電気でモータを回して走る機関車。
    世界的にはこのような電気式が主流だが、我が国の国鉄時代は長らく液体変速機式が主流だった。
    ドイツ製エンジンを積みドイツの技術をもとにして130両以上生産されたのだが、エンジンの出力が1200馬力1台で発電機をまわし直流電動機を駆動する方式では、蒸気機関車であるC62やD51よりも低性能だったため、大量に製造はされず、蒸気を置き換える存在にはならなかった。
    ローカル線用なので重量も大きく出来ないということが電気式DLにとっては致命的だった。
    なお、JR世代のDF200電気式DLは、1800馬力の小松エンジンを2台積み、6動軸で軸重16トン、インバータ制御で交流誘導電動機を駆動するため、単純に出力だけ見るとED75電気と同等である。

  • JRになってから改造で登場した「北斗星」用の個室B寝台車「ソロ」の内部構造が良く分かる。<br />こういうようなパズルと言うか入れ子細工のような内部構造が個室寝台車の大きな魅力。<br />個室寝台は、A寝台は国鉄時代から存在したが、B寝台に普及したのはJRになってからで、東海道ブルトレ「あさかぜ号」に試験的に2人用のものを採用したところ、好評だったことから、昭和63年登場の北海道ブルトレで本格的に採用された。<br />以降、、画像のような枕木方向に寝台が並ぶタイプが、「北陸」、「はやぶさ」「富士」などに、ブルマン寝台を個室にしたような進行方向を向いたタイプが、「あかつき」「あけぼの」そして今も現役の「サンライズ」に連結されている。<br />開放B寝台と同一料金だが快適さは別格で年間通して高い利用率を誇っていた。

    JRになってから改造で登場した「北斗星」用の個室B寝台車「ソロ」の内部構造が良く分かる。
    こういうようなパズルと言うか入れ子細工のような内部構造が個室寝台車の大きな魅力。
    個室寝台は、A寝台は国鉄時代から存在したが、B寝台に普及したのはJRになってからで、東海道ブルトレ「あさかぜ号」に試験的に2人用のものを採用したところ、好評だったことから、昭和63年登場の北海道ブルトレで本格的に採用された。
    以降、、画像のような枕木方向に寝台が並ぶタイプが、「北陸」、「はやぶさ」「富士」などに、ブルマン寝台を個室にしたような進行方向を向いたタイプが、「あかつき」「あけぼの」そして今も現役の「サンライズ」に連結されている。
    開放B寝台と同一料金だが快適さは別格で年間通して高い利用率を誇っていた。

  • 現在の特急グリーン車の原型、特別二等車スロ54。<br />戦後に登場した、我が国初めてのリクライニングシートを装備した2等車。座席そのものの完成度が高く、国鉄末期の特急用電車や気動車までこの座席が採用された。<br />従来の回転腰掛の2等車とちがい、二等運賃の他に特別料金を徴収した。当時復活したばかりの特急列車や人気急行列車に優先して連結された。<br />この頃は、「船」には空調があったが、車載冷房はようやく登場したばかりで、食堂車や一等車が優先して冷房化されており、二等車は「扇風機」がサービスで寝台車や特急車両も含め、列車に冷房は無いのが常識だった。<br />しかも、列車の先頭にはもくもくと煙を吐く黒い熱の固まり、おまけに端っこのトイレの床下からは.......<br />親から聞いたが当時の列車旅行は、「普通の人」には苦行だったらしい。

    現在の特急グリーン車の原型、特別二等車スロ54。
    戦後に登場した、我が国初めてのリクライニングシートを装備した2等車。座席そのものの完成度が高く、国鉄末期の特急用電車や気動車までこの座席が採用された。
    従来の回転腰掛の2等車とちがい、二等運賃の他に特別料金を徴収した。当時復活したばかりの特急列車や人気急行列車に優先して連結された。
    この頃は、「船」には空調があったが、車載冷房はようやく登場したばかりで、食堂車や一等車が優先して冷房化されており、二等車は「扇風機」がサービスで寝台車や特急車両も含め、列車に冷房は無いのが常識だった。
    しかも、列車の先頭にはもくもくと煙を吐く黒い熱の固まり、おまけに端っこのトイレの床下からは.......
    親から聞いたが当時の列車旅行は、「普通の人」には苦行だったらしい。

  • 広く知られ人気のある急行型気動車、キハ58系。<br />原型はこんな感じで、1823両も製造されたこの車両の大半は冷房はついてなかった。JR以降の特に西日本や四国、九州でよく見かけたモノは冷房付だったが、これは昭和40年代に入って、改造されたものがほとんど。<br />東北や北海道の物は最後まで冷房が付かずに廃車されたものも多い。<br />冷房化は単純にはいかず、まず電源用の発電エンジンが必要、これがやっかいでエンジンを二台積んだ58型は取り付ける場所が無く、エンジン1台の28型に電源を追加し、そこから3両分の冷房電源を供給した。なので、3両編成中1両はエンジンが1台のみになる。この頃の気動車のエンジンは直噴式じゃないので非力で、8気筒17リットルもあるのに出力は180馬力しか出ない。<br />連続勾配千分の25なんて路線では冷房付では運用が困難、なので急行でも電車に比べ気動車は冷房化が遅れた。ある程度解決のめどが立ったのは、12気筒500馬力エンジンと電源セットを装備するキハ65型が登場してからである。<br />なお、北海道に走ってたキハ40改造の急行列車は、「床の上」要は客室内に電源エンジンを乗っけるという離れ業を行ってた。<br />写真のような姿が基本形なのだが、JRになってから「魔改造」されたものが多く、座席をリクライニングにする、横引きカーテンをつける、ロングシートにする、エンジンを別次元の強力なのに換装する、などなど趣味的に素晴らしい車両として鉄ヲタに愛された。<br />

    広く知られ人気のある急行型気動車、キハ58系。
    原型はこんな感じで、1823両も製造されたこの車両の大半は冷房はついてなかった。JR以降の特に西日本や四国、九州でよく見かけたモノは冷房付だったが、これは昭和40年代に入って、改造されたものがほとんど。
    東北や北海道の物は最後まで冷房が付かずに廃車されたものも多い。
    冷房化は単純にはいかず、まず電源用の発電エンジンが必要、これがやっかいでエンジンを二台積んだ58型は取り付ける場所が無く、エンジン1台の28型に電源を追加し、そこから3両分の冷房電源を供給した。なので、3両編成中1両はエンジンが1台のみになる。この頃の気動車のエンジンは直噴式じゃないので非力で、8気筒17リットルもあるのに出力は180馬力しか出ない。
    連続勾配千分の25なんて路線では冷房付では運用が困難、なので急行でも電車に比べ気動車は冷房化が遅れた。ある程度解決のめどが立ったのは、12気筒500馬力エンジンと電源セットを装備するキハ65型が登場してからである。
    なお、北海道に走ってたキハ40改造の急行列車は、「床の上」要は客室内に電源エンジンを乗っけるという離れ業を行ってた。
    写真のような姿が基本形なのだが、JRになってから「魔改造」されたものが多く、座席をリクライニングにする、横引きカーテンをつける、ロングシートにする、エンジンを別次元の強力なのに換装する、などなど趣味的に素晴らしい車両として鉄ヲタに愛された。

