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 ここは楽しい楽しい、電車の国!<br /> というわけで鉄道ミュージアムめぐり、第2弾は5月の末に行ってきた、東京墨田区、東向島駅最寄りの東武博物館を紹介したいと思います。<br /> 東武スカツリ線東向島駅の高架直下にあるので、こじんまりとしているのですが、機関車や路線バスなどといったなかなか濃い展示物が目をひく博物館です。また、模型による展示もかなり充実しています。<br /> イメージ的には、メトロ葛西駅にある地下鉄博物館と同じかな。とくとご覧あれ。

向島、東武博物館に行ってきました

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2023/05/20 - 2023/05/20

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fmi(ふみ)

fmi(ふみ)さん

 ここは楽しい楽しい、電車の国!
 というわけで鉄道ミュージアムめぐり、第2弾は5月の末に行ってきた、東京墨田区、東向島駅最寄りの東武博物館を紹介したいと思います。
 東武スカツリ線東向島駅の高架直下にあるので、こじんまりとしているのですが、機関車や路線バスなどといったなかなか濃い展示物が目をひく博物館です。また、模型による展示もかなり充実しています。
 イメージ的には、メトロ葛西駅にある地下鉄博物館と同じかな。とくとご覧あれ。

旅行の満足度
3.5
観光
4.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄

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  • まずは京成で関屋駅まで行き、その駅に隣接する東武線の牛田駅へ。<br />ここから浅草方向に3駅行くと、東向島駅。この駅も東向島駅も、急行は通過する。<br />引退が進む半蔵門線8000系下り急行が通過。

    まずは京成で関屋駅まで行き、その駅に隣接する東武線の牛田駅へ。
    ここから浅草方向に3駅行くと、東向島駅。この駅も東向島駅も、急行は通過する。
    引退が進む半蔵門線8000系下り急行が通過。

    牛田駅

  • 区間準急で東向島駅に到着。

    区間準急で東向島駅に到着。

    東向島駅

  • 東向島駅は高架駅で、その真下が博物館になってる。

    東向島駅は高架駅で、その真下が博物館になってる。

    東武博物館 美術館・博物館

  • 中2階から見下ろした館内風景。<br />高架下にしては空間が広く感じる。

    中2階から見下ろした館内風景。
    高架下にしては空間が広く感じる。

    東武博物館 美術館・博物館

  • それでは展示物の紹介。<br />まずは模型から。<br />いわずと知れた東武の看板特急、スペーシアですな。<br />正式には東武100系電車。1990年にデビューし、もう30年以上、東武日光線の顔として活躍し続けている。<br />後継車として、今年N100系スペーシアxが登場し、既に試運転が始まっているので、じきに置き換え、引退が始まる。

    それでは展示物の紹介。
    まずは模型から。
    いわずと知れた東武の看板特急、スペーシアですな。
    正式には東武100系電車。1990年にデビューし、もう30年以上、東武日光線の顔として活躍し続けている。
    後継車として、今年N100系スペーシアxが登場し、既に試運転が始まっているので、じきに置き換え、引退が始まる。

  • スペーシア個室のモックアップも展示されている。<br />四人コンパートメント個室もスペーシアの特徴の一つで、後継スペーシアxにもバージョンアップされて採用されている。<br /><br />

    スペーシア個室のモックアップも展示されている。
    四人コンパートメント個室もスペーシアの特徴の一つで、後継スペーシアxにもバージョンアップされて採用されている。

  • 伊勢崎線東武動物公園付近を走るスペーシアの実車。<br />車体はアルミ製で、登場当時はまだ珍しかったインバータ制御を採用していた。<br />

    伊勢崎線東武動物公園付近を走るスペーシアの実車。
    車体はアルミ製で、登場当時はまだ珍しかったインバータ制御を採用していた。

  • 1800型、初代「りょうもう」用電車。1969年登場。<br />日光ではなく伊勢崎線を走破し、群馬県や栃木県の両毛地域、太田、桐生、足利、館林といった産業都市と都内を結ぶ列車に充当された。<br />当時は「急行」扱いだったが、現在の急行と違い、料金が必要だった。車内は贅沢な造りである日航特急と違い、ビジネスライクでJR特急の車内によく似ていた。<br />現在の200型に置き換わり引退、一部の車両はブレーキ系統を改良して日光線の「急行」に転用された。きりふりや南会津という名称で、福島県の会津田島まで足を延ばし、後に特急に統合されたが、「リバティ」のデビューとともに臨時に格下げ、そして昨年引退した。

