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千利休 歴史探訪<br /><br />ここ最近、京都から色々と案内が来て行く機会が多く、4月、5月、7月と通ってます。2022年は山鉾巡行と神輿渡御が、3年ぶりに執り行われます。公益財団法人祇園祭山鉾連合会から葉書で案内が来たので、また泊りで行きます。山鉾巡航の観覧は実に5年ぶりとなります。<br /><br />今回は、京都春秋 ことなり塾からの案内で大徳寺 塔頭 聚光院で特別拝観とお茶席がある事を知り、応募して当選したので行くことにしました。我が家は表千家なので、他の流派はよくわかりませんが、母から教えて貰ったお作法でお茶席に臨みましたが、お茶事とは違うので普段着の格好で行き、中には着物姿の女性が5名いらっしゃいました。男性は洋服でしたが、女性の着物姿はやはり似合います。<br /><br />聚光院のお茶席は、2022年4月23日(土)、30日(土) 14:00 ~ 15:10、15:30~16:40 開催<br />1席15名限定の2回、4月30日も同じく1席15名限定の2回の特別拝観とお茶席と言う非常に狭き門でした。時間は14時と15時半で私は15時半なので、ゆっくりと大徳寺へ行けました。<br />茶道をしている方なら、東海道新幹線の往復の交通費払っても行く価値がある事わかると思います。<br />また聚光院に詳しいスタッフによる境内解説の後、千住博筆『滝』が納められている書院でお茶席、薄茶と嘯月さんの上生菓子を頂きました。<br />また今年は千利休 生誕500年でもあり、節目の年に行けたことを嬉しく思いました。<br /><br />聚光院は千利休の菩提寺でもあり、茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家) ゆかりの寺院として知られておりますが、通常は拝観謝絶の場所なので中に入る事は許されません。<br /><br />4/30の午前中は西芳寺と鈴虫寺へ行き、午後は大徳寺、伏見稲荷、先斗町、祇園へと足を運びました。<br />翌日5/1は兼ねてより行きたかった、千利休が作った茶室(現存している茶室は山崎にある国宝指定の妙喜庵 待庵)のみで土砂降りの中行きました。待庵は、愛知県犬山市の如庵・京都市大徳寺の密庵とともに国宝三茶室に数えられています。<br /><br />大徳寺 搭頭 聚光院<br />狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝(現在は高精細複製画)に指定され、千利休 作庭と伝わる方丈庭園  (枯山水庭園)『百積の庭』は国の名勝に指定され、表千家より寄進された茶室「閑隠席」「枡床席」は共に国の重要文化財に指定されています。特に閑隠席は千利休 150回忌の際に、表千家 7代目 如心斎の寄進によって建てられたものです。<br />当日は本堂障壁画は高精細複製画でしたが、[ 国宝里帰りの特別公開 2022年9月3日~2023年3月26日 ] 本物が9月に帰郷し特別公開されるみたいですが、複製でも素晴らしです。<br /><br />また表千家より寄進された茶室「閑隠席」「枡床席」も見ることができましたが、聚光院内及び妙喜庵も全て撮影禁止なので、参考資料と写真は [京都春秋 ことなり塾] 様及び [妙喜庵] 様 からの引用となります。<br />聚光院は永禄9年(1566年)、戦国武将の三好義継が養父・長慶の菩提を弔うために創建されました。<br />開祖である笑嶺宗訢が千利休 参禅の師であったことから、利休は聚光院を自らの菩提寺とし、その後、利休の流れを汲む茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所ともなっています。<br /><br />茶室「閑隠席」<br />聚光院と茶道三千家の関わりを最も如実に伝えるのが、「閑隠席」「枡床席」の二つのお茶室です。特に閑隠席は千利休 150回忌の際に、表千家 7代目 如心斎によって建造し、ここで朝茶が開かれたことが記録にも残っています。千利休の精神と侘び茶を最大限に表現し、明かりが極度に制限され、簡素で緊張感のある設えが施されています。 妙喜庵の待庵も翌日拝観しましたが、ここはここで味わい深い茶室です。明るさで比較すると閑隠席の方が暗いです。<br /><br />千住博 画伯 (滝) の絵がある大広間<br />千住博 (滝) 平成25年(2013)に落慶した聚光院書院には、東京国際空港第2ターミナルやAPEC JAPAN 2010の首脳会議に作品が展示されるなど、世界的に活躍する日本画家・千住博画伯の障壁画『滝』が納められています。 <br /><br />参考資料及び文献と写真<br />京都春秋 ことなり塾<br />https://kotonarijuku.kyotoshunju.com/<br />https://kotonarijuku.kyotoshunju.com/experience/297.html<br />妙喜庵<br />https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=3221&amp;r=1656072468.2777<br />山崎観光案内所<br />https://oyamazaki.info/archives/761

千利休 歴史探訪、大徳寺 搭頭 聚光院の特別拝観とお茶席及び興臨院の拝観と国宝指定の妙喜庵 待庵へ

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2022/04/30 - 2022/05/01

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Medina

Medinaさん

この旅行記のスケジュール

2022/04/30

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千利休 歴史探訪

ここ最近、京都から色々と案内が来て行く機会が多く、4月、5月、7月と通ってます。2022年は山鉾巡行と神輿渡御が、3年ぶりに執り行われます。公益財団法人祇園祭山鉾連合会から葉書で案内が来たので、また泊りで行きます。山鉾巡航の観覧は実に5年ぶりとなります。

今回は、京都春秋 ことなり塾からの案内で大徳寺 塔頭 聚光院で特別拝観とお茶席がある事を知り、応募して当選したので行くことにしました。我が家は表千家なので、他の流派はよくわかりませんが、母から教えて貰ったお作法でお茶席に臨みましたが、お茶事とは違うので普段着の格好で行き、中には着物姿の女性が5名いらっしゃいました。男性は洋服でしたが、女性の着物姿はやはり似合います。

聚光院のお茶席は、2022年4月23日(土)、30日(土) 14:00 ~ 15:10、15:30~16:40 開催
1席15名限定の2回、4月30日も同じく1席15名限定の2回の特別拝観とお茶席と言う非常に狭き門でした。時間は14時と15時半で私は15時半なので、ゆっくりと大徳寺へ行けました。
茶道をしている方なら、東海道新幹線の往復の交通費払っても行く価値がある事わかると思います。
また聚光院に詳しいスタッフによる境内解説の後、千住博筆『滝』が納められている書院でお茶席、薄茶と嘯月さんの上生菓子を頂きました。
また今年は千利休 生誕500年でもあり、節目の年に行けたことを嬉しく思いました。