  • 現役時代のキハ58系(西日本車、山陰線岩美駅)<br />比較的原型をとどめている。<br />キハ58系は、グリーン車として製造された車両以外、全て片側に運転台を備え、編成の自由度が高く(まあ一般型気動車もそうなんだが)、JRの時代は2両編成で普通列車に使用されるケースが日本中で視られた。

    現役時代のキハ58系(西日本車、山陰線岩美駅)
    比較的原型をとどめている。
    キハ58系は、グリーン車として製造された車両以外、全て片側に運転台を備え、編成の自由度が高く(まあ一般型気動車もそうなんだが)、JRの時代は2両編成で普通列車に使用されるケースが日本中で視られた。

  • キハ58系 魔改造の一例。<br />JR東日本車、奥羽線鷹巣駅 1999年<br />エンジン換装、座席総取り替え(リクライニングシート)、側面方向幕取り付け。急行よねしろや月山に使用されていた。<br />キハ58系は、いすみ鉄道で動態保存してるほか、敦賀、広島、津山で保存されている。

    キハ58系 魔改造の一例。
    JR東日本車、奥羽線鷹巣駅 1999年
    エンジン換装、座席総取り替え(リクライニングシート)、側面方向幕取り付け。急行よねしろや月山に使用されていた。
    キハ58系は、いすみ鉄道で動態保存してるほか、敦賀、広島、津山で保存されている。

  • 人気の高かった国鉄ディーゼル特急の代表、キハ82型気動車。<br />先行登場してたキハ81を改良し、先頭車は優美な貫通式になった。<br />メカニズムは従来の気動車と大きく変わらず、先頭車は走行機関1台と電源用エンジン1台を装備、中間車は食堂車含め全て走行機関2台とした。<br />昭和36年のサンロクトウで颯爽とデビューし、全国に特急網を整備した。<br />北海道のおおぞら号、日本海側の白鳥号、東北常磐線のはつかり号、山陰のまつかぜ号、山陽九州のかもめ号等々。<br />電源を完備していたので全車冷房装備となり、客車特急から大幅なサービス向上となった。<br />意外と早く老朽化が進み、国鉄時代から後継の181系、183系気動車に置き換えが進んでいたが、JRになっても東海の特急南紀は平成4年までこの形式が活躍していた。<br />ここ、てっぱくは電車や機関車の実車展示は多いが、気動車の展示はわずかで、往年の名車はこのように模型で眺めるのみ。尚、キハ80系は名古屋のリニア鉄道館など国内各所に保存車が存在する。<br />

    人気の高かった国鉄ディーゼル特急の代表、キハ82型気動車。
    先行登場してたキハ81を改良し、先頭車は優美な貫通式になった。
    メカニズムは従来の気動車と大きく変わらず、先頭車は走行機関1台と電源用エンジン1台を装備、中間車は食堂車含め全て走行機関2台とした。
    昭和36年のサンロクトウで颯爽とデビューし、全国に特急網を整備した。
    北海道のおおぞら号、日本海側の白鳥号、東北常磐線のはつかり号、山陰のまつかぜ号、山陽九州のかもめ号等々。
    電源を完備していたので全車冷房装備となり、客車特急から大幅なサービス向上となった。
    意外と早く老朽化が進み、国鉄時代から後継の181系、183系気動車に置き換えが進んでいたが、JRになっても東海の特急南紀は平成4年までこの形式が活躍していた。
    ここ、てっぱくは電車や機関車の実車展示は多いが、気動車の展示はわずかで、往年の名車はこのように模型で眺めるのみ。尚、キハ80系は名古屋のリニア鉄道館など国内各所に保存車が存在する。

  • 登場時は画期的な車両だった、国鉄10系客車。<br />いわゆる旧型客車の最後にあたる形式である。<br />最大の特徴は、国鉄で初めて「セミモノコック構造」を採用したこと。<br />これ以前の客車や電車は、乱暴に言うと、コンテナ車の上に長さ20mのコンテナを乗っけたような造りだった。要するに土台となる台枠を頑丈に作り、上屋の客室は強度を負担しない。<br />これを、戦時中、飛行機では当たり前に採用されていた、車体全体で強度を負担するモノコック構造を車両に採用したのである。なので、この10系以降の車両は、台枠や床下の造りが簡素、補強用のウインドシルなども無い。<br />また、形鋼や砲金、木材を多用していた内装、扉、台車なども鋼板プレス材、合板、合成樹脂などを使うようになった。台車も全くの新設計で大幅に軽くなった。<br />ただし、大手私鉄などでは、このような画期的な車両は国鉄よりも先に実用化していた。10系客車が登場したのは昭和30年だが、東急は昭和29年登場の5000系初代でこの構造を実用化してたし、地下鉄丸の内線は昭和28年の開業当初より、このような構造の電車だった。<br />また、10系はじめ初期のモノコック構造車両は、安普請だったせいか老朽化も早かった。重いが丁寧な造りと木造の保温性の高い内装、重いけど優れた台車をはいた先代の43系客車のほうが長持ちしてる結果になった。<br />その後ハイテン鋼の採用など造りがしっかりした「国鉄型」が昭和30年代末から登場してくる。<br />「本当の」軽量構造の車両は、昭和40年代になって登場したアルミ合金製、軽量ステンレス製の車両であり、これらも、大手私鉄の方が国鉄よりずっと早く実用化してしまった。

    登場時は画期的な車両だった、国鉄10系客車。
    いわゆる旧型客車の最後にあたる形式である。
    最大の特徴は、国鉄で初めて「セミモノコック構造」を採用したこと。
    これ以前の客車や電車は、乱暴に言うと、コンテナ車の上に長さ20mのコンテナを乗っけたような造りだった。要するに土台となる台枠を頑丈に作り、上屋の客室は強度を負担しない。
    これを、戦時中、飛行機では当たり前に採用されていた、車体全体で強度を負担するモノコック構造を車両に採用したのである。なので、この10系以降の車両は、台枠や床下の造りが簡素、補強用のウインドシルなども無い。
    また、形鋼や砲金、木材を多用していた内装、扉、台車なども鋼板プレス材、合板、合成樹脂などを使うようになった。台車も全くの新設計で大幅に軽くなった。
    ただし、大手私鉄などでは、このような画期的な車両は国鉄よりも先に実用化していた。10系客車が登場したのは昭和30年だが、東急は昭和29年登場の5000系初代でこの構造を実用化してたし、地下鉄丸の内線は昭和28年の開業当初より、このような構造の電車だった。
    また、10系はじめ初期のモノコック構造車両は、安普請だったせいか老朽化も早かった。重いが丁寧な造りと木造の保温性の高い内装、重いけど優れた台車をはいた先代の43系客車のほうが長持ちしてる結果になった。
    その後ハイテン鋼の採用など造りがしっかりした「国鉄型」が昭和30年代末から登場してくる。
    「本当の」軽量構造の車両は、昭和40年代になって登場したアルミ合金製、軽量ステンレス製の車両であり、これらも、大手私鉄の方が国鉄よりずっと早く実用化してしまった。

