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2021年8月30日(月)お昼の1時10分過ぎ、2016年までは特に整備もされず、自己責任のみで通行できた福知山線廃線跡の長尾山第1隧道からの南側部分に進む。このトンネルは他の2つの長尾山トンネルと同様に1899年(明治32年)竣工だが、147mの第2、91mの第3トンネルと比べて306mと全然長い。おまけに一直線ではないので、少し進むと真っ暗でどっちに向かってるかも分からない。懐中電灯の写す部分しか見えない(下の写真1)。<br /><br />あと、これまでの2つのトンネルと違って枕木はなく、砂利道が続く。このトンネルの枕木は大雨で全て流れ出されて、出口辺りに溜まっていたのを2016年に整備した時に運び出された。<br /><br />3、4分歩いてようやく出口の明かりが見えて来てホッとする(下の写真2)。そこからさらに2分ほど歩くとようやく南側の出入口。すぐ先に鉄橋が見える。1954年(昭和29年)に架け替えられた武庫川第2橋梁。72mのこの橋は2016年に整備されるまでは枕木だけが残され、合間から10m下の武庫川が見えていた。もちろん危ないので通ることは出来ず、上流側の犬走りが通路になっていた。今は逆に犬走りは通ることが出来ず、普通の橋になっている。<br /><br />武庫川の下流、対岸を見上げると岩山の中腹に突き出した岩が見える。天狗岩と呼ばれる岩で、近くにはもう一つ仙人岩があったが、1995年の阪神・淡路大震災で崩落した。<br /><br />鉄橋を渡ると西宮市に入り、すぐに溝滝尾隧道。1899年竣工で長さは149mだが、曲がっているので真っ暗。このトンネルには枕木が残っている(下の写真3)。トンネルの名前は、トンネル南側の武庫川渓谷にある滝に因んでいる。早瀬の一番下流にあるのが雄滝で、その1段上で真ん中の岩で流れが2つに分かれているのが雌滝。共に落差は5mほど。<br /><br />コンクリート製の短いトンネルを抜けるが、これは天井川の跨線水路橋。山側から流れて来た川の水がこの水路橋を渡って武庫川に流れ込む。この辺りの川の向こう側には高蔵岩と呼ばれる岩山がカッコイイ。<br /><br />溝滝尾隧道を出て10分ほどで北山第2隧道。これも1899年竣工で、長さ412mとこのハイキングコースで一番長い。とにかく真っ暗。抜けるのに7分余り掛かる。抜けた辺りの緩やかな武庫川渓谷の流れもいい感じ(下の写真4)。対岸の高い所の岩場は新岩。<br /><br />北山第2隧道から20分ほど掛かって北山第1隧道。このコースのトンネルで唯一開業当初にはなかったもので、1922年(大正12年)竣工。当初は武庫川沿いに軌道があったが、線形が悪く、落石の危険性も高かったことからこのトンネルが掘られた。これも319mと長く、真っ暗な中を5分歩く。<br /><br />第1隧道を出ると武庫川の流れは再び岩場となり、涼しげ。5分ほど歩いたところにある大きな岩は高座岩と呼ばれ、明治の頃まで雨乞いの儀式が行われていた。対岸の岩肌は東高座岩とか武庫岩(武庫壁)と呼ばれている。<br /><br />高座岩のすぐ先に姥ケ懐(うばがふところ)川橋梁。しかし、渡る川は現在国見台が造成されている山から流れ出している短い川、どん尻川。何故、川の名前と橋梁の名前が違うかは不明。<br /><br />姥ケ懐川橋梁からさらに4分ほど歩くと、最後の橋梁である名塩川橋梁。中国自動車道西宮山口JCT近くの赤坂峠から約6.1㎞ほど流れて来た名塩川が武庫川に流れ込んでいるところで、合流点は出合淵と呼ばれている。<br /><br />名塩川橋梁を渡るとこのハイキングコースも終わり。正面左手には中国自動車道の高架と武庫川水管橋。中国自動車道は名神、近畿道との吹田JCTと下関IC間約540㎞を結ぶ高速道路で1983年に全線開通したが、この部分(宝塚IC・西宮名塩SA間)は1975年に開通した。