2017/07/17 - 2017/07/17
20位(同エリア6948件中)
Medinaさん
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今回の旅は日本三大祭りの1つ、京都 祇園祭 前祭(さき祭)山鉾巡行の観覧
[後編 山鉾巡行順,11番 油天神山~23番 船鉾まで]です。
5月の月末に京都に行き、その2か月後に又京都へ。今回はJR東海のEX会員限定の山鉾巡行観覧ツアーで、観覧席から見れると言うので参加致しましたが、結論は撮影重視の場合は不向き(;´д`)。山鉾巡行を見るのなら問題なし。(^o^;)
山鉾の分類について
祇園祭において、”山鉾”と言われていますが、山と鉾に分かれております。更に、実際は以下のように分類されます。
山鉾において、山と鉾の2種類ではないことがポイント。
鉾と山の違い
「鉾」と「山」の違いは、屋根の上です。「鉾」は、「真木(シンギ)」という屋根の上に約20mの長い鉾が立っていて、そのてっぺんに「鉾頭」があり、それぞれの鉾の象徴が飾られています。
「真木」がある鉾は以下の9基ですが、3基は持っていないそうです。
これに対して「山」は、「真木」ではなく松の木が飾られ、「真松(シンマツ)」と呼ばれています。そして、「曳山(ひきやま)」3基と「舁山(かきやま)」20基に分かれています。
「舁山」は「かく」で、昔は人力で担いでいましが、現在は全て車輪がついています。山鉾は、神を祀ったり、謡曲や故事を題材にされており、鮮やかな「前懸や胴懸」は重要文化財のものが多く、中には16世紀ベルギー製のものもあります。
前祭巡行順
1:長刀鉾、2:占出山、3:孟宗山、4:霰天神山。5:函谷鉾、6:伯牙山
7:四条傘鉾、8:芦狩山、9:月鉾、10:山伏山、11:油天神山
12:太子山、13:鶏鉾、14:木賊山、15:綾傘鉾、16:蟷螂山
17:菊水鉾、18:白楽天山、19:郭巨山、20:保昌山、21:放下鉾
22:岩戸山、23:船鉾
前祭、後祭とも、山鉾巡行の順番は決まっている基と決まっていない基があり決まっている基のことを、”くじ取らず”と言い、現在9基の”くじ取らず”があります。
祭の規模
山鉾行事は昭和54年、文化財保護法により、国の重要無形民俗文化財に指定さたほか、平成21年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
更に平成26年には祭を古来の形に戻そうと、後祭の巡行が復興しました。
17日(前祭)と24日(後祭)におこなわれる山鉾巡行はこの祭りのクライマックスであり、そして、これらの山鉾は各種の美しい装飾に飾られた豪華なものです。
また、最も大きな鉾及び舁山は、重さが約12トン、安宅26m、車輪の直径2m、これを曳く人が40人を要します。
参考資料
Wikipedia から引用
歴史を詳しく書くと大変長くなるので以下を参照してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%A5%AD
京都市観光協会
公益財団法人 祇園祭山鉾連合会
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回、スマホとタブレットの両方持参し、タブレットから普段登山で利用しているアプリで歩いた道を記録してみました。京都駅から地下鉄で京都市役所前まで行き、そこから御池通を歩いて新町通を下り途中から室町通に入り、更に四条通から八坂神社まで歩きました。蒸し暑さと重たいカメラと人込みで疲れ果てて八坂神社でギブアップ( ;∀;) ここからはお神輿を見ないでタクシ-で京都駅まで戻りました。
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11番目 油天神山 ABURATENJIN YAMA「舁山」
下京区油小路通仏光寺上ル風早町
古くから町内に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路にあるところから油天神山とも呼ばれる。 正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿には天神像を安置する。 -
11番目 油天神山 ABURATENJIN YAMA 「舁山」
下京区油小路通仏光寺上ル風早町
古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路綾小路下ルにあるところから、「油天神山」とも、また勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれる。山は正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿にはもと風早家に伝来し後に町内の祠に祀っていた天神像〔寛永7年(1630)製作〕を安置する。真木の松の他に紅梅の枝をはなやかに立て鈴をつけている。水引はパリのクリュニイ博物館所有のタピスリーを図案に用いて、平成18年新調、前懸は雲龍文様の繻子地錦、宵飾りの胴懸は19世紀のカザフ絨毯、見送は毛綴の宮廷宴遊図であったが平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織を、前懸は平成6年に龍図錦織を新調、胴懸は左右共に前田青邨原画で、平成12年・13年新調の紅白梅を用いる。欄縁は、前部だけ凹形に切り込んだ社殿をはっきり見せたもので、天保4年(1833)製作の牛と梅の錺金具がついている。 -
12番目 太子山 TAISHI YAMA 「舁山」下京区油小路通仏光寺下ル太子山町
聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、 他の山が真木に松を立てているのに対して、この山は杉を立てている。 -
12番目 太子山 TAISHI YAMA 「舁山」下京区油小路通仏光寺下ル太子山町
聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木に杉を立て、その樹に小さな如意輪観音像を奉戴している。太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇を持つ。前懸は緋羅紗地に阿房宮の刺繍、胴懸は金地孔雀唐草図のインド刺繍、見送は平成15年新調の波濤に飛龍文様錦織を用いる。角金具には立派な飛龍が飾られ、水引には濃紺の房付き網目のものが用いられ胴懸とともにエキゾチックな気分を加えている。宵山には聖徳太子にちなんで知恵がさずかるという「杉守り」「知恵のお守り」が授与される。この山には舞台裏中釣幕という懸装品があり、平成19年に新調されている。 -
