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コロナ禍もようやく落ち着きを見せ、トラベラーさんたちは続々と海外へと飛び立っておられて羨ましいですが、私は当面国内旅行に勤しむことになりそうです。ということで暫くは国内旅行記や過去の旅行を振り返ります。まず今回は私が海外旅行に目覚める前の国内旅行について旅行記を認めたいと思います。私の国内旅行は鉄道旅行から始まりました。つまりこれが表題にある「鉄」の時代です。当時の私は乗ることが目的といういわゆる「鉄ちゃん」に該当する存在でした。今でこそ鉄ちゃんは世間に認知され、女性アイドル(?)などもいらっしゃいますが、当時世はスーパーカーブーム、圧倒的少数派の鉄道ファンを名乗ることが恥ずかしく「隠れ鉄ちゃん」として細々と楽しんでいました。<br />ご存知のとおり鉄道趣味にはジャンルがあって、鉄道車両のメカニズムを追求する「車両鉄」、鉄道写真を撮るのが目的の「撮り鉄」、乗り潰し等乗ることが目的の「乗り鉄」などがあり、最近ではさらに多様なジャンルがあるようです。私は時刻表を見て列車の乗継を計画、それを実践し、うまくいけば悦に入るという鉄道旅行作家の大家、宮脇俊三さんに近く、今で言ういわゆる「乗り鉄」ですが、そこまでストイックではなく、観光地では乗車を休み観光を楽しむといスタイルでした。また、車両よりも駅に興味があり、下車駅で入場券を買い集めたり、駅を起点に観光など街歩きを楽しみ、温泉旅館に泊まるなど、今の自分の旅行形態の原型が造られたと思っています。<br />一方、「道」というのは「北海道旅行」です。海外旅行が流行り始めた頃、まだひとりで行く勇気がなかった時代に嵌ったのがこれでした。最初は鉄道で回ったのですが、大自然や美味しい食べ物、ユースホステルの楽しさなど鉄道以外の面白さに感化され、次第に鉄道は手段としての乗物となっていきました。<br />それでも北海道以外では暫く「鉄ちゃん」ぶりを発揮し、乗りながら観光するということが主だったのですが、海外旅行にシフトした現在では国内の鉄道趣味は自分の中では廃れ、最近ではほとんど鉄道には乗っていません。<br />そんな中、整理していたところ過去に旅行した内容の一部ですが記録や感想が残っていました。スマホどころかデジカメもない時代、撮影は選びながら行っていたので写真はそれほど残っていませんが、形になるものだけ掲載させていただきます。という訳で今までの旅行記とはちょっと違って「鉄分」濃い目になりますのでご了承ください。<br /><br />1987(昭和62)年9月1日~9月17日の17日間、北海道ワイド周遊券(有効期間20日)を利用し、当時あった北海道の鉄道路線を完乗しました。当時の予定表のノートを基に、少ないながらの写真、それと購入した入場券や駅弁の包紙などで辿ろうかと思います。今の旅行記のように時刻は厳密に記録しておらず、ノートは予定表なので多少ずれていることはあるかと思いますが、概ね予定通り回っています。幸い、当時に近い1987年3月号の復刻版時刻表が発行されており、確認したところ、旅行時とそれほど時刻の変更は無さそうです。当時乗った北海道の路線は以下のとおりです。函館本線、函館本線支線(通称:藤城線、砂原線、上砂川線)、江差線、松前線、札沼線、歌志内線、深名線、室蘭本線、室蘭本線支線、千歳線、石勝線、石勝線支線、日高本線、根室本線、富良野線、池北線、留萌本線、宗谷本線、天北線、石北本線、名寄本線、名寄本線支線、釧網本線、標津線、標津線支線、札幌市営地下鉄東西線、南北線、札幌市電、函館市電。<br />なお、写真は私の撮影技術の稚拙さに加え保存状態が悪く、色褪せていたりカビ(雪の結晶のようなもの)が付いているものもあり、不快と思われる方いらっしゃると思いますがご容赦ください。<br /><br />今回は9日目です。