結構何度も走ってる道。武庫川水管橋は武庫川左岸の青葉台地区へ配水するために造られたもので、2004年10月の台風23号による増水で流失したが、その後架け直された。人も渡ることが出来る。<br /><br />2時15分頃、廃線跡ハイキング終了。武田尾の入口から昼食休憩を含んで2時間弱だった。国道176号線に出て、生瀬へ歩く。JRの駅としては西宮名塩駅の方が近いらしいが、ついでに神戸水道(千苅導水路)の第三水道橋を見に行く。JR生瀬駅の少し北東にある武庫川に架かる森興橋まで行ったのだが、これが結構遠かった。ハイキングコースを出てから30分ほど掛った。神戸水道はこれで三度武庫川を渡り、南の上ヶ原浄水場まで続く。<br /><br />武庫川第2橋梁からはずっと西宮市を歩いているが、西宮と云えば、甲子園や涼宮ハルヒなどで海に面した阪神間の年と云うイメージが強いが、東六甲の裏側、北に長く伸びている。面積約100平方kmは兵庫県の41市町村で27番目で隣の宝塚市よりわずかに小さい。<br /><br />人口は約48万5千人で、兵庫県では神戸市、姫路市に次いで3番目に多い。西宮と云う名前の起こりには諸説あるが、どこから見たかはともかく、西の方にあるお宮と云うことから来ていると云うのが有力。行政上は1889年(明治22年)に町村制の施行により西宮町が発足、1925年(大正14年)に市制移行して西宮市が誕生した。<br /><br />市域が広いので本庁、鳴尾、瓦木、甲東、塩瀬、山口の6つの支所に分けて業務が分担されている。塩瀬と山口地区は他の支所の地域とは六甲山地に完全にさえぎられており、飛地ではないものの、生活的、経済的な交流はあまりない。塩瀬地区は宝塚市との交流が盛ん。<br /><br />生瀬(なまぜ)は塩瀬支所の一部で、1951年(昭和26年)に昭和の大合併に伴い西宮市に編入されるまでは塩瀬村だった。塩瀬村は1889年に名塩村と生瀬村が合併して誕生。村の名前はそれぞれの村から1文字づつ取られた。生瀬の地名の由来には諸説あるが、武庫川の流れがこの辺りで川幅が広がり滑らかな瀬に変わることから滑瀬(なめらせ)と呼ばれたことがルーツと云う説が有力。<br /><br />摂津平野と有馬方面を結ぶ有馬街道に位置し、北西へ名塩・三田を経て丹波方面に至る丹波街道との追分でもあった。13世紀にはすでに宿駅として栄えた記録がある。江戸時代には参勤交代の宿駅として、また物資の中継地として栄えた。<br /><br />俳優の生瀬(なませ)勝久さんは本名でこの辺りの生まれではないが、生瀬小学校の卒業生。甲子園と甲子園口の間辺りから小学校3年の時にこちらに引っ越されたそうだ。女優の藤原紀香さんは生瀬さんより11学年下の同校の後輩。<br /><br />熱血の元テニスプレーヤー松岡修造さんの実家は生瀬の名望家。江戸末期に生瀬に生まれた同名の高祖父が大阪合同紡績(のち東洋紡)を共同で創業するなど実業家で成功して財をなされたらしい。<br /><br />2時50分過ぎ、今日の終着と云える生瀬駅に到着。1898年(明治31年)に阪鶴鉄道が宝塚から延伸した際に、その終着駅である有馬口駅として開業。翌年には阪鶴鉄道は三田まで延伸され、その直後に生瀬駅に改称された。1907年(明治40年)に国有化。<br /><br />現在の駅舎は1986年の新線への切替時に旧駅から南に50mに建てられたもの。2面2線の相対式ホームを持つ地上駅で、駅舎は南の1番ホーム側に建つ。上り線の2番ホームへは地下道で連絡しており、駅の北側からは入れない。生瀬駅2時53分発のJR宝塚線大阪行区間快速で帰路に就いた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8072452846158002&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />福知山線廃線跡の旅、終了

