二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
5月中旬に報道関係から、2022年の祇園祭の山鉾巡行を執り行いますと報道されました。その数日後、山鉾連合会から葉書で同じ様な内容の案内が来たので、今年の宵山は7/16の土曜日、7/17の山鉾巡行は日曜日となったので、コロナの感染が心配でしたが、こことばかり感染覚悟の上で京都入りしました。<br /><br />京都のコロナ新規感染者数<br />令和4年7月31日	5,044名  2週間後<br />令和4年7月17日	2,467名	山鉾巡航の日<br />令和4年7月16日	2,214名	宵山<br />令和4年7月15日	1,941名 宵宵山<br /><br />2週間後の感染者数が約5000人と凄い数ですが、東京は3万人を軽く越えました。(/_;)/~~<br />帰宅後この旅行記を2週間後に書いており、なんとか無事に感染せずにいられましたが、油断は禁物です。先週念のため、うちの会社のスタッフから医療用抗原検査キットを分けて貰い、検査したら陰性でした。まずは一安心です。(^-^)/<br /><br />毎度利用する新幹線の、のぞみ1号で京都入りして、まずは伏見稲荷さんへお参り、その後、京阪とタクシ-利用して茶碗坂から清水さんへ行き、その足で八坂神社さんへお参りとなりました。<br />毎年授与して貰っている厄除け粽は7月の初め目に、八坂神社さんの粽2本、我が家とお世話になっている美容室の分、長刀鉾の厄除け粽1本を先に送って貰いました。八坂神社さんの粽は宵山でも買うことができますが、大変人気のある長刀鉾の粽は宵山の時で、たぶん売り切れ?可能性があると判断しました。実際現地の昼の時間帯で既に長刀鉾の粽は完売しておりました。前回の祇園祭の時経験していたので、取り寄せで正解でした。<br /><br />またコロナの感染が心配でしたが、マスクは絶対外さず、アルコール消毒液も持参で行きました。当日天気予報が雨の予報でしたが、なんとか傘をささずにいられたので、写真も撮ることができましたが、朝から夜8時半過ぎまで1日中歩き通しで、足が棒になり痛くて夜寝られませんでした。<br /><br />今回の旅行記は、宵山と山鉾巡行の2回に分けて掲載いたします。<br />山鉾の会所ほとんどの所に行きましたが、時間の問題で会所の中に入り御神体まで見る時間がありませんでした。<br />夕食は前回食べに行った、洋食屋キチキチさんへ行き、その後足の痛いのを我慢して夜の宵山へと出向いて行きました。<br /><br />祇園祭宵山<br />宵山とは本祭の前夜に行う小祭という意味があり、宵山の日程は前祭が7月14日~16日、後祭が7月21日~23日です。宵山(前祭)の7月15日・16日には屋台露店が立ち並びます。時間的には夕方以降だいたい5時過ぎに大変賑わうが、午前中から少しずつ賑わっていきます。<br /><br />【祇園祭宵山】<br />●宵山(前祭)2023・・・7月14日(金曜日)~16日(日曜日)<br />祇園祭宵山(前祭)2023<br />●宵山(後祭)2023・・・7月21日(金曜日)~23日(日曜日)<br />祇園祭宵山(後祭)2023<br /><br />宵山(前祭)は山鉾巡行(前祭)・神幸祭(神輿渡御)が行われる7月17日の前3日間(14日~16日)、宵山(後祭)とは山鉾巡行(後祭)・還幸祭(神輿渡御)が行われる7月24日の前3日間(21日~23日)です。<br /><br />宵山は祇園祭の中でも山鉾巡行と共に人気があり、14日~16日の宵宵宵山、宵宵山、宵山(前祭)は人出が大変多くなります。特に15日・16日は屋台露店が立ち並び、夕方から歩行者天国になることから大変人出が多くなります。<br />また特に大型の長刀鉾・函谷鉾・月鉾・菊水鉾・鶏鉾周辺の四条烏丸交差点周辺から四条室町差点付近では身動きができないくらいの大勢の見物客で賑わいます。21日~23日の宵山(後祭)は比較的に人出があまり多くなく、風情をじっくり楽しむことができます。なお宵山は時間に関係なく昼前頃から賑わうが、駒形提灯が灯されて祇園囃子が奏でられる夕方以降は昼間よりも賑わいます。<br /><br />【祇園祭2022日程】<br />祇園祭2022日程は2022年(令和4年)7月1日(金曜日)~31日(日曜日)<br />ちまき販売(前祭)・・・7月13日(水曜日)~16日(土曜日)<br />●宵山(前祭)・・・7月14日(木曜日)~16日(土曜日)<br />●山鉾巡行(前祭)・・・7月17日(日曜日)<br />●ちまき販売(後祭)・・・7月20日(水曜日)~23日(土曜日)<br />●宵山(後祭)・・・7月21日(木曜日)~23日(土曜日)<br />●山鉾巡行(後祭)・・・7月24日(日曜日<br /><br />【7月16日-祇園祭】<br />●献茶祭・・・9:00から八坂神社で境内の井戸水で点てたお茶を神前に供えます。<br />●屋台露店・・・お昼前から夜遅くまで屋台露店が烏丸通・室町通・新町通などに立ち並びます。<br /><br />●宵山(前祭)・・・夕方から山鉾の駒形提灯が灯され、囃子方がある山鉾で祇園囃子が奏でられます。綾傘鉾・四条傘鉾で棒振り踊りが行われます。夕方から四条通・烏丸通などが歩行者天国になります。<br /><br />●宵宮神賑奉納行事・・・19:00頃から八坂神社の石段下の臨時ステージで京舞(祇園甲部歌舞会)・舞楽などの各種芸能が奉納されます。<br /><br />●石見神楽・・・18:30から八坂神社で石見神楽が能舞台で奉納されます。大蛇(おろち)などが奉納されます。<br /><br />●日和神楽(前祭)・・・囃子方がある山鉾町が祇園囃子を奏でながら四条御旅所に向かい、囃子を奉納して晴天を祈願します。<br />日和神楽(前祭)<br /><br />●船鉾神功皇后御神体腹帯巻き・・・23:30から船鉾の御神体・神功皇后に安産祈願の腹帯が巻かれます。(非公開)巡行後に祈願者に渡されます。<br /><br />●弓矢町武具飾り・・・17日まで松原通(西福寺前から松原橋)沿いの町家や町会所である弓箭閣などに甲冑が飾られます。<br /><br /><br />京都 祇園祭 (前祭) 山鉾巡行を有料観覧席からの観覧とその風景 o(^-^o)(o^-^)o [前編 山鉾巡行順,1番 長刀鉾~10番 山伏山まで<br />https://4travel.jp/travelogue/11265901<br /><br />京都 祇園祭 (前祭) 山鉾巡行を有料観覧席からの観覧とその風景 o(^-^o)(o^-^)o [後編 山鉾巡行順,11番 油天神山~23番 船鉾まで]<br />339いいね!<br />https://4travel.jp/travelogue/11266047

