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2021年8月30日(月)、青春18きっぷを利用して前から行こうと思ってた福知山線廃線跡に出掛けるが、ここの往復だけでは元が取れない(せこい!)ので、まずはもう一駅先、ここの往復なら18きっぷ1回分より少し高い片道1340円掛かる道場駅の近くの千苅ダムへ。<br /><br />京田辺からは片町線(学研都市線)・JR東西線・JR宝塚線で直通だが、1本では行けないので、川西池田まで宝塚行の快速で行き、そこで各停に乗り換えて1時間半余りかかる。JR宝塚線は東海道本線の大阪・尼崎間を含む大阪・篠山口間の福知山線の愛称。阪急にも宝塚線があるため、混同を避けるために愛称にJRが付いている。1987年の国鉄分割民営化で命名された。<br /><br />10時35分、道場駅に到着。福知山線で神戸市にある唯一の駅。1899年(明治32年)に福知山線の前身の阪鶴鉄道の三田までの延伸により開業。1907年(明治40年)に国有化される。1987年の 国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となった。2面2線の相対式ホームを持つ地上駅で、下り線の1番乗場の南側にある駅舎は1986年の新線切替(駅自体の位置は変わってないが、前後の線路が付け替えられた)の際に改築されたもの。無人駅。<br /><br />道場と云うのは地名で、現在は神戸市北区だが、1889年(明治22年)から戦後の1951年(昭和26年)までは有馬郡道場村だった。江戸時代に大坂から三木や三田、篠山に至る宿場として栄えたが、この宿場があったのはJRの駅から山を挟んで4㎞ほど西の神鉄道場駅がある辺り。<br /><br />道場と云う名は、その神鉄道場駅の西の現在の長尾町宅原に大谷本願寺の末寺が道場を開き寺内町を形成し、そこへ至る道筋と云うことから付けられたと云う。その街道はここは通ってないし、この辺りは道場村誕生以前は生野村と云う小さな村だったので、駅名は生野の方が合ってるような気がする。<br /><br />なお、この日はここ道場の後も宝塚市、西宮市と兵庫県内を歩くが、兵庫県に付いては明石の項で書いたので、そちらを参照のこと。<br />https://4travel.jp/travelogue/11735045<br /><br />駅前のロータリーに出ると「肖像」と云うタイトルの石の彫刻があるが、1998年の神戸具象彫刻大賞展の神戸ニュータウン開発センター賞を受賞した彫刻家六田貴之さんの作品(下の写真1)。ロータリーの東側の駐車場前の色とりどりの百日紅が美しい(下の写真2)。<br /><br />武庫川左岸(北側)を下流に向かって歩くこと10分余りで右手に千苅浄水場がある(下の写真3)。神戸市北区の人口の増加に対応するために建設され、1967年に給水を開始した。千苅貯水池で取水した水を浄化して北神地域に送っている。<br /><br />千苅浄水場の先、武庫川に北から合流する羽束川の右岸をダラダラと上って行くと、11時頃、千苅貯水場の門に突き当たる。門の扉は閉められており、行き止りに思えるが、手前の駐車場の右奥から羽束川沿いに近畿自然歩道が続き、貯水場施設の外側を奥に進むことが出来る。途中には利用してないが市民トイレもある(下の写真4)。なお、貯水場には貯水池に酸素を送る設備や事務所があるようだ。<br /><br />5分ほど細い道を歩いて、貯水場施設を回り込んで行くとやっと目標の千苅ダムが姿を現す。このダムは1919年(大正8年)に竣工した高さ42.4mの重力式粗石モルタル積ダムで、神戸市が管理する市内への上水道供給を目的とした市内最大のダム。1926年から31年に掛けて嵩上げ工事が行われている。<br /><br />17門のクレスト(ダムの堤頂部)にあるスライドゲートは日本最古。スライドゲートとは板状の扉体が支持物に設けられた溝を上下に動くタイプのゲートのこと。国の登録有形文化財に登録されているほか、土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」や厚生労働省の「近代水道百選」にも選定されている。