  • 旧型電気機関車の集大成、EH10型直流電気機関車。<br />昭和20年代末に、東海道線で長大編成を弾くために、2車体連結8動軸、出力も2600kwとEF66が登場するまでは直流機最強だった。<br />10パーミルを超える勾配を、重量1200トンの貨車を牽いて登ることを目標にしたら、このようなマンモス電機となった。登場の経緯がJR貨物のEH500と全く似ている。<br />画像の模型は、おそらく高速試験機で、機関車牽引で客車列車のまま時速120キロを目指し試験していたもの。ほどなく、重い機関車では軌道が壊れると言うことでこだま型151系電車の登場になるのだが。<br />我が国の鉄道ははっきり言って軌道が韓国や中国と比べても脆弱で、機関車の軸重も17トン未満が未だ限界である(韓国は22トン,中国は23トン超)、重い機関車が走れないのは貨物輸送で圧倒的に不利で、欧州並みにフレキシブルな客車運転も無理。なので、足を頑丈にするのではなく、足を増やすことで弱点を補うと言う我が国特有の進化をした機関車なのである。<br />バーニヤ制御を実用化したEF60以降やインバータ制御の新世代機関車の普及で、この8動軸のマンモス機は歴史になると思ったら、JRになって3形式も登場しちゃったよ。<br />主な活躍は、東海道線でコンテナ特急「たから号」を牽いていたこと。時速85キロという、当時の貨物としては最速のスピードで走ることが出来た。

    旧型電気機関車の集大成、EH10型直流電気機関車。
    昭和20年代末に、東海道線で長大編成を弾くために、2車体連結8動軸、出力も2600kwとEF66が登場するまでは直流機最強だった。
    10パーミルを超える勾配を、重量1200トンの貨車を牽いて登ることを目標にしたら、このようなマンモス電機となった。登場の経緯がJR貨物のEH500と全く似ている。
    画像の模型は、おそらく高速試験機で、機関車牽引で客車列車のまま時速120キロを目指し試験していたもの。ほどなく、重い機関車では軌道が壊れると言うことでこだま型151系電車の登場になるのだが。
    我が国の鉄道ははっきり言って軌道が韓国や中国と比べても脆弱で、機関車の軸重も17トン未満が未だ限界である(韓国は22トン,中国は23トン超)、重い機関車が走れないのは貨物輸送で圧倒的に不利で、欧州並みにフレキシブルな客車運転も無理。なので、足を頑丈にするのではなく、足を増やすことで弱点を補うと言う我が国特有の進化をした機関車なのである。
    バーニヤ制御を実用化したEF60以降やインバータ制御の新世代機関車の普及で、この8動軸のマンモス機は歴史になると思ったら、JRになって3形式も登場しちゃったよ。
    主な活躍は、東海道線でコンテナ特急「たから号」を牽いていたこと。時速85キロという、当時の貨物としては最速のスピードで走ることが出来た。

  • D51に見えるが、これはC58型蒸気機関車。三動軸のテンダー式旅客用機関車だが、亜幹線用・ローカル線用として貨物運用もこなした。軸配置は先輪1組、動輪3組、従輪1組(1-C-1)のプレーリー型。<br />昭和13年から製造され、同時期に量産されたD51と共通点が多い。<br />房総ではハチロクとともになじみの深い機関車で、千葉県下では主役として旅客に貨物に昭和43年まで重用された。<br />現在、動態保存されているものが2両。特に関東では、秩父鉄道のパレオエクスプレスの牽引機としておなじみだ。

    D51に見えるが、これはC58型蒸気機関車。三動軸のテンダー式旅客用機関車だが、亜幹線用・ローカル線用として貨物運用もこなした。軸配置は先輪1組、動輪3組、従輪1組(1-C-1)のプレーリー型。
    昭和13年から製造され、同時期に量産されたD51と共通点が多い。
    房総ではハチロクとともになじみの深い機関車で、千葉県下では主役として旅客に貨物に昭和43年まで重用された。
    現在、動態保存されているものが2両。特に関東では、秩父鉄道のパレオエクスプレスの牽引機としておなじみだ。

  • 動態保存されているC58機関車。熊谷駅で。

    動態保存されているC58機関車。熊谷駅で。

  • 国鉄貨車、ク5000型車運車。記号の「ク」はクルマのクで、その名の通り、自動車を輸送する。<br />昭和40年代に様々な種類が登場した「物資適合貨車」のひとつで、新品の乗用車を工場から港や大都市へ運ぶ貨車。二段構造で上下に1000CCクラス(シビックとかパルサーあたり)なら計10台積める。<br />国鉄貨物の新しい主役になった「車扱い直行専用列車」の一翼を担い、自動車輸送列車運転のために愛知に岡多線(今の愛知環状鉄道)を建設するなど一世を風靡したが、野ざらしで新車を運ぶので、「パンタやブレーキ、レールなどの鉄粉が車体につく」、「カバーをかける場合、その扱いが面倒」「帰りは空荷なのに運賃取られる」といった運用上の問題と、国鉄末期のスト連発で荷主が離れたため一挙に廃れてしまった。<br />JR貨物になってから、宇都宮貨物タ―ミナルと、横浜本牧駅との間の輸送が復活(日産の宇都宮工場から輸出車を横浜に運ぶ)したが、これも長くは続かなかった。<br />JRでは一時、「カーラック」なる貨車(コキ72型)を製作し、コンテナ車に専用ラック、そして巨大なカバーで覆うというキワモノを運用してみたが、車輪が小さすぎて脱線するなどのトラブルがあり、これも数年でお蔵入りになってしまった。<br />コンテナに自動車を積んで輸送する方式だけが今も続いてるようです。<br />