聚光院は千利休の菩提寺でもあり、茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家) ゆかりの寺院として知られておりますが、通常は拝観謝絶の場所なので中に入る事は許されません。

4/30の午前中は西芳寺と鈴虫寺へ行き、午後は大徳寺、伏見稲荷、先斗町、祇園へと足を運びました。
翌日5/1は兼ねてより行きたかった、千利休が作った茶室(現存している茶室は山崎にある国宝指定の妙喜庵 待庵)のみで土砂降りの中行きました。待庵は、愛知県犬山市の如庵・京都市大徳寺の密庵とともに国宝三茶室に数えられています。

大徳寺 搭頭 聚光院
狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝(現在は高精細複製画)に指定され、千利休 作庭と伝わる方丈庭園 (枯山水庭園)『百積の庭』は国の名勝に指定され、表千家より寄進された茶室「閑隠席」「枡床席」は共に国の重要文化財に指定されています。特に閑隠席は千利休 150回忌の際に、表千家 7代目 如心斎の寄進によって建てられたものです。
当日は本堂障壁画は高精細複製画でしたが、[ 国宝里帰りの特別公開 2022年9月3日~2023年3月26日 ] 本物が9月に帰郷し特別公開されるみたいですが、複製でも素晴らしです。

また表千家より寄進された茶室「閑隠席」「枡床席」も見ることができましたが、聚光院内及び妙喜庵も全て撮影禁止なので、参考資料と写真は [京都春秋 ことなり塾] 様及び [妙喜庵] 様 からの引用となります。
聚光院は永禄9年(1566年)、戦国武将の三好義継が養父・長慶の菩提を弔うために創建されました。
開祖である笑嶺宗訢が千利休 参禅の師であったことから、利休は聚光院を自らの菩提寺とし、その後、利休の流れを汲む茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所ともなっています。

茶室「閑隠席」
聚光院と茶道三千家の関わりを最も如実に伝えるのが、「閑隠席」「枡床席」の二つのお茶室です。特に閑隠席は千利休 150回忌の際に、表千家 7代目 如心斎によって建造し、ここで朝茶が開かれたことが記録にも残っています。千利休の精神と侘び茶を最大限に表現し、明かりが極度に制限され、簡素で緊張感のある設えが施されています。 妙喜庵の待庵も翌日拝観しましたが、ここはここで味わい深い茶室です。明るさで比較すると閑隠席の方が暗いです。

千住博 画伯 (滝) の絵がある大広間
千住博 (滝) 平成25年(2013)に落慶した聚光院書院には、東京国際空港第2ターミナルやAPEC JAPAN 2010の首脳会議に作品が展示されるなど、世界的に活躍する日本画家・千住博画伯の障壁画『滝』が納められています。

参考資料及び文献と写真
京都春秋 ことなり塾
https://kotonarijuku.kyotoshunju.com/
https://kotonarijuku.kyotoshunju.com/experience/297.html
妙喜庵
https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=3221&r=1656072468.2777
山崎観光案内所
https://oyamazaki.info/archives/761

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.0
グルメ
3.5
ショッピング
2.5
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 午後、嵐山から嵐電で北野白梅町まで行き、そこからバスで大徳寺前で降りて歩きました。大徳寺は昔、真冬の雪が降る中、母に連れられて行った事がございますが、一人では初めて。<br />大徳寺はさすがに広いと改めて実感致しました。

    午後、嵐山から嵐電で北野白梅町まで行き、そこからバスで大徳寺前で降りて歩きました。大徳寺は昔、真冬の雪が降る中、母に連れられて行った事がございますが、一人では初めて。
    大徳寺はさすがに広いと改めて実感致しました。

    大徳寺 寺・神社

  • 大徳寺山内図を見ながら、聚光院を探して、まだ1時間以上時間があったので、別の特別拝観の所へ行きました。

    大徳寺山内図を見ながら、聚光院を探して、まだ1時間以上時間があったので、別の特別拝観の所へ行きました。

  • 大徳寺山内を歩いていると、女性の着物姿の方を多く見かけました。さすが京都!着物が似合う街だと思いました。

    大徳寺山内を歩いていると、女性の着物姿の方を多く見かけました。さすが京都!着物が似合う街だと思いました。

  • 大徳寺に早く着いたので、興臨院で春の特別公開があったので、行くことにしました。

    大徳寺に早く着いたので、興臨院で春の特別公開があったので、行くことにしました。

  • 大徳寺搭頭 興臨院 <br />春の特別拝観<br />2022年3月12日(土)~6月19日(日)<br />時間 10:00~16:30(受付終了)<br />料金  拝観料 600円<br /><br />秋の特別公開<br /> 2022年9月3日~25日・10月1日~12月15日<br />豊臣政権の五大老を務めた前田利家が修復し、菩提寺とする。加賀前田家ゆかりのお寺。<br />https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-kohrinin/

    大徳寺搭頭 興臨院 
    春の特別拝観
    2022年3月12日(土)~6月19日(日)
    時間 10:00~16:30(受付終了)
    料金 拝観料 600円

    秋の特別公開
    2022年9月3日~25日・10月1日~12月15日
    豊臣政権の五大老を務めた前田利家が修復し、菩提寺とする。加賀前田家ゆかりのお寺。
    https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-kohrinin/

  • 大徳寺搭頭 興臨院 春の特別拝観<br />方丈は火災にあいましたが、表門は創建当時のままで、「興臨院の古門」として有名です。本堂・表門・唐門は室町時代創建の禅宗建築の代表作又前田利家によって再興され、前田家の菩提寺です。<br />方丈の中には「響き天井」があり中央で手を叩くと天井に響きます。

    大徳寺搭頭 興臨院 春の特別拝観
    方丈は火災にあいましたが、表門は創建当時のままで、「興臨院の古門」として有名です。本堂・表門・唐門は室町時代創建の禅宗建築の代表作又前田利家によって再興され、前田家の菩提寺です。
    方丈の中には「響き天井」があり中央で手を叩くと天井に響きます。

    大徳寺 興臨院 寺・神社

  • 加賀前田家ゆかりの寺院で大永年間(1521-1528)に能登の守護畠山佐義総によって建立され、その後、前田家により再興された臨済宗 大本山 大徳寺の塔頭。<br />国の重要文化財に指定されている本堂は、室町時代の建築様式をよく表しており、また本堂前の方丈 (枯山水庭園)は理想の蓬莱世界を表現している。