<br /><br />千苅はこの辺りが道場村生野字千苅だったことから来ているが、その由来は昔々この辺りで戦いがあり千人の首が刈られたいう噂がある。ただ、実際には苅とは刈り取った稲の束数のことで、千苅も収穫できる豊かな土地と云う事らしい。<br /><br />ダムに近づいていくと左手下の岩盤に鉄の扉があるが、多分トンネルの出入口と思われる(下の写真5)。後で、ダムの左手の階段を登って行くと、おそらくその反対側の出入口と思われる鉄の扉があった(下の写真6)。ダムの建設当時は建設資材搬入や工員の輸送用に道場駅からトロッコ軌道がダムの真下まで敷設されていたそうなので、その名残か?<br /><br />ダムの下にはコンクリートアーチ橋の千苅橋が架かる。ダムの竣工と同じ年の完成。昔はダムへのアクセス路は羽束川の左岸(東側)で、この橋を渡ってからダム右岸を登ったと云う説あり。現在はこの橋を渡って左岸を下流に進むと大岩ヶ岳への登山道に続いている(下の写真7)。この橋からダムの眺めは最高! ダムと千苅橋の間に架かるアーチ状の導水管は武庫川沿いにあった千苅浄水場に繋がっている。<br /><br />千苅橋の上流、左岸(東側)の崖の上には余水吐水路トンネルの出口がある。千苅水源池の水位が上昇した際には、ダムの左岸の端に越流部があり、堰を越えた水がこのトンネルを取って放流されるようになっている。実際に放水されているとなかなかの光景らしい。<br /><br />ダムの右岸(向かって左手)に階段が続き、ダムの右岸の端まで登って行くことが出来る。徐々に姿を変えていくクレストゲートからの放流が素晴らしい。<br /><br />ダムに登り切ると行き止まりでダムの上部には行けない。市の水道局主催の水源探訪ツアーとかでは入れるようだが、凄い倍率らしい。フェンス越しに千苅水源池が広がる。<br /><br />千苅水源池はダムの完成によって、羽束川と波豆川が堰き止められてできたダム湖で、延長約6㎞で周囲長は約23㎞、貯水量は約1160万トンあり、神戸市水道の13%を占めている。ダムがある辺りは神戸市北区だが、上流部は三田市、さらに宝塚市となっている。ダム湖の周辺はハイキングなどの観光地として親しまれている。<br /><br />このダムは、神戸市への上水道供給を目的に建設されたもので、ダムの下に千苅浄水場への導水管があるが、メインは神戸水道(千苅導水路)を通じて約15㎞離れた西宮市の甲山森林公園の南にある上ヶ原浄水場まで送られている。<br /><br />行き止まりとなっているダムの西端にはダム竣工記念碑がある。上ある文字は右から「人助天」と読む。「天の力が及ばぬなら人が天を助けよう」と云う意味で、天の力に頼らずにダムを造ることによって水を安定供給することを表わしているそうだ。<br /><br />以前はこのダム西端から真っ直ぐ北にダム湖西岸を近畿自然歩道があったのだが、数年前に道が崩落して廃道になっている(下の写真8)。登って来た階段の途中に迂回路の入口があり(下の写真9)、かなり急な坂を上ればダムを上から眺めることが出来、廃道になる以前なら10分ほどで行けた地点に1時間ほど掛けて回り込めるそうだ。また、千苅橋を渡った先の大岩ヶ岳への登山道からもダムの全景が眺められるそうだ。<br /><br />11時20分ごろ来た道を折り返す。15分ほど歩き、羽束川が武庫川に合流する手前まで来ると武庫川の対岸を福知山線の高架が走り、さらにその遥か頭上を高架道が横切っている。2018年に川西IC・神戸JCT間が開通した新名神高速道路(高槻JCTから川西ICまでは2017年に開通していた)。神戸JCTと宝塚北SA/SICのちょうど真ん中辺り。私はまだ、2回しか通ったことがないが、なかなか快適だよ、この道路は。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8054262397977047&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />12時前、道場駅に戻り、11時58分のJR宝塚線で一駅先の武田尾駅に向かうが、続く