    国鉄貨車、ク5000型車運車。記号の「ク」はクルマのクで、その名の通り、自動車を輸送する。
    昭和40年代に様々な種類が登場した「物資適合貨車」のひとつで、新品の乗用車を工場から港や大都市へ運ぶ貨車。二段構造で上下に1000CCクラス(シビックとかパルサーあたり)なら計10台積める。
    国鉄貨物の新しい主役になった「車扱い直行専用列車」の一翼を担い、自動車輸送列車運転のために愛知に岡多線(今の愛知環状鉄道)を建設するなど一世を風靡したが、野ざらしで新車を運ぶので、「パンタやブレーキ、レールなどの鉄粉が車体につく」、「カバーをかける場合、その扱いが面倒」「帰りは空荷なのに運賃取られる」といった運用上の問題と、国鉄末期のスト連発で荷主が離れたため一挙に廃れてしまった。
    JR貨物になってから、宇都宮貨物タ―ミナルと、横浜本牧駅との間の輸送が復活(日産の宇都宮工場から輸出車を横浜に運ぶ)したが、これも長くは続かなかった。
    JRでは一時、「カーラック」なる貨車(コキ72型)を製作し、コンテナ車に専用ラック、そして巨大なカバーで覆うというキワモノを運用してみたが、車輪が小さすぎて脱線するなどのトラブルがあり、これも数年でお蔵入りになってしまった。
    コンテナに自動車を積んで輸送する方式だけが今も続いてるようです。

  • JRの部。<br />E351系特急用電車。<br />1993年にJR東日本初の振り子式高速特急車両として颯爽と登場。カーブと勾配の多い中央線特急に使用された。<br />振り子装置を使った車体傾斜式車両は、国鉄の381系から発展し、JR四国が「制御付自然振り子」を2000型気動車に採用してから、一挙にJR各社に広まり、九州の883系、885系、西日本の283系、智頭急行の7000型、東海の383系、北海道の281系、283系といった面々が看板特急として活躍した。<br />曲線を高速で走行する原理は、オートバイの「ハングオン」に似ており、台車の上に乗ってる車体を遠心力の発生するカーブ外側に「転がし」て走行する。屋根は内側に傾き、走行時に前から見ると相当車体が傾いてることが分かる。<br />問題は2点、車体がどうしても狭くなること、傾いた時に建築限界を超えないように六角形というか西洋梨みたいな断面になる。もうひとつが、電車の場合、パンタグラフも傾くから最悪架線から外れてしまう。381系導入時は架線の貼り方を工夫したが、このE351系は車両側で工夫し、それがこの車両の弱点になってしまった。<br />鳴る物入りで登場し、12両編成で中央線特急の高速化に貢献したが、5編成60両しか製造されず、大体2時間おきのスーパーあずさに使われた。他の振り子特急がステンレス製やアルミ製なのにコレだけ鋼体で振り子車にしては重心も高かったらしく、期待通りの車両にはならなかったようだ。<br />その後、N700系新幹線のような、車体を広めにとれる「空気ばね台車を使った車体傾斜方式」が実用化されると、それを採用したE353系が大量に製造、中央線特急全列車を置き換え、このE351系は25年で引退した。<br /><br />

    JRの部。
    E351系特急用電車。
    1993年にJR東日本初の振り子式高速特急車両として颯爽と登場。カーブと勾配の多い中央線特急に使用された。
    振り子装置を使った車体傾斜式車両は、国鉄の381系から発展し、JR四国が「制御付自然振り子」を2000型気動車に採用してから、一挙にJR各社に広まり、九州の883系、885系、西日本の283系、智頭急行の7000型、東海の383系、北海道の281系、283系といった面々が看板特急として活躍した。
    曲線を高速で走行する原理は、オートバイの「ハングオン」に似ており、台車の上に乗ってる車体を遠心力の発生するカーブ外側に「転がし」て走行する。屋根は内側に傾き、走行時に前から見ると相当車体が傾いてることが分かる。
    問題は2点、車体がどうしても狭くなること、傾いた時に建築限界を超えないように六角形というか西洋梨みたいな断面になる。もうひとつが、電車の場合、パンタグラフも傾くから最悪架線から外れてしまう。381系導入時は架線の貼り方を工夫したが、このE351系は車両側で工夫し、それがこの車両の弱点になってしまった。
    鳴る物入りで登場し、12両編成で中央線特急の高速化に貢献したが、5編成60両しか製造されず、大体2時間おきのスーパーあずさに使われた。他の振り子特急がステンレス製やアルミ製なのにコレだけ鋼体で振り子車にしては重心も高かったらしく、期待通りの車両にはならなかったようだ。
    その後、N700系新幹線のような、車体を広めにとれる「空気ばね台車を使った車体傾斜方式」が実用化されると、それを採用したE353系が大量に製造、中央線特急全列車を置き換え、このE351系は25年で引退した。

  • 現役時代のE351系。中央本線新府駅付近。<br />このように背の高めな車体をフルバンクさせながら走る様が魅力的だった。

    現役時代のE351系。中央本線新府駅付近。
    このように背の高めな車体をフルバンクさせながら走る様が魅力的だった。

  • 平成元年に登場、従来の「国鉄」の固定概念を突き破ったその流麗なスタイルとシックな塗装は多くの鉄ヲタの度肝を抜いた。これが、常磐線のエース651系である。<br />151系こだま型を平成流にアレンジした前面、全く新しい車体断面、縦長窓のついた扉、白とグレーの塗装、飛行機みたいな内装と、スタイルは全てが画期的だった。性能も従来の技術の延長ながら時速130km運転を実現し、当時の東日本のフラッグシップだった。<br />30年が経過した現在は、後継のE657系に道を譲り、高崎線特急として余生を送っている。が、そのスタイルと内装は古さを感じさせない。ていうか、平成末期の特急の方が安っぽいのよね。<br />99両11編成が常磐線で活躍し、常磐特急の半分はこの車両だったが、人気が高く、水戸と上野の間は慢性的に混んでいた。<br />その後の北海道の特急車両や東日本の特急車両も、この前面スタイルは若干踏襲されている。

    平成元年に登場、従来の「国鉄」の固定概念を突き破ったその流麗なスタイルとシックな塗装は多くの鉄ヲタの度肝を抜いた。これが、常磐線のエース651系である。
    151系こだま型を平成流にアレンジした前面、全く新しい車体断面、縦長窓のついた扉、白とグレーの塗装、飛行機みたいな内装と、スタイルは全てが画期的だった。性能も従来の技術の延長ながら時速130km運転を実現し、当時の東日本のフラッグシップだった。
    30年が経過した現在は、後継のE657系に道を譲り、高崎線特急として余生を送っている。が、そのスタイルと内装は古さを感じさせない。ていうか、平成末期の特急の方が安っぽいのよね。
    99両11編成が常磐線で活躍し、常磐特急の半分はこの車両だったが、人気が高く、水戸と上野の間は慢性的に混んでいた。
    その後の北海道の特急車両や東日本の特急車両も、この前面スタイルは若干踏襲されている。