    1800型、初代「りょうもう」用電車。1969年登場。
    日光ではなく伊勢崎線を走破し、群馬県や栃木県の両毛地域、太田、桐生、足利、館林といった産業都市と都内を結ぶ列車に充当された。
    当時は「急行」扱いだったが、現在の急行と違い、料金が必要だった。車内は贅沢な造りである日航特急と違い、ビジネスライクでJR特急の車内によく似ていた。
    現在の200型に置き換わり引退、一部の車両はブレーキ系統を改良して日光線の「急行」に転用された。きりふりや南会津という名称で、福島県の会津田島まで足を延ばし、後に特急に統合されたが、「リバティ」のデビューとともに臨時に格下げ、そして昨年引退した。

  • 現役の頃の、1800型あらため350型急行「南会津」。<br />福島県の会津田島駅で、会津鉄道の気動車と顔を並べていた。<br />車内はロマンスシートだが、リクライニングはしなかった。<br />

    現役の頃の、1800型あらため350型急行「南会津」。
    福島県の会津田島駅で、会津鉄道の気動車と顔を並べていた。
    車内はロマンスシートだが、リクライニングはしなかった。

  • 東武を代表する通勤電車、8000型電車。<br />日航特急とは別の意味で、「東武の顔」ともいうべき電車で、昭和38年から20年間にわたって製造され、その数は712両。これは私鉄の単一系列としては最多。<br />そこから「私鉄の103系」とも呼ばれている。製造時期は103系とまるかぶりではあるが、MT比が常に1:1の編成に出来ること、台車が空気ばねであること、摩擦ブレーキのみで電制がないこと、1両あたりの座席定員がやや多いこと、モータ出力が強く多段制御が可能だが加速性能より高速性能を重視してたこと、等々、この8000系の方が103形よりもグレードは高い。<br />昭和60年から車体更新が行われ、正面が大きく変更され、現在も支線でワンマン装置をつけて活躍してるが、北千住や池袋口からは撤退した。また、写真のようなオリジナルの東武顔は保存用に1編成があるのみ。<br />伊勢崎線の複々線を「準急」表示で颯爽と走ったり、野田線の単線区間をのどかに走ったりどこでも絵になった。<br />

    東武を代表する通勤電車、8000型電車。
    日航特急とは別の意味で、「東武の顔」ともいうべき電車で、昭和38年から20年間にわたって製造され、その数は712両。これは私鉄の単一系列としては最多。
    そこから「私鉄の103系」とも呼ばれている。製造時期は103系とまるかぶりではあるが、MT比が常に1:1の編成に出来ること、台車が空気ばねであること、摩擦ブレーキのみで電制がないこと、1両あたりの座席定員がやや多いこと、モータ出力が強く多段制御が可能だが加速性能より高速性能を重視してたこと、等々、この8000系の方が103形よりもグレードは高い。
    昭和60年から車体更新が行われ、正面が大きく変更され、現在も支線でワンマン装置をつけて活躍してるが、北千住や池袋口からは撤退した。また、写真のようなオリジナルの東武顔は保存用に1編成があるのみ。
    伊勢崎線の複々線を「準急」表示で颯爽と走ったり、野田線の単線区間をのどかに走ったりどこでも絵になった。

  • 牛田駅を出発する、伊勢崎線のオリジナル顔の8000系電車。<br />今から20年以上前の写真。

    牛田駅を出発する、伊勢崎線のオリジナル顔の8000系電車。
    今から20年以上前の写真。

  • 東武最初の電車。<br />デハ1型電車。大正の時代の電車で、登場当時は初代浅草駅と西新井駅の間で運行していた。<br />最初から電化されてた小田急や軌道から出発した京急とちがい、明治32年開業の東武伊勢崎線は、開業当初は電化されてはおらず、蒸気機関車が客車を牽く、国鉄と同じ形態で運行されていた。<br />創業区間は北千住駅と東北線に接続する久喜駅まで、そして明治の間に伊勢崎まで開業させていたが、当時は完全に貨物が主役で旅客は脇役という、さながらミニ国鉄といった感じの路線であった。<br />電化はこの後急速に進み、大正のうちに、春日部までは電車が運転されていた。<br />東埼玉と千住の間を10両編成が複々線を走る姿からは想像つかないが、東武は西武と同じく、生糸などの貨物輸送が主で、それは平成初期まで続けられた。