神戸 千苅ダム(Sengari Dam,Kobe,Hyogo,JP)

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2021/08/30 - 2021/08/30

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旅行記グループ 福知山線廃線跡

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月30日(月)、青春18きっぷを利用して前から行こうと思ってた福知山線廃線跡に出掛けるが、ここの往復だけでは元が取れない(せこい!)ので、まずはもう一駅先、ここの往復なら18きっぷ1回分より少し高い片道1340円掛かる道場駅の近くの千苅ダムへ。

京田辺からは片町線(学研都市線)・JR東西線・JR宝塚線で直通だが、1本では行けないので、川西池田まで宝塚行の快速で行き、そこで各停に乗り換えて1時間半余りかかる。JR宝塚線は東海道本線の大阪・尼崎間を含む大阪・篠山口間の福知山線の愛称。阪急にも宝塚線があるため、混同を避けるために愛称にJRが付いている。1987年の国鉄分割民営化で命名された。

10時35分、道場駅に到着。福知山線で神戸市にある唯一の駅。1899年(明治32年)に福知山線の前身の阪鶴鉄道の三田までの延伸により開業。1907年(明治40年)に国有化される。1987年の 国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となった。2面2線の相対式ホームを持つ地上駅で、下り線の1番乗場の南側にある駅舎は1986年の新線切替(駅自体の位置は変わってないが、前後の線路が付け替えられた)の際に改築されたもの。無人駅。

道場と云うのは地名で、現在は神戸市北区だが、1889年(明治22年)から戦後の1951年(昭和26年)までは有馬郡道場村だった。江戸時代に大坂から三木や三田、篠山に至る宿場として栄えたが、この宿場があったのはJRの駅から山を挟んで4㎞ほど西の神鉄道場駅がある辺り。

道場と云う名は、その神鉄道場駅の西の現在の長尾町宅原に大谷本願寺の末寺が道場を開き寺内町を形成し、そこへ至る道筋と云うことから付けられたと云う。その街道はここは通ってないし、この辺りは道場村誕生以前は生野村と云う小さな村だったので、駅名は生野の方が合ってるような気がする。

なお、この日はここ道場の後も宝塚市、西宮市と兵庫県内を歩くが、兵庫県に付いては明石の項で書いたので、そちらを参照のこと。
https://4travel.jp/travelogue/11735045

駅前のロータリーに出ると「肖像」と云うタイトルの石の彫刻があるが、1998年の神戸具象彫刻大賞展の神戸ニュータウン開発センター賞を受賞した彫刻家六田貴之さんの作品(下の写真1)。ロータリーの東側の駐車場前の色とりどりの百日紅が美しい(下の写真2)。

武庫川左岸(北側)を下流に向かって歩くこと10分余りで右手に千苅浄水場がある(下の写真3)。神戸市北区の人口の増加に対応するために建設され、1967年に給水を開始した。千苅貯水池で取水した水を浄化して北神地域に送っている。

千苅浄水場の先、武庫川に北から合流する羽束川の右岸をダラダラと上って行くと、11時頃、千苅貯水場の門に突き当たる。門の扉は閉められており、行き止りに思えるが、手前の駐車場の右奥から羽束川沿いに近畿自然歩道が続き、貯水場施設の外側を奥に進むことが出来る。途中には利用してないが市民トイレもある(下の写真4)。なお、貯水場には貯水池に酸素を送る設備や事務所があるようだ。

5分ほど細い道を歩いて、貯水場施設を回り込んで行くとやっと目標の千苅ダムが姿を現す。このダムは1919年(大正8年)に竣工した高さ42.4mの重力式粗石モルタル積ダムで、神戸市が管理する市内への上水道供給を目的とした市内最大のダム。1926年から31年に掛けて嵩上げ工事が行われている。

17門のクレスト(ダムの堤頂部)にあるスライドゲートは日本最古。スライドゲートとは板状の扉体が支持物に設けられた溝を上下に動くタイプのゲートのこと。国の登録有形文化財に登録されているほか、土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」や厚生労働省の「近代水道百選」にも選定されている。

千苅はこの辺りが道場村生野字千苅だったことから来ているが、その由来は昔々この辺りで戦いがあり千人の首が刈られたいう噂がある。ただ、実際には苅とは刈り取った稲の束数のことで、千苅も収穫できる豊かな土地と云う事らしい。

ダムに近づいていくと左手下の岩盤に鉄の扉があるが、多分トンネルの出入口と思われる(下の写真5)。後で、ダムの左手の階段を登って行くと、おそらくその反対側の出入口と思われる鉄の扉があった(下の写真6)。ダムの建設当時は建設資材搬入や工員の輸送用に道場駅からトロッコ軌道がダムの真下まで敷設されていたそうなので、その名残か?