海外旅行前史「鉄」の時代と「道」の時代:1987年北海道鉄道乗り潰し旅行【9】最北端を目指して

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1987/09/09 - 1987/09/09

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とーり

とーりさん

コロナ禍もようやく落ち着きを見せ、トラベラーさんたちは続々と海外へと飛び立っておられて羨ましいですが、私は当面国内旅行に勤しむことになりそうです。ということで暫くは国内旅行記や過去の旅行を振り返ります。まず今回は私が海外旅行に目覚める前の国内旅行について旅行記を認めたいと思います。私の国内旅行は鉄道旅行から始まりました。つまりこれが表題にある「鉄」の時代です。当時の私は乗ることが目的といういわゆる「鉄ちゃん」に該当する存在でした。今でこそ鉄ちゃんは世間に認知され、女性アイドル(?)などもいらっしゃいますが、当時世はスーパーカーブーム、圧倒的少数派の鉄道ファンを名乗ることが恥ずかしく「隠れ鉄ちゃん」として細々と楽しんでいました。
ご存知のとおり鉄道趣味にはジャンルがあって、鉄道車両のメカニズムを追求する「車両鉄」、鉄道写真を撮るのが目的の「撮り鉄」、乗り潰し等乗ることが目的の「乗り鉄」などがあり、最近ではさらに多様なジャンルがあるようです。私は時刻表を見て列車の乗継を計画、それを実践し、うまくいけば悦に入るという鉄道旅行作家の大家、宮脇俊三さんに近く、今で言ういわゆる「乗り鉄」ですが、そこまでストイックではなく、観光地では乗車を休み観光を楽しむといスタイルでした。また、車両よりも駅に興味があり、下車駅で入場券を買い集めたり、駅を起点に観光など街歩きを楽しみ、温泉旅館に泊まるなど、今の自分の旅行形態の原型が造られたと思っています。
一方、「道」というのは「北海道旅行」です。海外旅行が流行り始めた頃、まだひとりで行く勇気がなかった時代に嵌ったのがこれでした。最初は鉄道で回ったのですが、大自然や美味しい食べ物、ユースホステルの楽しさなど鉄道以外の面白さに感化され、次第に鉄道は手段としての乗物となっていきました。
それでも北海道以外では暫く「鉄ちゃん」ぶりを発揮し、乗りながら観光するということが主だったのですが、海外旅行にシフトした現在では国内の鉄道趣味は自分の中では廃れ、最近ではほとんど鉄道には乗っていません。
そんな中、整理していたところ過去に旅行した内容の一部ですが記録や感想が残っていました。スマホどころかデジカメもない時代、撮影は選びながら行っていたので写真はそれほど残っていませんが、形になるものだけ掲載させていただきます。という訳で今までの旅行記とはちょっと違って「鉄分」濃い目になりますのでご了承ください。

1987(昭和62)年9月1日~9月17日の17日間、北海道ワイド周遊券(有効期間20日)を利用し、当時あった北海道の鉄道路線を完乗しました。当時の予定表のノートを基に、少ないながらの写真、それと購入した入場券や駅弁の包紙などで辿ろうかと思います。今の旅行記のように時刻は厳密に記録しておらず、ノートは予定表なので多少ずれていることはあるかと思いますが、概ね予定通り回っています。幸い、当時に近い1987年3月号の復刻版時刻表が発行されており、確認したところ、旅行時とそれほど時刻の変更は無さそうです。当時乗った北海道の路線は以下のとおりです。函館本線、函館本線支線(通称:藤城線、砂原線、上砂川線)、江差線、松前線、札沼線、歌志内線、深名線、室蘭本線、室蘭本線支線、千歳線、石勝線、石勝線支線、日高本線、根室本線、富良野線、池北線、留萌本線、宗谷本線、天北線、石北本線、名寄本線、名寄本線支線、釧網本線、標津線、標津線支線、札幌市営地下鉄東西線、南北線、札幌市電、函館市電。
なお、写真は私の撮影技術の稚拙さに加え保存状態が悪く、色褪せていたりカビ(雪の結晶のようなもの)が付いているものもあり、不快と思われる方いらっしゃると思いますがご容赦ください。