12番目 太子山 TAISHI YAMA 「舁山」下京区油小路通仏光寺下ル太子山町
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13番目 鶏鉾 NIWATORI HOKO 「鉾」下京区室町通四条下ル鳥鉾町
鉾頭は三角形の枠とその中の金の卵を表す。天王人形は住吉明神、右手をあげる形。見送は『イーリアス』のトロイ戦争の「出陣するヘクトールと妻子の別れ」を綴った16世紀のブラバント公国(現在はベルギー)のブリュッセル製(重要文化財)。甲高い囃子が特徴。 -
13番目 鶏鉾 NIWATORI HOKO 「鉾」下京区室町通四条下ル鳥鉾町
天下がよく治まり訴訟用の太鼓に苔が生え鶏が宿ったという中国の故事の心をうつしたものという。 鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味をあらわすといわれる。 -
13番目 鶏鉾 NIWATORI HOKO 「鉾」下京区室町通四条下ル鳥鉾町
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イチオシ
13番目 鶏鉾 NIWATORI HOKO 「鉾」下京区室町通四条下ル鳥鉾町
中国の史話より取材、昔、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事によって、その心をうつしたものという。鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諫鼓の中にある意味で、鶏鉾の名の象徴となっているともいわれるが、はっきりしたことは不明である。真木のなかほどの「天王座」には航海の神といわれる住吉明神を祀る。天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(1752~1811)、松村景文(1779~1843)など四条派画家の下絵になるものである。前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されて用いる。見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。 -
13番目 鶏鉾 NIWATORI HOKO 「鉾」下京区室町通四条下ル鳥鉾町
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13番目 鶏鉾 NIWATORI HOKO 「鉾」下京区室町通四条下ル鳥鉾町
見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。 -
13番目 鶏鉾 NIWATORI HOKO 「鉾」下京区室町通四条下ル鳥鉾町
この写真を見てお分かりのように1列目の方の頭や手や帽子が入り、良い写真が撮れませんでした。(;_;)/~~~
後ろの方の配慮もして欲しいですね。観覧席からの撮影はほとんどがこんな感じで撮影しました。(>_<) (T_T) -
14番目 木賊山 TOKUSA YAMA 「舁山」下京区仏光寺通油小路東入木賊山町
謡曲「木賊」に取材し、我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわしている。 御神体は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持つ。
木彫彩色の頭は仏師春日の作といわれ、足台には「元禄五年(1692)六月吉日」の墨書銘がある。水引は日輪鳳凰文様の綴錦及び道釈人物刺繍、前懸は唐人交易図刺繍、左右の胴懸は平成11~13年に復元新調した中国故事人物図の綴織、見送は中国明代の牡丹双鳳文様綴錦である。欄縁金具は緻密な雲龍文様で、角金具は唐団扇、木賊と銀兎文様のものが用いられている。旧見送として仙人聞香図の綴錦があり、旧水引には中東幾何文様イギリス織絨毯、他に緑地草花文様の後懸などが保存されている。 -
14番目 木賊山 TOKUSA YAMA 「舁山」下京区仏光寺通油小路東入木賊山町
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15番 綾傘鉾 AYAGASA HOKO 「傘鉾」下京区綾小路通室町西入ル善長寺町
傘の上に金鶏を戴く。棒振りと、神面をつけた太鼓持ち・太鼓打ちの踊りが付く。江戸時代から壬生六斎念仏講中(中京区)が出仕して囃子方と踊り方を勤める習わしである。また稚児6名が徒歩で巡行に加わる。 -
15番 綾傘鉾 AYAGASA HOKO 「傘鉾」下京区綾小路通室町西入ル善長寺町
綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、大きな傘と棒振り囃子の行列として巡行していた。この綾傘鉾も、江戸時代の天保5年(1834)、一時小型の鉾に改造されるが、元治元年の大火で、その大部分を焼失することになる。その後、明治12年から17年まで原型の徒歩ばやしの形で巡行したことがある。棒振り囃子は、赤熊をかぶり、棒をもった者が、鉦、太鼓、笛に合わせて踊るもので、壬生村の人々により奉仕されていた。この綾傘鉾も町内の人々の努力が実り、昭和54年から巡行することになった。なお、傘につける垂りは人間国宝の染織家森口華弘の友禅「四季の花」と平成4年に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」がある。 -
16番手 蟷螂山 TORO YAMA 「舁山」 中京区西洞院通四条上ル蟷螂町
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16番手 蟷螂山 TORO YAMA 「舁山」 中京区西洞院通四条上ル蟷螂町
南北朝時代、足利軍に挑んで戦死した四条隆資の戦いぶりが中国の故事「蟷螂の斧」のようであったことから、 四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。全山鉾の中で唯一のからくり仕掛けの「大かまきり」が大人気。 -
16番手 蟷螂山 TORO YAMA 「舁山」 中京区西洞院通四条上ル蟷螂町
蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいる。その起源は南北朝時代で、足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(1292~1352)の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和二年(1376)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。
その後、蟷螂山は再三の戦火に遭うが、そのつど再興され、巡行を続けてきたのであるが、元治の大火(1864)でその大部分を焼失してしまい、昭和56年、117年ぶりに再興された。
蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。 -
17番目 菊水鉾 KIKUSUI HOKO 「鉾」中京区室町通四条上ル菊水鉾町
町内の菊水井にちなみ、鉾頭が菊花。鉾で唯一屋根が唐破風の形をとり、榊の中央に「菊水」の額を付ける。屋根上に夷神を祭り、人形は能・菊慈童の姿を表す「菊丸」。天王人形は彭祖、右手に杓を持ち左手に盃を挙げる猩々のような姿。近年製作された前懸・胴懸には七福神が置かれている。隅飾は薬玉。昭和再建の鉾として年々装飾が充実し、人形や音頭取の服装も独自性が高い。長寿延命の御利益がある。 -
イチオシ
17番目 菊水鉾 KIKUSUI HOKO 「鉾」中京区室町通四条上ル菊水鉾町
町内に古くからあった井戸、菊水井にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけている。真木のなかほどの「天王座」には彭祖像を祀る。元治元年(1864)の兵火で焼失したが昭和27年、88年ぶりに松本元治氏の熱意が実り再興され、28年6月完工祭が行われた。稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童で能装束の舞姿である。屋根は唐破風造りで、彫師海老名峰彰作の鳳凰の懸魚を飾り、軒下に翠簾を掲げるところは特に他の鉾と異なっている。昭和29年には皆川月華作唐獅子図の胴懸、飛鶴図の前懸が作られ、30年には月華作孔雀図の豪華な見送が完成。その後山鹿清華作の下水引、皆川泰蔵作の二番水引が加えられ、38年には三輪晁勢筆天井絵が、近年、小林尚珉氏によって錺金具が製作された。また、最近晁勢筆の天水引、月華作の下水引、岩澤重夫筆の深山菊水図綴織見送があらたに完成した。このようにして、菊水鉾は年々装飾が充実し、「昭和の鉾」としての偉容を示してきている。 -
17番目 菊水鉾 KIKUSUI HOKO 「鉾」中京区室町通四条上ル菊水鉾町
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17番目 菊水鉾 KIKUSUI HOKO 「鉾」中京区室町通四条上ル菊水鉾町
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17番目 菊水鉾 KIKUSUI HOKO 「鉾」中京区室町通四条上ル菊水鉾町
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17番目 菊水鉾 KIKUSUI HOKO 「鉾」中京区室町通四条上ル菊水鉾町
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18番目 白楽天山 HAKURAKUTEN YAMA 「舁山」
下京区室町通仏光寺上ル白楽天町
唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う姿である。 道林禅師は手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐冠をかぶり笏を持って立っている。 -
18番目 白楽天山 HAKURAKUTEN YAMA 「舁山」
下京区室町通仏光寺上ル白楽天町
唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところである。道林禅師は、緞子地の紫衣を着け、藍色羅紗の帽子をかぶり手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣裳に唐冠をかぶり笏を持って立っている。旧水引は明治5年の調製で孔雀や麒麟などの禽獣を金絲で繍いつめた刺繍、また前懸は文化5年新調された紺地雲龍文様刺繍裂と、万延元年(1860)蟷螂山より買受けた毛綴の三点継もある。毛綴はトロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図の優品であり、大津祭月宮殿山の見送と双幅である。見送はかつて麒麟龍鳳凰文様の綴錦であったが、昭和28年より山鹿清華作の北京万寿山図の毛織錦のものを用いている。また胴懸及び水引は昭和53年フランスから購入した17世紀製作の毛綴もある。 -
19番目 郭巨山 KAKKYO YAMA 「舁山」下京区四条通西洞院東入ル郭巨山町
別名“釜掘り山”。二十四孝に取材。郭巨と童子が黄金の釜を掘り当てた場面を表す。舁山で唯一屋根をかけるのが特徴。金運・乳の出の御利益がある。 -
19番目 郭巨山 KAKKYO YAMA 「舁山」下京区四条通西洞院東入ル郭巨山町
中国の郭巨釜掘りの故事にちなみ「釜掘り山」ともいわれる。 童子を養えなくなった郭巨が鍬を振り降ろすと地中より黄金一釜が出てきた姿をあらわしている。 -
19番目 郭巨山 KAKKYO YAMA 「舁山」下京区四条通西洞院東入ル郭巨山町
中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなんで造られ「釜掘り山」ともいわれる。山に飾る御神体(人形)の郭巨と童子は寛政元年(1789)金勝亭九右衛門利恭の作で前懸は天明5年(1785)製の唐美人遊楽図の絽刺、胴懸は石田幽汀(1721~86)の下絵による呉道子描龍図と陳平飼虎図の刺繍で天明5年松屋源兵衛の作、見送は文化12年(1815)製で円山応震(1790~1838)の下絵による山水仙人図であったが、昭和58年から新しく上村松篁原画による秋草図前懸、花の汀図および春雪図胴懸、都の春図見送の綴織を順次新調した。後懸は阿国歌舞伎図綴織と古後懸に天明5年改修の黒ビロード地福禄寿図刺繍がある。この山に限って桐桜菊の欄縁の下に金地彩色宝相華文様の乳隠しが用いられ、また屋根覆いをかけている。 -