  • 常磐線で活躍していた頃の651系。<br />新松戸駅で。

    常磐線で活躍していた頃の651系。
    新松戸駅で。

  • 朝は通勤ライナー、日中は快速に使うため、平成5年に登場した215系電車。<br />最大の特徴は、中間車が全て2階建てになっていること。画像の模型は先頭車で、一階部分に走行用の機器が集中している。10両編成で、先頭車とその次の車両にモーターがある4M6T編成、2両目と8両目はモータが台車についてるものの2階建てになっている、いわば動力集中式に近い車両だ。<br />車内はグリーン車2両がリクライニング、普通車はオールボックスシート、フランス製の座席が話題を呼んだ。座席の上に小さな網棚を設ける、座席の隙間に傘立てをもつなど、ユニークなアイデアも満載で、座席数も多く行楽には最適の車両だった。<br />4編成製造され、東海道線の快速アクティや、休日の中央線行楽列車、朝夕の湘南ライナーに使用されてきたが、昨年全列車引退した。<br />行楽客からは好評だったが、2扉構造が災いし、乗り降りに時間がかかり定時運行を維持できない、朝夕のライナーとしてはボックスシートが不評、というった理由、そしてホームドア設置などが引退を早めた理由といわれる。

    朝は通勤ライナー、日中は快速に使うため、平成5年に登場した215系電車。
    最大の特徴は、中間車が全て2階建てになっていること。画像の模型は先頭車で、一階部分に走行用の機器が集中している。10両編成で、先頭車とその次の車両にモーターがある4M6T編成、2両目と8両目はモータが台車についてるものの2階建てになっている、いわば動力集中式に近い車両だ。
    車内はグリーン車2両がリクライニング、普通車はオールボックスシート、フランス製の座席が話題を呼んだ。座席の上に小さな網棚を設ける、座席の隙間に傘立てをもつなど、ユニークなアイデアも満載で、座席数も多く行楽には最適の車両だった。
    4編成製造され、東海道線の快速アクティや、休日の中央線行楽列車、朝夕の湘南ライナーに使用されてきたが、昨年全列車引退した。
    行楽客からは好評だったが、2扉構造が災いし、乗り降りに時間がかかり定時運行を維持できない、朝夕のライナーとしてはボックスシートが不評、というった理由、そしてホームドア設置などが引退を早めた理由といわれる。

  • 中央線行楽快速に使用されていた頃の215系。<br />中央本線新府駅付近

    中央線行楽快速に使用されていた頃の215系。
    中央本線新府駅付近

  • 本館と増設された新館を結ぶ渡り廊下。

    本館と増設された新館を結ぶ渡り廊下。

  • 間の敷地には、新たにE1系艘2階建て新幹線MAXが展示されている。

    間の敷地には、新たにE1系艘2階建て新幹線MAXが展示されている。

  • 新館1階には、山形新幹線で活躍した400系新幹線電車と、はやぶさ用E5系新幹線が展示してある。<br />屋外のE1マックスともども、コロナのせいか車内に立ち入ることはできない。<br />なお、E5系は、モックアップ。

    新館1階には、山形新幹線で活躍した400系新幹線電車と、はやぶさ用E5系新幹線が展示してある。
    屋外のE1マックスともども、コロナのせいか車内に立ち入ることはできない。
    なお、E5系は、モックアップ。

  • 初代山形新幹線400系。<br />平成4年に在来線である覆う本線福島-山形間を改軌し、新幹線と同じゲージにしたことで、車体が在来線サイズの新幹線車両が山形まで乗り入れることになった。<br />いわゆる「ミニ新幹線」方式。その専用車として登場したのがこの400系。<br />車体サイズは在来線と同じなので、新幹線ホームでは乗降ステップが出る。<br />山形新幹線開業は大好評で、後の秋田新幹線に繋がる。

    初代山形新幹線400系。
    平成4年に在来線である覆う本線福島-山形間を改軌し、新幹線と同じゲージにしたことで、車体が在来線サイズの新幹線車両が山形まで乗り入れることになった。
    いわゆる「ミニ新幹線」方式。その専用車として登場したのがこの400系。
    車体サイズは在来線と同じなので、新幹線ホームでは乗降ステップが出る。
    山形新幹線開業は大好評で、後の秋田新幹線に繋がる。

  • 現役時代の400系山形新幹線「つばさ」。仙台行MAXやまびこと、福島駅まで併結している。<br />後継E3系の登場で、2010年に引退した。<br />

    現役時代の400系山形新幹線「つばさ」。仙台行MAXやまびこと、福島駅まで併結している。
    後継E3系の登場で、2010年に引退した。

  • 新館三階、歴史ステーション。<br />150年前の鉄道開通から現在までのおおまかな日本の鉄道の歴史を展示。<br />駅の設備や信号などのさまざまな機器を展示している。

    新館三階、歴史ステーション。
    150年前の鉄道開通から現在までのおおまかな日本の鉄道の歴史を展示。
    駅の設備や信号などのさまざまな機器を展示している。

  • 新館三階、歴史ステーション。<br />昔の駅の風景や出札口の様子とかを再現。

    新館三階、歴史ステーション。
    昔の駅の風景や出札口の様子とかを再現。

  • 新館最上階に、レストランが新設された。<br />ここからはそばを走る新幹線が良く見える。

    新館最上階に、レストランが新設された。
    ここからはそばを走る新幹線が良く見える。

  • 新館と本館の間に、以前からある休憩用の183系。<br />自由に車内に入って弁当などを食べられる。<br />駅弁売り場もそばにあります。

    新館と本館の間に、以前からある休憩用の183系。
    自由に車内に入って弁当などを食べられる。
    駅弁売り場もそばにあります。

  • 休憩用183系車内。<br />これは、分割民営化したばかりの昭和63年に、中央線特急「あずさ」用の183系特急電車の内装を大幅にグレートアップしたもの。<br />指定席用で、窓の上下幅を拡大、座席をカサ上げ、座席そのものも当時最新のフリーストップ背面テーブルつきリクライニングシートに換装、シートピッチも広げている(なので窓割りと会わない)、弁洗面所もリニューアルし、客室ドアは自動ドア。<br />従来の国鉄型特急電車から大きく生まれ変わった。<br />加えて中央線の速度種別を変更し、曲線通過速度を特急に限って従来より5kmから10km向上させ、走りも凄いものになった。<br />183系電車そのものは、大衆向け中距離特急用として昭和47年に登場、583系に似た電気がまスタイルで、房総特急にまず導入、次いで中央線特急、上越線特急、改良型189系が信越線特急と、関東中心に導入され、JRになってからも座席交換やグレートアップ改造をへて長らく活躍、特急引退後も、関東の行楽快速として使われ、2019年に引退した。