今回は9日目です。

同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 夜行急行利尻で札幌から一挙に最北の地、稚内へ。<br />特に幌延以北の行程は数日前に行った根室付近と同様最果て感がひしひしと感じられます。<br />(札幌21:50 ⇒ 翌6:00稚内   急行利尻)

    夜行急行利尻で札幌から一挙に最北の地、稚内へ。
    特に幌延以北の行程は数日前に行った根室付近と同様最果て感がひしひしと感じられます。
    (札幌21:50 ⇒ 翌6:00稚内 急行利尻)

  • 到着しました稚内駅。ホーム1面2線の思ったより小さな駅です。駅名標もこんな手書きなのもありました。

    到着しました稚内駅。ホーム1面2線の思ったより小さな駅です。駅名標もこんな手書きなのもありました。

  • お決まりの入場券を購入しました。何とはない他と同じ入場券ですが、最北端という重みがあるような気がします。当時東西南北端の駅で入場券が買える駅、つまり有人駅はここ「北」の稚内と「西」の平戸口だけなのでその意味でも珍重すべきかもしれません。

    お決まりの入場券を購入しました。何とはない他と同じ入場券ですが、最北端という重みがあるような気がします。当時東西南北端の駅で入場券が買える駅、つまり有人駅はここ「北」の稚内と「西」の平戸口だけなのでその意味でも珍重すべきかもしれません。

  • 最北のスタンプGetです。

    最北のスタンプGetです。

  • 駅を出て駅舎の外観を眺めます。ホーム1面2線だけの駅にしては立派な造りです。でも最果ての人跡稀な荒野を走ってようやく着いた街の中心に建つどっしりした駅は何となく安心感がありました。今はガラス張りの現代的な造りに建替えられたとのことですが、ホームは1面1線だけの棒駅になってしまったとのこと。そこは寂しいところです。

    駅を出て駅舎の外観を眺めます。ホーム1面2線だけの駅にしては立派な造りです。でも最果ての人跡稀な荒野を走ってようやく着いた街の中心に建つどっしりした駅は何となく安心感がありました。今はガラス張りの現代的な造りに建替えられたとのことですが、ホームは1面1線だけの棒駅になってしまったとのこと。そこは寂しいところです。

  • この日は最北端の地宗谷岬まで往復後、稚内市内を観光し一泊の予定です。<br />(稚内駅8:10 ⇒ 9:07宗谷岬  宗谷バス)

    この日は最北端の地宗谷岬まで往復後、稚内市内を観光し一泊の予定です。
    (稚内駅8:10 ⇒ 9:07宗谷岬 宗谷バス)

  • ということで宗谷岬にやって来ました。稚内駅からバスに乗り約1時間で着くことができます。岬といっても狭く延びた突端部ではなく、普通に道路がカーブしている所に突然現れました。おあつらえ向きに日本最北端の地碑があったのでパチリ。天気は雲が多く、まだ9月だというのに風も冷たく周囲もお土産屋が数件あるだけの寂しいところでした。ここが最北端、択捉島はソ連に占領されているので、日本でここより北はない、ようやくここまで来たと少し感動しながらこの先は樺太かと海を見るともっと北にあると思われる島が。おやっと思い後で調べると弁天島という無人島で、実際のところこの島の方が北にあるそうです。勉強になりました、行ってみるものです。<br />(宗谷岬9:40 ⇒ 10:38稚内駅  宗谷バス)<br />

    ということで宗谷岬にやって来ました。稚内駅からバスに乗り約1時間で着くことができます。岬といっても狭く延びた突端部ではなく、普通に道路がカーブしている所に突然現れました。おあつらえ向きに日本最北端の地碑があったのでパチリ。天気は雲が多く、まだ9月だというのに風も冷たく周囲もお土産屋が数件あるだけの寂しいところでした。ここが最北端、択捉島はソ連に占領されているので、日本でここより北はない、ようやくここまで来たと少し感動しながらこの先は樺太かと海を見るともっと北にあると思われる島が。おやっと思い後で調べると弁天島という無人島で、実際のところこの島の方が北にあるそうです。勉強になりました、行ってみるものです。
    (宗谷岬9:40 ⇒ 10:38稚内駅 宗谷バス)