2022年、3年ぶりに山鉾巡行がある祇園祭、前日の宵山の人混みの凄さに驚き (@0@);; コロナ感染覚悟の上で京都入りしました。

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2022/07/16 - 2022/07/17

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Medina

Medinaさん

この旅行記のスケジュール

2022/07/16

この旅行記スケジュールを元に

5月中旬に報道関係から、2022年の祇園祭の山鉾巡行を執り行いますと報道されました。その数日後、山鉾連合会から葉書で同じ様な内容の案内が来たので、今年の宵山は7/16の土曜日、7/17の山鉾巡行は日曜日となったので、コロナの感染が心配でしたが、こことばかり感染覚悟の上で京都入りしました。

京都のコロナ新規感染者数
令和4年7月31日 5,044名 2週間後
令和4年7月17日 2,467名 山鉾巡航の日
令和4年7月16日 2,214名 宵山
令和4年7月15日 1,941名 宵宵山

2週間後の感染者数が約5000人と凄い数ですが、東京は3万人を軽く越えました。(/_;)/~~
帰宅後この旅行記を2週間後に書いており、なんとか無事に感染せずにいられましたが、油断は禁物です。先週念のため、うちの会社のスタッフから医療用抗原検査キットを分けて貰い、検査したら陰性でした。まずは一安心です。(^-^)/

毎度利用する新幹線の、のぞみ1号で京都入りして、まずは伏見稲荷さんへお参り、その後、京阪とタクシ-利用して茶碗坂から清水さんへ行き、その足で八坂神社さんへお参りとなりました。
毎年授与して貰っている厄除け粽は7月の初め目に、八坂神社さんの粽2本、我が家とお世話になっている美容室の分、長刀鉾の厄除け粽1本を先に送って貰いました。八坂神社さんの粽は宵山でも買うことができますが、大変人気のある長刀鉾の粽は宵山の時で、たぶん売り切れ?可能性があると判断しました。実際現地の昼の時間帯で既に長刀鉾の粽は完売しておりました。前回の祇園祭の時経験していたので、取り寄せで正解でした。

またコロナの感染が心配でしたが、マスクは絶対外さず、アルコール消毒液も持参で行きました。当日天気予報が雨の予報でしたが、なんとか傘をささずにいられたので、写真も撮ることができましたが、朝から夜8時半過ぎまで1日中歩き通しで、足が棒になり痛くて夜寝られませんでした。

今回の旅行記は、宵山と山鉾巡行の2回に分けて掲載いたします。
山鉾の会所ほとんどの所に行きましたが、時間の問題で会所の中に入り御神体まで見る時間がありませんでした。
夕食は前回食べに行った、洋食屋キチキチさんへ行き、その後足の痛いのを我慢して夜の宵山へと出向いて行きました。

祇園祭宵山
宵山とは本祭の前夜に行う小祭という意味があり、宵山の日程は前祭が7月14日~16日、後祭が7月21日~23日です。宵山(前祭)の7月15日・16日には屋台露店が立ち並びます。時間的には夕方以降だいたい5時過ぎに大変賑わうが、午前中から少しずつ賑わっていきます。

【祇園祭宵山】
●宵山(前祭)2023・・・7月14日(金曜日)~16日(日曜日)
祇園祭宵山(前祭)2023
●宵山(後祭)2023・・・7月21日(金曜日)~23日(日曜日)
祇園祭宵山(後祭)2023

宵山(前祭)は山鉾巡行(前祭)・神幸祭(神輿渡御)が行われる7月17日の前3日間(14日~16日)、宵山(後祭)とは山鉾巡行(後祭)・還幸祭(神輿渡御)が行われる7月24日の前3日間(21日~23日)です。

