2022/08/09 - 2022/08/11
153位(同エリア330件中)
ミータさん
この旅行記スケジュールを元に
宮古から田老に移動して「学ぶ防災」語り部ガイドの案内を受ける。その後、釜石の鵜住居にある宝来館に泊まる。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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宮古市の中心部からバスで田老地区に向かう。
この「学ぶ防災」語り部ガイドツアーに参加するためである。
パンフレットがクシャクシャなのは折りたたんでカバンに入れたため。
この震災語り部ツアーに以前も参加したことがある。
2014年9月→ https://ameblo.jp/mieta-myargo/entry-12544931485.html?frm=theme
2015年11月→ https://ameblo.jp/mieta-myargo/entry-12544933971.html?frm=theme
2014年9月は浄土ヶ浜遊覧船や龍泉洞も含むツアーの中だったので短時間のみ。
2015年11月は個人で申し込んだので、じっくり話を聞けて震災時のビデオも見せてもらった。今回、また個人で申し込んだ(当日申し込んで受け付けてもらえた)。 -
「道の駅たろう」にある案内所からガイドさんの車に乗って出発。
まずは町の中の津波の浸水位置を示すプレートのある場所に向かう。
土地のかさ上げを行っているので、実際の津波は地面からの高さがもっとあった。 -
次に防潮堤まで車で移動。
震災後新しく造られた防潮堤はかなりの高さだ。 -
防潮堤からの眺め。
遠くに漁協の製氷貯氷施設の建物が見える。 -
上の写真の中の製氷貯氷施設の建物の辺りを切り取って拡大したもの。
津波はあの建物の屋根近くまで到達した。 -
「万里の長城」とも呼ばれた田老の防潮堤。
1933(昭和8)年の地震に因る津波でも大きな被害を受けた田老地区では、高さ10m、総延長2.4㎞に及ぶ巨大な防潮堤を造ったのだ。 -
だが、2011年3月の東日本大震災の津波はその防潮堤を乗り越え、破壊し、田老の街は大きな被害を受けたのだ。残された防潮堤にひび割れが見える。
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奥の方は第二防潮堤で、戦争で物資が不足してコンクリートの厚みが薄く、鉄筋も入っていなかったので、津波の勢いに耐えられず、破壊された。
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破壊された台に防潮堤。第一防潮堤と比べ、かなりコンクリートの外壁が薄いのが分かる。
奥に見えるのが新しく作られた現在の防潮堤。その手前のプレハブ小屋は昆布を乾燥させるところだそうだ。 -
漁協の製氷貯氷施設の建物。壁には平成(2011年)、明治、昭和の大津波の浸水位置を示すプレートがある。
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一番高いのが2011年の津波で、17.3m。
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製氷貯氷施設の横の崖にも津波の高さを示すプレート。
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製氷貯氷施設の建物も津波で破壊されたが、現在の姿に修復された。
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その後、震災遺構「たろう観光ホテル」に移動。
今回、「学ぶ防災」語り部ツアーに申し込んだのは、この中に入ることができるからだ。今まで参加した「学ぶ防災」では中に入ることはできなかった。震災遺構 たろう観光ホテル 名所・史跡
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被災前の「たろう観光ホテル」。
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6階まで新しく造られたエレベーターで上がる。
ホテルの経営者がこの場所から撮影した津波のビデオなどを見せてもらう。
ホテルの4階部分まで津波が押し寄せた。 -
「たろう観光ホテル」6階からの眺め。
新しい防潮堤の奥、中央左寄りに製氷貯氷施設の建物が見える。 -
「たろう観光ホテル」6階からの眺め。
震災前はこの空き地には民家が何軒も建っていた。ビデオではその建物が津波に飲み込まれていく姿が映し出されていた。 -
震災遺構「たろう観光ホテル」の横は駐車場が整備されている。
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帰りは外階段を使って降りる。
ホテルの1、2階部分は津波で破壊され、鉄骨や配管がむき出しになっている。 -
地震が起きたのが午後3時前だったので、予約のお客さんがチェックインする前だった。そのお陰もあり、このホテルでは亡くなった方はいない。
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「道の駅たろう」に戻り、「学ぶ防災」語り部ツアーは終了。
道の駅 たろう 道の駅
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お昼ご飯は道の駅でワカメそばをいただく。
オープンテラスで、お客も少ないので、感染対策はばっちりよ。
道の駅や近くの菓子店でお買い物。 -
田老で購入した物。
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バスで宮古駅に向かい、さらにバスを乗り継ぎ陸中山田に向かう。
陸中山田駅前のスーパーでお買い物。宮古駅 駅