    休憩用183系車内。
    これは、分割民営化したばかりの昭和63年に、中央線特急「あずさ」用の183系特急電車の内装を大幅にグレートアップしたもの。
    指定席用で、窓の上下幅を拡大、座席をカサ上げ、座席そのものも当時最新のフリーストップ背面テーブルつきリクライニングシートに換装、シートピッチも広げている(なので窓割りと会わない)、弁洗面所もリニューアルし、客室ドアは自動ドア。
    従来の国鉄型特急電車から大きく生まれ変わった。
    加えて中央線の速度種別を変更し、曲線通過速度を特急に限って従来より5kmから10km向上させ、走りも凄いものになった。
    183系電車そのものは、大衆向け中距離特急用として昭和47年に登場、583系に似た電気がまスタイルで、房総特急にまず導入、次いで中央線特急、上越線特急、改良型189系が信越線特急と、関東中心に導入され、JRになってからも座席交換やグレートアップ改造をへて長らく活躍、特急引退後も、関東の行楽快速として使われ、2019年に引退した。

  • 特急として活躍していた頃の183系原型車。<br />総武線特急しおさい号。総武本線物井-佐倉間。<br />

    特急として活躍していた頃の183系原型車。
    総武線特急しおさい号。総武本線物井-佐倉間。

  • 本館2階に戻ってきました。<br />この本館2階南東に<br />「トレインレストラン日食」があります。

    本館2階に戻ってきました。
    この本館2階南東に
    「トレインレストラン日食」があります。

    レストランTD グルメ・レストラン

  • なんというか、昔の北斗星号やカシオペア号の食堂車みたいな内装なのです。<br />ここでお昼にしました。

    なんというか、昔の北斗星号やカシオペア号の食堂車みたいな内装なのです。
    ここでお昼にしました。

  • それではてっぱくのメインエリアとなる本館1階の実物展示車両を見ていきましょう。

    それではてっぱくのメインエリアとなる本館1階の実物展示車両を見ていきましょう。

  • 人気の高いEF66型直流電気機関車。<br />流線型の力強い前面は今までの国鉄機関車にはなかったスタイル。<br />それまでのEF65よりも車体を大型化し、軸重も限界の16.8tとし、6動軸で出力は当時の狭軌最強3900kwと従来の国鉄電機の常識を超えた機関車。<br />昭和43年に、10000系特急貨車1000tを、時速100kmで牽引するために生まれた高速機で、登場時から花形のフレートライナーコンテナ列車を牽き、東海道や山陽で活躍した。<br />車両数も少なく、もっぱら特急貨物専用だったが、高速特性に優れていたため、国鉄末期から東海道ブルートレインも牽引するようになった。流麗なスタイルで銀帯の24系客車を引く姿はまさに寝台特急に相応しい姿だった。<br />JR貨物も、この形式を40両あまり製造したが、JRになってから登場したタイプは外観が全く異なっている。<br />ブルトレの全廃とともに旅客機としては引退。貨物機としても今活躍しているのはJRになって製造した100番台のみである。

    人気の高いEF66型直流電気機関車。
    流線型の力強い前面は今までの国鉄機関車にはなかったスタイル。
    それまでのEF65よりも車体を大型化し、軸重も限界の16.8tとし、6動軸で出力は当時の狭軌最強3900kwと従来の国鉄電機の常識を超えた機関車。
    昭和43年に、10000系特急貨車1000tを、時速100kmで牽引するために生まれた高速機で、登場時から花形のフレートライナーコンテナ列車を牽き、東海道や山陽で活躍した。
    車両数も少なく、もっぱら特急貨物専用だったが、高速特性に優れていたため、国鉄末期から東海道ブルートレインも牽引するようになった。流麗なスタイルで銀帯の24系客車を引く姿はまさに寝台特急に相応しい姿だった。
    JR貨物も、この形式を40両あまり製造したが、JRになってから登場したタイプは外観が全く異なっている。
    ブルトレの全廃とともに旅客機としては引退。貨物機としても今活躍しているのはJRになって製造した100番台のみである。

  • 現役時代のEF66。早朝の東海道線を走る。大津駅で。<br />

    現役時代のEF66。早朝の東海道線を走る。大津駅で。

  • ブルトレをけん引していた頃のEF66。もっとも輝いていた頃だ。東海道線函南駅付近。

    ブルトレをけん引していた頃のEF66。もっとも輝いていた頃だ。東海道線函南駅付近。

  • 東北の主、万能交流専用電機ED75型。<br />このタイプは奥羽線用の後期型。通称赤ベコ。<br />4動軸の小柄な機関車で出力は1900kw、貨物列車を高速で引く場合は、重連牽引が前提。1963年に登場し、JR貨物では2012年まで運用された。<br />一般貨物からブルトレまで何でも牽いた機関車で、東北地方の電化路線の代名詞とも言えた。JRになってからも、北海道まで走る高速コンテナ列車を重連で引いたり、赤い50系ローカル客車や夜行急行列車も牽いた。<br />8動軸のマンモス機EH500に道をゆずり引退していった。

    東北の主、万能交流専用電機ED75型。
    このタイプは奥羽線用の後期型。通称赤ベコ。
    4動軸の小柄な機関車で出力は1900kw、貨物列車を高速で引く場合は、重連牽引が前提。1963年に登場し、JR貨物では2012年まで運用された。
    一般貨物からブルトレまで何でも牽いた機関車で、東北地方の電化路線の代名詞とも言えた。JRになってからも、北海道まで走る高速コンテナ列車を重連で引いたり、赤い50系ローカル客車や夜行急行列車も牽いた。
    8動軸のマンモス機EH500に道をゆずり引退していった。

  • 宮城県内の東北線で高速コンテナ列車を牽く現役の頃のDE75。<br />勾配のない所では、800トン程度なら単機で軽々牽くことが出来た。

    宮城県内の東北線で高速コンテナ列車を牽く現役の頃のDE75。
    勾配のない所では、800トン程度なら単機で軽々牽くことが出来た。

  • 最近まで運用されていたコキ50000型コンテナ貨車。<br />フレートライナー発足とともに第2種コンテナ(12フィートコンテナ)の運用が開始され、その第2種を5個積載できるように、それまでのコンテナ貨車より車体を延長、20m車体として荷重も増強、さらにブレーキも改良し、空気ばねとかMBP管とか電磁弁といった複雑な設備を付けずに時速95km走行を実現した、国鉄コンテナ車決定版。5トンコンテナだけでなく、20ftコンテナを3個、30ftコンテナを2個積載できる。<br />大量に製造され、JRになってからも主役として活躍した。JRになってから後継車両で車高も低く時速110km走行が可能なコキ100系に置き換えが進んでいたが、全車引退したのは2018年だった。1971年に登場してから45年以上も活躍したのである。

    最近まで運用されていたコキ50000型コンテナ貨車。
    フレートライナー発足とともに第2種コンテナ(12フィートコンテナ)の運用が開始され、その第2種を5個積載できるように、それまでのコンテナ貨車より車体を延長、20m車体として荷重も増強、さらにブレーキも改良し、空気ばねとかMBP管とか電磁弁といった複雑な設備を付けずに時速95km走行を実現した、国鉄コンテナ車決定版。5トンコンテナだけでなく、20ftコンテナを3個、30ftコンテナを2個積載できる。
    大量に製造され、JRになってからも主役として活躍した。JRになってから後継車両で車高も低く時速110km走行が可能なコキ100系に置き換えが進んでいたが、全車引退したのは2018年だった。1971年に登場してから45年以上も活躍したのである。