    加賀前田家ゆかりの寺院で大永年間(1521-1528)に能登の守護畠山佐義総によって建立され、その後、前田家により再興された臨済宗 大本山 大徳寺の塔頭。
    国の重要文化財に指定されている本堂は、室町時代の建築様式をよく表しており、また本堂前の方丈 (枯山水庭園)は理想の蓬莱世界を表現している。

  • ここで靴を脱いで中に入ります

    ここで靴を脱いで中に入ります

  • 作庭家、中根金作が復元した方丈庭園は水源一滴の庭という名称が付されてます。<br />方丈(枯山水庭園)と言う意味です。

    作庭家、中根金作が復元した方丈庭園は水源一滴の庭という名称が付されてます。
    方丈(枯山水庭園)と言う意味です。

    大徳寺 興臨院 寺・神社

  • 秋の紅葉季節もみじの紅葉が綺麗だと思います。

    秋の紅葉季節もみじの紅葉が綺麗だと思います。

  • 裏庭のここの場所でしばし15分位、庭の景色に見とれて休憩しました。

    裏庭のここの場所でしばし15分位、庭の景色に見とれて休憩しました。

    大徳寺 興臨院 寺・神社

  • 大徳寺 塔頭 三玄院<br />三玄院は天正17年(1589年)浅野幸長・石田光成・森忠政(蘭丸の弟)が、春屋宗園(大宝円鑑国師)を開祖とし創建した寺院。<br />茶人の小堀遠州・古田織部・薮内剣仲・長谷川等伯などは、春屋に禅を学んだ人々であり、沢庵・千宗旦らも修行をし、墓地には春屋・三成・忠政・剣仲・織部の墓があります。<br /><br />また織部焼で有名な古田織部好みの三畳台目・八窓の茶室篁庵(こうあん)があり、礼の間の襖絵は、鵜、鴈など秋の様子、室中の間には八方にらみの虎と波の中に龍で夏の様子、檀那の間は孔雀や牡丹で春の様子が描かれています。また室中の間の内陣中央には、開山の春屋和尚像、左手には釈迦如来像がお祀りされています。<br />通常は拝観謝絶

    大徳寺 塔頭 三玄院
    三玄院は天正17年(1589年)浅野幸長・石田光成・森忠政(蘭丸の弟)が、春屋宗園(大宝円鑑国師)を開祖とし創建した寺院。
    茶人の小堀遠州・古田織部・薮内剣仲・長谷川等伯などは、春屋に禅を学んだ人々であり、沢庵・千宗旦らも修行をし、墓地には春屋・三成・忠政・剣仲・織部の墓があります。

    また織部焼で有名な古田織部好みの三畳台目・八窓の茶室篁庵(こうあん)があり、礼の間の襖絵は、鵜、鴈など秋の様子、室中の間には八方にらみの虎と波の中に龍で夏の様子、檀那の間は孔雀や牡丹で春の様子が描かれています。また室中の間の内陣中央には、開山の春屋和尚像、左手には釈迦如来像がお祀りされています。
    通常は拝観謝絶

    大徳寺 寺・神社

  • 大徳寺 塔頭 三玄院は春屋宗園より歴代の住職の軌跡があります。また、大徳寺 利休忌に合わせて月釜が三玄院で行われています。

    大徳寺 塔頭 三玄院は春屋宗園より歴代の住職の軌跡があります。また、大徳寺 利休忌に合わせて月釜が三玄院で行われています。

  • 三玄院はお茶会の時以外は基本的に拝観謝絶です。三玄院は檀家寺でもあり、普段は檀家の方用の寺院です。お茶会の際だけ、院内を一部拝観することができます。<br />毎月28日が千利休の月命日で、この日は大徳寺内の多くの塔頭でお茶会が催されますが、コロナの影響で現在見合せ中。<br />三玄院でも8月と12月以外の28日にお茶会があり、その日は表入口に“在釜”の札がかかります。<br />このお茶会は茶道の嗜みがある方向けですので、懐紙や菓子切り(黒文字)などの持参は当然有きのお茶会です。お茶会が初めての方は、上級者の方の同行が必要。

    三玄院はお茶会の時以外は基本的に拝観謝絶です。三玄院は檀家寺でもあり、普段は檀家の方用の寺院です。お茶会の際だけ、院内を一部拝観することができます。
    毎月28日が千利休の月命日で、この日は大徳寺内の多くの塔頭でお茶会が催されますが、コロナの影響で現在見合せ中。
    三玄院でも8月と12月以外の28日にお茶会があり、その日は表入口に“在釜”の札がかかります。
    このお茶会は茶道の嗜みがある方向けですので、懐紙や菓子切り(黒文字)などの持参は当然有きのお茶会です。お茶会が初めての方は、上級者の方の同行が必要。

  • 今回、三玄院の拝観はできませんが、我が家にある三玄院の竹の花入です。<br />作者略歴 	臨済宗 大徳寺 塔頭 三玄院 <br />元住職 長谷川 寛州 (はせがわ かんしゅう)<br />当代のご住職は御子息、長谷川 大真さん

    今回、三玄院の拝観はできませんが、我が家にある三玄院の竹の花入です。
    作者略歴 臨済宗 大徳寺 塔頭 三玄院 
    元住職 長谷川 寛州 (はせがわ かんしゅう)
    当代のご住職は御子息、長谷川 大真さん

  • 竹の花入 一重切<br />銘 松風 <br />臨済宗 大徳寺 塔頭 三玄院 長谷川 寛州 元住職 書付き<br />野々村 淡完作<br />昭和26年3月 京都生<br />昭和44年3月 洛陽工業高校卒<br />昭和47年 竹器師高野宗陵に師事<br />昭和51年 号 淡完を拝受<br />昭和59年3月 竹工芸1級技能士 <br /><br />一重切とは<br />一重切(いちじゅうぎり)は、筒形の竹花入の前面に花を生ける窓がひとつ切られた形をいいます。<br />上端が輪になっていて、水溜の上の後方におぜを取り、釘穴があけてあります。<br />千利休が天正18年(1590年)の小田原攻の折、箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて「園城寺」(おんじょうじ)を作ったのが一重切の始めといいます。<br />園城寺の名は、竹の正面に割れ目があるのを、三井寺(園城寺)の弁慶の割れ鐘に思い合わせて「園城寺」と銘したといいます。<br />「園城寺」は、高さ33.4cm、太さ10.5 cm、真直ぐで肉厚の真竹で、やや裾広がりの底から直ぐに節があり、筒の中程に一節あり、上の輪の天辺は次の節の近くで刈られているためかすかに広がっています。<br />伝来は、少庵、宗旦、冬木家、不昧。<br />東京国立博物館蔵。「武蔵鐙の文」が添っています。<br />利休作の一重切系の竹花入には、「鶴首」、「獅子口」、「鮟鱇」、「洞鮟鱇」、「円窓切」、「山路」、「鶯切」などがあります。