    東武最初の電車。
    デハ1型電車。大正の時代の電車で、登場当時は初代浅草駅と西新井駅の間で運行していた。
    最初から電化されてた小田急や軌道から出発した京急とちがい、明治32年開業の東武伊勢崎線は、開業当初は電化されてはおらず、蒸気機関車が客車を牽く、国鉄と同じ形態で運行されていた。
    創業区間は北千住駅と東北線に接続する久喜駅まで、そして明治の間に伊勢崎まで開業させていたが、当時は完全に貨物が主役で旅客は脇役という、さながらミニ国鉄といった感じの路線であった。
    電化はこの後急速に進み、大正のうちに、春日部までは電車が運転されていた。
    東埼玉と千住の間を10両編成が複々線を走る姿からは想像つかないが、東武は西武と同じく、生糸などの貨物輸送が主で、それは平成初期まで続けられた。

  • 1型実車車内、典型的な大正のゲタ電。<br />車体の長さは16メートルで、屋根は貴重なダブルルーフ構造。<br />東武は比較的早くから20m車の運転を開始した(京王や東急より早かった)が、当時の電車は国鉄などもそうだが短かったのである。<br />

    1型実車車内、典型的な大正のゲタ電。
    車体の長さは16メートルで、屋根は貴重なダブルルーフ構造。
    東武は比較的早くから20m車の運転を開始した(京王や東急より早かった)が、当時の電車は国鉄などもそうだが短かったのである。

  • 東武鉄道創業時の蒸気機関車。<br />明治の頃は、このような小型蒸気が、日光街道に沿って貨車や客車を牽いてのんびりと走っていたのである。

    東武鉄道創業時の蒸気機関車。
    明治の頃は、このような小型蒸気が、日光街道に沿って貨車や客車を牽いてのんびりと走っていたのである。

  • 長距離一般列車用電車、6050型。<br />昭和60年より長らく伊勢崎・日光・会津鬼怒川線快速列車用として活躍。料金不要で予約も無用だったので気軽に都内から日光・南会津まで行ける列車として、広く親しまれた。<br />先代6000型を車体更新したもので、両開き2扉、車内はボックスシートが並び、折り畳みテーブルも付いた行楽向けの車両だった。<br />快速は昭和から平成の中期まで、日中1時間毎、浅草から下今市までは主要な駅にしか停まらず、浅草から福島県下の会津田島駅まで3時間半で結んでいた。<br />6両編成の多層建て列車で、日光行、新藤原止まり、会津田島まで走破の車両が2両つづ繋いでいた。<br />日光線新栃木以北や鬼怒川線、会津鬼怒川線内では普通にも運用され、便利で乗り心地も良い列車だったのだが、足回りが2015年時点で製造50年に達してる車両もあり、特急リバティの登場とともに快速列車自体が消滅、この6050型も、伊勢崎線、日光線から撤退し、現在は本数自体が減った会津鬼怒川線内でしか見かけなくなった。

    長距離一般列車用電車、6050型。
    昭和60年より長らく伊勢崎・日光・会津鬼怒川線快速列車用として活躍。料金不要で予約も無用だったので気軽に都内から日光・南会津まで行ける列車として、広く親しまれた。
    先代6000型を車体更新したもので、両開き2扉、車内はボックスシートが並び、折り畳みテーブルも付いた行楽向けの車両だった。
    快速は昭和から平成の中期まで、日中1時間毎、浅草から下今市までは主要な駅にしか停まらず、浅草から福島県下の会津田島駅まで3時間半で結んでいた。
    6両編成の多層建て列車で、日光行、新藤原止まり、会津田島まで走破の車両が2両つづ繋いでいた。
    日光線新栃木以北や鬼怒川線、会津鬼怒川線内では普通にも運用され、便利で乗り心地も良い列車だったのだが、足回りが2015年時点で製造50年に達してる車両もあり、特急リバティの登場とともに快速列車自体が消滅、この6050型も、伊勢崎線、日光線から撤退し、現在は本数自体が減った会津鬼怒川線内でしか見かけなくなった。