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陸中山田のスーパーで購入した物。
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陸中山田駅から三陸鉄道に乗る。
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三陸鉄道の車両。
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鵜住居駅で下車。宿の送迎バスに乗り、宝来館に向かう。
ここには2015年11月にも泊まったことがある。
その時の旅行記↓
https://ameblo.jp/mieta-myargo/entry-12544933996.html?frm=theme
https://ameblo.jp/mieta-myargo/entry-12544934035.html?frm=theme浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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お部屋。
お風呂で汗を流す。 -
夕食のお品書き。
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夕食。
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デザート。
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夕食後は宿のおかみさんが被災した時の話をしてくれた。
おかみさんは津波に飲まれ、まさに九死に一生を得たのだ。
夏休みだったので小学生もいたが、熱心に話を聞いていた。 -
朝食。
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朝食後のお散歩。
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浜辺。
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砂浜から宿まで数mの高さがあるが、宝来館の1階部分は津波に飲み込まれた。
お客さんや近所の人は、駐車場でのんびりして、高台に逃げようとしなかった。
そこで、おかみさんや従業員の女性が駐車場から高台にみんなを避難させようとして、逃げ遅れて津波に飲み込まれた。よくぞ無事だった。 -
津波の慰霊碑
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宝来館の裏山にある避難経路。
ここから従業員の一人が津波の様子をスマホで撮影した映像を、前夜のおかみさんのお話の時に見せてもらった。 -
避難経路から見た宝来館。
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震災前にあった避難経路は急坂で年配者にはきついと、震災後に車椅子でも逃げれるようなスロープの避難経路を新たに造ったという。
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大槌湾。
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遠くに人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったという蓬莱島が見えるのだが、天気が悪くてぼんやりとしか見えない。
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宿のおかみさんに鵜住居駅まで送ってもらう。
その時、昨夜の語り部の時に聞けなかった、被災してから救援が入るまで食料をどうしたのか尋ねた。宿の4階に食料を貯蔵していたので何とかなったのだという。また、停電だったが、冷蔵庫や冷凍庫にあった食料も無事だったという。もし、夏場なら、停電で冷蔵や冷凍の食料はすぐに傷んで食べられなくなっただろう。3月という東北では寒い時期で大変だったと思うが、食料の保管という意味では寒さが幸いした。
鵜住居駅近くにはラグビーのワールドカップの試合が行われたスタジアムがある。
もっとも、ワールドカップ宙に台風に襲われ、試合のいくつかは流れてしまったが。 -
そのラグビーワールドカップの時に襲った台風でこの三陸鉄道の線路も何カ所か流された。津波、台風、何度も災害に襲われながら、三陸鉄道は地元の人たちに愛され、こうやって復旧している。もっとも、釜石駅から宮古駅までは震災前はJR東日本の山田線で、震災後しばらくは鉄道の復旧工事は行われなかった。JR東日本から三陸鉄道に移管譲渡され、鉄路が復旧。日本で一番長い第三セクターの路線として、大船渡市の盛駅から久慈駅まで一本の鉄道で繋がったのが2019年3月。その年の9月に台風の被害を受けたのだ。
鵜住居駅 駅
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宮古駅に戻り、ここからバスで盛岡に出て、新幹線で帰宅。
駅裏に現在の宮古市役所の建物が見える。宮古駅 駅
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宮古駅近辺で購入した物。
真ん中の「醤」の字が入った南部せんべいは宝来館のお茶請けで出されたもの。
同じものをお土産として宝来館で購入。
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旅行記グループ 2022.8宮古・田老・鵜住居その1
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