宵山は祇園祭の中でも山鉾巡行と共に人気があり、14日~16日の宵宵宵山、宵宵山、宵山(前祭)は人出が大変多くなります。特に15日・16日は屋台露店が立ち並び、夕方から歩行者天国になることから大変人出が多くなります。
また特に大型の長刀鉾・函谷鉾・月鉾・菊水鉾・鶏鉾周辺の四条烏丸交差点周辺から四条室町差点付近では身動きができないくらいの大勢の見物客で賑わいます。21日~23日の宵山(後祭)は比較的に人出があまり多くなく、風情をじっくり楽しむことができます。なお宵山は時間に関係なく昼前頃から賑わうが、駒形提灯が灯されて祇園囃子が奏でられる夕方以降は昼間よりも賑わいます。

【祇園祭2022日程】
祇園祭2022日程は2022年(令和4年)7月1日(金曜日)~31日(日曜日)
ちまき販売(前祭)・・・7月13日(水曜日)~16日(土曜日)
●宵山(前祭)・・・7月14日(木曜日)~16日(土曜日)
●山鉾巡行(前祭)・・・7月17日(日曜日)
●ちまき販売(後祭)・・・7月20日(水曜日)~23日(土曜日)
●宵山(後祭)・・・7月21日(木曜日)~23日(土曜日)
●山鉾巡行(後祭)・・・7月24日(日曜日

【7月16日-祇園祭】
●献茶祭・・・9:00から八坂神社で境内の井戸水で点てたお茶を神前に供えます。
●屋台露店・・・お昼前から夜遅くまで屋台露店が烏丸通・室町通・新町通などに立ち並びます。

●宵山(前祭)・・・夕方から山鉾の駒形提灯が灯され、囃子方がある山鉾で祇園囃子が奏でられます。綾傘鉾・四条傘鉾で棒振り踊りが行われます。夕方から四条通・烏丸通などが歩行者天国になります。

●宵宮神賑奉納行事・・・19:00頃から八坂神社の石段下の臨時ステージで京舞(祇園甲部歌舞会)・舞楽などの各種芸能が奉納されます。

●石見神楽・・・18:30から八坂神社で石見神楽が能舞台で奉納されます。大蛇(おろち)などが奉納されます。

●日和神楽(前祭)・・・囃子方がある山鉾町が祇園囃子を奏でながら四条御旅所に向かい、囃子を奉納して晴天を祈願します。
日和神楽(前祭)

●船鉾神功皇后御神体腹帯巻き・・・23:30から船鉾の御神体・神功皇后に安産祈願の腹帯が巻かれます。(非公開)巡行後に祈願者に渡されます。

●弓矢町武具飾り・・・17日まで松原通(西福寺前から松原橋)沿いの町家や町会所である弓箭閣などに甲冑が飾られます。


京都 祇園祭 (前祭) 山鉾巡行を有料観覧席からの観覧とその風景 o(^-^o)(o^-^)o [前編 山鉾巡行順,1番 長刀鉾~10番 山伏山まで
https://4travel.jp/travelogue/11265901

京都 祇園祭 (前祭) 山鉾巡行を有料観覧席からの観覧とその風景 o(^-^o)(o^-^)o [後編 山鉾巡行順,11番 油天神山~23番 船鉾まで]
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https://4travel.jp/travelogue/11266047

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.0
グルメ
3.0
ショッピング
3.0
交通
1.0
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 5月の中旬に山鉾連合会から山鉾巡行の案内の葉書が届きました。<br />急いでホテルの予約をし、更にキチキチさんとEXで新幹線の予約の手配をしました。

    5月の中旬に山鉾連合会から山鉾巡行の案内の葉書が届きました。
    急いでホテルの予約をし、更にキチキチさんとEXで新幹線の予約の手配をしました。

  • まずは八坂神社 南楼門から入りお参り。当日、祇園祭の献茶会が水月会にて執り行われておりました。<br />

    まずは八坂神社 南楼門から入りお参り。当日、祇園祭の献茶会が水月会にて執り行われておりました。

  • 豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。<br />古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、勅を奉じて当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社より神泉苑に神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。<br />祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます

    豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。
    古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、勅を奉じて当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社より神泉苑に神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
    祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます

  • 三基の神輿が氏子区域を渡御し、10日の神興洗式、15日の宵宮祭を経て御神霊をお還した神輿は、山鉾巡行の行われる17日の夕方、八坂神社を出発し主に鴨川以東、河原町などを通り同日夜四条寺町の御旅所へ入ります。

    三基の神輿が氏子区域を渡御し、10日の神興洗式、15日の宵宮祭を経て御神霊をお還した神輿は、山鉾巡行の行われる17日の夕方、八坂神社を出発し主に鴨川以東、河原町などを通り同日夜四条寺町の御旅所へ入ります。

  • 笹の葉で調整された疫病、災難除けのお守りで、7月の祇園祭時のみ授与されます『備後国風土記』逸文に残されている蘇民将来の説話に因み、表面には「蘇民将来子孫也」の護符がつけられ、軒先に吊るされます。<br />また宵山の期間中には、山鉾の各町内でそれぞれのご利益をもたらす粽が授与されますが、現在のコロナ渦の影響を受け今年も特別に郵送の販売もされてます。<br /><br />https://www.yasaka-jinja.or.jp/event/gion/