  • 姫宮駅付近を走る在りし日の快速電車。便利で快適、お気軽な列車だったのだが、これが無くなり、日光がますます遠く感じるようになった。

    姫宮駅付近を走る在りし日の快速電車。便利で快適、お気軽な列車だったのだが、これが無くなり、日光がますます遠く感じるようになった。

  • スペーシアが登場する前の、東武鉄道の花、デラックスロマンスカー1720型。<br />昭和35年に登場し、スペーシアに置き換わり1991年に引退するまで30年にわたって日光鬼怒川特急として活躍した。<br />同時期の国鉄151系よりも高性能で、何より内装が豪華、座席も国鉄のグリーン車と同等、折り畳みテーブルに自動ドア。ビュッフェも営業していた。<br />料金自体がりょうもう号のみならず、小田急や近鉄などの有料特急と比べても高めに設定されていたが、それでも高い人気を誇った。

    スペーシアが登場する前の、東武鉄道の花、デラックスロマンスカー1720型。
    昭和35年に登場し、スペーシアに置き換わり1991年に引退するまで30年にわたって日光鬼怒川特急として活躍した。
    同時期の国鉄151系よりも高性能で、何より内装が豪華、座席も国鉄のグリーン車と同等、折り畳みテーブルに自動ドア。ビュッフェも営業していた。
    料金自体がりょうもう号のみならず、小田急や近鉄などの有料特急と比べても高めに設定されていたが、それでも高い人気を誇った。

  • 博物館にはこの1720型のカットモデルが壁に埋め込む形で保存され、車内にも入れる。もちろん一世を風靡した豪華座席にも座れる。<br />

    博物館にはこの1720型のカットモデルが壁に埋め込む形で保存され、車内にも入れる。もちろん一世を風靡した豪華座席にも座れる。

  • さらに先代の日光特急が、この車両(表題の車両の反対側)。<br />5700型特急電車。湘南スタイルの前面と、分割併合を考慮した貫通前面の2種類があった。<br />日光線特急は昭和初期から存在しており、この車両は戦後の昭和26年に登場したものである。車体そのものは古めかしいが、車内は転換クロスシート、カルダン駆動を既にこの車両で採用していた。また、この車両より東武は本格的に20m長の大型車を採用するようになった。<br />以前はこの展示車両も車内に入れたのだが、今は入れなくなった。

    さらに先代の日光特急が、この車両(表題の車両の反対側)。
    5700型特急電車。湘南スタイルの前面と、分割併合を考慮した貫通前面の2種類があった。
    日光線特急は昭和初期から存在しており、この車両は戦後の昭和26年に登場したものである。車体そのものは古めかしいが、車内は転換クロスシート、カルダン駆動を既にこの車両で採用していた。また、この車両より東武は本格的に20m長の大型車を採用するようになった。
    以前はこの展示車両も車内に入れたのだが、今は入れなくなった。

  • 平成初期までの、東武のもう一つの「顔」とも言えたのが、活発だった貨物輸送である。関東私鉄では、西武鉄道と東武鉄道で活発に貨物輸送が行われており自社保有御機関車も開発していた。その主要な輸送品目は、末期には石灰石やセメント、薬品輸送だった。<br />東武の場合、昭和の頃は、伊勢崎線だけでなく、日光線、宇都宮線、野田線でも貨物輸送が行われており、電機牽引で専用貨車が連なって走っていた。<br />現在スカイツリーが建っているあたりは昭和の頃までは貨物列車の広大なヤードがあり、そのほかにも北千住-牛田間のカーブから側線が京成の高架をくぐって隅田川沿いまで達し、そこにも貨物駅があった。<br />成田空港建設時は、資材の砕石を、葛生と佐野の間で輸送し、国鉄両毛線に継走していたこともあった。<br />貨物輸送は2003年に全廃されたが、最終気に輸送されていたのは液化ガスのタンク車輸送、私鉄では一般的だったセメント輸送と石油輸送だった。<br />写真の電気機関車は、貨物牽引用のED5010型機関車。昭和32年から昭和末期まで活躍した。4動軸で出力570kW足らず。これの後継機であるED5080型は今も三重の三岐鉄道で活躍中。<br />