    竹の花入 一重切
    銘 松風
    臨済宗 大徳寺 塔頭 三玄院 長谷川 寛州 元住職 書付き
    野々村 淡完作
    昭和26年3月 京都生
    昭和44年3月 洛陽工業高校卒
    昭和47年 竹器師高野宗陵に師事
    昭和51年 号 淡完を拝受
    昭和59年3月 竹工芸1級技能士 

    一重切とは
    一重切(いちじゅうぎり)は、筒形の竹花入の前面に花を生ける窓がひとつ切られた形をいいます。
    上端が輪になっていて、水溜の上の後方におぜを取り、釘穴があけてあります。
    千利休が天正18年(1590年)の小田原攻の折、箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて「園城寺」(おんじょうじ)を作ったのが一重切の始めといいます。
    園城寺の名は、竹の正面に割れ目があるのを、三井寺(園城寺)の弁慶の割れ鐘に思い合わせて「園城寺」と銘したといいます。
    「園城寺」は、高さ33.4cm、太さ10.5 cm、真直ぐで肉厚の真竹で、やや裾広がりの底から直ぐに節があり、筒の中程に一節あり、上の輪の天辺は次の節の近くで刈られているためかすかに広がっています。
    伝来は、少庵、宗旦、冬木家、不昧。
    東京国立博物館蔵。「武蔵鐙の文」が添っています。
    利休作の一重切系の竹花入には、「鶴首」、「獅子口」、「鮟鱇」、「洞鮟鱇」、「円窓切」、「山路」、「鶯切」などがあります。

  • 竹の花入 一重切り 松風の正面。<br />茶席に飾る花を活ける器(花器(花生け))のことを、茶の湯の世界では「花入(はないれ)」と呼びます。<br />我が家は毎年秋に取れた稲穂を神棚に飾りお供えしておりますが、友人を招いてお茶席がある時は、床の間にこの花入れを使い季節のお花を活けます。<br />稲穂は新潟県岩船郡関川村産のコシヒカリ

    竹の花入 一重切り 松風の正面。
    茶席に飾る花を活ける器(花器(花生け))のことを、茶の湯の世界では「花入(はないれ)」と呼びます。
    我が家は毎年秋に取れた稲穂を神棚に飾りお供えしておりますが、友人を招いてお茶席がある時は、床の間にこの花入れを使い季節のお花を活けます。
    稲穂は新潟県岩船郡関川村産のコシヒカリ

  • 【園城寺】正面<br />高33.9 口径10.9 底径11.2<br />安土桃山時代 天正18年(1590)  松平直亮氏寄贈<br /><br />千利休が天正18年(1590)の小田原攻の折、箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて「園城寺」(おんじょうじ)を作ったのが一重切の始めと言われ、園城寺の名は、竹の正面に割れ目があるのを、三井寺(園城寺)の弁慶の割れ鐘に思い合わせて「園城寺」と銘したと言います。<br />「園城寺」は、高さ33.4cm、太さ10.5 cm、真直ぐで肉厚の真竹で、やや裾広がりの底から直ぐに節があり、筒の中程に一節あり、上の輪の天辺は次の節の近くで刈られているためかすかに広がっています。<br />東京国立博物館蔵<br /><br />◎「園城寺」の花入の逸話<br />利休 が「園城寺」という銘の竹筒に花を入れて掛けたところ、<br />筒の割れ目から水が滴り落ちて畳を濡らしたそうです。<br />客が 利休 に<br />「これはいかがなものでしょう。」<br />と言うと、<br />利休 は<br />「水が漏れるのがこの花入の命です。」<br />と答えたそうです。

    【園城寺】正面
    高33.9 口径10.9 底径11.2
    安土桃山時代 天正18年(1590)  松平直亮氏寄贈

    千利休が天正18年(1590)の小田原攻の折、箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて「園城寺」(おんじょうじ)を作ったのが一重切の始めと言われ、園城寺の名は、竹の正面に割れ目があるのを、三井寺(園城寺)の弁慶の割れ鐘に思い合わせて「園城寺」と銘したと言います。
    「園城寺」は、高さ33.4cm、太さ10.5 cm、真直ぐで肉厚の真竹で、やや裾広がりの底から直ぐに節があり、筒の中程に一節あり、上の輪の天辺は次の節の近くで刈られているためかすかに広がっています。
    東京国立博物館蔵

    ◎「園城寺」の花入の逸話
    利休 が「園城寺」という銘の竹筒に花を入れて掛けたところ、
    筒の割れ目から水が滴り落ちて畳を濡らしたそうです。
    客が 利休 に
    「これはいかがなものでしょう。」
    と言うと、
    利休 は
    「水が漏れるのがこの花入の命です。」
    と答えたそうです。

  • 【園城寺】背面<br />銘は、竹の正面に樋割れ(雪割れ)が入っていて、これを園城寺(三井寺)の鐘のひび割れになぞらえての銘とされています。<br />園城寺の鐘は奈良時代に遡る日本有数の古鐘で、鐘の表面に擦り傷やひびが入っており霊鐘堂に安置されています。(「弁慶の引き摺り鐘」の伝説あり)<br />小田原征伐後、花入は小庵に与えられましたが流出し、その後、松平不昧の所有などを経て、現在は東京国立博物館蔵。<br />利休が織部に宛てた「武蔵鐙の文」と他一通の添状があります。

    【園城寺】背面
    銘は、竹の正面に樋割れ(雪割れ)が入っていて、これを園城寺(三井寺)の鐘のひび割れになぞらえての銘とされています。
    園城寺の鐘は奈良時代に遡る日本有数の古鐘で、鐘の表面に擦り傷やひびが入っており霊鐘堂に安置されています。(「弁慶の引き摺り鐘」の伝説あり)
    小田原征伐後、花入は小庵に与えられましたが流出し、その後、松平不昧の所有などを経て、現在は東京国立博物館蔵。
    利休が織部に宛てた「武蔵鐙の文」と他一通の添状があります。