    笹の葉で調整された疫病、災難除けのお守りで、7月の祇園祭時のみ授与されます『備後国風土記』逸文に残されている蘇民将来の説話に因み、表面には「蘇民将来子孫也」の護符がつけられ、軒先に吊るされます。
    また宵山の期間中には、山鉾の各町内でそれぞれのご利益をもたらす粽が授与されますが、現在のコロナ渦の影響を受け今年も特別に郵送の販売もされてます。

    https://www.yasaka-jinja.or.jp/event/gion/

  • 八坂神社さんの厄除け粽、玄関の入口にかけてあります。古い粽は返納します。

    八坂神社さんの厄除け粽、玄関の入口にかけてあります。古い粽は返納します。

  • 山鉾巡航の時、有料観覧席のスタッフからパンフレットと手拭いや冷凍アクエリアスなど頂きました。

    山鉾巡航の時、有料観覧席のスタッフからパンフレットと手拭いや冷凍アクエリアスなど頂きました。

  • こちらは、山鉾連合会から頂いた特注の扇子。

    こちらは、山鉾連合会から頂いた特注の扇子。

  • 四条通からみた西楼門。観光客はほとんど山鉾が揃う四条烏丸通りから室町、新町通り周辺にいる為、八坂神社界隈は静かでした。<br />

    四条通からみた西楼門。観光客はほとんど山鉾が揃う四条烏丸通りから室町、新町通り周辺にいる為、八坂神社界隈は静かでした。

  • 四条通りを15分程歩いて、四条烏丸周辺へ山鉾を見に行きましたが、やはり昼間でも凄い人で驚きました。

    四条通りを15分程歩いて、四条烏丸周辺へ山鉾を見に行きましたが、やはり昼間でも凄い人で驚きました。

  • 目の前に長刀鉾があるが前に進むことができません<br />(*´Д`) 今回カメラのレンズ、標準と望遠2本持参してきているので、やもなき望遠を使用

    目の前に長刀鉾があるが前に進むことができません
    (*´Д`) 今回カメラのレンズ、標準と望遠2本持参してきているので、やもなき望遠を使用

  • 右側が会所。今年は鉾に上がることはできません。御神体も見たかったですが、この人混みで断念

    右側が会所。今年は鉾に上がることはできません。御神体も見たかったですが、この人混みで断念

  • まずは長刀鉾の会所の販売所へ行き、粽の確認と売り切れる前にグッズを買いに行きました。昼の時点で厄除け粽は既に完売でした。事前に購入して正解です。(^^)d<br />

    まずは長刀鉾の会所の販売所へ行き、粽の確認と売り切れる前にグッズを買いに行きました。昼の時点で厄除け粽は既に完売でした。事前に購入して正解です。(^^)d

  • 公益財団法人 長刀鉾保存会<br />〒600-8008<br />京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町26番地<br />TEL:075-213-5757  FAX:075-213-5777<br />

    公益財団法人 長刀鉾保存会
    〒600-8008
    京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町26番地
    TEL:075-213-5757  FAX:075-213-5777

  • 事前に購入しておいた長刀鉾の厄除け粽、玄関手前の仕切り門に飾りました。

    事前に購入しておいた長刀鉾の厄除け粽、玄関手前の仕切り門に飾りました。

  • 長刀鉾の会所の販売所で購入した、手拭いと辻回しの竹炭の粉を買いました。竹炭の粉は厄除けと滑り止め、常に一番! だそうです。

    長刀鉾の会所の販売所で購入した、手拭いと辻回しの竹炭の粉を買いました。竹炭の粉は厄除けと滑り止め、常に一番! だそうです。

  • スポンサーのキリンビールのケースの多さに驚きです。

    スポンサーのキリンビールのケースの多さに驚きです。

  • 長刀鉾は鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭にたち、生稚児の乗るのも今ではこの鉾だけである。真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。<br />前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了した。<br />https://naginatahoko.jp/about/<br />http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/naginatahoko.html

    長刀鉾は鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭にたち、生稚児の乗るのも今ではこの鉾だけである。真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。
    前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了した。
    https://naginatahoko.jp/about/
    http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/naginatahoko.html

  • 長刀鉾<br />「くじ取らず」の鉾として、常に山鉾巡行の先頭を進みます。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、鉾先に大長刀をつけているのでこの名で呼ばれます。山鉾の中で唯一生稚児が乗ります。<br /><br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/02/src_49750216.jpg?1502780054

    長刀鉾
    「くじ取らず」の鉾として、常に山鉾巡行の先頭を進みます。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、鉾先に大長刀をつけているのでこの名で呼ばれます。山鉾の中で唯一生稚児が乗ります。

    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/02/src_49750216.jpg?1502780054

  • 今年は鉾には上がれません<br />

    今年は鉾には上がれません

  • 長刀鉾の動輪

    長刀鉾の動輪

  • 孟宗山(もうそうやま)<br />「筍山」ともいう。山に飾る御神体(人形)は中国の史話二十四孝から取材。病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘りあてた姿をあらわしている。人形は七条大仏師康朝左京の作といわれ、唐人衣裳に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っている。欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(1844~1895)の下絵、見送はかつて雲龍文様の綴錦を用いていたが、昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画竹林図のものが用いられている。この地味な墨画の見送は、極彩色豊かな他の山鉾のなかにあって、かえって異彩をはなっている。また、平山郁夫筆の胴懸「砂漠らくだ行(日)」「砂漠らくだ行(月)」は、平成20年、21年に新調された。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/67/src_49756718.jpg?1502780054