19番目 郭巨山 KAKKYO YAMA 「舁山」下京区四条通西洞院東入ル郭巨山町
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20番目 保昌山 HOSHO YAMA 「舁山」下京区東洞院通高辻下ル燈篭町
別名“花盗人山”。
平井保昌が和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折り恋を叶えた伝説に因む。縁結びのお守りを授与する。 -
20番目 保昌山 HOSHO YAMA 「舁山」下京区東洞院通高辻下ル燈篭町
丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。 故事にちなみ宵山には「縁結び」のお守りが授与される。 -
20番目 保昌山 HOSHO YAMA 「舁山」下京区東洞院通高辻下ル燈篭町
丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。御神体(人形)は緋縅の鎧に太刀をつけ、梨地蒔絵の台に紅梅を一杯にもってこれをささげている。頭は明応9年(1500)、胴は寛政(1789~1800)頃、町内に住んでいた彫刻師勇祐の作であるという。前懸の緋羅紗地に蘇武牧羊図、胴懸の張騫巨霊人に鳳凰虎を配した刺繍は円山応挙(1733~95)の下絵である。近年それらを復元新調している。下絵は別に屏風に仕立て保存している。見送は福禄寿、弁財天に唐子を配した綴錦で寛政10年(1798)の作、水引は雲龍波濤文様に鳳凰鶴虎を配し、特に孔雀の羽根を縫込んだ刺繍の逸品である。また、平成23年にご神体引敷が新調された。山の故事にちなみ宵山には「縁結び」の御守りが授与される。 -
20番目 保昌山 HOSHO YAMA 「舁山」下京区東洞院通高辻下ル燈篭町
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21番目 鉾 放下鉾 HOKA HOKO 「鉾」中京区新町通四条上ル小結棚町
「くじとらず」で、21番目に行く。 -
21番目 鉾 放下鉾 HOKA HOKO 「鉾」中京区新町通四条上ル小結棚町
「くじとらず」で、21番目に行く。 -
21番目 鉾 放下鉾 HOKA HOKO 「鉾」中京区新町通四条上ル小結棚町
「くじとらず」で、21番目に行く。
鉾頭は日・月・星の三光を表すといい、その形から「すはま(州浜)鉾」とも呼ぶ。鉾の名は真木のなかほどに放下僧の像をまつることに由来する。
天王人形は放下僧、頭巾をかぶり、羯鼓を腹につけて両手に撥を持つ姿。榊の形が唯一丸い。稚児人形「三光丸」は人形遣いの手で稚児舞を舞う。胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。 -
21番目 鉾 放下鉾 HOKA HOKO 「鉾」中京区新町通四条上ル小結棚町
「くじとらず」で、21番目に行く。 -
21番目 鉾 放下鉾 HOKA HOKO 「鉾」中京区新町通四条上ル小結棚町
「くじとらず」で、21番目に行く。
鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。この鉾は明治の中期に胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。破風正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年に完成したものである。下水引は与謝蕪村(1716~83)下絵の琴棋書画図であったが平成6年から栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織になっている。三番水引の青海波におしどり図綴織は駒井源琦の下絵によるものだが今はその復元品を用いている。前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものである。旧胴懸として16世紀製の描絵玉取獅子、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴が保存されている。平成22年(2010)には天井幕「四季草花図」(原画・柴田是真)が新調された。 -
21番目 鉾 放下鉾 HOKA HOKO 「鉾」中京区新町通四条上ル小結棚町
「くじとらず」で、21番目に行く。
破風正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年に完成したものである。下水引は与謝蕪村(1716~83)下絵の琴棋書画図であったが平成6年から栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織になっている。三番水引の青海波におしどり図綴織は駒井源琦の下絵によるものだが今はその復元品を用いている。前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものである。旧胴懸として16世紀製の描絵玉取獅子、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴が保存されている。平成22年(2010)には天井幕「四季草花図」(原画・柴田是真)が新調された。 -
21番目 鉾 放下鉾 HOKA HOKO 「鉾」中京区新町通四条上ル小結棚町
「くじとらず」で、21番目に行く。 -
22番目 岩戸山 IWATO YAMA 「曳山」 下京区新町通高辻上ル岩戸山町
神体として男神の姿をした天照大神・手力雄神を囃子方の中央に、また釣糸を垂れ、オノコロ島を釣り上げる姿の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を屋根の上に乗せる。中世日本紀に基づき、天照大神は女神でなく美男神として作られる。鉾柱のかわりに屋根上に真松を立てている。
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22番目 岩戸山 IWATO YAMA 「曳山」 下京区新町通高辻上ル岩戸山町
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22番目 岩戸山 IWATO YAMA 「曳山」 下京区新町通高辻上ル岩戸山町