  • 宗谷岬を30分程の滞在で稚内市内に戻ってきました。今度は市街側の岬、ノシャップ岬を回りました。氷雪の門のモニュメントや開基百年記念塔など当時まだあった日本最北、最短の稚内公園ロープウェイに乗り訪れました。この写真はその時撮ったものです。ノシャップ岬にも行き、水族館などにも行った記憶がありますが、写真は残っていません。

    宗谷岬を30分程の滞在で稚内市内に戻ってきました。今度は市街側の岬、ノシャップ岬を回りました。氷雪の門のモニュメントや開基百年記念塔など当時まだあった日本最北、最短の稚内公園ロープウェイに乗り訪れました。この写真はその時撮ったものです。ノシャップ岬にも行き、水族館などにも行った記憶がありますが、写真は残っていません。

  • 稚内市内は見どころがそれほど多いところではないので、時間が余ってしまいました。そこで折角周遊券を持っていることもあり、片道1時間ほどで行ける幌延まで往復してみることにしました。当時はまだ、豊富温泉でゆったり湯につかるとか、サロベツ原野を散策するとかいう考えは無く、今では考えられないことですが、時間があれば列車に揺られたいと思っていました。ということで急行礼文に乗車し幌延に向かいます。<br />(稚内15:50 ⇒ 16:47幌延  急行礼文)

    稚内市内は見どころがそれほど多いところではないので、時間が余ってしまいました。そこで折角周遊券を持っていることもあり、片道1時間ほどで行ける幌延まで往復してみることにしました。当時はまだ、豊富温泉でゆったり湯につかるとか、サロベツ原野を散策するとかいう考えは無く、今では考えられないことですが、時間があれば列車に揺られたいと思っていました。ということで急行礼文に乗車し幌延に向かいます。
    (稚内15:50 ⇒ 16:47幌延 急行礼文)

  • 約1時間で幌延に到着しました。人口1万にも満たない町ですが、駅は意外に大きいです。人口希薄な北海道、特に厳しい環境の道北では主要な街なのでしょう。

    約1時間で幌延に到着しました。人口1万にも満たない町ですが、駅は意外に大きいです。人口希薄な北海道、特に厳しい環境の道北では主要な街なのでしょう。

  • この駅に来たのは入場券を仕入れるためと、同じ年の3月、つまり僅か半年前に廃線になった羽幌線の分岐駅であったので、現状はどうなっているのか確認するというしょーもない目的のためです。残念ながら羽幌線の遺構の方は写真も記憶も残っていません。<br />(幌延17:36 ⇒ 18:51南稚内)

    この駅に来たのは入場券を仕入れるためと、同じ年の3月、つまり僅か半年前に廃線になった羽幌線の分岐駅であったので、現状はどうなっているのか確認するというしょーもない目的のためです。残念ながら羽幌線の遺構の方は写真も記憶も残っていません。
    (幌延17:36 ⇒ 18:51南稚内)

  • 暇なのでスタンプも押して待ちます。

    暇なのでスタンプも押して待ちます。

  • 1時間弱の滞在で幌延を後にし、再び北上、今度は終点の1駅手前、南稚内で下車します。稚内市街は南北に細長く延びていて、この南稚内駅周辺も市街化されています。私が泊る宿がこの駅前にあるため降りました。

    1時間弱の滞在で幌延を後にし、再び北上、今度は終点の1駅手前、南稚内で下車します。稚内市街は南北に細長く延びていて、この南稚内駅周辺も市街化されています。私が泊る宿がこの駅前にあるため降りました。

  • ホテルで昼に買っておいた稚内駅の駅弁を食べて本日は終了。「お好み御弁當」の中身は普通の幕の内だったと思います。

    ホテルで昼に買っておいた稚内駅の駅弁を食べて本日は終了。「お好み御弁當」の中身は普通の幕の内だったと思います。

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