西宮 福知山線廃線跡(Abandoned Fukuchiyama Line,Nishinomiya,Hyogo,JP)

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2021/08/30 - 2021/08/30

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旅行記グループ 福知山線廃線跡

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月30日(月)お昼の1時10分過ぎ、2016年までは特に整備もされず、自己責任のみで通行できた福知山線廃線跡の長尾山第1隧道からの南側部分に進む。このトンネルは他の2つの長尾山トンネルと同様に1899年(明治32年)竣工だが、147mの第2、91mの第3トンネルと比べて306mと全然長い。おまけに一直線ではないので、少し進むと真っ暗でどっちに向かってるかも分からない。懐中電灯の写す部分しか見えない(下の写真1)。

あと、これまでの2つのトンネルと違って枕木はなく、砂利道が続く。このトンネルの枕木は大雨で全て流れ出されて、出口辺りに溜まっていたのを2016年に整備した時に運び出された。

3、4分歩いてようやく出口の明かりが見えて来てホッとする(下の写真2)。そこからさらに2分ほど歩くとようやく南側の出入口。すぐ先に鉄橋が見える。1954年(昭和29年)に架け替えられた武庫川第2橋梁。72mのこの橋は2016年に整備されるまでは枕木だけが残され、合間から10m下の武庫川が見えていた。もちろん危ないので通ることは出来ず、上流側の犬走りが通路になっていた。今は逆に犬走りは通ることが出来ず、普通の橋になっている。

武庫川の下流、対岸を見上げると岩山の中腹に突き出した岩が見える。天狗岩と呼ばれる岩で、近くにはもう一つ仙人岩があったが、1995年の阪神・淡路大震災で崩落した。

鉄橋を渡ると西宮市に入り、すぐに溝滝尾隧道。1899年竣工で長さは149mだが、曲がっているので真っ暗。このトンネルには枕木が残っている(下の写真3)。トンネルの名前は、トンネル南側の武庫川渓谷にある滝に因んでいる。早瀬の一番下流にあるのが雄滝で、その1段上で真ん中の岩で流れが2つに分かれているのが雌滝。共に落差は5mほど。

コンクリート製の短いトンネルを抜けるが、これは天井川の跨線水路橋。山側から流れて来た川の水がこの水路橋を渡って武庫川に流れ込む。この辺りの川の向こう側には高蔵岩と呼ばれる岩山がカッコイイ。

溝滝尾隧道を出て10分ほどで北山第2隧道。これも1899年竣工で、長さ412mとこのハイキングコースで一番長い。とにかく真っ暗。抜けるのに7分余り掛かる。抜けた辺りの緩やかな武庫川渓谷の流れもいい感じ(下の写真4)。対岸の高い所の岩場は新岩。

北山第2隧道から20分ほど掛かって北山第1隧道。このコースのトンネルで唯一開業当初にはなかったもので、1922年(大正12年)竣工。当初は武庫川沿いに軌道があったが、線形が悪く、落石の危険性も高かったことからこのトンネルが掘られた。これも319mと長く、真っ暗な中を5分歩く。

第1隧道を出ると武庫川の流れは再び岩場となり、涼しげ。5分ほど歩いたところにある大きな岩は高座岩と呼ばれ、明治の頃まで雨乞いの儀式が行われていた。対岸の岩肌は東高座岩とか武庫岩(武庫壁)と呼ばれている。

高座岩のすぐ先に姥ケ懐(うばがふところ)川橋梁。しかし、渡る川は現在国見台が造成されている山から流れ出している短い川、どん尻川。何故、川の名前と橋梁の名前が違うかは不明。

姥ケ懐川橋梁からさらに4分ほど歩くと、最後の橋梁である名塩川橋梁。中国自動車道西宮山口JCT近くの赤坂峠から約6.1㎞ほど流れて来た名塩川が武庫川に流れ込んでいるところで、合流点は出合淵と呼ばれている。

名塩川橋梁を渡るとこのハイキングコースも終わり。正面左手には中国自動車道の高架と武庫川水管橋。中国自動車道は名神、近畿道との吹田JCTと下関IC間約540㎞を結ぶ高速道路で1983年に全線開通したが、この部分(宝塚IC・西宮名塩SA間)は1975年に開通した。結構何度も走ってる道。武庫川水管橋は武庫川左岸の青葉台地区へ配水するために造られたもので、2004年10月の台風23号による増水で流失したが、その後架け直された。人も渡ることが出来る。