  • 左は私が製作した一重切りの煤竹の花入。茨城県竜ケ崎市の農家の竹林から根っこごと切り出して、ひげの根の部分(ルイザ)から製作。それを1年かけて製作しました。孟宗竹。右の松風は真竹です。左の煤竹は我が家の仏壇に右の松風は神棚にお供えしてます。花入れの窓が大きのは横から花を入れられるように、大きめにしてます。<br />

    左は私が製作した一重切りの煤竹の花入。茨城県竜ケ崎市の農家の竹林から根っこごと切り出して、ひげの根の部分(ルイザ)から製作。それを1年かけて製作しました。孟宗竹。右の松風は真竹です。左の煤竹は我が家の仏壇に右の松風は神棚にお供えしてます。花入れの窓が大きのは横から花を入れられるように、大きめにしてます。

  • 興臨院の拝観後、今回のハイライト聚光院へ

    興臨院の拝観後、今回のハイライト聚光院へ

  • 着物姿の女性が2名先に到着してました。<br />ここも基本的に拝観謝絶です。左の女性の左下に拝観謝絶の看板があります。<br /><br />拝観謝絶とは、門の外から中に入る事禁止。ちょっとだけ中に入り撮影も不可。<br />門前の入口にスタッフがいて、名前の確認後、門の中に入りこの先の庭先までは撮影できますが、中は全て写真撮影禁止となり、荷物も別室のクロークへ(着物の羽織も)預けます。

    着物姿の女性が2名先に到着してました。
    ここも基本的に拝観謝絶です。左の女性の左下に拝観謝絶の看板があります。

    拝観謝絶とは、門の外から中に入る事禁止。ちょっとだけ中に入り撮影も不可。
    門前の入口にスタッフがいて、名前の確認後、門の中に入りこの先の庭先までは撮影できますが、中は全て写真撮影禁止となり、荷物も別室のクロークへ(着物の羽織も)預けます。

  • 聚光院は永禄9年(1566)、戦国武将の三好義継が養父・長慶の菩提を弔うために創建されました。<br />開祖である笑嶺宗訢が千利休参禅の師であったことから、利休は聚光院を自らの菩提寺とし、茶の湯を継承する子孫がいて、現在までつながっています。利休の孫、千宗旦が侘び茶の普及に努め、3人の息子を紀州徳川家、加賀前田家、讃州松平家に茶道指南として仕官させ、それぞれ表千家、裏千家、武者小路千家をおこし、現在も続く三千家の礎が築かれました。その後、利休の流れを汲む茶道三千家の歴代の墓所ともなっています。<br /><br />狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝に指定され、千利休作庭と伝わる方丈庭園 (枯山水)『百積の庭』は国の名勝に指定され、表千家より寄進された茶室「閑隠席」「枡床席」は共に重要文化財に指定されています。特に閑隠席は千利休150回忌の際に、表千家 7代目 如心斎の寄進によって建てられたものです。

    聚光院は永禄9年(1566)、戦国武将の三好義継が養父・長慶の菩提を弔うために創建されました。
    開祖である笑嶺宗訢が千利休参禅の師であったことから、利休は聚光院を自らの菩提寺とし、茶の湯を継承する子孫がいて、現在までつながっています。利休の孫、千宗旦が侘び茶の普及に努め、3人の息子を紀州徳川家、加賀前田家、讃州松平家に茶道指南として仕官させ、それぞれ表千家、裏千家、武者小路千家をおこし、現在も続く三千家の礎が築かれました。その後、利休の流れを汲む茶道三千家の歴代の墓所ともなっています。

    狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝に指定され、千利休作庭と伝わる方丈庭園 (枯山水)『百積の庭』は国の名勝に指定され、表千家より寄進された茶室「閑隠席」「枡床席」は共に重要文化財に指定されています。特に閑隠席は千利休150回忌の際に、表千家 7代目 如心斎の寄進によって建てられたものです。

  • 聚光院の正面玄関<br />聚光院は、永禄9年(1566)、三好義継が父、長慶の菩提を弔うために、大徳寺第107世住職、笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)和尚を開祖として創建した塔頭です。<br />

    聚光院の正面玄関
    聚光院は、永禄9年(1566)、三好義継が父、長慶の菩提を弔うために、大徳寺第107世住職、笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)和尚を開祖として創建した塔頭です。

  • 目の前の建物入り口

    目の前の建物入り口

  • この先は、靴も脱ぎ、撮影禁止となります。正面奥に方丈園があり、隙間から見えると思います。

    この先は、靴も脱ぎ、撮影禁止となります。正面奥に方丈園があり、隙間から見えると思います。

  • 方丈園(枯山水庭園)から見た、方丈室中 狩野永徳筆<br /><br />写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様より引用

    方丈園(枯山水庭園)から見た、方丈室中 狩野永徳筆

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様より引用

  • 国宝 花鳥図(全図)方丈室中 狩野永徳筆 室町時代、永禄9年頃(1566年)<br />狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝に指定されます<br />現在は高精細複製画ですが、本物見たことがないのでよくわかりませんが、凄いです。<br />襖をあけると仏間があり、正面に開祖である大徳寺台17世笑嶺宗訴像、左に御本尊釈迦如来像、その更に左に千利休像があります。<br />妙喜庵の仏間にも千利休の仏像があります。聚光院の千利休像は色が入っておりますが、妙喜庵の千利休像は木目の色無しです。<br /><br />須美檀は蓮鷺藻魚図(れんろそうぎょず)<br />国宝里帰り 特別公開<br />2022年9月3日~2023年3月26日<br />https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-jukoin/#<br />写真では畳が剥がされておりますが、当日は果て畳敷きでした。<br /><br />写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

    国宝 花鳥図(全図)方丈室中 狩野永徳筆 室町時代、永禄9年頃(1566年)
    狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝に指定されます
    現在は高精細複製画ですが、本物見たことがないのでよくわかりませんが、凄いです。
    襖をあけると仏間があり、正面に開祖である大徳寺台17世笑嶺宗訴像、左に御本尊釈迦如来像、その更に左に千利休像があります。
    妙喜庵の仏間にも千利休の仏像があります。聚光院の千利休像は色が入っておりますが、妙喜庵の千利休像は木目の色無しです。

    須美檀は蓮鷺藻魚図(れんろそうぎょず)
    国宝里帰り 特別公開
    2022年9月3日~2023年3月26日
    https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-jukoin/#
    写真では畳が剥がされておりますが、当日は果て畳敷きでした。