    孟宗山(もうそうやま)
    「筍山」ともいう。山に飾る御神体(人形)は中国の史話二十四孝から取材。病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘りあてた姿をあらわしている。人形は七条大仏師康朝左京の作といわれ、唐人衣裳に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っている。欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(1844~1895)の下絵、見送はかつて雲龍文様の綴錦を用いていたが、昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画竹林図のものが用いられている。この地味な墨画の見送は、極彩色豊かな他の山鉾のなかにあって、かえって異彩をはなっている。また、平山郁夫筆の胴懸「砂漠らくだ行(日)」「砂漠らくだ行(月)」は、平成20年、21年に新調された。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/67/src_49756718.jpg?1502780054

  • 占出山(うらでやま)<br />「鮎釣山」ともいう。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。御神体(人形)は金の烏帽子に太刀をはき、右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持って立つ。神功皇后は古くから安産の神として祀られ、山鉾巡行の鬮順が早いとその年はお産が軽いといわれる。安産の神として公家の信仰も厚く女院や公卿の姫君などから寄進された小袖や打掛・水干などが多数御神体衣裳として保存されている。水引は三十六歌仙図の刺繍。前懸・胴懸は日本三景の綴錦で天保2年(1831)の制作。このうち山口素岳の松島図下絵は別に保存されている。見送には花鳥龍文様の綴錦が用いられ、近年それらを復元新調した。宵山には安産の御守りと腹帯とが授与される。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/65/src_49756558.jpg?1502780054

    占出山(うらでやま)
    「鮎釣山」ともいう。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。御神体(人形)は金の烏帽子に太刀をはき、右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持って立つ。神功皇后は古くから安産の神として祀られ、山鉾巡行の鬮順が早いとその年はお産が軽いといわれる。安産の神として公家の信仰も厚く女院や公卿の姫君などから寄進された小袖や打掛・水干などが多数御神体衣裳として保存されている。水引は三十六歌仙図の刺繍。前懸・胴懸は日本三景の綴錦で天保2年(1831)の制作。このうち山口素岳の松島図下絵は別に保存されている。見送には花鳥龍文様の綴錦が用いられ、近年それらを復元新調した。宵山には安産の御守りと腹帯とが授与される。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/65/src_49756558.jpg?1502780054

  • 山伏山(やまぶしやま)会所

    山伏山(やまぶしやま)会所

  • 山伏山(やまぶしやま)<br />この名は山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれる。昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている。左手に刺高数珠、右手には斧を持ち腰には法螺貝をつけている。欄縁金具は飛鶴、水引は機織図を描く綴錦、前懸は雲龍文様の刺繍、胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦を用いている。見送は龍波濤文様の綴錦で、平成11年に復元された。巡行の数日前より聖護院の山伏たちの巡拝があり、また八坂神社からの清祓も行われ、神前に供える三宝も仏式の黒塗のものが用いられている。明治初年の神仏分離以前の姿をこの山にみることができる。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/42/src_49844210.jpg?1502780054

    山伏山(やまぶしやま)
    この名は山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれる。昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている。左手に刺高数珠、右手には斧を持ち腰には法螺貝をつけている。欄縁金具は飛鶴、水引は機織図を描く綴錦、前懸は雲龍文様の刺繍、胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦を用いている。見送は龍波濤文様の綴錦で、平成11年に復元された。巡行の数日前より聖護院の山伏たちの巡拝があり、また八坂神社からの清祓も行われ、神前に供える三宝も仏式の黒塗のものが用いられている。明治初年の神仏分離以前の姿をこの山にみることができる。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/42/src_49844210.jpg?1502780054

  • 霰天神山(あられてんじんやま)の会所があるが、屋台と露天商が立ち並び人混みで先に進めません。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/69/src_49756989.jpg?1502780054

    霰天神山(あられてんじんやま)の会所があるが、屋台と露天商が立ち並び人混みで先に進めません。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/69/src_49756989.jpg?1502780054

  • 霰天神山(あられてんじんやま)<br />錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれる。永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。山の縁起にちなみ宵山には「火防せ、雷除け」の御守が授与される。<br /><br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/69/src_49756989.jpg?1502780054

    霰天神山(あられてんじんやま)
    錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれる。永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。山の縁起にちなみ宵山には「火防せ、雷除け」の御守が授与される。

    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/69/src_49756989.jpg?1502780054

  • 霰天神山(あられてんじんやま)<br />

    霰天神山(あられてんじんやま)

  • 放下鉾(ほうかほこ)会所 販売所

    放下鉾(ほうかほこ)会所 販売所

  • 放下鉾(ほうかほこ)<br />鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。この鉾は明治の中期に胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。破風正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年に完成したものである。下水引は与謝蕪村(1716~83)下絵の琴棋書画図であったが平成6年から栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織になっている。三番水引の青海波におしどり図綴織は駒井源琦の下絵によるものだが今はその復元品を用いている。前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものである。旧胴懸として16世紀製の描絵玉取獅子、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴が保存されている。平成22年(2010)には天井幕「四季草花図」(原画・柴田是真)が新調された。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/46/src_49844685.jpg?1502780654