岩戸山神体として男神の姿をした天照大神・手力雄神を囃子方の中央に、また釣糸を垂れ、オノコロ島を釣り上げる姿の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を屋根の上に乗せる。中世日本紀に基づき、天照大神は女神でなく美男神として作られ、鉾柱のかわりに屋根上に真松を立てている。
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22番目 岩戸山 IWATO YAMA 「曳山」 下京区新町通高辻上ル岩戸山町
天岩戸を開いて天照大神の出現される日本神話から取材している。山とはいえ室町時代狩野永徳の洛中洛外図屏風で見られる岩戸山にはすでに車輪が描かれており鉾と同じ車をつけた曳山である。曳山で、鉾柱のかわりに屋上に真松を立てている。三体の御神体(人形)を飾るが、天照大神は白衣姿で胸に鏡をかけ、脇に安置される手力雄尊(戸隠大明神)は白衣に唐冠をかむり、屋根の上には太刀をはき天瓊矛をつき出した伊弉諾尊を安置している。屋根裏の金地著彩草花図は今尾景年(1845~1924)73歳の筆、前後軒裏の金地著彩鶺鴒図は弟子の中島華鳳筆(昭和6年)である。下水引は鳳凰瑞華彩雲岩に波文様紋織(平成15年復元新調)、二番水引は緋羅紗地宝相華文様刺繍、三番水引は紺金地雲三ツ巴五瓜唐花文様綴織(共に平成17年復元新調)、前懸は玉取獅子図中国絨毯、胴懸は唐草文様インド絨毯である。別に旧前懸として17世紀李朝製で描絵玉取獅子、鳳凰、虎、鶴文様の朝鮮毛綴のものが保存されている。見送は日月龍唐子嬉遊図の綴織(一部刺繍)を用いている。ほかに皆川泰蔵作の「ヴェネチァ図」がある。また、平成23年には天井幕「白茶地五彩瑞雲文様」が新調された。 -
22番目 岩戸山 IWATO YAMA 「曳山」 下京区新町通高辻上ル岩戸山町
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22番目 岩戸山 IWATO YAMA 「曳山」 下京区新町通高辻上ル岩戸山町
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22番目 岩戸山 IWATO YAMA 「曳山」 下京区新町通高辻上ル岩戸山町
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23番目 船鉾 FUNE HOKO 「鉾」 下京区新町通綾小路下ル船鉾町
くじ取らずで、23番目、先祭の巡行の最後を行く。
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23番目 船鉾 FUNE HOKO 「鉾」 下京区新町通綾小路下ル船鉾町
くじ取らずで、23番目、先祭の巡行の最後を行く。
ご神体として神功皇后と住吉明神、鹿島明神、安曇磯良を乗せる。船首は鷁(げき)という架空の鳥。戦に向かう姿なので“出陣の船鉾”とされる。神功皇后の神面は文安年間(1444年~1449年)の作といわれる古面で、尊崇されており、神面改めの儀式を7月3日に行う。宮中で出産のある時には神面を御所に運んで祈願を行なう。安産の守りを出す。 -
23番目 船鉾 FUNE HOKO 「鉾」 下京区新町通綾小路下ル船鉾町
くじ取らずで、23番目、先祭の巡行の最後を行く。
神功皇后の説話により鉾全体を船の形にし、舳先に金色の鷁、飛龍文様の舵をつける。 鉾の上には皇后と磯良・住吉・鹿島の三神像を安置する。 -
23番目 船鉾 FUNE HOKO 「鉾」 下京区新町通綾小路下ル船鉾町
くじ取らずで、23番目、先祭の巡行の最後を行く。
神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にし、舳先には金色の鷁、艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様の舵をつけ、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒・吹流しをひるがえす。鉾の上には皇后と陪従する磯良・住吉・鹿島の三神像を安置する。主神神功皇后は神面をつけ緋縅の軍装、その後に鹿島明神、舳先には、海神安曇磯良が龍宮の満干珠を住吉明神に捧げている。皇后の神面(文安年間作、1444~1448)は古来安産に奇瑞があるといわれ、宮中でも尊敬され、明治天皇の御降誕の時には宮中へ参内している。皇后の神像は岩田帯をたくさん巻いて巡行するが、それを祭りの後、妊婦に授与され安産のお守りとされている。また、神功皇后衣裳の水干「金地菊花文様唐織」と大口袴「白地御簾文様金襴」は平成22年(2010)に新調された。鷁は宝暦年間(1751~64)長谷川若狭の作で、船尾の舵は寛政4年(1792)に造られた。水引の雲龍図肉入刺繍の下絵は西村楠亭(1775~1834)の筆、鹿島明神の持つ長刀は、井上和泉守真海(寛文年間1661~1672)作の逸品である。また平成21年(2009)に高欄下水引が新調された。 -
イチオシ
23番目 船鉾 FUNE HOKO「鉾」 下京区新町通綾小路下ル船鉾町
くじ取らずで、23番目、先祭の巡行の最後を行く。
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23番目 船鉾 FUNE HOKO「鉾」 下京区新町通綾小路下ル船鉾町
くじ取らずで、23番目、先祭の巡行の最後を行く。
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23番目 船鉾 FUNE HOKO 「鉾」 下京区新町通綾小路下ル船鉾町
くじ取らずで、23番目、先祭の巡行の最後を行く。
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観覧席から山鉾巡行を観覧し現地解散後、御池通から左折して新町通に入る鉾を追いかけて行きました。岩戸山が新町通に辻回しする様子が見られました。
山鉾巡行の「辻回し」
辻回しとは、山鉾の方向転換です。
山鉾には、鍛冶を取る機能が備わっていない為、交差点を曲がる時は、強制的に方向転換をしなくてはいけません。山鉾が交差点に差し掛かると、路面に青竹が敷かれ、たっぷりと水がかけられます。その青竹に山鉾の車輪を乗せて滑らせることで、90℃回転させるのが、辻回しです。 -