  • 50000系貨車で組成された貨物列車。城端線二塚駅。

    50000系貨車で組成された貨物列車。城端線二塚駅。

  • 高い人気を誇った旧型の急行客車牽引電機の決定版、EF58型直流電気機関車。<br />戦後に東海道線の電化進展とともに登場、その湘南型のスタイリッシュな前面と、様々な変形機が多くあり、172両製造され、東海道、山陽だけでなく、東北線の黒磯まで、高崎・上越線、阪和・紀勢線などでも活躍した。<br />戦後に復活した客車特急はじめ急行列車の先頭にたち、高速で旅客列車をけん引することに性能が特化されていた。また、暖房用ボイラーを積んでいたことから、郵便荷物列車も牽引し、これは鉄道小荷物輸送が終焉する昭和60年代まで続いた。<br />JRになってからもしばらくは行楽列車の牽引に使われ、21世紀初頭まで走り続けました。

    高い人気を誇った旧型の急行客車牽引電機の決定版、EF58型直流電気機関車。
    戦後に東海道線の電化進展とともに登場、その湘南型のスタイリッシュな前面と、様々な変形機が多くあり、172両製造され、東海道、山陽だけでなく、東北線の黒磯まで、高崎・上越線、阪和・紀勢線などでも活躍した。
    戦後に復活した客車特急はじめ急行列車の先頭にたち、高速で旅客列車をけん引することに性能が特化されていた。また、暖房用ボイラーを積んでいたことから、郵便荷物列車も牽引し、これは鉄道小荷物輸送が終焉する昭和60年代まで続いた。
    JRになってからもしばらくは行楽列車の牽引に使われ、21世紀初頭まで走り続けました。

  • JR東日本でイベント列車をけん引していた頃のEF58

    JR東日本でイベント列車をけん引していた頃のEF58

  • 181系直流特急電車<br />もとは151系こだま型電車で、モータなどを換装し、勾配のある上越線で使用可能にしたタイプ。昭和57年上越新幹線開業まで使われた。

    181系直流特急電車
    もとは151系こだま型電車で、モータなどを換装し、勾配のある上越線で使用可能にしたタイプ。昭和57年上越新幹線開業まで使われた。

  • 東北本線往年のエースだった485系交直流特急電車と、457系交直流急行型電車が並ぶ。<br />上野駅にはなじみの深い列車で、新幹線が開業する前は、これら在来線特急や急行が主役だった。東北線、常磐線ともに交流区間があるので、このような交流直流両方走れる車両を運用した。<br />485系はベースとなる481系が1964年に登場してから様々なタイプが1980年まで生産され、JRになっても多くの車両がリニューアルを受けながら特急として活躍した。151系のようなボンネットスタイルと183系のような電気がまスタイルに大別され、そのほか、寒冷地用とか座席を簡易リクライニングにしたものとかバリエーションが豊富、さらにJRになると、座席取り替え、内装グレ-ドアップ、大幅な車体更新、半室グリーン車登場、高速運転対応装備と、まさに百花繚乱、鉄オタの間でも注目される車両だった。<br />特急や急行として運用されるものは、大体2010年代に引退。<br />一連の交直流急行型電車は、昭和57年に急行運用から撤退した後は、普通列車として、東北線や北陸線の客車を置き換え、そのさいに車端部をロングシートなどに改造した。これは改造車が動態保存的に今も北陸で走っている。

    東北本線往年のエースだった485系交直流特急電車と、457系交直流急行型電車が並ぶ。
    上野駅にはなじみの深い列車で、新幹線が開業する前は、これら在来線特急や急行が主役だった。東北線、常磐線ともに交流区間があるので、このような交流直流両方走れる車両を運用した。
    485系はベースとなる481系が1964年に登場してから様々なタイプが1980年まで生産され、JRになっても多くの車両がリニューアルを受けながら特急として活躍した。151系のようなボンネットスタイルと183系のような電気がまスタイルに大別され、そのほか、寒冷地用とか座席を簡易リクライニングにしたものとかバリエーションが豊富、さらにJRになると、座席取り替え、内装グレ-ドアップ、大幅な車体更新、半室グリーン車登場、高速運転対応装備と、まさに百花繚乱、鉄オタの間でも注目される車両だった。
    特急や急行として運用されるものは、大体2010年代に引退。
    一連の交直流急行型電車は、昭和57年に急行運用から撤退した後は、普通列車として、東北線や北陸線の客車を置き換え、そのさいに車端部をロングシートなどに改造した。これは改造車が動態保存的に今も北陸で走っている。

  • 485系電車の車内。初期型の回転クロスシート車。リクライニングしない。<br />客車のスハ44のころからこの座席が採用され、長らくこのタイプが国鉄特急3等車の一般的な座席だった。JRになっても90年代まではこの座席を常磐線や鹿児島線でよく見かけた。

    485系電車の車内。初期型の回転クロスシート車。リクライニングしない。
    客車のスハ44のころからこの座席が採用され、長らくこのタイプが国鉄特急3等車の一般的な座席だった。JRになっても90年代まではこの座席を常磐線や鹿児島線でよく見かけた。

  • 夜行急行能登号として活躍するJ晩年のR西日本の485系。

    夜行急行能登号として活躍するJ晩年のR西日本の485系。

  • 急行用車両の座席。昭和20年代登場のスハ43系客車以降、ずっとこのタイプの座席が細かい改良を施しながら使われた。<br />改良されてるが12系客車やキハ58型気動車も同じ座席。ただ、JRになると急行に使われる車両は座席を特急の物に交換するようになった。

    急行用車両の座席。昭和20年代登場のスハ43系客車以降、ずっとこのタイプの座席が細かい改良を施しながら使われた。
    改良されてるが12系客車やキハ58型気動車も同じ座席。ただ、JRになると急行に使われる車両は座席を特急の物に交換するようになった。

  • 北陸線で普通列車として活躍していた頃の457系。<br />車内はセミクロスシートに改造されていた。<br />2008年頃、津幡駅付近

    北陸線で普通列車として活躍していた頃の457系。
    車内はセミクロスシートに改造されていた。
    2008年頃、津幡駅付近

  • 本館1階車両展示フロアの車両は、基本的に車内にも入れますが、御料車、一頭展望車と、この20系寝台車は、車内には入れず、外から眺める感じになります。<br />20系寝台車は昭和33年に、151系、153系電車とともにデビューした特急専用客車で、当初から電源車を連結し、編成全体に電源を供給する方式を初めて採用したことから、全車冷房化、食堂車のオール電化を可能とした。<br />夜行特急列車に導入することから寝台車がメインだが、当初は2等、3等座席車も製造さ連結されていた。「あさかぜ」号に導入されたのが有名で、2等個室寝台車なども連結された。<br />昭和50年代半ばに定期夜行特急からは撤退し、変わりに夜行急行列車に連結されるようになったが、国鉄分割民営化直前に、定期旅客列車からは引退した。