2時15分頃、廃線跡ハイキング終了。武田尾の入口から昼食休憩を含んで2時間弱だった。国道176号線に出て、生瀬へ歩く。JRの駅としては西宮名塩駅の方が近いらしいが、ついでに神戸水道(千苅導水路)の第三水道橋を見に行く。JR生瀬駅の少し北東にある武庫川に架かる森興橋まで行ったのだが、これが結構遠かった。ハイキングコースを出てから30分ほど掛った。神戸水道はこれで三度武庫川を渡り、南の上ヶ原浄水場まで続く。

武庫川第2橋梁からはずっと西宮市を歩いているが、西宮と云えば、甲子園や涼宮ハルヒなどで海に面した阪神間の年と云うイメージが強いが、東六甲の裏側、北に長く伸びている。面積約100平方kmは兵庫県の41市町村で27番目で隣の宝塚市よりわずかに小さい。

人口は約48万5千人で、兵庫県では神戸市、姫路市に次いで3番目に多い。西宮と云う名前の起こりには諸説あるが、どこから見たかはともかく、西の方にあるお宮と云うことから来ていると云うのが有力。行政上は1889年(明治22年)に町村制の施行により西宮町が発足、1925年(大正14年)に市制移行して西宮市が誕生した。

市域が広いので本庁、鳴尾、瓦木、甲東、塩瀬、山口の6つの支所に分けて業務が分担されている。塩瀬と山口地区は他の支所の地域とは六甲山地に完全にさえぎられており、飛地ではないものの、生活的、経済的な交流はあまりない。塩瀬地区は宝塚市との交流が盛ん。

生瀬(なまぜ)は塩瀬支所の一部で、1951年(昭和26年)に昭和の大合併に伴い西宮市に編入されるまでは塩瀬村だった。塩瀬村は1889年に名塩村と生瀬村が合併して誕生。村の名前はそれぞれの村から1文字づつ取られた。生瀬の地名の由来には諸説あるが、武庫川の流れがこの辺りで川幅が広がり滑らかな瀬に変わることから滑瀬(なめらせ)と呼ばれたことがルーツと云う説が有力。

摂津平野と有馬方面を結ぶ有馬街道に位置し、北西へ名塩・三田を経て丹波方面に至る丹波街道との追分でもあった。13世紀にはすでに宿駅として栄えた記録がある。江戸時代には参勤交代の宿駅として、また物資の中継地として栄えた。

俳優の生瀬(なませ)勝久さんは本名でこの辺りの生まれではないが、生瀬小学校の卒業生。甲子園と甲子園口の間辺りから小学校3年の時にこちらに引っ越されたそうだ。女優の藤原紀香さんは生瀬さんより11学年下の同校の後輩。

熱血の元テニスプレーヤー松岡修造さんの実家は生瀬の名望家。江戸末期に生瀬に生まれた同名の高祖父が大阪合同紡績(のち東洋紡)を共同で創業するなど実業家で成功して財をなされたらしい。

2時50分過ぎ、今日の終着と云える生瀬駅に到着。1898年(明治31年)に阪鶴鉄道が宝塚から延伸した際に、その終着駅である有馬口駅として開業。翌年には阪鶴鉄道は三田まで延伸され、その直後に生瀬駅に改称された。1907年(明治40年)に国有化。

現在の駅舎は1986年の新線への切替時に旧駅から南に50mに建てられたもの。2面2線の相対式ホームを持つ地上駅で、駅舎は南の1番ホーム側に建つ。上り線の2番ホームへは地下道で連絡しており、駅の北側からは入れない。生瀬駅2時53分発のJR宝塚線大阪行区間快速で帰路に就いた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8072452846158002&type=1&l=223fe1adec


福知山線廃線跡の旅、終了

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  • 写真1 長尾山第1隧道内部

    写真1 長尾山第1隧道内部

  • 写真2 長尾山第1隧道内部からの南側出入口

    写真2 長尾山第1隧道内部からの南側出入口

  • 写真3 溝滝尾隧道内部からの南側出入口

    写真3 溝滝尾隧道内部からの南側出入口

  • 写真4 北山第2隧道南側の武庫川の流れ

    写真4 北山第2隧道南側の武庫川の流れ

  • 写真5 名塩川出合淵

    写真5 名塩川出合淵

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