    放下鉾(ほうかほこ)
    鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。この鉾は明治の中期に胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。破風正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年に完成したものである。下水引は与謝蕪村(1716~83)下絵の琴棋書画図であったが平成6年から栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織になっている。三番水引の青海波におしどり図綴織は駒井源琦の下絵によるものだが今はその復元品を用いている。前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものである。旧胴懸として16世紀製の描絵玉取獅子、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴が保存されている。平成22年(2010)には天井幕「四季草花図」(原画・柴田是真)が新調された。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/46/src_49844685.jpg?1502780654

  • 郭巨山(かっきょやま)<br />中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなんで造られ「釜掘り山」ともいわれる。山に飾る御神体(人形)の郭巨と童子は寛政元年(1789)金勝亭九右衛門利恭の作で前懸は天明5年(1785)製の唐美人遊楽図の絽刺、胴懸は石田幽汀(1721~86)の下絵による呉道子描龍図と陳平飼虎図の刺繍で天明5年松屋源兵衛の作、見送は文化12年(1815)製で円山応震(1790~1838)の下絵による山水仙人図であったが、昭和58年から新しく上村松篁原画による秋草図前懸、花の汀図および春雪図胴懸、都の春図見送の綴織を順次新調した。後懸は阿国歌舞伎図綴織と古後懸に天明5年改修の黒ビロード地福禄寿図刺繍がある。この山に限って桐桜菊の欄縁の下に金地彩色宝相華文様の乳隠しが用いられ、また屋根覆いをかけている。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/45/src_49844569.jpg?1502780654<br />

    郭巨山(かっきょやま)
    中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなんで造られ「釜掘り山」ともいわれる。山に飾る御神体(人形)の郭巨と童子は寛政元年(1789)金勝亭九右衛門利恭の作で前懸は天明5年(1785)製の唐美人遊楽図の絽刺、胴懸は石田幽汀(1721~86)の下絵による呉道子描龍図と陳平飼虎図の刺繍で天明5年松屋源兵衛の作、見送は文化12年(1815)製で円山応震(1790~1838)の下絵による山水仙人図であったが、昭和58年から新しく上村松篁原画による秋草図前懸、花の汀図および春雪図胴懸、都の春図見送の綴織を順次新調した。後懸は阿国歌舞伎図綴織と古後懸に天明5年改修の黒ビロード地福禄寿図刺繍がある。この山に限って桐桜菊の欄縁の下に金地彩色宝相華文様の乳隠しが用いられ、また屋根覆いをかけている。
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  • 蟷螂山(とうろうやま)<br />蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいる。その起源は南北朝時代で、足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(1292~1352)の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和二年(1376)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。<br />その後、蟷螂山は再三の戦火に遭うが、そのつど再興され、巡行を続けてきたのであるが、元治の大火(1864)でその大部分を焼失してしまい、昭和56年、117年ぶりに再興された。<br />蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/44/src_49844444.jpg?1502780654

    蟷螂山(とうろうやま)
    蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいる。その起源は南北朝時代で、足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(1292~1352)の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和二年(1376)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。
    その後、蟷螂山は再三の戦火に遭うが、そのつど再興され、巡行を続けてきたのであるが、元治の大火(1864)でその大部分を焼失してしまい、昭和56年、117年ぶりに再興された。
    蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/44/src_49844444.jpg?1502780654

  • 蟷螂山(とうろうやま)

    蟷螂山(とうろうやま)

  • 四条傘鉾(しじょうかさほこ)<br />四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾る。明治4年に巡行に加わって以降と絶えていたこの四条傘鉾も、昭和60年、町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再興され、昭和63年から巡行に欠かせない踊りとはやしが復元され、32番目の山鉾として巡行することになった。なお、踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊で、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したものである。垂りは鈴鹿雄次郎製作の麗光鳳舞之図である。<br />https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_pict/49/84/40/650x_49844062.jpg?updated_at=1502780054

    四条傘鉾(しじょうかさほこ)
    四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾る。明治4年に巡行に加わって以降と絶えていたこの四条傘鉾も、昭和60年、町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再興され、昭和63年から巡行に欠かせない踊りとはやしが復元され、32番目の山鉾として巡行することになった。なお、踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊で、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したものである。垂りは鈴鹿雄次郎製作の麗光鳳舞之図である。
    https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_pict/49/84/40/650x_49844062.jpg?updated_at=1502780054

  • 月鉾(つきほこ)<br /><br />

    月鉾(つきほこ)

  • 月鉾(つきほこ)<br />鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので、この名で呼ばれる。<br />真木のなかほどの「天王座」には月読尊を祀る。古い鉾頭と天王の持つ櫂には「元亀4年(1573)6月吉日大錺屋勘右衛門」の刻銘がある。また正徳4年(1714)の鉾頭もあるが昭和56年から田辺勇蔵氏寄進の18金製の鉾頭にかえている。屋根裏の金地彩色草花図は天明4年(1784)円山応挙(1733~95)の筆。天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は天保6年(1835)に町内の住人岩城九右衛門の筆。破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる立派なものである。軒桁貝尽しの錺金具は松村景文(1779~1843)の下絵、四本柱の錺金具、破風飾の金具などはいずれも華麗なもので山鉾のなかでも最高のものである。天水引の霊獣図刺繍は天保6年(1835)円山応震の下絵である。前懸、後懸は華麗なインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いており、北面の「中東蓮花葉文様」は平成22年(2010)に、南面の「幾何菱文様」は平成23年(2011)に復元新調された。近年下水引は皆川月華作の花鳥図に、見送も同作の湖畔黎明図にかえている。また、平成12年(2000)には前懸のインド絨毯も復元された。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/41/src_49844182.jpg?1502780054