御池通と新町通の交差点で辻回しの様子を見ようとしたら、物凄い人だかりで驚きました。まともにカメラで撮影できないので、手を上に高く上げカメラを親指フォ-カス(AF ON)でピント合わせてなんとか撮影しました。
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岩戸山が辻回しをして新町通に入ります。
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皆さんこんな風に撮影してますが、スマホやタブレットでは簡単にできますが、1眼レフでこれをやると技術を要します。
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カメラを上に持ち上げて親指AF ONでピンと合わして、露出とシャッタースピードとISO感度をマニュアルでSETして感で撮影してます。(;´∀`)
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岩戸山が新町通を通過中ですが、入場規制が行われ中に入ることができなませんでした。
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岩戸山が新町通を通過中ですが、入場規制が行われ入ることができないので、手前の道から先回りしました。
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織物屋さんの2階から眺めております。こう言う風景を見ると風情を感じます。
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山伏山の会所。鉾に登るには会所2階の渡り廊下から
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新町通から室町通に入り菊水鉾の会所の到着を待ちました。
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菊水鉾が室町通に入ってきました。
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菊水鉾が室町通に入ってきました。
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菊水鉾が室町通に入ってきました。
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イチオシ
菊水鉾が会所に到着。鉾に登るには会所2階の渡り廊下から
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菊水鉾が会所に到着。鉾に登るには会所2階の渡り廊下から
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菊水鉾が会所に到着
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室町通から四条通に出て八坂神社に向かいました。月鉾の会所。
鉾に登るには会所2階の渡り廊下から -
四条通の月鉾の会所。警備員がこちらを向いて指を指しておりますが、私ではなく手前にいた観光客が立ち入り禁止区域に入り注意を受けております。この時私は望遠で撮影しております。(^^♪
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イチオシ
四条通から室町通りを少し下り鶏鉾の会所を見に行きました。
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イチオシ
四条通から室町通りを少し下り鶏鉾の会所を見に行きました。
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重たいカメラを肩にかけて蒸し暑い四条通を頑張って八坂神社まで歩きました。途中で祇園辻利本店で休もうとしたが、人が多く断念。更に歩いて東大路通まで来たら八坂神社の人の多さに驚き。(>_<) (O.O;)(oo;)でもここまで来たので、まずは参拝。
八坂神社 寺・神社・教会
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粽(ちまき)の由来
この粽は、八坂神社の主祭神である牛頭天王(スサノオノミコト)に由来します。
昔、蘇民将来という男の家に、旅人に身をやつした牛頭天王が訪ねてきて、一夜の宿を求めました。蘇民は貧乏でしたが、それでも手厚くもてなし、牛頭天王はその心遣いに大変喜んで、そのお礼に「今後お前の子孫は末代まで私が護ってやろう。目印に腰に茅の輪をつけていなさい」言い残して去っていきました。そのお陰で後に疫病が流行った際も、蘇民の一族は 生き残り繁栄したということです。
このときの護符になった茅の輪は「茅」を束ねて「巻」いたものです。そこで「茅巻(ちまき)」と呼ばれるようになり、それを同じ発音の「粽(ちまき)」と音を担いで、現在のような束状の粽が厄除けのお守りとして作られるようになりました。また、粽には「蘇民将来子孫也」という護符がつけられています。これは「私は蘇民将来の子孫です。なので病気や災いから護って下さい」という意味が込められています。元々疫病を鎮める祭だった祇園祭のルーツが、粽 にはあります。
役行者山:疫病除け・交通安全 ・安産
鈴鹿山:盗難除け・安産
八幡山:夜泣き封じ・子供の健康・夫婦円満
黒主山:泥棒・悪事除け
浄妙山:勝運向上
鯉山:立身出世・開運・家内安全
霰天神山:雷除け、火災除け
占出山:安産
郭巨山:金運向上
孟宗山:親孝行
油天神山:学問成就
木賊山:迷子除け・再会
船鉾:安産
白楽天山:学問成就、招福除災
太子山:学問成就・知恵を授かる、身代わり
保昌山:縁結び
菊水鉾:不老長寿・商売繁盛
岩戸山:開運
山伏山:雷除け
芦刈山:縁結び・夫婦円満
綾傘鉾:安産・縁結び
四条傘鉾:招福厄除
大船鉾:安産 -
粽は山鉾町の会所や山鉾付近で販売されており、それぞれ個性があります。熨斗(のし)のような紙でくるまれていたり、御幣のような飾りがついていたり。梅や桜の花飾りがついているもの、お守りや絵馬がおまけでついているも物などなどです。
写真の粽は我が家の物で八坂神社で購入しました。 -