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

  • 国宝花鳥図(右側面4図)方丈室中 狩野永徳筆 室町時代永禄9年頃(1566年)<br />昭和54年(1979年)にパリのルーブル美術館から「モナリザ」が来日したが、その返礼としてフランスで展示されたのが、この聚光院の本堂の障壁画であった。<br /><br />狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝に指定されます<br />現在は高精細複製画ですが、本物見たことがないのでよくわかりませんが、凄いです。<br />国宝里帰り 特別公開<br />2022年9月3日~2023年3月26日<br /><br />写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

    国宝花鳥図(右側面4図)方丈室中 狩野永徳筆 室町時代永禄9年頃(1566年)
    昭和54年(1979年)にパリのルーブル美術館から「モナリザ」が来日したが、その返礼としてフランスで展示されたのが、この聚光院の本堂の障壁画であった。

    狩野永徳・松栄親子が描いた本堂障壁画は全て国宝に指定されます
    現在は高精細複製画ですが、本物見たことがないのでよくわかりませんが、凄いです。
    国宝里帰り 特別公開
    2022年9月3日~2023年3月26日

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

  • 狩野永徳筆「琴棋書図面」<br />当日は写真のように果て畳敷きでした。<br />襖を開けると仏間があります。<br /><br />写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

    狩野永徳筆「琴棋書図面」
    当日は写真のように果て畳敷きでした。
    襖を開けると仏間があります。

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

  • 写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

  • 茶室 閑隠席(かんいんせき)<br />閑陰席は千利休 百五十回忌の際に、表千家 七代目 如心斎の寄進によって建てられたもので、ここで朝茶を開いたことが記録に残っている。利休の精神を汲み、明かりが極度に制限され、簡素で緊張感のある設えがほどこされている。<br /><br />三畳敷に中柱と袖壁を立てた台目切りの茶室。一間の引き違い襖で区切られて六畳の書院が隣接。台目畳でなく一畳に中柱が立つ珍しい形で中柱もまっすぐ。<br /><br />写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

    茶室 閑隠席(かんいんせき)
    閑陰席は千利休 百五十回忌の際に、表千家 七代目 如心斎の寄進によって建てられたもので、ここで朝茶を開いたことが記録に残っている。利休の精神を汲み、明かりが極度に制限され、簡素で緊張感のある設えがほどこされている。

    三畳敷に中柱と袖壁を立てた台目切りの茶室。一間の引き違い襖で区切られて六畳の書院が隣接。台目畳でなく一畳に中柱が立つ珍しい形で中柱もまっすぐ。

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

  • 茶室 閑隠席<br />右の茶道口の向こうが水屋ですが、その水屋を挟んでもう一つのお茶室、桝床席(ますどこせき)があります。こちらは、にじり口ではなく、貴人口からお客を迎え入れる仕様です。<br /><br />茶室 桝床席(ますどこせき)<br /> 閑隠席と同じ建物内、水屋を隔てて東側にある茶室で、枡形(正方形)の踏込床があるため桝床席と呼ばれる。四畳半平面のうちの半畳を床の間とした形式で、炉は床の間に接して向切りとする。この桝床席は表千家 六代目 覚々斎の好みと伝わってます。

    茶室 閑隠席
    右の茶道口の向こうが水屋ですが、その水屋を挟んでもう一つのお茶室、桝床席(ますどこせき)があります。こちらは、にじり口ではなく、貴人口からお客を迎え入れる仕様です。

    茶室 桝床席(ますどこせき)
    閑隠席と同じ建物内、水屋を隔てて東側にある茶室で、枡形(正方形)の踏込床があるため桝床席と呼ばれる。四畳半平面のうちの半畳を床の間とした形式で、炉は床の間に接して向切りとする。この桝床席は表千家 六代目 覚々斎の好みと伝わってます。

  • 桝床席 (ますどこせき)<br />閑隠席と三畳敷の水屋を隔てて東に接続されている。四畳半の広さで、北西隅の半畳を踏込み式の床にしているが、このような床構えを桝床と呼んでおり、表千家 6代目 覚々斎(かくかくさい)の好みになると伝えられている。ただし、この茶室は閑隠席よりも後で造られたことは明らかで、水屋の物入れの襖(ふすま)に1810年、表千家 9代目 了々斎(りょうりょうさい)の墨書のあることから、水屋とともにそのころ増築されたものとみられる。入口は貴人口(きにんぐち)の形式である。<br />床に続く一畳が点前座(てまえざ)で、炉は向切(むこうぎり)、風炉(ふろ)先にあたる床脇(とこわき)壁の下方を吹抜き、その上に下地窓があけられている。<br /><br />写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

    桝床席 (ますどこせき)
    閑隠席と三畳敷の水屋を隔てて東に接続されている。四畳半の広さで、北西隅の半畳を踏込み式の床にしているが、このような床構えを桝床と呼んでおり、表千家 6代目 覚々斎(かくかくさい)の好みになると伝えられている。ただし、この茶室は閑隠席よりも後で造られたことは明らかで、水屋の物入れの襖(ふすま)に1810年、表千家 9代目 了々斎(りょうりょうさい)の墨書のあることから、水屋とともにそのころ増築されたものとみられる。入口は貴人口(きにんぐち)の形式である。
    床に続く一畳が点前座(てまえざ)で、炉は向切(むこうぎり)、風炉(ふろ)先にあたる床脇(とこわき)壁の下方を吹抜き、その上に下地窓があけられている。

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

  • 千住博 筆 障壁画『滝』<br />平成25年(2013年)に落慶した聚光院書院には、東京国際空港第2ターミナルやAPEC JAPAN 2010の首脳会議に作品が展示されるなど、世界的に活躍する日本画家・千住博画伯の障壁画『滝』が納められています。<br />今回はこの大広間で15名様限定のお茶席となりました。お茶席では、薄茶と嘯月さんの上生菓子を頂きました。中央の畳の端に黒く仕切り線が見えますが、当日はここに炉があります。(茶釜)<br /><br />炉とは、畳みの一部を掘り込み、釜を炉の中に仕込み炭で火を焚き、湯を沸かす場所のこと。炉の中に釜を入れて湯を沸かすから、かなり熱くなります。真冬でも炉の側にいると本当に暖かいです。<br />写真にはありませんが、左の床の間には当代、永楽善五郎作の花入がありました。<br /><br />写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

    千住博 筆 障壁画『滝』
    平成25年(2013年)に落慶した聚光院書院には、東京国際空港第2ターミナルやAPEC JAPAN 2010の首脳会議に作品が展示されるなど、世界的に活躍する日本画家・千住博画伯の障壁画『滝』が納められています。
    今回はこの大広間で15名様限定のお茶席となりました。お茶席では、薄茶と嘯月さんの上生菓子を頂きました。中央の畳の端に黒く仕切り線が見えますが、当日はここに炉があります。(茶釜)