    月鉾(つきほこ)
    鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので、この名で呼ばれる。
    真木のなかほどの「天王座」には月読尊を祀る。古い鉾頭と天王の持つ櫂には「元亀4年(1573)6月吉日大錺屋勘右衛門」の刻銘がある。また正徳4年(1714)の鉾頭もあるが昭和56年から田辺勇蔵氏寄進の18金製の鉾頭にかえている。屋根裏の金地彩色草花図は天明4年(1784)円山応挙(1733~95)の筆。天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は天保6年(1835)に町内の住人岩城九右衛門の筆。破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる立派なものである。軒桁貝尽しの錺金具は松村景文(1779~1843)の下絵、四本柱の錺金具、破風飾の金具などはいずれも華麗なもので山鉾のなかでも最高のものである。天水引の霊獣図刺繍は天保6年(1835)円山応震の下絵である。前懸、後懸は華麗なインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いており、北面の「中東蓮花葉文様」は平成22年(2010)に、南面の「幾何菱文様」は平成23年(2011)に復元新調された。近年下水引は皆川月華作の花鳥図に、見送も同作の湖畔黎明図にかえている。また、平成12年(2000)には前懸のインド絨毯も復元された。
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  • 月鉾(つきほこ)

    月鉾(つきほこ)

  • 月鉾(つきほこ)

    月鉾(つきほこ)

  • 月鉾(つきほこ)

    月鉾(つきほこ)

  • 函谷鉾(かんこほこ)<br />鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで付けられている。鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。屋根裏の金地著彩鶏鴉図は今尾景年(1845~1924)の筆、前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(1830~43)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調した。この鉾は天明の大火(天明8年、1788)で焼失、50年後の天保10年(1839)に再興され、それ以後「嘉多丸」という稚児人形を用いている。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757131.jpg?1502780054

    函谷鉾(かんこほこ)
    鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで付けられている。鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。屋根裏の金地著彩鶏鴉図は今尾景年(1845~1924)の筆、前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(1830~43)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調した。この鉾は天明の大火(天明8年、1788)で焼失、50年後の天保10年(1839)に再興され、それ以後「嘉多丸」という稚児人形を用いている。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757131.jpg?1502780054

  • 函谷鉾(かんこほこ)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757134.jpg?1502780054

    函谷鉾(かんこほこ)
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757134.jpg?1502780054

  • 函谷鉾(かんこほこ)

    函谷鉾(かんこほこ)

  • 洋食屋キチキチさんで夕食後、足が痛いのを我慢して、黄昏の宵山へと向かいました。<br />まずは長刀鉾、四条通は車両通行止めとなり双方向歩行者天国になりますが、余りにも人混みの多さで前に進めません。

    洋食屋キチキチさんで夕食後、足が痛いのを我慢して、黄昏の宵山へと向かいました。
    まずは長刀鉾、四条通は車両通行止めとなり双方向歩行者天国になりますが、余りにも人混みの多さで前に進めません。

  • 駒形提灯は夕方以降に灯されます。駒形提灯の名称は縦・横に繋がれた俵型の提灯の全体の形が将棋の駒に似ていることに由来するとも言われています。なお祇園祭では商店街などでも提灯が飾られています。<br />祇園囃子は親しみを込めて「コンチキチン」とも言われています。祇園囃子は室町時代末期に能楽(能・狂言)をヒントに奏でられるようになり、江戸時代に現在のような様式に整えられたと言われています。祇園囃子は鉦(かね・摺り鉦)・笛(能菅)・太鼓(締め太鼓)で編成されています。なお16日の宵山(前祭)・23日の宵山(後祭)では日和神楽が行われます。<br />

    駒形提灯は夕方以降に灯されます。駒形提灯の名称は縦・横に繋がれた俵型の提灯の全体の形が将棋の駒に似ていることに由来するとも言われています。なお祇園祭では商店街などでも提灯が飾られています。
    祇園囃子は親しみを込めて「コンチキチン」とも言われています。祇園囃子は室町時代末期に能楽(能・狂言)をヒントに奏でられるようになり、江戸時代に現在のような様式に整えられたと言われています。祇園囃子は鉦(かね・摺り鉦)・笛(能菅)・太鼓(締め太鼓)で編成されています。なお16日の宵山(前祭)・23日の宵山(後祭)では日和神楽が行われます。