    本館1階車両展示フロアの車両は、基本的に車内にも入れますが、御料車、一頭展望車と、この20系寝台車は、車内には入れず、外から眺める感じになります。
    20系寝台車は昭和33年に、151系、153系電車とともにデビューした特急専用客車で、当初から電源車を連結し、編成全体に電源を供給する方式を初めて採用したことから、全車冷房化、食堂車のオール電化を可能とした。
    夜行特急列車に導入することから寝台車がメインだが、当初は2等、3等座席車も製造さ連結されていた。「あさかぜ」号に導入されたのが有名で、2等個室寝台車なども連結された。
    昭和50年代半ばに定期夜行特急からは撤退し、変わりに夜行急行列車に連結されるようになったが、国鉄分割民営化直前に、定期旅客列車からは引退した。

  • エントランスの一番近い位置に展示してある、一等展望車の車内。<br />これとよく似た車両が、最近JR西日本のSLやまぐち号専用客車として「新製」されました。新35系客車のオロテ35型客車(グリーン車扱い)。アレに内装は近い。<br />展望室部分はソファ式解放サロン、中間が開放式座席で片側1列リクライニング座席、一番奥が個室となっている。<br />足回りが独特で、我が国では数少ない3軸ボギー台車。<br />一等車は製造当初から冷房付で、床下に、車軸発電機と電気冷房が釣り下がっていた。

    エントランスの一番近い位置に展示してある、一等展望車の車内。
    これとよく似た車両が、最近JR西日本のSLやまぐち号専用客車として「新製」されました。新35系客車のオロテ35型客車(グリーン車扱い)。アレに内装は近い。
    展望室部分はソファ式解放サロン、中間が開放式座席で片側1列リクライニング座席、一番奥が個室となっている。
    足回りが独特で、我が国では数少ない3軸ボギー台車。
    一等車は製造当初から冷房付で、床下に、車軸発電機と電気冷房が釣り下がっていた。

  • 展示車両を一通り見たので、大宮駅へ戻ることにした。

    展示車両を一通り見たので、大宮駅へ戻ることにした。

  • おまけ、<br />大宮駅にもどり、そこから宇都宮線で東鷲宮駅へ向かう。この駅の近くには.....

    おまけ、
    大宮駅にもどり、そこから宇都宮線で東鷲宮駅へ向かう。この駅の近くには.....

    東鷲宮駅

  • 駅から北へ7分ほど歩くと、駅前駐車場の向こうに、天然温泉があるのだ。<br />「百観音温泉」。

    駅から北へ7分ほど歩くと、駅前駐車場の向こうに、天然温泉があるのだ。
    「百観音温泉」。

  • 埼玉県久喜市(旧鷲宮町)にある、天然かけ流ししき温泉。<br />スパセン方式で、現在の施設は2006年にリニューアル後の物。<br />広めの内湯にサウナ、そして売りの広い露天風呂は、関東特有の「黒湯」。<br />自噴泉らしく加温してないとのこと。ナトリウム泉で天然ガスとともに噴出するせいか独特のにおいがあり、湯も塩辛い。<br />東京都内の蒲田温泉郷みたいに関東はあちこちで温泉が湧くのだが、こんな関東平野のど真ん中で自噴するのは珍しいとのこと。温泉を掘り当てたのは新しく、平成4年だという。開発されてからまだ30年しかたっていない新しい温泉だ。<br /><br /><br />

    埼玉県久喜市(旧鷲宮町)にある、天然かけ流ししき温泉。
    スパセン方式で、現在の施設は2006年にリニューアル後の物。
    広めの内湯にサウナ、そして売りの広い露天風呂は、関東特有の「黒湯」。
    自噴泉らしく加温してないとのこと。ナトリウム泉で天然ガスとともに噴出するせいか独特のにおいがあり、湯も塩辛い。
    東京都内の蒲田温泉郷みたいに関東はあちこちで温泉が湧くのだが、こんな関東平野のど真ん中で自噴するのは珍しいとのこと。温泉を掘り当てたのは新しく、平成4年だという。開発されてからまだ30年しかたっていない新しい温泉だ。


    百観音温泉 温泉

    1日ゆっくりできる by fmi(ふみ)さん
  • 百観音温泉の名の由来である、敷地内の観音堂。<br /><br />温泉施設は、温泉のほか、あかすり、マッサージ、2階の広い休憩室や広間、貸切個室風呂、一階食堂がある。

    百観音温泉の名の由来である、敷地内の観音堂。

    温泉施設は、温泉のほか、あかすり、マッサージ、2階の広い休憩室や広間、貸切個室風呂、一階食堂がある。

  • なお、大宮駅から東鷲宮駅までは23分くらいかかる。<br />その手前の久喜駅までは20分。久喜駅は、宇都宮線と、東武伊勢崎線との乗換駅で、東武線は、この駅で系統が分断、南側は、久喜駅始発の半蔵門線直通急行が20分ごとに出発し、春日部北千住を通り大手町や渋谷をぬけ、遠く神奈川の中央林間まで走る。<br />北側は、当駅始発のローカル電車が群馬県館林市まで20分間隔で運転。<br />そのほか特急りょうもう号が停車する。<br />東武の本数が減ってしまったため、現在は上下とも宇都宮線のほうが本数が多く、東武伊勢崎線から宇都宮線に乗り換える人の方がずっと多い。<br />その久喜駅から東武特急で北千住まで戻る。

    なお、大宮駅から東鷲宮駅までは23分くらいかかる。
    その手前の久喜駅までは20分。久喜駅は、宇都宮線と、東武伊勢崎線との乗換駅で、東武線は、この駅で系統が分断、南側は、久喜駅始発の半蔵門線直通急行が20分ごとに出発し、春日部北千住を通り大手町や渋谷をぬけ、遠く神奈川の中央林間まで走る。
    北側は、当駅始発のローカル電車が群馬県館林市まで20分間隔で運転。
    そのほか特急りょうもう号が停車する。
    東武の本数が減ってしまったため、現在は上下とも宇都宮線のほうが本数が多く、東武伊勢崎線から宇都宮線に乗り換える人の方がずっと多い。
    その久喜駅から東武特急で北千住まで戻る。

    久喜駅

  • 特急りょうもう、これで帰ってきました。<br /><br />以上です。

    特急りょうもう、これで帰ってきました。

    以上です。

    特急 りょうもう 乗り物

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