ダムの下にはコンクリートアーチ橋の千苅橋が架かる。ダムの竣工と同じ年の完成。昔はダムへのアクセス路は羽束川の左岸(東側)で、この橋を渡ってからダム右岸を登ったと云う説あり。現在はこの橋を渡って左岸を下流に進むと大岩ヶ岳への登山道に続いている(下の写真7)。この橋からダムの眺めは最高! ダムと千苅橋の間に架かるアーチ状の導水管は武庫川沿いにあった千苅浄水場に繋がっている。

千苅橋の上流、左岸(東側)の崖の上には余水吐水路トンネルの出口がある。千苅水源池の水位が上昇した際には、ダムの左岸の端に越流部があり、堰を越えた水がこのトンネルを取って放流されるようになっている。実際に放水されているとなかなかの光景らしい。

ダムの右岸(向かって左手)に階段が続き、ダムの右岸の端まで登って行くことが出来る。徐々に姿を変えていくクレストゲートからの放流が素晴らしい。

ダムに登り切ると行き止まりでダムの上部には行けない。市の水道局主催の水源探訪ツアーとかでは入れるようだが、凄い倍率らしい。フェンス越しに千苅水源池が広がる。

千苅水源池はダムの完成によって、羽束川と波豆川が堰き止められてできたダム湖で、延長約6㎞で周囲長は約23㎞、貯水量は約1160万トンあり、神戸市水道の13%を占めている。ダムがある辺りは神戸市北区だが、上流部は三田市、さらに宝塚市となっている。ダム湖の周辺はハイキングなどの観光地として親しまれている。

このダムは、神戸市への上水道供給を目的に建設されたもので、ダムの下に千苅浄水場への導水管があるが、メインは神戸水道(千苅導水路)を通じて約15㎞離れた西宮市の甲山森林公園の南にある上ヶ原浄水場まで送られている。

行き止まりとなっているダムの西端にはダム竣工記念碑がある。上ある文字は右から「人助天」と読む。「天の力が及ばぬなら人が天を助けよう」と云う意味で、天の力に頼らずにダムを造ることによって水を安定供給することを表わしているそうだ。

以前はこのダム西端から真っ直ぐ北にダム湖西岸を近畿自然歩道があったのだが、数年前に道が崩落して廃道になっている(下の写真8)。登って来た階段の途中に迂回路の入口があり(下の写真9)、かなり急な坂を上ればダムを上から眺めることが出来、廃道になる以前なら10分ほどで行けた地点に1時間ほど掛けて回り込めるそうだ。また、千苅橋を渡った先の大岩ヶ岳への登山道からもダムの全景が眺められるそうだ。

11時20分ごろ来た道を折り返す。15分ほど歩き、羽束川が武庫川に合流する手前まで来ると武庫川の対岸を福知山線の高架が走り、さらにその遥か頭上を高架道が横切っている。2018年に川西IC・神戸JCT間が開通した新名神高速道路(高槻JCTから川西ICまでは2017年に開通していた)。神戸JCTと宝塚北SA/SICのちょうど真ん中辺り。私はまだ、2回しか通ったことがないが、なかなか快適だよ、この道路は。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8054262397977047&type=1&l=223fe1adec


12時前、道場駅に戻り、11時58分のJR宝塚線で一駅先の武田尾駅に向かうが、続く

  • 写真1 道場駅前彫刻

    写真1 道場駅前彫刻

  • 写真2 道場駅前百日紅

    写真2 道場駅前百日紅

  • 写真3 千苅浄水場

    写真3 千苅浄水場

  • 写真4 近畿自然歩道市民トイレ

    写真4 近畿自然歩道市民トイレ

  • 写真5 千苅ダム右岸トンネル下部

    写真5 千苅ダム右岸トンネル下部

  • 写真6 千苅ダム右岸トンネル上部

    写真6 千苅ダム右岸トンネル上部

  • 写真7 千苅橋下流

    写真7 千苅橋下流

  • 写真8 千苅ダム西端

    写真8 千苅ダム西端

  • 写真9 貯水池右岸ルート迂回路入口

    写真9 貯水池右岸ルート迂回路入口

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