  • 提灯に灯りが灯った長刀鉾

    提灯に灯りが灯った長刀鉾

  • 長刀鉾<br />

    長刀鉾

  • 宵山では囃子方が「コンチキチン」とも言われる祇園囃子を奏でます。囃子方は全ての山鉾ではなく、鉾(ほこ)・曳山(ひきやま)・船鉾(ふねほこ)・傘鉾(かさほこ)にいます。囃子方は独特の音色を響かせ、リズムを刻む鉦(かね・摺り鉦)・旋律(メロディー)を奏でる笛(能菅)・テンポを司って全体を統制する太鼓(締め太鼓)で構成されています。鉦は譜(楽譜)が体に染みつかないと演奏することができないことから小学生が囃子方に入門すると先ず全員が鉦方を担当し、15年ほど掛けて鉦の技術を習得します。その後技量が認められると笛方か、太鼓方かを選択して担当します。囃子方は山鉾によって異なるが、宵山だけでなく、1年を通して練習し、祇園祭が行われる7月に入ると連日・連夜数時間の練習が続くそうです。ちなみに祇園囃子には山鉾巡行中に賑やかにお囃子を奏でることにより、疫病の元とされる疫神(えきじん(疫病神・厄病神))を誘い出して引き寄せ、山鉾町に持ち帰って蔵に封じ込める役割があるとも言われています。祇園囃子は山鉾に共通している部分もあるが、多くが各山鉾独自のものです。なお山鉾巡行では四条烏丸から四条河原町までは緩テンポの渡り囃子(奉納囃子)、四条河原町以後は急テンポの戻り囃子が奏でられます。

    宵山では囃子方が「コンチキチン」とも言われる祇園囃子を奏でます。囃子方は全ての山鉾ではなく、鉾(ほこ)・曳山(ひきやま)・船鉾(ふねほこ)・傘鉾(かさほこ)にいます。囃子方は独特の音色を響かせ、リズムを刻む鉦(かね・摺り鉦)・旋律(メロディー)を奏でる笛(能菅)・テンポを司って全体を統制する太鼓(締め太鼓)で構成されています。鉦は譜(楽譜)が体に染みつかないと演奏することができないことから小学生が囃子方に入門すると先ず全員が鉦方を担当し、15年ほど掛けて鉦の技術を習得します。その後技量が認められると笛方か、太鼓方かを選択して担当します。囃子方は山鉾によって異なるが、宵山だけでなく、1年を通して練習し、祇園祭が行われる7月に入ると連日・連夜数時間の練習が続くそうです。ちなみに祇園囃子には山鉾巡行中に賑やかにお囃子を奏でることにより、疫病の元とされる疫神(えきじん(疫病神・厄病神))を誘い出して引き寄せ、山鉾町に持ち帰って蔵に封じ込める役割があるとも言われています。祇園囃子は山鉾に共通している部分もあるが、多くが各山鉾独自のものです。なお山鉾巡行では四条烏丸から四条河原町までは緩テンポの渡り囃子(奉納囃子)、四条河原町以後は急テンポの戻り囃子が奏でられます。

  • 長刀鉾

    長刀鉾

  • 長刀鉾<br />

    長刀鉾

  • 長刀鉾

    長刀鉾

  • 長刀鉾<br />

    長刀鉾

  • 長刀鉾<br />

    長刀鉾

  • 長刀鉾

    長刀鉾

  • 長刀鉾

    長刀鉾

  • 長刀鉾

    長刀鉾

  • もの凄い人混み。まともに歩けない状態で。。

    もの凄い人混み。まともに歩けない状態で。。

  • 長刀鉾<br />

    長刀鉾

  • 月鉾<br />

    月鉾

  • 月鉾<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/41/src_49844179.jpg?1502780054

    月鉾
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/41/src_49844179.jpg?1502780054

  • 月鉾<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/41/src_49844182.jpg?1502780054

    月鉾
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/84/41/src_49844182.jpg?1502780054

  • 函谷鉾(かんこほこ)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757134.jpg?1502780054

    函谷鉾(かんこほこ)
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757134.jpg?1502780054

  • 函谷鉾(かんこほこ)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757131.jpg?1502780054

    函谷鉾(かんこほこ)
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/49/75/71/src_49757131.jpg?1502780054

  • 函谷鉾(かんこほこ)

    函谷鉾(かんこほこ)

  • 函谷鉾(かんこほこ)

    函谷鉾(かんこほこ)

  • 函谷鉾(かんこほこ)

    函谷鉾(かんこほこ)

  • 函谷鉾(かんこほこ)

    函谷鉾(かんこほこ)

  • 函谷鉾(かんこほこ)

    函谷鉾(かんこほこ)

  • 函谷鉾(かんこほこ)

    函谷鉾(かんこほこ)

  • 今回もまた洋食屋キチキチさんへ。宵山の日行きました。カメラは持参しているけど、XQDカードの容量を確保するために今回はスマホの動画のみ。動画から一部切り抜きました。<br />前菜はコンス-プと白トリュフ風味のクリ-ムコロッケ

    今回もまた洋食屋キチキチさんへ。宵山の日行きました。カメラは持参しているけど、XQDカードの容量を確保するために今回はスマホの動画のみ。動画から一部切り抜きました。
    前菜はコンス-プと白トリュフ風味のクリ-ムコロッケ

  • メインいつものオムライスのデミグラスソースかけ<br />

    メインいつものオムライスのデミグラスソースかけ

  • youtubeにUPすれば掲載できますが、今回は撮影時間が短いので省略。<br />次回の旅行記は7/17の山鉾巡行です。<br />

    youtubeにUPすれば掲載できますが、今回は撮影時間が短いので省略。
    次回の旅行記は7/17の山鉾巡行です。

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