    平成初期までの、東武のもう一つの「顔」とも言えたのが、活発だった貨物輸送である。関東私鉄では、西武鉄道と東武鉄道で活発に貨物輸送が行われており自社保有御機関車も開発していた。その主要な輸送品目は、末期には石灰石やセメント、薬品輸送だった。
    東武の場合、昭和の頃は、伊勢崎線だけでなく、日光線、宇都宮線、野田線でも貨物輸送が行われており、電機牽引で専用貨車が連なって走っていた。
    現在スカイツリーが建っているあたりは昭和の頃までは貨物列車の広大なヤードがあり、そのほかにも北千住-牛田間のカーブから側線が京成の高架をくぐって隅田川沿いまで達し、そこにも貨物駅があった。
    成田空港建設時は、資材の砕石を、葛生と佐野の間で輸送し、国鉄両毛線に継走していたこともあった。
    貨物輸送は2003年に全廃されたが、最終気に輸送されていたのは液化ガスのタンク車輸送、私鉄では一般的だったセメント輸送と石油輸送だった。
    写真の電気機関車は、貨物牽引用のED5010型機関車。昭和32年から昭和末期まで活躍した。4動軸で出力570kW足らず。これの後継機であるED5080型は今も三重の三岐鉄道で活躍中。

  • 貨車と機関車の模型。<br />貨車保有数は多く、種類も豊富だった。<br />平成中期まで残っていた輸送は、JR久喜駅の北側から東鷲宮駅にかけての貨物施設でJRに継走し、そこと伊勢崎線の館林などを結ぶ専用列車輸送でした。

    貨車と機関車の模型。
    貨車保有数は多く、種類も豊富だった。
    平成中期まで残っていた輸送は、JR久喜駅の北側から東鷲宮駅にかけての貨物施設でJRに継走し、そこと伊勢崎線の館林などを結ぶ専用列車輸送でした。

  • 日光での輸送に活躍していた古いバス。<br />東武日光駅から山内、そしていろは坂を超えて奥日光への輸送に活躍した。

    日光での輸送に活躍していた古いバス。
    東武日光駅から山内、そしていろは坂を超えて奥日光への輸送に活躍した。

  • 模型では現役の車両も展示。<br />真中は現在の主力通勤車、東武10000系。<br />

    模型では現役の車両も展示。
    真中は現在の主力通勤車、東武10000系。

  • 東武10000系、牛田駅付近。今から20年以上前の画像。<br />半蔵門線など他の路線に乗り入れないタイプだが、50000系とならび、現在の東武で一番見かける車両かもしれない。

    東武10000系、牛田駅付近。今から20年以上前の画像。
    半蔵門線など他の路線に乗り入れないタイプだが、50000系とならび、現在の東武で一番見かける車両かもしれない。

  • 他の私鉄の名車模型も展示されている。

    他の私鉄の名車模型も展示されている。

  • 8000系通勤電車の内装のモックアップ。<br />このほか、ジオラマやシミュレータもあります。

    8000系通勤電車の内装のモックアップ。
    このほか、ジオラマやシミュレータもあります。

  • ひととおり見終わって、駅に出たら、ちょうどコレが通過していきました。

    ひととおり見終わって、駅に出たら、ちょうどコレが通過していきました。

    特急リバティ 乗り物

  • 地下鉄や東急への乗り入れに活躍する現在の主役、50000系電車。

    地下鉄や東急への乗り入れに活躍する現在の主役、50000系電車。

    東武伊勢崎線 (東武スカイツリーライン) 乗り物

  • 浅草行が来ました、これで帰ります。<br /><br />東武は蒸気の動態保存にも熱心ですね。現在鬼怒川線で平日も蒸気列車の動態保存を活発に行ってます。それについてはまた別の機会に紹介します。

    浅草行が来ました、これで帰ります。

    東武は蒸気の動態保存にも熱心ですね。現在鬼怒川線で平日も蒸気列車の動態保存を活発に行ってます。それについてはまた別の機会に紹介します。

    東向島駅

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