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神輿渡御出発式 7月17日 午後6時
八坂神社三基の神輿が、氏子区域内をそれぞれ所定のコースに従い渡御。
山鉾巡行が行われた後の夕刻、八坂神社で出発の儀を執り行ないます。 山鉾巡行は祭神【素戔嗚尊 (すさのをのみこと) ・櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと) ・八柱御子神 (やはしらのみこがみ)】の来訪のための、いわばお清めのような意味合いがあるとされ、 祇園祭では山鉾巡行が取り上げられがちですが、祭りの主役は神輿なのです。 -
祇園祭の神輿は3基あり普段は八坂神社にまつられている御祭神が、祇園祭の際に神輿に移し、渡御により町にお出ましになります。
中御座 御祭神/素戔嗚尊(すさのをのみこと)形状/六角形
本社→石段下→四条通から大和大路を北→三条通から木屋町通を北→二条通から寺町通を南→三条通から河原町通を南→四条通から御旅所へ
東御座 御祭神/櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)形状/四角形
本社→石段下→東大路を北→新橋通から花見小路南折返へ→大和大路を通り若松通を東→花見小路から三条通を西へ→河原町通下がり仏光寺通折返→四条通から御旅所へ
西御座 御祭神/八柱御子神(やはしらのみこがみ) 形状/八角形
本社→石段下→四条通から花見小路を南へ→団栗通から川端通を北→四条通から大和大路を北→有済校折返→三条通から木屋町通を北→二条通へ入り寺町通を下がる→三条通から河原町通を南→四条通から木屋町通を下がり松原通を西→河原町通を上がり四条通から御旅所へ -
中御座 御祭神/素戔嗚尊(すさのをのみこと)形状/六角形
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この旅行記へのコメント (4)
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- うふふ♪♪さん 2018/06/21 18:42:51
- Medinaさん、こんにちは♪
- Medinaさん♪
こんにちは♪
うふふ♪♪です♪
うふふ♪♪のなにわ食い意地紀行4・5・6と京都食い意地紀行2・3に、
ご訪問&投票をありがとうございます!
たくさん見ていただいて、とてもうれしいです♪
あまりのがっつきぶりに恥ずかしいですが・・💧💧
Medinaさんは京都がお好きなんですネ!
案外、近くだと、行かないものかもしれません。
特に、うふふ♪♪は、一時期やっていた趣味の会が、毎回京都であったので、
結局、観光地は殆ど廻っていません💧。
4Travelに入って、皆さんの京都旅行記を拝見して、
(わ~・・まだまだ知らないとこいっぱいあったんだ~・・)
と思いはしたのですが・・・
あの大量の外国人観光客を思うと・・なかなか行く気力が湧いてこなくて・・
で、食べ歩きにばかりなっています(へへ・苦笑)。
子供の頃は、混むのって、桜と紅葉の時期だけだったのに、
今や、あの暑い暑い真夏や寒い寒い真冬でさえ、
国内外からの大量観光客にびっくりです。
あ、大阪で地震があった今が狙い目かも・・・
すっごい数のキャンセルが出てるそうですよ、いろんなホテル。
祇園祭の詳細なレポートにただただ感嘆です!!
お写真、すごくお上手ですね~。
綺麗です~。
観覧席から、ご覧になったのですか!
格別でしょうね~☆☆
そうか、今は後祭もあるんですね。
うふふ♪♪もまだ後祭の無い頃、1度だけ山鉾巡行見に行ったことあります。
宵山も何度か行きました。
いつも長刀鉾が満員で、すぐに乗れる船鉾にばかり乗っていました。
天井とか綺麗なんですね~♪
素晴らしい旅行記を、どうもありがとうございます!
最近は、あまりの人出に行く気がしないので、
Mediaさんの旅行記で、十分に堪能させていただきました!
うふふ♪♪
- Medinaさん からの返信 2018/07/29 11:34:14
- 拝復
- うふふ♪♪様
こんにちは、Medinaでございます。
残暑お見舞い申し上げます。
この度、掲示板の書き込み賜りましてありがとうございます。
またご返事が大変遅くなり申し訳ございませんでした。
仕事で出張し留守をしており又従妹が広島県呉市在住の為、この度の西日本豪雨災害の為ご連絡が遅くなりました。
従妹の自宅もようやくライフラインが復旧されましたが、報道の通りの災害です。
> Medinaさんは京都がお好きなんですネ!
> 案外、近くだと、行かないものかもしれません。
> 特に、うふふ♪♪は、一時期やっていた趣味の会が、毎回京都であったので、
> 結局、観光地は殆ど廻っていません💧。
> 4Travelに入って、皆さんの京都旅行記を拝見して、
> (わ?・・まだまだ知らないとこいっぱいあったんだ?・・)
> と思いはしたのですが・・・
京都ですが、母が表千家の師範もしていた影響もあり、かれこれ50回以上は行きました。もちろん個人的にも好きですが、観光よりもほとんどがグルメ系でございます。
特に最近の京都はお買い物ばかりしており、老舗の店に顔を出しております。東京にいる時は、電話でお茶や漬物や和菓子を電話注文で取り寄せているので。。
京都で観光するの?言われますが、お恥ずかしながらしておりません。
昔は自分の車でよく行きましたが、現在駐車場の問題と渋滞回避の問題で、マイカーでは行かず新幹線とタクシー利用しております。
> あの大量の外国人観光客を思うと・・なかなか行く気力が湧いてこなくて・・で、食べ歩きにばかりなっています(へへ・苦笑)。
私も同じくして観光地にはほとんど行きませんが、清水、八坂さんだけは
必ずお参りに行き、その後は地元が行く場所へ出かけておりますが、桜の季節だけは観光地に行きます。
> 子供の頃は、混むのって、桜と紅葉の時期だけだったのに、
> 今や、あの暑い暑い真夏や寒い寒い真冬でさえ、
> 国内外からの大量観光客にびっくりです。
> あ、大阪で地震があった今が狙い目かも・・・
> すっごい数のキャンセルが出てるそうですよ、いろんなホテル。
最近の私はほとんどが日帰りで京都へ行くので、宿泊とは無縁になりました。新幹線の速度が上がった為、片道2時間10分、自宅から京都駅まで3時間以内で行けるようになりました。
確かに世界の京都ですね!でも観光客が行かない場所へ行くと、地元の静かな京都の姿が見れますが、旅行記には掲載しておりません。
> 祇園祭の詳細なレポートにただただ感嘆です!!