    炉とは、畳みの一部を掘り込み、釜を炉の中に仕込み炭で火を焚き、湯を沸かす場所のこと。炉の中に釜を入れて湯を沸かすから、かなり熱くなります。真冬でも炉の側にいると本当に暖かいです。
    写真にはありませんが、左の床の間には当代、永楽善五郎作の花入がありました。

    写真撮影禁止の為、この写真は京都春秋 ことなり塾様のパンフレットより引用

  • 山崎にある国宝指定の妙喜庵<br />コロナの影響でしばらく拝観できませんでしたが、5/1より日曜日の午前中限定で拝観できることがわかり、4月上旬に妙喜庵へ電話して拝観の事を聞いたら、5月1日より再開するとの事で早々に往復葉書で申請致しました。拝観料が1000円で、1ヶ月前から葉書を出して予約をしなければいけないなど、拝観する為には手間が掛かりますが、山崎屈指の観光名所です。<br /><br />当日写真でもわかるように土砂降りの雨 (T_T) 朝、ホテルを出て伏見稲荷さんへお参りしてからJRで行く予定が、JR奈良線が倒木の為、全線不通(+o+) 妙喜庵の集合時間は午前10時半、遅らせる事ができないので、京阪と阪急利用して、祇園四条から伏見稲荷まで行き、またそこから戻り、四条河原町から阪急で大山崎まで行きました。<br /><br />妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院のことで、山号は豊興山。妙喜禅庵とも称します。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。

    山崎にある国宝指定の妙喜庵
    コロナの影響でしばらく拝観できませんでしたが、5/1より日曜日の午前中限定で拝観できることがわかり、4月上旬に妙喜庵へ電話して拝観の事を聞いたら、5月1日より再開するとの事で早々に往復葉書で申請致しました。拝観料が1000円で、1ヶ月前から葉書を出して予約をしなければいけないなど、拝観する為には手間が掛かりますが、山崎屈指の観光名所です。

    当日写真でもわかるように土砂降りの雨 (T_T) 朝、ホテルを出て伏見稲荷さんへお参りしてからJRで行く予定が、JR奈良線が倒木の為、全線不通(+o+) 妙喜庵の集合時間は午前10時半、遅らせる事ができないので、京阪と阪急利用して、祇園四条から伏見稲荷まで行き、またそこから戻り、四条河原町から阪急で大山崎まで行きました。

    妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院のことで、山号は豊興山。妙喜禅庵とも称します。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。

    妙喜庵「待庵」 名所・史跡

  • 拝観料が1000円で、1ヶ月前から葉書を出して予約をしなければいけないなど、拝観する為には手間が掛かります。

    拝観料が1000円で、1ヶ月前から葉書を出して予約をしなければいけないなど、拝観する為には手間が掛かります。

  • こちらは門に掲げられた寺名です。室町時代の創建<br /><br />妙喜庵には待庵の他にも「妙喜庵書院」と「明月堂」という2つの見所がある書院があります。まずは「妙喜庵書院」です。室町時代の書院造りで、対月庵と名づけられています。山崎宗鑑の住居を移したものという説があります。<br />この院には仏間があり、正面に聖観音があり、左側には千利休の像をみることができます。<br />妙喜庵の千利休像は木目の木彫り、聚光院の千利休像は木彫りの色付けしてます。大きさはほぼ同じかな?<br />間近で見れないので感覚的ですが。。。

    こちらは門に掲げられた寺名です。室町時代の創建

    妙喜庵には待庵の他にも「妙喜庵書院」と「明月堂」という2つの見所がある書院があります。まずは「妙喜庵書院」です。室町時代の書院造りで、対月庵と名づけられています。山崎宗鑑の住居を移したものという説があります。
    この院には仏間があり、正面に聖観音があり、左側には千利休の像をみることができます。
    妙喜庵の千利休像は木目の木彫り、聚光院の千利休像は木彫りの色付けしてます。大きさはほぼ同じかな?
    間近で見れないので感覚的ですが。。。

  • 妙喜庵は山崎宗鑑の住まいであった可能性があり、専門家によれば「待庵」は、別の場所 (山崎城内) にあったものが、後にここに移送されてきたみたいです。<br />

    妙喜庵は山崎宗鑑の住まいであった可能性があり、専門家によれば「待庵」は、別の場所 (山崎城内) にあったものが、後にここに移送されてきたみたいです。

  • 妙喜庵へ行くにはJR東海道本線の山崎駅下車または阪急の大山崎駅下車です。JR線だと下車して目の前です。

    妙喜庵へ行くにはJR東海道本線の山崎駅下車または阪急の大山崎駅下車です。JR線だと下車して目の前です。

    妙喜庵「待庵」 名所・史跡

  • 建物は切妻造り、柿葺で、茶室では例のない地下窓をあけている。内部は二畳という極小の空間で、角に炉を切り、室床という独特の床の間をもつ、我が国数寄屋造りの原点と言われる。利休はこの空間をいかに広く、客人の位置から見せる工夫と、「わび、さび」の演出にこだわりを見せている。<br /><br />Wikipedia 妙喜庵 写真より引用<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E5%96%9C%E5%BA%B5

    建物は切妻造り、柿葺で、茶室では例のない地下窓をあけている。内部は二畳という極小の空間で、角に炉を切り、室床という独特の床の間をもつ、我が国数寄屋造りの原点と言われる。利休はこの空間をいかに広く、客人の位置から見せる工夫と、「わび、さび」の演出にこだわりを見せている。

    Wikipedia 妙喜庵 写真より引用
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E5%96%9C%E5%BA%B5

  • 左の写真は 待庵西側の部分で、右は待庵平面図<br />待庵西側は後世に修復されたようで手前の窓位置が低いが、昔は上の方にの隅にあった。<br /><br />今回、三つの茶室「閑隠席・桝床席・ 待庵」を一度に見れる事は普通では中々無理な話ですが、実現致しました。<br /><br />参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

    左の写真は 待庵西側の部分で、右は待庵平面図
    待庵西側は後世に修復されたようで手前の窓位置が低いが、昔は上の方にの隅にあった。

    今回、三つの茶室「閑隠席・桝床席・ 待庵」を一度に見れる事は普通では中々無理な話ですが、実現致しました。

    参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

  • 右の写真は、<br />待庵の床の間 妙喜の軸<br />左上は待庵の額<br />左下は待庵の天井<br />参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