> お写真、すごくお上手ですね?。
> 綺麗です?。
> 観覧席から、ご覧になったのですか!
> 格別でしょうね?☆☆
> そうか、今は後祭もあるんですね。
> うふふ♪♪もまだ後祭の無い頃、1度だけ山鉾巡行見に行ったことあります。
> 宵山も何度か行きました。
今年の宵山に行く予定でしたが、この猛暑と母の体調が悪いため断念しました。
7月24日花笠巡行も猛暑により中止なりました。夏の京都は本当に暑いですからね (*´Д`)
> 素晴らしい旅行記を、どうもありがとうございます!
> 最近は、あまりの人出に行く気がしないので、
こちらこそ拙い旅行記でお恥ずかし限りでございます。
私も母の体調が悪いため現在どこにも出られず、自宅に籠っております。
これから夏本番、熱中症に気を付けて良い旅をしてください。
仕事上出張が多く家にいない日が多いですが、できる限り拝読させて貰いますので、こちらこそ宜しくお願い致します。
Medina
-
- trat baldさん 2017/08/17 07:12:50
- こりゃあ撮影は難しいわ!特に椅子の桟敷は艱難辛苦。
- お疲れ様でした、この撮影旅行には技と体力がフルに機能しないと無理だったでしょう、それに丁寧な記事文が写真をより臨場感を高めてくれました。
特に山鉾巡行(祇園祭)を開催するに当たっての経緯の仔細に触れた前編に大いに惹かれました、見せ場の多い後編に投票が集まるのは当然ですが解説をしっかり理解した上で見る事に一層の見所が有ったと思います。
Ps.Medinaさんの技量、勘、運、パワー&スタミナ、時間配分の上手さに感服、拍手!
- Medinaさん からの返信 2017/08/28 21:49:15
- RE: こりゃあ撮影は難しいわ!特に椅子の桟敷は艱難辛苦。
- trat bald様
こんばんはMedinaでございます。
毎度、掲示板の書き込み賜りましてありがとうございます。
実は私の車のドアノブが壊れて落ちそうになり( ;∀;) 車を車検ついでに
入院させました。その為、ご返事が遅くなり申し訳ございませんでした。
> お疲れ様でした、この撮影旅行には技と体力がフルに機能しないと無理だったでしょう、それに丁寧な記事文が写真をより臨場感を高めてくれました。
記事の内容ですが、いい加減な事は書けないので今回は事前に勉強して調べました。普段は自分の考えで記載しておりますが、祇園祭の山鉾巡行。
誰もが知っている大規模なお祭りなのでミスがないよう、更に記載元も記入いたしました。
> 特に山鉾巡行(祇園祭)を開催するに当たっての経緯の仔細に触れた前編に大いに惹かれました、見せ場の多い後編に投票が集まるのは当然ですが解説をしっかり理解した上で見る事に一層の見所が有ったと思います。
trat bald様がご指摘の通りで、ただ写真だけ掲載したのではただの旅行記ですが、多くの皆様からこの拙い私の旅行記を拝読して貰い更に1票投じて貰うので、順序だてて掲載しております。
旅行記を掲載する時間ですが、前編の方が後編より数倍時間が掛かりました。写真の選定と編集に費やした時間では、前編が2週間以上、後編が5日間位の時間を要しております。
記事の内容は、お土産に頂いた説明書(京都市観光協会、祇園祭山鉾連合会の資料)から抜粋して簡略化して掲載しました。
trat bald様もご存知か?メンバ−の方中には間違いがあると必ず指摘してきます。
実は先日も9年前の旅行記の事で間違えを指摘されました。私の掲示板の中で2017年08月15日22時10分 ジバゴさんからですが。。
読んで貰えますか?
勿論、訂正を掲示板にて書き込みさせて貰いました。
ですから祇園祭については、絶対にミスをしたくないので、約1か月の時間を要してUPに漕ぎつけました。(;´∀`)
> Ps.Medinaさんの技量、勘、運、パワー&スタミナ、時間配分の上手さに感服、拍手!
ありがとうございます。一重に皆様のご支援の賜物であり、私の拙い旅行記に1票投じてくださったメンバー様に心から感謝申し上げ、今後更に精進し勉強していく所存でござます。
これからも宜しくお願い致します。
Medina
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