    右の写真は、
    待庵の床の間 妙喜の軸
    左上は待庵の額
    左下は待庵の天井
    参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

  • 芝山の手水鉢<br />利休の弟子の芝山監物の寄進になるのでこの名前がついた。蹲です。(つくばい)<br />参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

    芝山の手水鉢
    利休の弟子の芝山監物の寄進になるのでこの名前がついた。蹲です。(つくばい)
    参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

  • 妙喜庵名物 油筒花入<br />これをまじかで見て驚きました。竹の切り方が凄まじく、歴史を感じる花入れで、しばし、5分位見ておりました。<br />参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

    妙喜庵名物 油筒花入
    これをまじかで見て驚きました。竹の切り方が凄まじく、歴史を感じる花入れで、しばし、5分位見ておりました。
    参考資料 妙喜禅庵の資料より引用

  • 左は待庵内部配置図<br />右の記載は妙喜庵歴代 庵主<br />下段<br />   第十三世の次にある、第十四世 南嶺 宋延<br />          現世 第十七世 妙学 士功<br />が記載されてますが、我が家はこの二名の茶杓を持っております。

    左は待庵内部配置図
    右の記載は妙喜庵歴代 庵主
    下段
       第十三世の次にある、第十四世 南嶺 宋延
              現世 第十七世 妙学 士功
    が記載されてますが、我が家はこの二名の茶杓を持っております。

  • 今回、妙喜庵に行った最大の目的は、我が家にある茶杓が本物かどうか調べる為の物で、数年前にヤフーオクの四国の骨董屋から入札でこの茶杓を手に入れましたが、骨董屋に何度もこの茶杓について質問しても回答が出ず、今回、聚光院に行くついでに、妙喜庵へ直接行き調べました。<br />現、庵主さんに話を聞いたら妙喜庵について詳しい資料が少なく、特にネット上には余り公開されていないそうです。<br />骨董屋に質問してもわからない!と言う理由が結論でした。<br />

    今回、妙喜庵に行った最大の目的は、我が家にある茶杓が本物かどうか調べる為の物で、数年前にヤフーオクの四国の骨董屋から入札でこの茶杓を手に入れましたが、骨董屋に何度もこの茶杓について質問しても回答が出ず、今回、聚光院に行くついでに、妙喜庵へ直接行き調べました。
    現、庵主さんに話を聞いたら妙喜庵について詳しい資料が少なく、特にネット上には余り公開されていないそうです。
    骨董屋に質問してもわからない!と言う理由が結論でした。

  • 明治13年2月、千利休300回忌、妙喜庵の竹で製作 <br />写しではなく [本歌]  正真正銘の本物<br />茶の湯では「写し」に対して、基準の手本を「本歌」と云います。<br /><br />銘 沢の月  第14世 南嶺 宋延 自作 しみ竹<br />現、庵主さんのお話で南嶺さんは数本茶杓を製作しており、現在、妙喜庵にも2本残っており、この茶杓はその内の一つだそうです。300回忌の物で現存する物はこれだけです。<br />今回の茶杓が本物かどうか調べるために、妙喜庵へ行きました。<br />明治13年とは西暦1880年 辰年 142年前の茶杓となります。<br />今年、千利休生誕500年、この茶杓が千利休300回忌、節目の年

    明治13年2月、千利休300回忌、妙喜庵の竹で製作 
    写しではなく [本歌]  正真正銘の本物
    茶の湯では「写し」に対して、基準の手本を「本歌」と云います。

    銘 沢の月  第14世 南嶺 宋延 自作 しみ竹
    現、庵主さんのお話で南嶺さんは数本茶杓を製作しており、現在、妙喜庵にも2本残っており、この茶杓はその内の一つだそうです。300回忌の物で現存する物はこれだけです。
    今回の茶杓が本物かどうか調べるために、妙喜庵へ行きました。
    明治13年とは西暦1880年 辰年 142年前の茶杓となります。
    今年、千利休生誕500年、この茶杓が千利休300回忌、節目の年

  • 現世 第十七世 庵主 妙学 士功 作 煤竹<br />銘 夜の星<br />妙喜庵の参拝申請を電話で庵主さんに話した時は、茶杓の事は伝えておらず、現地、妙喜庵へ到着し庵主さんのお出向後、少し茶杓の事を話し他の一般客の方のご迷惑にならないように、参拝後散会してから、2人でこの茶杓の事について30分位お話しました。<br />詳しい事は、この場ではお話できませんが、最後に現庵主さん(妙学 士功 作)の茶杓を譲って貰いました。これで我が家は妙喜庵の茶杓は2本そろいました。<br />銘について聞きたかったのですが、次の参拝客の方が来ていたのでこれで打ち切りました。<br />持った感じはまだ新品なので固い印象ですが、10年位使い続ければ味が出てくると思います。

    現世 第十七世 庵主 妙学 士功 作 煤竹
    銘 夜の星
    妙喜庵の参拝申請を電話で庵主さんに話した時は、茶杓の事は伝えておらず、現地、妙喜庵へ到着し庵主さんのお出向後、少し茶杓の事を話し他の一般客の方のご迷惑にならないように、参拝後散会してから、2人でこの茶杓の事について30分位お話しました。
    詳しい事は、この場ではお話できませんが、最後に現庵主さん(妙学 士功 作)の茶杓を譲って貰いました。これで我が家は妙喜庵の茶杓は2本そろいました。
    銘について聞きたかったのですが、次の参拝客の方が来ていたのでこれで打ち切りました。
    持った感じはまだ新品なので固い印象ですが、10年位使い続ければ味が出てくると思います。

  • 妙喜庵から阪急の大山崎駅すぐ近くに、大山崎歴史資料館があります。ここの2階に妙喜庵の茶室 待庵の複製がありますが、本物を見た人ならかなりショックを受けます。<br />複製と本物の差がありすぎて。。。複製は新品過ぎて面白くない。本物は侘びさびを感じ歴史と風格と重みを感じます。個人的には行かない方がよいかも、トイレを借りるならここがお勧めです。拝観料200円必要です。

    妙喜庵から阪急の大山崎駅すぐ近くに、大山崎歴史資料館があります。ここの2階に妙喜庵の茶室 待庵の複製がありますが、本物を見た人ならかなりショックを受けます。
    複製と本物の差がありすぎて。。。複製は新品過ぎて面白くない。本物は侘びさびを感じ歴史と風格と重みを感じます。個人的には行かない方がよいかも、トイレを借りるならここがお勧めです。拝観料200円必要です。

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